宗教心理学2002(堀江宗正)
20020409
シラバスより
・宗教心理学は、宗教を教団単位でとらえない。「宗教」を特定の教団を指す名詞としてではなく、個人性や力動性の視点からとらえ返す。
個人性〜人によってちがう部分がある(「〜教」という単位で共通する部分ももちろんあるが)
力動性(ダイナミズム)〜流動性。矛盾、分裂、転換、回帰、他者との相互作用
・最初の三分の二では、グループ・ディスカッションを取り入れながら、宗教体験の分析と評価と議論を行い、みずからが暗黙に持っている「宗教」への気づきを促す。
事例検討→気がついたことを書く(漠然とした感想)→机2〜3列で5人前後のグループで話し合う
→各グループの代表者が主に話題になったことを一つ(場合によってはもっと)教壇の上で発表
→教官が黒板に箇条書き
狙い:見解の多様性に気づくこと。自分の見解の位置づけ。自分の暗黙の価値基準への気づき。
もっと深い考察(できる人)=なぜそのような価値基準をもつようになったのか=自分自身の宗教心理
・後の三分の一は、それを生かしながら、宗教心理学の理論についてコンパクトな紹介をおこなう。
いわゆる「お勉強」。事例から理論へという順序。知識の習得を目指す。
評価
・最初の三分の二が終わったところでレポート
事例検討を通じて考えたこと、他の学生の見解に触れて自分の見解はどう変わったかを2000字から4000字の範囲でまとめる(他の意見にどれだけ触発されたか)。ディスカッションの記録、メモをよく取っておく必要がある。
・学年末に試験。
第2部「宗教心理学の理論」についての筆記試験、問題文前ばらし、穴埋め、用語解説、記述問題
・出席はとらないが、出席していないと実質的にレポートも書けない。試験も出席していなければできないものに。
授業計画(一応の予定、臨機応変)
第1部 宗教体験の諸相とその分析
子どもの宗教体験/虐待と懲罰的神表象の関連の事例/青年期における回心の事例/無神論の男性の宗教性の事例/日本の「主婦」と宗教性/セラピーの宗教性/臨死体験の事例
第2部 宗教心理学の理論
神表象と親イメージ/物語論とサイコヒストリー――個人的神話の形成/宗教心理の発達論/ピーク・エクスペリエンス論/トランス状態へのアプローチ/回心論とマインド・コントロール論/カリスマ論と集団のダイナミクス
20020415
授業のフォーマット
40分〜事例紹介
5分〜自分の考えをまとめる
15分〜グループで話し合う時間
20分〜代表者が報告
子どもの宗教体験
導入
ピアジェの報告、子どもにとってのアニミズム。目的論的思考、擬人的思考
ロバート・コールズ『子どもの神秘生活』(工作社)から
1)絵に描かれた信仰〜子どもの熱心な信仰の例
・12歳の少年ハビブ、イスラーム教徒
・12歳の黒人の少女レオーラ、キリスト教徒、交通事故で半身不随
2)子どもの神秘体験〜神の声を聞く子どもたち
・ロンドン在住の11歳のパキスタン系イスラーム教徒の少年ハルーン、いじめられっこ、祈りに答えてくれる神、しかしいじめっ子の声は聞いているのか、この世の苦しみや悩みについて神はどう考えているのか。
・11歳のユダヤ教徒の少年エーブラム
熱心な祈り、時折「神の声」、本当に神の声なのか、自分の声なのか、親の影響の痕跡、しかし親の意見そのものではない、自分の頭に浮かぶ声――つまり「自分の声」――ではあるが、それを言わせているのは神様なので単なる独り言ではない。
・リオデジャネイロ在住の10歳の少女マルガリータ、スラム街、父のいない家庭、母も結核で死にそう、丘の上の巨大なキリスト像に怒りをぶちまける、金持ちから施された食べ物を持ってくる神父への不満、急に聞こえてくるイエス様の声、マルガリータは認めていないが神父の言うことに似ている。神、イエスへの敬愛の念、不幸な境遇のはけ口としての「腐敗した神父」批判、しかし神父への尊敬の念も、でもそれを認めてしまったら、怒りをぶちまける対象が無くなってしまう。
3)宗教に懐疑的な子どもの宗教についての考え
・エリック12歳、宗教に冷ややかな両親、宗教対立の歴史への批判、しかし宗教を批判する自分も同類ではないか、宇宙の仕組みへの関心、人間は自分を絶対視してしまいがちだが、そうならないよう注意しなければならないという自分を律する姿勢
4)道徳的行為のなかの信仰
・小学5年生の少女ジニー、貧しい地域に育ち、父親は軍人だったが事故で退役し車イス、年金で生活、行きがかり上道に迷っている老婆を助けてしまう、神様に会えたと言われる、自分も神様から大事なことを教わったと思う
20020423
前回「子どものアニミズム」と「レオーラ」を紹介
グループワークのまとめ
「子どもはそう考えると楽しいと思われることを信じる」
「子どもの信仰は無意識的なものの表現である」
〜信仰は無意識的願望によって構成されているというフロイトの説に通じる
アニミズム的思考はなぜ発生するのか
論点・大人からの影響か、それとも自然発生か
「科学的知識が少ないために起こるものである」
「周りからの影響――絵本・童話・大人の説明――によるものである」
「なぜという子どもの質問に大人がどう答えるか。アニミズム的な答えを与えればアニミズム的な思考が身に付く。答えに一貫性を持たせることが重要」
〜科学的説明を理解できる発達段階にないと、科学的説明をしても難しい。科学的説明を理解できる発達段階に達したときに、なぜという疑問に科学的に答えることが可能になる
「自分の日常的活動を通じて、ものにも意識があると考えるようになるのだ」
「風など動くものに意識があると感じるのは、自分に向いて吹くのを感じることから来ている」
「「ちくり」という痛みの感覚から、ものも痛いと感じている」
「ものにも意識がある→自分自身の心の把握→大人の教育と相まって神や世界など直接触れえないものに対する認識へ」
〜自分の行動→ものからの反作用→感覚・知覚→自分と同じように運動するものにも感覚・知覚があると推論
どちらか一方が正しいという問題ではない。アニミズム的思考に馴染みやすい発達段階のときに、大人の与える童話や子ども向きの説明が影響を与える。アニミズムは科学的説明によって克服されるべき誤謬だという考えが入っているとしたら、それは素朴な科学主義だ。前回の授業で紹介したように、生命現象と自然現象の区別は最先端の科学になると意見が分かれる(cf. 随伴現象説/ガイア仮説)。発達心理学は結局、子どもを「未発達」のものとしてしか評価できないのだろうか。
子どもの信仰の独自性
「子どもの信仰は、神への抽象的信仰とはちがっていて、日常生活と密接に結びついたものだと思った」
「子どもは雲や風などになりきることによって、それに意識があると考える。これは「信仰」というのとはちがう何かである」〜信仰はあくまで自分とは違う他者への信仰。それに対して、アニミズムは同一視を基礎としているということ。cf.
「子どもは自分と他人の区別ができていないから、アニミズム的な考えに至るのだ」
「子どもの信仰を大人の目から理解するのではなく、独自のものとして扱うべき」
「アニミズムはやさしさに通じる」
レオーラの事例
「日常生活との結びつき」
「負の要素、つらさを補うために神を信仰している。おばあちゃんの宗教的教育の影響で」
〜ここから1)宗教は弱いもののやることだと結論するか、2)障害があるからこそ、健常者にはない強さに到達できていると評価するか。
20020514
イスラム教徒の少年、ハビブとハルーンの事例についてのグループワーク
・神の存在をどうしてそこまで信じられるのか。文化・歴史・環境の違い。教育のせい。
・自分は神をまったく信じないので、このような言動は少しおかしいのではと思ってしまう。
・人間は誰でも神や自然に対する畏れの気持ちがある。イスラム教の場合、それが戒律という形で現れるが、日本人には別の現れ方があるはずだ。生活のなかに根差しているもの。自然への親しみ。木に抱きつくとパワーを感じたりする。
〜日本人の「宗教心」=「型としての宗教心」(行事に参加して心を新たにする)、「個人的な宗教心」(宗教教団には属さないで教えを心の支えにする)。何となくミッション・スクール的?
・子どもは親の宗教的教育をそのまま信じ込んでしまう。
・子どもなので、正当な教えに縛られず、神を個性あるやり方で、親しみのもてる存在にアレンジしている。
〜盲目的信仰か逸脱的信仰か個性あるアレンジか。同じ事例でも、解釈がまったくちがう。
・子どもの恐怖をあおるような教えを説くのはよくない。(cf. 前述の「畏れ」に対する肯定的評価)
・成長にともなう懐疑心を乗り越え、自分なりに見いだした宗教観は人生の支えとして有益である。
・自分の力で物事を解決するのに神の存在が役に立っている。
・神によって自分の弱さをカバーしている。
〜「自力」と「支え」=日本人の宗教心のテーマ。三つのヴァリエーション:1普段は無宗教だが困ったときの神頼み、2宗教は弱い人間が頼るもの、3自己修養としての「たしなみ」
・神は自分一人のものであってほしい。それと同時に、みんなに平等な神でもあってほしい。
・この世の悪に悩み、答えを求め、「声」が与えられ、また悩む。答えられると思うから安心して悩める。
・悩みがあって、願いがかなえられなくても、祈り続けることに価値がある。
〜このような感想が出てくる背景には、「悩まないですむ生活」「悩みから目をそらす態度」に対するいらだちがあったりするかも。
・信仰は個人単位であることが分かった。「自然現象を通して神を感じる」「神の声を聞く」はどちらも個性の現れ。
・どちらも神を身近に感じようとする傾向で、子ども特有のものか。
・「神の声」は自分の声ではないのか。
・「神の声」は自分に言い聞かせる感じではないか。
〜次の事例でも引き続きテーマになる。コールズはなぜ、自分の声ではないかと問いかけるのに躊躇したのか考えてみてほしい。
・「悩むことが大切」というアッラーの答えは、自分自身の声でもある。悩むことを通じて成長するという自己確立にアッラーという存在が役立っている。
・生まれ育つなかで、自己確立、自己決定の際に、つねにアッラーが媒介になっている。そのため、自分を振り返り、行動の指針を決める内省の時間でもある「祈り」が、アッラーとの対話として感じられる。
・子どもは大人には目に見えない友だちを作って遊んだりする。その相手がイスラムに生まれた少年にとってはアッラーなのではないか。
〜宗教心理学のなかのある学説。自分で悩み抜いて行き詰まった極限状態に立ったとき、自分の殻が破れて、新たな認識が訪れる。それをもたらしたものを、宗教は「神」と呼び、心理学は「無意識」と呼び、芸術家はインスピレーションと呼ぶ。いずれも説明図式の違いであり、互いに衝突しあうものではない。なぜなら人間は最終的に、それが何であるかを断定することができないからだ。
20020528
エーブラムとマルガリータの事例(祈りのなかでの神の声)についてのグループワーク
(反省点。やっぱり討論に時間をとるべき。私の説明を繰り返しているものがいくつかあった。前回の事例について記憶が薄れてしまうのか、なかなか取りあげられない。1回の授業ですべてをやる必要あり?)
・神の声とは、自己救済もしくは自己触発のために脳みそが送るシグナルである。
・神の声とは無意識のうちに自分を規制する超自我のことである。
・エーブラムもマルガリータも日本の同世代の子どもと比較するとはるかに難しいことを考えている。彼らの聞く「神の声」は子どもの無意識をそのまま反映したものにしては複雑である。
・神の声とは、周囲の影響を受けながら自分なりに出した答えである。
・(複数の意見を集約)神という自己を越えた存在を設定することによって、自己中心性を越えた視点を導きだす。そのベースになるのは教育。しかし、神は、親や神父をも越えたものとして設定されるので、出てくる「声」も、大人たちの言葉ではない。それによって自分を支えることが自立につながる。神とは心のなかにある支えである。
・神に愚痴を言うことで、心のゆとりを求めている。神はすべてを背負う存在だから。
・私は信者だが、通常はイエスを信じていない。何で助けてくれないかと思ったことがある。
〜深読みすれば、通常は信じていないが、危機的状況の時には助けを求めるのであり、不在を痛感することが逆に自分にとってのイエスのリアリティを確認させてくれるということ? 次の発言も関連
・マルガリータが、神やイエスのことも結構悪く言い、否定しているところがすごい。これも彼女なりの信仰心なのだろうか。
20020610
エリックとジニーの事例についてのグループワーク
〜前回よりも全体的に充実。取りあげられなかった意見のなかにも、「いいなあ」と思うものはありました。若干ですが、4人組と5人組以上のあいだに違いを感じました(もちろん4人組でもきちんとしたものはある)。逆に3人組でユニークなのもありました。偶数だとまとまりにくい? 状況によりますが、一般的には5人程度を推奨します。
「信仰深い親に育てられた子どもは信仰深く、宗教批判をする親に育てられた子どもは宗教を批判する。親の宗教教育の影響力の強さに改めて驚かされた」
「エリックは宗教という概念にとらわれないので、“宗教的”なことを、他の子どもよりも柔軟に考えている」 別の見方「エリックは、よく見れば柔軟だが、悪く言えば一貫性がない」
「エリックには他の子どもよりも自分の意見を反省し、熟考する姿勢が見られる」
〜前回の「日本の子どもは考えが浅い」説と合わせると、「何も考えていない無宗教の子ども<深く考えるている宗教的な子ども<自分の考えまで相対化しつづける反宗教の子ども」。宗教を信じていないからスマートだといえるのか。
「エリックは宗教を信じていないが、宗教についてよく考えている。宗教をどう考えるかを通して、自分の考えを形成している」
〜アメリカで宗教批判をするのと、日本でみんなと同じように無宗教でいるのとでは重みがまったくちがう。
「エリックにとって“考える”ということは、宗教的には“祈る”ということにあたっている」
「ジニーは内面的に答えを見いだそうとせず、生活のなかでの他者との接触を通じて答えを出そうとしている」
「ジニーは神という存在を漠然としか感じられないけれど、身近に感じたいので、何でも神にたとえている。自分で神という存在を作り上げている」
「ジニーは組織ではなく個人としてどのように神の愛を感じられるかを探究している。組織になると宗教は独善的になる。ジニーのようなやり方のほうが幸せでいられる」
「ジニーは大人になって神の声を聞きたいなどと言っていて、いわゆる純真な子どもというイメージからは遠い」
「ジニーは“私もおばあちゃんになるから世話をする”と見返りを期待していて、結局は自分のためにしている。与えるだけで満足という宗教的な愛の実践からはずれている」
〜ジニー・バッシング?ちょっと弁護。直接的見返りではなく、共感や同情を意味する言葉では。
「他者を自分のことのように思って手を差し伸べる人は、宗教云々に関わらず、神様のような人に見えてくる。道徳も形だけにならなければ宗教とつながっている。宗教対立を克服するためには、他者の同一視という宗教の原点に戻る必要がある」(いくつかの意見を合成)
「神の存在を信じていなければ、神の愛とか神の救済などといった発想は理解しがたい」
〜最初、何を当たり前のことを……と思ったが、道徳と宗教のつながりという論点に関わっているのかも。次のコメントのほうがわかりやすい。
「私は助けてもらったときは、神様のおかげというよりは、その人のやさしさに感謝したいと思った」
「神によく見られたいから親切にするというのでは、やさしさではない」
cf. 「神が命令するから人に親切にし、神が禁止するから人殺しをしないという人は、神がいないと分かれば人を殺してしまうかもしれないし、神が命令すれば喜んで人を殺すかもしれない」byフロイト
〜まとめると、宗教は道徳を含むが、道徳だけでは宗教にならない。その場合の、道徳と宗教の違いとは何か。“他者への愛は神の人間への愛の具体化”という発想の有無か。
世俗的な道徳思想は、神による他律がなくても、自律によって道徳的行為をおこなえる人間の素晴らしさをたたえる(カント以降)。ではなぜその方が素晴らしいと思うのか。なお、やさしさをたたえあう場合でも、他人によく見られたいから親切にするというものに「堕落」する可能性はある。その点では、宗教的道徳と世俗的道徳はイーヴン。
ジニーと見知らぬおばあちゃんとの間の宗教的言語を介したやり取りと、「やさしい人に会えてよかった」というやり取りを比較してみる。多分、客観的に優劣を付けられるものではない。しかし、主観的には「やさしさ」の評価で終わりたいとするなら、それはなぜななのか。日本人特有の「つながり」の感覚か(すべての生命のつながりを大切にする生命主義)。
さらに、エリックの「宗教対立を克服して世界平和を実現したい」という非「宗教」的なヒューマニズムとも比較してみたらどうか。
「人間が悪を倒すことが神の願いだというのは間違いだと思う。そのために神が悪を作ったというのは納得できない」
〜前回のキリスト教の宗教哲学の悪に関する考え方についての私の説明への批判。しかし、「神が悪を作った」とはひとことも言っていないので、批判として成立していない。複数の自由意志を持った人間がいれば、必ず悪は発生する。しかし、それを調停し、克服する可能性もまた人間にはある。悪を完全に押さえるならば、自由な人間もいなくなる。自由な人間を複数創造する神の意志は、必然的に、人間がみずからの手で自分たちのあいだに発生する悪を克服してゆくことを望む。「間違いだ」と断定する根拠を具体的に論理的に示してほしい。「善なる神が悪を作るのは矛盾だ」というのであれば、前述の通り、そんなことは言っていない(ただし、グノーシス主義のなかには、悪をも創造した神の上に、さらに善悪を超越した神を想定するものもある)。
20020702
検討される材料
・パウロの回心、アウグスティヌスの回心
〜ユダヤ教、マニ教からの180度転換
ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(日本教文社)より
・ブレイナードの事例〜修行はエゴイズムによるもの→抑鬱→光の体験→他者のための祈り
・伝道キャンプに連れられた夫人の例〜みんなが自分のために祈る→罪の告白→すべてが光り輝く
・ジェイムズの多重人格説的な回心論も紹介。
遠藤周作他『キリストと出会う』(日本基督教団出版局)より
・渡辺和子「大いなる御手のなかで」〜聖心ОG、父を亡くす体験、母への反発、キリスト教への反発、シスター「あなたは自分のことばかり考えている、お母さんのことも考えたら」、目から鱗、キリスト教を勉強、母の反対を押し切って受洗。
「すべての事例がキリスト教への反発から信仰へという回心だった。他の宗教にも回心はあるのか」
〜回心=「反発→信仰」ではない。ブレイナードの例はそうなっていない。反発からの回心は、他の宗教でもあるが、今手持ちの事例はない。心がけて探しておく。ただし、回心物語のモデルとして、キリスト教で、パウロ=アウグスティヌスの影響が強いことはたしか。
「渡辺さんは、どうして「神などいない」と絶望せず、洗礼を受けようとしたのか」
「渡辺さんは、自己嫌悪が極限まで進んだところで、自分を支えてくれるのは教会にいる仲間しかないと結論し、回心するほかなかったのだろう」
〜人間は絶望という苦痛にはそう簡単には耐えられないのかも。「神などいない」と思える人は、逆に余裕のある人では。
洗礼を受ければ変われるのか
「洗礼を受ければ新しい自分に生まれ変わるというが、理解できない。自分を変えるために洗礼をするのか。洗礼をしたからといってそんなに簡単に変わるのか、変わったのか」
〜私ではなく、シスターや渡辺さんにする質問か(洗礼への反発?こういう事例は、聖心の学生にとっては「洗礼のすすめ」として受け取られるということか)。現代人の「自分探し」的発想に対する批判にもなっている。「〜をすれば、自分は変われる」(ex.
整形、留学、ダイエット食品)。この質問(というか批判)の裏にあるのは、
「結局自分を変えるためには、何かに頼るのではなく、自分の力で徐々に変わってゆくしかない」(複数のグループのコメント)
〜あるいは、洗礼とはインスタントに自分を変えるための道具などではない、もっと重大な宗教的意味があるという考え、でしょう。渡辺さん自身、そう簡単には変われなかった、母の気持ちも考えられる、母を許せる自分になろうと思ったのに、実は洗礼によって母に反抗しようとしていたことを、「恥ずかしい」と述懐しておられますよね(矛盾に触れるコメント複数、ただし本人も認めていることには触れていない)。私個人的には、それをあえて責める気にはなれません。洗礼の是非を一般的に決めることはできず、また若い渡辺さんの判断は間違っていたかもしれないが、あくまできっかけとしては、また渡辺さん個人にとっては、よかったのだろうと考えます。結局、それをきっかけとしてどう生かしていくかという重荷を背負うことで、徐々に変わってゆくものなのでしょう(渡辺「今もキリストの柔和と謙遜に近づこうと努力しています」)。回心の瞬間が大事なのではない、そのあとどうなったかが大事。
「シスターや聖書の言葉は、何気ない言葉、普通のときに聞いたらそれほど響いてこない言葉なのだろうが、あの時の渡辺さんにとっては、まさに必要としている言葉だったと言える」
「シスターの言葉は、あのような状況の学生に対する言葉としては、少し冷たいのではないか。学生のことをよく見ているのか。よく反抗しなかったと思う」
「渡辺さんはあのような状況なら、別にキリスト教じゃなくても、信仰していた気がする」
〜これも渡辺さんに聞かないと分からない。回想は現在の視点からなされるものなので、他のものに替えられないと答えられるかも。だが私も、当時の日本なら、他にも魅力的な宗教はあったと思う。「宗教」が問題なのではなく、受け入れてくれる「人」が問題なのでは。次のコメントにあるように。
「親子関係の問題が回心の背景にあるケースが多い。回心とは人とのつながりを求める心の現れでは」
「最初のミッション系の学校での厳しいしつけから来るカトリックへの反発は、母親の厳しいしつけへの反発と似ている。次の聖心で渡辺さんの心を打ち解けさせた、信者の優しさやイエスの優しさは、亡くなった父親の優しさに似ている」
〜宗教的表象は親イメージの投影であるというフロイト説。聖心での「良い子」と家での「悪い子」の二面性、渡辺さん自身「二重人格」と呼んでいる。これはジェイムズの多重人格説に関わる。「優しさに触れれば人は優しくなれる」、これを学校で味わい、家庭にも持ち込むことで、分裂を解消しようとしたのだろう。それが洗礼、入信という選択に。
「ジェイムズの例はわかりにくかった。唐突に光の体験が訪れて、すべてが変わったとあるが、これでは具体的なプロセスがよくわからない。それに比べると、渡辺さんの事例は、悩みの内容、出会い方が、自然につながっている」
〜同感。これは文化の違いもあるだろう。意識変容型の体験は、日本の伝統では禅くらいか。これも一般人には分かりにくい。意識変容型の日本での流行も、探せばあるが、オウムのせいで悪いイメージができてしまい、途切れてしまった。
20021001
後期の予定
回心の事例二つ
現在の例、かつ青年期のもの
・芸術、神秘体験、X教団(おそらくオウム)の体験〜「現代日本人の生き方」調査報告(上廣倫理財団)
・母と娘関係、親への感謝、某新新宗教教団の機関誌から
主婦の事例一つ
場合によっては削除
レポート
事例検討を通じて考えたこと、他の学生の見解に触れて自分の見解はどう変わったかを2000字から4000字の範囲でまとめる(他の意見にどれだけ触発されたか)。ディスカッションの記録、メモをよく取っておく必要がある。
宗教心理学の理論
神表象と親イメージ/宗教心理の発達論/ピーク・エクスペリエンス論/トランス状態へのアプローチ/回心論とマインド・コントロール論/カリスマ論と集団のダイナミクス
用語解説主体の試験
20021005
山田さんの事例
概況〜ふくろだたき状態。ヴァラエティに乏しい。もっといろいろな角度から見ることができればよかっ
た。もし山田さんが、社会的に成功していたら、ィ教団に入信していなかったら、どうだったであろうか。
芸術家にはありがちなタイプ。
・神秘体験について。極限状態から圧倒的過信にとらわれ、その人の持っている能力が全開になる。
・努力の人ではないという印象。舞台における出来不出来には、トランス状態だけでなく技術的研鋸も重
要。成功した人は、具体的希望を持ったうえで、努力をしてきた人たち。
・失敗を社会のせいや人のせいにしないところは評価できる。自己責任。
・逆に、社会や人との関係性が希薄。
・「思想があえぼ仲間をつくる」「互いの差異を認めあうことが重要」から浮かび上がるのは、相互にコ
ミュニケーションのない自我。
・本来の仲間とは、違う思想を持った人たちがぶつかり合いながら協力するなかででき上がってくるもの。
・社会のためと言っているが自己満足に過ぎない。社会に認められたいだけ。
・宗教は自己救済を通しての社会救済である。まず自分のことを何とかしなければならない。
・自分のためにすることと人のためになることは、基本的に違う。
・神秘体験と総合芸術と宗教との関係が、よく分からない。よく分からない理想を漠然と追いかけて、周
りを無視しており、具体的実践もともなっていない。
・自分の失敗や弱さを打ち消そうとすればするほど、目標が大きくなったり、具体性が無くなってゆき、
その結果失敗する。その悪循環。
・芸術や宗教に逃げている。
「社会のため」と「自分のため」のところは、学生諸君も揺れているところだと感じた。
「山田さんは自分のことしか考えていない」
「山田さんは社会のためなどと理想ばかり追い求めている」
という二つの方向性。加えて、
「山田さんは、自分のためと社会のためとを混同している」
山田さんなら、社会と自分とが一致する点を追求していると答えるだろう。
これはこれで正論だと思う。
皆さん自身はどうなるのだろうか。青年期における自己実現と社会的居場所探しの閏窺。他人事ではない。
そして、多くの人が十分な答えを持っていない、と見た。(まあ答えは後からついてくるものだから)
20021029
聡子さんと雪絵さんの事例
いい意味でも悪い意味でも、カトリックの経験と、世間一般の新新宗教への偏見が投影されて、事例の個々と照らし合わせれば明らかに間違っていると分かる誤解が目立つ。この事例は、逆に、自分の持っている宗教観の狭さを気づかせてくれる鏡として読み直して欲しい。
・母親との和解は宗教がなくてもできるはず。宗教に頼らなければ母の愛に気づけないのは心が弱い証拠だ。宗教の力というよりは、誰もが抱える悩みを自分を見つめ直すことで解決しただけ。新興宗教に入信した以外はいい話(宗教概念が狭すぎる。他力中心のキリスト教的な宗教観。心理療法以前にカウンセリング的な機能を果たしていたのはもともと宗教だった。この事例は、「頼る」という部分が比較的少ないのでは。キリスト教と異なり、仏教系の教団の基本は自力を伸ばすことにある。例外もあるが。なお「新興宗教」は差別語)
・中高時代(姉妹校出身)の祈りの会に似ている。わざとらしい。(この事例への反発は、実はカトリックへの反発の投影?)
・機関誌に発表されたものなので、都合のいい部分しか出ておらず、きれいにまとまりすぎている。お金をいっぱい取られているなど裏があるはず(模範的ストーリーであるという限界は承知の上で、そこにどのような世界が展開されているかを理解する。なお、宗教はお金に潔癖でなくてはならないというのは、宗教は活動してはいけないというのと同じこと。葬式仏教はどうなるのか。程度問題)
・雪絵は考えが極端、考えを押し付ける母と自分を守ろうとする母の二面を同時に見られない(以前は一方だけだったのが、もう一方にも気がついたので、両面を見ることができるようになったという話ではないか)
・母とのよい思い出だけから何かを学ぶというのはおかしい。悪い思い出からも何かを学べるはず(悪い思い出も、実は母の強い愛の現れであったと解釈し直して、そこから何かを学ぼうとしている)
・二人とものものの見方が画一的すぎる。聡子は、自分の宗教の教えを持てば人は皆幸せになると勘違いしている。友達の迷いにつけ込んで布教している。本当の親切ではなく、勧誘という下心がある。宗教を取り入れると、一つの見方しかできなくなり、人の心が蝕まれてゆくものではないか(宗教=洗脳。こう決めつけるのも画一的。二人の主体性の部分は、それなりに大きく、全生活が宗教によって支配されているとは見なされない。あなたは世間一般の宗教への偏見に洗脳されていないか、チェックするべき)
・親や友人との関係が良くなっているので、「新新宗教=洗脳」というイメージで全否定しなくてもいいのではないか。
・つい偏見をもって読んでしまう。それは宗教にはまらないよう、自らバリアをはっているからかも。
・聡子が雪絵に教えを押し付けていないところが自然でよかった。
・友人の影響はとても大きい。どの宗教かが問題というよりは、誰が教えを伝えてくれたかが問題。
・親の愛を否定して反発するなど、自分にも当てはまるので、共感できた。自分の場合はカトリックの影響で親の愛に気づくことができたと思う。
*メンバーの意見をまとめずに、そのまま箇条書きしているだけのものは、次回からは書き直しをお願いする。議論の過程をメモとして箇条書きしているものはよいが、必ず一番最後に、結論を書くこと。
また、取りまとめ役の個人的意見を書かずに、グループの総意を書くこと。
どうやってまとめていいか分からない人へ→話し合いにおいては、一人の意見に他の人がそれぞれ(全員)コメントをすること。それが一通り終わった時点で、取りまとめの人が、繰り返し問題となっているテーマに注意を喚起する。そして、それについて一人ずつ意見を言いあって、最終的にグループの統一見解をまとめる。
20021119
「同年代ではないことや、神ではなく、先祖という遠すぎない存在が対象であることから、今までの事例よりも受け入れやすかった」
→同年代でカトリックに近い話なら、よく分かってもらえるだろうという私の考えは、全くの間違いであるということが分かりました。
「宗教の話なので悪いイメージを抱いて読みはじめたが、周りに感謝できて誠心誠意で仕事をするという姿勢は宗教臭くないのでよかった」
「今までの事例は反社会的だったが、今回の事例は反社会的ではなく、本人の生活・人生とマッチした話であった」
→生活に役立つ宗教、社会から逸脱しない宗教、「普通の生活」を乱さない宗教がよいという宗教観。ところで、前回の事例のどこが反社会的だったのか(前々回ならまだ分かるが)。
「この人にとっては立正佼成会での言葉がきっかけで救われたのかもしれないが、きっかけになるものは人それぞれなので、他の人を巻き込むべきではない」
→自分にとってよかったので人にも勧めてみるということは、宗教以外ならよくあることでは。
「入信のタイミングがよかっただけである」
→だから何なのか? というか裏を返せば、ライフヒストリーのなかで回心を理解しないと不十分であるという宗教心理学の考えにつながるはずでは。
「苦しみから逃れて幸福になりたいという自己中心的な気持ちが、結果的に感謝の気持ちにつながっている」
→仏教では煩悩即菩提と言う。分かりやすい言葉で言うと、失敗があるから成功するという感じ。
「苦しいときの神頼みに過ぎない」
→宗教に頼るのは弱い人間で、自分は強いから宗教には頼らないという考え。
「苦しいときは頼るように祈らせ、良いことが起こったときは感謝するように祈らせる、いずれにしてもますます祈らせ、依存させるような仕組みである」
→何かに頼るということは、自立を妨げるという考え。心のよりどころがあるから、しっかりと生きていけるという考えもありうるだろう。
「この女性は宗教には依存していない。宗教により、心を静め、落ち着かせ、現実を冷静に見つめるようになった」
「祈りは、判断をゆだねることではなく、対話によって自分自身の心が救われるということだと思った」
「医者という生死にかかわる現場に携わっているからこそ、自分の限界を知り、宗教に心のよりどころを求めるのかもしれない」
「病院の職員全体が入信したというのは、ナガノケイコさんの、人格やリーダーシップ、生死への感受性の豊かさ、産婦人科院という場所などによるのだと考えられる」
「職員全員が入会というのは不自然である」
→本人は「みんな分かってもらえてよかった」と思っていても、職員からすれば雇ってもらっているから断れないという気持ちもあったかもしれない
「仏への感謝だけでなく、実際に協力してくれた人間に感謝すべきである」
→そういう言葉はあると思う。
「感謝の気持ちが人生を明るくする。しかし、これは宗教に入っていなくても一緒である」
→狭い意味の宗教(=教団)と広い意味での宗教性の違い。他にも、宗教じゃなくてもよかったという言い方は見られた。
20021126
第2部 宗教心理学の理論
神表象と親イメージ
表象とは……
対象を認識するために構成された主観的観念
+文化的に共有されたもの
神のイメージ=個々人によって異なる部分+集団によって共有される部分
フロイト「父なる神」=保護されたいという小児的願望
自然の超人間的な力への恐れ・畏敬の念。人間の無力さ。
親の場合:幼児の親の力への恐怖。しかし愛情も。
→自然の超人間的力に親イメージを投影
→単に怖いだけでなく、自分たちを守ってくれる
事例編
子どもの宗教心理。神の声と両親の声の類似性
渡辺和子さんの例。亡くなったお父さんの姿を神に求めている可能性
ジェイムズ・ジョーンズ『聖なるものの精神分析』(玉川大学出版局)
カウンセリング後に
治療前と治療後で神に対するイメージがどう変わったかを質問
ケース1
厳しい親と受動的な自己→治療後、自立した積極的人生
神のイメージ:行動をチェックする神→見守り、励ます神
ケース2
性的虐待、自分が悪いんだという思い込み→自分は存在していてもいいんだ
神イメージ:懲罰的(罪あるものは救われない)→許す神
ケース3
親に認められるためエリートに、しかしやる気低下
→相手にしてくれない親への怒りを自覚することで自由に
無神論者なので世界観の変化を質問(文学研究者):意味のない世界でささいなことに意味があるかのように振る舞う人々→つねに創造あふれる世界の中で自分も新たな創造に参入している
20021203
宗教心理の発達論
乳児期:養育者を通じて基本的信頼:世界は自分が生きていくことのできる場所
苦難(病・貧・争など)との遭遇→広い意味での神的存在(世界の成り立ちに関する存在)への信仰→他者・世界への信頼を回復
自分を生かしめる存在との一体感を求めるような信仰の基礎
初期幼児期・遊戯期:第一反抗期、親との葛藤(アンビヴァレンツ)→親も信仰する神的存在を信仰→親を乗り越える視点を共有→親を乗り越えつつ融和。神的存在=親よりも親らしい存在
自我を自動的に統制する無意識的な視点=超自我(フロイト)
一体化すれば道徳的優越感
離反すれば罰の威嚇で道徳的劣等感(罪悪感)。救済か断罪か。
→正義と善の実現を求めるような、厳しい道徳的信仰の基礎
罪ある人間としての自覚から、和解や再統合を求める愛と許しの信仰の基盤
目的論的思考、擬人法的思考、アニミズム的な世界観〜自然科学的説明より分かりやすい
児童期(学童期):学校で科学的世界観の教育→素朴な科学信仰
アニミズムの代わりに、超能力や超人間的な力や未来の科学技術を持つヒーロー/ヒロインの登場する物語・ゲーム(科学の正確な理解ではなく科学信仰)
思春期:大人たちの規範への懐疑
単なる事実のみに関わる科学的世界観だけが残る。しかし、人生の意味や目的の問いに答えてくれない
青年期:自分がどのような人間になるべきか=アイデンティティの確立
方向づけをもっとも必要とする時期+懐疑がもっとも強まる時期
現代日本:宗教に関する無知→極端な反発/極端な回心
中年期:社会的自立はもう十分、同時にその限界も
→今までの生き方に固執せずに、これまで切り捨ててきた異質性を取り込む=ユングの個性化
伝統的規範のなかにヒントを発見
次世代の育成→自分の中に潜む「親的存在―神的存在」
老年期:自分がやがて死ぬという事実→人生の意義を問い直す
後悔、しかしやり直せない、絶望、責任転嫁、孤立、逆に極端な自慢話
→人生=完全ではないがそれぞれ掛け替えのないもの、人間への限りないいとおしさ
死=みずからを与えきることで、他者の生に奉仕するような「神的=親的存在」に変容するためのステップ
=生の消滅ではなく、「生の循環」の一コマ
20021210
ピーク・エクスペリエンス論
peak 頂点、峰、最大値
peak experence 人生のピークをなすような体験
A・H・マズロー
健康な人間の心理の研究(動物的・機械的な人間でも病的な人間でもなく)
第一勢力の心理学=行動主義の人間観=機械としての人間。
第二勢力の心理学=フロイト派の人間観=欲望する人間、幼児期の体験に苦しむ病んだ人間
〜どちらも決定論。
人間が動物とも機械とも異なる点は「変化」の可能性
行動や思考の古いパターンを抜け出して、潜在的可能性を実現する人間に、心理的健康を見いだす。
・自己実現している人間の研究(自己実現した、ではなく、している)
柔軟性、ものごとにはっとさせられる体験の多さ。つねに発見をして、世界や他者に対してオープン。
・ピーク・エクスペリエンスの研究へ
「あなたの人生でもっとも大切な体験について説明してください」約200名の被験者に質問
→共通する特徴→合成→理念的体験像
=ピーク・エクスペリエンスと命名。
特徴
0)強弱の差はあれ、誰にでも見られるもの。たとえば、女性の出産体験。音楽家のエクスタティックな体験。仕事上の創造体験。
1)他者のB認知:今まで見えなかった新しいこと、他者、世界の有り様に、はっと驚かされる。
2)自己のB認知:それまでの、一面的で偏った固定的なものの見方が崩壊し、新しく生まれ変わる。
・自他のユニークな同一性の認知:人間は、それぞれが、どれもユニークでありながら、つながっているということに気づかされる。
→響働シナジーという発想(energy 内なる力、synergy ともに発する力)。
3)人生の持続的サポート:やがて、またいつもの自分に戻ってゆくが、この掛け替えのない体験に支えられながら生きてゆく。
宗教論へ
偉大な宗教者の宗教体験=実はピーク・エクスペリエンスの激しいもの
→霊的価値の啓示
→コミュニケートのネットワーク=宗教の成立
→聖職者たちは教祖の体験を絶対化
→普通の人には起こらないものとし、体験を抑圧
誰もが日常的に体験しうる自然な霊性 spirituality に目を向けることが重要。
20021217
トランス状態へのアプローチ
トランス trance =通常とは異なる意識状態(もっとも広い意味)、覚醒状態でも睡眠状態でもない
〜変性意識状態 altered state of consciousness
とくに、催眠状態に見られる被暗示性の亢進した意識状態
「トランス」という視点から
宗教体験、催眠状態、病理的自動現象、治療・癒しの瞬間を見る立場へ
基本的メカニズム(催眠状態の場合)
一定の事物への注意集中(ある対象・一点を見つめる、言葉による暗示)→一種の感覚遮断
動機づけとラポール(信頼関係)と心身のリラックスが加わると、7割以上が催眠状態へ
暗示を受けやすくなる
注)バラエティ番組の影響で催眠はいかがわしいと考える人、どれくらいいるか。テレビはやらせかもしれないが、精神医学などで取り入れられてきた方法であること。
・儀礼における集団的な忘我(エクスタシー)体験
集団的模倣状態=相互に他者の行動から暗示を受け続ける
・瞑想などの注意集中によって起こる「悟り」や「気づき」の体験
催眠前の注意集中と同じこと。
・初期の催眠療法〜暗示によって症状を取り除く
フロイトは暗示を放棄。ラポール=権威主義的関係。
施術者が教祖化され、患者は催眠なしでは生きてゆけなくなる。
→夢や自由連想から間接的に無意識的過程にアプローチ
宗教的指導者は、催眠誘導と暗示を施しているとする立場→マインドコントロール論へ
それに対する批判
・W・ジェイムズ〜無意識的過程によるトランス現象の説明は、神的実在によって引き起こされたとする説明と両立する。そして、どちらも仮説でしかなく、一方だけが正しいと結論できない。
・トランスパーソナル心理学〜意図的にトランス状態を引き起こすテクニックの実践的研究
宗教的修行における統制されたトランス状態は、精神病理的ではなく、現実適応的な自我を保持したうえでの、新たな「気づき」を与えるもの。
自我以前の状態への退行はプレパーソナル。
自我を保持したうえでの変性意識状態への直面はトランスパーソナルなもの
20030107
回心論とマインド・コントロール論
「宗教に急に熱心になるということ」〜回心かマインド・コントロールか?
ジェイムズの回心論
回心=人格変容、人格の交代
先行する意識状態の疲弊
同時に潜在意識において、別の人格が成熟しつつある
→臨界点に達すると交代
洗脳研究
1950年代、朝鮮戦争、アメリカ人捕虜、中国共産党から受ける、帰還した捕虜から研究。
監禁、身体的強制、情報統制、共産党イデオロギーの教化。しかし、永続的効果は少なかった。
感覚遮断の実験:一日目の夜は長い睡眠、しかしその後眠れなくなり、正常な思考が長続きせず、白昼夢や幻想が続く。この状態では、被暗示性が高まり、単純な学習能力が向上。独房にも同様の効果があると考えられる。
〜しかし、洗脳は強制的なので、永続的効果がない。そこで、強制的であることを気づかせない自発的参加だったら→マインド・コントロールに
反カルト的研究者
破壊的カルトは、マインド・コントロールをおこなっている。
統一教会の研究:自由拘束、異性感情抑制、肉体疲労、外敵回避、賞と罰、切迫感
ビデオ学習や合宿など長時間の拘束、しかし強制せずに自発的参加を引きだす。
反カルト主義者〜破壊的説得なので、デプログラミング(逆洗脳)が必要
回心:心理的力動の問題、基本的には発達の方向性、個人的(他者からの働きかけは問題ではない)
マインド・コントロール:破壊的説得のテクニックの一方的行使、信者は自由な参加と自己決定によると考えているが、実はその自己決定そのものが他者からの影響による
20030114
カリスマ論
カリスマ=神の恵みのたまもの(古代ギリシア語)
旧約:預言者に下るヤハウェの霊
新約:罪からの救いと永遠の生命を与える神の恩寵のたまもの
ウェーバー
特定の人・物に宿り、非日常的な能力をもたらす天与の資質
価値自由に拡大適用→預言者だけでなく、呪術師、シャーマン、英雄・戦士
呪術の段階:カリスマを恐れると同時に、操作し、利用する。
カリスマ的支配=被支配者がカリスマを有する人物に自発的に服従
→後継者問題→カリスマの日常化→聖職者の官僚的組織(既成宗教化)
cf. 伝統的支配=昔から続いている秩序は神聖であるという信仰
合法的支配=正しい手続きで決められた秩序は合法的であるという信仰(近代官僚制へ)
カリスマ→日常化=反カリスマ(教会はカリスマを抑制)
社会が安定:カリスマを抑制
社会が不安定:社会の「危機」を解決するようなカリスマが誕生
→当初危険視されるが、やがて自発的に服従する人々が登場、多数派に
カリスマの日常化→社会が安定:再びカリスマを抑制
別のカリスマ規定
カリスマ以前〜単なる異常、排除
カリスマ的支配の実現〜マイノリティの熱狂的支持/マジョリティは敵視
カリスマ以後〜マジョリティの体制に組み込まれ、運動は沈静化。
新宗教の教祖のカリスマ論的研究
信者は教祖のなかに自分の姿を見いだし、アイデンティティ形成を図る
→超人的な力の崇拝、服従だけではない
フロイトの集団心理学
指導者への「ほれこみ」=自我理想の投影
+服従者どうしの同一化
→ ピラミッド型の集団(従来の群衆心理学は相互模倣による暗示ばかり強調)
フロイトが催眠を捨てた理由
施術者が権威化されてしまう。被術者の依存。権威者から離れられなくなってしまう。
前回の回心/マインド・コントロール論と総合
理想としてのカリスマの発見と自発的服従→小集団の誕生→集団の内閉化→強力なアイデンティティ付与→カリスマの絶対権威化+服従者の依存によるカリスマの強化
(少なくとも一方的「コントロール」ではない)