ボーア 

Niels Hendrik David Bohr

1885.10. 7 - 1962.11.18

 デンマーク生まれ。 父は、生理学教授。 コペンハーゲン大学に学び、サッカー選手であった。 極度の"字を書くこと"恐怖症であった。 1911年学位をとり、ケンブリッジ大学へ行きラザフォードの教えを受け、1916年帰国して母校の教授となる。 1913年水素スペクトルの研究をし、水素原子模型を発表した。 原子条件などから一般の原子の構造を明らかにした。 対応原理相補性原理等を提唱し、前期量子論の発展に尽力した。 コペンハーゲンのボーアの理論物理学研究所には世界各国の若い研究者が集まり核物理研究のメッカといわれ、彼の思想は"コペンハーゲン・ガイスト"と呼ばれ絶大な影響力を与えた。 1940年ナチスがデンマークを占領したとき、投獄を逃れてイギリスに渡り、更にアメリカへ行き原爆開発計画に参加した。 戦後帰国し、原子力の平和利用の推進に努力し、1955年ジュネーブに原子力平和利用会議を組織した。 彼の息子のオーゲ・ボーアも核理論の世界的指導者である。