「癒し」という言葉が流行語となりつつある。この言葉は、日々のストレスや人間関係における傷つきを和らげてくれるという意味合いで使われることが多いが、古来より宗教が取り組んできたことでもあり、現在ではそこに各種の心理療法が関わってきている。本講義では中井久夫の仕事を参照しながら、癒しと宗教の歴史を概観する。
評価の方法 毎回授業の終わりにコメントを書いてもらう。プリントの丸写しや要約、質問だけのものは不可(欠席扱い)。必ず自分の考えを書くこと。単なる思いつきや漠然とした感想を書かず、根拠を明示した論理的なコメントを書くこと。なお本学では出席3分の2が必須であることに注意。 特別な理由があって欠席したものは、次回の講義までに、ホームページ上で講義内容を確認し、コメントを送信すること(http://homepage1.nifty.com/norick/)。 学期末に、授業内容について枚数自由のレポートを課す(「レポートの書き方」を参照せよ)。
授業計画(あくまで計画……) 古代から近代に至る西欧の治療文化の歴史をたどったテキスト(前掲)を中心に、西洋における癒しと宗教の関係性について考察する。
1 イントロ――なぜ癒しか 2 種々の原始的治療法(cf. エレンベルガー) 3 古代ギリシアと古代ローマの治療文化、 補足・治癒神イエスの誕生(cf. 山形) 4 中世ヨーロッパと魔女狩り 5 近代医学の成立、欧米諸国の医学 6 精神医学の展開 補足・精神分析の誕生(cf. エレンベルガー) 7 精神医学の地域性 補足・『治療文化論』 8 神なき時代の精神医学 補足・ホーリスティック医学運動(cf. ワイル) 9 現代日本における癒しと宗教(cf. 田邊・島薗・弓山) 10 ベラーの宗教進化論における癒しの位置 11 癒しと治療文化の哲学的考察 12 予備日
人間は誰でも病気をする。そして、病気になったらそれを治そうとする。 今日のわれわれの多くは、病気の治療のために医者に頼ろうとする。医者は、病気の診断と治療のための学問的知識と技術を身に付けており、国家によって専門家としての資格を保証されている。しかし、このようなシステムは太古の時代からあったわけではない。宗教家(呪医、シャーマン)が専ら病の治療に当たるような文化があったし、今日でもいくつかの地域において確認されている。いや現代日本においても、注意してみれば、正統医学とは異なる民間医学が存在するし、とりわけ精神的疾患、あるいは軽度の心的ストレスに、宗教的治療が関与することだってある。 そもそも、身体の病気は医者に、心の悩みは宗教家(あるいは今日ならカウンセラー)にという二分法は存在しなかったのであり、ただ心と身体の全体の健康を維持・回復するための文化的体系が存在していたのである。たとえばそれは生活態度についての教訓や食事法や食物にまつわるタブーであったり、そして尋常ならざる病状に対して講じられた種々の宗教的呪術的な治療儀礼であった。 今日の「癒し」ブームの背景には、現代医学の一面性に異議を唱えるホーリスティック医学運動、代替医療運動、ホスピス運動などがあるが、これらは上に述べたような健康と病に関する文化的遺産に大きなヒントを得ている。では、これらは単なる懐古趣味の先祖返りなのか。「癒し」グッズの流行のように一過性のものにすぎないだろうか。 いや、そうではないだろう。近代医学が何よりも大きな力を発揮したのは、伝染病や細菌・ウィルスによる病気、そして大掛かりな外科手術をしなければ改善されないような疾患に対してであった。これらの病気は不治の病として恐れられ、近代以前の医学では太刀打ちできないものであった。近代医学が発展するにつれて伝統的医療は衰退を余儀なくされたのである。ところが、今日における「死に至る病」は伝染病などではなく、癌のような「生活習慣病」である。また「不治の病」の治療法が進歩するなか、慢性病に関心が集まってきている。これも日ごろの生活習慣や心的ストレスに起因するところが大きい。ここにいたって健康な生活を送るためには、日ごろの生活態度の改善が最重要ということになる。病を経過して日ごろの生活態度のみならず、これまでの生き方全般をふり返り、新しい生き方に転換することによって、精神的に成長し、心身全体の健康を達成する。こうした発想が癒しの運動に共通している。心理療法的色彩の強いものにおいては、さらに他者との関係の修復=和解もまたテーマとなる。
本講義の目的 以上のことから、肉体への即物的治療をほどこす近代医学に対し、心身全体の癒しを目指す運動が起こってきているということが分かっただろう。この癒しの運動の具体的な内容については、講義の後半で扱うことにする(8、9)。ここで、まず確認しておきたいのは、近代医学は必ずしも絶対的なものではなく、それ以外の病と健康に関する文化的実践によって補われる必要があるという認識である。中井久夫は、それぞれの文化に独自の「診断と治療の体系と実践」があると指摘し、これを「治療文化」と呼んだ。この言葉を使うならば、近代医学は一つの治療文化であり、地域性と歴史性を持っているということが言えるだろう。そして、古代からの治療文化、あるいは世界各地の治療文化を通覧することによって、宗教が治療文化にとって不可欠の役割を果たしてきたことが分かる。治療文化の歴史は宗教の歴史と連動している。本講義では、癒しと宗教の関係性の歴史を概観することによって、現代の癒しの運動についてのクリアな見通しを得、かつ、人間が相互にケアし支えあって生きてゆくということの意味について考えたい。
第2回目(20000419) 授業の進行に関する補足 ・20分以上の遅刻者には出席カードを配らない。 ・コメントの出来が悪いものは、不可(欠席扱い)とする。ただし、次の授業のはじめに書き直しを指示するので、その時間中に提出すれば可とする。 ・テキスト、参考文献は、必ず買わなければならないというものではない。プリントと私の説明で足りるようにするつもりである。ただし、より深く勉強したい人は入手して熟読することをお勧めする。 前回の授業へのコメント ホーリスティック医学運動に関する口頭での説明に関心を持った人が多かった。なお、ホスピス運動は末期患者の生の質を重視し、患者とその家族をケアしようというものであり、ホーリスティック医学運動とは、心と体の全体の健康のために心理療法や身体技法を実践するものであり、前回はそのひとつのの例としてイメージ療法を取り上げた。この三者を混同している人がいたので、念のため補足しておく。詳しくは後ほど(^^)。
2 種々の原始的治療法(cf. エレンベルガー)
ここでは、中井久夫も訳しているエレンベルガー『無意識の発見』(弘文堂)をもとに、西欧以外の地域で行われていた非近代的治療法を取り上げる。 まず、最初の事例1。ドイツの人類学者バスティアーンが、南米で現地の呪医に頭痛と発熱を治療してもらった体験。結局治らなかったし、トリックである可能性も否定できないが、にもかかわらずバスティアーンは大きな感銘を受けている(前掲書2〜3頁、以下同じ)。これは導入として紹介しておく。 以下、病因論と治療法の別によるエレンベルガーの分類を説明する。
1)魂の喪失と奪還 睡眠や失神の最中には魂が身体から遊離すると考えられており、たとえば、魂が遠くへ行っている最中に突然眠りを覚まされると、魂は道に迷い、傷を負ったり、持ち主から離れたままになってしまう、という。治療のためには行方不明になった魂を見つけて連れ戻し元通りにすればよい。 シベリアではシャーマンがこの役割を担う。シャーマンとは、長期間の修行期に、精霊の世界へつれてゆかれ、それによって精霊の世界と生者の世界とを媒介する力を帯びるようになった者。シャーマンは、精霊をなだめすかしたり、贈り物を送ったり、時には別の精霊の援護を得ながら邪悪な精霊と戦い、その後も邪悪な精霊の仕返しに備えたりする。 事例2では、他の地域の事例として、南米ペルーのケチュア族のインディオのススト(驚愕病)をあげておく。(近代)医学的にはヒステリー症状を伴った情緒障害と診断されるが、魂を戻す儀式によって、多数の人が治癒に至っているという(6〜8頁)。 2)疾病物体の侵入と摘出 骨片、小石、木片、小動物など有害な異物が体内にあるために病気が起こるとする。それを除去することが治療につながる。多くの場合、口で吸い出し、これが病気の原因だと示す。他の呪術師に打ち込まれたとされることもある。トリックが多く、呪術師もトリックであることを自覚しているし、治されるほうも薄々わかっているが、にもかかわらずそのトリックを含んだ儀式に治療効果を認めている。近代人の、「うそ」と「真実」の二分法とは異なる真理観が介在している。 事例3は、シャーマンのトリックに疑いをもってシャーマン集団に入ったところ、有能なシャーマンとして成功したと自慢している男の話。ミイラ取りがミイラになったわけだが、本人は治療のわざがトリックであることを知っていながら、その呪力を信じている(9〜12頁)。 3)憑依と祓魔術 悪霊が憑依したために病気が起こるので、この悪霊を祓魔術(エクソシズム)によって祓えば病気は治るというもの。祓魔術師は、より高次なる存在(神、仏)への絶対的信仰をもとに、悪霊に警告を発し、悪霊を脅迫する。 事例4は日本のキツネツキ(キタキツネではない)の例である(15頁)。日本では日蓮宗の僧侶がキツネ退治を得意としていた。 4)告白(告解)による治療 病気が起こったのはタブーを破ったからであり、それを告白し、神の怒りを鎮めなければならないというもの。カトリックにも告解がある。精神分析などの心理療法は、この種の治療法の延長線上にあると論じるものもいる。 事例5は近代のものだが、告白が身体病の治療にもつながることを示している(26頁)。 5)欲求不満の充足による治療 儀式を通して満たされない欲求が充足されると、病気も同時に快癒してしまうもの。所有欲、性欲、承認欲求の事例がある。 事例6は、北米インディアンの「夢の祭典」。所有欲が満たされると同時に、財物交換が行われ、娯楽にもなる(27〜28頁)。このような贈与交換の儀式には、集団内の不平等に基づく羨望を解消し、集団の結束を高める効果があるだろう。 6)儀式による治療 外傷を儀礼的に再演し、そこに筋立ての修正を交えることで、外傷の病原的効果を打ち消すもの。現代の心理療法の原理に近い。また、世界創造や神々の神話の儀礼的再演を通じて、神々の創造する力を借りて、病気を治そうとするもの。 事例7は、美的感動を伴った神話の儀礼的再演を通じて、病気がいやされると同時に、その結社のメンバーになるというもの(32頁)。 治療儀礼はもともとは加入(イニシエーション)の儀礼だったという説もある。加入儀礼の多くには、死と再生(再創造)のシンボリズムが含まれている。病気とその回復もまた、一種の生まれ変わりとして考えられているわけである。 7)参籠(インキュベーション)による治療 洞穴や神殿で一夜を明かし、そこで夢や幻影を見ることで、治療がなされる。ギリシアの医神アスクレピオスの神殿での参籠が有名。 8)催眠術による治療 すでに、エジプトのパピルス文書に、透視能力開発をねらった催眠術の記述がある。また、原始的治療をある種の集団催眠として理解することも可能であり、この考え方によれば、多くの原始的治療は催眠や暗示によるものだということになる。先のアスクレピオス神殿の幻影も催眠術で作りだされたという説が成り立つ。 9)呪術による治療 病気は呪術によって作り出されたものなので、それに対抗する呪術によって治療が起こるとするもの。トリックや催眠や暗示も認められるが、時には透視などの超心理学的な力も認められる。実際に呪術によって人が死んだとされる事例の報告が少なからずある。事例8(38〜9頁)。 10)原始医学における合理的治療 自覚的・非自覚的とを問わず、薬物・手術などによる合理的治療が行われていることも多い。これは経験医学の萌芽段階と考えられる。事例9の精神病治療には合理的な要素が多く含まれる。
以上の記述を通して、エレンベルガーは原始治療の特徴を次のようにまとめている。1 呪医は、医者であると同時に、政治家であり、祭司であり、知識人である。2 治療者の人格が治療的効果につながる。3 極めて熟練した技術と高度の知識、4 心理療法的性格があると同時に身体病をも治癒する心身医学、5 治療は集団で行われる。また、エレンベルガーは所々で、原始的治療が現代の精神力動医学、心理療法に通じるものであることを示唆している。 以上の記述は、近代医学を相対化するものであるが、とりわけトリックと真実の境界のあいまいさ、劇的に訪れる治療の瞬間に注意しよう。治療の効果はいったいどこから来るのか、自分なりに考えて欲しい。
第3回(20000426) 前回の授業へのコメント 前回はさまざまな原始的治療法を取り上げました。それに対するコメントの中で「病は気から」なんですねえ……、といったたぐいのコメントがほぼ8割近くありました。ただそこから、「でもやっぱりインチキでしょう」と結論する人、「信じるものは救われる」と結論する人に分かれました。 しかし、「トリックだということが分かっているのになぜ治るのか」という問題にきちんと答えてくれた人はほとんどいませんでした。「トリックであることを知っている」以上、信じているわけではありません。ましてや、インチキであると知らずにだまされているわけでもありません。 現代でも手品師のことをマジシャン(=呪術師)と言いますが、多分もともとトリックであるか真の奇跡であるかは大して重要でなく、技の鮮やかさ、パフォーマンスとしての見事さ、そしてそのような儀礼に参加することそのものが、重要な意味を持っていたのかもしれません。「本当かうそか」などへのこだわりは、時代を下ってまず聖職者や知識人の間に、それから近代に入って一般大衆の間に広がったもののようです。本当かうそかにこだわらない態度の例としては、昔話やうわさ話に対する態度などがあげられるでしょう。その話が本当かうそかより、場が盛り上がるかどうかのほうが重要だったかもしれません。 治療儀礼の場合、集団沸騰のなかに没入することでトランス状態になり、それを通じて俗なる生活空間から聖なる儀礼空間に入ることそのものが、「生まれ変わり」「死と再生」という意味での病からの治癒につながったのでしょう。こうした状況を詳しく分析した人としては、宗教学者のエリアーデや人類学者のターナーなどがいます。興味のある人は各種事典類などで調べておいてください。集団による聖なる時間と空間の儀礼的再演を通して、病という非本来的状態から心と体の全体的健康という本来的状態に復帰し、それを通じて生まれ変わり、場合によってはそれがイニシエーション儀礼として機能するため、何らかの結社集団の成員となることもある。エレンベルガーとは違う仕方で、以上のように原始的治療法の特徴をまとめることもできるでしょう。 それからタブーを破ることで、病気になるので、それを告白すれば病気は治るという考えの箇所に、カトリックの告解を入れたことに違和感を感じた人が何人かいました。確かに告解と病気は直接的に関係しないのですが、現代のカウンセリングにつながるゆるやかな系譜として考えたとき、「打ち明けることで心の荷が軽くなる」という現象に共通点を見いだすことができます。また、病気や災厄が起きるのは神の罰であり、それに相応する罪を犯しているはずだという観念は、いわゆる旧約の時代からあるものです。
3 古代ギリシアと古代ローマの治療文化 中井久夫に戻り、古代ギリシアと古代ローマに焦点を当て、おおまかな流れをつかむ。 ホメロス的世界(前13世紀ころのトロヤ戦争前後)では、魂や人格の観念が不明瞭であり、自己の可処分な属性に、その外部の神、霊、情動など超自然的な力が干渉することで、狂気が起こると考えられていた。下ってアルカイック時代にドーリア人が侵入し(前1100ごろ)、ポリスが成立する。ポリスは、不衛生で、社会的流動性が高く、政治的闘争がくり広げられる場でもあった。そこでは、成功がねたまれ、傲慢は神の怒りを買い、狂気や災厄を招くと考えられた。それとともに、穢れを浄める専門家と儀礼が登場する。また、精神病は伝染すると考えられ、差別・迫害された。そのなかで、プラトンは、「狂気は社会的習慣の逸脱から神の働きによって生じるもの」とし、4つの狂気を分類している。それは、エリート的男性文化に属するアポロン的狂気、集団熱狂的女性文化に属するディオニソス的狂気、詩人のためのミューズ的狂気、エロス的狂気であり、狂気を経て治癒が生じると考えられた。 その後、ギリシアにオリエント文化とシャーマン文化の影響から、「喪失した魂の奪還」という観念が生じる。オルフェウス(前7c)、ピタゴラス(前6c)、エンペドクレス(前5c)などは、呪術師、自然哲学者、詩人、医者、カウンセラー、伝道者を一人でこなすカリスマ的存在として活躍した。彼らは、ギリシアではじめて霊肉の対立と輪廻転生を説く。肉体は魂の牢獄とされ、肉を持った人間には原罪があるという観念も登場した。(たとえばオルフェウスは、死んだ妻を連れ戻しに冥府に下ったという話で名高い。歌や音楽の名手でもあった。彼の教義によると、肉体は魂の墓場で、輪廻転生を免れるためには、肉食を断って清浄な生活を送らなければならない。どこかインド的) また前出の医神アスクレピオスへの信仰も登場する。病人たちが神殿に寝て、夢を見ると治る。アスクレピオス神殿は、病院の始まりになる。また夢判断も流行した。 さらに宗教的治療とは別に、世俗的医師団ヒポクラテス学団が成立し、ヒステリー、てんかん、メランコリーなどの正確な臨床記録を残す。以後、次第に宗教と医学の分離が進む。 また、ソフィストたちによって、狂気の非宗教的解釈が唱えられた。彼らは、宗教的観念の相対性を説き、性格を重視し、人間中心主義的な立場から伝統的観念を批判した。不信仰のかどで彼らは弾圧される。 こうして啓蒙的哲学者の登場にもかかわらず、伝統的治療は根強く残る。そこに、外来神が次々に輸入され、多元主義的状況が到来する。各種の祭儀をおこない、患者が反応した祭儀の神に狂気が由来すると診断される。ここでは、祭儀は診断の手段であり、治療の手段でもあった。 古代ギリシアの治療文化の変遷は、被支配階級の治療文化が支配階級に浸透する歴史であり、ディオニソス的治療→イーアートロマンテース的治療→アスクレピオス的治療→キリスト的治療と、順にその覇権の変遷をたどることができる。最後に、イエス・キリストとその使徒が、ローマ世界の最下層民の悪魔払い師、治療者として出現し、他の治療神との闘争・論争に勝ち、ローマ帝国の国教となる。そして、世俗的医療をいったんは否定することになる。キリスト教の隆盛によって、医学と宗教(的癒し)の分離は決定的になる。医師が世襲化し、公共の医師団が成立し、医学が体系化されてゆく。 他方、キリスト教以外の哲学的宗教的な精神修養団体も発達した。たとえばストア派(厳格な生活、瞑想、精神集中)、エピクロス派(楽しかったことや喜びについての瞑想、格言集の暗誦)などがある。ストア派には、カウンセリング的・自己暗示的要素もあり、情念のコントロールが課題とされた。 ポイント=都市国家の成立、病者の差別、狂気と治癒がセットの密儀宗教、医学の分離、心身二元論
補足・治癒神イエスの誕生(cf. 山形孝夫『聖書の奇跡物語――治癒神イエスの誕生』朝日文庫) 古代イスラエルの預言者イザヤは、神の国についてのヴィジョンを次のように描いている。砂漠に花が咲き、目の見えないものは見え、聞こえないもの聞こえ、歩けないものが走り、口のきけないものが歌う(イザヤ書35、1-7)。砂漠は呪われた土地を意味し、沃野は祝福の地を意味する。当時、ハンセン病患者や精神病患者は町を追われて砂漠に住み着いていた。重要なのは、砂漠と罪と病の世界に、救い主であり癒し手であるメシアが登場することである。「彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみを担った。彼はしいたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった」(イザヤ書53)。従来のメシア像は英雄的な王であったのに対し、イザヤの描くメシアは自ら傷つき、他の傷を癒すものとして描かれている。 イエスの癒しは、イザヤによって予示されたものと解釈されるかもしれない。以下、福音書に記述されている癒しの奇跡を追ってゆく。病人に触るとらい病が直ちに治った(マルコ1,40-2)。病人がイエスに触るために押し掛けてくる(マルコ3,10)。触るということは、按手(人の頭の上に手を置いて、その人に聖霊の力「プネウマ」が与えられるように祈ること)の一種であったかもしれない。 目の見えない人を村の外に連れ出し、目につばきをかけ、手を当てると、目が見えるようになる(マルコ8,22-5)。これは、つばきが呪薬かプネウマの働きをしていると解される。 こうして、イエスの奇跡を通して、病者の世界は単に呪われ滅ぼされるべきものではなく、神の国が実現される場所に転換されてゆく。 水が動いたときに入ると病が癒えるという信仰のある城門の池の前で、起き上がることができないために他のものに先を越され、38年間も絶望的に待っている病人のところにイエスが来て、「起きて、歩きなさい」と言うと、病が癒え、歩く(ヨハネ5,2-9)。ここでは「触る」ことはしていない。イエス自身が「動く水」となり、プネウマが伝えられたと解される。 弟子「先生、この人が目が見えないのは本人か両親かが罪を犯したためですか」、イエス「誰が罪を犯したからでもなく、ただ神のみわざが現れるため」。地につばきをしてその泥を目に塗って、池の水で洗わせると目が見えるようになった(ヨハネ9,1-7)。これは、ユダヤ的疾病観(罪=病、呪いの遺伝、病者の差別)の否定を意味する。 最後に、イエスが殺害され、それを通して罪があがなわれたという教説によって、「傷ついたシャーマンの癒し」という図式は完成した。シャーマンは隠された宇宙への危険な旅を経て、癒しに必要な宇宙的な力を持ち帰り、非日常的な意識のなかで、和解、贖罪をもたらすものと考えられる。アスクレピオスも死と復活を経て癒しの力をえている。ただしキリスト教は、死者の救済という可能性をも新たに開いた。
第4回(20000510) 前回の授業へのコメント イエスの癒しに半信半疑という人、もともと聖書の記述のなかでも作り話だろうと思っていたが、信者獲得競争があったということはある程度真実だったのだろうかと考える人さまざまでした。“イエスの癒しは、脚色もあるだろうが、暗示などの心理療法的要素も多分にあったのではないか、奇跡とはそれを通じて回心が起こり、心のなかに神の国が現出することだ”、というのがおそらくキリスト教関係者の模範的な回答になるでしょうね。それから重要だと思われたのは次の質問です。 「肉体は魂の牢獄だという考えは、生きることを楽しいと感じることと矛盾するのではないでしょうか」 生きることを苦しみと感じる思想は、キリスト教だけでなく仏教にもあり、またこの世における生を超越したところで救いを求めるという発想は、いわゆる世界宗教に特有のものだと言えるでしょう。都市国家の出現、大帝国への編成という状況のなかで貧困・病苦・戦乱(いわゆる貧病争)が宗教上の大きなテーマになります。このような問題に対する個人的救済を提供できた宗教が、民族宗教の枠を越えて世界宗教になったというわけです。仏教が出てきた背景にも戦乱の状況があり、生老病死という苦しみが強調され、それからの解脱が修行の目標とされました。
講義 4 中世ヨーロッパと魔女狩り 古代医学の終焉 民族大移動(4〜6c)の波のなか西ローマ帝国が滅亡。古代医学の中心地はアレクサンドリアだったが、641年アラビア人によって陥落(前331年アレクサンダー大王によって建設、ローマ時代はエジプト総督の駐在地、ローマと並ぶ巨大都市、商工業と学問の中心地、古代最大の図書館があった)、これによって古代医学は終焉。アレクサンドリア陥落後、古代医学はイスラム世界へ翻訳された。各都市にオアシス的な要素を持った精神病院(休息・音楽・水浴・体操など)が築かれる。文明の中心はイスラム世界に。他方、ヨーロッパ世界は荒廃。すでにキリスト教の医学否定もあり、医師たちは離散。修道院に医学文書が保管されていたが、単なる古典教養の一つとしてしか学ばれていなかった。 ヨーロッパの大部分は、原始的治療文化が残る。たとえば7cのブリタニアでは、意味不明のギリシア語呪文と若干の薬草による医療が行われており、病気は魔法使いの矢が刺さることによって起こるとされていた。これは、憑依説よりも退化していることになる、というか、もともと当時のヨーロッパ地域は大部分が森林のままで未開状態にあり、キリスト教が入ってからも、土着の治療文化は引き続き残っていた。 修道院の多くは医学的実践をおこなっていなかったが、ベネディクト派の修道院は例外的に、医学文献の継承に基づいて看護・治療の実践をおこなう。これがヨーロッパ臨床医学の原点になってゆく。
中世における女性的治療文化 10cからヨーロッパでは独自の発展がはじまる。このころアラビアで医学を学んだ教皇も出ている。12cに、ヨーロッパ農業革命が起こる。三圃農業(耕地を三分割し、「秋作→春作→休閑地=放牧」と輪作を繰り返す)が浸透し、森林が急速に伐採され縮小。このことは未開の森林に根づいていたヨーロッパ古来からの原始的治療文化の縮小も意味するだろう。 北欧と地中海を結ぶライン流域の交通路が開かれ、ここに点在する僧院にユダヤ人学者が招かれ、聖書、アラビアの哲学・科学・医学の研究が再開される。また、スペイン、シチリア経由でもアラビア文化の影響を被る。このころのヨーロッパ医学はアラビア医学の引き写し。 やがて、封建農村のなかから自治都市が成長してゆく。都市の発達は、医学の発達につながるものでもあったことを想起されたい。都市には修道院が付属し、そこに世俗医師が住み込み、尼僧が神への奉仕の名のもとに病人を看護した。 悪魔憑きは告解後、修道院で祓魔術(エクソシズム)を受ける。その後、病人として看護されるか、修道院にとどまり、絵画・工芸・農耕などで一生を終えることもあった(しかし、比較的上流の都市民に限られ、大部分の農民は、医療を受ける機会に乏しく多産多死)。中世封建時代における精神障害者は、真理を告知する役割を持ち、一種の畏敬の念さえ受けていた。パウロの「1コリント1:27」によれば、この世の知者より愚者の方が選ばれる、神の愚は人よりも賢い、とされる。 この言葉はまた女性の神秘家の輩出をもうながした。女性の宗教家は公認の肩書きを持ちえず、神秘家として名を成すしかなかった。神との交流を男女の恋愛にたとえる婚礼神秘主義などが出た。女性の宗教者は、弱者救済、不正の告発にも熱心だったが、異端視される危険にさらされており、近世には魔女狩りの危険もあった。中世における女性文化の重要性は見逃せない。古代オリエントの地母神崇拝、アフロディテ=ヴィーナス崇拝を経て、マリア信仰、聖女崇拝が盛んになる。また、女性崇拝には、アラビア文化における恋愛の賛美の影響もある。民衆レベルでは、農村の村外れに住む「薬草で治療する老婆」による女性の治療文化が存在していた。
近世における魔女狩り 13cにおける知的革命によって[12世紀ルネサンスの一環とも見られる]、スコラ哲学が登場。以後、知に対する評価も次第に変わってくる(ということは「愚者」に対する評価が下がるということ)。十字軍、巡礼、行商人の存在による人口の流動化を背景に、学生の数が増大、同時に浮浪学生も増加。民衆と聖職者の中間にあって、占星術・錬金術・呪術などの秘教的学問に比重が置かれるようになる。 14〜16cのいわゆるルネサンスとは、アラビアやユダヤを介さずに古代文化に直接触れようとする試みであった。このなかで、秘教的ネオプラトニズム(新プラトン主義とも。3cのプロティノスに始まる、流出説、存在の類比、存在の階層、言表不可能なイデアの直観、神秘的合一)も復興を遂げる。ネオプラトニズムは、世界を統合的な全体として体系的に把握しようとする試みであるが、経験科学的ではない。一部は宮廷に流入し、官僚化する。他方、失業大学生、失業魔術師の数も増大。 近世の魔女狩りを用意した背景としては、経済的状況の悪化があげられる。気候の寒冷化、貨幣経済、ペストの流行などで農村が荒廃してゆく。大航海時代以後は、金銀の流入によるインフレ、梅毒の流行が見られる。さらに、いわゆる宗教改革後の宗教戦争によって農村荒廃は決定的になる。このような不安要因の多い世相のなか、秘教的な宮廷知識人には、未来の予知が要請される。そうして、力を付けてゆく一方で、空想的学問しか身に付けていない彼らは、現実的な打開策を打ち出せず、ネオプラトニスト特有のパラノイア的性格によって、責任を外部に転嫁し、魔女狩りのきっかけを作りだしてゆく。実際、魔女に着せられた罪の大半は、生産力の減少に関するものだった。また、魔女の財産は没収され裁判官のものになったので、魔女狩りは官僚の地位の安定につながった。プロテスタントもカトリックも、支配者も民衆も魔女狩りに関しては共同戦線を組んだ。 実際に、魔女のサバト(集会)で行われていたのは、キリスト教以前の宗教的儀礼であった。したがって、魔女狩りとは、中世においては民衆の間で広く受け入れられていた民俗宗教の根絶を意味する。事実、最初に魔女狩りの火がついたのは、民間信仰の影響力が比較的強かった山岳地帯においてであった。 魔女狩りにおいて女性の関与が取りざたされたのはなぜか。一つは、土着の治療文化の担い手が女性であったこと。さらに、貨幣経済と商業の発展のなかで、直接的労働力よりも家計を維持し貨幣経済に適合させてゆく女性の力が増大し、女性の力が次第に畏怖の対象になっていたこともあげられる。 他方、女性のみならず、中世ヨーロッパ文化を支えていたアラビア人、ユダヤ人も迫害される。アラビア人に対しては、十字軍、異端審問。ユダヤ人は至る所で虐殺。 中世初期のヨーロッパの発展は、アラビア人とユダヤ人の文化的橋渡し、女性文化の興隆によるところが大きかったが、政治や宗教の中枢にいた男性知識人たちは、危機が訪れると自分たちの責任が問われることを恐れ、これらに攻撃のはけ口を向け、狂信的に一掃しようとした。だが、ルネサンスの知識人がヨーロッパ独自の科学文明の礎を築いたことも事実。中には魔女狩りに反対するものもいた。空想的解決に行き詰まったところで、彼らは経験科学に方向転換。やがて、17世紀科学革命をまって、ヨーロッパの科学技術は飛躍的に向上してゆく。しかし、それによって世界の植民地化もまた加速してゆく。ヨーロッパの自己同一性は、一貫して<他者>の否定の上に構築された。 ポイント=医学の進歩のストップ、女性宗教者による看護の実践、民間では原始的治療法による女性的治療文化。魔女狩りを通して官民一体で民俗宗教を根絶。土着の宗教的ルーツを失ったヨーロッパ人は、近代科学に突き進む。キリスト教も中世の多様性を失い、個人的信仰に純化。
第5回(20000517) 前回の授業へのコメント 前回はなかなか難しかったという人が何人か、歴史的な話とは言え説明が淡々としているという人が一人、そして多くの人が中世における女性的治療文化の重要性を驚き、近世における魔女狩りを怒っていました。話が難しかったのは、哲学史にかかわるところだと思います。難しいと思われるところには一応の説明はしてありますが、それ以上の基本的用語については、各自でも調べておいてください。それから、やや複雑なところについての質問があったので答えておきます。 「それまで差別の対象となっていた精神障害者たちが、なぜ中世封建時代になると真理を告知する者として受け入れられていったのか、疑問に感じた」 →これはヨーロッパ史を通してやるときに注意することですが、「古代」として扱われるギリシア・ローマなどと、「中世」として扱われるヨーロッパ地域とでは、場所が一致しません。病者の差別は都市国家の成立と関係があるわけですが、中世初期のヨーロッパでは古代オリエントやヘレニズム世界などに見られる城塞都市は十分に発達しておらず、おおむね原始的治療文化の段階にあり、やや分裂病的な気質をもつ呪術師も尊敬されていました。そういう文脈で、パウロの「神は愚者を選ぶ」という言葉も受け入れられたのです。ところで、中世ヨーロッパでも次第に都市が発達してきます。ところがそこでは、精神障害者を含む病者は、古代のように差別されたり追放されたりせず、修道院で看護を受けたり、仕事をしながら普通に生活することができました。これはやはりキリスト教が、もともと差別された病者の救済から始まったということによるでしょう。古代における病者の差別に異議を唱えて教勢を伸ばしたキリスト教が文化の中心であったということを、もう一度確認してください。
講義 オランダにおける魔女狩りの終焉 魔女狩りへの反対は、当時からさまざまな立場の人から出ていたが、それらが直接魔女狩りを終わらせたわけではなかった。何よりもネオプラトニズムが力を失い、観察・記述・分析を主とする世界観が台頭してきたことが大きい。これは、ルネサンスのもう一つの潮流である(シェイクスピア、モンテーニュ、レオナルド、セルバンテス、エラスムス)。 さらに中井は、市民社会の成立が、魔女狩りの終焉にとって決定的だったと見る。他の地域よりも一世紀以上早く魔女狩りが終焉したオランダでは、いち早く宗教上の寛容と商品経済の浸透が見られ、臨床医学(大学で患者を診察しながら医学を研究)の本格的研究も、フランスより二世紀近く早くはじまる。そこでは、精神病者を集団労働させながら治療するという処置もとられていた(作業療法の走り)。 オランダは、密集した自治都市群からなり、商品経済に適した集約的労働が容易で、勤勉と工夫に基づく近代的な職業倫理が根づきやすかった。したがって、経済的問題を幻想的に解決しようとする魔女狩りから離脱する素地が整っていた。また、オランダは、中世においてはスペインの支配下にあり、さらにスペインから異端審問にあって難を逃れてきたユダヤ人が集まってきたため、早くから情報の集積地となっていた。そのうえで、やがて印刷出版業が繁栄し、北方ルネサンスが展開する。スペインからの独立後は、商業国として世界をリードする。スペインからの独立の原動力となったのは、カルヴァン派の信仰であった。カルヴァン派は他宗派との論争に熱心で、狂信的な面もあったが、魔女狩りに重点を置いていたわけではなかった。というのも、その主要な教説である予定救済説によれば、神の予定に対しサタンは無力であり、サタンとの闘争は現世における勤労によって果たされると考えられていたからである。また、アルミニウス派は、予定救済説に対し万人救済説をとり、エラスムス的寛容派とともに魔女狩りに反対した。カルヴィニズムは偏狭で頑迷と考えられているが、カルヴァンはもともと人文主義者であり、オランダではカルヴィニズムは他の自由思想と共存しえた。こうしてオランダにおいて、思想的寛容、世俗化、契約にもとづく人間関係、現世内禁欲、勤勉と工夫による問題解決といった、近代市民社会特有の傾向が定着し、魔女狩りのような、宗教的不寛容に基づく幻想的問題解決は一掃された。
市民社会の成立と近代精神医学の成立 近代市民社会の成立は、魔女狩りを終焉させただけでなく、近代精神医学をも成立させた。 まずカルヴィニズム以後、経済的成功が救済の確証と考えられるようになると、人々は勤労の倫理を奉じるようになる。そのため、悪魔憑きや「阿呆」は、道徳的に堕落した「怠け者」として規定し直され、先に述べたような作業療法の対象となる。 だが、産業革命とフランス革命後、人間集団を統制するモデルが工場・学校・軍隊になると、画一的・能率的な人員管理の手法が精神病者の処置にも適用され、精神病者のみを収容する精神病院が登場し、能率的管理を目指した数千人規模の大精神病院が出現する。その結果、精密な臨床観察、統計的総合、疾病体系の構築が進み、臨床精神医学の伝統が急速に確立される。精神医学の祖ピネルは、精神病者を鉄の鎖から解放し、医療の対象とした。彼の疾病体系の構築は、リンネの分類学的な植物学にヒントを得ている。また精神病者の解放は、フランス革命後の世俗主義的で革新的な政治思想と関連があった。 なお、大規模な精神病院と臨床精神医学が成立するなか、プロテスタント側から慈善的治療をおこなう改革者が出てくるが、医学全体のなかでは、精神病者はとりあえず収容され、観察の対象になっていた。 プロテスタンティズムの勤勉の倫理と近代市民社会の出現とは、精神病者の解放と保護をもたらしたが、その反面、大規模精神病院の問題点も指摘される。そこでは、収容と観察に重きが置かれ、治療上の進展は乏しかった。思いつきていどのショック療法もまかり通っていた。大規模精神病院では数千人の病人が収容されており、ほとんどの疾病の実例を見ることができたが、これはある意味で作られた病気だったのかもしれない。変化に乏しい環境の中、何十年も似たような症状の患者と一緒に収容された患者は、やがて一定の型にはまった症状しか示さなくなる。精神病院が病気を純粋培養する一種の実験室のようになって、症状が常同的になることによって、近代精神医学の疾病体系の構築がスムースに進んだということかもしれない(実際、巨大精神病院が衰退すると、疾患像も多様化する)。こうして、誰が治療者であっても、また誰が患者であっても、一定の基準に基づいた診断と処置が可能になるような精神医学体系が確立される。それは、文化的特殊性も歴史的特殊性もない普遍的な学問体系の確立を目指したもので、これまで見てきた治療文化の多様性とは決定的に矛盾する。精神医学の体系は普遍性を指向するものの、ある時代において、ある地域において急速に形作られたものであり、やはり西洋近代に特殊的な治療文化なのではないかという疑念を免れない。このような「正統的」精神医学に異議を唱える形で出てきたのが、次回紹介するフロイトに始まる力動的精神医学である。(また中井の記述で特筆べきなのは、近世における「修道院/収容所」の階級差(前者が上流)が、「サナトリウム(健康の家)/精神病院」という差に移行し、後の「精神病/神経症」の二分法にも影響したという指摘。)
プロテスタンティズムと精神医学 中井は、プロテスタンティズムと精神医学の関係を、三つの時期に分けて考察している。精神医学の成立のきっかけとしてプロテスタンティズムは重要な役割を担っていたが、次第にそれは世俗主義的・科学主義的な処置(収容・管理)に取って代わられるということである。 第一期は資本主義の草創期で、このころはオランダのところでも説明したように、カルヴィニズムの勤勉の倫理と労働治療が調和していた。 第二期は産業革命後の過酷な弱肉強食と、対外的な帝国主義の時期である。この時期は、「支配の倫理」よく言えば「教育の倫理」が優勢で、征服された者や被支配者などの弱者を教育するのが支配者の責務であるという観念が広がっていた。そして、それに対抗するかたちで何人かのピューリタンによる精神医学の改革運動が行われる。たとえばヨークのテューク家は三代にわたってモラル・トリートメントを実践していた。そこでは軽症患者が村の街路を歩き、時に村人の家に下宿するというかたちで、収容的でない処置が目指された。だが、このモラル・トリートメントは、人道的処置という原意から離れて、道徳的強制力を持った治療の意味に転用されるようにもなった。 第三期は20世紀後半の後期資本主義の時期である。消費文化が興隆するなか、勤勉の倫理への違和感が生じ、ピューリタニズムの抑圧的な勤勉の倫理そのものが精神病の根源として告発されるようになった。キリスト教の抑圧性と病原性の批判は、フロイトやユングにもあり、精神医学の世俗化がすすんでゆく。
ポイント=近代精神医学成立の触媒としてのカルヴィニズム、近代市民社会の成立と大規模精神病院への収容、臨床観察と疾病体系の整理による正統的精神医学の成立、精神医学の世俗化
第6回(20000524) 前回の授業へのコメント (前回の講義のタイトルは「5近代精神医学の成立」です。プリントに書くのを忘れました) 巨大精神病院が、精神病を純粋培養する一種の実験室になって、そこから精神医学の疾病体系が記述されたということに、非人道性を感じると同時に、そこから精神医学が生まれたことに皮肉を感じるというコメントが多かったです。歴史的な事実に関するコメントは難しいという声もあるでしょうが、もう少し、漠然とした印象より深く突っ込んだコメントが欲しいところですね。以下は個別の質問。
「近代市民社会の成立は、魔女狩りを終焉させ、精神医学を成立させたということですが、精神病者も魔女狩りの対象だったということでしょうか」 →複雑なのであえてぼかしたところを突かれました。精神病者は必ずしも魔女狩りの対象にはならなかったようです。もちろん、なった人もいるでしょうが。中世においては一定の敬意を払われていた精神病者は、近世においては排除され、「阿呆舟」に乗せられ、各都市をたらい回しにされたという記述があります(阿呆舟が実在していたかどうかはともかく、ピネルまでは精神病者に拘束具が用いられていたのは確か)。重要なのは「中世:女性的治療文化、狂気の神聖視」→「近世:魔女狩り、阿呆舟」→「近代:魔女狩りの廃止、精神医学の成立」という形で、女性的治療者の扱いと精神病者の扱いとに平行関係が見られるということです。したがって、近代市民社会の成立が魔女狩りの終焉と精神医学の成立をもたらしたということであって、魔女狩りの終焉がそのまま精神医学の成立につながったということではありません。 「“精神病患者”という名目で、弱者や社会に邪魔な存在を排除するような傾向はなかったのでしょうか」 →中世ではらい病者が隔離されていた施設が、ペストで空っぽになると、そこに性病者や精神病者が収容されるようになります(性病者は背徳者としてやがてそこからも追い出される)。精神病者は、最初から「精神病者」とされていたのではなく、厄介者の一つとして考えられていたのではないでしょうか。カルヴィニズム以後は、「怠惰で自分の始末がつけられない貧乏人」として扱われるようになったので、今日でいう浮浪者も含まれていたかもしれません。 「精神病の体系化によって、精神病というラベリングが選考し、個々の病状の個性が見失われてしまったのではないでしょうか」 →その点に注目したと言えるのが、これから紹介するフロイト以後の心理療法ということになるでしょう。
講義 6 精神分析の誕生(中井のテキストを離れて) 精神分析の位置づけ 近代精神医学が成立してしばらくして、疾病体系の次に焦点となるのは治療法の問題である。さまざまな治療法が試行錯誤的に実践されてゆく。そのなかで、外科的処置や薬物処方よりも、面接を主な治療手段とする心理療法の流れが発達してくる。エレンベルガーや中井久夫は、これを力動精神医学と呼び、従来の生物学的精神医学と区別する。ただ、治療法を主にカウンセリングに頼るか、あくまで医学的治療をとるかという点に注目して、心理療法と精神医学と分けるほうが一般的かもしれない。ここで、「心の病」に対する三つのアプローチを対比してみよう。
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心理療法は、心的原因による(心因性の)精神的機能の障害(神経症など)を、カウンセリングを主とする種々の技法によって改善しようとする療法である。それは、器質的原因による精神病(神経症と区別される)を医学的に治療する精神医学とは、対象と治療法を異にしている。また、発病と治癒の説明に関して、宗教的・形而上学的世界観を前提する必要がない。したがって、それは、宗教とも医学(狭い意味での「科学」)とも異なる第三の領域に位置するものである。
精神分析的技法の二つの系譜 西洋近代における心理療法は、宗教的呪術的治療や精神医学と複雑にからみあいながら発達してきた。ヒステリーなどの神経症の治療は、キリスト教のエクソシズム(悪魔払い)、メスメリズム(宇宙を流れる神秘的流体「動物磁気」の乱れを病気の原因とし、磁気を集める装置や手かざしによって、神経症を治療した)、催眠術(単調な感覚刺激や暗示によって、睡眠と覚醒の中間にある催眠状態に誘導するもの。暗示によって症状を除去しようとした)などによっておこなわれてきた。これは宗教的治療法の系譜と呼ぶことができるだろう。つまり、キリスト教的治療儀礼から、必ずしもキリスト教というバックグラウンドを持たない神秘的治療法へとつながり、やがてフロイトの精神分析にも連なる系譜である。 一方、医学の進歩とともに、神経症は精神医学の対象とされ、研究が進められてゆく。しかし、そこではヒステリーなどは、原因不明の肉体的疾患か、さもなくば仮病だと考えられていた。当時の精神医学は、神経症患者の保護と収容と観察と試行錯誤的な治療に終始していたのである。そのような状況において、シャルコーは、ヒステリーを器質的病変の認められない機能的障害であるとした(根本的病因としては身体的要因を考えていた)。また、催眠術と暗示を用いてヒステリー的症状を自在に発生させ、消滅させることが可能であるということを示した。このシャルコーのパフォーマンスを目にして、パリ留学中のフロイトはおおきなショックを受ける。その後ベルネームが、ヒステリーを暗示によって起こる機能障害とし、その症状の除去も暗示によって可能であることを示し、催眠術による暗示療法を確立した。ここで、催眠術が科学的医学に取り入れられることになり、「心の病」を扱う医学的系譜と宗教的系譜が合流し、近代的心理療法の端緒が開かれることになる。
精神分析の誕生 さらにフロイトの友人ブロイアーは、有名なアンナ・Oの治療において(資料参照)、催眠状態にあるときに症状の原因となった出来事を話すと症状が消失するということを発見し、これを催眠浄化法(カタルシス法)として提示した。患者であるアンナ・O自らが、それを「おしゃべり療法」とあだなしているが、この命名は心理療法が面接中心の治療法であることをよく表現している。フロイトもこの催眠療法に着手し、ブロイアーと一緒に『ヒステリー研究』を執筆するが、やがて催眠という技法を放棄する。というのも、催眠術は誰にでも有効というわけでないし、また施術者と被術者の関係に左右されるからである。両者の関係が良好なうちは効果が持続するが、関係が悪化すると効果も失われてしまうのである(これはブロイアーとアンナ・Oの関係によく示されている)。そこで、フロイトは催眠状態における症状の引きがねとなった出来事を想起するのではなく、通常の意識状態における夢の分析および自由連想を進めながら、当の出来事を想起するよう促すという手法をとるようになる。こうして、「医者・患者」間の特殊な交流状態(ラポール)に依存しない心理療法へと一歩を踏み出す。さらにフロイトは、患者を長イスに寝かせ、自らは患者の視野の外、頭の近くに座ることで、治療者の匿名性を徹底させた。 フロイトによればヒステリーなどの神経症の症状は、抑圧された無意識的な心的過程(とりわけ性的な内容を帯びた)の表出として理解される。患者はショッキングな出来事に直面して、それを想起したくないと思い、実際にそれを忘れてしまう。あるいは道徳的に容認されない性的な願望を認めたくないために、実際にそのような願望を持っていないと思い込む。これが抑圧という現象である。しかし、これらの心的過程は無意識的な思考内容として、患者の症状や言動や夢に、歪曲されたかたちで現れる。ということは、それが意識的に想起・是認されてしまえば、症状として表出される必要はなくなるということでもある。こうして、心的外傷トラウマを引き起こした出来事やそれにまつわる感情の意識化が神経症的症状を除去するという臨床的発見が、理論的に説明されることになった。しかし、このような手法は、タブーの告白を治療手段とする治療法の系譜に連なるものであろう。 ポイント:人格的関係(ラポール)や暗示や文化的特殊性を特徴とする宗教的治療とも、非人格性や脱文化性を特徴とする精神医学とも異なる、心理療法としての精神分析。次回の治療文化論で関係を整理。
第7回(20000531) 前回の講義へのコメント 「催眠術はインチキだと思っていた」というコメントが目立ちました。のみならず、前回の講義の「心理療法は宗教でも科学でもない第三の領域」という記述をとらえて、催眠術は医学とは関係ないところで行われていると誤解する人がいました(さらに心理療法=催眠術では必ずしもないことにも注意)。当初は医学で公認されていなかったかもしれませんが、やがて精神医学の中に取り入れられたということを確認しておきましょう。それから、あまりにも催眠療法に関心が行っているようなので確認しておきますが、精神分析は催眠療法ではありません。フロイトが催眠療法を放棄し、自由連想と夢判断を主な手段としたときから精神分析は始まったのです。個別には次の質問にお答えしておきましょう。
「抑圧されている無意識的なものを意識化することは、苦痛を伴うものではないのか。それによって別の症状が生まれないか」 →確かに苦痛は伴うでしょう。しかし、それによって症状からは解放されると考えられます。ある女性家庭教師の患者は、その雇い主への恋愛感情を抑圧していて神経症的症状に悩まされていたのですが、その感情を意識化したあとに症状が治癒して、晴れ晴れとした顔でこういったそうです。「もういいんです。私が心のなかであの人を愛するだけなら自由なんですから」。皆さんはこの言葉をどう思いますか。別の学校で、「これストーカーと変わんないんじゃねーの」とコメントする無粋な人がいましたが(^_^;)。いずれにせよ、抑圧したままにしておくとそれは症状というかたちで表面化することになるが、意識化すると症状としては表出しなくなるという臨床的知見こそがフロイトの発見です。これに反論するためには、意識化が症状を複雑に悪化させるということの証拠を示さなくてはなりません。
講義 7 精神医学の地域性――中井久夫『治療文化論』 文化依存症候群の発見 これまでの話は、治療文化の歴史性にかかわるものであった。中井久夫は他の著書では、治療文化の地域性について分析している。クレペリンのジャワでのフィールドワーク以後(1907)、精神医学の通文化的な比較研究をおこなう文化精神医学が発達してくる。このような研究を通じて、当地の宗教的文化を背景とする、西欧では見られないような心的疾患が、発生するということが分かってくる。これは、文化依存症候群と呼ばれる。このことから、発病と治療の形態が文化によって異なるということが明らかになった。また、文化依存症候群に対して、近代精神医学の疾病体系に記載されているような症状は、普遍症候群と呼ばれ、文化依存症候群との対照が進められた(ヤップの「文化依存症候群の精神病理的分類」)。 しかし、中井は、普遍症候群と言っても、結局はヨーロッパ文化特有の「文化依存症候群」なのではないかとする(たとえば「同性愛ショック」は西欧以外では見られない)。西欧においてある時期に成立した疾病体系に記載されている病気を普遍症候群と呼ぶのはおかしい。実際、普遍症候群がわかりやすいかたちで観察されるのは、西欧においてのみであった。ところがやがて西欧以外でも近代都市が成立したところでは、普遍症候群が顕著になってくる。そして、それ以外の非西欧型・非都市型の文化では、文化依存症候群が依然として目立つ、というという具合に分布が変化してくる。このことから、西欧型・都市型文化では、近代化・都市化の過程で文化依存症候群が無くなってしまったのであり、文化的背景を失って抽象化された病像が普遍症候群と呼ばれているのだ、と結論できるだろう。これまで見てきた通り、魔女狩りによって民俗宗教的背景が一掃されたこと、巨大精神病院においていわば純粋培養された病像が精神医学の疾病体系のもとになったことを考え合わせれば、この説明は納得がゆく。 文化依存症候群は、激烈だが、短くすみ、元通りに戻りやすく、難治性の精神病である普遍症候群に比べれば良性の病と言える。周囲の反応も違う。文化依存症候群はその文化に属する者にとっては容易に理解されやすい病の型であり、周囲は無関心ではあり得ず、何らかの対応を迫られる。経過後は、患者はより安定し確信に満ち、葛藤から自由な人格としてふたたび立ち現れることが少なくない。それによって、病前は内向的な人間だったのが、外向的な人間に生まれ変わることもある。憑依を経て宗教的職能者、あるいは新しい宗教の創始者となる場合もある。逆に文化依存症候群が成立しない近代都市では、精神的な病は、周囲から理解されず、社会的適応の道も閉ざされてしまう。文化依存症候群にあって普遍症候群にないもの、それは病者の尊厳性ディグニティであり、周囲の自然な了解性である。 したがって、近代都市において、精神的な病を個人の生活史から内在的に理解しようとする力動精神医学の流れは、病気を普遍症候群としてのみ見るような従来の精神医学の立場の修正と理解することができる。フロイト以後は、治療者の中立性が押し出されるようになったが、フロイト以前の心理療法では、むしろラポールが治療の手段として活用されており、メスメリズムまでさかのぼれば、特定のコスモロジーを背景とする説明体系も存在してきた。したがって、力動精神医学は、伝統的治療文化の病気理解の文脈が欠落した近代都市において、精神医学の内側にとどまりながら、病をパーソナルな文脈に即して了解しようとする試みだと言えよう。中井は、このように了解される病を「個人症候群」と呼んでいる(ただ「個人」という言葉は「パーソナル」という意味で理解しておこう)。改めて定義すれば、個人症候群とは、個人的人間関係のなかで発生し治療されるような病の形態で、文化的認知度が高くなく、非典型的なものが多い、ということである。力動精神医学は、このような癒し癒されるパーソナルな人間関係の意図的(疑似的)構築をはかるものと理解される。
「治療文化」概念の提唱 以上のことから病の理解は、その診断主体や文化的背景によって大きく異なることが分かる。このことから、中井は、「治療文化」概念を提唱する。それは、診断と処置の文化的体系のことである。先の三つの症候群はそれぞれに対応する治療文化を持っている。普遍症候群は近代精神医学システム、文化依存症候群は隣人や地域の治療師や役人を含んだコミュニティ単位のサポート・システム、個人症候群は家族・近親者・熟知者などからなる患者を取り巻く個人的人間界の輪からなるケアのシステム、である。 そこから中井は、患者と治療者の関係性に注目して治療文化を類型化してゆく。まず、個人的治療努力と自然回復力の複合による治療の試みがあり(一人治療文化)、それがうまく機能しないか、あるいはむしろマイナスのほうに働けば、治療のために他者が動員される。それが個人的人間関係である場合、とりあえずその病は個人症候群としてケアされていることになる(家庭治療文化、小コミュニティ治療文化)。しかし、この個人的人間関係が治療文化としてうまく機能しないか、あるいはむしろマイナスのほうに働けば、さらにその外側の文化的治療システムが動員される。その場合、病は文化依存症候群として取り扱われることになる(さまざまな伝統的治療文化、たとえばシャーマニズム)。しかし、このようなコミュニティ単位の治療文化もうまく機能せず、あるいはむしろマイナスのほうに働けば、近代精神医学システムが動員されることになる。この場合、病は普遍症候群として治療の対象となるだろう。誰が見ても誰が治しても誰が患者であっても一定の効果が見込まれる精神医学では、治療者は徹底的に中性化され、患者は徹底的にモノ化される。理性を失った患者を社会から隔離収容し、理性的合理的に統制し治療を施し、病を根絶することが最終目的として目指される。これは、それまでの「病が根絶されないが適応している」状態をよしとする治療文化とは決定的に異なるあり方である。 「患者=治療者」であるような一人治療文化(文化以前)から、「患者≠治療者」であるような正統精神医学(脱文化)へ。このあいだに治療文化が分布する。かつては自らも病人であった治療者がその経験を生かしながら治療に当たるという形態が、多くの治療文化のあり方である。精神分析などの治療文化は、治療者の中立性と患者の個性の尊重を両立させることで、病者を人間的にサポートするという、近代精神医学において失われた治療文化の機能を取り戻したと言える。 精神医学の君臨する近代都市では、「健常者」の多くは、病否定的な価値観を内面化させられ、精神病院に入っていない自分は強い自我を持った人間であると考え、逆に多少のストレスを抱えていても表面化させないよう自制する方向に向かう。それは、むしろ破断が起きたときの状況を悲惨なものとするだろう。これと正反対の社会とは、苦や病を否認せず、直視して、排除せずに社会全体で取り組みケアするような社会であると言えよう。また、心の病をむしろ成長のチャンスとするような考え方は、現代でも、心理療法の浸透した社会では、優勢になりつつあると言ってよいだろう。 ポイント=三つの治療文化、文化的特殊性の濃厚な伝統的治療文化、抽象化された近代精神医学システム、力動精神医学によるパーソナルな治療文化の補完
第8回(20000607) 前回の講義へのコメント 漢字を使った長ったらしい造語のせいか、難しく感じる人が多かったようです。具体的な事例がなく抽象的な類型論が続いたせいもあるでしょう。しかし、ポイントはいたってシンプルです。病気の見方と治し方は、文化によって違う。見方と治し方の体系を「治療文化」と呼ぼう。これまでこの講義で見てきた治療文化は大きく分けて三つある。伝統的治療法と近代的精神医学と、フロイトがはじめた力動精神医学である。近代的精神医学が宗教的背景を払拭するあまり、人間味の薄いものになってしまい、患者が物のように扱われるようになったのに対して、力動精神医学は人間味あふれる治療的交流を取り戻したのだ(あくまでも医学の中で)、と。これが筋ですから、見失わないようにしてください。
「文化精神医学によって文化依存症候群が見いだされたことで、精神病の治療の仕方が変わったということはないのですか」 →先週 説明できなかった新聞の切り抜きをちょっと見てみましょう。これはカトリックと混淆しながら原始的治療法が今でも生きている地域の話です。呪い返されるのが怖くて犯罪が起きない、などと書かれてあります。今でもこういう地域があるんですね。ところで、中井久夫によると、1976年のアルマ・アタ宣言後、文化依存型の治療、いわゆる民間療法は、今日どの国でも盛んになり、国際的市民権を得たとあります。アルマ・アタ宣言とは、医療の遅れた地域におけるプライマリ・ヘルスケアの充実を謳ったものです。つまり、継続的な医療が根づく努力をしながらも、地域住民の活力を最大限に活用しながら、地域住民がまず最初に触れるヘルス・ケアの体制を整えることを目指すものです。その一文に、「必要によっては伝統的医術者と、社会的にも技術的にも保健チームを作って働く」というのがあります。ちなみに、この宣言でもう一つ重要なのは、第一条に「健康とは身体的、精神的、社会的に全く健全な状態であり、単に疾病がなく、看護の不要な状態を指すのでない」というホーリスティック(全体論的)な健康の定義が掲げられていることです。つまり肉体的疾患の不在が健康なのではなく、精神的にも満たされた状態が健康だというのです。これは今日やることにつながってきます。 ところで、中井久夫は、民間医療が脚光を浴びる一方、彼らが貨幣経済に弱く、大げさな治療美談集の作成、誇大宣伝、高額の報酬の要求、団体への加入強制などが起こるということを指摘しています。コメントのなかでもこうしたことを危惧する人がいました。この原因は、「万能治療者幻想」に対する抑止力が文化依存型の治療文化に欠如していることと、治療者の傲りヒュブリスにあるとされます。“弱者への愛に満ちあふれた菩薩のごとき治療師イエスは、まことに希有な存在であった。精神的治療者の自己陶酔は、はっきり言って有害であり、治療者を崇拝する患者は、医者離れができない。治療者は傲りに陥らず、弱者に共苦共感する治療師イエスを目指すべきである”というのが中井久夫の信念のようです。
8 神なき時代の精神医学 向精神薬時代の到来 19世紀までの精神医学は、巨大精神病院の時代で、診断と疾病体系の構築に力を入れるが、治療法の開発はうまくゆかず、そのような状態のなかで20世紀に入ると、フロイト以後の心理療法あるいは力動精神医学が発展してくる。他方、20世紀に入ると同時に、向精神薬の発見が進み、1950年代には代表的な向精神薬が出そろう。ここにいたって生物学的精神医学は、有効で安定した精神病の治療法を確立することになる。フロイトは、当初から、精神病ではなく心因性の神経症のみを対象とするとしていた。そして、フロイト以後は、精神病は精神科医による向精神薬の投与、神経症は心理療法家によるカウンセリングという具合に役割分担が進むかのように見えた。しかし、次第に向精神薬は、神経症的症状の対症療法にも用いられるようになる。そして、何年もカウンセリングに通ってなかなか治らない患者が、向精神薬を投与したら「良くなった」という事例が、次第に目立ってくる(本当に良くなったのかどうかはともかく)。それによって、アメリカでは、精神分析家を中心とする治療チームが衰退した。だが、このことは逆に言うと、心理療法が、比較的軽度の心の悩みを持つ患者に開かれ、一般化することにもつながる。 なお別紙プリントの「向精神薬」「向精神薬副作用」(共に弘文堂刊『新版精神医学事典』)を参照。 神なき時代の精神医学 中井久夫によると、神の前にただ一人「自己」として立つというピューリタニズムは、次第に自己を肥大化させ、神への信仰が衰退すると、肥大した自己だけが残った。宗教家たちが、科学と競合して神についての瑣末な論議をすればするほど、世俗の知識人は、人間心性への探求を宗教に求めなくなり、心理学者や精神科医に求めるようになる。「自己」の終わりなき探求と、セラピストの神格化が近代精神の特徴となった。「万能治療者幻想」への誘惑への抵抗が治療者の課題であると中井は締めくくる。 これで『西欧精神医学背景史』は一通り紹介したことになる。しかし、本講義「癒しと宗教の歴史」は続く。今日は、補足として現代における心身医学の展開として、ホーリスティック医学運動を取り上げる。
補足・ホーリスティック医学運動 ――ワイル『癒す心、治る力――自発的治癒とは何か』(角川文庫) よく健康食品の宣伝や、民間療法あるいは宗教団体の宣伝のなかに、ガンの奇跡的治療の体験談が含まれていることがある。しかし、これは実は奇跡でも何でもない。医者の間では、「自然退縮」「自然寛解」と呼ばれ、ごくまれだが起こりうる事例として考えられている。しかし、どういうメカニズムで自然寛解が起こるのかという問題に関しては、十分な研究が進んでいない。著者(ハーヴァード出身の医者で代替医療の第一人者)は、実はガンの自然退縮などは生体の自発的治癒の一例に過ぎないと考える。そして、DNAの自己治癒システム(複製システム)、細胞の自己診断・自己治癒システム、組織・器官における自己治癒の働き、例として創傷の治癒、単純骨折の治癒のメカニズムを紹介し、生体には「治癒系」(ヒーリング・システム)が備わっているとする。生物学に偏る医学が治療対象となる生体の構造にばかり注目するのに対して、著者が注目するのは治癒の機能の非実体的なシステムである。このような治癒系はまだ科学的研究が進んでいないけれども、自己治癒能力が発揮された症例を無視するのは科学的態度とは言えない。著者は、世界中の民間療法の「奇跡的治癒」の事例をフィールドワークし、データとして蓄積するところから経験的研究は始まると考えている。 興味深いのは近代医学で治療困難な症例において、代替医療が功を奏することが頻繁にあるということである。しかし、これは「近代医学で治らないのに」ではなく、「近代医学で治らないからこそ」である。近代医学は、ある限定された症状のみに効く治療法、著者のたとえによると「魔法の弾丸」を評価する傾向がある。いろいろな効能のある漢方薬などあいまいで科学的でないとされる。しかしながら、このような「魔法の弾丸」は、本来ほかに施しようがない場合の最終手段であるべきである。場合によっては、根本的な原因を解決しないまま対症療法に終始し、副作用をもたらし、患者の自己治癒能力を奪うことがある。このような場合に、近代医学の処方を断って、患者の心と体の全体を活性化させ、自己治癒能力を引きだすような代替医療のほうが功を奏する可能性は十分にある。 資料の紹介・「強皮症を自分流に治したジョンの事例」「ルルドの奇跡の一例」「相互誘導イメージ療法の事例」「心理的・霊的な自己変容を通じてガンが治癒した日本人の例」 著者はこうして、「治療」と「治癒」を対比し、身体的症状を「治療」するのではなく、患者が心身ともに「治癒」するのを助ける医学を提唱する。以上の事例からも、心身の相関、治療よりも治癒ヒーリング、信念やイメージの重要性といった特徴が分かるだろう。 実際には、現代医学はこれと逆行する方向を探っているとも思われる。心因性の病名を減らすことが医学の進歩と考えられている。暗示によるプラセボ効果が忌避される。治癒に役立つ心理的要因として重要な働きをすることが分かっているのに。同じことは、今日紹介した向精神薬に依存する精神医学に関しても言えるだろう。心因性と思われていた症状の原因は脳内の働きに求められ、向精神薬によって治療することが可能である。この発想の延長上に、心とは脳内の現象に過ぎないという大脳生理学的還元主義がある。これは科学哲学的に見れば、誤った推論と言わざるを得ない。なぜなら、脳とは「心」の作用の生体レベルでの現象に過ぎないという逆の解釈の余地を無視してしまうからである。どちらが、われわれの「経験に近い」かは論じるまでもない。いずれにせよ、このような「経験から遠い」精神医学は、一般大衆からは遠い存在になり、むしろ心理療法の大衆化を促すことになる。 ポイント=精神医学における向精神薬への依存、心理療法への大衆化へ、近代医学への医学内部からの疑問、治療概念に対する治癒概念、心身全体の健康を目指すホーリスティック医学
第9回(20000614) 前回の講義へのコメント 「自己治癒能力の話など考えると、人間ってすごいなとか、近代医学の介入のしすぎなどについて考えますが、昨年うつ病を患っていた知り合いが退院して、しばらくして自ら命を絶ったことを思い出しました。周囲に隠していたのでよく分かりませんが、もし向精神薬を投与していたらと思わずにはいられません」 「私のおじはうつ病だった。医者に言われたとおり抗うつ薬を服用していて、薬が切れたときの発作的な自殺で、おじは命を落とした。うつ状態を脱するために薬を飲んでいたわけだが、薬が切れると、それまで以上のうつ状態に陥り、その差が激しすぎるために、恐ろしいほどの無力感に襲われる。おじは、“根本的な原因を解決しないまま対症療法に終始し、自己治療能力を奪われた”患者だったと思う」 「ただでさえ、親しみにくく、“こわい”イメージのある精神病・精神病薬なので、中途半端な精神病薬の説明はかえって偏見を助長させる危険があると思います」 →前回は、向精神薬時代の到来を前半のテーマとしており、そのプラス面とマイナス面の両方を紹介したつもりです。プラス面としては、それまで手の施しようがなく、病院に収容するほかなかった患者をも治療する手段を提供したということがあげられます。それによって、精神病者のノーマリゼーション(閉ざされた施設に収容するのではなく、健常者とともに地域社会で生活することを目標とすること)が進み、巨大精神病院の時代は終焉を迎えることになりました。精神病者のノーマリゼーションにはもちろん不慮の事態も伴います。うつ病患者の自殺阻止は不完全なものとなりますし、先だってのバスジャック事件などの例もあります。しかし、施設に隔離・収容する方向よりは人道的だというコンセンサスがあります。向精神薬の副作用のリストの紹介は、近代医療が、ある特定の症状のみに確実に効く治療法、ワイル言うところの「魔法の弾丸」で武装する傾向のあることを紹介するためのもので、別に向精神薬への恐怖心を植え付けることをねらったものではありません。私の視点は歴史的な動きのほうにあり、“向精神薬はそれを必要とする重度の精神病者にとっては救世主であり、それによって、力動精神医学以降の心理療法は軽度の悩みを抱える人向けのものとして大衆化した”ということを指摘することが目的でした。そして、同じく大衆レベルで受け入れられている代替医療の動きを見るために、ワイルの紹介に入ったのです。
「ガンの奇跡的治療法が奇跡ではなく自然退縮だということを知ってがっかりした」 「代替医療のなかにはいんちきもあるのではないか。それによって近代医学が全否定されるとは思わない」 →混乱があるようです。ワイルの議論は次のようなものです。医学では治らない病気が代替医療で治ることがある。それは奇跡ではなくて、治癒系の活性化によるものであると考えられる。この治癒系のメカニズムを解明することが、医学の発展にとって重要である。まずは、いわゆる「奇跡的治癒」の事例の経験的研究が必要である、と。したがって、「奇跡的治癒」は奇跡ではない、ということはそれを奇跡とする人たちが誤っているということを言いたいのではなく、「奇跡」の存在を肯定的に受け止めたうえで、そのメカニズムを解明しようという姿勢だということを確認してください。そして、このような探求の方向性は医学否定を目指すものではないということも確認してください。
講義〜前回やり残した部分。事例の紹介に時間を割く。 1)「強皮症を自分流に治したジョンの事例」〜中井の言う「一人治療文化」。2)「ルルドの奇跡の一例」〜現代に生きる宗教的治療文化の例として。3)「相互誘導イメージ療法の事例」〜心理療法の手法を用いたイメージ療法、心身相関、ホーリズム思想。4)「心理的・霊的な自己変容を通じてガンが治癒した日本人の例」〜病を通じての成長という視点 治癒系に関する補足「治癒系は、細胞の成長と増殖に影響する促進因子と抑制因子のバランスのとれた相互作用に依存している。治癒系は、外傷や病気の対処に必要とされる特殊な機能に加えて、常日ごろの健康を維持するという働きをしている」。 賢い患者の七つの戦略=否定的見解を認めない。積極的に助けを求める。治った人を探しだす。医師との建設的な関係を作る。人生の大転換を恐れない。病気を貴重な贈り物と見なす。自己受容の精神を養う。 「治療/治癒(癒し)」=「部分的/全体的」「対症療法的/自己治癒能力の活性化」「病否定的/病は成長のチャンス」「身体的疾患のみ/心身相関の重視・生き方の変革」
第10回(20000620) 前回の授業へのコメント 前回は、ワイルのあげた事例を中心に見てゆきました。事例が多いのでわかりやすかったという人、自己治癒能力の事例にびっくりしたという人、正直言って信じがたいという人がいました。ところで、奇跡的治癒はあるのかないのか、ということは、この授業では取り立てて問題としません。これは宗教学の方法に関わる点だと思いますが、真偽の証明は最終的にはできないので、踏み込まないでおいて、むしろそれが人間の文化的現象としてどのような意義を持つのか、という点に絞って探求をする、このようなスタンスを一貫してとっているということを確認してください。したがって、レポートでは「すごいと思った」とか「インチキだと思う」では、いい点数をあげられないので注意してください。 なお、懐疑派は、こんな治癒が起こるなら、ガンの人はみんなこれをやればいいじゃないか、と一様に声をそろえてコメントしていますが、これに関しては授業中でも何回か言っているように、“ある特定の症状に確実に効く治療”ではなく、“ある個人の生き方全体のなかで生起する症状の個別的ケア”が目指されている、ということを確認してください。だから、“この奇跡的治癒は、誰にでも、どんな場合でも、確実に起こる”と宣伝するようなものは、ワイルの言うホーリスティック医学の基本思想とは相いれないのです(ワイルの「一人の人にこうしたことが起こるなら、ほかの人にも起こりうるのではないか」という発言が誤解されているようです)。それにしても、ルルドの事例のように厳密な調査が施されていて、信頼のある学問的メディアに医師によって報告された事例を、頭ごなしに「信じられない」と考えるのは、ちょっと頑迷すぎはしないでしょうか。
講義 9 近現代の日本における癒しと宗教――心理療法と宗教のあいだ
弓山達也「日本におけるヒーリング・ブームの展開」、『宗教研究』308号(1996) プリント資料参照 図3、図4→活字メディアにおける「癒し」「ヒーリング」関連記事の増大、1990年前後に現れ、1994年後半から本格化 図1、図2→著者の1995年の調査。大学生のヒーリング体験29.1%は、同時期同世代の別の調査で「現在信仰を持っている」6.7%に比べれば多い。また、図2からは「ヒーリング」「癒し」という言葉が、だいたいどのような内容かがわかる(その他の項目の少なさからして質問者の提示した選択肢はほぼ網羅的)。ちなみに、宗教を通じてのヒーリング体験のほとんどは街頭での手かざし。 新聞記事の分析→音楽に関連する記事が多い。ニューエイジ思想とのつながり。次は医療関係が多い。死の問題、医療倫理、心の病との関連。
以上を見たうえで、弓山はヒーリング関連領域を次のように同定 1)ニューエイジ〜先端科学論、心理療法、瞑想やリラクセーションなどの身体技法、チャネリングなどのシャーマニスティックな実践などからなる現代アメリカの思想運動。科学と宗教の総合、自己変容が人類の意識の進化につながるとする考えなどが特徴。日本では「精神世界」の名前で呼ばれる(以上は堀江の補足)。個人の意識変容と自己実現のプロセスがヒーリングという言葉で形容されることが多い 2)ホリスティック医学運動〜1970年代アメリカで起こった医学改革運動。ホリスティックな健康観、自然治癒力の重視、各種治療法の総合、病への気づきから自己実現へという特徴(先に見たワイルの思想に代表される)。 3)宗教〜新聞では宗教関連の記事は基本的に事件が起こったときしか載らないが、1970年代以降に台頭してきた宗教では、癒しが大きな位置を占めている。 また、ヒーリングの広がりの経緯として、1973年のオイルショック、経済至上主義の見直し、1980年代、ニューエイジ思想の輸入、1990年代、バブル崩壊後、精神的安らぎの希求、各種健康法の再評価、「癒し」「ヒーリング」という言葉の一般化。
新屋・島薗・田邊・弓山『癒しと和解』(ハーベスト社) ウェーバーは、宗教史における合理化プロセスを指摘した。実際、既成宗教の多くは近代化をはかり、教義を合理化し、呪術的実践やアニミズムを排除してきた。他方、近代においては、病気治し的実践を伴う新宗教が台頭してくる。新宗教は、近代化にともなう地域・家族共同体の崩壊の受け皿として機能し、単なる病気治しにとどまらず、共同体的機能の肩代わりも果たしている(中井の治療文化論を想起せよ)。また、現代の癒しの運動には、医療における身体的 cure から精神的 care の重視という方向性も反映されており、医学の当事者も深くコミットしている。なお、関係性の和解に関しては、自然との共生・調和を説くエコロジー思想との関連も指摘される。 以上の癒しをめぐる運動の状況を概観したうえで、著者たちが定義する「癒し」とは次のようなものである。「癒し」=身体的「治し」+精神的「救い」+関係性の「和解」。 本書では事例として、日本の新宗教における癒し(ほんぶしん、天理教、金光教、真如苑、立正佼成会)など、世界各地のキリスト教における癒し(韓国、日本、アフリカ、アメリカ、イギリス)、その他、教団に属さない癒しの実践(気の癒し、風水)、心理療法と癒しの関係が取りあげられている。なお、大正期における日本の癒しの実践については、田邊・島薗・弓山編『癒しを生きた人々――近代知のオルタナティヴ』(専修大学出版局、1999年)を参照せよ。この分野では、日本は決して思想の輸入国ではない。 ここでは島薗論文を取りあげる。島薗は、伝統的宗教的背景と近代医学との接触から生まれた代替知運動(宗教的治療だけでなく、農法や健康法をも含む)を広く研究している(新宗教研究の第一人者でも)。
島薗進「救いから癒しへ――吉本内観とその宗教的起源」、『癒しと和解』所収 島薗は、心理療法的な要素と宗教的な要素をもつ癒しの運動を「心理=宗教複合的運動」と呼ぶ。まず、1)科学的なものとしては、エレンベルガーの描いた、メスメルからフロイトへという道筋が考えられる。しかし、それ以外にも、宗教から心理療法への転換はある。2)宗教内にとどまるものとして、島薗は、キリスト教では、アメリカにおけるニューソート運動やクリスチャン・サイエンスを例としてあげている。ここでは「思考の転換による治癒」が信じられ、実践される。これらに影響を受けた日本の新宗教には「生長の家」がある。いずれにせよ、人間を越えた神の力によって救済されるより、人間の内側に眠っている神的力を解放することによって本来的なあり方を実現しようとするものである。(プリント資料。N・V・ピール『積極的考え方の力』ダイヤモンド社、185-8頁。谷口雅春『私はこうして祈る』日本教文社、89-91頁。自己暗示的要素と楽観的人生観。ポジティヴ・シンキングとして有名)。また、3)宗教と科学の境界にあるものとしては、代替医療に近く、純粋なアカデミズムではあまり認められていないような種々のセラピーもある。ニューエイジに近いものなど。 科学的心理療法に近い日本における事例としては、森田療法と吉本内観があげられる。いずれも、宗教的背景を残しつつ、アカデミズムでも認められている。本論文では吉本内観が事例として取りあげられる。
<吉本内観の実践> 集中内観=1平方メートルほどの空間で1週間、朝5時半からよる9時まで、食事や入浴の時間を除き、過去の自分と他者の関係について徹底的に反省。特定の他者について「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を振り返る。まず母親から始める。小学校低学年から3年ごとに区切り、次第に現在に近づいてゆく。次に、父親、兄弟、先生、友人、上司というふうに勧める。指導者が、1時間はんから2時間起きに訪れ、経過報告。内観の仕方について簡単なアドバイス、問題がなければ相づちを打って、次の課題を確認。 日常内観あるいは分散内観:自宅で毎日おこなう内観。これを継続するのが理想的。 集中内観は、現在、全国各地の病院や刑務所・少年院、高校の施設などで取り入れられている。 <吉本内観の背景> 吉本伊信が創始。1917年生まれ。浄土真宗のなかの異端的な秘儀的集団が出所。隔離された場所で、断食断水断眠の状態で、悪人としての自覚を徹底することで(身調べ)、阿弥陀仏による救いと極楽往生を確信するような神秘体験に達する。しかし、吉本伊信は、神秘体験だけでは信仰が長続きしないのを見て、自己省察の深さとその継続を重視する立場に。以後、吉本内観として普及に努め、心理学者や精神科医に評価されるようになる。その過程で、宗教色は薄まり、阿弥陀仏との出会いよりも、現実の他者との関係性における変容が重視されるようになる。 プリント資料・吉本内観のふたつの事例(『心理臨床大事典』培風館、354-6頁)
cf. 森田療法 <森田療法の実践> 臥褥療法(4〜7日間)〜外界から隔離された病室で、洗面・食事・用便以外は、終日ベッドの上で過ごす。談話・読書・喫煙など、気を紛らわす行為は禁じられる。医者は、この間に患者の行動を観察し、診断、森田療法に適するかどうか判断。また、休養と隔離により心身の保護をはかる。やがて煩悶期が訪れ、患者の神的不安、苦悩、空想、葛藤に直面、感情的緊張を得たあと、苦悩は急速に衰える(患者にはこのことをあらかじめ告げておき、不安が高まっても何もせずに成り行きに任せるように指示)。その後、一転して退屈を感じ、何かをやりたい、体を動かしたいという活動欲を感じる退屈期が訪れる。 作業療法〜(1)軽作業期(3〜7日間)、臥褥期との連続、隔離された環境は継続、自主的・自発的にしたい作業を、少しずつ段階的に量を増やしてゆく。(2)重作業期(7日前後)、患者の状態に応じて適度の作業、仕事の価値の高低にこだわらず、仕事そのものを喜ぶ態度の育成、これによって、自己の価値にこだわる神経症的生活の改善を目指す。不安や苦しみをなくそうとせずに、あるがままに受容しながら、やりたいこと・やるべきことはやるという生活態度へ。(3)実際生活期(7〜14日)、外部との接触、施設から学校や職場に通う。 <森田療法の背景> 森田正馬が創始。1852年生まれ。東京帝国大学医学部出身で精神科医としてのキャリアを積む。作業療法に従事。また、フロイトをはじめとする西洋の新しい心理療法を次々に追試した末、日本人の神経質に適合的な森田療法を編み出す。自分の不安や悩みをコントロールしようとするとますますそれが強大になってゆくのが神経質であるという観点に立ち、「とらわれ」からの解放を目指す。最終的には、自然の調和する力を回復することが重要。フロイトの心理療法は、意識のコントロールを強める方向にあると批判。それに対して、森田は、東洋的自然観と仏教的無我論を背景としてほのめかす。また、作業療法による精神的変化という考えには、癒しの思想全般に共通する心身一元論が見られる。そして、その背景としては、禅寺での生活実践がモデルとしてあるとも言われる。
ポイント=近現代日本における多彩な癒しの運動、宗教的ルーツをもつ科学的心理療法としての森田療法と吉本内観、欧米と日本での同時代的展開、現代の癒しブームの思想的背景に
(吉本内観と森田療法の説明は次回)
第11回(20000628) 前回の授業へのコメント 現代のヒーリング・ブームに関して、身近な素材を持ち出して、それに対する自分の態度をコメントしてくださった方が多かったです。そのなかで、現代のブームは消費主義的ではないかという意見を出してくださった方が、何人かいました。 ここら辺は、“聖・俗・遊の関係の近代における変化”という視点から切れると思います。スポーツにせよ、旅行にせよ、みんなでお酒を飲むことにせよ、その起源は、実は宗教的なものに探ることができます(驚)。近代において、仕事(あとに何かが残るもの)より労働(お金以外何も残らないもの)が優位になると、時間と空間の双方において、労働の領域と余暇の領域が区分され、余暇における遊びが消費行動として自立してゆきます。遊びは、労働でないものの個人主義的な享受という意味合いを強めます。そして、もう一つの「労働でないもの」である宗教的行動を「気晴らし」として吸収してゆくのです。 いずれにせよ、「ストレス」という言葉がキーワードです。「ストレス」という言葉が重要性を帯びれば帯びるほど、それは消費行動を誘発します。景気が悪くなって、消費行動が鈍ると、大型レジャーよりも、ミクロなヒーリング効果が注目されるということかもしれません。宗教がその真実味を失って、尊敬されなくなるきっかけも、やはりお金にまつわることです。現代宗教は消費行動と切り離しては、存在しえません。いずれにせよ、聖の遊への吸収、そして俗の領域におけるストレス解消としての遊の貧困化、という状況のなかで、真に精神的なものを探求することは極めて困難になっていると言えるかもしれません。 「癒し=治癒」は、本来的には自動詞的なものであり、他動詞的な側面が強くなれば、それは「治療」と変わらなくなってしまいます。「癒し」はあくまでもテクニック化してはいけないし、癒しの主体である心と体の全体性は、操作の客体にはなりえないのです。“今の自分は本当の自分じゃない、癒されて新しい自分になる”という発想は、“今の自分でなくなるのなら、少しぐらいマインドコントロールされても構わない”とか、“会社を辞めてインドに行ったほうが楽に本当の自分を見つけられる”とかいうのと同じことです(cf. 香山リカ『『<じぶん>を愛するということ――私探しと自己愛』)。この講義は、ブームを越えた/ブームの根底にある「癒し」の原点を確かめるという意味があるでしょう。
講義 前回やり残した、吉本内観と森田療法を説明する。森田療法の事例の補足として、対人恐怖症へのアドヴァイスを一つと(http://www1.odn.ne.jp/kurokawa/morita-4.htm)、日記指導法の資料を一つ(http://www.mediac.com/morita-therapy/J107.html)取りあげる。どちらもインターネットで探し当てた資料。なおレポートで、インターネットを使う場合には、引用は最小限にとどめ、必ずURLを書いておくこと(引用ばかりのレポートは不可であることと、私は手軽にインターネットを使用できる環境にあることが理由)。また、きちんとした論文には、インターネットはなるべく使わないこと(まだ出版された資料に比べて信用性が薄い)。
来週は最終回。今までの話の総括。癒しと治療文化の哲学的考察は、これまで歴史的な流れや事例の紹介が多かったので省略する。
第12回(20000705) 前回の授業へのコメント 相変わらず紹介した事例への個人的な感想が多いです。なかでも森田療法への共感が目立ち、私も対人恐怖症とまではいかないが、人の目が気になるということはあり、そういうことへのとらわれから脱することを目指すというのは分かる、というコメントが多かったです。もうちょっと深いものとしては、この療法と日本文化との結びつきに言及しているものがありました。 対人恐怖は、集団主義的な日本人が不特定多数の人々と対人関係を結ぼうとするときに陥りがちなものとしてとらえられています。また、強迫神経症も、勤勉さを尊ぶある時期の日本人、あるいは現代でも「良い子」志向の強い人には、よく見られると考えられています。森田神経質が、欧米に追いつき追い越せと奮闘していた近代日本人において顕著なのは、この意味からよく理解できます。また、森田療法は、「とらわれからの解放」ということをテーマとし、自己否定と自己コントロールではなく、自己肯定と生きる欲望のとらえ返しをはかろうとしました。仏教の無我説はもともと自己否定的な側面を強く持つのですが、日本に入ると、誰もが仏性を持っているんだという自己肯定的側面が強調されます。したがって、森田療法は、近現代の日本人が陥りがちな悩みを解決するために、日本的な仏教観に依拠したのだととらえることができるでしょう。吉本内観も、近代化にともなう情緒的結合としての家族の再定義という文脈のなかで、親からの自立と罪悪感をテーマにしていますが(これはフロイト以後の精神分析のテーマでもある)、つながりを深めるところが日本的解決と言えるでしょう。いずれにせよ、歴史によって、文化によって、問題となる病のあり方が異なり、それへの対処法も異なるという点を考えるための素材としてとらえていただきたいと思います(単なる印象論にとどまらず)。
講義 10 ベラーの宗教進化論における癒しの位置 これまで、原始的治療法の諸相、西洋における癒しと宗教の関係の歴史、現代における癒しの運動を概観してきた。これらを、宗教史の流れにおいて理解し、癒しとは何かを、宗教との関連において考察したい。 R・N・ベラー「宗教の進化」、『社会変革と宗教倫理』(未来社、1973年)を参照。 宗教進化論:「宗教」=人間をその究極的条件に関わらせる象徴的な形態と行為(狭義の「宗教」概念――たとえば教義を信奉する集団組織など――とは区別)、「進化」=高度になるという意味ではなく、環境適用能力を付与するような組織の分化と複雑性の増大する過程
原始宗教 宗教的象徴体系:「神話的世界」、現実世界のあらゆる事柄と密接に関連、流動的で厳密な定義が欠如 宗教的行動:一体化、参加、融即。儀礼における神話的存在との一体化(祈りの対象ではない)、儀礼は神話の再演。選択・意志・責任の要素がなく固定的。 宗教的組織:社会と一体(政教一致)。しかし、専門化したシャーマンや治療者がいる場合も。 社会的含意:儀礼による社会的連帯の補強、神話と儀礼は不断の修正と変更の過程にある。しかし、その柔軟性によってかえって根本的な革新が起こらない。 〜原始的治療儀礼:集団沸騰のなかに没入することでトランス状態になり、それを通じて俗なる生活空間から聖なる儀礼空間に入る。宇宙創造神話の再演による、創造する力を癒す力に転用。集団による聖なる時間と空間の儀礼的再演を通して、病という非本来的状態から心と体の全体的健康という本来的状態に復帰し、それを通じて生まれ変わる。場合によってはそれがイニシエーション儀礼として機能。
古代宗教 宗教的象徴体系:神話的存在の特徴が明確化。偉大な模範的人間像。人間とは異なる次元にあるものとして対象化。人間界に働きかけるもの、人間はそれに対して何らかの仕方で対処しなければならない。「神」的存在。世界は階層化。読み書き能力が達成されたところでは、神話は批判の対象となり、そこから革新的な思弁が起き、次の歴史宗教へ接続。 宗教的行動:礼拝の形をとる。人間と異なる神的存在との相互作用。供犠の儀礼。人間がいかなる意図を持っているか、それに対し、神がどのように反応するか。選択・意志・責任の要素、と同時に不確定要因と不安の増大。 宗教的組織:農業、人口密度の増大、中央集権化、軍事的権力を有する上位集団による、高位な宗教的地位の独占、社会全体から分離したが、政教一致。密儀にもとづく宗教的結社の登場。次の歴史宗教における宗教組織へ移行[イエスの宗教も密儀宗教のなかから]。 社会的含意:宗教的義務と社会的義務の一致。複雑化する社会のなかで古代宗教の象徴体系を維持しようとする。政治変動の宗教的合理化(なぜ征服されたか、なぜ革命が起こるかなど)。内部秩序の崩壊はメシア待望に。宗教的思弁の深化へ。 〜古代における都市国家の成立と、病者の差別。狂気と治癒がセットの密儀宗教がはやる。医学が分離、心身二元論も。イエスの奇跡、従来の疾病観(罪=病、呪いの遺伝、病者の差別)の否定。病者の世界は単に呪われ滅ぼされるべきものではなく、神の国が実現される場所に転換されてゆく。イエス自身は、原始的治療法の側面をもち、それによって古代宗教の疾病観を否定。しかし、イエスの死後、死者の救済という可能性が新たに開かれ、次の歴史宗教の段階に。
歴史宗教(読み書き能力の重要性から「歴史」的) 宗教的象徴体系:超越的、二元論的、階層的秩序、現世拒否、死後の世界の区別、死後の世界はとてつもなく素晴らしいかとてつもなく悪いかのいずれ(天国と地獄)。救済・解脱という目標。民族の別を越えて人間は救済されるべきと考えられる。 宗教的行動:供犠などで埋め合わされるような過誤ではないような、人間の苦・悪・罪。神的実在との関わりのなかで<自己>へ直面。関人ある自己、真の自己という考え。救済の困難さ。現世から離れた宗教生活。宗教者の生活は、俗人の敬虔さの基準に。 宗教的組織:宗教集団の分化。政治的エリートと宗教的エリートの分離。宗教による政治権力の正当化。下層の農民と市民も分化。都市中間層の歴史的宗教成立への貢献。歴史宗教は聖職者だけで成り立っているのではなく、下層民からの支持によっても成り立っている。そして、それが政治の安定へ。 社会的含意:政治と宗教の緊張と葛藤。政治権力への抵抗機能と正当化機能。社会変動へのダイナミックな関わり。 〜都市の発達と医学の進歩。しかし西洋ではキリスト教によって医学の進歩はストップ。他方、女性宗教者による看護の実践、民間では原始的治療法による女性的治療文化。 近世ヨーロッパでは、魔女狩りを通して官民一体で民俗宗教を根絶。土着の宗教的ルーツを失ったヨーロッパ人は、近代科学に突き進む。キリスト教も中世の多様性を失い、個人的信仰に純化。日本での迷信狩りは、明治期の近代化=西洋化のなかで。
初期近代宗教(プロテスタントを理念型とする) 二元論は残存、しかし現世拒否はなくなる。現世的活動のなかで救済が確信される。救済の媒介(教会による)の否定。個人の直接的救済の可能性。直接的救済はもともと歴史宗教に含まれていたが、それは媒介的救済に転化していた。 宗教的象徴体系:個人は超越的実在と直接的に関係。中世キリスト教のコスモロジーは迷信として切り捨てられる。現世そのものは低く評価されるが、現世は神の栄光の舞台と考えられ、現世の受動的受容から能動的変容への転換が起こった。 宗教的行動:生活のすべてを通しての宗教的行動。 宗教的組織:ヒエラルヒーの放棄。しかし、選ばれた人と見捨てられた人の新たな区別。契約と自発的結社にもとづく社会組織。四階級制の解体に貢献。宗教は、政治的機能から文化的機能へ。 社会的含意:経済学、科学、教育、法律などの発展プロセスにおける宗教改革の意義(歴史宗教では社会変動への働きかけは、持続的でなく、時にはユートピア的)。民主的な社会、自己修正的な社会秩序への貢献。 〜近代精神医学成立の触媒としてのカルヴィニズム。近代市民社会の成立。大規模精神病院への収容、臨床観察と疾病体系の整理による正統的精神医学の成立。精神医学の世俗化。他方、宗教者による人道的処置も。
現代宗教〜二元論の決定的崩壊 宗教的象徴体系:形而上学から倫理的生活へ(カント)。キリスト教における自由主義神学の発展(世俗化する現代的情況との融和)。教義上の正統主義への義務感よりも、教義の個人的再解釈の重視。狭義の「宗教」以外の場所で、「人間の究極的条件への関わりの象徴化」の形態が見られる。歴史宗教が実在との関係で自己を発見し、初期近代宗教がそれを現世で貫こうとしたのに対し、現代宗教は自己そのものの存在の法則を理解し、それによって自分自身の運命に対して責任をとろうとする[自己への究極的関わり]。ダイナミックで多元的な自己の象徴化。限界に直面して継続的に自己転換。自己の変革が世界の再建につながるという確信。[自己実現思想へ] 宗教的行動:個人が成熟すること、社会と関わること、このこと自体が救済の核心に。 宗教的組織:宗教の個人化。[教団を持たない宗教的運動、ニューエイジ、新霊性運動] 社会的含意:文化と人格そのものが無限に修正可能であると考えられるようになったため、道徳的基準が自明でなくなる。しかし、これは新たな創造のチャンスととらえることも可能。 〜自己への究極的関わりとして、心理療法も現代宗教の一形態と見ることができる。二元論の崩壊とともに、心身全体論も。癒しの運動へ。科学的心理療法、宗教的治療法、ホーリスティック医学、これら全体で、癒しの運動を展開。
医学史との関わり {原始宗教→「宗教/医学」分離→現代の癒しの運動へ総合}という図式。他方、狭義の「宗教」は現代ももちろんある。正統医学は、宗教から分離・対立する科学と同一化。→板書。 都市の成立、伝染病の問題、近代における細菌学、衛生医学の発展と、医学の飛躍的進歩。都市型生活の問題。生活習慣病が現代人の問題に。病は生き方の問題に。癒しの運動への注目。また、対人関係の重要性から心理療法へ注目。
救済と癒しの再定式化 ベラーの図式=組織の分化と複雑性の増大という進化の過程+現世拒否の高まりと衰退。原始宗教と現代宗教には、現世拒否は事実上不在。原始宗教は単一の世界を志向、現代宗教は無限に多層な世界を形成 歴史宗教における明確な現世拒否と狭義の救済概念の登場がターニングポイント。 広義の救済概念:苦難・悪からの解放一般(能動的解放をも含む) 狭義の救済概念:現世外・世俗外でなされる、超越的実在によるもの、人間のラディカルな自己否定を伴うことが多い 狭義の救済概念と区別されるような、現代宗教におけるその対応物→自己実現と癒し 自己実現=本来的自己の実現、癒し=あるがままの自己の全体性の回復 いずれも、現世外でなく現世内、超越的実在による悪からの解放でなく、自己の内在的本質そのものの解放による悪の払拭、人間のラディカルな自己肯定をともなう(しかし単なる表層の自我の肯定ではない) 心理療法で言えば、フロイトは初期近代の現世救済(世俗内禁欲)から自己実現への移行過程上、ユングは自己実現から癒しへの移行過程上にある。原始宗教と東洋宗教(苦難の原因の洞察、体系だった内省の技法、表層の自我への反省、本来的なあり方の実現、ただし現世離脱的な解脱)に、宗教史上の先駆形態を持ちつつ、自己実現は近代的な自己形成の方法として、癒しは脱近代的な自己へのケアの手段として成立。 広義の救済概念=狭義の「救済」+洞察・「自己実現」+呪術的治療行為・「癒し」 医学の脈絡では、「治療/治癒(癒し)」の対比を想起せよ。
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