解釈 「エグモント」 序曲

 

1.解釈の前に

 解釈をする前のにしなければならない事を整理する。(主に「エグモント」スコア解説 遠藤宏 音楽の友社1) から引用する)

邦訳はゲーテ全集 4、戯曲 中田美喜訳 潮出版社2) 参考 

http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/dutch/egmont.pdf にもあります。

 

全体的テーマ

 この作品の主要なテーマは、エグモント伯の祖国愛に根ざした不屈の抵抗心と、力での解決より平和な協議での解決を望んだ彼の愛すべき人格への共感に有る。

 

それぞれの部分の意味

第1部 序奏:

 エグモントの宿命的な運命あるいはエグモントを救うための民衆の叫び等を表現している。

第2部 3/4 Allegro:

 圧迫と恐怖、エグモントの強い信念と性格、その殉難、クレルヘンの純真な愛などを表現するが、特にこの第2部の終わりに現れる第1第2ヴァイオリンだけで奏する強烈な高音CからGに下がる部分が斬首の描写であると言われている。

第3部 4/4 Allegro con brio:

 死後の精神的勝利をうたい、やがてネーデルランド(het Nederland)民族の自由な独立を暗示する様にも感じられる。

 

 この中に、演奏において表現すべき、重要なキーワードが含まれている。

 第1部序奏での、「宿命的な運命」「民衆の叫び」、
 第2部3/4 Allegroでの、「強い信念」「斬首の描写」、
 第3部4/4 Allegro con brioの、「勝利を歌(うたい)」「民族の自由な独立」、

 

登場人物

 登場人物は、エグモント伯、その友人のオラニエ、恋人のクララ、新総督アルバレス、民衆。他はこの中では特定できるキャラクターは無い。

 エグモント(Egmont)     :
民衆の尊敬を一身に受けている英雄。冷静で思慮深くしかも国民の為に身を呈する勇気がある。

 オラニエ(Oranje)      :
エグモントの同志だが、彼よりも過激に抵抗の蜂起をしようとしている。

 クララ(Clala)       :
戯曲ではクレルヘン(Klärchen)と愛称で呼ばれる。とらわれたエグモントをけなげに助けようとする市民の娘との設定は、一般民衆の彼への敬愛の象徴であろう。

 新総督アルバレス(Fernando Álvarez de Toledo, Duque de Alba,):
新任のネーデルランドの総督。冷酷で、力で民衆の不満を抑え込んでしまおうと考えている。

 圧政に苦しみそれに反発する民衆がいる。その民衆をなだめながら平和裏に改革を望むエグモントが居る。
 彼は総督に迫るが失敗に終り、投獄され斬首されてしまう。
 しかしそれにより民衆が立ちあがり、独立を勝ち取り、彼の希望はかなえられる。(この部分は、原作の最後に暗示されている。)

 

2.解釈(第1部)

*注) アルファベットはドイツ音名、イタリックはダイナミック。

 

冒頭

 この印象的な冒頭は、何も説明の必要は無いと思うが、9小節目の同じ音形とは少し違っている。
 9小節目は、「ff」でフェルマータもデクレッシェンドも無い。

 この違いから何を読み取るかである。この思考こそがここで語るべき問題点である。
 この点を読み取るのには、全ての知識が総動員されなくてはならない。

 まずは「普通の感覚」で冒頭を聞いたとすれば、大変にショックを受けるであろう。

 ハーモニーで鳴ればそこに何らかの意図も少しは感じるが、この様にF(ドイツ音名、以後省略)のユニゾンで鳴れば、何か特別な物、すなわち彼ベートーベンが聞いたフランス軍の大砲の音の様に、なにか不安な体に「ズシン」と響く物を感じるであろう。

 それが9小節目にもう一度鳴ると、今度は1回目より近くの音「ff」で音量の減衰が聞こえず維持され、止まらずに(フェルマータが無い)次へ進む。

 ここは何を意図されているかである。

 自然の音は冒頭の様に自然に減衰して行く。驚きはするがそこに音のメッセージは無い。

 2度目は、減衰するはずと思ってしまうが、そうはならない。
 そこに強い音から、強い抵抗感を含んだ意思を感じる。それが解説者の言う、民衆の「叫び」であろう。

 もちろんこのような結論を出す為には、戯曲「エグモント」の内容を知っている必要がある。もし知らないで演奏すれば、最初の音はそんなに違わないだろうが、2度目の音も同じ様に成ってしまいかねない。

 ではなぜベートーベンは、「9小節目をff に変えたのか?」の疑問が残るが、音の発生源が近づいたと考える程度で良いだろう。

 「フェルマータをなぜ無くしたのか?」は、最初は始まりであるので一瞬で開始をする為流れを作りたくなかった、くらいの解釈で良いだろう。

 

 

 

 

 

最初のマルカートの旋律

 2小節目からのモチーフは2分音符でスタッカートが有り、それに加えmarcart(マルカート:一つずつハッキリと)と指示がある。

 1回目[2小節目]はアウフタクトが無い。それはかなり強い表現である事は、もちろん冒頭音のリアクションだからである。
 すなわち、圧制に対する民衆の怒りの「叫び」であろう。

 2回目[3小節目]には8分音符のアウフタクトが有る。4分音符ではないのは、かなり切迫したようなシチュエーションの設定であろうし、その前のほとんど1拍の空白はかなり緊張感を高める。その後の1回目の模倣のヴァリエーションで確信を持ち、3度目[4小節目]でさらに上行して怒りの同意を発展させる。

 しかし4度目[5小節目]は、「」でしかもこの短いモチーフで経過音無しで完結している。何らかの胸騒ぎのような疑惑の「でもね?(Aber?)」だろう。それを証明するのは、2度目[9小節目]の「ff」後にはこの「」の部分はない。すでに「吹っ切れ」ている。

 

運命のモチーフ

 この様に演奏すると、大きく2小節単位に、さらに4小節に旋律の塊が聞える。

 そうすると8分音符を次の音の装飾と感じ(「」の所は1つの音)、全部で骨格は4つの音(As,C,Es,C,)が印象として残る。これを、「運命の動機」として見るならば、「宿命的な運命」に成るだろう。

 この「運命の動機」の事は、音楽の素材として昔から有る。そこまで知ら無くとも我々の「普通の感覚」でも、ノックを4回すれば、何か特別な運命の訪れに思うし、太陽は「ダダダダ〜ン」と昇ってくる。1回少なくとも多くともその様には思えない。人間が逆らえない自然の「時の流れ」は、4つの音だ。

 この部分を「エグモントの蜂起」としてしまう可能性があるが間違いだ。

 参考文献の解説1)にも「エグモント伯は、民衆を愛するが為に、・・・自力を過信して兵を起こしたが事ならずに捕われた。」と有るが、原作に忠実ではない。彼は兵を起こさず協議で解決しようとしたが、民衆への彼の影響を恐れた総督が捕らえ処刑したのである。

 すなわち、この曲のテーマは、力で対抗しようとした英雄ではなく、自分の身の危険を省みずに権力と対話で対決しようとした、彼の理性への賞賛である。

 ゆえにこの部分は、彼に力の抵抗を望むオラニエを始め民衆の声である。

 それをなだめるのが、次のオーボエによるエグモントだ。

 この最初のキャラクター設定を間違うと全て変わってくる。
 筆者も最初間違ってしまい、後で話のつじつまが合わなくなってしまった。

 

木管の旋律

 5小節の途中からオーボエが新たな印象的な、「」で穏やかではあるが確信に満ちた強い意思を示す跳躍を含んだ旋律を始めるが、この旋律はその前の " Ist das? " から受けた発展形であり、上行で無く下降形である事が肯定である事を示唆する。
 この部分は次々と別の楽器で、エコーの様に繰り返される。同志の賛同であろう。

 しかし最初のオーボエは、一度の肯定の後は、短7度の跳躍の後6小節最初にイ音(G)を伴って「言い知れぬ不安」を持っていることは大切である。しかしこの声は、他の賛同の声が重なってあまりよくは聞えない演奏が多い。

 7小節最初は、1Fg.以外は全員掛留音で同じ表情だ。

 だが8小節目には次々と同意している。7小節目からのVn.が同じ旋律を繰り返す事で、もっと彼への信頼が高まるが不安も消えない。

 上手く不安を織り交ぜながら、毅然と立ち向かう勇気を音楽にしていると言えよう。

 ベートーベンはここに4つないし3つの音にスラーを書いて、意味を教えようとするのだが、2つの音で切れてしまえば「そうだ、そうだ」との賛同に成ってしまうが、大きな跳躍を含むのでそうではないのだろう。

 「そうだけれども、危険だ」の「けれども」に当たらないだろうか。

 

 

小節目からの再現

 9小節目は冒頭と同時に説明を行ったので、10小節目に進む。

 ここでの2小節目との違いは、編成が異なって全員(Timpaniを除く)での演奏に成る。
 すなわち、1回目はエグモント伯に訴え、それに彼が冷静に答えた。
 ここではそれに同意したが何らかの対処を求める「訴え」だろう。

 表現は2〜3小節と同じだが、ここには疑問の " Ist das? " の「」の部分は無い。同意は1回だ。
 それはそうだろう。すでに一度会話した事を全く同じ様に繰り返すのは「くどい」であろう。もしその様になっているならば、なにか特別な意味合い、例えばまだよく解らない人達へさらに説明をする場合などだが、ここではそれでは同志の信頼感が低下するだけである。

 もうすでに話は先へ進んでいる。

(2)

今度はクラリネットからの旋律

 5小節からのオーボエの旋律と違うのは、6小節最初のイ音の意味合いがすでに織り込まれずみであるかのように4分音符で淡々と前へ進むことだ。それで自分の計画を説明して、納得を得ている。
 それに他の楽器が共鳴し、13小節2拍目からは14小節最初の困難に立ち向かって共に行動しようとする勢いが<>にある。

 まだそれに納得しないオラニエも聞えてくる。それが次の弦楽器のアウフタクトであろう。

 

 

*一休み

 ここまで進んできて、何とまどろっこしく複雑に考えなくてはならないのだろうと思われたでしょう。疲れて来たのは私も同様です。

 演奏すればここまでどんなに遅くても2分ほどですが、何と多くの事をしているのでしょう。

 ここで一度CDでも聴いて下さい。ただし良い演奏を。
 聴く事は決して悪い事ではありません。

 今していることは音楽ですので、本当は音「その物」で説明をしなくてはいけないのですが、それには誤解が伴い、先入観や思い入れなどが正しい理解の妨げになるので、敢えて言葉で説明しようとしています。

 それでも中々言いたいことの1%も言えていないような気になります。「もういっそ、私の演奏を聞いて下さい!」と、叫びそうです。

 「じゃCD出せば。」そうしたいですが、この様な事を全部奏者に説明すれば、きっと説明し終った時には、誰も居なく成ってしまうでしょうね。
 説明しなくても解っている人達でやれるのならば、やってみたいです。

 夢かな? 夢でない事を信じて、この先を続けます。

 

新たな音楽の始まり

 15小節目からは全く新たなテンポ(流れ)の音楽が始まる。書かれている拍子は同じだがテンポ(流れ)が違う事がある。

 ここからの話の展開は、これまでのエグモントの主張と民衆の気持ちを代弁するオラニエとの論議であろう。
 戯曲の第2幕第2場のエグモントの邸での、二人の意見が平行線をたどり決定的となるやり取りの場面と見る事が出来る。

 モチーフは、これまでに出てきた物の繰り返しなので、音楽のシチュエーションも同じで良い。すなわちオラニエと民衆の主張である「マルカートによる2分音符」のモチーフと、エグモントのオーボエの旋律から発展したクラリネットの旋律の対立になる。

 ではVn.IIとVa.のトレモロは何か?

 二人の主張が対立する緊張感が上手く出ている。すなわち軽い緊張からかなり厳しく対立し、あきらめて去って行くまでである。

 

エグモントとオラニエの対話

 15−21小節目のFg. Hr.による2、3拍の「pp」の2分音符は、なかなかの問題点だ。

 このパートは自分のパート譜だけを見ていては、何とも「しらけた」ような、どうでも良いような音の羅列でしかない。

 この意味する所は、決してこの二人がいがみ合ったまま別れるので無く、互いの友情を持ちながら方法論の違いを譲れず離れて行く様を作り出す役目を担っている。決して「ぶっきらぼう」や「いがみ合い」のような音色に成らず、友情が感じられる暖かい音色が必要だろう。

 最初は、第3者(聴衆の意識の代弁)が双方の意見を聞きそれぞれの主張に深く「うなずき」(この模倣の音だろう)、だんだんと「うなずき」が浅く、最後には「どうしようもない」と首を振るような動作に成って行く、その過程とすべきだろう。

 その後22小節以降無くなるのは、「あきらめ」だろう。
 しかしそこに互いを思いやる「友情」を如何に残す事が出来るかが技量である。 その為にはテンポも音量も落とす事は出来ない。落とせば、「心配」だけが残り、「頼りなく」不安ばかりに思えてしまう。

「Allegro」に入る前の24小節目は大切である。

 まずは、完全な終に向かわなくてはならない。その完全な終りは次の小節の始めに在るはずである。

 ドラマの展開は、「ある一瞬」で変わる。それがこの一拍目だ。
 「彼は帰って−しまった−」時なのである。
 「それならば」がその瞬間に在り、「意を決して」が4分音符と成って現れ、完全には終らずに「Allegro」へ飛び込んで行くのである。

 それゆえにこの4分音符の旋律には、緊張と決意の為に、「テンションを落とさない」注意が必要だ。音量もテンポも一見(聴)クレッシェンドでは無いかと思わせるほどの高楊感がいる。「Semmple pp」で無ければ果たせない物である。

 そこに在るオラニエのモチーフ(Hr.)は、エコーの様に遠くで響く。

 

3.解釈(第2部)

 この部分のシーンは、第4幕第2場の新総督アルバレス公爵とエグモント伯爵との最後の切迫したやり取りの場面になる。いきなりクライマックスだ。序曲は、本編の「ハイライト」なのだから、良い所取りだ。

 

第2部の始まり

 第2部の3/4拍子のAllegroでの始まりは、なんと3拍子ではなく2拍子で始まっている。

 楽譜では3/4に書かれているが、2小節目[25小節目]からはワルツに良く見られる「ヘミオラ(3拍子2小節の間に2拍子が3回入る事)」に成っている。これは正に気持ちがはやっている状況である。せっかちに「まどろっこしい」までに先を急ぐ状態である。

 *注) 楽譜に解り易いように譜桁を分けて記した。スラーはボーイングを記したものと考えられる。

 この時代にワルツが流行っていた。
 この「Allegro」はもちろん「ワルツ」その物ではないが、「ワルツ」のような「うきうき」までは行かずとも「勢い勇んで」(意を決しているのだから)総督に相対そうとしている気持ちが出る。

 原作から伺える、彼の「快活さ」であろう。これが2拍子であれば、そこに「悲壮感」が強すぎる。

 ここの旋律は、最初のオーボエのモチーフから発展したクラリネットの旋律が基になっていることは解ると思うが、最初のアウフタクト(用語としては不適切かもしれないが)の音、すなわちその後15小節からの2拍目の4分音符の部分が無くなっているが、「でも、こうしよう」の「でも」の部分(始めのB音)を無くす事に成り、決意がはっきりとする。

 このモチーフの展開が何度も繰り返され、解説の「強い信念」である事が強調されている。

 

sfp 」からの下降の旋律

 この「sfp 」印が付いているのは、一度削られた下降音形のアウフタクト「でも」の音で、又ここで強調して使われる。

 するとこの「でも」の意味合いが、「だから」のような再度自分の考えに確信を加える様に響く。かなり重い意味合いであるので、「sfp 」だ。
 ただ強くするだけでは、軽薄だ。「molt espressivo」の意味だろう。

 又この音が「sfp 」から後へデクレッシェンドして行くのではやはり物足りない。

 当然、強拍(1拍目)は判る様にすべきだ。という事は、この4分音符は「あわてて」先へ急ぐのではなく、十分な「ため」が有って次の小節頭の最高音の強拍ヘ移らなくては成らない。

 そして長い下降の旋律が有る。

 ここには24小節目の4分音符にスラーがつけられたように、「一気呵成に」最後へ到達したい事がわかる。

 しかしこの下降の旋律形は2度だけに終る。つまり発展しないのだ。

 

アウフタクトの発展

 2回の下降旋律の後に来る物は、「sfp 」を付けられたアウフタクトの音のヴァリエーションである。もっとさかのぼれば、最初のオーボエの旋律の後半部[6小節目]である。

 「でも(aber)」から「だから(so)」に発展させて、ここからさらに主張を進めて行くわけである。

 それは何の為か?

 この第2部はどのようなシーンかを考えれば、結論はすぐに見つかる。

 新総督アルバレス公爵に何とか説得を試みる努力だ。

 アフタクトの引き伸ばされた強い要求に対し、Vc.Va.の8分音符3つの音を伴う4分音符(運命の動機と同じだ)で、それに否定的見解が示される。

 そしてそれが、エグモントの「何故なんだ」の説得口調のアウフタクトが、「詰問調」の下降音形になる。その後また上行形に成るがそこでは「さもないとAndernfalls(暴動になるぞ!)」との脅しに変化して行く。

 それに対して総督は、「だめだnicht」の一点張りのDB.Vc.などの小節頭の強い口調である。

 

(3)

冒頭のモチーフが出てくるまでの展開

 58小節目からのこれまでとの違いは、下降の旋律が「ff」である事。そこに、Timp.の3連符の10連打による「総督の怒り」が有る事と、69小節目のTuttiでの4分音符だ。

 小節全部と解決する次の小節の最初とで、4つのモチーフとすれば、これは「運命のモチーフ」になるが、まだ決定的に成るのは早い。
 69、73小節目の最初の4分音符は、前の最後の音。2拍から次の小節へ、たたみ掛ける様シンコペーション的に進めるのである。Db.Vc.は、「だめだ」へ続く。73小節目も同じ。

 74小節目は、付点2分音符になり、どちらもが「諦め」に似た叫び声に成ってしまう。

 この時[74小節目]のVn.Va.の3拍目は要注意。スラーがあるので、フレーズが小節単位に見えるが、その様に成るとエグモントは「敗北」を悟ってしまう事に成る。まだ切り札が有る。自分を支える「民衆の声」[82-83小節目]だ。

 すなわち「さもないと(Andernfalls)」が、2分音符のアウフタクトになる3拍目の2つの8分音符だ。

 

とうとう切り札

 82小節目でとうとう切り札を切ってしまう事に成る。

 民衆はもうこのように「怒っている」、「それを私が説得をして抑えているんだ。」[82〜91小節目]
 「さーどうする、要求を聞かなければ・・・」[92〜106小節目]

 もちろんこの切り札に成るのは冒頭に有る民衆の声だが、その1回目の「」の部分や不安のわずかな上昇の「?」のような表情もここでは見せない。当然だろう。木管の旋律も、最後までは続かない。「もう抑え切れない」との気持ちが込められているのだろう。

 2度の「民衆の声」に「なだめ」の旋律は2回。3回目の声に、2度「もうこれ以上は」といい3度目は転調をも伴って同じ旋律を繰り返し、「さあ!さあ!さあ!さあ!どうだ!」[96〜100小節目 100小節目の2拍目と「sf」(次の1拍目も含む)その「どうだ!」のモチーフの繰り返しが3回。4回目が、「これでどうだ」と彼は勝ち誇ってしまう。

 104〜110小節目の8分音符は、大変に緊張が高い。総督の「歯軋り」するような表情で、もう切れる寸前まで高まる。

 そしてもう一押し。[110〜106小節目]そこで、エグモントの愛すべき「人の良さ」が現われ、今までの「回想」を語る。

 

 

回想シーン

 106小節目からは、今までと音楽がまるで一変する。優しい音楽だ。

 対決シーンが繰り返されながら、「彼の胸の内では・・・」と、同時進行で彼の本心が表現されている。この部分がはさまれる事で、エグモントが傘にかかって一気に力で解決するような性格でない、「愛すべき」優しさを持った(これが命取りに成るのだが)英雄である証しになる。

 クラリネットで主張した意見に、真っ先に同調してくれたのはフルートだった(冒頭も)。すなわちクレルヘンだ。

 この序曲での彼女の存在はこの程度でしかないが、この戯曲の中でも彼女の存在は確かにこの殺伐とした政治問題に、明るさと華やかさで読み手(音楽では聴き手だが)に「ホッとした」気持ちを残してくれる。
 その為にも「悲惨な嘆き」よりも、少しは場違いなほどの「明るく華やか」な音色が望まれる。

 それと対比する様に、現実の2発の「f 」の4分音符だ。

 145小節目からは来る運命の予感であり、だんだん募ってくる、それを振り切る様にこの第2部の最初と同じ音形を繰り返し、また同じやり取りが繰り返される。

 

最初と同じドラマ

 159小節目から最初と同じドラマが繰り返される。ほとんど全く同じ音楽だ。

 違っている所は2小節[215〜216小節目]の上行の8分音符のパッセージだけだ。しかしこのパッセージが、「回想」の所で気付いた「総督の罠」に、はまってしまっている事を気づかせる。

 つまり、彼が民衆の力を示す事で優位にたった時に、総督が「歯軋り」するような表情であった同じく上行の8分音符である事に気が付いて欲しい。この後にも同じ部分が現われるが、ここにこのパッセージがある事で、その意味が違って聞こえる事と成る。

 聴衆の深層心理に残る心理的作用(サブリミナル効果)まで考えられた、なかなかの作りだ。
 聴く者はほとんど気が付かないが、効果は十分に有る。

 <ベートーベンは凄い!>

 

「斬首の描写」までの経過

 2度目の二人の対決後、「民衆の声」のモチーフが、突然Hr.Cl.Fg.で鳴り始める。[259-262小節目]

 エグモントの切り札が、反対に彼を拘束し処刑する口実となるのだ。それに気づいた彼は、もう強くは主張できない。
 反対に強くこの点をつかれ、彼は観念する。

 この音が解説の中に在った「斬首の描写」の音形[278小節目]だが、その後にフェルマータが在る。

 すなわち、読者(聴衆)は「この後エグモントは捕われ斬首されてしまう」までを、このフェルマータの間に想像してしまう。

 その結末で最も印象的なのが、この二つの音形であるし、この跳躍下降と下がった音が短くなっている事による印象から、「斬首の描写」と錯覚してもそこには本質的なベートーベンの「意図」とはそんなには違わないであろう。

 全く彼の思惑通りに、我々は「斬首の描写」を想像してしまうのである。

 前の「詰問口調」の4分音符と2分音符の旋律[259小節目]を、263小節目からは、逆の2分音符と4分音符の小節単位の「下降のモチーフ」にして、如何にも急に勢いを無くして、挙句の果てに、「断ち切る」このモチーフを今度は「」(ffで無く1つのだ)で1回。
 これ以上印象的な物は無いように奏させる。

 他の想像をする人はいるのだろうか?

 

自由の女神のコラール

 279〜286小節目はコラールだ。すなわち「神様の声」だ。

 ここはこの後の第3部へ進むための大切なブリッジ部分であるのだが、ゲーテの戯曲「エグモント」を読んでいなければこの部分と第3部の理解は難しい。

 結論的には「勝利の歌」を高らかと歌うために、決定的な「斬首の描写」からこの8小節で展開しなければならないと言うことだ。

 ゲーテの原作を読んでも、このような結末を如何に処理するかに苦心が見られる。

 現実のニュースとしては、「英雄エグモント伯が処刑され、民衆が反乱を起こしてネーデルランド民族は、自由な独立を勝ち取った。」だろうが、これをドラマとして書くにはゲーテでも難しかったのであろう。

 そこでクレルヘンの姿をした自由の女神を、処刑前牢獄のエグモントの夢枕に登場させて、最終的な「民族の自由な独立」を暗示させる事で解決している。

 この順序が逆に成ってしまうので、ある解説者は、この直前の「斬首の描写」の音は間違っていると結論づけたのだろうが、そんなに「偏狭」に考えなくても良いだろう。

 ゲーテは最後のト書きには、

「太鼓の音、エグモントが衛兵達をめがけて、そして奥の戸口に向かって歩く間に、幕が下りる ― 音楽がそれに合わせて始まり、勝利のシンフォニーで劇を閉じる。」内垣啓一訳 潮出出版 ゲーテ全集4戯曲2)

 とある。毅然と勝利を信じ処刑場に向かって行くのである。

 ベートーベンがこのシーンを序曲では倒置させ、「英雄が殺され」、「天使が彼を天国へいざない」、「死後彼の意思は達成された」、の順に置き換えた構成にした事は、十分に納得できる物である。

 むしろこのたった8小節で、悲惨な結末を違和感無く勝利の音楽へ繋げている処方の見事さに、ベートーベンの勝利を見るべきだろう。

 それも基本的には、F―C音の進行の「アーメン終止」を展開しただけである。見事と言うより無い。

 この理解は、やはり原作を読んでおかなければ出来ないであろう。他の解釈をする余地は無い。

 

 

4.解釈(第3部)

4/4Allegro con brioの、「勝利の歌」が始まる。

 先に引用した「最後のト書き」の部分に当るわけで、実際の劇中でも同じ旋律の音楽が最後に演奏される。

 少しこの序曲とは外れるが、この最後のシーンで、ゲーテが想像していた物を紹介しておこう。

 「クレルヘンに似た自由の女神がエグモントに勝利の月桂樹の冠を与えようとした時に、遠くから太鼓と笛の戦争の音が聞こえてくる。その音が大きく成る事で目覚め、近づく太鼓の音で勇気を得て、処刑場へ向かう。」

 ここで太鼓と笛の音とが記されているが、ベートーベンは挿入音楽の中には、トランペットの音を使って太鼓の音がそれと判るのは、最後など数度だけだ。

 理由を考えて見ると、この当時(現実に斬首刑を目の当たりにした人々がいる)としては、太鼓の音は、全くの推測だが、「斬首刑」のシーンを想像してリアリティーが有りすぎたのではないだろうか。
 フランス革命で多くの貴族達がギロチンにかかった事は記憶に新しく、貴族で無くてもその残忍さを思い出す事を嫌ったのではないかと思う。
 この15年ほど後に作られたベルリオーズの「幻想交響曲」でも、断頭台のシーンでの太鼓連打はあまりに象徴的である。この当時としては勝利より恐怖を感じさせてしまう事への配慮と取れる。

 歌劇「フィデリオFidelio」でも最後に救われる正義の象徴として、大臣の到着をトランペットで知らせるように、ベートーベンはトランペットに勝利を告げさせている。

 この序曲も最後に「民族の自由な独立」の「勝利の歌」の印としてトランペットとホルンのファンファーレが現われている。

 

最後の始まり

 自由の女神のコラールでも説明したが、原作のゲーテの構想をそのまま描写していると思って間違いない。

 すなわち、民衆蜂起の声が遠くからだんだんと近づいて来るシーンだ。

 Vn.II. Va.の16分音符の刻みとTim.のトレモロは「ザワザワ」とした多くの民衆が集まってくる音。Vc.DB.の8分音符、特に最初の2つをスラーで繋ぐ事により何か「期待感」のような「胸騒ぎ」がある。

 木管の全音符が2分音符に、さらに一気に8分音符ヘ最後は16分音符(Fl. Picc)に成る事で、聞き耳を立て「?」、かすかな期待から確証への高まりがそのまま表現される。エグモントが、夢から覚めていく過程を思わせる。

 最初から聴かれるVn.I.の旋律は、エグモントは民衆やオラニエへ訴えた第1部の説得のモチーフを反進行させ、「根付いている」事を告げている。そしてそれが「勝利の歌」の旋律となって成就する。

 

「勝利の歌」

 295小節目からは、思いっきり「勝利の歌」を高らかに歌えば良い。

 「バカ騒ぎ」には成らない為には、「sf 」ばかりに目を捕われない様にする事であろう。

 目を奪われると、その「sf 」から始まり、アウフタクトがなく成ってしまう。

 287小節目からのVn.Iのモチーフが、冒頭15小節目のエグモントのオラニエや民衆を説得するモチーフの反進行であり、「?」のイントネーションを持たせて「目的達成」に希望を伺わせている。

 このモチーフから295小節目が発展して来た事が解るが、単純に拡大に見ては成らない。

 287小節目の「?」モチーフの「答え」が、最初の2分音符であり3拍裏からの8分音符3つはさらに次の拍の頭「sf 」の音、つまり「答え」に向かっている事により、「最終的な勝利」のモチーフと成る事が出来る。

 最初のこの「答え」は「叫び」だが、229-300小節目では8分音符の3回の下降ヘ展開し、さらに繰り返す。さらにその形を拡大してハッキリと提示するのが307小節目からだ。
 このモチーフの展開により、単なる「喜びの叫び」から「平和への安堵感」に発展する。

 やがてこの「叫び」と「安堵感」が「エグモントへの賞賛」の拡大形の繰り返しとなる。

 

冒頭の、モチーフが、これだけヴァリエーションをしていることを再確認して頂きたい。

エグモントへの賞賛

 307小節目からのFg.Va.Vc.の「sf 」を伴う4分音符の旋律は、冒頭Ob.のエグモントの説得口調の変奏である。それに民衆のたたえる声が華やかにVn.や木管で309小節目からVn..I、Vn..II、Fl.と縮小形で歌われる。

 その後何度も彼のこのモチーフを拡大した形で強調して、彼の主張の偉大さをたたえるのである。

 

勝利のファンファーレ

 343小節目の最初の音ですべて完結している。

 2拍目からのFg.Hr.Tp.によるファンファーレは、高らかに「勝利を宣言」している。

 このモチーフのリズムが、モーツアルトも使った「フリーメースンFreemason」のリズムである事は、その関係をなんとなく伺わせるのであるが、その真偽はともかく、その結社のスローガンである「自由、博愛、平等」はフランス革命のスローガンでもあり、この当時の「民衆の総意としていた思想」であっただろう。

 ここにそれを象徴するリズムを使った事は、理解できる。

 

 

5.解釈を終えて

 以上ですべての部分についての解釈を行った。

 このような解説は、きっと読者にもかなりの負担を強いたに違いない。最初に述べたように、一瞬の内に頭で考える事を言葉にすれば、こんなに長く複雑に成ってしまうのだという事を理解していただけたと思う。

 しかし、ベートーベンも作曲している時には、これ以上のことを考え、あとからも推敲を重ねて、このような形に成ったのである。

 この解釈を終えて、細部に至るまでそれほどの疑問も沸かずに理解できた事は、ベートーベンの思考がいかに論理的であったかの証明だろう。

 この点が、この作曲家ベートーベンの偉大である証明であろう。

 

参考文献

1)「エグモント」スコア解説 遠藤宏 音楽の友社 

2)「エグモント」 ゲーテ全集4戯曲 内垣啓一訳 潮出出版