| 史跡 解説 | 1.庚申信仰と庚申塔 2.氷 川 神 社 |
| 1.庚申信仰と庚申塔 外山 晴彦 著 「神社ふしぎ探検」 より 転載しました |
| 庚申塔の多くは道標を兼ねて、辻などに建てられています。庚申塔に地蔵堂のような小屋がけをして庚申堂、 土盛をして庚申塚、小さな鳥居を立て庚申神社と称されるものもあります。庚申という名は現在でも地名や通り の名称として、各地に残されています。この庚申信仰は道教の守庚申に由来します。 庚申(かのえさる)は、十干十二支(じっかんじゅうにし)と呼ばれる暦の中の日付の一つで、初日から57番目に当た り60日ごとにきます。この暦は60年で1サイクルするため、60歳を「還暦」といいます。 道教では、人体内に三尸(さんし)と呼ばれる三匹の虫がいるとされます。上尸という虫が頭に、中尸が腹に、 下尸が足にいます。この三尸は、庚申の日の夜間に、寝入った人体を抜け出し、天帝にその人間の罪業を報告 する役割があります。天帝はその報告に基づきその人の寿命を決定します。 三尸が天帝への報告に出向くために人体を抜け出すのは、この庚申の日の夜間と決まっています。その日に 人間が一晩中寝なければ三尸は人体を抜け出せません。徹夜して眠らなければ、報告を阻止でき、天帝は その人の寿命を決められないわけです。そこで人々は夜を徹して、呪文を唱えたり茶を飲んだり、歌合わせや スゴロクに興じたりします。これは、古来の定期的社交パーティーといえます。これを庚申待ちといいます。 「待ち」は「祭(まち)」とも書きます。 この社交の記念碑や供養塔などとして立てられるのが庚申塔です。地域によっては、これが転じて作物の神 厄除けの神、塞(さい)の神、縁結びの神などとしての役割を与えられることもあります。庚申塔の形は石版碑・ 角柱・円柱・笠付・祠(ほこら)・灯籠から自然石まで多彩なタイプがあります。自然石の場合は「庚申」の文字 だけが刻まれるのが一般的です。 庚申塔には、神道や仏教との習合や道祖神型も見られます。仏教系では、青面金剛(しょうめんこんごう)を庚申信 仰の本尊とするものがもっとも多く見られます。頭髪を逆立てた怒りの形相で、身に蛇をまとう鬼神です。一身に 4〜8手あり、これを四臂(しひ)とか八臂(はっぴ)といいます。多臂の仏像では、その手の数が一定していないのが 通例です。 庚申塔に浮き彫りされる青面金剛は、各手に剣・弓・矢・斧などの武器を持ち、法輪をささげ、ショケラという合 掌女人像の髪を握ってぶら下げます。なかには、仁王のように邪鬼を踏みつけている像もあります。このタイプは 江戸とその周辺に多いことから、江戸庚申塔とも呼ばれます。その多くは蓮台に乗り、夜明けを待つという意味で 雌雄の鶏や、日輪と月輪も配されます。他に帝釈天(たいしゃくてん)や山王権現(さんのうごんげん)、大日如来(だいにち にょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)などを本尊とするものもあります。 また、庚申の申(さる)(猿)との関連で、庚申信仰には三匹の猿が登場します。三尸による天帝への報告阻止 という意味で、「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られる三猿が庚申信仰に取り入れられました。この三猿が リアルに、またはデザイン化・抽象化された形で多くの庚申塔に刻まれているため、庚申塔は三猿塔とも呼ば れます。 三猿は、左甚五郎の彫刻でよく知られています。ところが、庚申塔の三猿のほうが歴史は古いのです。庚申 信仰の発祥は室町時代、左甚五郎は江戸時代初期の人です。三猿は庚申塔によって広く知られるようになった のです。 ただし、どういうわけか、二猿を刻むタイプの庚申塔もあります。この場合の猿は、耳や目を押さえることはなく、 雌雄一対で、桃やその枝を手にしています。 神道系の庚申塔では、この三猿の猿または「申」に関連づけて猿田彦神(さるたひこのかみ)を祀るものもあります。 三猿のレリーフはなく猿田彦または猿田彦大神の文字だけが彫られた角柱状の石碑が一般的です。また、仏教 系と異なり、神道系では蓮台に代えて台座に雲形が描かれます。 神話の中で猿田彦神は、天孫降臨に際し道案内をつとめた地神(くにつかみ)の1人です。ここから、道案内の神 として道祖神の本尊ともされます。天狗のモデルともいわれます。 庚申塔の特徴は、青面金剛や三猿のレリーフ、「猿田彦」または「庚申」などの文字のいずれかが必ずあります。 なかには、疫病除けの呪文や造塔趣旨、または蓮の花が刻み込まれたものもあります。神道系では、鳥居の紋 様が配されていたり、注連縄(しめなわ)を飾り、榊(さかき)を供えたりします。仏教系では、線香をあげ、卒塔婆(そとう ば)を立てることもあります。 庚申待ちは、他の多くの民間信仰と同様、室町時代から流行が始まり江戸時代に庶民の間に浸透します。それ らの普及・発展の陰には、修験者の介在が強く感じられます。修験は本来、仏教と神道との調和・融合を唱える 独特の宗教です。庚申塔に仏教系と神道系があるといっても、その内容が意識的・明確に区別されるものでは ありません。庚申堂の正面に鈴と鰐口(わにぐち)の双方が並べ置かれる例さえあります。 庚申塔の左右側面には道しるべとともに、その建立年などが刻まれているので、形や特徴とともに調べてみま しょう。ただし、台座と本体が異なることもあるので、注意が必要です。 |
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| 2.氷 川 神 社 |
| 埼玉県大宮市高鼻町にある 武蔵一宮 氷川神社を本社とする同一名の神社分布として「氷川祭祀圏(ひかわ さいしけん)」があり、その多くは元荒川から多摩川地域に分布しています。埼玉県162社、東京都59社、茨城県 栃木県に各2社、神奈川県・千葉県・北海道に各1社の計228社があります。 氷川神社は今から凡そ2千有余年前第5代孝昭天皇の代、3年4月未(ひつじ)の日の創立と伝えられています。 祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと) 稲田姫命(いなだひめのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱の神で 大己貴命 は素盞鳴尊の子で 国土を天照大神の孫 瓊々杵命(ににぎのみこと)に譲った国土経営の神です。稲田姫命は素盞 鳴尊の妃で大己貴命の母です。この三神を祀ったのは、国土経営民福安昌祈願の為であります。三神はいずれ も出雲系の神で、古代武蔵の出雲系の首長が祀ったためといわれています。 素盞鳴尊(すさのおのみこと)は、父 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 母 伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で 天照大神(あまてらす おおみかみ)の弟です。又文献により 「須佐之男命」 と記されている場合もあります。 |
| 正月でにぎあう 大宮高鼻町 武蔵一宮 氷川神社 平成13年1月3日 撮影 |
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| 拝 殿 | 楼 門 | ||
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| 舞 殿 |
仕 舞 奉 納 |
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