| 追悼・新聞記者 黒田 清 |
| 「常識」の達人・黒田さん |
| 黒田清は、庶民の言葉を持ったジャーナリストだった。つまり「常識」を武器にできた希有な言論人だったと、私は思う。昔々、大阪にはあんなオッチャンが、町内や路地に一人や二人おったもんや。子どもが危ないことをしてると叱り、夫婦げんかには仲裁に入る。冠婚葬祭や祭礼は手際よくこなし、火事や空襲の時には真っ先に奔走する。けど、警察や役人は大嫌いで、ボヤキと世辞がいつも口をついて出る。反体制やないけど反骨で、保守的やないけど昔気質、そしてなによりも、曲がったことは大嫌い――そんな「古き良き、気のエエ頑固親爺」の見本のような人だった。 考えてみると、日本の戦前と戦後は「断絶」している。近隣諸国に侵略した日本が敗戦でアジアを意図的に忘却した、という意味で「断絶」である。故に、一昨日までの鬼畜が羨望の的となり、昨日までの四海同胞は「後進」の一言で切り捨てられたのが「戦後」の始まりだった。戦後民主主義の危うさは、実は此処にこそ存したのである(小林君、お勉強はこうやってするのだよ)。昨今でこそ「アジア弁当」「アジアキッチン」「アジアの純情」などなど、訳のわからん、何の脈絡もない「アジア」が日本国内で氾濫しているが、黒田さんの世代まで、「東亜」は確実に生活の中にあったはずだ。そんな日本人のまともな感性を、黒田さんは戦後的価値観の中で持ち続けられた人ではなかったか? インテリ・左翼・「贖罪組」のそれではないアジア認識・皮膚感覚としての東アジア・向こう三軒両隣の亜細亜――戦後日本人が口を閉ざして語らなかった「大東亜」は、黒田清の中でその庶民版として残存し、発展したのではないか(西尾クン、君にはこの弁証法が無いのだよ、判ったネ)? 10年ほど前に河合塾で講演をしていただいた時、黒田さんは「60年安保で日本のマスコミは完全にダメになった。東京の一等地に社屋を貰って記者クラブができて…」とズバリ本質を語り、ジャーナリストを目指す若者に「幻想は持つな。自分の目と耳と足で稼げ!」と檄を飛ばしてくれた。ブン屋という言葉の復権を考えたい、とも語られた。 さて、ブン屋などどいう言葉は今や死語になり、〈マスコミ関係に就職する〉ことを己のサクセスとしか捉えられないアホが増えた。コイツ等は、皮膚感覚としてのアジアを持てない(持たない)し、「庶民」などという言葉も、受験でしか知らない超・低学力ドモである。言い換えれば、森や石原を物ともしない、恐ろしいゾンビだ。先日、我が友人の『朝日』の記者(34歳)に「あのぉ先輩、三国人って、何処とドコとDOKOの国の人ですか?」と、東大出の新入り記者が真顔で尋ねたそうな…そんな、アホ・ゾンビどもが多数派になった今、第二の黒田清が現れることは、まず・絶対に・絶望かつ確信的に・天地神明にかけて・全く、ありえないのである。我々「古き良き、気のエエ頑固親爺」派は、このアホどもが暴走しないように、我々の責任で以てしっかりと四六時中監視しなければいけない。つまり、黒田さんの爪の垢は、彼方此方で煎じ続けられなければならないのだ。 今世紀の戦争と革命、そして科学・医学・宗教・教育・政治は、本当に正しかったのか? 国家は本当に社会と人間を幸せにするのか?? 黒田さん、あと10年は生きて、そんな話をして欲しかった……。後は我々が、何とか引き継ぎます。 合掌。 (注・この寄稿は、趙さんの8月22日付個人通信『趣味的おじゃま』42で発信されたものです) |
| 温かいまなざし |
合掌
(対面朗読ボランティア)
| オッサン、 一緒に何度も酒を呑んでくれてありがとう |
