水浜電車(茨城交通大洗線 大洗-海門橋・湊区間)

かつて県都水戸と大洗海岸を結んだ地方電鉄が姿をほとんど消している。
大正年間に祝町、海門橋と開通した水浜電車は昭和5年1月22日、ついに那珂川を越えて那珂湊の湊駅まで開業、全線の営業運転を始めた。
しかし早くも昭和18年9月に台風で路盤流失、休止している。
地元の人でも「水浜電車は海門橋止まり」と思っている人が多い。
いや、この地にかつて鉄道が有ったことを知らない住民の方が圧倒的に多いかもしれない。


この訪問にあたり、線路跡に住んでいる人から貰った当時の地図にも海門橋までしか線路は描かれていない。
昭和15年頃というから、記録の上では湊まで渡っていた頃のはずなのだが。

その代わりではなかろうが、鉄道関係の記録には登場しない「松林」停留所なる駅が描かれている。
この駅に関する記録はこの地図以外今のところ何も見付かっていない。

また、大洗駅から松林の駅の先の道路までは、現在大洗ゴルフ場の敷地として整備され、影も形もなくなっている。

(1)
上の地図で松林から道路を渡った先の「水浜電車」という文字の「水」あたりから那珂湊方向を見た写真。
白いトラックが停まっているあたりに線路が有ったらしい。
勿論線路跡のセの字も見当たらない。
この近所では枕木やレールを使った杭を見かけるが、大きさからして常磐線の枕木のようである。

(2)
上記地図中央付近の祝町停留所の前にあたる道路から那珂湊方向を見た。
この地図によると線路はこの交差点を越えた後すぐに左へ曲がって池をぐるりと廻っていたことになっている。

(3)
「池」という文字の東側から覗き込んだ状態。

(4)
線路が左カーヴしたとされる付近から池を見た写真。
高低差が極めて大きい。池の中に立っている昔懐かしい木の電柱から、この高さが想像できると思う。
線路は池のはるか上を通っていたとすると、池を廻った先で更に大きな高低差に出くわすことになる。
(2)の写真の交差点の先、道路沿いに降りていったほうが線形としては自然なのだが…

(5)
もし道路沿いだったとしたらこんな感じ。
地図の池という文字の東側の道路に相当する場所である。

(6)
坂を下りきった北宅前。
Y字路になっているが、左が海門橋駅、直進が湊駅方向と推定している。

  
(7)
現在の海門橋から(6)の撮影点を見下ろした写真。
(8)
海門橋駅跡と思われる地点。
行き止まりで、この先は川である。
電柱の下の青シートの陰には…
(9)
う〜ん、以前は「水浜」の文字がはっきりと残っていたのだが…
(10)
道路直進した側、早い時期に無くなったはずの側にはなぜか茨城交通の新しい杭がある。
上記の疑問を少し解消しそうな写真を入手。こちらをご覧下さい。
1974年に撮影されたとされるもの。海門橋の南西側(左下)にΩカーブが見えてきませんか?
もしこれが線路跡ならば(7)の写真中央の電柱で分断された屋根の右側から現れた電車が資材置場を抜けて白い1BOX車のところから撮影点下の道路に入り、下記(11)へ向かうことになる。
(11)
現在の海門橋の下を道路がくぐっている。
橋に対して直角に通すのが設計時の常識らしいが、ここはかなり角度がついている。
(12)
橋をくぐった出口。
ここで90度カーブして那珂川を渡ったのだろう。
(13)
上の写真のボルボの後ろ側(^^;で那珂湊方向を見る。
実はこの先の道路はほとんど水平なのだが、線路はかなり低いところまで降りていたようである。
(14)
道路の先、駐車場状態のところから川を見る。
川の中に当時の橋脚が見える。
四角く飛び出しているのは満潮時も水面に顔を出すよう、後に作られた構造物で、当時のものではない。
(15)
川岸まで降りてみた。
手前は橋脚の倒れた残骸、川の中が先ほど見えていた橋脚跡、対岸が那珂湊。

(16)
チャーター機からの空撮。(大嘘)
右側の写真、右下に足だけ写っている釣り人から、橋脚の巨大さが想像できよう。
鉄道専用の橋ではなく、道路併用だったため、このサイズとなったらしい。

(17)
左は海門橋の歩道にある、鉄道併用橋と昔の木橋が一緒に写った写真。
右側の写真は以前本猫が年賀状にリクエストした写真。誰が版権持ってるのかわからんヾ(^^;)
電車が那珂湊まで走っていた証拠写真(^^;
昔漁師をしていたという老人は「子供の頃は電車の橋から川へ飛び込んで遊んだ。ここから飛び込めないようでは男とは認められんかった」という。
写真から想像すると水面まで5mから6mくらいか? ここらへんは深いところで水深5m以上(潮位によって変わる、何しろ太平洋まで500mないのだ)あるが…
川底はほとんどが牡蠣(淡水というか汽水域の牡蠣だから不味いよ)、底にぶつかれば痛そう…
(18)
上の写真の撮影点から少し下で撮ったのがこれ。
撮影点そのものずばりは簡保の宿が建っているので角度が少しずれている。

(訪問 平成15年8月16日)

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