[ 目 次 ]      月刊・お好み書き 2000年10月号


泉南餓死事件

奇妙な7人家族が信じていた宗教とは?


 今年8月中旬、大阪府泉南市で奇怪な事件が起こった。同市に住む無職・若田隆二(66)と同居する妹で、貞子(64)の5人の子供たちが餓死しているのを警察が発見。家の庭に大きな穴があったことなどから、マスコミを巻き込んだ大騒動に発展した。死んだ5人は41歳から27歳までと、いずれも成人だったが、この家族は外部との接触を断ち、奇妙な宗教生活を送っていた。不思議な事件のナゾを追い、現場周辺を歩いてみた。なお、名前は全員仮名にした。(庄村有治)

 事件のあった泉南市樽井(たるい)町は、関西国際空港の対岸にある「りんくうタウン」から南に約6キロの地点。大阪府南部に位置し、和歌山県にほど近い小さな街である。海にも近く小さな漁港もあるが、町自体は古い家と新しい家が入り混じる、閑静な住宅地という風情である。この土地に古くから住む住民(女性)が言う。

 「いまから4、50年前は賑やかな街でした。桜が咲く頃になると、樽井駅から東の山間にある金熊寺(きんまんじ)まで、見物客が延々と押し寄せたものです。その頃は地場産業である縫製工場もたくさんあり、大阪市内から女子行員の人たちを目当てにナンパに来る男性も多かったですね。でも、いまは寂れて、日曜日でも町の中心には人が少ない有サマですよ。」

 そんな静かな町で起こった衝撃的な事件だけに、町の人たちのショックは大きい。





★庭にミステリーサークル?★

樽井町には若田姓の家が多い。地元でも有数の地主だという。事件のあった若田家も、元は土地持ちの資産家。親族のなかには大きな田畑を所有する者もいるほどだ。「隆二さんや貞子さんの母親が生きていた頃は、愛想もよく、ごく普通の家庭でした」(近所の住民)というが、この家族が奇妙になっていったのは、いまから約15年ほど前のこと。近隣の住民が証言する。

 「庭にミステリーサークルのような穴が出来たのは、15年ほど前。それまでは普通の家庭だったが、その頃から人付き合いをしなくなった。家の周囲に塩を延々と盛ってみたり、ニンニクや割りばしで出来た十字架や鳥居を置きだしたのも、その頃の話です。7、8年前には高さ2メートルほどのトタンを庭の周囲に張り巡らしたが、その時分には外部との接触は完全にシャットアウト。以前はあった表札も、その頃から取り外していた」

 「10年ほど前、この周辺で区画整理があったので、隣組を再編することになったのです。その話を若田さんにもして(隣組に)入ってもらったが、それから2年後、『隣組から脱退したい』と隆二さんに突然言われた。理由を尋ねると『土地と建物が人に渡り、近々出ていかなければならないから』ということでした。仕方ないので隣組から抜いたが、いまだに出て行かない」

 近隣住民との関係を断ってしまった若田家だが、本人たちは人目を避けているようでも、彼らの姿は周囲にときどき目撃されている。

 「決まって朝10時ごろ、自転車に乗って出かける若田兄妹(注:隆二と貞子)をよく見かけました。15年ほど前は黒のクラウンに乗っていたが、いつのまにか自転車に変わっていた。高級車を乗り回していた頃は、仕事もせんのに羽振りのいい人やなぁと、近所で噂になっていたほどです。若田家の人が外に出るときは、まずドアを半開きにし、周囲に人がいないことを確認してから、サッと出ていく(笑)。ときには、子どもたちに外を確認させ、兄妹が出ていくこともあった」(近隣住民)

 「彼らを最後に見かけたのは、2、3カ月前だったと思う(それが誰かは不明)。ここ数年、一家以外の人物が家を訪れる様子なかったと思う」(同)

 また、近くに住む別の住民もこう証言する。
 「最後に見かけたのは、確か桜が咲いたあとでしたから、5月か6月だったと思います。そのときは、隆二さんと貞子さん、そして長女のスエ子さんでした。3人とも自転車に乗って出かけましたが、すぐに戻ってきました。その時の印象は、スエ子さんが異常に痩せていたのを覚えています。それ以前にも3人一組で自転車に乗って出かける姿は、よく目撃されています。3人のうち、かならず2人は若田兄妹。残り1人は、貞子さんの子どもの誰かでした」


★自転車に乗り神社仏閣詣で?★

 5月か6月といえば、長女のスエ子さんが餓死する1、2カ月前のことだ。彼女は空腹に堪え、フラフラになりながら自転車を漕いでいたのであろうか。じつは若田家の住人が自転車に乗って出かける姿は、よく目撃されている。それも独りではなく、決まって3、4人の複数で行動していたようだ。彼らはいったい何をしていたのか。こんな証言を得た。話すのは、自営業を営む近隣住民である。

 「自転車に乗った3人が寺や神社を回る姿をしばしば見ています。私がよく見たのは、金熊寺近くにある妙見山でした。拝んでいる姿もときどき見かけています。」

 この話を裏づける、こんな証言もある。
 「自転車に乗った3人の方が、お寺にときどき来られていたのは知っています。2人は60代くらいの男女。もうひとりは、確か若い方でした。拝んでいる姿は見ていませんが、境内で休んで談笑している様子でした。私から声をかけたこともありませんし、向こうからかけられたこともありません。事件を知り、ああ、あの人たちだな、とピンときました。見かけるたびに不思議な一団だと思っていました。最後に見たのは、何カ月も前だったように思います」(金熊寺住職の談話)

 どうも彼らは、自転車に乗って周辺の神社や寺を詣でていたようである。それが彼らの修業なのかは不明だが、かつては金熊寺(若田家から東に約5キロメートル)まで走ることが出来た体力も空腹で消え失せ、「すぐに戻ってきた」との証言にもあるように、最後は近くの寺で済ませていたようだ。



★一家の宗教ルーツはI教団!?★

 若田貞子を教祖と仰ぎ、一家が信仰する宗教が果たしてどんなものなのか。分かっているのは、貞子が常々語っていた「外部との接触を絶て」という教えのみ。新聞も警察も「名称も教義も不明で、かれらが勝手に造った宗教」(警察関係者)と推測しているが、筆者は若田家の親戚という人物から、「若田兄妹の死んだ母親のトメさんは、かつてIという教団の信者でした」という話を聞いた。調べてみると、確かにIという宗教団体は存在する。現在は香川県に本部を置いているが、20年ほど前までは泉南市に本部があった。筆者は香川県に向かい、教団の責任者と名乗る男性から話を聞いた。  「餓死事件? 知らんなぁ。古い話だからねぇ。確かに、昔は泉南市に本部があったけど、その頃の代表者も信者もおらん。そのトメさんが信者だったかは分からんねぇ」

 宗教者というより、不動産屋のオヤジのほうが似合いそうな教団責任者は、あからさまな迷惑顔で、筆者にそう語った。分かれ際、教団の教義を尋ねてみると、「教義はない。まぁ、神も仏も、なんでもOKかな」ときた。若田兄弟は自転車に乗り、不特定の神社や寺を回っていた。なんでもありの宗教である。I教団がルーツであっても、不思議ではない。

 餓死した5人の子ども達のうち、長女と三女は中学生時代、登校拒否状態になっている。とくに、長女は3年生の頃はほとんど登校せず、卒業アルバムにも写真が載っていないほどである。母親の貞子も小学生の頃、似たような状態にあったが、これは貞子の母親で、16年前になくなった母親トメの影響のようだ。 「トメさんも信仰熱心で、近所の神社仏閣によく詣でて」(近隣住民)おり、自分の子どもや孫たちに「外部との接触を断て」と教えていたという。そのトメがI教団の信者だったとして、Iにそのような教義があったのかは不明である。母親トメの死後、娘の貞子は「神が私に降りてきた」と家族に宣言し、周囲との人間関係を徐々に断っていったようだ。

 "教祖"の貞子から信仰を勧められた人物が証言する。
 「私も若田兄妹から誘われたことがある。『あの穴からは必ず天然ガスが出る』とか『世界一の金持ちになれるので、いま奉仕しなければいけない』なんて言われたが、なにをバカなことを、と思う程度だった。しかし、7、8年前だが、義姉が、あそこの宗教に凝ってしまった。その亭主は地元でも大きな地主だが、亭主に黙って田畑を売り払い、その金をお布施として若田兄妹に渡してしまったらしい。額は7、8千万円と聞いている。その所業を知った亭主が怒り狂い、離婚してしまった。5、6年前だったか、その義姉も死んでしまった。死因は分からないが、『お布施が出なくなったから、殺されたのではないか』と周囲で噂したものだ。葬式も出していないらしい」

 この証言にある義姉とは、隆二さんの兄嫁にあたる人物。真相を尋ねるべく、離婚した元亭主を訪ねた。70代のその元亭主は、いまも畑仕事をしているが、戻ってきたところを直撃した。
 「離婚して何年にもなるので、思い出したくもないし何も話したくない。(元妻が)死んだ原因も知らないし、その事実を知ったのも風の便りでのこと。あの兄妹がどんな宗教に凝っていたかも分からない。離婚の原因? それは言いたくない。もう、勘弁してくれ」

 この義姉の死因は不明。「警察もかなり関心を寄せており、若田兄妹の体力が回復次第、事情を詳しく聞くようだ」(府警詰記者)。

 そして8月16日、5人の遺体が発見されるわけだが、そのときの様子を警察関係者がこう語る。

 「最初は若田家の隣人から通報を受け、派出所の警察官が出向いた。対応に出た兄妹は中に入ることを拒絶したが、警察官は死臭に気づき、泉南署に連絡。刑事3人が応援に駆けつけ、若田家の異常事態を察知。中に入ったところ、5人の遺体を発見した。夏でクーラーも付いていなかったことから、遺体の損傷は激しく、なかにはパンパンに膨れ上がったり、逆に縮んで小さくなっていたり、ウジ虫が沸いている遺体もあったほどだ」(泉南警察)

 解剖の終わった遺体は事件の翌日、親戚に返され荼毘に伏されたが、葬式を出した様子はない。今後の捜査方針も尋ねてみた。 

 「兄妹も衰弱が激しく、現在入院中で事情聴取ができない状態だ。退院を待って事情を聞くが、遺体遺棄容疑で逮捕する方針に代わりはない。(殺人や保護責任遺棄などの容疑で逮捕しないのか?)動機にかかわる問題だから、事情を聞いてみないと分からないが、実際は難しいと思う」(同警察)  

 司法解剖の結果、5人は6月末から8月初旬にかけ、順番に死んでいったことが分かっている。貞子は警察に対し「『お金がなくなり、神さまのお告げだから』と納得させ、子どもたちには水だけ飲ませていたと供述している」(新聞記者)ようだ。

 また、「警察が家宅捜査したとき、テレビゲームやマンガが置いてある部屋を発見した。これで空腹をごまかしていたようだ」(同)との情報もある。しかし、「体力のある若い子どもが先に死に、年配の2人が生き残ったのも不自然」(警察関係者)と見ており、兄妹だけが食事を取っていたのではないかとの疑念も消えていない。



★貞子と接触していたナゾの女★

 じつは、筆者は取材の過程で、こんな証言を得た。話してくれたのは、貞子と同級生だった女性である。
 「事件が起こる2、3週間前でしたか、貞子さんを大手ショッピングセンター付近で目撃しました。知らない中年女性と話し込んでいましたが、以前にも何度か、同じ場所で同じ人物と話し込む彼女を見ているのです」

 2、3週間前といえば、餓死した5人の子どものうち、少なくとも4人は死んでいた時期である。貞子自身も空腹に耐えていたはずだが、いったい彼女は誰と何のために会っていたのか。依然として不明である。

 最後に、貞子の別れた亭主宅を訪れ、こんなコメントをもらった。 「離婚して27年になりますし、いまは貧しいながらも新しい家庭を築いていますので、どうか静かにしておいてください。事件を知ったときは、びっくりして身体が振るえました。離婚以後、子どもたちにも逢っていませんが、可愛そうな気持ちでいっぱいです。(当時から貞子さんは宗教に凝っていたのかの質問に対し)確かに、何かの宗教に凝っている様子でした。ただ、それが何なのか、仏教なのか神道なのかは私には分かりません。」

 死んだ5人にしてみれば、まさに神も仏もないような事件だったに違いない。




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