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私の西安・敦煌ひとり旅(上)

 十五年ぐらい前だっただろうか、当時の総理大臣だった橋本龍太郎さんが中国を訪れた時、兵馬俑博物館を見学していた。その事がテレビで放映された時「これは絶対行こう」と心に決めていた。そして今年、その夢を実現しようとまた一人で中国を旅行した。(新野 貴子)

◆西安に着いた◆
 七月三十一日昼。私の乗った飛行機はほとんど日本人でいっぱいだった。西安の空港に着くと、それらの人はツアーと個人旅行に分かれる。タラップを降り、空港内に入ると、ほぼ全員に対し「ご案内」の現地の方が待っていたが、私は送迎サービスなしのホテルを予約したため、ただ一人国際線到着ゲートを出た。なんとその場は全部お迎え用の車とタクシー。客引きの師傅(シーフ、運転手の意味)に「二百元(一元は約十三、五円)で市内に行く」と誘われたが、「いらない。リムジンの乗り場はどこ?」と聞くと国内線の乗り場を差したので、荷物をかかえて走っていった。リムジンは二十元、1時間に1本だが、丁度出発する直前だった。1時間程で市内の発着所に着き、ホテルまでは八元で到着する。
 着いたその日に重い荷物を持ってホテル探しをしなくてもいいように、一泊めだけは日本から予約をとっていた。中心部から少し南の西安賓館、予約金は三千九百円。豪華さにはあわない安価に、この値段なら西安でのホテルはここにきめてもいいなと思った。カウンターに行き、チェックイン。「連泊したいけれど」と聞くと、「一泊五百十六元です」という。うーん、予算とだいぶ違う。「考えます」とだけ言って部屋に案内される。こりゃあかん、ホテルを探しに行かなと、すぐに部屋を出て北へと向かって行った。

 とにかく暑い。みんな日陰を選んで歩いている。確か最高でも三十度ぐらいのはずなのになんとこの日は三十六度。二○○mほど歩くと少し安そうなホテルがあった。尋ねてみようと門をくぐると、まず目に入ったのは隣の小さな旅行社の看板。ちょっと覗いていると優しそうなお姉さんが座っていたので、話しかけてみようと中に入った。「日本から来たのですが、兵馬俑を見たくて」と私が言うと、お姉さんは手書きのパンフレットを見せてくれた。一九六元で兵馬俑や始皇帝陵などの名所を(入場料やホテルからの送迎込み)一日で連れて行ってくれるというので、即決した。ついでにこの近辺の安いホテルや、敦煌でのホテルを紹介してもらう。しばらく待つと、奥から別のお姉さん(田さん)が出てきて、「安いホテルまで一緒に行こう」と言ってくれた。着いたところは「小さい(日本の字にはない)飯店」(シャオサイ)。「歩き方」には載っていないが、まあまあ綺麗そうな感じだったので、敦煌から帰ってきてからの二日分の予約をしておき、予約金として四百元を払った。ついでにホテル内の旅行サービスのカウンターで、明後日の朝西安空港まで送ってくれるよう頼む。「どこに迎えに行けばいいか」と聞かれ、明日の夜の宿を決めていない事に気がついた。そして田さんに西安賓館で翌日の部屋もとれるよう交渉してもらうため、ついてきてもらうことにした。
 西安賓館は4つ星のホテルなので、欧米からの観光客も多く宿泊する。田さんはフロントで翌日の部屋について聞いてみようとして一泊の値段を聞きあまりに高いので「明日のツアーの前にチェックアウトして、荷物全部を持ってバスに乗ってください。私がさっきのホテルに明日の夜の分を予約しておきます。ツアーの終わりにさっきのホテルまで送ってもらうようにします」と言ってくれた。
 もう少し話をしようと、ロビーにある喫茶室に行く。冷珈琲(中国語は両方とも口へん)を二つ頼む。かき混ぜると底から粉が渦をまいていた。田さんはさっきのホテルに電話をかけ、明日の部屋を予約して戻ってきてくれた。そして「まだ何かお手伝いしましょうか」と言う。私は「この辺りで夕食をとりたいのだが、おいしい店はないか」と聞いた。彼女は私の荷物を指し、「これを部屋に置いてきたら行きましょう。案内します」と言ってくれた。

◆城壁内へ◆
 ホテルから中心部(城壁の中)までタクシーで五元。その中でも中心に城内のシンボルである鐘楼(チュンロウ)がそびえ立つ。その近くの広場横でタクシーを降り、夕食をたべたらいいという夜市の場所を教え、鐘楼の入場券売り場まで連れて行ってくれ、「何かあったときは」と電話番号を書いた名刺をくれ、田さんは仕事場へ帰って行った。
 鐘楼は時を告げる鐘をならすために明の時代に建てられた建物で、釘を一本も使わない珍しい構造である。内部は昔の楽器が展示されており、係員が一時間に一回説明をしていた。上に登ると東西南北の窓から大通りが見え、碁盤目状の街の雰囲気がよくわかる。ふとさっきタクシーを降りたところを見ると、舞台ができてあり、音楽にあわせて人が踊っている。けっこうおもしろそうだったので、急いで下に降り広場に向かう。しかし近くに寄ってみると、インスタントラーメンの会社の宣伝イベントだった。舞台には十人ぐらいのおばさんのラインダンスや少年の剣舞など次々と色々な出し物があり、行き交う人の足を止めていた。

 西の方に少し歩くと、北院門街に出た。土産物屋や食堂が並び、欧米人もたくさんいる。食堂といっても店の外に椅子やテーブルを出し、涼みながら食べている。七時を過ぎてちょっと日が陰ってもまだまだ暑い。でもみんなおいしそうに串焼の肉(シシカバブ)を食べている。私は最初包子(パオズ)が食べたかったのだが、その雰囲気にのまれ、一軒の店に入る。「あれ」と指差すと「いくつ?」と聞くので二本ぐらい食べようと指を二本出すとしばらくして二十本持ってきた。うーん…食べられへん。でも残したら勿体ないと思い無理して食べたけど、あと四本というところでギブアップ。「お勘定」と言うと店員が串の数を数え、食べた分だけを請求してきた。それならもっと残してもよかったんだ…。
 食後狭い路地を入るとまた土産物屋が立ち並ぶ。中国的なもの、イスラム的なもの、ヒンズー的なもの等色々売る。私が通れば日本語で、欧米人が通ればその言葉で対応しているからすごい。私は好きな農民画を4枚買った。

◆西安東線ツアー◆
 翌朝、七時過ぎにバスが迎えに来た。精算を済ませ、大きな荷物と共に乗り込む。私一人を乗せたバスは駅前に向かった。集合の前に朝食をとれる場所に連れて行ってくれるという。降りたところはバイキング形式の様なレストラン。入り口でまず十元を払いカードをもらう。「好きな物を取ってカードを渡してください」と言われたので、野菜炒めとやきそばとコーヒーを取り、その都度カードを渡すと、残金の減っていくのがわかる。日本で見たことがなかったので、目新らしかった。結局七元五角だったので、帰るときにカードを渡しおつりをもらう。

博物館のチケット
博物館のチケット。有名な観光地はほとんどカード型になっている

 八時、私と十人の中国人の客を乗せ、バスは出発する。
 最初の目的地は、一番見たかった兵馬俑。正しくは「秦始皇帝兵馬俑博物館」。入場券は私以外の人はその時払いのようだ。元軍人、学生(留学生を含む)などで値段が違うためだ。カード型の券をもらい中に入る。博物館は一号坑(こう)、二号坑、三号坑、銅車馬展示館からなり、バスに同乗していたガイドさんが全部丁寧に説明してくれる。が、全部中国語なので、半分ほどはわかったように頷いていた。それにしてもすごい。百聞は一見にしかずとは言うが、「圧巻」というか、とても一言では感想を述べられない。かつての大阪球場ぐらいの広さ一面が兵馬俑なのだ。また、同時進行で発掘や修復作業をしているのが、間近に見られたのも、感動の一つだった。外人のツアーも多くすぐ近くで日本語のガイドが説明している場面も見られたが、私のガイドが私のために優しくゆっくりと話してくれるので、浮気をしては申し訳ないと思い、その場を離れられなかった。
 同じツアーには二組の老夫婦がいて、私の事を大変気づかってくれたので、その方と常に同じ行動をとる。以前北京の万里の長城でツアーバスにほっていかれた苦い経験のある私だったが、その方々のおかげで、時間に間に合うよう行動することもできた。
 集合時間になってもバスに戻ってこない人がいたため、バスの中で少し待つ。と、一人の男の子がひまわりの花を持って入って来た。そして母親と一緒に種をむしって殻をむいて食べ始めたのだ。え、生で?とびっくりした顔を彼は見逃さなかったようだ。少しむしって分けてくれる。種を見ながら不思議がる私に、丁寧に食べ方を教えてくれた。味はないが、おつまみにはなかなかのものだ。何かリスかインコにでもなった気分がした。

ひまわりの種を差し出す 「食べませんか」男の子は私にひまわりを差し出し、
食べ方も教えてくれる

 バスは次の目的地、始皇帝陵へ。ここはただの小山を階段で登るだけのものだが、たくさんの人が訪れている。ここでも先ほどの老夫婦と登ろうとしたが、婦人のほうがは足があまり強くないので「先に行って」と言われた。観光地であるはずなのに、階段の左右は桃を栽培する段々畑になっていて、所々でそれを売っていたりもする。頂上までは約十五分。その先では係の人が無料で冷たいおしぼりと、ぬるい飲料水を提供している。日本の観光地では見たことがないサービスだった。
 昼食後、楊貴妃も入った温泉があるという華清池(かせいち)へ。ここでは自由見学だったが、先程の男の子(十四歳)の母親が「私は美しくなりに風呂に入ってくる」と言い残して行ってしまったため、ガイドのはからいで一人者同士一緒に行動することになった。彼は精一杯私に気を使い、いろいろ説明をつけながら歩いてくれ、これも半分しか言葉がわからなかったが、楽しいデートになった。私はさっきのひまわりのお礼と思い、彼が買おうとしていたコーラのお金を出そうとしたら、かたくなに拒否をされてしまった。
 バスは中国の観光客を西安駅でおろす。わずか十一人のツアーだったので、全員が私との別れを惜しむように降りる時に握手をしてくれた。そのままホテルに向かう。
 翌日、敦煌への飛行機の離陸時刻が七時半だったため、五時半に予約してあったタクシーに乗り込む。次に西安に戻るのは四日後の午後八時半。「その時間はリムジンはないよ」と師傅が言うので「では、その時間に迎えに来て」と日付・飛行機会社・便名を紙に書いて渡した。
 国内線である西北航空は定時に離陸し、敦煌に着いた。ほり投げられるように渡された荷物を担ぎ、航空会社の職員も利用する市内行の六元リムジンに乗り込むと、後から同じ様な一人旅の人に出会う。話しを聞いていると日本人であることがわかった。「これ市内に行くよ。私も行くから一緒に行こう」と声をかけたのが敦煌旅行のスタートになった。

(続く)



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