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月刊・お好み書き 2000年8月号
桂 文福
大相撲名古屋場所十三日目、横綱曙関が新大関雅山関を豪快に押し出した。しゅん間、我が家でテレビを見ていた私は、嫁はんと息子に気づかれぬようにぐっと涙をこらえた。そしてすぐに、曙関の名付け親である、四天王寺のちゃんこ屋さん「萩屋本場所」のおやっさんに、電話を入れ、「おめでとうございます」の「おめで」のあたりで声がつまり、不覚にも家族に、ええ年して泣いてるおいやん(紀州弁でおっさんの意味)の姿を見られてしまった。
まちにまった三年二ケ月ぶりの優勝。度重なるヒザのケガや腰の痛みに悩まされ、世間には「引退」の二文字がちらついた。
しかし、愛するファミリーと一緒に天皇賜杯をだいて記念写真をとるまでは、そして横綱として節目の10回目の優勝を飾るまではと心にちかい、やっと夢を果たすことが出来た。萩屋本場所のおやっさんの後、すぐに東関親方(元関脇高見山)のケイタイにかけさせてもらったら、あの独得のハスキーボイスもうわずっていた。
「文福さん、今度私、部屋をもつから応援してヨ」と聞いたのが15年前。若者数人の小さな東関部屋の創設時からかかわらせてもらった一人として光栄だ。
それから三年目にハワイからチャド・ローウェン君が来日し、二月の寒い日に、平野区の大念仏寺で「この三月に初土俵をふむ青年をよろしく」と紹介された事を昨日のように思い出す。
新十両に昇進した時、お祝いに「曙太郎関江 桂文福より」と力士幟を贈らせてもらい、それ以来、毎年新しいのぼりが春場所の宿舎大念仏寺の門前と、本場所が行なわれる大阪府立体育会館の正面に立てられている。
最初の頃、日本の漢字もあまりわからなくて、誰かに「『桂文福』て書いてあるよ」と教えられ、あわてて「師匠、ありがとうございます」とお礼を言って下さったこともある。横綱と若い頃、飲みにいき、カラオケで横綱が「マイウェイ」を原語のまま唄った。それを聞いていたお店のホステスさん達一同「あのおすもうさん、すごく英語うまいわねー」。あたりまえや!!
数年前、私の弟弟子の桂坊枝君の独演会の打ち上げで、前出の「萩屋本場所」へ20数名で行った時のこと、一階の座敷で小錦関と曙関が、若い衆達とわいわい食事をしていた。落語家仲間達はすっかり坊枝君のことそっちのけで、ほとんどミーハー気分。しかし我々の打ち上げ会は二階であったため、そのまま失礼した。
やがて小錦関、曙関のことも忘れて、本来の「主役」の坊枝君を囲み、落語家仲間や世話人さん達とでにぎやかにちゃんこ鍋をつつき、おいしいお酒を飲んでいた。しばらくすると、ドドスンドスンドスンと階段のひびく音。二階座敷に2メートル3センチの曙関と260キロの小錦関がヌーッとあらわれ、「皆さん、ボク達お先に失礼します。今日はおめでとうございました」と、二階から下におりるついでじゃなく、わざわざ上に上って来て律儀に、あいさつをしに来てくれたのだ。
こんなこともあった。名古屋で横綱達と食事会をしていた時、毎日放送ラジオに電話で生出演をしなければならず、そっと席を立ち、電話で放送をしていると、突然大きな手で受話器をつかんだ横綱が「もしもし若乃花です」。一しゅんスタジオは絶句。曙関の思わぬ飛び入り生放送で、局としてはラッキーだったにちがいない。
こんな愛する横綱のファンは全国各地、いやハワイを中心に世界中にいる。自分がいかにも一人でかかえていてプライベートな面で意見があわなくなるともう「後援しない」とマスコミにぶちまけ、また、あおらされたマスコミも「曙後援会解散でどうなる!!」。どうもならんちゅうねん!!
いろんな雑音もあったけど、結婚式は心から愛する人々が集結し、しかもほのぼのしたものだった。私のとなりには「きんさんぎんさん」もこられていたし、引出物は、師匠東関親方のCMで有名になった「マルハチ」さんの羽毛ぶとんだった。
曙応援隊の一人に岡山県の笠岡市の中学校教師の谷直美さんがいる。この先生、毎場所ごとに横綱に、「きびだんご」をおくり続けている。フタをあけると白星が並んでいるようだし、桃太郎のように強くなってほしいとの思いからだ。その谷先生にも結婚式の招待状が届いた。いつもの心使いが、ちゃんと伝わっていたことを証明する話だ。
さあ千秋楽。私はバンザイをさせてもらうため、名古屋へ行った。20数年間、毎年必ず一回は名古屋場所へ行っている。年六場所、九州も両国も一回は顔を出す。大阪はしょっちゅう(たのまれもせんのに…トホホ)
この千秋楽はもう一つ、格別思いがあった。紙面の都合でくわしくは書けないが、我がふるさと和歌山が産んだ立行司第29代式守伊之助親方の54年間の最後の軍配裁きを見届ける目的もあり、胸があつくなることが重なった。
思えば、前の優勝(9回目)は平成九年五月、両国だったため行けなかった。その前(8回目)は平成七年の大阪だったが阪神大震災の直後のためバンザイはやめ、私の「春はアケボノー」の発声で拍手だけをした。その前の平成六年(7回目)以来の私にとってのバンザイ三唱だった。
ハワイの正装アロハシャツに白いズボンで思いっきり大声出してバンザーイ、あ〜 おわりはなごやかや〜。
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月刊・お好み書き 2000年8月号
