著者は、イラン・イスラム共和国の現職の大統領である。その著書のタイトルが『文明の対話』であることに違和感を感じる読者も少なくないだろう。イランといえば、1979年パーレビー朝を打倒してイスラム政府を樹立したイラン革命、その後、パーレビー国王を保護するアメリカに抗議した学生によるアメリカ大使館人質事件、『悪魔の詩』の著者ラシュディ氏に対するホメイニ師の死刑宣言など、過激な宗教的政治活動をくりひろげるイスラム「原理主義」国家というイメージが強い。しかしながら、近年は穏健派の勢力が台頭しつつある。ハタミ大統領は、法の支配の確立、言論の自由の推進、文化活動に対する帰省の緩和を次々に打ちだし、若者や女性の圧倒的な支持を集めている。これに対し、保守派も激しく抵抗しているが、さきごろの6月の大統領線では、ハタミ氏は77%の得票率で圧勝し、再選を果たしている。
ハタミ大統領は、対外緊張の緩和を重視し、1998年の国連総会において「文明の対話」の重要性を訴える演説をおこない、1999年には、イスラム大国の指導者としてははじめてローマ法王と会談し、文明の対話を具体的に推進する姿勢を見せた。2000年には、イラン革命後初の大統領来日を実現させ、東工大において講演している(本書収録)。国連はハタミ大統領の演説を受けて、2001年を「国連文明の対話年」としている。
「文明の対話」というキャッチフレーズが意識しているのは、「文明の衝突」である。日本でもベストセラーになったハンティントンの『文明の衝突』(集英社)によれば、冷戦後の世界は、宗教や民族を機軸とする「文明」同士の衝突に入るとされる。これはアメリカの外交リアリズムを如実に反映した見方である。ハタミ大統領が「文明の対話」を訴え、諸外国との関係改善をすすめればすすめるほど、対イラン制裁措置を解かない世界の警察アメリカの特異性が目立ってくるだろう。
以上のような言行によって注目されてきているハタミ氏であるが、その氏が折りにふれておこなった講演を収録したのが本書である。一読して驚かされるのは、それが政治家の演説というよりは、学者の講演に近いということである。ハタミ氏は、神学、哲学、教育学、法学を学び、革命前まではドイツのイスラム・センターの所長を務めていた。年齢的にもまだ五十代であり、最近の哲学・思想の動向をきちんと押さえている。一方で、現代思想やポストモダニズムの西洋批判、近代批判を参照しながら、西洋近代文明を相対化し、他方でそのニヒリズム的な側面を批判して、解釈学的な伝統概念に依拠しながら、イスラムの伝統を再解釈し、生き直してゆくことを要請する。これは明らかに、アメリカのメディアいうところの「原理主義」とは異質な姿勢である。
著者ハタミ氏は、イスラム政治思想のなかの専制主義・権威主義、および植民地時代以後の独裁主義に対抗するものとして、イラン革命を特徴づける。しかし革命後、一部の無政府主義者に対抗するために、自由を敵視する勢力が出てきてしまった。これでは専制や独裁への対抗という革命の原点に矛盾する。もちろん、すべての国家に無理やり当てはめられるような「自由」のモデルがあると考えるべきではない。イランにはイランに合った「自由」の探究の仕方があり、それを見つけることが重要でる。
さらに、著者は、社会的調整の技術におけるイスラム文明の後進性を自覚すべきだと考える。イスラム社会の現実的諸問題を解決するためには、西洋近代的な社会制度とイスラムの伝統を対立させ、過去に回帰するのではなく、かといって宗教を捨て去って西洋化するのでもなく、むしろ神学こそが進化してゆくべきである。革命は、権威主義に安穏とする聖職者の手から取り返されたイスラムが、果たして現実的問題に答えられるかどうかの試金石としてとらえ返される。こうした革命観をハタミ氏は、ホメイニ師の発言を引用しながら巧みに組み立ててゆく。アメリカよりの読者は、ホメイニ批判が出てこないことに転換路線としての不徹底さを感じるかもしれない。だが、国内の保守派につねに牽制されながら、国民の期待に答えるべく政治的転換を全うしようとする現職大統領の、すぐれた政治的感覚を読み取るべきところだろう。
このような姿勢は単なるバランス感覚から出てきたものでもない。伝統に深く精通することで伝統を内側から突破しようとする長年の学的研鑽にも裏打ちされているようである。
神はまず個人の実存に対して語りかける。社会の法は神によって語りかけられた諸個人が連帯して生きるために必要なものとして、そのつど制定されてゆく。政府は市民に奉仕する召使いである。宗教の違いと言われるものは、神に対して応答してゆく社会の位置する時代や場所の特殊性による。
厳密には、文明と宗教は分ける必要がある。文明は人間の必要性に対する答えの蓄積であり、生成や衰退、危機と再生のダイナミズムのなかにある。しかし、宗教は時代や場所、文明すらも超越するものである。時代と場所に限定された特殊な教えと、宗教そのものは、これまで混同されてきたが、区別するべきである。宗教とは、永遠なるもの、普遍的なるものを求める人間の問いに対して答えることである。それゆえ、古いイスラム文明が消滅しても、イスラムという宗教は、新しいイスラム文明を生みだすことが可能なのである。
さらに、文明とはそもそも他の文明との対話のなかで生成してくるものである。現に、イスラムにおいては「文明の対話」の伝統がある。これをこそ復興させねばならない。イランは、東と西の結節点にあって、対話の推進者としての使命をになう。とりわけ現代世界の諸問題、家族の危機、自然の危機、科学の倫理問題について、相互に学びあうために、対話を開始しなければならない。
著者の対話の哲学は、来日時の講演においてもっとも深められる。日本の仏教や神道、とりわけ禅仏教のなかにあるある種のグノーシス主義的な直観は、イスラム神秘主義に通じるものがある。そこに、西洋哲学における、人類の心的斉一性の理論と、言語共約不可能性の理論のどちらにもくみしない第三の立場を見いだすことができる。仏教における無や空の直観と、イスラム神秘主義における鏡像としての世界の対象化、このような、現実の非実体性を認識する静かなる境地のなかで、「聴く」こと。経験に身をさらすこと、それを通して語るということ、そこにおいて非存在から存在が生まれてくる。対話の原点はこの沈黙の経験にある。それは著者によれば、言語の限界を自覚したところで、なおかつ聴くこと、身をさらすこと、それを通して語るということである。補うならば、このような姿が、他者(神を範型とする)に開かれた、対話することによって生成する存在としての人間の、本来的なあり方としてとらえられているのであろう。
まさしく希有な「哲人王」というべきハタミ大統領が、イランの人々をどのように導いてゆくのか、かたずをのんで見守りたい。ただ現時点でたしかに分かること、それは、その国内における結果の成否にかかわらず、氏の打ちだした対話の理念は、われわれが聴き、応答しなければならないものであるということだ。
(堀江宗正)
西谷修・鵜飼哲・港千尋『原理主義とは何か』河出書房新社、1996年
「原理主義」、この言葉は、各種「事件」的報道によって、偏狭な宗教信仰とそれにもとづくテロリズムの代名詞のようになっている。他方、政治学的な地域研究において「原理主義」という現象が言及される場合、思想的次元における考察よりも、事実経緯の記述・解説のほうが量的にまさっているように思われる。また「宗教学」においては、このような宗教の政治的「利用」は、「宗教そのもの」から隔離され、十分な取り扱いを受けていないように思われる。
一方で「原理主義」という言葉によって宗教と暴力を結び付けようとするジャーナリズムがあり、他方で宗教と政治とを二分するアカデミズムがあり、後者は前者に対して果たすべき批判的役割を十分に果たしていないという現状がある。
求められているのは、「原理主義」の政治的次元と宗教的次元を結ぶような思考、宗教と政治を横断し、その両者を批判するようなアクチュアルな思考である。本書では、まさしくそうした「思想」の営みが展開されている。
著者三人のうち、西谷と鵜飼は現代思想の研究者であり、港は現場接近型の写真家である。これら三人の鼎談から、本書は成っている。彼らは、「原理主義とは何か」という問いに対して、「いくつもの補助線をランダムに引く」ことを試み、それによって「原理主義」の外部とされるもののなかに原理主義を見いだしながら、問いの本質を再構成してくれている。たとえば、アルジェリアにおけるイスラム主義者の「音楽政策」からはじまり、空気・毒ガス・窒息というイメージの連関、ショアー(ホロコースト)、オウム、「壁」の崩壊という話の展開のなかで、生命論、他者論が語られ、「他者の声を否定」する欲求、空気の抹殺、純化と自己充足へのノスタルジーとして原理主義が説明されてゆく。
もちろん、いいかげんな「印象論」が展開されているわけではない。彼らの討論には、実に豊富な事例が折り込まれている。現実に即して思想を練りあげようとする真摯な姿勢には感嘆させられる。では、そこからいかなるヴィジョンが浮かび上がるのだろうか。評者がとくに強い印象を受けたものを、かいつまんで紹介しよう。
近代の世俗的国家は、政治と宗教を分離したが、国家を国民のものとすることで、国民たる人々に存在の根拠を与え、「祖国のために死ぬ」ことを価値付け、人々から宗教的「帰依」を引き出すことができた(宗教と近代的世俗性の連続性)。しかし、それは現在においては、不可避的な複合性ゆえに確かな答えを提供できなくなってきている。そこに生ずる絶対的準拠へのノスタルジーが「原理主義」的傾向を生み出す。このノスタルジーは、近代化によって近代的世俗性が移植された非ヨーロッパ地域においても起こる。だがそれは、「浄化」への強迫、官僚機構など、近代国家の負の部分を逆説的に引き継いでいる(近代的世俗性と原理主義の連続性)。近代の世俗性は宗教を周辺に追いやりながら、実はその重要な役割を担い取らなかったのではないか。そして、それが本格的に再考されるべきこととして浮上しているのではないか。われわれは、「世俗性」とは違う仕方で「宗教」に本当に束縛されないためには何が必要なのか、ということを考えねばならない。もちろん、これは、「原理主義」を悪に仕立てあげ、それに対抗する「唯一の解決」を人類に押しつけることとも違う。それはメディアを通じて流布されているもう一つの原理主義である。宗教の問いを、討論から排除してはならない。宗教的遺産という死者を讃えて利用しその遺産に支配されるという状況を抜け出し、いかにして死者と友愛の関係にはいるかが課題である。
では、ユダヤ=キリスト教から近代国家、原理主義へと受け継がれたものとは、何であろうか。それは、たとえば、人間を越えた神の正義を神に代わって執行するシステムであろう。そこでは「命令」された人間は罪を感じることがない。「死刑執行人」というイメージほど、こうしたシステムの特徴を表すものはない。実際、宗教ごとに、また一国ごとに、核をもたないと安心できないという強迫観念が働いていないか。「神の正義の代理人である」という宗教的確信がなければ、核のような大量殺戮兵器などもてない。核をもてない文化は、国際政治の舞台においては弱い文化とされる。その結果、強い文化をもつために、同じような宗教を作り出したいという衝動が刺激されるだろう。
これは、宗教と政治双方に対する非常にラディカルな批判である。こうした批判は、宗教と政治のもっと細かくて複雑な関係性を念頭に置きながら読むことによって、建設的な批判として受け止めてゆかねばならないだろう。
(堀江宗正)
間瀬啓允・稲垣久和編『宗教多元主義の探求−−ジョン・ヒック考』大明堂 1995年
「文明と文明とが衝突する時代」(ハンチントン)において、諸宗教間の対話の必要性がますます叫ばれつつある。本書のまえがきにおいて、編者らはそのような問題意識を明らかにしている。本書は、宗教の多元化という問題に宗教哲学の立場からかかわってきたジョン・ヒックの「宗教多元主義」理論についての批判的研究である。
宗教多元主義とは何か。ジョン・ヒックの「自分史」によると、それは「宗教的な諸伝統が……究極的には一つの超越的な神的実在に対する応答の、それぞれに代替可能な人間的脈絡を構成しているのだという認識」(4頁)である。ヒックがこのような認識に至った背景には、1960年代当時移民の中心地となっていたバーミンガムで、右翼勢力の妨害にあいながらも、コミュニティー間問題の調整や他信仰的な宗教教育カリキュラムの作成などにたずさわっていたということがある。ヒックの宗教多元主義は、単なる思想ではなく、新たな経験に触発されて形づくられたものなのである。
本書には、このようなヒックの主張に対する11の論稿がおさめられている。第一部の論稿はヒック理論をテーマごとにとりあげ、第二部はその哲学的側面をとり扱い、第三部はその神学的側面に焦点を当てている。各論稿とも、ヒック理論を紹介し説明しながら、同時に評価・検討・批判するという構成をとっている。
とりわけ重要と思われるのは、各宗教がかかげる教義の真理性の問題だろう。複数の異なる宗教が異なる主張をしているのにそれらが同じ神的実在への個性ある応答だとすることは、結果的に各宗教の主張の真理性を部分的におびやかすことになるのではないかという問題である。
ヒックは宗教を評価する基準の一つとして「自我中心から実在中心への転換」ということをかかげているが、そのような転換が起こっているというだけで、その宗教の主張が真理であると言うことができるのか(ドゥコスタ)。ヒックによれば、宗教言語は科学的言語のように事実の真偽を問うのではなく、人間の実存的態度を喚起する神話的言語だということであるが、宗教言語にも対象を指示し記述する側面があるのではないか(郷)。福音主義神学はヒックと異なり、実存・普遍的側面より歴史・事実的側面を強調するが、このことはヒックの多元主義が少なくとも福音派という一つの宗教的立場を排除するという矛盾を露呈している(フランクリン)。建設的な提案もでている。事実的真理と神話的真理という二重真理の難点を克服するために、知られた事実と伝えられた真実という区別を導入してはどうか(間瀬)。また「超越論的解釈学」という代替案もでている(稲垣)。
おそらくもっとも根本的な批判と有望な提案は、諸宗教を位置づける形而上学的枠組にこだわらず、相互に各宗教のコミットメントの権利を尊重する「宗教の倫理学」を構築しようというものである(梅津)。この立場は、「排他主義を排除する」という多元主義の矛盾を回避する「排他主義を認める多元主義」である。
諸宗教の多元的併存という状況のなかで倫理的に適切な応答をしてゆかねばならない、そのために諸宗教を位置づける枠組を柔軟に変化させねばならない、それも伝統的教義の主張と融和しながら。この困難だが重要な探求に本書はかかわっている。新たな経験と古くからのメッセージの交叉する場所で、宗教のダイナミズムが働いていることを確認させてくれる。(堀江宗正)
蓮實重彦・山内昌之編『文明の衝突か、共存か』東京大学出版会 1995年
本書は、サミュエル・P・ハンチントンの「文明の衝突?」(フォーリン・アフェアーズ1993年夏号)という論文の問題提起を受けておこなわれた東大地域文化研究シンポジウム「文明の衝突か、共存か」(1994年5月7日)をもとにして編まれた論集である。
「文明の衝突」論とは、世界の文明を西欧文明、儒教文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、スラヴ文明、ラテン・アメリカ文明、アフリカ文明という八つに類型化し、冷戦以降の国際政治の枠組を「イスラム・儒教コネクション」対「西欧文明」という図式でとらえる議論である。
多くの論者は、ハンチントンの「文明」概念の曖昧さと同時に、その議論の偏向を指摘している。
麻生建は、18世紀フランスで生まれた「文明 civilisation」という言葉が、全人類の歴史的進歩・解放を意味する普遍的概念であったことを指摘している。このような「文明」という言葉を、日本にまで当てはめるとはどういうことか。ハンチントンの議論は、欧米が他の地域に対して覇権を握ることが不可能となった現代において、普遍性の要求を放棄して世界のなかの一つの個別的な構成要素として生き残る道を模索しているという現実を、図らずも反映しているとみることができる。
「文明の衝突」論のイデオロギー的とも言える性格を指摘する発言としては、ほかに次のようなものがある。ハンチントンの議論は、内容が平凡なだけに、欧米社会において人々の偏見を強める危険がある(山内)。「冷戦」とは、アジアやアフリカを戦わせておけば、みずからは血を流さずにすむと考えていた米ソの「対立」的な「共生」であり、それが不可能となったことからでてきたのがハンチントンの議論である(蓮實)。いまさら「衝突」に驚くのは、自分たちだけが文明だと思っていた人たちの思い上がりである(山内)。
だが、たとえハンチントンの議論にある偏向を読みとることができるとしても、「文明の衝突」という現実認識がまったくの虚構であると言い切ることはできない。問題はそれに変わる未来像を提示するということである。
石田勇治は、ハンチントンの議論がパワー・ポリティクス・モデル(軍事力をもって対抗する国家間の関係として国際政治をとらえるモデル)に近いとし、それに対し、「社会による世界」という視点に立つシヴィリアンパワー論(これまで国内的規範とされていたものを新世界秩序に応用すべきだとする論)を示す。パワー・ポリティクス・モデルに立つ外交リアリストの多くは、日本を危険な存在と見なしており、実際ハンチントンも日本の孤立という展望を抱いている。それに対して、シヴィリアンパワー論は特定の敵を想定しない。日本はむしろシヴィリアン・パワーのパートナーとして期待されている。
「文明の衝突」論は、国際政治の舞台で「宗教」や「民族」の差異が無視できない役割を果たしているという状況を念頭に置いている。そのような現状認識を踏まえつつ、宗教はどのような態度をとらねばならないのか。宗教者にアクチュアルな応答を迫っている書として本書をみることもできるだろう。(堀江宗正)
梶田孝道『国際社会学のパースペクティヴ――越境する文化・回帰する文化』東京大学出版会、1996年
本書は、国際社会学の視点に立った現代ヨーロッパ社会論(主にEU統合について)である。そこで論じられている事柄は非常に多岐にわたるため、ここでは著者の主張のなかでも印象深かった箇所を、評者なりに整理して再構成するというやや変則的なかたちでの紹介をしておく。
ヨーロッパ統合が進むにつれて、国民国家の権限は相対的に縮小しており、EU・国家・地域という三つの社会空間が併存する「3空間並存時代」が訪れている。
EUは、90年代にはいってからのナショナリズムの高まりにもかかわらず、長期的には、新たな「国民」を作りだしつつある。しかし、これは経済人や官僚や学生など広義の「エリート」にとってのことであり、複数の言語を用いることのできない「民衆」にとっても同じように重要であるとは言えない。したがって、地域によっては、民衆が「ナショナル=ポピュリズム」に依拠してエリート主導のヨーロッパ統合に反対するということもある。
ただ、ヨーロッパという大きな枠組のなかで、国民国家内における少数民族の分離・独立運動は、確かに、従来ほどは目立たなくなってきている。かわって焦点になっているのは、非ヨーロッパ系の移民をも巻き込んだ「文化的多様性」である。
いわゆる「民族問題」であるが、これは異文化間の必然的な葛藤としてはとらえられない。著者によれば、問題を引き起こしているのは、移民たちの「文化」や「宗教」の存在そのものではなく、むしろ西欧社会の変化である。
労働者階級が新中間層化した穴、また彼らが郊外へ離脱した穴を、移民たちは、階級的にも空間的にも埋めるようになった。彼らは定住外国人(デニズン)と呼ばれるが、経済不況と高い失業率を背景として、今日その存在は改めて問題性を帯びてきている。不要になれば切り捨てるというわけには行かない。移民と西欧社会の両者は、相互に隔離的、自己防衛的となっている。たとえば、「スカーフ問題」(スカーフをかぶって登校しようとするイスラム子女と、宗教の介入を認めないフランス公教育体制との衝突)や、極右勢力による外国人排斥の動きなどは、こうした趨勢のもとにある。これは一面的に、「民族問題」「文化衝突」として理解すべき問題ではない。
著者は、さらに詳しくヨーロッパにおけるイスラムの問題をとりあげている。イスラムは、西欧的な意味での「宗教」と異なり、私的空間にとどまらない日常生活全般を覆うものである。イスラムの今後の選択肢としては、個人宗教化、文化化、儀礼化、共同体再構築などが考えられるが、著者によれば、「イスラムが西欧社会と両立するためには、公的空間/私的空間という枠組みを受け入れ、私的空間に自己を限定すること、言い換えればキリスト教のような西欧的な宗教と「同型の構造」をもつことが必要」であるとされる。
なお、本書の結末部分では、多文化主義と、ハンチントンの「文明の衝突」論がとりあげられ、より一般的な議論がなされており、なかなか示唆的である。ただ付言しておくならば、第10章「合理主義・ポストモダニズム・原理主義」はゲルナーの議論にのっとって「文明の衝突」を検討しようとする興味深い試みではあるものの、やや強引すぎるきらいがあり、個人的にはあまり納得の行かない部分もあった。
本書は、重複や繰り返しが多いし、通読して一貫した筋があるようにも思われない。しかし、現在進行中の問題に取り組んでいる著者の論文集であるという性格上、それもいたしかたない。目次や巻末の索引を利用しながら関心のあるトピックや必要な情報にあたるといった読み方も可能であろう。(堀江宗正)
栗本慎一郎・河上倫逸・丹生谷貴志・山口昌夫『「狂気」が「正気」を生んだbb日本が知らないもうひとつのヨーロッパ(上)』(栗本慎一郎「自由大学」講義録B)光文社(カッパ・サイエンス)、1995年
栗本慎一郎・樺山紘一・合田正人・今福龍太『ユダヤがイスラムを生んだbb日本が知らないもうひとつのヨーロッパ(下)』(栗本慎一郎「自由大学」講義録B)光文社(カッパ・サイエンス)、1995年
「自由大学」。聞き慣れない名前だが、学問について基礎的素養があり(大学の教養課程修了以上)、学問に情熱をもちつづける人々に開かれた自由な学問と教育の場である、という趣旨の説明がなされている。学長をつとめるのは経済人類学者の栗本慎一郎氏だが、気鋭の研究者を招いて主に文明論にかかわる講義を開いており、これまでにも二冊の講義録を出版している(『いま「ヨーロッパ」が崩壊する』、『日本にとってアメリカとは何か』)。
栗本学長は次のように前置きしている。近代ヨーロッパから生まれた東西の両イデオロギーが崩壊したいま、そのひずみや限界はいよいよ露呈してきている。また、ヨーロッパ中心の世界観や世界体制も揺らいできている。そのツケは、ヨーロッパの作り上げてきたものを金科玉条として受け入れてきた日本人にも回ってきていると言える。しかし、だからといってそれに代わりうるものがあるのか。1970年代以降の反ヨーロッパ主義的な近代批判は、西ヨーロッパにおいて異端や周縁とされてきたものを非近代的なものとしてとらえ、それをヨーロッパ近代に代わるものとして打ち出してきたが、そもそもそれらはほんとうに排除されてしまったのか。むしろ、排除されずにヨーロッパのシステムのなかに取り込まれているのではないか。もしそういった外部のなかに「代わるもの」を見いだすことができないのであれば、ヨーロッパを相対化したうえで、ヨーロッパの原理をまとめてゆき、それを金科玉条とするのではなしに、せめて銀科玉条くらいにして個別にヴァリエーションをつけてゆくほうが賢明なのではないか。
そのような学長の問題意識のもと、それぞれ一流の講師陣が、近代法の相対化と法の多様性の発見と「自然的な法」の提唱(河上)、グノーシス主義(丹生谷)、ロシア神秘主義(山口)、ヨーロッパ中世のイスラム像(樺山)、カントの「境界」概念をめぐるユダヤ人哲学者の思想とその政治哲学的含意(合田)、ユダヤ人のディアスポラ(民族離散)の歴史とディアスポラの現代的意義づけ(今福)、などといったテーマでたいへん分かりやすい講義をしてくれている(本のタイトルや目次の章立ては今一つ内容を正確に伝えていないような気がする)。
しかしながら、わかりやすさとは裏腹に、そのレベルは決して低くない。河上氏や合田氏の講義はまさに「碩学」と形容したくなるようなものである。とくに合田氏の講義は、研究書の体裁に発展されれば、おそらく相当の評価を受けるようなものであろう。
難を言えば、前置きの問題意識に呼応するような結論めいたものがないという点があげられるであろうか。しかし、それは読者(学生)各自の思考にゆだねられているのかもしれない。
ともすればヨーロッパ近代主義を批判して、「東洋」や「霊性」に傾くような言説が語られる昨今においても、地に足のついた真摯な思考を心がけている研究者はいる。そういう人々の問題意識を一般の読者にもわかりやすいかたちで伝えようとする本書の姿勢には好感が持てる。(堀江宗正)
阿部謹也『ヨーロッパを見る視角』岩波書店、1996年
著者はヨーロッパ中世史専攻ながら、前著『世間とは何か』(講談社刊)では、日本の社会を「世間」としてとらえ、日本の思想史上世間がどのようにとらえられてきたかを跡づけるという野心的な作業をおこなっていた。本書では、そのような問題意識を引き継いで、みずからの専門分野であるヨーロッパ史において、世間からの「離陸」、個人の誕生がいかにして起こったかということを詳述している。
「世間」とは、年功序列、贈与互酬関係、葬祭参加の義務を特徴とする人間関係の絆のことであるが、これは、譲渡不可能な尊厳をもった個人によって作られるヨーロッパ的な「社会」とは異なるものであり、そこでは個人の意志は尊重されない。しかし、11世紀以前のヨーロッパでは、むしろ世間に見られるような人間関係のほうが主流だった。封建社会では、贈与互酬関係は、主君と家臣の関係を維持するために欠かせなかった。物語を見ても、個人の内面の記述はなされていない。
変化が起こるのは、キリスト教がかなり浸透する11世紀からである。禁欲・寄進・施しによって死後の救済が約束されるという観念から、贈与関係のなかに死後の救いという普遍的な尺度が入り、それを教会がとりまとめるに至って、公的なものが成立してくる。つまり、贈与行為はもはや世間の枠組には収まらなくなるのである。教会のカテドラルや芸術作品などは、公的財産として生まれてくる。だが、死後の救済を見返りとするような、こうしたかたちを変えた贈与慣行の原理は、のちにルターによって全面的に拒否される。
またこの時期は、古代ローマ帝国形成の根源にキリスト教の力を認め、それを支配に活用しようとしたカール大帝による文芸復興(カロリング・ルネサンス)が起こる時期でもある。すべての現世の権力は神に由来する、というのも楽園追放以後、人間は不完全な存在となったために、彼岸への準備を助ける国家の役割が不可欠だからである、というような公式見解が定着する。このような国家の役割は、告白を通じた個人の内面の支配によって、果たされる。国家は罪の意識を基礎としてつくられたと言っても過言ではない。1215年のラテラノ公会議では、年一回の告白はすべての成人男女の義務とされ、それに背けば地獄行きであるということが広く教えられるようになる。以上のことを逆に言うと、「個人」は、国家と腕を組んだ教会のまえで自分がやったことを告白することによって成立した、ということになる。自己の存在を確認する際の基準は、他の人間たちとの関係ではなく、贖罪規定書にしるされた罪の目録になる。このことは、世間からの離陸と個人の誕生をしるしづける。
ヨーロッパでは、生産力の高まりを背景として11世紀以降、都市が本格的に成立してくる。貨幣の流通とともに、都市のなかでは贈与慣行が存続しにくくなる。見知らぬもの同士の付き合いが増えると、「礼儀」が重要性を帯び、個人の位置する階層を示す指標となる。礼儀を身につけることによって、つまり民衆文化特有のグロテスクなものを排除することによって、エリート文化が成立する。学問もエリート文化の影響を受け、彫刻における「古典的身体」に象徴される規則・秩序・基準・構想・様式の理念が学問の原則となる。また、学問は禁欲的な苦行となり、立身出世と結びつくようにもなる。
11世紀に本格的にキリスト教が浸透する際、伝統的民衆文化のさまざまな慣習は、贖罪規定書に罪の項目として書き込まれる。それらはグロテスクなものとして排除され、その結果、近代合理主義への道が開かれる。「市民意識の成立」とは、ほかならぬ人間のあり方について画一的な基準が生まれたということを意味する。都市の生活様式はやがて世界市民主義の原点となる。
本書では、日本の世間との比較も随所でおこなわれているが、まとまった論述がなされているとは言えない。基本的には、著者の専門であるヨーロッパ史の叙述に紙面の多くがさかれている。したがって残る疑問は、ヨーロッパに由来する思想、社会形態、経済のあり方は日本にも入ってきているのに、なぜ日本では「世間」がいまだ根強いのか、ということになるだろう。
まなざしは再び日本に向けられる。そのことは著者自身もあとがきで予告している。次回作は、明治以降わが国において個人と社会の関係の枠組となってきた「教養概念」をめぐるものになるとのこと。ヨーロッパ史と日本史を往還するする著者の研究の熟成が楽しみだ。(堀江宗正)
ジョージ・L・モッセ(三宅昭良訳)『ユダヤ人の<ドイツ>――宗教と民族をこえて』講談社、1996年(講談社選書メチエ)
本書は、いわゆる「ホロコーストもの」ではない。テーマは、ナチズム政権掌握前に形成され、そしてそれを乗り越えたドイツ・ユダヤ人の知的伝統である。
ドイツにおいてユダヤ人が解放されたのは、啓蒙主義の成熟期にあたる19世紀初頭であった。人間の可能性と自律性への信頼、そして理性を働かせることによって誰でもこれらの理想に到達できるという啓蒙主義的信念は、彼らがドイツ文化に同化する際の支えとなった。とくに<教養>の理想は重要である。ドイツ語の<教養(ビルドゥング)>は、自己教化・自己修養・人格形成・道徳教育などをも含意する。個人の人格の開花をとおして民族性と宗教の相違を超越しようとする<教養>の理想は、ユダヤ人同化のために都合の良いものだった。それを通じて、宗教や民族を超えたアイデンティティの探求が目指され、それが新しいユダヤ人のアイデンティティとなったのである。
E・ルートヴィヒとS・ツヴァイクは、歴史評伝を書いて人気を博したが、彼らにとってのユダヤ性とは、国民主義と宗教を超えて個人のアイデンティティを探し求めることであった。そのような探求のあり方を示すことによって、彼らはドイツの民衆に大きな影響を与えた。
学問的貢献は、このような文学による影響よりもっと永続的だった。そこでは、合理主義による神話的なものの追放(非合理的なものとの直面を通じて)が目指された。フロイトの精神分析はそのいい例である。また、フランクフルト学派に代表される左翼的ユダヤ知識人は、アウトサイダーとしての立場から理論化と批判を通じて終わりなき解放のために闘う<教養市民>であり、人間の一人一人が革命プロセスの中心であることを強調し、マルクス主義を人間化し、その硬直を打開した。しかしながら、彼らは、理論と教養に没頭するばかりで火急の政治的要請に十分対処できなかった。
総じて、ドイツ・ユダヤ人を待ち受けていた悲惨は、<教養>の理想にしがみついたがゆえの悲劇であった。中産階級の生活様式への固執、文化と政治の二分、文化的解放によって政治的解放も果たされるはずだとの信念、これらがドイツ・ユダヤ人の限界であった。
だが、ヨーロッパの知的伝統への影響は大きい。著者は力説する。独裁、戦争、ホロコースト、敗戦を乗り越えて、ドイツのすぐれた自己を保持し続けたのは、ほかならぬドイツ・ユダヤ人の<教養市民階層>だったのだ、と。自己教化と寛容と合理化の理想は、このいまだ不安定な世界においては、将来への希望である。とりわけ国民主義[ナショナリズム]の人間化は、われわれが生き残るための緊急の課題である。
碩学の手による本書にあえて注文を付けるならば、対象の限定ということを考慮に入れても、本流のドイツ文化の影が薄すぎる、ということが指摘されよう。著者によれば、「残りのドイツ人」が目指してゆくドイツとは、啓蒙主義ではなくロマン主義であり、合理主義ではなく非合理主義であり、普遍主義ではなく国民主義である。だが、ドイツ文化のなかには、これらの二分法を打開し、あるいは両者を総合する試みも連綿としてあったはずである。もちろん、結果的にそのような試みも後者の国民主義へからめ取られてゆくのではあるが。
いずれにせよ、ホロコーストの悲惨さを強調し、犠牲者を哀れみ、過去を懐かしむようなきまりきった歴史記述と一線を画する本書のユニークさは、評価されるべきである。ドイツ・ユダヤ人の失敗の原因をかみしめながら、その遺産である理想を未来に生かそうとする姿勢に、著者の歴史家としての真摯さが感じとられる。(堀江宗正)
森本達雄『ガンディーとタゴール』第三文明社(レグルス文庫)、1995年
本書は、近代インドの巨人であるガンディーとタゴールの生涯と思想を平易なかたちで紹介した書である。NHKラジオでの放送原稿をもとにしたものなので、なじみやすい語りかけるような文体が特徴的である。
ガンディーと言えばインド独立の父である。しかし、著者はあくまでもガンディーを、人間の聖性の可能性を極限まで高めた普遍的な人格として描き出す。「マハートマ」(偉大な魂)という言葉が冠せられていることからもわかるように、「同時代のインドの国民大衆にとっては、たんに民族の自治・独立闘争の政治的指導者というよりも、むしろ精神の解放者、魂の救済者として崇敬を集めていた」(115頁)のである。たとえば、非暴力の抵抗も、たんなるレジスタンスのための一手段というよりは、「サティヤーグラハ」(真理の堅持)であった。つまり、人間の善性や良心への信念にもとづいて非暴力を貫き通すと同時に、真理にもとづくと信ずる自己の主張を徹底的に貫き通すことなのである。たとえば1930年に「完全自治」を目指しておこなわれた「塩の行進」は、「暑いインドでは誰にとっても必需品であり、しかも大自然の恵みである塩に高い税をかけるのは筋違いである」との信念からおこなわれた。数千人にもふくらんだ非暴力の集団は、海水で沐浴し祈りをささげたのちに、製塩法に反して海辺の小さな塩のかたまりを拾い集め、そして待ちかまえていた警官隊に棍棒でうたれる。それでも、彼らサティヤーグラヒ(サティヤーグラハの実践者)は塩を拾いつづける。その姿は、痛ましくも壮絶だったという。このような言語を絶するような闘いに民衆が死をもかえりみず参加したということは、それ自体、奇跡としか言いようがない。
他方、タゴールは、アジアではじめてノーベル文学賞を受賞したインドの国民的詩人である。世界をマーヤー、すなわち幻影、迷妄と見るようなインドの伝統的な苦行主義に反して、タゴールは生命の賛歌を歌い上げた。その歌は民衆に親しまれており、インドとバングラディシュの国歌はともにタゴールの作詞・作曲である。また、詩人はその詩の内容の普遍性でもって、人間の魂のユニティを実証した。彼は、地球上のさまざまな風土に、それぞれ違った宗教・文化・歴史をもっている多様な民族が、精神の一番深いところでは一つなのだという「人間の宗教」を確信していた。そしてそれを、みずからの詩でもって世界中の人々に確信せしめることができたのである。また、彼は政治の分野では、初期インド民族運動の有力な指導者のひとりとして、民衆の先頭に立って反英自治運動を展開した。さらに、独自の教育観をもって学校を創立し、それを東西文化の出会いの場をモットーとする国際大学へと発展させた。その多方面にわたる天才ぶりに、まさに「インドのゲーテ」と言われるゆえんを見いだすことができる。
それにしても、ガンディーとタゴールの接点は何だろう。それは、本書ではさらりとしか述べられていない、日本人である著者の両巨人との出会いの経験に求めることができるかもしれない。おそらく、それは、大戦期に少年時代を過ごした戦後の知識人による東洋の見つめなおし、という言葉に要約されるものであろう。反エリート主義的な民衆中心の視点や、ヨーロッパ文明への距離の置き方には、ある世代的性格が反映されている。しかし、本書が伝えるのはそればかりではない。二人の精神的指導者の霊性の高さが深い共感をもって語られている。もしかすると、より若い世代にはそちらのほうがアピールするのかもしれない。(堀江宗正)