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E基礎合奏練習法

 

 何事も基礎が大切だと言われる事に、疑問は無い。

 しかし、言われる側にとって無責任な批判に思え、何の基礎をどれだけ何時までやらなければならないのかと、反論が出るのも分かる。

 それだけに、「基礎」をハッキリとした概念として確認する必要がある。

 

 音楽においての基礎とは、音程感覚 リズム感覚 テンポ感覚 ハーモニーの知識楽語の知識 楽式の知識 アンサンブル能力 など上げればきりが無いし、このような感覚はいつも磨き、学んでおかなければ鈍ってしまう。

 その一方で、それらの事を才能でかたずけてしまう事もよくある。

 本当にこれら音楽に必要な能力は、才能なのだろうか。

 確かに才能と思える事も沢山ある。
 例えば、声が良い リズムが良い 歌心がある 等、一般によく使われている。

 しかし、そのような事は全て先天的に身に付いている物だろうか。

 ほとんどの場合、後天的に学び得た物だと言える。

 確かに声や音の良いのは肉体的な条件があるので、ある程度の先天性は有ると思うが、それでもトレーニングを受ける事で、考えられないほどに良くなった例もある。
 それでも、本来才能があったからだと言ってしまうならば、誰にでも才能はあるというのと同じだ。

 もちろん、「才能は誰にでも有る。」 と言う楽観論と、「才能などは無い、有るのは努力だけだ。」 と言うのとは、同じ意味である。

 ただよく知っておかねばならないのは、アインシュタインの言葉、

 「1パーセントのひらめきと99パーセントの努力」 だろう。

 その事から基礎力を考えると、その努力をするに当っての方法論であり、1パーセントのひらめきを得る為の知力だろう。

 では具体的に音楽の基礎をもう一度考えてみよう。

1.集中力 2.確実な技術 3.感受性 4.学習 の四点に集約されると思う。

 

1.集中力 

 音楽における集中力は、実生活からすれば大変な集中を要求される。

 行進曲の2拍一小節が、たったの1秒である。
 その中に16分音符だと8個は軽く入る。その一つは 1/8 秒、それが少しずれるとか合っていないなどの問題が出てくるので、大体 1/20 秒位の意識が要る。

 それ位でも怠慢だから、良い響きや表情が十分出来ない。

 ただ、とても大変に思うが、意外に1秒も長いものだ。

 音楽に耳を傾ければ、誰でもかなり集中する事が出来る。

 むしろ問題は、最初の<環境作り> 1:環境設定 で述べた、「聴覚の視覚優位」により、楽譜や指揮など目に見える事に注意が行ってしまい、耳に集中する事が難しい事だ。

 

2.確実な技術 

 基礎の練習に必ず出てくるのが音階練習。

 以外に大切さが理解されていない。

 音楽は、音階と分散和音で出来ていると言っても過言ではない。 その練習さえしていれば、「指使い」 や 「音のつながり」 など全て応用が効く。

 こんなに要領良く、効率の良い練習は無い。

 しかし、音程も含めこれはシンセサイザーなどの器械音との練習は適さない。

 基礎的な技術のトレーニングには、メトロノームやシンセサイザーなどの器械を使っての練習は、大変に効果がある。

 第一に、客観的な正しさを得る事が出来る事で、自分勝手なテンポ感やイントネーションを矯正する事が出来る。

 第二に、シンプルな表情を目指す事で、詳細な確実な技術を磨く事が出来る。

 ただし、その事が絶対的な価値に成ってしまい、全てそれが正しいと思うのは正しくなく、常に自分自身の感覚を養わなくては成らない。
 その時の、器械のとの差異を認めなければ意味が無い。

 そのような差異を認識できれば、それぞれの国や団体の独特のイントネーションも生まれる事がある。

 その中に、テンポ (流れ) を維持する能力の向上も含まれている。 誰でも音符が詰まると早く、疎になるとゆっくりになってしまう。
 それを解消しておかなくてはならない。

 弦楽器においては、音程の取り方が指の感覚である為ますます欠かせない。 又声楽や管楽器鍵盤楽器においても、音程感覚は、耳だけで無く身体の感覚である。

 又音程やテンポの事だけで無く大切な技術は、音のつながりの技術だ。

 音楽は2つ以上の音が繋がってこそ意味を成す。複数の音をつなげる技術は、簡単な事ではない。気が付かずに出来る場合も有るが、それをしっかりと認識して出来るように成ってこそ技術と言える。

 弦楽器の弓使い 声楽や管楽器の息使い ピアノ打楽器のタッチ 全て音楽の表情のテクニックは、その技術だ。

 これらの技術が有って始めて自分自身の表現が可能になる。

 

3.感受性

 本来はかなり備わっているはずだ。 なぜなら、世界的な演奏に対しても良いとか悪い等と、けっこう判断出来ている。

 「自分自身にいかに厳しくなるか」 だけかもしれない。

 しかし、良い表現、正しく自分の意思を伝える方法などは学ばなければ成らない。

 他人の演奏から表現の方法を学ぶ事は大切だ。

 良い演奏を聴いた時、感動を呼び起こされるのは、どのような事によってかを、聴き取る感性を養わなければ成らない。

 良い演奏が出来るのは、偶然ではない。それだけの技術と努力の成果だ。
 偶然出来る事もあるが、それを狙うのはギャンブルで芸術ではない。

 その違いが分かるだけの感受性が必要だ。

 演奏は全て善意が現われている。 それだけに演奏者の全人格が見透かされる。

 深い感受性を持つ物にはそれだけの深さが、そうでない者にはそれだけの物しか聴く事は出来ない。

 その事を知る事はとても大事な事である。 哲学で言う 「無知の知」 と同じだ。

 感受性を磨こう。

 

4.学習

 音楽は感性が大切だと言われる。

 そこで感性を磨く事となると、とたんに自分勝手な世界に入り込んでしまう。

 感性 ⇒ 自分自身の感覚 ⇒ 自分自身の価値観 ⇒ 個性 ⇒ 自分だけの物
⇒ 他人との違い ⇒ 学ぶ物で無い

と言う事だろう。

 この個性の後を人格に置き換えてみると、その後の部分が変わってくるのが判る。

 個性 ⇒ 人格 ⇒ 他人との共通こ価値観 ⇒ 教養 ⇒ 学ぶ物

と成って来る。

 前の構図は、自己中心的な図式になり、後のではその様にはならない。

 いつのまにか音楽は教養であることが、見過ごされる様に成ってきてしまった。ヨーロッパへ行ったときに、音楽家への対応が違うのを感じるのは、その点だろう。

 すなわち、芸術全般に言える事では有るが、常に先人に習いその上で自分自身の世界を築いていく事が必要であろう。

 全く自分だけで、新たな境地を開いた者は居るとは思えない。

 人類社会に暮らす限りにおいて、他人の影響や先人を手本にしない事 (反面教師を含めて) はありえない。

 普通音楽を学ぶときには、先生の所へレッスンに通い勉強をする。

 学閥や家元制度の批判や欠点は有るが、それは組織の問題であって、その方法論が間違っているわけではない。

 そこを取り違えているのは、先ほどの個性の認識が間違っているからだろう。

 絵画の世界などで、天才たちと言われる新しい表現法を見出した人達も、その修行時代にはせっせと先人の作品を模写して学んだ末に、自分の境地を作り出している。

 崩す事は良いけれど、崩れている事は良くない。

 そこに意図を示してこそ表現となる。そのためには技術を習得する必要がある。

 やはり学ばなければならない。

 我が師吉田雅夫先生の言葉が有る。

 「型にはまって、型から出でよ。」

 

 

 以上の様に全て基礎力と言うより音楽をする人にとって必要な能力と言っても良いだろう。

 それに、一度身に付ければすむので無く、常に 高め 矯正していなければならない問題だ。

 

HOW TO

 以上の3点 1.集中力 2.確実な技術 3.感受性 4.学習 についての練習方法を述べるのだが、それぞれの個人における練習法は既に <演奏の指導> の所で、「初心者に対して」 「経験者に対して」 に分けて詳しく述べたのでそちらを参考にして欲しい。

 ここでは合奏全体としての練習法について述べたい。

 基本的には、個人の練習法と変わりはない。すなわち、上手く出来るまで繰り返し練習する事だが、最も違う事はアンサンブルの力を付ける事だ。

 これも本来は、個人の練習でも必要な事だ。

 自分自身で出した音に耳を傾け、その音に反応していかなければならないのだが、意外に難しく、むしろ合奏を経験する事により上手く出来るようになる。

 アンサンブルの第一歩は、他人の音を自分の音のように思えるようになる事だ

 つまり合奏体全体が一人称としてそれぞれのプレーヤーが感じるようになる事だ。

 その訓練が練習の中心となる。

 

1.集中力

 合奏の練習は、特別な場合を除いても朝から晩まで合奏はしていないので、普通の生活から合奏をする態勢になるには、それなりの導入が必要だ。

 特に音に対する集中は、前にも述べた様に中々出来ないので、順次高めていかなくては出来ない。

 個人の技量と、全体の音への集中を同時に高める方法がある。

 瞬間に音を出す練習だ。

 有る音を、全員で出来るだけ短く音を出す。 指揮は無い方が良い。「さん、し」と声を掛ける方が良い。

 

 誰でも全員が他の人の音の出と、自分の音の出方を比較してしまう。

 誰もが、まずは自分を疑うはずだ。

 

 何度かやっている間に、どんどん合って来る。 一瞬のタイミングに合わせることでどんどん集中力が上がるのと、発音に対する感覚を思い出せるからである。

 その時には、全体のずれの中心に収束する。

 だがそのタイミングが全員で合っていても、発音が悪ければ打楽器が目立っているはずだ。 タンギングについてかなりひつこく説明を繰り返したが、ここで問題が出てくる。

 打楽器や弦楽器はハッキリとした音の立上りしか出来ない。 声や管楽器は気を付けなければあいまいになり、少し遅れて発音する事に成ってしまう。

 全員が打楽器の音に合うようにしたい。

 メトロノームを使うのも良い方法だ。

 ずれている間は、打楽器やメトロノームの音が聞こえている。
 全員の音が一つに成れば、それらの音が聞こえなくなる。

 メトロノームを使って、何度も繰り返せば、安定したテンポ感も養える。
 毎日少しずつテンポを変えると良いだろう。

 遅いテンポほど難しい。

 全くの初心者でなければ、音程も合って来る。チューニングも出来てしまう。

 

 ただこの練習はとてもつらい。

 特にある程度の自信を持つ者にとっては、耐えがたい苦痛を味わう事になる。

 なぜなら、一つには自分の技量に嫌悪感を感じるからだ。 しかしこれは無くては成らない向上心の現われだ。

 もう一つは、上手く合わない原因が他人に有ると思うからだ。 これは大変な思い上がりであると同時に、合奏体を自分自身の事として考えようとする意識に逆行してしまう。
 たとえそれが他人の原因であっても、それを補い注意し合う事が必要だ。その時に演奏者の間にストレスが生まれるが、それは必要な事。

 正に「切磋琢磨」だ。

 

2.確実な技術 

 集中力を高める事に、発音練習を組み合わせたわけだが、音楽の練習であるのだから音に常に集中すれば自ずと全てが整っていく。

 発音の技術は出来ればそれ以上の事はあまり問題は無い。ただしどんな時にも出来なくてはならない。

 どんなに優しく柔らかい時にも、ハッキリと柔らかく発音できなくてはならないし、力強い表現もハッキリだ。

 むしろ磨かなくてはならない技術は、音のつながりの方だ。

 それは、音その物の響のコントロールであり、一つの理想が有るので無く、柔軟性の有るどの様な事も出来るような技術である。

 その為にも必要な練習は、音階練習である。

 先ほど述べた様に欠く事のできない練習であるのだが、大変時間と根気が必要であるが、それを合奏で皆ですれば我慢もしやすい。

 又音階のイントネーションの統一も図れる。
 各音それぞれの音程でなく、一連の音律を旋律として捕らえる事により、調性の認識が深まり純正律の音程が身につく。

 シンセサイザーなど器械音を手本にすると平均率を強制することと成り、後々合奏の中で、特にハーモニーを美しくしようとすると、音程の矛盾が出来てしまう。
 又それだけで無く、音のつながりもうまく行かない事に成るので、ここでは使わない事に注意しよう。

 ただし、その点の説明 (完全に理解できなくても) をした上で、主音だけを器械で強調させるのはむしろ良いかもしれない。

 この練習の中に色々な速さで行ったり、色々なスラーを付けたり、場合によってはリズムも組み合わせて練習すると、練習に変化を付けテンポ感やリズムの練習も加える事も出来る。

 前の <演奏の指導> 「初心者に対して」  B合奏 の所で述べたテトラコードをすれば、練習時間が短縮できるだけでなく、1オクターブよりも応用範囲が広い。

 

 この他にもよくされている、コラール等を使ったハーモニーの練習がある。

 全体で一つの音を作る練習としての意味は大きい。
 特に根音(最低音)に注意を払う事を習慣付ける為には必要な練習だ。

 注意しなければならないのは、

 最低音との関係を知るべきで、隣同士ばかりに気を取られると、伝言ゲームの様に最後の人(最高音)は最低音と遊離してしまう。全体の響が濁ってしまう。

 美しいハーモニーを作る手順は、

  第一に、混ざり合う音色である事。 {音色は、アンブシュアー(口の形)で決まる}

  第二に、バランスが整う事。 {他人の音が聞こえている事}

  第三に、始めて音程を意識する。 {ほとんどこれまでで音程も整っているはずだ}

  

取っておきのテクニックは、

 全員で主音(根音)を歌い、そのフォームのままでそれぞれの音を出す。
 そうすれば全ての音がその主音の倍音になって、整う。

 簡単ですぐに出来るが、主要音以外の音は、鳴りきらない様に思える。
 しかし、だからその調性感が出る事を判っていれば、純正律を理屈で判らなくとも全ての音程は整う。

 

 もう一つ、コラールと言ってもハーモニーが並んでいる音楽ではない。
 それぞれに旋律が有り、ハーモニーも何時も協和するので無くハーモニーを乱す音も有り、和音の進行が意味する事を覚えなければならない。

 その為の音のつながり、音の響をコントロール技術を身に付けよう。

コラム

 コラールとは、本来キリスト教のルター派(プロテスタント、新教)教会で、歌われたりオルガンで演奏されたりする教会音楽である。

 とても美しいハーモニーに作られているので、よくハーモニー練習として取り入れられる。

 そのハーモニーは、それぞれの旋律の絡み合いから生れてくる物であり、御互いの協調のバランスの上に成り立つ。
 そのハーモニーの響を壊さない様に次の音へ進んでいく。

 やはり旋律はある。むしろコラールには本来歌詞が付いているので、フレーズやイントネーションはそれに従わなくてはいけない。

 ただ教会での御祈りの為に演奏される物であり、その敬虔な気持ちは、宗派は別にして誰にでも感じる事は出来る。

 そのような気持ちを表現する為に、色々な曲の中にも頻繁に出てくるので、その内容と共に理解しておきたい。

 かつて立派な指揮者が、それを十分に判らず、失笑を買ったこともある。

 

 この他にも、全員でのロングトーンの練習などがある。
 一つの音だけを長く伸ばす事よりも、二つあるいは三つの音を行き来して行えば、音の変化のときに響を変えないで整える練習にもなる。むしろその様な事の方がこの練習では大切である。

 ただ単に長く伸ばすだけの練習では、曲の中ではほとんど出てこないばかりか、音が切れ切れに成り旋律を上手くつなげる事が難しくなる。

 現実に吹奏楽ではその様な演奏が頻繁に聞かれ、吹奏楽の特徴の様に言う人もあるが、とんでもない間違いである。

 やはりその様な事を克服してこそ身に付く技術だ。

 それぞれの練習に無駄な物はないが、効果を上げる為にはその練習の注意すべき所を十分理解しておくべきだろう。
 又は先ほどの練習の様に、自然に各々が課題を認識して、考えながら練習できるような習慣を付けると共に、その様にできる素材を提供する事が大切だ。

 

3.感受性

 感受性を養うのには、良い音楽を沢山聴くことに尽きるだろう。
 それも出来れば生の演奏を。

 CDでもよく聴けばかなりの感動を聴き取れるが、目の前で演奏していないので、やはり聴覚だけで判断するには相当集中力を要する。
 どうしてもの場合は、どのような事を聴くのかを前もって教え、そこに集中し聴くようにする方が良い。ただしあまり先入観が強すぎても、その様にしか聴けないので、とても注意が必要だ。

 音に対する感受性を養うには聴く事しかないが、音楽の持つ表現を理解するには、絵画を見たり、小説を読んだり、バーレーを見たり、など芸術を鑑賞すると共に、日常の自分の感情の動きに関心を持つ事も大切な事だ。

 晴れ渡った気持ちの良い朝の空気だとか、真夏の太陽のエネルギー、秋風の物悲しさ、路端の名も無いような小さな花の可憐さ、等等、日常の事柄から色々な感情によって自分の心が動いている事を感じてみよう。

 喜怒哀楽はもちろんだが、もっとこまやかな感情の動きを知っておく事が、その作品への共感を得る事につながるのだ。

 そのような感情の動きが音楽に現われてくるし、そのような言葉では表すことの出来ない微妙な感覚こそ音楽で味わえる物だ。

 何よりも先ず、演奏者はその楽譜から音楽を知り、その中に書かれてある作曲家の感動に共感し、自らがその感激を味わう所から始めなければ良い音楽は演奏できない。

 もっと簡単に言えば、「先ずはその曲を好きになろう。好きになるまで練習しよう。」 と言う事だ。

 間違わずに音符を再現することで無く、作曲家の心の動きを再現するのだという事を忘れてはならない。

 もちろん一朝一夕に出来る物ではない。

 今まで述べてきた事を日夜練習を積み重ね、純粋な感覚を磨き、合奏メンバーたちと共に作って行く過程が有って始めて、聴衆と共に作曲家の感動を共に味わう事が出来る。

 感動を伴わない練習は無いし、音だけを並べた演奏はどんなに上手くても、音楽としての値打ちは無い。

 本当の基礎練習とは、どんなにつまらない練習でもそこから音楽をする喜びを見つけ出す事だろう。

 そしてそれを自分たちだけで無く、聴きに来てくださる御客様とその喜びを分かち合う為に練習をし、演奏をするのだ。

 

4.学習

 練習 = 学習  であるのだが、今ここで述べようとするのは通常言われるレッスンである。

 ここまで色々と述べてきたが、そのほとんどは、私が考えた事ではない。大概は、私が今まで習ってきた先生たちがおっしゃっていた事である。

 早い話、受け売りである。

 しかし私は何も恥じてはいない。むしろこの様な事を学べた事を非常に感謝している。

 だがこの様な事も先生に言われた時には判らなかった。何年も経って、「ああ、こういう事だったのか。」 とか、他人を教える時に、自分が言われた事と全く同じ事を注意をした時に、始めてその本意が解かったりした事がある。

 きっとその様な事が連綿と続いてきているのだろう。

 「天才には教える事は出来ない。」と、聞いた事も有る。
 確かに自分が習ったり、苦労して得た物は、人に伝える事はたやすい。反対に、何故か出来てしまった事は説明できない。

 長い間、つらい思いや自分に才能が有ればさぞ簡単にできるだろうとの思いを、何度もする物だが、今に成って回り道をし、色々な思考錯誤が全て意味を持っている様に思える。

 とにかく学ぶ物は身の回りに沢山有る。もちろん立派な先生に教えを請えばきっと素晴らしい知識を得る事ができる。たとえそんな人で無くともそれなりに含蓄は有る物だ。

 又人だけで無く、本や映画絵画、つまらないような漫画でさえ、そのつもりになれば色々教えてくれる。

 レッスンに通うのに越した事は無い。先生の前で緊張しながら演奏するのは、本番の演奏と同じかそれ以上の体験だ。
 そこで間違わない毅然さも身に付く。

 中には気に入らない先生や横暴な人も居るだろう。しかしけんかをし、反発をするのはたやすい。それを乗り越えたときに得る物は大きい。

 むしろそうした人間関係を体験する事こそが大切な事に思う。

 

 もちろん色々な細かい技術も習える。

 その為に使われるのが、エチュードである。

 練習曲と訳されるが、目的に応じて3種類がある。

1.初心者の入門書

 全くの手ほどき、構え方音の出し方から簡単な物が演奏できるまでの教則本。

 以外に大事な基本的な事が書かれてある。
 この最初を飛ばしてしまうと後から大きな壁に突き当たったり、教えを請う障害になったりする。

 例えば、「基礎が全く出来ていない。」 と言われても納得が出来ない。

 

2.技術向上の為の曲集

 順序を追って少しずつテクニックが付くように考えて、色々な曲を集めてある曲集。

 入門書の続きに載せられる場合がほとんど。上級者やもっと難しい究極の物まで多種多様にある。

 確実に一つ一つこなせば確実に上手くなっていく。
 しかし独学で進むのは難しい。

 たとえ友人であっても必ず定期的に人に聞いてもらい、クリアーしていく方法が確実。
 人前で、少なくとも、間違わず、止まらなければ次に進んでいけば良い。

 決して順番を飛ばしてはいけない。必ず行き詰まってしまう。

 

3.毎日のトレーニングの為の書

 技術はほっておけば、必ずさび付いて劣っていく。

 毎日のトレーニングは欠かせない。

 自分成りの方法でも良い。

 通常専門家は、1.の初歩の段階をもう一度通ってくる事で確認をするのが一般的だ。
 意外にこれが難しい物だ。又その難しさが解かってこそ上手くなったと言える。

 

 レッスンの他にも、どうしても学んでおかなければ成らない事がある。

 それは、数多くの音楽を知っておく事だ。体験しておくと言っても良いだろう。

 先に人生のあらゆる経験からの色々な感情が、音楽の理解につながることを述べた。
 もっと実際的に体験が演奏の表現につながるのが、色々な音楽を聞いている事だ。

 作曲家は新たな曲を作る時に、全く誰も聞いた事の無い旋律や音楽を作り出すのではない。

 本人が気が付いているのかは別にして、作曲家がこれまでに体験したあらゆる音楽の影響を受けていないわけが無い。

 色々な印象深い音楽だけで無く、ふと耳にした旋律が、やはり作品の片隅にふっと出て来たりする。

 その時に演奏者も同じ者を知っていれば、ふっと気が付くに違いない。

 ましてや非常に有名な音楽の断片が出てきた時に、それと気が付かない様では、作曲家を理解しているとは言いがたいだろう。

 もちろん作曲家と同じ時代同じ地域に住んでいるわけではないので、その全てを知る事は不可能だろう。しかし音楽史上有名な作品は大概は知っているだろうし、知る事が出きるはずである。

 中々我々日本人にとっては体験しがたい物に、オペラやバレーがある。
 西欧では、かつては文化の中心であり、そこから文化を作り出す工場が、オペラハウスであったと言う認識が有る。

 今の我々のテレビのような存在だろう。そこから聞こえてくる音楽は否応無く記憶に残る。
 特にオペラやバレーはストーリが有るので、そのドラマの感情と音楽の感情が一体と成って記憶に残るはずだ。

 その体験は自身の作品に大きな影響を及ぼしているだろう。

 我々ができるだけ多くの音楽の体験をしておかなくては成らない理由は、それである。

 やはりこれも一朝一夕には出来ない。日夜一曲でも多くの作品を聴くようにしなくては、間に合わない。

 何も作品名や作品番号作曲家の名前などを覚える事ではない。その作品を聞きそこに書かれた作曲家の感情を体験しておく事だ。

 そうすれば同じ旋律が聞こえればすぐに気が付く。それが大切だ。

 それこそが、音楽の教養である。

 先人の作品に学ぼう。

 

 全て学ぶ姿勢をいつも持っている事がなりより大切なのだろう。 

 

以上

<音楽の解釈>

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