JIJYO-CLUB 2008
事情クラブ

樋口喜昭

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2008.10.30 文章を書きたいという薄汚い根性〜コラム「文章を書く理由」


 私が、文章を表現することの必要性を感じたのは、ある老婆の言葉がきっかけなのです。
 今から八年ほど前、会社を辞めて東北から東京に出てきた私は、恵比寿にある六畳一間の風呂なしアパートに住んでおりました。仕事もやることもないので、毎日、テレビを見たり本を読んだりして過ごしていました。朝はお昼過ぎにダラダラと起きるのですが、布団の中で“笑っていいとも!”を見ながら目覚めると、なんとなく罪悪感がこみ上げてきますので、きまってNHKにチャンネルを合わせ、お昼のまじめなニュースを見ことで自分を保っていたのでした。ニュースが終わると、どこかの街からの中継番組が始まります。その日は東北の港町からの中継でした。 

 アナウンサーが港町を歩いておりました。寂れた干物屋に入り、偶然居合わせたような段取りで、店先の小さな老婆に挨拶をしました。
「こんにちは。随分趣のあるお店ですねえ。いつからお店をやられているのですか?」
 十分リハーサルしたのでしょう。店頭の干物、そして老婆がしっかりとフレームに収まって、“畠山トメさん”(不確かかもしれません)とテロップが出ました。老婆は、アナウンサーに抱え込まれながらしゃべり始めました。
「そうなあ。とうちゃんがいなぐなってがらだがら、六十年になるがいな」
 老婆は、小声で答えました。
「六十年ですか。どうですか。この港町も昔と変わりましたか?」
 さらにアナウンサーは段取りどおりにインタビューをこなします。老婆は、「そんなに変わらねえと思うよ」と言って、商品を並べたりしていましたが、「店頭からこの港町のいろんなドラマを見守ってきたんですね」とアナウンサーがまとめに入ると、突然顔を上げて早口でしゃべりだしました。
「そりゃあ、この目でいろーんなことを見てきただ。それをうまく言葉にできたらなあって思うだよ。小説で書けたらどんなにいいだかってな。おら、学がねえがらよ、それができねえんだ。言葉を操れるってこどは、うらやましいこったあ」
 アナウンサーは、少し戸惑った表情を見せ「そうですねえ。ではお元気で」とまとめあげると店を後にしました。 

 布団をかぶってテレビを見ていた私は、このやり取りを聞いて、目が覚めました。ああ、あの老婆の言う通りだ。言葉が操れるというのは、うらやましい。自分が見てきた世界は、自分が死ねばきっと消えてしまうだろう。それを残したい、残す手段を持ちたい。残せる人間は力を持っている。
 それからです。私が文章を書くようになったのは。毎日少しずつですが、自分の身の周りのことから文章にするようにしました。今では、下手ではありますがストーリーを描けるようにまでなりました。

 しかし、どうしたことでしょう。ここ最近、筆が進まないのです(書かない事の言い訳をしていると思われるかもしれませんがあえて言わせてください)。
 その理由は、自分の書いていることがどうも嘘臭いのです。書けば書くほど嘘臭く感じる。いや、嘘なんかではない。事実を表現しようとしているつもりなのですが、それを改めて読み直すと、どうも嘘だと思えてくるのです。
 なぜ嘘をつくのか。それを考えていたら、なぜか、あの老婆の顔が目の前に浮かび上がり、あることに気がついてしまいました。つまり、僕はその老婆を馬鹿にしていたのです。言葉を扱えない人間に対する優越性というのか、老婆のようにはならないぞ、という気持ちが、僕の心の奥の方にあって、田舎で誰も知らずに、何も語れずに死んでいくような生き方を馬鹿にしていたのです。

 人にはそれぞれ器のようなものがあるといいます。何も言葉など上手く操れなくてもいいのではないか。そもそも、自分の経験を外に吐き出すこと、それによって自分の存在を示す行為は、人間の一生においてそんなに大事なことなのでしょうか。そう思うと、文章を残したいなんて根性は、とたんに薄汚く安いこと思えてきました。選民意識は捨て、目的意識も捨て、淡々と、一日一日の中で精一杯いきていくことが、大事なのではないだろうか。そして、あの老婆がテレビで言っていたことは、”雄弁に語ること”に対する皮肉だったのではないだろうか。
 言葉は経験を超えられない。経験を超えようとするとき嘘をつく。そのことに気がついたとき、私は、恥ずかしさでいっぱいになり、何も語れなくなってしまいました。

 了


 

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