宗教文化論1――宗教とアイデンティティ
堀江宗正

現代人のアイデンティティの資源〜学校、メディア、官僚的組織
 自由な選択、自己決定、独自の人生設計〜実際には選択肢が有限。自由だけどレールがしかれている。
 アイデンティティが問題化。流動性、不安定性。しかし、閉塞感。
宗教〜前近代:自明性、懐疑の対象ではない。
   近代以後:懐疑の対象、「宗教離れ」
    逆に懐疑を経たうえで選び取られると、アイデンティティの強固なよりどころに
 宗教的アイデンティティ=固定的だが、明快。

授業計画
1 イントロ
 講義の概要、授業の進め方、簡単なアンケート
2 現代人の「宗教」イメージ
 メディアにおける宗教〜去年1年間の宗教動向から
 メディアと宗教の関係〜井上順孝の議論
3 「文明の衝突」論と宗教
 国際関係と宗教〜世界宗教紛争マップ
 ハンティントンの「文明の衝突」論の検討
4 宗教多元主義、多文化主義、宗教間対話
 宗教の平和性と暴力性の問題〜世界三大宗教における寛容と不寛容
 教義的変容の試みと限界
5 「カルト」問題と現代社会
 「カルト」問題とは何か〜日米の事例
 カルト論・マインドコントロール論の問題性
6 反「カルト」社会の到来
 反カルト運動のカルト性? 反「カルト」イデオロギーの目指す理想社会とは?
7 宗教とアイデンティティ
 「国民国家=世俗主義」体制の崩壊。新しい中世の到来(文明のグローバル化と文化のローカル化)。

評価の仕方
・出席3割、平常点3割、学期末レポート4割の配分で評価。
・出席:7割以上の出席は必須。大幅な遅刻者には注意、出席カードを配らないことも。居眠りのひどい人からは取りあげる。
・平常点:毎回の授業の終わりに、出席カードの裏に自由提出でコメントを書いてもらう。配付プリント末尾の「論点」を参照する。授業をよく理解したうえで自分の意見を論理的飛躍なしに述べているもの(別に私の意見に反対でも)だけを評価する。授業内容の単なる要約や、漠然とした感想(〜というのはなるほどと思った、〜というのはどうかと思った、〜はよく分からなかった)、授業を聴いていなくても常識範囲内で書けるようなコメントは、評価しないので、自信のない人は最初から書かなくてもよい。ただ書いただけでは点数にならないということに注意してほしい。このコメント平常点は、授業参加度・理解度をごまかしなしに測定するもので、成績の出来不出来を左右する。
・学期末レポート:授業内容全体の趣旨を良く理解したうえで、授業で紹介していないが関係すると思われる事例(宗教紛争関連、カルト関連など)を詳細にまとめよ。ただし、ただまとめるだけでなく、授業の結論部分と関連づけながらまとめ、自分なりの考えも必ず書くこと。字数は自由。授業との関連性がうすいレポートは、不可。また、授業内容の要約、短すぎるもの、意味不明のものなども不可。

プレ講義アンケート

1 宗教とか信仰とかに関係すると思われる事柄で、あなたがおこなっているものがありますか。次のリストのなかで該当するものを、いくつでもあげてください。

 礼拝・修行・布教   ときどきお祈り   年1〜2回の墓参り   聖書・経典などを読む
 祈願(合格祈願など)   お守り・おふだの携行
 占い(ここ1〜2年以内、おみくじをやる、雑誌の占いコーナーのチェックも)   おまじない
 していない   その他

* 選んだ項目の具体的内容について細かく説明してください。

2 宗教とか信仰とかに関係すると思われる事柄のなかで、あなたが信じているものがありますか。次のリストのなかで該当するものを、いくつでもあげてください。

 神   仏   聖書・経典の教え   あの世   奇跡   お守り・おふだの力
 占いの的中   おまじないの力   信じていない   その他

* 選んだ項目についてどのように、またどの程度信じているのか、細かく説明してください。

3 この講義をとろうと思った理由を書いてください。

4 授業計画のなかで、とくに深く学んでみたいと思ったことを書いてください。

20010419
Q&A
・アイデンティティが流動的なのは悪いことではない。現代人のアイデンティティがユニークさを目指していながら結局画一的になると指摘されたが、宗教の排他的アイデンティティもまた画一的ではないか。
→前回の話は、良い悪いの問題ではない。現代人「流動的だがけっきょく画一的で閉塞感」、宗教「固定的だが明快で安心感」。宗教の固定的アイデンティティは確信犯。現代人の画一化は意図せざる結果。

2 現代人の「宗教」イメージ
メディアにおける宗教〜去年1年間の宗教動向から

START 現代日本人の教団宗教への冷たさと隠された宗教性。「宗教問題」とは、実は問題告発者がある価値観にもとづいて構築したものではないだろうか。

STAGE1 皆さんの宗教意識とNHK1993年版の日本人の宗教意識(参考資料)との比較
 回答者はほぼ55人なので、実数の2倍をパーセンテージとして表示。NHK調査との増減は+/-
<信仰・信心>
2 宗教とか信仰とかに関係すると思われる事柄のなかで、あなたが信じているものがありますか。次のリストのなかで該当するものを、いくつでもあげてください。
 神42+/仏32-/聖書・経典の教え16++/あの世34++/奇跡46+++/お守り・おふだの力38++/占いの的中24++++/おまじないの力6/信じていない22/その他6/無回答2
→神と仏に両方○を付けるひとが多かった。NHKでも同じ、「神仏中心」の人の率は図IV―5。年とるほど信じるように(聖心では神が多い)。NHKによれば、あの世を信じる人は若者に多いということだが、聖心で多い。目立つのは奇跡・占いを信じる人。
 全体として教団宗教に直接関わらないものを信じる傾向。
<宗教的行動>
1 宗教とか信仰とかに関係すると思われる事柄で、あなたがおこなっているものがありますか。次のリストのなかで該当するものを、いくつでもあげてください。
 礼拝・修行・布教16/ときどきお祈り40+++/年1〜2回の墓参り54-/聖書・経典などを読む10+/祈願(合格祈願など)60++/お守り・おふだの携行52++/占い(ここ1〜2年以内、おみくじをやる、雑誌の占いコーナーのチェックも)98++++/おまじない6/していない4-/その他8
→全体として、祈願以降の後半の選択肢、現世利益的宗教的行動の率が高い。NHKもこのことを指摘。NHKより際立っているのは、墓参りが少なくなっていること、占い関係の行動が多いこと。ただ、雑誌の占いチェックという説明は、NHKの調査の質問には付されていない。
 全体として教団宗教に直接関わりうる宗教的行動、「礼拝・修行・布教」「聖書・経典などを読む」が低い。
阿満利麿『日本人はなぜ無宗教か』(ちくま新書)
 〜無宗教ではなく、教団宗教と異なる自然宗教を信じている。宗教=教団宗教。上の調査から分かるように、非教団宗教的な宗教性がある。占いについての説明によると、まじめに信じるというよりは、良いことは信じて、悪いことは信じず、その場限りの気分高揚剤として用いている。全生活を左右するような教団宗教へのコミットメントは忌避される。

STAGE2 去年1年間のメディアに現れた宗教動向
<国内>
 法の華三法行の詐欺罪での逮捕・起訴、ライフスペースと加江田塾のミイラ事件、統一教会関連の民事訴訟で勧誘段階における人権侵害が認められる、オウム真理教関連裁判で死刑を含む実刑判決、上祐幹部の教団復帰と「オウム新法」成立。
<国外>
イスラエル・パレスチナ間の衝突の激化、和平推進の断絶。
アフガニスタンのタリバーン政権の原理主義的な法令の施行と厳罰、欧米は「人権」を根拠に批判
インドネシアで1999年に民主主義的選挙、イスラム系政党が躍進(90%はムスリム)。宗教抗争と各地の独立運動の弾圧、マルク諸島の紛争で非常事態宣言、ムスリムとキリスト教徒との対立が表面化、国家的危機。
フランスで反セクト法案採択(精神操作罪の規定を含む、強硬手段でセクト(カルト)を取り締まる)、人権団体やカトリックなどの宗教界が反発。
アメリカで国際宗教自由法成立。世界各国の宗教弾圧国(ミャンマー、中国、イラン、イラク、スーダン、セルビア、アフガニスタンが懸念国に)に米国大統領は制裁措置をとることができるとする。フランスへも批判。
中国で法輪功への取り締まり・弾圧が強化。米国は中国非難決議案。中国は内政干渉として非難。中国はキリスト教系新宗教も摘発。
カルマ・カギュ派の活仏カルマパ17世がチベットからインドへ出国。中国がダライ・ラマに対抗して立てた活仏。中国は亡命を認めず。カルマパ17世はダライ・ラマを賞賛し、暗に中国批判。
<メディアで目立たないが重要な宗教動向>
 国内では、生命倫理への各宗教団体の取り組み、森首相の「神の国」発言への反発
 国外では、宗教間対話、和平推進の会議が続々と執り行われている。

STAGE3 「宗教問題」と問題化の主体
「カルト」問題を問題化する主体=日本ではマスコミ、弁護士。オウムに関しては政府も。フランス、中国では国家。アメリカの主流派の宗教者はカルトを問題視しているが、「宗教の自由」を犯すものはたとえ国外政権であっても許さない。イスラム原理主義政権や中国共産党にとっては、アメリカによるイスラムと共産主義の弾圧。
二つの「宗教問題」=「カルト」問題と国際的な宗教対立
単に「宗教が問題を引き起こしている」とはとらえず、それを問題化しているのは誰かに注目し、問題化している側のイデオロギー性や隠れた宗教性を指摘する〜本講義の方針。

GOAL(コメント提出の参考に)
・日本人は無宗教かどうか、もう一度考えてみよう。
・何が宗教的で何が宗教的でないか。あなたの基準は何か。
・フランスの反セクト法への賛否。
・アメリカの国際宗教自由法への賛否。

参考文献
NHK放送文化研究所『現代日本人の意識構造(第四版)』(日本放送出版教会、1998年)
阿満利麿『日本人はなぜ無宗教か』(ちくま新書、1996年)
前川・井上「2000年の宗教動向」、国際宗教研究所『現代宗教2001』(東京堂出版、2001年)

20010426
Q&A
 GOALで示した論点に結局常識レベルで答えているものが目立つ。もっと授業内容を踏まえること。
一部だが典型的なC「日本人は無宗教だ。墓参りやクリスマスなどは習慣であって宗教ではない。占いはその場限りのもので、持続性がないので宗教とは呼ばない。フランスの反セクト法や日本のオウム新法には賛成。オウムのやったことは人間としてひどすぎるので取り締まるべきだ。」
→いったい何を学んだのか。クリスマスはともかく(NHKアンケートの選択肢にもない)、墓参りには死者供養並びにその手段に関する信念が含まれる。占いにも超自然的なものへの信念が含まれる。これらの信念が深く考えずとも生活に根差していることを指して、非教団宗教的な宗教性、自然宗教と呼んでみて、みずからの宗教概念を再考せよと迫ったのだが……。
 過去に無差別殺人をおこなった団体の活動を規制するオウム新法(団体規制法)はともかく、フランスの反セクト法は、マインドコントロールを定義し、刑罰の対象とするものであり、拡大解釈すれば宗教一般の勧誘活動の規制に適用可能なのでカトリックも反対。いずれにせよ、ある個別の団体の犯罪を根拠に、宗教一般の活動を規制すると、言論・表現・結社の自由を損なう可能性がある。
 日弁連の「宗教的活動に関わる人権侵害についての判断基準」は、「宗教がかくあるべしというものではない」と断っているものの、トラブル防止の判断基準に流用されかねない。結果、勧誘をするような新しい宗教運動は、たとえ犯罪を犯していなくても、問題視されかねない。監禁による拘束を問題視するのは分かるが(明確な人権侵害なので当然)、「長時間の勧誘」「不安をあおる」は議論の余地がある。「熱心にすすめてはいけない」「先祖の因縁やたたりの観念は違法」ということになってしまう。再度強調するが、問題は、一般化の危険ということであって、オウムや特定カルト(セクト)の是非ではない(この点を見落としている人が目立つ)。そして、このような一般化に走ってしまう社会の暗黙の価値観とは何かということ。
C「占いを信じるのは、不確実性の解消(とくに対人関係における)、自分を知りたいという欲求のため」C「占い好きにジェンダーの差があるとしたら、それはなぜか」cf. カウンセラー志望のジェンダーの差?
C「日本人は無宗教だが、宗教的行動をしている。そして、その行動の宗教的根拠をあえて知ろうとせず、あいまいなままにしておく。それによって、信条による摩擦を回避する。儀礼的行為によって、集団の秩序を維持しようとする」→cf. 山本七兵『日本教の社会学』(講談社)に通じる? 日本人の集団主義

メディアと宗教の関係〜井上順孝の議論
 井上順孝「宗教情報ブームの時代」、『新宗教の解読』(筑摩書房、1992年)所収。

STAGE1 マスコミの宗教報道の傾向性
 戦前は明らかなねつ造記事が目立つ〜万朝報の蓮門教批判、中央新聞の天理教批判
 戦後も、推測・伝聞にもとづく記事→他の媒体にそのまま記事として引用されて増幅=「真実」に
 論調が最初から決まっている。
例・1980年の「イエスの方舟事件」に関する報道
 サンケイ新聞の見出し「イエスの方舟女性10人異様な生活」「虚飾の教祖千石イエス、女性たちの労働にアグラ」「千石イエスは疑問に答えよ 娘たちはすっかり変貌」
 →読者は反感を抱くよう導かれる
 サンデー毎日「家出女性七人の告白 私たちはなぜ方舟に乗ったのか」「対談「あんたは孤独地獄のお助けじいさんや」野坂昭如の「千石イエス」面談解剖」
 →読者は同情するよう導かれる。

STAGE2 宗教運動がマスコミの集中報道を浴びる条件
明治期以降の宗教批判のパターン〜揶揄しながら批判
・「性的ないかがわしさ」〜教祖が破廉恥行為、集会がセクシャル
・「金銭面でのあくどさ」〜巨額な資金による建物、献金は強制的、金の使途が不明
・「病気直しのインチキ性」〜除霊、浄霊などはまやかし、無知な人をだます、ひどい目にあった人の例
・家族主義への挑戦〜統一教会の合同結婚式、愛の家族のフリーセックス、オウム真理教信者の家族批判
 これは、高度成長期以降、問題化されるように。子どもを把握できない親たちの不安。
→以上の「悪しき宗教」イメージを反転させると、「望ましい宗教イメージ」が浮かび上がる
=禁欲的、潔癖、清貧、合理的儀礼、家族重視
=近代プロテスタント、儒教倫理に近い。なぜ?

STAGE3 新宗教批判の暗黙の前提
 新宗教批判の根拠〜科学主義・近代主義にのっとった宗教否定だと既成宗教も否定することに。新宗教批判はそのために首尾一貫した知的批判にはなりにくい。そこで「社会常識から逸脱」「宗教本来の姿ではない」という論法がとられる。
 その際に、近代プロテスタント、儒教倫理など、近代日本の知識層に影響力のあった宗教が理想化。
 他方、現代社会の抱える問題=快楽主義、富への欲求、伝統的秩序の崩壊、家族の崩壊
 新宗教→家族や地域社会の機能の肩代わり(上記の問題への対応含む)
 〜社会への挑戦として受け止められる
 →「スキャンダル」が暴れる。現代社会の抱える問題が投影される(上記の宗教批判のパターン)。
 批判する側は、「正義の味方」に。そして、家族や社会の崩壊という現実が隠蔽される。

私のコメント
 宗教問題を問題化する側の価値観を洗い出す研究としてきわめて重要。
 井上の指摘する近代プロテスタント・儒教倫理のミックスされた「本来的宗教のイメージ」は、近代化のエートスとマッチするような道徳主義的宗教観。さらに補足するなら、「新宗教は弱い人間がすがるもの」という批判も重要。これを反転させると、「われわれは自立した強い人間」ということになる。権威から自立して自由であると思っているが、不確実感が強く、周囲への同調傾向が強い人ほど、マスコミの宗教報道に接すると、宗教への嫌悪感をもよおし、「自分は強い人間だ」と言い聞かせる?

注意・この議論を聞いて「じゃあオウムのような宗教でも批判してはいけないのか」などと短絡しないように←この注意の意味が分からないようだったら、もう一度真剣に授業の内容を振り返ってほしい。個別宗教の判断の是非は問題ではない。「批判はもっと自覚的に」ということであり、批判そのものを否定してはいない。

GOAL
 今回はあえて論点を提示しない。自由にコメントを書いてほしい。前回のような「社会常識」的なコメントをどれだけ脱しているか、自分の頭で、しっかりとした根拠に立って、ものを考えているかどうかが問われる。もちろん、書けない人は書かなくても構わない。

資料・日本弁護士連合会の1999年3月の意見書より

第3 宗教的活動に関わる人権侵害についての判断基準
 反社会的な宗教的活動がもたらす消費者被害等救済のための指針

1 献金等勧誘活動について
(1)献金等の勧誘にあたって、次の行為によって本人の自由意志を侵害していないか
  先祖の因縁やたたり、あるいは病気・健康の不安を極度にあおって精神的混乱をもたらす。
  本人の意思に反して長時間にわたって勧誘する。
  多人数により又は閉鎖された場所で強く勧誘する。
  相当の考慮期間を認めず、即断即決を求める。
(2)説得・勧誘の結果献金した場合、献金後間もない期間(例えば一ヶ月)はその返金の要請に誠意をもって応じているか。
(3)一生を左右するような献金などをしてその団体の施設内で生活してきたものがその宗教団体等から離脱する場合においては、その団体は献金などをした者からの返金要請にできる限り誠実に応じているか。
(4)一定額以上の献金者に対しては、その宗教団体等の財政報告をして使途について報告しているか。
(5)お布施、献金、祈祷料等名目の如何を問わず、支払額が一定金額以上の場合には受取を証する書面を交付しているか。

2 信者の勧誘について
(1)勧誘にあたって、宗教団体等の名称、基本的な教義、信者としての基本的任務(特に献金等や実践活動等)を明らかにしているか
(2)本人の自由意志を侵害する態様で不安感を極度にあおって、信者になるよう長時間勧めたり、宗教的活動を強いて行わせることがないか。

3 信者及び職員の処遇
(1)献身や出家など施設に泊り込む信者・職員について
  本人と外部の親族や友人、知人との面会、電話、郵便による連絡は保証されているか。
  宗教団体等の施設から離れることを希望する者の意思は最大限尊重されるべきであるが、これを妨げていないか。
  信者が健康を害した場合、宗教団体等は理由の如何にかかわらず外部の親族に速やかに連絡をとっているか。

4 未成年者、子どもへの配慮
(1)宗教団体等は、親権者・法定保護者が反対している場合には、未成年者を長期間施設で共同生活させるような入信を差し控えているか。
(2)親権者・法定保護者が、未成年者本人の意思に反して宗教団体等の施設内の共同生活を強制することはないか。
(3)子どもが宗教団体等の施設内で共同生活する場合、親権者およびその宗教団体等は、学校教育法上の小中学校で教育を受けさせているか。また高等教育への就学の機会を妨げていないか。
(4)宗教団体等の施設内では、食事、衛生環境について、わが国の標準的な水準を確保し、本人にとって到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を確保するよう配慮されているか。

cf. 『「宗教トラブルの予防・救済の手引き」日本弁護士連合会 消費者対策問題委員会編/教育史料出版会』

200105509
Q&A
「一般化」という言葉の意味の分かっていない人が数名。特殊な教団の事件を、宗教一般の問題として見て、「宗教一般=悪」とするような風潮について使った言葉。「宣伝する」という意味ではない。
C 偏りのない正しい宗教教育の必要性を感じた→宗教問題について自分なりの流されることのない判断を下すことができるように(特定教義の教育という意味ではない)
C 宗教問題を現代の社会問題を映し出してくれる鏡としてみることが必要だ→2重の意味での鏡。たとえばオウム信者の入信動機から見えてくる現代社会の問題=生きる意味への渇望、家族の崩壊。オウムに対する社会の対応から見えてくる日本社会の問題=宗教一般への反感、オウム以外の宗教者の沈黙、「生きる意味」がますます問われなくなった。
 予定を変え、カルト問題を先にやる。まずは、カルトの危険性を訴える人たちの言い分に耳を傾ける。

5 「カルト」問題と現代社会
「カルト」問題とは何か〜日米の事例
START 前半で、「カルト」と呼ばれる事例を紹介。糾弾者の問題化の仕方そのままに紹介(宗教研究者としての紹介ではない)。最後にカルトの特徴を整理。

STAGE1 何がカルトと呼ばれるか――アメリカの事例
事件的なもの(破壊的カルトと呼ばれる)
1969 チャールズ・マンソン事件〜女優シャロン・テートとその友人5名の殺害。黒人が殺したように見せかけ、人種戦争を起こそうとした。
1978 人民寺院集団自殺〜毛沢東主義にもとづくコミューン、視察に来た下院議員ら4名を殺害したあと、無理心中。三分の一が未成年者。
1993 ブランチ・ダヴィデアン、終末予言、武装、ろう城、FBIとの銃撃戦、86人が爆死。
1994 スイスとカナダで太陽寺院の教祖と信者53名が集団自殺。

STAGE2 何がカルトと呼ばれるか――日本の事例
 統一教会の霊感商法(因縁話で高額の商品を売りつける)、団体名を知らせない伝道方法、軟禁状態、マインドコントロール、集団結婚、教祖のセックス・スキャンダル、マインド・コントロールかでの結婚・セックスの強要
〜日本の宗教関係被害ではもっとも目立っている。消費者問題として、弁護士が救済に熱心。海外でもよく取りあげられる。
 オウム真理教 過酷な修行、極限状況、薬物使用、神秘体験、マインド・コントロール、住民とのトラブル、リンチ殺人事件、終末の自作自演、被害妄想、サリン事件
 法の華三法行の足裏診断、詐欺の疑い
 自己啓発セミナーの問題。グループ・セラピー。高額であること。勧誘ノルマ。一時的でないこと。

STAGE3 「カルト」概念の形成
 次ページの資料を参照〜脱カルト研究会のHP(http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/)の「カルト対処法」より
 「カルト」をどうとらえているか、「カルト」にどう対応するようすすめているか。


資料・脱カルト研究会のHP(http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/)の「カルト対処法」より

救出カウンセラーからのアドバイス (平岡)

 破壊的カルトに巻き込まれた場合の対応について
=破壊的カルトに巻き込まれてしまった(もし、あなたが本人の場合)=
 カルトにはまらないようにするには!そして、もしはまりかけたなら!
1) 看板に偽りアリ。楽しそうなサークルと思っていたら、何か宗教的な話やビデオ教育などが始まった。それは破壊的カルトの可能性大です。正当な宗教サークルは名前を詐称しません。
2) もしおかしいと思ったらはっきり断る。たとえ勧誘した人が魅力的でありやさしく思いやりのある人に思えても、きっぱりと断らなければついつい深入りしてしまいます。
3) 誰かに相談する。「ここでの話は深い意味があり、ほかの人には理解できない。だから友人や家族には話さないように」などと言われるなら、もっと危険です。マインドコントロールは自分の頭で考えはじめるなら解けてしまいます。そのためには友人や家族など誰かに話すのが最も良いのです。
4) 情報規制を感じたら速く逃げなさい。社会情報がみな誤りであり、この団体の言うことだけが正しいなどと言われたら、速く逃げるべし!あなたはもう破壊的カルト集団の一員と思われているのです。オウム真理教信徒が、今でも社会情報はみな間違っているなどと妄想しているのをみればよく理解できるはずです。
5) はっきりしないときは専門家に相談する。
  以上のポイントに注意して、なおかつ確認したいときには破壊的カルト問題の相談窓口に連絡して下さい。オウム問題をきっかけとして、そのような窓口が以前より増えました。

=家族の一員あるいは友人が破壊的カルトに巻き込まれてしまった場合=
1) 適切な対応のために初期段階、教育段階、正式メンバーの段階があることを知っておこう。その緊急措置と長期的対応について各段階で対応に仕方に違いがあるから。
1.初期段階とは、巻き込まれた団体が破壊的カルトであるとは本人も気づいていない段階。勧誘されてサークル活動や宗教色のある活動を始めたけれどもそれが宗教団体であるとはまだ聞かされていない。
2.教育段階とは、すでに破壊的カルトの導入教育(ビデオ・修行・講座受講・合宿)にはまってしまった段階。ここでの特徴は宗教的教義を繰り返し反復教え込み、段々と家族や友人との関係が疎遠になって行くこと。この教育段階の半ばか後半で、本人にこの団体に対する忠誠心が芽生えたところで、ここは「…」という破壊的カルトであることを知らされる。
3.破壊的カルトの正式メンバーとなってしまった段階とは、教育段階が終わったところで正式メンバーとしての儀式(あるいは認定)がなされた段階。多くの場合、出家・献身・長期の研修や、あるいは学業放棄・退社などがあり、本人と家族との衝突が起こって、この段階でやっと家族の一員が破壊的カルトに入信したことを知るケースが最も多い。

2) 家族の一員が破壊的カルトに巻き込まれてしまったことに気づいたら、すなわち応急処置(初期・教育期・メンバーともに共通)
  1. まず焦らないこと。家族の一員が破壊的カルトに引き込まれそうになっている場合、当然、本人をそこへと行かせないようにしたらよいと家族は考える。そこで「やめろ」「やめない」の押し問答になる。あるいは「自分はそんなところに行ってない」と言われ、話し合いにもならないことも多くある。
 2. 確認すること。そこで家族が最初にすることは、本人が入っているところが問題ある団体かどうか、という確認である。その団体は今までに悪徳商法や強引な勧誘で問題になったことがある団体だろうか。そしてその団体についての資料を集め検討することから始まる。本人の入っている団体が何であるのか分からずに大騒ぎをして全く見当はずれであった、とならないために。
  3. 冷静に話し合うこと。もし、破壊的カルトらしい団体であると思われるなら、それが初期段階ならば「やめろ」「やめない」の押し問答にならないような話し合いの場を設ける。初期段階で、それもはっきりと問題のあるカルトであれば、それまでの問題性(社会情報)を家族で「冷静」に話し合うことで分かってもらえることは多い。しかし、教育段階それ以上の段階では、こういう家族の努力も無駄となってしまうどころか、逆に破壊的カルトの思うつぼとなる場合が多くある。教育段階では「反対されたときのマニュアル」もその過程の中に入っており、家族の努力がかえって家族関係を悪化しかねない。もしこのような段階ならば相談窓口に連絡してアドバイスをもらうとよい。

3)次は家族が本人と会話するときのポイントである。まず、ミイラ取りがミイラにならないように、あなたも誰かに相談して命綱を結んだ上で!
1. カルト・マインドの二重構造を知っておく。マインドコントロール下にあることを認識しておく。家族が一生懸命に説明し分かってもらおうと話し込んでも、家族の話を本人はカルト的思考法でしか聞くことができない。カルト的思考では「これだけ社会に対して被害を出しているんだぞ」と話すと、「社会は悪であるから、よいことをしている」などと、頭ではカルト的思考によって理解してしまうのである。こういう行き違いから、話し合いは困難となる。しかしカルト的思考になっていても、本人の感情は失われてはいない。「社会的被害」を聞けば当然、内心では心に痛みも感じる。
2. 無批判に聞く。本人はカルト的思考で考えているのであるから、その考え方に耳を澄ませて本人の言うことを聞いてみる。家族が一方的に強圧的な言い方をすると、本人としては強い反発をするか、黙秘を最後まで通すしかない。まず本人の言い分を聞く、無批判に聞く、その後、「どうしてそう思うのか」、あるいは(本人の話を聞いて)家族として疑問に思うことを投げ掛けてみるとよい。
3. 本人の良い意志・向上心を認める。勧誘において、この学びを続ければ「あなたは必ず変わる」という言葉がカルトのキャッチフレーズである。向上心をあおられながら、そこへと入っていったことだろう。だから本人の良い意志・向上心を認めながら話し合わないと、家族は「私」を理解しようとしないという不満が本人に募る。
4. カルト体験で疑問に思ったことはないか聞く。現役のカルト信者はその団体に属して体験したこと、例えば「神秘体験」や「教えに疑問を持った時のこと」などは家族にもなかなか話そうとしない。ことに「神秘体験」は秘義とされているから。また「教えへの疑問」もほとんどの信徒は体験している。ただし「疑問を持つ自分はなんて不信仰者だ」「もっと続ければ本当のことがわかる・究極の真理がわかる」と自分に言い聞かせてこれまでやってきたのである。このような疑問に思った体験を家族が聞けるなら、解決は近い(しかし、無理矢理聞いては逆効果となる)。
5. 最低限のカルト用語の知識。本人の言うことをまず批判しないで聞くなかで、本人の考え方を知ってほしい。同時に、マインドコントロール関連の書籍で学んで於くことも必要。
6. 社会復帰を急がない。教育段階以上の、特にカルトメンバーになってしまった段階の人には社会復帰をいそがないことが必要。頭では破壊的カルトの問題性を理解していても、心情面ではすぐには吹っ切れないのである。家族が本人の社会復帰を急ぐあまり、かえって本人はふさぎ込み、問題を難しくしてしまうケースもある。

***
引用終わり

「カルト」の特徴とされるもの
 絶対的指導者崇拝、異端的教義、反社会的、破壊的、詐欺的、激しい勧誘、監禁状態、心身の操作、教義にもとづく脅迫、自由意志を損なう、情報遮断、閉鎖集団、脱会困難、終末論など。(学問的定義の試みは次回に紹介)

GOAL(可能な論点として)
・「カルト」の学問的定義を紹介せずに、「カルト」問題の概要を見てきた。試みに「カルト」の定義を作ってみよ。
・その際、カルトと宗教一般の違いに注意するように。もし、「カルト」が「宗教」と同義なら、「カルト」という用語を新たに用いる必要はなくなる。
・「カルト」はなぜ出てきたのか。教祖の意図的なでっち上げか。教祖も信じ込んでいるのか、だとしたらなぜ。
・「カルト」側から見た反カルト勢力への再批判はどのようなものになるか。


20010517
CQ&A
・学問的定義にはいる前に、試みにカルトの定義をしてみよ、というお題。
 典型的回答:前回の「カルトの特徴とされるもの」ー「宗教一般の特徴」=「カルトの定義」
 「絶対的指導者崇拝はどの宗教にもありうる。異端的教義は、キリスト教もかつてはそう考えられていた。そこで、カルトとは、社会から孤立した閉鎖集団で、洗脳やマインドコントロールを行い、破壊活動や、詐欺など法にも触れるような事件を起こす教団のこと。とりわけ、社会に恨みをもっておりエゴイスティックなので、世界が滅んでも自分たちだけは救われるとする終末論的教義を強く信奉する団体が多い。そのため、自己防衛の名目で外部に攻撃的になる」
 反カルト運動の人たちの納得する定義になっている。しかし、「AかつBかつCかつ……」という定義は、ともすれば「AやBやC……など」ととらえられ、さらに「Aの特徴をもつ団体は、BやCなどの特徴ももつ」と考えられがち。たとえば、「マイナーな教団ではマインドコントロールが行われていて、裏では犯罪まがいのことをやっている」など。特徴を列挙しただけの定義は、列挙された特徴の内的連関が明確でないと、あいまいなものになってしまう。
 「宗教=カルト」説:「キリスト教は、初期だけでなく、現在でもカルトと呼ぶことができる。たとえば、出家は世間や家族からの離脱であり(修道院などは、監禁的要素をもつ)、反社会性の現れだし、信仰はマインドコントロールで、伝道は勧誘である」
 〜そうなると、カルトという用語は存在意義がなくなる。欧米では宗教は社会制度の重要な一部。そこでは、カルトは宗教から逸脱したものとして考えられている。「宗教=カルト」説は日本人にのみ通用。
 「宗教<カルト」説:「宗教とカルトの間に本質的な違いはない。ただ、教義・実践がより過激であるという程度の差。既存の社会制度の枠に収まれば普通の宗教になる」
 〜先の定義より、欧米で用いられている定義に近づく。これと反カルト運動家も納得する第一の列挙的定義を合わせると、端的に「新しい宗教は破壊的カルトだ」となってしまう。これはかなり問題があるが、一般的イメージに近づく。
 その他の興味深いコメント
「社会が偏見ある目で見るから、孤立してしまい、自己防衛的、攻撃的になる」
「カルトを恐れ不安がる人は、一般社会全体によってマインドコントロールされているとはいえないか」
 〜組織論的に見えると、カルトは一般社会のミニチュアになっていることが多い。たとえばオウムの省庁制。ヤマギシ会など自給自足するコミューンなど。文字通り、カルトは社会の鏡。当事者たちは、外部との衝突は国同士の戦争と同じ意識でとらえている。
「カルトの特徴を見ると、学生運動もカルトに含まれると思う」
 〜前回、板書で政治カルトとしたのに該当する。政治カルトがあり、マルチ商法やねずみ講などのビジネスカルトがあり、自己啓発セミナーなどの心理カルトがあり、健康食品や民間療法に関する健康カルト、急進的自然保護団体などの環境カルト、同性愛団体やフリーセックス主義者、ヌーディストなどのセックスカルトもある。ちなみに「カルトクイズ」とはマイナーでオタク的な知識に関するクイズという意味。ということは、カルトとは現代のあらゆる社会活動の分野で、発生しているということになる。「宗教問題」としてみるより、「社会問題」としてみるべき。つまり、カルト的な社会活動を生み出しておきながら、それを許容しない社会の問題ということ。
Q「先生はマインドコントロールは自発的なものとおっしゃっているが、カルト対処法のなかで、「マインドコントロールは自分の頭で考え始めるなら解けてしまう」とあるが、矛盾していると思う」
→信者の主観的意識では自発的なものとしてとらえられているということ。誘われて、興味があったので自分の意志で集会にいった。そこで感動して、されに1週間の合宿に自分の意志でいった。そこで教義の正しさを確信して入信した。入信後、修行を通じて充実感を感じ、他の人にも広めようと思っている。このことを、マインドコントロール論者は、集会、合宿、修行、勧誘の各ステップでマインドコントロールが行われていると見る。でも、信者の意識では、とんでもない、全部自分の意志だということになる。カルト概念の変遷とその問題

STAGE1 カルトの語源
 辞書的定義:1)祭祀、2)特定宗教の儀礼、3)特定の人々たとえばアイドル(偶像)や哲人に対する崇拝行為、4)セクト(Webster's New Collegiate Dictionary)→「反社会的」という意味合いはない。
 ユダヤ=キリスト教以前のローマ世界において祭祀一般を指していた語、ラテン語の cultus (後にカルチャーにも転用される)が、ユダヤ=キリスト教伝統からずれた宗教組織の分類に用いられるようになった。教義や自覚的信仰以前の宗教の原型に当たるような行為。ユダヤ=キリスト教などをモデルとする「宗教」より以前の祭祀、そこから「異教的」「異端的」な祭祀という意味合い。

STAGE2 宗教社会学におけるカルトの古典的定義
 宗教学者の用例では、家族カルト(祖先崇拝)、民族カルト、国家カルトなどがあった。狭義の宗教にならない、民俗的・世俗的な祭祀。
 宗教社会学者の組織分類
 チャーチ(教会):ある社会の正統的宗教となった組織。上からの組織。社会=宗教
 セクト:体験的信仰から新たに生まれた集団。伝統の枠内にとどまるが神学的には未成熟で非体系的。下からの組織。
〜トレルチは、キリスト教の歴史は、チャーチの確立とセクトによる革新の繰り返しだとした。
 デノミネーション(教派):アメリカなど信教の自由が確立された状況で、競合する諸教派。信仰をともにするものが参加するアソシエーション。ヨーロッパでは、カトリックや英国国教会はチャーチだが、アメリカにくるとデノミネーションの一つになる。アメリカはチャーチを許さない政教分離社会。
 この三者を、組織成熟度の度合いの分類として使う研究者もいる
 未成熟の大衆運動=セクト、成熟した目的集団=デノミネーション、制度的階層組織=チャーチ
 そこに特殊少数者のクラブという意味でのカルトが付け加わる。大体1940年代までの学問的分類に。
 カルト:俗人指導者によって唱道される活動で、異端的思想・信条をもち、主観的体験を重視し、緩やかな結束で終わる小集団=古典的用法に。既成教派も草創期はカルト。
〜概して組織分類の一つとして価値判断を含めずに用いることが可能な用語。

STAGE3 カルト概念の混乱
 やがてアメリカのデノミネーションが既成教団化。新しいデノミネーションの発生が難しくなる。フロンティアの消滅による宗教市場の拡大のストップ。革新的機能の低下。
 カウンターカルチャー(対抗文化)と東洋宗教の輸入以後の、新しい小さな宗教集団は「カルト」として分類されるように。
 ヨーロッパではカルトという語は使われず、従来の「セクト」という用語を、アメリカで「カルト」とされている団体にあてている。cf. 学生運動の小派閥は日本でも「セクト」と呼ばれる。
 1970年代以降の反カルト運動家たち、破壊的集団という意味合いを付ける。
 さらに「反社会的」運動一般という意味で使われるように。政治カルト、ビジネスカルト、心理カルト、健康カルトなど広範に。
 これ以降の学問的定義の試みは、純粋な組織分類論を超えて、思想や実践の内容から定義しようとするが、どれも弱められたかたちでは既存の社会活動一般に当てはまることになり(政治活動も訪問販売も心理療法も医学もおしなべてカルトになってしまう)、「定義」に必要な限定的機能のない、矛盾した定義になってしまう。日本のように宗教自体がマイナーな社会では、宗教一般の排除につながってしまう。
 私の見方。進歩し続けることが前提だった近代社会が、成長の限界にぶち当たって保守化。近代社会への異議申し立ては、マイナーな小集団を主体とする。社会のマジョリティとの対立から、さらに先鋭化。マジョリティからは敵視される。もはや宗教社会学の古典的用法としての「カルト」という語は、学問的に客観的な用語として用いることはできない状況に。学問的には「カルト」という語は使うべきでない。
 アメリカ型資本主義のグローバル化と、その他のさまざまなマイノリティから構成される世界

20010524
Q&A
 誤解の例「アイドルの追っかけはカルトにならないのでは」→現実にそのような用法があった(辞書にものっている)、それは現在の「カルト=破壊的」という用法(辞書にはのっていない)とまったく違うということ。同様の間違い:「政治カルト、ビジネスカルト、心理カルト、健康カルトなど、どんなグループもカルトに分類できるというのは、少し考え過ぎでは?」→こじつけているわけではなく、実際の用例。過激派の極右・極左グループ、人類の幸福を願うマルチ商法まがいの営業団体、一時的クライエントであることを許さない自己啓発セミナー、医学的に認められていない代替医療の提唱者と熱狂的な支持者など。
 もう一度整理
・古典的カルト概念:純粋な組織分類。破壊性・反社会性の意味合いはない。上述の用例。
・反カルト運動以後:破壊性・反社会性の意味合いが発生。急激に広まる。
・現代の研究者たちの置かれている状況:破壊性・反社会性以外の実質的内容の定義をしようとすると、どれも薄められたかたちでは一般的な社会的活動に当てはまることになる。したがって、「カルト」という言葉はもはや学問的に客観的な定義としては使えない。反社会性など差別的含意をもっているから。
「私は先生とは反対の意見で、カルトはやはり少数の反社会的グループだと思う」→上述の誤解に加えて、私はカルト擁護者にされてしまっている。私の議論は「カルト」擁護ではなく、現在の「カルト」概念批判。反カルト運動家は、宗教学者をカルト擁護者として糾弾することが多い。

マインドコントロール論
「カルト=マインドコントロール」という図式(前々回のコメント)
西田公昭『「信じるこころ」の科学――マインド・コントロールとビリーフ・システムの社会心理学』(サイエンス社)〜マインドコントロール関連本が出そろったところで出た新しめの本、いちおう学問的。
洗脳研究
1950年代の中国共産党の洗脳、朝鮮戦争におけるアメリカ人捕虜の受けた尋問と強化のパターン
帰還した捕虜らから研究。監禁、身体的強制、情報統制、共産党イデオロギーの教化。しかし、永続的効果は少なかった。→表2
共産主義者たちの理論的根拠=ソヴィエトの心理学者パブロフの条件づけの原理(おそらく)
過剰刺激による反応の逆転
感覚遮断の実験:一日目の夜は長い睡眠、しかしその後眠れなくなり、正常な思考が長続きせず、白昼夢や幻想が続く。この状態では、被暗示性が高まり、単純な学習能力が向上。独房にも同様の効果があると考えられる。
〜しかし、洗脳は強制的なので、永続的効果がない。そこで、強制的であることを気づかせない自発的参加だったら→マインド・コントロールに

カルト研究のはじまり〜洗脳か自発的回心かという議論
マインド・コントロールという概念の登場=身体的拘禁や拷問を用いず、当人が操作されていることさえ認知しないような、ビリーフ変化のテクニック。破壊的説得、欲求の操作と策略的な情報コントロール。

A教団のマインド・コントロールのプロセス
接近:教団名を隠す。宗教であることも隠す。カルチャーセンターを装ったビデオ・センター。徹底した好意による対人魅力の形成。ビデオ内容への疑問の統制。「疑問は勉強していくうちに分かる」「家族や友人に学んでいることを伝えないほうがいい」。ブースでヘッドフォンをつけながらビデオを見る=学習者同士で内容を吟味させない。
合宿セミナー:班長がいつも会話の中心で、被伝道者間の会話を成立させない。集合的無知の現象(疑問を抱いても自分だけが集団から逸脱していると認知)。睡魔、疲労のなかで、被暗示性が高まり、興奮状態、判断機能の低下。
15日間の夜間研修:毎晩90分程度の講習、食事。帰宅しても眠るだけの時間しかない。被伝道者間ではじめて語らい、集団魅力が発生。最後に、宗教団体であることをはじめて明かす。

マインドコントロールのテクニック
表10参照=自由拘束、異性感情抑制、肉体疲労、外敵回避、賞と罰、切迫感。

効果の社会心理学的説明
1)行動による強化=賞罰による条件付け、自己知覚の効果(日誌を付けさせる。自分の外的行動を認知すると、もともと与えられた役割であっても自分独自の態度として受容される)、認知的不協和の効果(肉体疲労、達成困難な目標、過去の罪の告白、将来の夢のあきらめ、ここまでやっているからには無駄であるはずがない→自分のいまやっていることは素晴らしいことであるはず)
2)情報処理による強化=ゲイン・ロス効果(新しい態度は以前の態度より強固になるという効果。宗教に対するネガティブな態度、宗教であることを知らせずにポジティブな態度を育て、その態度を宗教に向ける)、システム化の効果(一度形成されたビリーフは、後に誤りであるとわかっても、固執される)、プライミング効果(行動の引き金になる特殊用語)、脅迫的メッセージ(最終戦争への恐怖感、いましかないという切迫感、自分ではどうにもできないという無力感。教義に背くような思考を停止させる効果)
3)集団過程による強化=情報の選択的接触の効果(外集団からの接触や批判は寄せ付けない、同僚間での個人的秘話の禁止)、社会的アイデンティティの効果(集団がアイデンティティの源泉となって、社会的アイデンティティを肩代わり。外集団は悪になり、逸脱行動へ)
4)生理的ストレスによる強化=ボトムアップの情報処理への動機づけを低下させ、トップ・ダウンの情報処理を優勢にする。疲労管理、緊張状態の維持、生活のパターン化、指示待ち状態。環境への観察力を低下させ、指示への反射的行動が起きやすくなる。

論点
・マインド・コントロールは、意図的な破壊的説得だというのが議論の前提。成り立つかどうか。
・共産党の洗脳の技術、セールスマンの技術、社員研修の技術、心理療法の技法との共通性。カルトがまねしたという見方。成り立つかどうか。どれも自然発生的である可能性は。
・宗教的修行は、もともと感覚遮断的な、社会から隔絶した環境のなかで行われる。マインドコントロールは、カルトだけの問題か、それとも宗教一般の問題か。
・宗教やカルト以外の領域で、マインド・コントロールはどのように利用されているか。

20010531
Q&A
・カルト以外のマインドコントロール(以下MC)としてあげられたもの
「マスメディア、流行、広告、世論」
「集団ができるとそれを統制する何かが必要になり、そこから外れることができなくなる」
「自分にとってよいと思うことを他人にもすすめること」
「親のしつけ」「学校教育」
「部活の合宿」「スポーツのイメージトレーニング」
「精神病院での更生」「心理療法」
「宗教なら何でも」
「小集団で外界から隔離されたカルトだけ」
「戦争状態」
→集団力学、影響力の行使、説得に関わるものなら何でもという感じ。下にゆくにしたがって、その密度と強度が強くなる。密度と強度が弱いほうが、気づかれず、永続的に。
 MC論者は、MCをカルトに限定することで、その力を過大視し、危険な存在であることをアピール。神秘性や恐怖をあおる。むしろ、特殊なものでないと知ることから冷静な対処ができるのではないか。
 前回の西田のあげているMCのテクニック、自由拘束、異性感情抑制、肉体疲労、外敵回避、賞と罰、切迫感。このなかで無条件に「破壊的」と言えるのは何か。自由拘束、肉体疲労? 弱いかたちなら上記の「部活の合宿も」。もちろん、部活の合宿は一応は自由意志での参加。しかし、カルトも最初は自由意志の参加だった。なお異性感情抑制は、すべてのカルトのMCに見られるわけではない。

「なぜMCを受けている本人は、私はMCを受けているのではという疑問をもたないのか」→自発的に自分の身をゆだねる「投資」のようなもの。以前話した、現代社会の操作的受動的自己形成という問題点。

反カルト運動とディプログラミング(脱洗脳)
STAGE1 ディプログラミングのプロセス
1生理的充足:十分な静養をとらせる
2介入する理由(反社会性)の指摘:どの点が問題か。反社会性の正当化の非合理性と作為性の指摘
3動機づけの形成:彼ら自身に疑問を抱かせる。自発的脱会を引きだす。
4敵意と恐怖心の除去:親や家族や外部者は悪ではないということを示す。元メンバーが脱会しても平和に暮らしているということを見せる。
5MCの説明:自分たちがMCを受けていることは納得しなくても、他のカルトのMCには同意する場合。6他のカルトのMCの実例を示し、自分たちの生活との類似性を認識させる。マスコミの情報、MCに関する学術論文の提示。
7思想の矛盾や問題点:必ずあるので、根気強く検討させる。
8過去の記憶:メンバーになる前の行動や意志を思い出させる。古いビリーフ・システムの再活性化。
9元メンバーの体験:同じような経験をもち、現状を乗り越え、再出発している人の姿を見せる。

STAGE2 後遺症
脱力感、情緒不安定、自責(反社会的行動をしてしまった)、後悔(取り返しの付かない選択、時間)、現実逃避(死にたい、現役メンバーがうらやましい)、自身の喪失(自己コントロール能力への)、孤独感(社会のなかで独りぼっち)、命令・強制への拒否感、生活への不安(仕事や結婚の具体的展望が見えない)、柔軟性の欠如(中間的な考えができない)、言葉のトラブル(特殊用語ばかり使っていたので一時的に言葉を忘れる)、仲間への懸念(早く気づかせてあげたい、かわいそう)、家族とのトラブル(親の冷たい言動、監視、不信)、人間不信(警戒心が強く打ち解けられない)、関係修復の困難(以前親しくしていた人と気まずい関係に)、世間とのギャップ(世間話すらできない)、身体的障害(頭痛、腰痛、生理不順、神経痛)

STAGE3 反カルト運動
ディプログラミング=日本語では脱洗脳。逆洗脳とも訳せる? その場合、洗脳の一種になる。
〜1970年代初頭。テッド・パトリックによって開発。カルトの教化は、イデオロギーの反復的で機械的なプログラムの植え付け、それを解除することが必要とする。何百人ものディプログラミングに成功。脱会者の多くもディプログラマーになっている。高い報酬。専門のカウンセラーではない。
強制的性格の問題:成功すれば感謝され、高収入。失敗するとカルト側から訴えられる。誘拐、暴行殴打、不法監禁、故意の精神的苦痛、市民的権利の侵害など。パトリックは、ワシントン州では無罪、コロラド州では不法監禁で有罪、カリフォルニア州では誘拐罪で有罪に。ディプロ側は、犯意の否定、カルトにとどまることのほうが損害は大きいということを立証しようとする。結果論。脱会させるためなら、暴行・誘拐・監禁は許されるのかという問題。
アメリカの裁判での最終的判断:反カルト運動家たちのいう「MC」は、宗教的背景の元で行われている場合、差し迫った被害や詐欺などの法的要件が立証されないかぎり、違法とは見なされない。
ディプロ側の高報酬の問題:リスクが大きい(訴えられる)、高い成功率を約束、報酬が高くなる、裁判所からは善意での利害関係なしの介入とは見なされなくなる。ますますリスク増、報酬も増。
〜社会的信頼のある有資格のカウンセラーや精神科医で、脱会意志のある信者を両親とともに非強制的にカウンセリングするのがもっとも安全で望ましいが、なかなかいない。そこで、家族は、素人の反カルト運動家たちに頼る。やがてネットワーク化、団体化。

アメリカの反カルト団体
CAN=Cult Awareness Network カルト覚醒(監視・気づき)ネットワーク
AFF=American Famili Foundation アメリカ家族財団
CОMA=Council on Mind Abuse 精神虐待委員会
 MCの技術を人々に知らせる。会社、学校、宗教グループなどで講演。ラジオ・テレビ番組の制作。書物の出版。家族のためのカウンセリング。カルトとつながりがある団体のチェックと情報提供。
CFF=Citizens Freedom Foundation 市民の自由財団
 中学および高校のカリキュラムに「カルト警戒」プログラムを取り入れるよう運動。

考察
カルトと反カルト運動のせめぎ合い。MCを誇張。「敵」の課題評価。毒をもって毒を制する、という発想。MCにはディプロ。対立が深まり、「カルト」はますます孤立。MCもディプロも、どちらも強力な説得技術。脱会者の後遺症=ディプロ語の後遺症は、一人の人がカルトへの激しい回心と反カルトによるディプロの両方を体験したことからくるものでは? ところで、なぜ弱い末端信者にばかりアプローチして、教祖に直接アプローチしないのか。教祖との外交ルートの確立、教祖をガラス張りにすることのほうが、孤立させずに、また自閉化させずにすむ。カルト的な組織ができにくいような法の整備(情報開示、報告義務、税制上の措置。刑法上の問題については徹底的に追求)。教義内容そのものを問題視するのではなく。
 日本でもMCそのものは法的に裁かれていないが、アメリカほど信教の自由に敏感ではないので、フランスの反セクト法のようなものができる可能性はある(日本の反カルト運動家たちはそれを求めている)。その場合、反カルトイデオロギーの勝利。しかし、そもそも日本は、江戸幕府の宗教政策以来、反カルト・イデオロギーが根づいている? 反カルト・イデオロギーもまた一つの「宗教」でありうること。今回でカルト問題シリーズは終了。これまでの議論を総括するようなコメントを求む。

20010607
Q&A
典型的コメント「カルトの危険性自体は残るとしても、単純に反カルトを唱えることはできないと分かった。反カルトさえも一つの宗教的立場であり、ディプログラミングもまたMCの一つであるのだから。またMCは、一般社会にも見られるものだと思った」
→こちらで提示した考えのおうむ返し。これ「だけ」だとコメントとしては不十分。まるで、私もMCをしているようだ。それと注意してほしいのは、「MCは一般社会にも見られる」というのは、MCは意図的破壊的説得ではなく、集団力学のなかでの同調圧力による自発的服従だという見方を前提したうえでのこと。

3 「文明の衝突」論と宗教
 国際関係と宗教〜世界宗教紛争マップ

 地球上で繰り広げられている主な宗教紛争についての情報を提供。どこで起こっているのか。紛争の当事者は誰で、その宗教的背景は何か。何が原因となっているのか。

中東
パレスチナ問題:ユダヤ教/イスラム
 シオニズム、イギリスがユダヤ人にイスラエル建国を約束。中東のなかにヨーロッパ勢力の拠点を置くという思惑。ユダヤ人入植。1948イスラエル共和国成立。パレスチナ難民発生。アラブ諸国介入。イスラエル・ヨルダンに分割。以後もテロ活動、緊張。

イラン革命、イラン・イラク戦争、湾岸戦争:イスラム/欧米?
 イラン革命=イスラム原理主義による最初の革命1979、シーア派。イラクのフセイン大統領、国内に革命が飛び火するのを恐れて専制攻撃、イラン・イラク戦争1980-8。欧米、サウジが支援、イラクは軍事国家に。クウェート侵攻、湾岸戦争。フセインは一転して「イラク民族主義」「イスラムの大義」を唱える。アメリカほか多国籍軍介入。

レバノン内線:レバノンのマロン派キリスト教。シリア、レバノンをフランスから独立させる際に、レバノンでキリスト教が多数派になるように国境線を引くが、やがてムスリム増大。国政参加権の拡大を訴えたことがきっかけで内線に1975-90。

20010614
Q&A
「宗教本来の教えは、どれも人殺しを禁止している。なのになぜ宗教の違う人々同士では争うのか」
「宗教紛争は、政治的・経済的利害関係が原因の民族紛争であり、宗教が原因ではないように思った。西洋化・近代化に失敗したことが引き金ということは、西洋化・近代化を成功させ、少数民族を迫害しないような民主主義政権を樹立させれば、紛争はかなり無くなるのでは」
「宗教紛争の原因は、直接的には政治的経済的なものだとしても、自分の信仰が絶対だと考えるからこそ、争いが激化するのではないか」
→どれも、宗教と政治・経済を分けて考えている。分けられるのかどうか、考えてみる。少なくともイスラムでは分けられない。近代的なキリスト教的「宗教」概念は、政治とは区別される。仏教もどちらかといえば、政教分離的。宗教は暴力的なのか、平和的なのかという問題は、次回に考えてみる。
「日本人にはよく分からない話だ」→最後にあえて日本に引きつけて考えてみる。

ヨーロッパ
北アイルランド紛争:プロテスタント/カトリック
 英国教会のプロテスタントによる、カトリックの弾圧。プロテスタントの多い北アイルランドをのぞき、アイルランド独立1922。1969に北アイルランドで大規模な衝突。対英テロ組織IRA、北アイルランドプロテスタントのアルスター防衛軍、英国軍の三つどもえ。

旧ユーゴ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争:ギリシア正教/イスラム/カトリック
 もともと民族的には南スラヴ系。言語は方言くらいの違い。文字は違う。
 クロアチア人=西方カトリック教会、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下に。
 セルヴィア人=東方正教会、オスマン=トルコ帝国の支配下に。
 ムスリム人=異端のキリスト教徒ボゴミア派、オスマン帝国に征服されてから、イスラムに改宗。
ユーゴスラヴィア統一主義。第一次世界大戦の引き金にも。民族の違いはさほど意識されていない。
第二次世界大戦でドイツ・イタリアに支配。枢軸国は、民族対立を利用して、ユーゴを分断。クロアチア人のイタリア傀儡政権によるセルヴィア人虐殺。遺恨が残る。
戦後は社会主義、連邦制、セルヴィア人が連邦の中枢。連邦軍以外に全人民防衛体制。社会主義崩壊後、経済的不満から青年層が民族主義に。クロアチアの独立宣言(経済先進国による後進地域の切り捨て)、セルヴィア人は連邦制維持を主張、メディアのクロアチア主義キャンペーン、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなど民族混住地域のセルヴィア人が内戦を開始。セルヴィア共和国のミロシェヴィッチ大統領による民族浄化。イスラム諸国のムスリム人支援。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦1992-5。

旧ソ連
 ソ連解体。イスラム系国家の独立。ロシア国内でも独立の機運。
チェチェン紛争:ロシア/イスラム

アフガニスタン内線
 イギリスから独立後、王制、ソ連軍侵攻、共産主義政権。撤退後、イスラム原理主義勢力台頭。しかし多民族で群雄割拠。パキスタンの援助を受けたタリバーンが支配。仏像破壊など。インドとロシアに挟まれ、イギリスが支配。もともとなかった国、国境線。冷戦時は東西両陣営のはざまに。

アジア
インド=パキスタン問題、パンジャブ地方問題
 インドの民俗宗教ヒンドゥー教。インドは、ムガール帝国以後、イスラム国家に。しかし、宗教的には寛容。イギリスによる植民地化。分割統治政策。インドに「宗教」概念をもたらす。インド独立後、多宗教・多民族の融和が課題に。イスラムの多いパキスタン独立、またシーク教徒(イスラムの影響を受けたヒンドゥー改革派)の多いパンジャブ地方で独立運動。
〜ヒンドゥーは、インドの民間信仰の伝統で、もともとは「宗教」ではなかった。イギリスの分割統治政策以後、「宗教」としての性格を付与される。ガンディはインド独立だけでなく、多宗教融和をも課題として掲げるが、それによって暗殺。以後、多宗教融和の近代化路線と、民族主義・原理主義の対立。暗殺。

インドネシア、東チモール独立運動:イスラム/カトリック。国民のほとんどがムスリム。

チベット問題:中国による支配。チベット密教のダライ・ラマ亡命。中国の傀儡。チベットを独立させると、モンゴルも危なくなる。中国の覇権主義。

宗教紛争の要因
・ヨーロッパから輸入された国民国家概念、国境線、近代的「宗教」概念(教義、教典、教団組織)。
・「帝国」(オスマン=トルコ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ムガール帝国、清)における他民族支配、宗教政策〜支配するが迫害しない。
・西洋列強の国民国家。同一民族による国家という概念。国民教育、徴兵制、言語の統一。そこに植民地獲得競争、膨張主義、帝国主義と呼ばれるように。
・やがて、旧「帝国」の解体、植民地として支配。
・列強の植民地支配の統治原理=同一民族、同一宗教で分割し、地方の首長、豪族、王国など、世俗的政治勢力を利用して傀儡政権として立て、政教分離、西洋化・近代化の理念を植え付ける。互いに民族としての違いを意識させ、独立運動を生じにくくさせる。
・独立運動、第二次世界大戦後、次々に独立(させられる面も)。多くの独立国家は、世俗主義、近代国家路線をとる。
・やがて経済的停滞から、政教分離の近代化路線への反発。教育ある青年知識層→原理主義=聖職者を解さずに原典解釈が可能に。草の根の宗教的政治運動に。原理主義はもともと大衆運動で、一枚岩ではなかった面も。やがて「正統」な宗教的指導者が掲げられる。

「宗教」概念の問題
・教典に厳密にのっとったものが正統であるという「宗教」概念、実は西洋近代由来。
・二王国主義のキリスト教政治思想の文脈では、宗教と政治は別路線。近代以後は、宗教は、世俗政権によって支配・管理されるもの。
・しかし、イスラムは基本的に政教一致。そのため、原典回帰はプロテスタンティズムのような個人主義にならず、イスラムによる宗教的共同体としての国家の建設に向かう。

日本に当てはめてみる
・日本では、「神道」を考えてみればよい。もともとは宗教ではないが、右翼など民族主義の精神的支柱になる。
・江戸末期に、もし日本が植民地化されていたら……? 倒幕勢力の神道地域、旧幕府の儒教地域、裏日本の真宗地域、九州のキリスト教地域などに分断されていたかも?
・第二次世界大戦後、もし日本がドイツのように東西に分割されていたら……?(これは実際にシナリオとしてはあった) 冷戦崩壊後、朝鮮のように統一できずにいるか、統一しても経済格差や、民族的差別が残って、政治的に不安定になっていたかも?
・今後は……? 高齢化・少子化、労働力不足、女性の社会進出だけでは年金問題は解決できないので、イスラム系移民の定住が進む。中国系は一人っ子政策なので、やがて高齢化が進むと帰国する可能性が大きい。日本の民族構成は、日本人、ムスリム、中国系、在日朝鮮人、旧日系二世、沖縄、アイヌとなる。最近の右傾化傾向は一挙に加速し、外国人排除の右翼グループとムスリムとの対立深まる(最近のコーラン破りなどのような事件が多発)。母国からの応援、テロ活動も盛んに……。神道原理主義は出てくるか、「カルト」問題はからむかどうか……。これくらい想像力をかき立てて、宗教紛争をリアルなものとして考えてみる。20010621
学期末レポート:7月13日に教務に提出。授業内容全体の趣旨を良く理解したうえで、授業で紹介していないが関係すると思われる事例(宗教紛争関連、カルト関連など)を詳細にまとめよ。見つけにくかったら授業で取りあげた事例をより詳細にまとめよ。ただし、ただまとめるだけでなく、授業の結論部分と関連づけながらまとめ、自分なりの考えも必ず書くこと。字数は自由。授業との関連性がうすいレポートは、不可。また、授業内容の要約、短すぎるもの、意味不明のものなども不可。

Q&A
「日本において、このような民族・宗教紛争は起こりえないと思う。なぜなら、日本は政教分離であり、また以前勉強したとおり、教団宗教を嫌うような自然宗教ベースの多神教(あるいは多宗教のシンクレティズム)であり、特定の宗教が政治と結びついて、国教になることはないからだ」
→そういう意味では、神道とヒンドゥー教は似ていた。しかし、英国の分割統治政策とキリスト教との接触によって、「宗教」(西洋的概念としての「宗教」、明確な教義とメンバーシップの概念)になっていった。「もしも日本が植民地化されていたら」「もしも日本が東西に分割されていたら」「もしも日本に大量の移民が定住するようになったら」という条件を考えて、想像せよといっているのに、いまの状況では考えられないと言っている。答えになっていない。なおcf. 「コーラン破り」事件記事
「やはり自宗教絶対主義が紛争の原因ではないか」
→これから答える。

4 宗教多元主義、多文化主義、宗教間対話
 宗教の平和性と暴力性の問題〜世界三大宗教における寛容と不寛容

STAGE1 宗教的排他主義が紛争の原因なのか?
もう一度、前回の紛争要因のまとめ
国民国家概念と世俗政権の西洋からの移植
 キリスト教=二王国説(神の国と地上の国は別。カエサルのものはカエサルに返せばよい)
 イスラム=政教一致。コーランを第一法源とするイスラム法(シャリーア)が実定法
  世俗政権の打倒。ヨーロッパに蹂躙されるのはイスラムの後退のせい。復興の必要。イスラム側が積極的にマイノリティを迫害することはない。迫害への応戦。
 ヒンドゥー=統一後、覇権争い。カースト制における異教徒の差別・圧迫。ムスリムとは共存できない。

「それでもやはり、宗教の独善性が第一要因では?」
 もしそうなら、植民地独立以後、そして冷戦後に紛争が激化していることを説明できない。
 前近代の宗教紛争の少なさ

イスラム:教勢拡大のプロセスでの聖戦(ジハード)、迫害するなら戦う。
「剣かコーランか」の意味
 原則:「宗教に強制はない」(コーラン2:256)
 異教徒に許される選択〜“コーランか、貢納か、剣か”
〜コーランか=イスラームに改宗〜利点:政治に参画して出世できる。人頭税が免除
 貢納か=元の宗教に留まり、ジズヤ(人頭税)を納める
  代わりに徴兵とザカート(喜捨)が免除され、生命・財産・名誉も保護される
 剣か=あくまでムスリムと戦う=それならムスリム側も剣をもつ。
 聖戦の意味(原意は集中して努力すること)、アラブの貧困をなくすという大義。異教徒からの税収入を得ながら、領土を拡大してゆくこと。
 ただし異教徒差別規定=服装の制約、宣教禁止、ムスリムの目に触れる場所での宗教儀礼禁止、モスクより高い教会等をモスクの近くに建設することの禁止など。だがキリスト教のような死に至る迫害ではない。
 キリスト教:異教・異端の積極的迫害のなかで「正統」を確立。十字軍、宗教改革後の宗教戦争

STAGE2 世界三大宗教における寛容
キリスト教:汝の敵を愛せよ。敵のために祈れ。よきサマリア人のたとえ。義なる異教徒
イスラム:ユダヤ教徒、キリスト教徒は「啓典の民」。各民族に預言者。しかし、迫害されたり受け入れられなかったり。例外はモーセとイエス。しかし、ユダヤ教とキリスト教は、一神教の原則から離れる面も(啓典を曲げたり、イエスを神格化)。ムハンマドによってようやく神の啓示が正しく伝えられた。そこで、ムハンマドが最後の預言者となった。ユダヤ教、キリスト教の基本的な正当性は認める。ゾロアスターや仏陀が預言者として敬意を払われることも。ムガール帝国がインドを支配したときは、ヒンドゥーとの共存・融合政策がとられた。
仏教:迫害されたときは、忍辱の心で修行に励む。みずからの立場の正当性に固執するのは、執着から解脱していないことの証拠。

STAGE3 それでも宗教は独善的では?
 キリスト教をモデルとする「宗教」はそうかも。教義レベルで異端・異教を明確化し、実力排除。前回までの宗教紛争のほとんどは、ユダヤ教・キリスト教か、西洋近代的「宗教」概念を受け入れたヒンドゥー、旧共産主義によるもの。

では、キリスト教は寛容ではないのか。
 キリスト教は宗教改革後のヨーロッパ全土を巻き込む宗教戦争の末、「寛容」概念を定式化。
 プロテスタントの個人主義的性格から、信教の自由、政教分離の原則へ。
 カトリックは、1962年の第二ヴァティカン公会議で、はじめて他宗教の存在意義を認める。
→つまり、近代に入ってから、政教分離と世俗化のなかで、しだいに寛容になってゆく。

 だが、政教一致のイスラムにとって、このタイプの「寛容」をすすめられることは、政教分離と世俗化に「改宗」せよという命令に等しい。イスラムにはイスラム型の寛容がもともとあるので、西洋近代型の「寛容」を輸入する必要はない。あとは欧米のキリスト教国家が世俗主義の押し付けをやめればよい。
〜世俗主義はイスラムから見たらキリスト教的であるということ、つまり世俗主義もまた別の宗教であるということに注意。「近代化・西洋化が進めば宗教紛争はなくなる」というのは「全世界を征服すれば戦争はなくなる」というレトリックと変わらない。むしろイスラム型の寛容性が可能になる環境を作ることが大切。

参考資料・コーラン破り捨て:東京でもイスラム教徒集会 外務省に要請文 2001.05.25
 富山県で起きたイスラム教の聖典「コーラン」破り捨て問題で、イスラム教徒約400人が東京・日比谷公園などで25日、抗議集会を開き、外務省に再発防止や事件の早期解決などを求める要請文を提出した。
 パキスタン、インド、バングラデシュ人らで、富山県や関西方面からも参加した。渋谷区大山町のイスラム寺院で礼拝後、集会を開催。プラカードを片手に「コーランを冒とくする行為は許し難い」などと訴え、シュプレヒコールを繰り返した。興奮した参加者が、交通整理の警察官ともみあう場面もあった。
 外務省では引原毅・南西アジア課長が対応し「宗教感情への尊重は大切なことで、今回のことは大変残念で深く同情する」などと述べた。在日パキスタン協会会長のライース・スィディキさんらは「宗教を侮辱しないよう認識を改め、二度とこんなことがないようにしてほしい」と話した。
 富山県小杉町では今月21日、パキスタン人経営の中古車販売会社前に同町内の礼拝所から盗まれたとみられるコーランなどが破り捨てられているのが見つかり、県警が窃盗などの容疑で捜査している。
[毎日新聞5月25日] ( 2001-05-25-22:45 )

参考資料・飯塚正人「イスラム「原理主義」」、『朝日キーワード別冊・国際(新版)』朝日新聞社、 1999年
《解説》
1979年のイラン・イスラーム革命以来、イスラーム圏の各地で顕在化した「イスラーム国家」「イスラーム社会」の建設運動を報じるためにマス・メディアが用いてきた用語。定義が明確でないうえ、テロリズム・イメージが強すぎるとして、学界では評判が悪い。
20世紀には世俗化・脱宗教化が地球規模で一挙に進んだが、それは一方で、伝統的な道徳観念が崩壊することへの人々の危機感を激しく煽り立てる結果となった。1970年代以降世界各所で同時並行的に発生した宗教の復興現象・政治化現象は、基本的にこの危機感から生まれたものだと言っていい。むろんイスラームの場合も例外ではなかった。
しかし、イスラム「原理主義」が突出した高揚を見せた背景には、イスラームに特有の思考法も関係していた。イスラーム復興の直接の契機となったのは、1967年の第三次中東戦争におけるアラブ諸国の大敗である。もともとイスラームはユダヤ教の誤りを正す完璧な宗教として自己規定をしており、神はイスラーム教徒にこそ栄光をもたらすと信じられてきた。しかるにいま、ユダヤ教徒の国イスラエルにアラブが敗れたのはなぜなのか。この問いに対し、多くの信徒は「自分たちが世俗化し、イスラーム法を捨てたがために、神の怒りを買った」と考えたのである。イスラーム復興はこのような自己批判、反省から始まった。
1970年代に入ると、民衆の間に広まったイスラーム復興の気運を受け、多くの国の政権も自ら「イスラーム政府」を名乗るようになる。イスラーム法に従う「イスラーム国家」「イスラーム社会」の建設・維持は、ここに、誰も批判できない国是となったのである。報道に現れる用語もかつての「反帝国主義闘争」が「聖戦」に代わるなど、イスラーム化が進み、政治をイスラームの文脈で語ることが一般化した。
とはいえ、すべての国でイスラーム政治が国是となったわけではない。たとえばイランの場合、イスラーム復興の気運は無視され、強力な西洋化が推進された。だがその結果、イラン王政はやがて「反イスラーム」のそしりを受け、79年のイスラーム革命で滅ぶことになる。
一方、イスラーム政治を国是とした国々でも、イスラームを掲げた多くの反政府運動が生まれた。各国政府の実態は、「イスラーム政府」を隠れ蓑にした一種の世俗的な軍事独裁にほかならず、活動家たちの理想とはかけ離れていたからである。1960年代以降間断なく続いた人口爆発の結果、就職難に直面した高学歴青年層と、住宅難に苦しむ大都市周辺のスラム住民が、自己の不満を表現すべくここに参入した。かくてイスラーム運動は飛躍的にその勢力を拡大し、国境を越え、世界の注目を集めて、今日に至っているのである。

《問題点・展望》
反政府イスラーム運動の隆盛を支えているのは、経済的な苦境にある高学歴青年層と都市周辺のスラム住民である。議会制とは名ばかりの独裁のもと、彼らの不満はイスラーム運動以外の代弁者をいまだ見出せずにいる。各国政府が深刻な就職難・住宅難を解決するか、自由な政治活動を認めていかないかぎり、イスラーム運動への広範な支持は続くだろう。
しかし各国の経済が好転し、政治活動が自由化されたとしても、イスラーム運動の勢力が大きく後退するとは思われない。大半のイスラーム教徒にとって、イスラーム政治こそ理想だからである。政教分離を否定するイスラーム思想の伝統が崩れないかぎり、イスラーム政治を求める運動は終息しない。各国政府がイスラーム政治を国是としている現状では、イスラーム運動の隆盛がまだまだ続くだろう。

20010628
Q&A
 大多数の人がイスラムの寛容さに驚く。逆にキリスト教の説く寛容が、不寛容の歴史への反省から出たものであることにも驚く。「それでもイスラムが悪い」と考える少数のコメントをまとめておく。
「1)イスラムの政教一致のもとでの寛容は、他宗教を迫害しないまでも、その活動を制限するものになっている。2)迫害されれば戦うというが、テロ活動などは普通に生活している一般人をも巻き込むものなので「過剰防衛」である。3)欧米化・近代化路線で経済状況が改善されないので、イスラムの復興を唱える勢力が台頭したとあるが、経済の問題は合理的に、自助努力によって(神頼みでなく、また欧米に責任転嫁せずに)解決するべきではないか。」
→1)はその通り。ただ、それが対立感情をあおらないための知恵であることも否めない。2)は、「カルト」問題以来の、センセーショナリズムの誤謬(特殊事件のみで判断)。テロ活動はやはり一部の勢力によるものと言ってよい。3)は、基本的な考え方としてはうなずけるが、これをアメリカなどが言うと反発されるところ。結局、アメリカが、中東の石油のために、独裁的な政権と軍事的協力を結んで、地域への勢力を維持してきたということが背景にある。そのために、石油輸出以外の国内産業の育成が滞り、富が一部の人のみに集中し、貧困層が拡大した。なお、政教一致であるかぎり貧困は解決されないというコメントもあったが、なぜそうなのか根拠がまったく分からなかった。なお、上の三点を裏返すと、戦後日本の正当化の意図が見えてくる。すなわち、アメリカから輸入された「信教の自由」「平和憲法」「奇跡的な経済復興」である。

キリスト教における教義的変容の試み
宗教は平和的なのか、暴力的なのか→教義のレベルでは平和的だが、現実には暴力的になりうる。
では、絶対性を主張する教義はどうなるか→それを弱めようとする試み

1962 第二ヴァティカン公会議。他宗教のなかの真理を認め、他宗教との協力や対話をすすめる方針。
 神学顧問K・ラーナー:神の万人の救済の意志。人間が人間であるのは、神の恩寵による。このことから、他宗教の信者であっても救済される可能性。ただし、救済が完成されたのは、あくまでキリストの受肉によって。他宗教の信者が他宗教を通じて救済される可能性があるとしても、その救済は、実はキリストの受肉と贖いの結果。他宗教における正しい信仰者は、「匿名のキリスト教徒」。他宗教の信者でも、尊敬に値する人。たとえ表向きはキリスト教徒ではなくても、実質的にはキリスト教徒

プロテスタント、J・ヒックの宗教多元主義:
 ラーナーの「匿名のキリスト教徒」論は、キリスト教の絶対性をなお保持。最終的にはキリストによる救済しか認めない。他宗教内部での救済を認めない。
 キリスト教的な救済の枠組みに、諸宗教を包括しようとする包括主義=自宗教の絶対性を保持しながら、自宗教中心の他宗教理解の枠組みを構築し、そのなかに他宗教を包括するような姿勢
 ヒックの多元主義=偉大な諸宗教はどれも、究極的実在(キリスト教の神、イスラムのアッラー、仏教の空)への応答であり、そこでは「自我中心から実在中心への転換」という意味での救済が、現に起こっていると論じる。

多元主義への批判(カトリックだけでなくプロテスタントからも)
 ヒックの多元主義も、自分の諸宗教理解の枠組みを押し付けるもの。少なくとも各宗教の自己理解に沿ったかたちでの諸宗教理解でなければ、対話の指針として採択することなどできない。
 宗教が宗教である以上、その独自性の主張を弱めるべきではない。そして、独自性の主張を譲らずに他宗教の存在意義を認めようとするならば、包括主義がもっとも現実的な選択

以上の試み、キリスト教的? 教義中心の宗教。そのため、他宗教と共存するためには、教義レベルでの変容が必要。そして、そのような他宗教理解を、他宗教に押し付ける。
→「棲み分け排他主義」という選択肢=現実的暴力をともなわない独自性の主張。多文化主義政策。たとえば、一つの国のなかで、複数の言語・宗教を複数の公教育の回路によって実現(ケベック型)。
C・テイラー、棲み分け排他主義に根差しながら、個々の宗教が絶対主義に内閉しないよう、相互変容を目指して、互いに学びあう。

グローバル・エシックス(地球倫理)=従来のローカルな倫理では対処しきれないようなグローバルな問題(環境問題、貧困の問題、生命倫理)について、諸宗教の知恵を駆使してその答えを共同で探究し、普遍的な倫理を構築してゆこうという試み。宗教を超える倫理。
L・スィードラー、H・キュングなどが推進。

20010705
Q&A
「キリスト教における寛容の試みを見てきて、やっぱりキリスト教はより平和的だと思った」
→これまでの話を聞いていないのでは? 歴史的にはキリスト教よりイスラムのほうが寛容で、キリスト教における寛容は近代以降のもの(カトリックは1960年代)。しかも他宗教に対する寛容さを打ち出すために、教義を変えなければならないというキリスト教の不自由さを示したのだが。
「キリスト教の包括主義は、結局、自分の宗教の絶対性を崩せないでいる。やはり宗教は自己中心的だ」
→これも話の流れをまったく無視している。大きな流れは、自宗教中心主義からの脱却。ただ、完全に自分の宗教の価値を他宗教と同等のものとして相対化すると、その宗教を信仰する理由がなくなる。問題は自分にとっての絶対性を各自が認めあうということ。
「カトリックとプロテスタントが衝突しているというニュースなどを聞くと、包括主義や多元主義などは感じられない」
→「ニュース」は過激な報道に偏るので、宗教のリアリティを知るためには一面的である(これは再三繰り返している、このようなコメントをこの時点になって書くとは!)、そこで、メディアに流れない宗教の平和主義的試みも知ってほしい、というのが私の願い。「宗教は暴力的だ」と一括するほど、「宗教」は貧困ではない。一つの宗教内部でももっと多様。
「正しい異教徒も実はキリスト教徒ということだが、キリスト教徒のなかにも正しくない信者はいる」
→つまり、一つの宗教のなかにも色々な人がいるということ。
「排他主義は、他宗教のなかにある、自宗教の理想をも否定することにつながる」
「宗教を本当に突き詰めている人は、他宗教だとか自宗教だとかにこだわらずに、真理を真理として認められるのではないか」
→以上のコメントも参照しながら、宗教というものを、その理想と現実の両面において全体的にとらえることをすすめたい。諸宗教の教義的歩み寄りを期待する人は、理想における一致を主張していることになる。他方、宗教間の対立を深める当事者は、自分の宗教の理想から他の宗教の現実を断罪する。そして、「宗教問題」を断罪する人たちは、その宗教の理想を見ずに、しかも極端な事件のみを宗教の「現実」として取りあげ、その宗教を代表する出来事とする。

グローバルエシック(ス)の補足説明(時間があれば)。
http://astro.temple.edu/~dialogue/geth.htm
http://www.uni-tuebingen.de/stiftung-weltethos/dat_eng/st_3e_xx/s_dek3_e.htm

7 宗教とアイデンティティ
 「国民国家=世俗主義」体制の崩壊。新しい中世の到来(文明のグローバル化と文化のローカル化)。

田中明彦『新しい中世――21世紀の世界システム』(日本経済新聞社、1996)
ポスト冷戦→相互依存の世界=新しい中世
「中世」=イデオロギーの普遍主義(ローマ教会)と政治的主体の多元主義が両立。多様な主体の併存。教皇、司教、修道院、「皇帝」、王、封建領主、都市、大学。ある程度の独立性。相互の関係性の複雑さ。たとえば、同一事件についての裁判権を、封建領主と国王と司教が同時に主張したりする。領土との関係も流動的。国内政治と国外政治の区別がない。
「近代」=相互排他的な領地の上に一元的な権利関係が及ぶ。国民国家の形成。国内/国際の区別。
 プロテスタントとカトリックの対立、フランス革命後ナショナリズムと絶対主義の対立、さらにマルクス主義の登場、自由主義とファシズムの対立、複数の普遍主義的イデオロギーの徹底的な抗争。
 しかし、経済的には地球全体が資本主義体制に組み込まれる過程。
「中世/近代」=政治主体が「多元主義/相互排他的な主権国家」、イデオロギーが「一元的/徹底対立」、経済相互依存「低い/高い」
「新しい中世」=国連が権威を代表し、アメリカが世界の警察として権力を代表する。他方、国民国家の枠を超えて活動する主体の登場(巨大企業、NGО、宗教)。国内/国際の区別が曖昧に(とくに経済問題)。経済の相互依存は、さらに高まっており、そこが中世と違う「新しさ」。ただし、グローバル化が行き着くと一つの巨大な閉じたシステムになり、逆説的に中世よりも閉じた状態に。

 しかし、世界はまだ完全に「新しい中世」になっていない。図8-1,2参照
第一圏域:新しい中世〜自由主義と市場経済の定着。欧米、日本、オーストラリアなど、経済相互依存状況、説得力による言論外交。
第二圏域:近代〜権威主義的政治体制と実力外交。第一圏域との結びつきが強くない。
第三圏域:前近代〜経済の停滞と混乱。体制自由度の低さ、政治的無秩序。

ハンティントン『文明の衝突』、『文明の衝突と21世紀の日本』(集英社)
ポスト冷戦は、一極=多極システムで、文明の衝突が起こる。
中華文明、日本文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、東方正教会文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ(文明としては存在しない)
これらの文明が隣接する断層線で紛争が起きる=フォルトライン紛争。
 通常の「文化/文明」概念=「宗教・道徳・学芸などの精神的所産/人間の技術的・物質的所産」
 ハンティントン、これまでの「経済ブロック」を、文化を含む文明圏に置き換え、宗教の違いによる衝突の可能性を示唆する。
→ハンティントンの議論自体、アメリカ中心で、仮想敵を想定し、差別感情と対立感情をあおるものという批判も

私の見方
 文明は文化と乖離し、文明がグローバル化すればするほど、文化の違いが意識され、文化のローカル化が進む。
 文明=物質的な世俗主義、資本主義、市場主義、American way of life、文化的な違いを超えて世界中に広がりうるもの(しかし、現代のグローバル化は、アメリカの一人勝ちに行き着く可能性も)
 文化=上のような意味での文明は、イスラム諸国においても、インドにおいても取り入れられる。取り入れざるをえない。しかし、脱「文化」化した世俗主義的文明が浸透すると、自分たちの文化の独自性を意識させられる。とくに、アメリカとの違い

「カルト」問題と「原理主義」問題の共通性
宗教色を脱した世俗主義(資本主義と自由主義)が生活に浸透すればするほど、
世俗と分離させられた「宗教」がアイデンティティの根拠、世俗主義の問題の解決手段として持ち出され、
世俗主義に挑戦する
世俗主義の側は、「宗教」一般の暴力性を強調し、ますます世俗化。
 世俗社会の問題を宗教に投影することも
宗教運動はますます先鋭化。
→世俗主義と、先鋭的「宗教」運動のシーソーゲーム。悪循環に。

「宗教問題」解決のためのヴィジョン
 グローバル化する世俗主義の問題点=環境、生命、貧富の差、生きる意味の無根拠化
 宗教のローカル化の問題。もともとあった普遍性志向が特殊利害に吸収される。また、物質的営みを支えてきた面があることも見逃せない。
 グローバルな倫理の必要性。環境倫理、生命倫理、生きる意味、生の質に関わるもの、<生>の倫理
 しかし、過去の宗教をそのまま持ち出したのでは、不十分。かといって、「世界宗教」のなかの普遍的要素を切り捨てれば、新たな世俗主義と変わらなくなる。
 諸宗教内の特殊道徳のなかにある普遍的要素を救い出し、世俗主義を補正するような倫理を共同で探究