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検証例2、

Symphony No.9 d-moll op.125
W
241-256小節
「歓喜の歌」の旋律の検証

 

フレーゼット解析の検証例2は、L.van Beethoven : "Freude schoner Gotterfunken," from Symphony No.9 d-moll op.125 W 241-256小節、つまり「歓喜の歌」の旋律である。

譜例15にフレーゼット解析の結果を示す。

1この譜例は、「歓喜の歌」の最初にバリトンソロで歌われる旋律を、1オクターブ上にして高音部譜表に書き換えた物。譜表上の小節番号はこの譜表での番号とした。

2スコアのこのパートには、これ以外の書き込みは無い。 12252)小節にcresc. が他のオーケストラパートと同様に書かれている物も有るが、歌のパートには本来書かれていない。

注3)最新の研究版では、この旋律の最初に(angenehmen[快く]と書かれ、14小節のデクレッシェンド(>)の記号が、単なるアクセント記号(>)になっている。(BEETHOVEN SYMPHONY NO.9 IN D MOLL OP. 125 BARENREITER 199915

4 この旋律はバリトンソロで歌われる前にVc. (ヴァイオリンチェロ)D.B. (コントラバス)で引き続き管楽器の旋律のTuttiで演奏される。その部分の楽譜(譜例1617、)との相違は、譜例151357、9、15小節の1、2拍の同じ音が一つの2分音符になっている事と、スラー等がつけられている事である。

譜例15.正しいフレーゼット解析  正音源dai9 誤音源dai9-1

この旋律をフレーゼットの解析例にした理由は、大変に良く知られ、フレーゼット解析が簡単に思われるが、予想に反して複雑で意味深い要素が含まれているからである。

簡単に思えるのは、D.スラー・スタッカート・小節線で注意を促した、小節単位でフレーゼットを区切ってしまう過ちを犯し易いからである。

このフレーゼット解析に異論が出るであろう根拠は、「歌詞の単語の途中に、区切れが有る事」「この前にVc. C.B. で奏される時のスラーのつけ方と矛盾があるのではないか」等の指摘であろう。それらの矛盾に思える部分こそBeethoven の意図を読み取れる個所であると考える。基の旋律のフレーゼット解析を他の部分との比較をしこの矛盾に答え、又生の2つの演奏からの声紋図によって比較検証する事でこの解析の必要性を検証する。

実際の演奏ではこのフレーゼットの切れ目は、はっきりと切って演奏されるわけではない。なぜなら、演劇の台詞でも朗読でも、文法によって解析しそれを説明するような話し方が上手な読み方で無い事と同じだ。それを越えさらに作者の意図を読み取り、読み手がさらにそれを表現として意味あるようなイントネーションを加えて、はじめて上手な台詞であり朗読と言えるのであろう。1、はじめにの項で作曲家保科洋氏の言葉3を引用したように、作曲家は読み手である演奏者の意識に訴える様に書いている。この点が大切である。それだけに演奏家は、もっと深くまで考える必要があると思っている。すなわち、作曲家のメッセージは彼等の直接的な指示だけで無く、深層心理に有る体験や感情までそこに表わされていると思うのである。それは、はたして作曲家自信に問いただしても深層心理ゆえに答えられないかもしれないが、歴然とそこに存在している。ゆえに演奏家はそこまで楽譜から探求して演奏する義務があると考えている。

バリトンのソリストは、歌詞が有る為に言葉のイントネーションに従い、最初はこのようなフレーゼットを考えては歌わないだろう。しかし何度か歌っていくにしたがって、歌詞(単語ではない)のイントネーションとこのフレーゼットから来るそれぞれの音の表情があいまって、新たなBeethovenの意図した表情を作り出す様に演奏するようになる。単純に歌詞の単語の区切れ目だけに従った演奏とは、違った物に成って来る。そこにその演奏家の思索の深さが明示されると言える。さらに問題が解決されている演奏家の資質がはっきりと見える個所は、矛盾ではないかとして問題にした、オーケストラで奏される部分である。

A、同じ旋律の他の部分との比較検証

先に楽譜上の検証をし、後にその部分の演奏を声紋分析によって、検証する。

譜例16、に最初のVc & DBの部分を、譜例17、に164小節からのTuttiの部分で管楽器の旋律部分を示す。

譜例16164-187小節のアーティキレーションを加えた物

譜例1792-107小節のアーティキレーションを加えた物

1)本来の楽譜でなく譜例15に相対する部分にスラーなどを書き加えた。

2)もちろん譜例1617部分に歌詞は付いていない。比較の便宜上筆者がつけたものである。

奏者は音符を見て旋律線から判断を下す。すなわち譜例15で示した様にフレーゼットを読む。

譜例16を見る。

このスラーは弓のボーイングであるから、downから始まりスラーの通り順次弾くと、小節の最初に表情の重心が来る(重み[]が来る)。5小節目は、up から始まるが、同じ旋律が繰り返されるが弓順を変えれば表情が変わる。それもupから始まれば、6や8小節の始めの音により強い重みが来る事になり、後のコーラスを伴った部分(553557)にsfを記した意味を感じる。さらに12-13ヘまたがるタイのシンコペーションの働きがdownに成る事で理にかなう。最後もupで終るので、次への対処にもよい。完全にこのフレーゼットに合ったボーイングといえる。これを D.スラー・スタッカート・小節線の問題点で上げた様に、小節線がフレーゼットの区切れ目とした演奏であれば、このような意味ある演奏には成らない。

譜面17、を見る。

この記述をやはりボーイングの記述と見れば、上手く行かない。そのはずで、この記述は管楽器に示されている。メッォスタッカートはespressivoの意味をもっている。決して34の長さにするとは思ってはいけない。(楽典での説明はあまりに対処法的に過ぎる。)そこに、2小節の後半では解決せずに3小節の最初の音までつなげようとする意向が見える。7小節目はの場合は、さらに先へとつながって行こうとする推進力がメッォスタッカートの連続から強く読み取れる。

10小節のスタッカートは次へのアウフタクトと教えてくれる。(注、アウフタクトの音にスタッカートを付ける事は、特にウイーンでは頻繁に行われ、ある意味ウイーン流と言ってもよく、それを嫌うチェルビダッケのような指揮者もいた。)12小節のスタッカートはマルカートmarcatoの意味であろう、ハッキリとした終わりを見せる事により、次のシンコペーションの準備がされる。

ここでは261011小節前半、14小節での区切りは、記さなかった。この様な所はやはり潜在意識的には有っても、あまりに文法的な演奏であり過ぎたくない所だ。

以上のようにこのフレーゼット解析が深読みに見えるが、Beethovenの意識にはっきりあったと思える。この様な所を論理的に読み取る事が、音楽家の見識であると思う。

B、ハーモニーからの検証

さらにこのフレーゼットの意味を和声的な面から検証して見たい。

実際に演奏する時、より良くこの旋律を表現する為には、いかに良い響きを作り出すかが問題になるからである。特にはじめてこの旋律が出てくる部分はVc.Db.のユニゾンだけで、ハーモニーを決定するいわゆるバロックで言うバッソコンティヌオ(通奏低音)がない事も重要だ。

この旋律の最初はニ長調の第3音のFisから始まる。主音のDは3小節目に出てくる。それも一拍ですぐにこのフレーズの終り、ドミナント第5音ニ長調の第2音のE、に行ってしまう。ハーモニー分析でのT6−X−T−Xだけではこの旋律の持っている意味は解けない。なぜならこの旋律は明らかにニ長調のトニカを際立たせる様に聞えるからだ。すなわち3小節目のDが大きな比重を持っている。その音を示す為にその前にドミナントのAをアウフタクトを伴った2音で際立たせ、Dへ進んでいくことを意思表示する。

その為の1−2小節に有る2つの4分音符Aであり、さらに勢いを付けるのが直前のEであろう。もし新しいフレーゼットを2小節目のドミナントのAから出発すればハーモニー進行の説明のようになるところを、トニカの第5音からドミナントの第1音への移行を聞かせる事で、それを和らげる事に成功している。

演奏上もFisからの始まりでも、誰も嬰へ短調とは思わないが、B和音の根音のようにFis音を取り第3音のようにAを取ってしまえば、純正律的に非常に低いAの音程に成り、ドミナントの働きが失われる事と成る。これはとても重要な事だ。

もしここが短調の様に聞こえる演奏があればこのように捉えていると言う事になり、正しいフレーゼットを理解していれば有りえない。たとえトニカの和音と思っていても小節線を区切れ目に思うと、1−2小節に和音の展開を感じて、この2つのAのドミナントとしての効果が弱まってしまう。

3から4小節に至る部分も同じようにFisを繰り返す事で、偽終止のドミナントへ誘導するトニカの第3音を強調している。又この2箇所は同じ様だが、1小節目のAは先取音で積極的な意味を、4小節のFisは掛留音でトニカを引きずる事により、違った表情を作っている。

演奏中和音を考える時には今何のハーモニーであるかという事より、どの様に進行するのかを考えることが大切であろう。当然だが、意外にされていない事に思う。このハーモニーの連結を上手く移行することを考えると、ハーモニーの連結部分、すなわち同じハーモニー内の最後の音を改めてハッキリさせる事で次への移行が明瞭に成る。それはフレーゼットで区切ればハッキリしてくる。

9−11小節はドミナントを繰り返しているに過ぎない。その中で9、10、小節の最後で主音のDを一瞬見せ、さらに12小節の最初でも前のEからの解決を聞かせてすぐに又ドミナントへ戻る。その効果の為にはこのようなフレーゼットにすべきであり、もし小節単位であればそれぞれの小節内でのX−Tのカデンツで解決してしまい、ドミナントの要素よりもトニカの印象に成ってしまう。特に12小節の2、3拍のE,Aでドミナントを完結させる事により、又その前にEDで短いトニカへの解決を見せる事で、このドミナントのトニカに移行する意志を強く感じさせる事に成る。その為にはこのようなフレーゼットが認識されるべきであろう。

そして最初と同じ構成の部分へ突然戻る様にFisが鳴る。

後は5−8小節と同じである。

非常に単純なハーモニーの展開でありながらその中に含まれるそれぞれの音の意味に注目すれば、思い入れの深さが伝わってくる。

 

C、声紋分析からの検証

実際の2種CDの演奏を声紋分析により比較し、検証を試みる。

この分析法は、著者の論文「演奏の解析法−声紋分析による解析−」4で紹介したSound Spectrogramを使って、既存の録音された演奏を視覚的に現した事により、いままでの聴覚の主観的感覚に客観的論証を加え様とする物である。

この解析に使用した音源は次の物である。

音源1フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団の演奏16

このCDではエレクトローラ社によってブライトクランクと言う方法で疑似ステレオ化され、ディティールを強調された物である。(同CDブックレット16参照)

演奏の評価は宇野功芳氏が「フルトヴェングラーの名盤」17の著書で「フルトヴェングラーを語る上に最も重要なレコードと言えよう。」と述べているように、最も定評有る演奏といえよう。残念ながらこの著書の筆者は、「このブライトクランクでは真価は決して分からないであろう。」とやはりこの著で述べているが、この解析としてはこの音源がディティールが明瞭にサンプリングできるので採用した。

音源2日本人指揮者S氏による日本のオーケストラである。

この音源に関しては、間違ったフレーゼットによる悪い例として取り上げるので、演奏者については匿名をお許し頂きたい。しかしこの指揮者はタレントとしての人気は高く、よく言われる「受ける」演奏をし、情熱的な指揮をすることで知られている。オーケストラはいくつかの団体の合同演奏であるが、それぞれのトップメンバーで構成され何年も連続して演奏されているので、決してレヴェルの低いオーケストラではない。

声紋分析結果

図は、音源1及び2の声紋を対象として、4小節毎に分けて表示し、その2種の図の間に相応する楽譜を挟んである。

3、7、15小節について、3拍目の4分音符は12拍が2分音符であるので、後のフレーゼットに含まれる。(譜例15、の解析とは異なる)

41−4小節の図

それぞれの音を確実に対応して見るのは難しいが、全体的流れを比較する事によりかなりハッキリとしたイントネーションの違いが見て取る事が出来る。

全体としては大変に弱音部であり実際の会場では明瞭に聞き分けが可能であろうが、録音ではよほど耳を澄まして聴き入らなくては成らないが、この声紋ではそのイントネーションがはっきりと示される。むしろ大きい音の時よりもむしろ鮮明にその演奏の意図が読み取る事が出来る。

小節線の位置を矢印で示し、比較対象の部分に番号をつけ、その個所を検証する。 

  1. 声紋では1小節目の4拍目が楽譜よりも一拍分ほど後にあるが、それは最初のピークでわかるであろう。その音の表情に注目したい。
     4拍目のAの音が音源1は次へのつながるようすが見られるが、音源2ではそこで途切れ2小節目の
    Aから新たなフレーゼットを作っているのが見られる。
  2. 3小節1拍目の主音Dの響が音源1ではよく響来終わっているが、音源2ではむしろ響が薄く先へつながろうとしている。
     この響がむしろ大きな問題である。すなわち検証1で和声での問題で述べたように、1小節目最後のAの音程が低くなりドミナントの働きが失われ、その為にこの主音Dを導けなかった事を示しているのだ。あたかも嬰へ短調の様に、「ラーシド ドシラソ ファソラ ラーソソ」と聞こえ、嬰へ短調の第6音Dは響いていない。
  3. 最も違いの鮮明な所だが、大きく2小節単位で全体のイントネーションを見れば、音源12つの山の頂点に意識が見られるし、音源2では後半のフレーズはわかるがその音の頂点に見えない。意味が示されていない。
  4. 次の小節に移行する部分に注目していただきたい。音源1ではさらに先へと進む意図が見られるが、音源2ではその意志は全く表れていない。偽終止で有る意味が見え無い。

558小節の図

  1.  5小節の終りから6小節の繋がり部分はどちらも隙間が見られるが、前後の音の表情がまるで反対である。
  2.  最後の主音への終止はどちらも見とめられるが、その音の響の違いは大きい。
     フレーズの最後は穏やかに落ち着く物であるような指導を受けた事があるが、いつもそのようで有る事が良いかは問題で、音源1のようにしっかりとした終わり方が次へつながる意思を示している表現は注目される。
     他の部分は1−4小節と同じであるが、どちらの音源もイントネーションに変化が少なくなっている。これは再現的旋律による表情の抑制が働くのと同時に、最初が最弱音で奏される為の緊張の緩和が見られたためと思われる。

ここでの明らかな違いは音源1では9小節4拍目から音量が大きくなっている事だろう。しかし実際に音で聴くと殆ど前と変わりなく聞こえる。

この現象はこの音源がブライトクランク法で手を加えられた可能性が考えられる。その点は検証の余地が残ると思われる。しかしこの後とも連続的に見れば、それほど大きく加工されたとも思えない。やはりフルトヴェングラーの意志と見るべきであろう。

6912小節の図

  1.  特に10小節と11小節の2度の繰り返しを見ると、音源1は2度目は控えめに、音源2は2度目の方がわずかに大きくなっている。
     すなわち12小節目の
    cresc.(この部分には書きこみがある15)の効果をこの9小節4拍目からすでに意識し始めた時に書かれた位置まで我慢をし、書かれた地点から正直に行ったのが音源2であろう。
     音源
    1ではこの部分が取って付けたような印象を避け、全体的にはcresc.の効果を見とめながら2度目を少し控えめにして自然な効果を狙った物と思われる。書かれた事をそのままに演奏するのと、その深意を読み取ろうとした違いが有るのではないだろうか。
  2.  最も大きくなっているのがここの直前の低いA音であるのはどちらも同じだが、その音のイントネーションと次の音との関係が違っている。音源1では、Aでフレーズは終止し、改めてシンコペーションのFis音から大きな音のまま始まっている。しかし音源2ではA音がさらにFis音へとつながる意志はとても強く現れている。フレーズの作りは考えずにただcresc.15の記述のままに次へつないでいる。

71316小節の図

  1. 12小節からのフレージングの違いがここに現われる。どちらもタイの後のFis音では楽譜通りにsub.Pにしているのだが、音源1ではフレーズの繋がりが見られむしろハッキリとしたsub.Pが見られる。反対に音源2では前からのフレーズを終らずに来た為に到達点に疑問が生じて、中途半端な終りを残し、新たにフレーズを始め様とした為にsub.Pが成功しないで、フレーズがくずれてしまっている。
    IJ 共に音源1はこのフレーゼットでのフレージングが見られるが、音源
    2では小節線に従ったフレーゼットが見られる。

K  最後の音の表情は、この後半の旋律が実際には繰り返されているが、音源1ではそのつながりが見られ、2の音源では完全に終ろうとしているのが見て取れる。

D、考察

この旋律のフレーゼットを解析する必要性を感じたのは、近頃の演奏が小節線の聞えるような演奏が目立ってきたためで、そのような稚拙な演奏を解消する目的がある。

この点について、この比較の為の声紋図を作成するにあたり、声紋に小節線の個所を特定する事が音源1については難しく分かり難く、もう1度演奏と声紋とを対応しながら決定しなければならなかった。それに対して、音源2に付いてはほとんど迷いはなかった。小節線の考え方の違いが歴然としている現われだ。

この声紋図においては、音の周波数成分を示しているので実際の譜面上の音は最も高いところで約220Hzであるが、それ以上の成分は全て倍音である。

少し分かりにくいが縦軸の目盛一番下は0Hzだが最初に記されているのが100Hzその上が200Hz300Hzと成っているので、音の成分である縞模様の下から5本目が実際に楽譜に書かれた最も高い音である。

その音までの繋がりを見ると、どちらの音源にしてもほとんど切れ目は見とめられないが、倍音の縞模様を見るとその演奏の切れ目が見えてくる。

すなわち演奏者は小節線が有っても休符が無い限りは音を切る事は考えない。と言う事はこの部分では休符が無いので切られる事はない。もちろん奏者はフレーズの切れ目よりも新たなフレーズの始まりは、かなり意識して引き始める。すなわちそこに新たな変化を見る事が出来る。

最もそれがはっきりと見られる13-16小節の部分を、もう1度周波数が見られる縮尺で図8、に示す。

8、13-16小節(左音源1、右音源2)

この2つの声紋図は、音量の差が有るので相対的な音量差で判断をする必要があるが、変化ははっきりと比べる事が出来る。

後半の15-16小節の最後のフレーゼットは、どちらも問題は無いだろうが、13-14小節特に急に小さくなるsub.P のディティールの差は見ての通りだ。この13-14小節の部分こそがこのテーマの最も大切な部分で有る事は、シラーの詞によっても確認できる。

"Alle Menschen werden Bruder," 「全ての人々は兄弟と成る。」の最も意味を成すーWerdenーの単語に当たる所が、この音楽の最も大切な意味合いを込められた所と言えよう。

後の「Bruder」に当る音には、合唱の所(570586小節)では sf が付けられる為に、言葉の意味合いを無視してこの部分だけにアクセントをつけて歌わせる低レベルの演奏は論外として(残念ながらこの音源2もそのような演奏をしているのだが)、大切なこの部分の演奏がこの様にまでイントネーションの輪郭の差が認められる事は、これらの演奏の価値を決定付ける事が出来るのではないだろうか。

もちろん輪郭だけの判断でなく、その部分がいかに良い音がしているかこそが、本来演奏の表現の原点であり演奏の目的であるので、この声紋図からもその点に注目すべきであろう。音量の差は考慮してもあまりに響の違いは言うまでも無いだろう。タイで繋がった強くなっている音の部分との比較でも、後半の大切な部分の響がどの様に扱われているかが見て取ることができる。残念ながら、音源2の演奏に問題があるといわざるを得ない。

この曲が大変に演奏頻度が少ない場合ではこの様な事を比較するのは過酷かもしれないが、良く知られた名曲である以上、演奏者の楽譜を読む技量の差がはっきり出ていると言っても良いのではないだろうか。

以上の検証で、このフレーゼット解析がいかに音楽の室に対して大きな影響があるかを、認識して頂けたのではないだろうか。

5、おわりに

この様な音の詳細な解析をする事について、もしも疑問を呈する人があるなら、その人は演奏について知らないと言わざるを得ない。演奏家はこのような解析を言葉でしているのではないが、もっと詳細な変化をその意味から考えているのである。ピアニストはフィンガリングを、ヴァイオリニストはボーイングを、管楽器奏者は息の流れを、打楽器奏者はマレットの選択や手順を、指揮者は身体の動きを考え最も適切な響を作り出そうとしている。そしてその響に、作曲家の意図を理解して論理性を求め、芸術表現の意図を示すのである。

大変に残念な事ながら、この音源2のように作曲家の意図とまで言わずとも、根本的な音楽の解析能力が身に付いていない演奏家が居り、もてはやされている事実は大変に残念な事である。

観客が演奏を聞き比べて、なんとなく「流れが良い」とか「綺麗な音がする」などの評価とする事には、何ら言い及ぶものではない。しかしその原因あるいは素晴らしい演奏ができる様に成るには、このような思考や解析法の習得が欠かせないのである。

最後にもう1度図9、に全体を通しての声紋を提示するが、良い演奏と言うものは、細部に意図を込め全体を構築し、その論理的関連を描き出そうとしているのであり、その主張が聴衆に共感や感動を呼び起こす事なのである。この2つの声紋図からもその主張は、全体のプロポーションにはっきりと見とめられる。ただなんとなく音符をなぞっただけでは、2の演奏のように主張の無い流れに成ってしまう。

聴衆にとっても同じで、この声紋図を見ているようになんとなく全体の印象で判断をしているのだが、演奏者にとってはそれがどこに起因しているかを解明する義務がある。

9、全体の声紋図(上が音源1、下が音源2

 

補足、フレーゼットと歌詞との関係

ここであらためてこのフレーゼットと歌詞との関係を述べることにする。

この関係は全く絶妙の関係を持っている。この関係を説明しなければフレーゼット解析の説明は完結しないであろう。なぜなら、前にも述べたがこのフレーゼットの切れ目そのままには実際に演奏されないが、この関係で旋律の表情が決まりそれによって音楽の構成が論理性を持ってくるからである。その音楽的論理性が歌詞とどの様に関係しているかを説明する事にする。

譜例15をもう1度提示する。

譜例15.正しいフレーゼット解析 正音源dai9 誤音源dai9-1

歌詞を記譜のまま次に記す。(一つの単語を意味するハイフン(−)をつけて)

1)基本的に作曲される時には1母音に付き1つの音符が当てられる。複数の音符を同じ母音で歌う時にはスラーをつけている。

2)促音にする場合(Got-ter-Al-le)は休符を当てるので、この旋律部分にはその意思はない。

Freu-de, scho-ner Got-ter-fun-ken, Toch-ter aus E-ly-si-um,

Wir be-tre-ten feu-er-trun-ken, him-mli-sche, dein Hei-lig tum!

Dei-ne Zau-ber bin-den wie-der, was die Mo-de streng ge-teilt;

Al-le Men-schen wer-den Bru-der, wo dein sanf-ter Flu-gel weilt.

 

この中でフレーゼットの切れ目はほとんどが歌詞の単語の途中になっている。

しかし、強調されるべき"Elysium""dein Heilig tum"の部分はフレーゼットと合っている。

これをもし歌詞の単語のままにフレーゼットとするか、もしくは旋律のフレーゼットに合わせて歌詞を付けなおすとすれば、どちらであっても大変に凡庸な歌に成ってしまうであろう。

すなわちシラーの詩の持つ情景描写的な言葉のリズムに、旋律的抑揚と音の持つ方向性とを加味する事により、描写に立体感や動きを感じさせている。

第一節最初の1小節3拍目のフレーゼット終りをscho-nerと1つの単語で繋ぐ事で、よりGot-ter-fun-kenの形容を強め、「なんと美しく!」の感動のイントネーションをもたらしている。詩の始まりの印象的な言葉が一段と際立つだけ出なく、視覚的にも遠景からのフェードインのような効果がある。

2小節から3小節に移る所は、フレーゼットが完結であれば、この前後の詩のフレーズが意味が無くなってしまう所を、急速なToch-terへのフェードインで関連付け、すぐに次のフレーゼットへ進む事でもう1度先へ関心を高め、この節の締めくくりであるE-ly-si-umをフレーゼットのままに完結させている。

まるでジェットコースターの様に視線を変化させるような効果がある。

第二節もほとんど同じ方法で、言葉の直接の意味だけでは想像し難い状況を、映画のカメラワークの様に印象深く見せている。

第3節から何度もFisへの進行を見せる事で、Al-le Men-schen…以下へ結びつける意思は前にも説明したが、毎回完結しないように単語の途中で新たなフレーゼットにしてストレスを高めて、最も主題である第4節へ繋いでいる。

第4節のAl-le Men-schen wer-den Bru-der,をテンションを緩めない工夫も同じ様にフレーゼットの区切りと単語の区切りを合わせない事で防いでいる。

さらに15小節のwoへフレーゼットがつながっている事で、以下のdein sanf-ter Flu-gel weilt.の言葉との意味付けが成され、非常に穏やかな印象を与えている。

以上の様にフレーゼットと詩の言葉だけで無く、朗読する時のようなイントネーションをこの旋律は見事に表現していると思う。

たとえ単語にしたがって歌ってもこの音列によって自然にこのようなイントネーションをつけられ、Beethovenの意図した効果になるが、このフレーゼットを理解する事でよりその効果は高まるであろう。

 


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