[ 目 次 ] 月刊・お好み書き 2000年6月号
「私、万博何回ぐらい行った?」この思い出を書くにあたり、母に尋ねた。「回数は覚えてへんけど、とにかくぎょうさん連れていってあげたで」母は言う。「人のたくさん並んでいるパビリオンは、あんたらが遊んでいる間に並んであげて、入れる頃になったらかわってあげて、また次の所へ並びに行ってんで」と母。親心なのだろうか、私はいつも弟と歩いていたことは思い出されるのだが…。私は当時小学校3年生、弟は小学校1年生だった。
断片的だけれど、万博に関する思い出を少し書いてみようと思う。
電気通信館。日曜日だったか、人がたくさんいた。テレビ電話もびっくりした。一番奥のイベント広場の様な所は、天井から数えきれないほどの受話器が上からぶらさげてあった。メインステージでは何やらトークショーをやっているので行くと『新野新』という人物。親戚以外で同じ名字の人に会ったのが初めてだった私たち姉弟は、思わずステージ上にかけのぼった。「あなたたち、姉弟?名前何っていうの」「新野っていいます」その答えに相手もびっくりしていた。後にも先にも(まだ先はあるかもしれないが)新野新に会ったのはそのときだけである。
富士グループパビリオン。もこもこしたパビリオンの中の空間全体がスクリーンとなって、私たち
はコンベアーに乗りながら『二十一世紀へのメッセージ』という映像を見ていた。映像もすごけりゃ、音もすごい、お腹の底聞こえてきそうな音にぶったまげていた。
でも、私たちもやっぱり子供。一番の楽しみはエキスポランドで遊ぶことだった。とはいえ、休日昼間は混んでいるので、平日の夕刻から行くことも多かった。「今日はエキスポ行くから、早よ帰っておいでや」と母。私と弟はその言葉を聞くと、その日は約20分の学校からの道のりを全速力で走って帰る。そして車に乗り、母の運転でエキスポランドへ。夕方になると、(たぶん4時ごろだったかな)入場料は半額になる。涼しいし人も少なくなるので、堪能するまで遊ぶことができた(もちろん迷子バッチをつけて)。おもに遊んだところは『ガラスの城』と『落書きコーナー(だったと思う)』で、退社した父もそこにかけつけてくれ、あとはみんなでパビリオンをまわる。イルミネーションもとてもきれいで、デートをしている人も多く目についた。
さいごに、どこのパビリオンだったか忘れたが、『人間洗濯機』のようなものがあり、水着を着た女の人が卵型の洗濯機に入り、首だけ出して「今、体を洗っています。近い将来家庭にもこんなお風呂があらわれますよ」なんて言っていたけれど、今だにそんなお風呂は世間一般には普及(お目見え?)していない。(新野 貴子S36年生)
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