備前長船刀剣発祥之地

刀工景光を追って 

備前長船。秀逸な刀を多く産出したこの刀鍛冶の一派に景光は在しています

長船派の中でも大変美しい刀剣を作出している景光

この景光を、ほんの少しだけ追いかけてみました

どうぞ気軽にお読みくださいませ

 

 


目次

長船鍛冶、その派生と周辺

景光の系図

付録一・景光を手にした歴史人物達

付録二・長船周辺散策写真五点

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長船鍛冶、その派生と周辺

 

備前鍛冶の誕生については、神武天皇の東征時にまで遡る事が出来るとされていますが、文献などに現れて来るのは祟神天皇の御代に吉備津彦尊がこの地へ派遣され長船にて兵器を生産した辺りからです。
古備前鍛冶と呼ばれる長船鍛冶の祖の発祥地については、長船の地と考えられるものの他に、長船に近隣する和気、もしくは吉岡の庄との説もあります。現在では、元は奥羽にあった刀鍛冶の一派が平安後期に吉岡の庄へ移住し、そこを流れる吉井川に沿い、時代と共に近隣の福岡の庄へ移り、後に長船へと下っていったとされています。
 古備前鍛冶は、平安中期・永延(987年)頃から平家が滅亡する寿永(1185年)頃までの200年間に渡りこの地に住した刀鍛冶の総称です。この古備前一派は、主に実成をはじめとする系列(友成系)と、正恒をはじめとする系列(正恒系)に分けることが出来ます。
友成系は、友成の父である実成を祖とし、一条天皇に父子とも召され勅使により刀を度々鍛えたとされています。友成は伯耆国安綱・山城三条小鍛冶宗近と並び日本最古の三匠と呼ばれ、その後友成系の刀鍛冶の中からは古備前三平と呼ばれる助平・包平・高平が輩出される事になります。
 やがて鎌倉初期から中期にかけ長船に隣接する福岡の庄で、古備前正恒系の刀工である定則の子・則宗を祖とする福岡一文字派が誕生します。この一派は後鳥羽上皇の番鍛冶を多く出し、多数の名工を輩出して行きます。刀の銘に「一」を切る事が多く、この「一」については、一文字派の祖である則宗が後鳥羽上皇より「天下一」の名匠であると認められた事から、その栄誉を讃え代々個人銘のかわりにこれを切ったとされています。福岡一文字派はその後、吉岡一文字派、片山一文字派を産み出して行きます。
 これら一文字派は一世を風靡したものの後に衰退し、ようやくここで一文字派の陰で細々と続いていた長船庄の鍛冶がこれに代わり時代の脚光を浴びる表舞台へと返り立つことになります。そして備前長船と言えば名刀の代名詞と言われる程に、質と量もさながら、名工名刀を多数輩出することになります。
 しかし後、友成以来600年間にも及ぶ名だたる名刀の産地備前長船は、天正18年(1590年)8月の下旬にこの地方を襲った暴風雨の際に起きた吉井川の大氾濫と背後の山からの山津波により、一瞬にして水没してしまいます。被害は甚大で、流出家屋一千二百戸余、死傷者七千数百人にものぼり、その犠牲者の多くが刀匠やその家族、或いは刀剣に関して深く関わる人々であったこと、伝来されてきた鍛冶の施設や道具・資材の殆どが流出したこと等により長船鍛冶一門は殆ど全滅し、安土桃山時代には僅かに後に末備前鍛冶に分類される祐定一門を残すだけとなります。また、都市の発達と共に刀匠は都市に集中して行き、結果大都市からは遠い長船への刀剣の注文は減り、その復興の希望も断ち切られる事となります。
 現在の長船町には備前長船博物館が建ち、長船鍛冶のその一部の刀剣を展示してあります。また、隣接して鍛刀場が建てられており、ここでは当時を忍ばせる刀剣の制作等見ることが出来るようです。周囲には古くから刀工達の信仰を集めてきた祟神天皇の祭られた天王社刀剣の森や一文字刀工跡の石碑、大正14年に横山元之進祐定が備前長船の名跡・偉業を後生に伝える為に私財を投じて建立した造剣の古跡碑等がひっそりと建っています。

 

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景光の系図
長船鍛冶の祖・光忠は、古備前正恒の系統に属した近忠の子です。近忠には現存する作刀が無く、子供である光忠の代から秀でた刀剣を数多く産出する事になります。光忠は暦仁(1238年)から蒙古襲来のあった文永(1260年)頃に長船鍛冶の頭領として活躍しており、その作刀は名だたる戦国武将に愛され、福島正則・小早川隆景ほか織田信長に至っては三十二振もの光忠を所持していたと記されています。
この光忠の後を継ぎ二代目長船頭領となったのが光忠の嫡子である長光です。この長光もまた名工であり、織田信長から丹波五郎左衛門長秀に拝領された「名物鉋切長光」ほか、上杉謙信佩刀の「小豆長光」、足利家から三好長慶を経て信長に渡り、姉川の合戦時に信長から家康に贈られ、家康から長篠の合戦で武功のあった奥平信昌へと贈られた後に、武州忍城主であった松平家へと伝来した国宝・大般若長光(現在国立博物館所蔵)などがあります。
長船鍛冶の祖を祖父に、そして二代目長船頭領である長光を父とする(一説には二代目長光の子とも言われている)景光(左兵衛尉と称す)は鎌倉末期から南北朝初期の名匠です。正和2年(1313年)に生まれており、鎌倉新藤五国光と共に短刀の名手であり、備前刀工の中ではその技量は随一とされています。刀身に彫る彫刻も名手であり、倶利伽藍や剣巻竜等の信仰に基づく物を多く彫っています。
長光・景光・真長は、長船三作と表されています。
系図
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付録・景光を手にした歴史人物達 

 

◆ 楠正成  山田浅右衛門吉睦  明治天皇 

太刀 (国宝指定) 

銘・備前国長船住景光 元亨二年五月日 号・小龍景光 全長・二尺四寸四分(磨上)

刀身の彫り物から「小龍景光」と呼ばれているほかに、本来長かった刀身を磨り上げて短くした結果、刀身にある龍の彫り物がハバキ(刀身を鞘に固定する物)からちょこんとのぞいている感じになったので「のぞき龍景光」とも呼ばれています。言い伝えでは楠正成の佩刀でもあったとされます。幕末の有名な試刀家であり愛刀家でもあった山田浅右衛門吉睦が商人より買い入れ所蔵、のちに大久保一翁の手から明治天皇に献上される。敗戦とともに東京国立博物館に移管。

◆ 上杉謙信 

短刀 (国宝指定)

銘・備州長船景光 元亨三年三月日 号・謙信景光 全長・九寸三分五厘

上杉家伝来の短刀。謙信が姫鶴一文字の刀に添えて帯用した記録があることから「謙信景光」と呼ばれています。刀身には表に「秩父大菩薩」裏には梵字の彫りがあります。現在埼玉県立博物館所蔵。

◆ 春日局

短刀 (?)

銘・長船景光? 号・?

真偽の程、不明。  

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付録・長船周辺散策写真 


菩提寺 古跡備前長船刀匠菩提寺
祐定の墓

菩提寺にひっそりと

まるで忘れられたようにあった

祐定の墓

天王社の森入り口 郷土記念物備前長船

天王社刀剣の森
造剣之古跡碑

大正14年に

横山元之進祐定が建立した

造剣之古跡碑

民家の庭先に、やはりひっそりと建っていた

備前猫

刀匠菩提寺へ向かう途中

民家の玄関先でこちらを見ていた

備前猫さん

 
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