〜 2000/3/28「心ぽかぽかふれ愛フェスティバル」講演原稿〜
みなさん、こんにちわ。私は左高孝太朗と申します。
きょうはこのような機会に参加させていただき、嬉しく思います。短い時間ですが私が今やっていることや、感じていることをお話ししていこうと思いますので、よろしくお願いします。
さて私は、生まれるとき脳に酸素が回らなくて仮死状態になり、その後遺症で言葉と身体障害があります。外に出るときは車いすを使い、食事、入浴など身の回りのことは全て介助が必要です。現在家族で4人暮らし、私の介助もふだん家族がしています。
おととしの秋からは、在宅でパソコンを使い働く目的で作られた「バーチャルメディア工房」というグループに加わり、ホームページ作成などの仕事をしています。
口ではうまく言葉が話せない私にとって、パソコンやインターネットなど意志を伝える便利な道具が普及している今の世の中は、昔に比べれば自由に活動できる機会を与えてくれているように思えます。
子供のころの私は自分の考えや気持ちが話せなくて、外に出ると子供たちに「歩けない、喋れない変なヤツ」と馬鹿にされたりして歯がゆい思いをしたものでした。見ず知らずの大人からも「かわいそうに」と言われ、いやな気分になったこともありました。歩けなかったことよりも、言葉がうまく出てこないという障害が悔しく、その障害が無くなればいいなぁと思っていました。
でも養護学校へ通うようになり勉強に電動タイプライターを使い始めたことで、「文章を書く」ことを覚え「口がダメなら、文字で思いを伝えよう」と発想を転換することができました。それから和文タイプライター、ポータブルワープロに出会い、そして今はパソコンを使っていますが、「たとえ言語障害があっても、人に自分の意志は伝わるんだ!」という自信を持てるようになりました。そのせいか、口からも言葉が楽に出るようになりました。
このように障害があって「できない」と思うことでも、障害をカバーする道具に出会うことで、「できる」自信に繋がっていくと思います。もっとも、そういう道具に巡り合う環境や、周りの人達の支えが大切だと考えています。ぼくは幸いにもそういう環境の中で人々のご縁があったから、いま自分なりに障害を受け入れて楽しく生活していけるんだなぁと感謝しています。
とは言え自分が年々歳を取っていくように、親も歳を取っていきます。いまの生活、つまり自分は健康で親の介助を頼りにする暮らし方は、将来ずっと続くとは限りません。じゃ具体的にはどうしていったら良いだろう、と考える時もあります。外へ出かける時親が運転する車で行き、付き添ってもらい用事を済ましています。知り合いやガイドヘルパーさんにお願いして出かけることもありますが、つい身近にいる親に頼って負担をかけてしまいます。
数年前から体調を整えるためにヨーガを行うサークルに入っていて、その関係で去年の2月、サークル仲間の人達とインド旅行に行く機会に恵まれました。生まれて初めての海外旅行、しかも9日間の長旅なので親は心配のあまり随分反対していましたが、私の「行きたい」という粘り強い思いと、一緒に行く仲間の人からの「なんとかなるから、大丈夫」という説得を受け、承諾を得て実現できました。じっさい9日間、現地の人々を含めて多くの人の支えを受けながらも、何とか楽しく行って無事に帰ってきました。いま思うと「よく行ったなぁ」とまるで夢のような出来事ですが、それは今の生活の大きな自信にもつながっています。
家で暮らしていれば親がいます。外へ出てみれば人々がいます。そういった中で、自分がいることを意識して、いつも感謝できる暮らし方をしていきたいと考えています。
ある知人から「障害を持つ人が社会の中で生きるということは自分で何でも出来ることではなく、周りの人と仲良くして、その関係をより良く結んでいくことだ」と言われたことがあります。確かに「介助を受ける」ということはあるけれど、そのことから様々な人との出会い、つながりを作っていける、それは障害があるからこそ、できる事なのかもしれません。そういった意味も含めて私の生活の中で大切にしていきたい言葉です。
私がもう一つ大切にしているのは、身体を動かして汗をかくことです。週に1度、市内にある「福祉の里」で、歩行器に乗り自分の足で歩いたり、車いすテニスをしたりします。車いすテニスと言ってもボールを投げてもらい、それを腕に固定したラケットで打ち返すだけの簡単なことですが、ふだん家でパソコンばかりしている身体には気持ち良いひとときです。
そんなある時、「ビーンバッグ投げ」という投てき競技があることを知りました。この競技は小豆が12センチ角の袋に入っている「ビーンバッグ」を何処まで遠く飛ばせるかを競うもので毎年秋の国体のあとに開催される「全国身体障害者スポーツ大会」の正式種目になっています。岐阜でもその大会を目指して予選が行われていますが、以前「ビーンバッグ投げ」競技は行われていませんでした。最近になって、ハンマー投げややり投げができない車いすの人ができる競技も取り入れようということで正式に採用されま した。
そのことを聞き、おととしの春から練習を始めました。この年は地区予選で記録が伸びず県大会には進めませんでしたが、その後も「また来年がある!」という思いで練習を続けました。「福祉の里」でお世話して下さる職員やボランティアの方達の手助けで、記録表を付け、投げ方も色々試していきました。その甲斐があってか、去年の地区大会、県大会では良い記録が出て、11月熊本で開かれた全国大会に出場できることになったのです。
その全国大会。ふだんの練習通りに投げれば良かったのですが、本番では今まで使い慣れてきたものとは少し形が違うビーンバッグを使用されたので、緊張に加えて動揺してしまい、県大会で出した記録6m90を大きく下回る3m13しか投げれませんでした。 それでも3位入賞ができました。「試合は何が起きるか分からない」、「でも、結果はちゃんと残せたからヨシッ!としよう」、、、少々大袈裟だけど、様々な思いがよぎった心にずっしりと重たい銅メダルでした。
2年前、ほんの遊び半分で始めたビーンバッグ投げ。当初3mぐらいしか飛ばせなかったのに、車いすの座り方やビーンバッグの握り方を変えてみたり、自分なりに試行錯誤を積み重ねて、全国大会に参加して競技できるまでの課程は、とても楽しかったし、良い経験になったと思っています。また、その課程で支えて下さった人達に「ありがとう」という言葉をおくりたいです。
ビーンバッグ投げは飛距離の他に、高投げという高さを競う競技もあり、海外の大会では行われているようです。好奇心旺盛な私は今年から高投げも練習を始めています。日本ではまだ行われていないので、練習方法はまだ試行錯誤中ですが、どこかの大会に参加できる機会があればと思い、じっくり取り組んでいこうと考えています。
その他にも車いすでもできるスポーツは幾つかあり、工夫次第で障害を持たない人と対等にプレイを楽しめるものもあります。でも今のところ、こういったスポーツはする機会が少なく広まっていません。これからもっと多く仲間がスポーツを通して楽しんだり、交流していけたら素晴らしいだろうなぁと考えています。
繰り返しになりますが、障害を持つ人は社会の中で生きていくためには支えや人の手助けが必要です。でも、それら支えや人の手助けがあれば障害があっても楽しく生きることができると思っています。
この思いは、障害を持たない人でも同じではないでしょうか?
私は、そういった思いを自分のできることを通して周りへ伝えていきたいし、そこで出会う人たちと共に実感できたらと思っています。
そして障害のあるなし関わらす支えたり、支えてもらったりしながら、共に安心して暮らせる社会になっていくことが私の願いです。
最後に私が作詞した歌「心にファイト」をお聴き下さい。この歌は毎年10月に海津町の木曽三川公園で行われる「長良川ふれあいマラソン大会」のテーマソングになっています。私も毎年参加していますので、みなさん今年はご一緒に走りませんか?
皆さん、私の話を聞いてくださり、どうもありがとうございました。
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