| 司法修習日記 研修時代のよき想い出たち |
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1998年5月。前期修習の日々です。
当時、研修所はまだよく分からない世界。
文面からも気負いが読みとれてちょっと恥ずかしい。
でも、それなりにいろいろ考えていたのだと思います。
意外に早くから就職を意識していたのだなーと今さらながら驚く次第。
5月。ようやく修習にも慣れた。
元来、人見知りが激しいほうなので困ることが多かったけれど、
研修所はわりと楽だった。
やはり、年代や性格は違っても、共通の基盤を持っていることが大きい。
ちなみに、修習が終わるころには、こういう性格はけっこう治る。
4か月おき(現在は3か月おき)に修習先が変わるし、
法律事務所の依頼者、検察庁での被疑者はじめさまざまな人に会うので、
人見知りしていたらやっていけない。
ゴールデンウィークが終わり、
通称はとバスツアー、「見るだけ」の事務所訪問が始まる。
この時期、訪問を受け入れているのは当然大手渉外事務所。
いちおう電話はしているらしいが、押し掛ける、と言ったほうが近い。
らしい、というのは僕が単に人の尻馬に乗って出かけていたから。
どこのクラスには幹事役というか渉外志望の鼻息荒いのがいて、
訪問のとりまとめをしてくれる。
彼らは必死に、一般弁護士や任官志望者もそれなりに回っているようだ。
1か月でフタケタ行ったとか、1日に2件ハシゴしたという見上げたヤツもいる。
内容はと言えば、まあ、軽く事務所の中を見て、あとは本命の会食。
難しい話は、昨日修習生になったばかりの人間に分かるわけがない。
唯一絶対の楽しみが「酒池肉林」なのである。
そのへんは、応対する事務所側も心得たものだ。
とりあえずの話題として、将来の希望を訊かれる。
修習生同士の飲み会でも、定番の話題だが、そのたび、答えに詰まってしまう。
修習生の中には、任官か弁護士なら渉外が「勝ち組」という不文律がある
外枠だけですべてが決められている気がする。
前期中には就職を決めるとか、
うっかりすると修習前の内定が出ているとか、そんな怪情報が飛び交う。
任官希望者も、前期中に意思表示するらしい。
なんだか一人だけ乗り遅れている気がする。
受験生のころめざしていたのは、「できる町の弁護士」だった。
でも今は、俺は町の弁護士でいい、とつい言ってしまう。
渉外のどこが魅力なのか、なぜ裁判官になりたいのか、
飲めば手当たり次第に尋ねまわっている自分がいる。
もしかしたら、嫌われているかもしれない。
答えがほしいわけではなかった。
なぜ町の弁護士をめざしたのか、自分に尋ねていた、そんな気がする。
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1999年9月。民事裁判は実務修習の最後でした。
しょせんゼニカネの問題じゃん、と思っていた民事裁判は、どっこい深いものでした。
法律家は理屈ばっかり、言い古された言葉だけれど、
なかなかそこから抜け出すのは難しいようです。
研修所では、前期、後期の民事裁判講義で「要件事実」という理屈を叩き込まれる。
なかなか、法律家以外の方に説明するのは難しいが、
法律というより数学か論理学のような純粋な理屈だ。
原告は「100万円貸した」ことを主張立証すれば勝訴することができ、
「返済した」ことは被告が主張立証しなくてはならない、
それができなければ被告の負けだ、とかそういうことを言っている。
が、何とというか案の定というか、
実際の裁判所では要件事実はほとんど役に立たなかった。
(もちろん、基本として必要なのだけれど、それだけでどうこうなるわけではない)
民事事件は、やはり現実味がある。
どんなにがんばっても、刑務所や留置場の中のことは想像の世界。
でも、離婚や借地借家紛争は自分の近くでも起こったことがある。
専門の検事が公訴を維持する刑事裁判は、どうもセレモニー的な面が大きい。
自白事件、争いのない事件ではなおさらだ。
形式的な証拠調べと、情状証人が来る程度。
いまいち、変化に乏しい。
民事裁判では、本人訴訟もあれば、弁論準備室での駆け引きもある。
なんとも法律家の想像を超えた訴えもある。
家屋明け渡しの訴訟のはずが、高齢の被告の一代記を聞く期日になってみたりする。
その中で思うことは、「法律と義理人情」。
ありきたりの答えだけど、やっぱり永遠のテーマという気がする。
裁判は常識が通用しない、法律家は理屈ばかりと言われる。
借家の明け渡しにしろ、離婚にしろ、借金にしろ、
感情的に一方の当事者に肩入れしたくなることはいくらでもある。
裁判官に感情がないわけじゃない。
しかし、悔しいかな証拠が付いてこなければ、感情だけで勝たせるわけには行かない。
それが、裁判の限界というものである。
裁判官は、強いものの味方をするのか、ウソのつき得なのか・・・・そう言われる。辛い。
ある弁護士に、民事は、判決をもらったら負け、例え勝訴でも負けと言われた。
当事者間の感情、執行の困難などを考えれば、まったくもっともである。
本来、たとえ訴訟になっても、和解が解決としては正当なのだろう。
「悪しき和解もよき判決に優る」という法格言もある。
話をじっくり聴くだけで半分以上解決する事件もある。
いっそ、民事事件も家事事件同様、調停で解決する道がある。
どうせなら、すべて調停前置、
まずは調停をしてから訴訟というわけにはいかないだろうか?
そう考えながら、毎日判決を書いていた。
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1999年5月記。
修習中、僕はなぜかテレビの入る法廷が多く、5回ほど「出演」しました。
と言っても、法廷の隅っこでちらっと映るだけですが。
そこで僕のテレビ画像登場体験。
テレビ。
この言葉は修習生を興奮させる。
ニュースのときにちらっと法廷が映る。
あれには細かい内規があり、撮影は裁判官が着席してから2分間、
VTR、スチールとも代表1台、照明機器は使用できない。
裁判官のアップは禁止、という空文化したものもあるらしいが。
もっとも、修習生にとってそんなことはどうでもよく、
ひたすら裁判官席の下、
法廷の隅で画面に登場できるかに唯一絶対の関心を抱いている。
できれば自分をアップにしてもらいたいと思うくらいだ。
テレビ局は修習生など端から映す気がなく、
アングルに入ってしまうのを「ジャマだなー」とでも思っているのだろう。
裁判官は慣れたもので、
裁判官室にいるときから「またか、ヤだなー」(でもけっこう意識している)。
修習生のほうは鏡を見て容姿をチェックし、鼻息荒く法廷に臨む。
自宅では予約してきたビデオが作動している。
さて、その結果。
裁判官が入廷し、カメラが廻る。この2分、尋常でなく長い。
余裕の態度だった裁判官も、どうやら落ち着きがなくなる、
ある刑事部の部総括判事は、「カメラをにらみつける」と豪語したが、
修習生はそうもいかない。目のやり場に困るのは、
電車の中でミニスカートの女性と向かい合ったときだけではない。
カメラがでていき、判決を待つ被告人が入廷。
彼はこの成り行きを知らない。
修習生席からも、緊張のあまりふるえているのが分かる。
いまさらながらに自分の不謹慎さを思い知る。
同じ日の午後。
ごっつい典型的な覚せい剤取締法違反。テレビカメラが入るはずもない。
昼飯が胃袋の中で落ち着くと、瞼までが落ち着いてきそうだ。
女性の被告人が小さな声で話している。よく聞き取れない。
これまでの人生、家にいる子供、男のとの別れ、淋しさを紛らわせようとしたこと・・・・。
お決まりのパターンだな、そう思いかけたとき、突然鳴き声がした。
彼女が、証言台に突っ伏している
刑事弁護の神髄は情状弁護だ。そう聞いたことがある。
テレビカメラの見つめる法廷でも、無人の傍聴席を背にしながらでも、、
被告人は同じ思いで話し、判決を聞くに違いなかった。
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1998年11月、1999年1月。検察修習は冬のさなかでした。
検察修習は、たいてい修習生が1部屋に集められています。
当然、おしゃべりの巣窟と化してしまう。
そんな中でも、やはり実際の「取調べ」は特異な体験でした。
取調べ。
するのもされるのも嫌だ。
検察修習の素朴な感想。
黙秘権の告知をしなくてはいけない。それは分かっている。
もちろん検事がしっかり告知してくれている。
実際調べはじめると、あんなこと教えなけりゃよかったと、
憲法も刑訴法も国際人権も何万光年の彼方へ吹き飛ぶ。
修習中、ようやくこらえたが、検事になったら一線を越えてしまいそうで怖かった。
「被疑者取調の実際」なんて読んでみるが、これほど役に立たないものもない。
今から取調べ修習拒否というわけにはいかないだろうか、なんて考えてみる。
くたびれた被疑者は、自分の親より年長だった。
どうも、相当数の余罪がある気がする。最終のものは水際だった犯行だ。
警察のほうもまだ割ってはいないらしい。
余罪取り調べの限界、というのも受験時代勉強したが、
今回は同種・関連余罪ということで問題はない(よなぁ?)。
「真実発見」というのは、追及する側になってみると絶対の価値のように思えてくる。
勢いよく調べに望んだものの、あっさり否認された。
その後、警察から送られてきた記録を見ると、相変わらず余罪は否認しているが、
経歴、資産、生活などまでウソばかりと判明。
怒りというより脱力してしまった。
頭の中で何かが音を立てた。ムリして次の日に彼を押送してもらった。
が。
反省しているというだけで通用するものか。
余罪はありません、とてもそうは思えない。裁判官が納得すると思うのか。
何だかありきたりのこ言葉しか出てこない。
それが自分で悔しい。
イライラするうち、ふと口からこぼれたセリフがある。
「私はあなたのお子さんより年下です。悔しくないですか・・・・」
これが意外にきいたようだった。
まったく何でも口にしてみるものだ。
彼は言った。
余罪は、覚えているだけでも十数件ある。最初はおっかなびっくりでしたよ。
そのうち慣れて、どうせ捕まらないと思ったんです・・・・。
やっぱり、カッコつけますよね、やっていないと言いたかった。
そんな中で、彼が最後まで譲らなかったことがある。
奥さんも、友達も、みんなそうじゃないと言っているよ、
と水を向けるのだが、頑として応じない。
経歴について、ほんの些細なことだ。事件と大きな関係はない。
しかし、記憶違いとも思えない。
相部屋の修習生は、「そんなのウソ言ってんだろ。なんか理由があるんだよ」。
そうかもしれない。しかし、僕は譲ることにした。
彼の言うままの調書を作り、検事の承認を取り付けた。
結局、真実は分からない。
でも、これもひとつの真実発見、
そういって悪ければ真実を作ったことなのではないか。
それとも、甘い自分がいいようにあしらわれただけだったのか。
迷いながら、「彼」と別れた。
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僕の実務修習は弁護から始まりました。日記は1998年7月のもの。
右も左も分からない。
暑い盛りに、ひたすら指導弁護士について歩いた気がします。
そして、事件や社会というものが、はじめて、少しだけ分かった気がしたのでした。
前期の終りはとにかく慌ただしかった。
6月いっぱい続いた起案が終わると、女装コンテストが異様だと
「フライデー」にまで載ってしまったいずみ祭(研修所の文化祭)。
クラス旅行、度重なるコンパと、
後期修習まで1年4か月の別れを惜しんで修習生同士の親睦を深めたのだった。
その余韻を引きずったまま、実務修習に突入することになる。
まずは弁護修習。一対一ということもあり最初の数日は緊張の極みだ(1週間で慣れる)。
金魚の何とかよろしく指導弁護士にくっついていれば問題はない。
起案ももちろんあるが、弁護士の一日を見聞することが修習の中心のようだった。
そんなわけで、役場の無料法律相談に出かけた。
だいたい一日5〜6件。離婚、相続、借地借家が三本柱だろうか。
泣かれてみたり、グチ聞きみたいのもあったり、けっこう大変である。
みのもんたも大変やね、とすこしだけ同情。
そこへ現れた若い女性。おぉ。正直言って、好みである。
思わずイスを一歩前に引き出し、弁護士にも相談者にも不審がられる。
アルバイト先から受け取った給料が足りず、店長に交渉したが、払わない。
遠方の出張だというので電話をすれば「ここまで取りにこい」という始末だったらしい。
給料ね、取り立てるのけっこう大変なのよね、
少額だし、不況でみんな経営苦しいし、と思っていると意外な一言。
バイト料は取りました。警察とか、労働基準監督署の人と一緒に行きましたから。
・・・・ん? じゃ何を請求したい?
「店長がそのとき私を侮辱したり暴力を振るったりした。
慰謝料と、それから取りに行った交通費がほしい」
気持ちは分かる。
分かりすぎるほど分かる。
僕も以前バイト料踏み倒されたし、払いの悪い嫌な社長もいた。
しかし、だ。
裁判を起こせば費用がかかる、仮に取れても弁護士を依頼すれば赤字になる、
執行ができなければ判決も絵に描いた札束、
相手がそういう人物なら取立ての精神的負担は想像を絶する。
弁護士も、法的にはもちろん取れるが、結局費用対効果の損得勘定だと答えた。
彼女は、それでは結局違法な者が野放しではないか、
執行でも何でもする、と穏やかでない。
私も弁護士と一緒になって説明したが、最後は「どうしても気持ちが収まらないなら、
費用倒れを覚悟でやってみたらどうか、本人訴訟なら赤字にはならない、
ただその精神的肉体的負担は大変ですよ」と言うよりほかなかった。
民事訴訟法改正は、利用しやすい裁判制度を実現するためだという。
しかし、どんなに手続きを整備しても、
そもそも法的手続に踏み切ること自体大変な決断を要する。
少額訴訟、支払督促など、異議が出て通常手続に移行してしまえば、
はたして自力で訴訟を続けられるのか。
最近は、異議率も非常に高い。そうやすやすと思い通りにはならないのだ。
裁判所も、本人訴訟だからといって特別な肩入れはしてくれないし、するわけにもいかない。
そうなると、コストパフォーマンスの望めないような少額の争いでは、
結局ムリが通って道理が引っ込む。
費用倒れでスジを通す人間が多数派にならない限り、
強いものの意識は変わらないのだろうか。
そういう正義を通せる手続きができたとき、
はじめて民事裁判は市民のものになったと言えるだろう。
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多くの修習生にとっては人生最後の試験になる二回試験。
司法研修所の修了試験です。
落第者は例年ほとんどいないことが、かえって緊張を誘います。
後期はひたすら二回試験のためにあった。
「二回試験」という用語、誰が使いはじめたのか知らないが、
教官も含めてみんなこう呼ぶ。
さすがに公式な文書には「司法修習生考試」とあるが、
これとても正式名称ではないらしい。
結局、正しい名前は誰も知らないまま、二回試験でことが足りている。
筆記が6日間、口述が2日間。
筆記はおおよそ朝10時から午後6時まで。
現代の科挙と呼ぶには、司法試験よりこちらがふさわしい。
もっとも、科挙は一通の答案を作成するのに数日を要し、
さらに一日の延長ができたというから、
二回試験などとるにたりないのかもしれない。
さて二回試験。
毎日、新品の記録(これは秘密保持上仕方がないが)と
新品の資料(ちゃんとした研修所の教材である)が配られ、
ひとりに1冊新品の六法が貸与される。
受験料を取っているわけではないから、これだけでも大変だろう。
風邪をひいて難儀したこと以外は、大変という印象はなかった。
強いて言えば、トイレに行く途中の廊下にまで監視者がいること、
朝から晩まで一言も口をきいてはならないことが
おしゃべりの僕にとっては苦痛だったとは言える。
試験終了後は、海外に出かける人が多かったが、
飛行機嫌いで金のない僕は何事もなかった。
悲しいくらいに、ヒマだった。
合格発表は全試験終了のおよそ10日後。
早くも、何の科目は及落を決める会議を開いたとか、
こんな失敗例があるなどウワサは飛び交っている。
掲出時刻の午後5時には、けっこうの修習生が集まっていた。
司法試験もそうだったが、夕刻に合否を発表するのは、
そのまま祝い酒ないしはヤケ酒に移行できるようにという当局の配慮なのか?
思えば、後期が始まるころ、終業になって帰る5時にはもう暗くなっていた。
今日はまだまだ明るく、風は強いがどうにも寒いわけでもない。
そのくらいの時間が経ったということだった。
二回試験は「落第者」の番号を発表する。
張り出された紙に、僕の番号はなかった。
思えば、法曹資格を得るために過ごしてきた時間は長い。
このゴールがスタートなのだ、などと分かったことをいう気はない。
素直に、ゴールはゴールとして慶びたかった。
そのはずなのに、なぜか合格を知っても何の感慨もない。
それだけ、法曹として生きてゆくということが
自分の中で既定の事実になってしまっていたのだろうか?
それとも、喜びを感じられないほどの不安があるのだろうか?
まだ、自分でもよく分からない。
ただ、もう一度人生をやり直せるとしても、
同じように司法試験を受け、研修所に入っただろうと思う。