少年犯罪と少年法を考える

 私自身がこの間関心を持っている少年犯罪と少年法について、私の講演やこれまで私が書いてきた原稿を整理して掲載します(2001年7月28日最終更新)


少年法改正後も何も変わっていない少年事件捜査の問題点

はじめに

 2000年11月に、少年法が、多くの良識ある市民や有識者や現場の声を無視して、与党三党による議員立法の形で、戦後初めての大幅な改正が行われた。改正された少年法の附則三条には、法律施行後五年経過後に見直すことを規定しているが、マスコミや世間では、少年法改正は一応終わったものとして受け取られている。そして、その改正少年法が、いよいよ4月1日から施行されている。

 しかし、今回の改正でも全く触れられないままだったのが、少年事件における捜査のあり方である。以前から、少年事件の冤罪事件は多く発生しているが、そのほとんどは、少年審判のあり方が問題だったのではなく、少年事件の捜査、すなわち、少年警察活動に問題があった。少年に対する暴行や脅迫による取調べや長期間身柄拘束をした上での取調べなどで「自白」が強要されていることが問題だとされてきた。

 今回の少年法改正にあたって、日本弁護士連合会が1998年7月16日に発表した「少年司法改革に関する意見書」においても、捜査の改革が必要不可欠であるとして、捜査の問題として、@自白偏重の捜査、A身体拘束の要件の曖昧さ・手続の不公正さ、B捜査段階で弁護人の援助が保障されていないことの3点を指摘し、弁護権の保障や取調べの可視化などを具体的に提言していた。

 しかしながら、少年事件の捜査については、元々「少年法」がほとんど規律していない分野であるということもあって(少年法は、主として家庭裁判所の少年審判手続を規律する法律である)、今回の少年法改正においては捜査の改革は全く行われていない。
 つまり、少年法改正を経た現在においても、少年事件の捜査のあり方については、何も変わっていないのである。現在でも、少年事件につき、えん罪が起きる原因は何ら除去されておらず、いつ、また、少年事件において冤罪が起きるか分からない状況にある。
 そこで、ここでは、現在の少年事件の捜査のあり方とその問題点について論じることにしたい。

少年法による少年の身体拘束の制限とその実態

 少年法は、捜査段階における少年の身柄の取り扱いについて、次のように規定している(今回の改正以前からこの規定は存在している)。
 「検察官は、少年の被疑事件においては、やむを得ない場合でなければ、裁判官に対して、勾留を請求することはできない」し(少年法43条3項)、裁判官においても、「勾留状は、やむを得ない場合でなければ、少年に対して、これを発することはできない」(48条1項)と規定して、少年の身体拘束を極力避けるよう配慮している。
 また、少年を勾留する場合においても、警察の代用監獄を避けるために、「少年を勾留する場合には、少年鑑別所にこれを拘禁することができる」(少年法48条2項)と規定している。

 しかしながら、実際の運用においては、この少年法のいずれの規定もほとんど空文化しているに等しい。
 すなわち、少年事件についても、成人の刑事事件と同様に、嫌疑があれば少年はすぐに逮捕され、軽微な事件を除いて、勾留請求されているし、勾留延長されて20日間の身柄拘束をされるのが普通である。そして、勾留場所も、成人の刑事事件と同様に、警察署の代用監獄が普通であり、拘置所や少年鑑別所に身柄拘束されることは極めて珍しいこととなっている。

 その意味で、少年法が、少年の身体拘束を極力避けるように配慮したはずであるにもかかわらず、現実の少年事件においては、ある程度長期間、身柄拘束をした上で、代用監獄に収容してその全人格を捜査機関が支配する過酷な環境の中で取調べを受けることが常態化しているのが現実である。

 しかも、成人事件の場合には、最大20日間の身柄拘束が完了するまでの間に起訴・不起訴の処分を決めなければならないとされ、不起訴の場合には釈放されることになっている。また、起訴された場合にも保釈が認められている(もっとも、保釈率がそんなに高いとは言えないが)。
 ところが、少年事件の場合には、最大20日間の勾留が終わった後、初めて、検察庁から家庭裁判所に送致される。その時点で、身柄拘束されている少年の大部分は少年鑑別所に送致されて収容されることになる(これを観護措置と呼ぶ)。
 少年鑑別所では、従来、最大4週間の身柄拘束が認められていたが、改正された少年法では、「死刑、懲役又は禁錮に当たる罪の事件でその非行事実の認定に関し証人尋問、鑑定若しくは検証」を行う場合には最大8週間までの身柄拘束が認められることになった(改正少年法17条4項)。
 したがって、少年については、最大20日間の勾留の後、成人の刑事事件と異なり、家庭裁判所に送致された後も「保釈」のような身柄解放措置がとられることなく、さらに、最大八週間の身柄拘束がされることが予定されているのである。

 そのため、私がこれまで経験した事例でも、少年と成人の共犯事件では、成人は起訴後にさっさと保釈されて自宅に戻って来ているのに、少年はまだしばらく少年鑑別所に入ったままであるというような逆転現象が発生してしまうのである。

 このような長期間の身柄拘束が少年にどのような悪影響を与えるであろうか。私がこれまで経験した事例でも、警察では警察官が怖くて、また、少年鑑別所に入った後はそこでの厳しい規律に萎縮して、自分の言いたいことが少年審判が終わるまで自由に言えなかったと訴える少年が多く存在している。特に、年齢が低いほど、この傾向を強いと言える。 成人であっても、有名な冤罪事件に見られるように、市民がある人突然に逮捕されて厳しい取調べを受けたような場合に、そんなに長い時間を要することなく虚偽の「自白」をさせられるということは数多くある。まして、耐性の弱い少年の場合には、身柄拘束されて、いつ自宅に戻れるか分からないという不安な心理状態に陥れられた場合には、簡単に虚偽の「自白」をしてしまうことが予想される。
 そもそも、身体拘束というのは、もっとも重大な自由の剥奪であり、人間としての人格や尊厳を著しく傷つける行為である。そのような行為を、まだ精神的な発達が完了していない未熟な子どもに対して行うことは、少年の健全育成に重大な悪影響を与えることは必至である。

 ところが、少年事件の捜査の現場では、身体拘束に関して特別の配慮が加えられているとは到底思えない運用がなされている。そのためか、平気で長期間の身柄拘束がなされているのが普通である。また、少年鑑別所に至っては、それが少年の教育にも繋がると考えられている面もあるためか、長期間の収容に対してあまり疑問や抵抗を感じられていないように感じる。

 改正少年法では、少年鑑別所への収容は最大8週間とされた。今後、重大事件については最大8週間の少年鑑別所収容が増えていくだろうと予想される。
 当初、少年法改正案の政府案の段階ではこれは最大12週間であったので、それと比較すれば短くされてはいるが、私には、改正前の2倍以上もの長期の身柄拘束が必要な根拠があるとは到底考えられない。そんなに長い期間、少年が身柄拘束されたら、通っていた学校も出席日数不足で落第してしまうかもしれないし、社会への復帰に大変な障害になることが予想される。

少年事件における自白の偏重捜査の問題点

 少年事件の捜査においてもっとも問題なのは、予断や偏見に満ちた捜査官が、少年に「自白」を強要して、自白を獲得するという徹底した自白偏重の捜査がなされていることである。
 自白偏重の捜査は成人の刑事事件においても日常的にされていることではあるが、少年の場合には、成人の場合とは異なる面がある。すなわち、少年の場合には被暗示性が強いとか、耐性が弱いという特徴がある。また、少年には成人と比べて自己弁護能力が弱いという点も指摘することができる。

 そのため、少年に対しては、暴行・脅迫による自白強要はもちろんのこと、いわゆる「切り違え尋問」(他の共犯者が「自白」したと虚偽の説明をして自白を得る方法。その後、その「自白」をしたことを他の共犯者に伝えて、さらに自白を得ようとする方法)や「誘導尋問」には簡単に引っかかってしまい、虚偽の「自白」をさせられてしまう。

 また、逆に、「利益誘導」によって「自白」を得ようとすることもある。「認めれば帰してやる」とか「認めることが反省だ、反省すれば帰してやる」とか「認めればどうせ保護観察になる」とか甘い言葉をかけるのである。
 このように、法律に無知な少年に対して、捜査官は、実に言葉巧みに「アメとムチ」を使い分け、上手に「自白」を引き出すのである。

 そこで、以下、参考までに、少年に対する捜査において、どのような暴行や脅迫がなされているのかを知っていただくため、最近の日本弁護士連合会の全国調査の結果から、その例を示すと次のとおりである(日本弁護士連合会編『少年警察活動と子どもの人権〔新版〕』〔日本評論社〕30頁以下から引用)。

【暴行の例】
@「殴る、蹴る、髪の毛を引っ張る、首を絞める」(東京都東調布警察署事件、1977年)
A「『嘘をつくな、この野郎』等と怒鳴りつけ、火の付いた煙草を投げ付け、顔を机に押し付け、手拳で殴打、座っている椅子ごと後方にひっくり返す」(新潟県津川警察署事件、1980年)
B「取調室の机を押し付け、壁と机の間に体を挟み」「署内の道場に連行し、足払いで投げ飛ばす」(千葉県柏警察署事件、1981年)
C「靴の底で顔面を蹴る、手拳で顔を殴打」(和歌山県岩出警察署事件、1986年)
D「腹部を数回殴打、着衣の胸の部分をつかんで壁に押し付ける、首を絞める」(大阪府泉南警察署事件、1987年)
E「頭髪を掴み後頭部を壁に打ち付ける、倒れた少年に対し脇腹や額を足先や膝で蹴る、髪をつかみ床に引き倒し床の上を引きずり回す、椅子の金属パイプで背中中央を殴打」(群馬県富岡警察署事件、1988年)
F「平手で頭を殴る、手拳で顔面を殴打、髪をつかんで頭をこずいたり、頭を壁に打ち付ける」(綾瀬母子殺し事件、1988年)

【脅迫の例】
@「お前がいつまでも否認しているなら必ず少年院に送ってやる」(岐阜県大垣警察署事件、1978年)
A「偽証罪になるぞ。弁護士に会うな。会ったらどうなるか判っているか」(千葉県柏警察署事件、1982年)
B「おまえ、正直に言わないと家に帰さないぞ」(東京都荻窪警察署事件、1985年)
C「自白すれば三日間で外に出してやる。自白しなければ何日でも取り調べる」(香川県高松南警察署事件、1990年)
D「やっていないなら、やっていない証拠を出せ。認めないなら今夜泊ってもらう」(茨城県勝田警察署事件、1990年)
E「おまえの後ろにおまえの殺した女の子の霊がいる」(埼玉県浦和警察署事件、1991年)

 ここに紹介した暴行・脅迫の例は決して特殊なものではない。少年事件を担当した経験がある弁護士であれば、ここに挙げられたような暴行や脅迫を受けたという少年の訴えに何度か接しているはずである。

 私自身も、これまで少年の付添人・弁護人を務めた短い経験の中で、右に引用したのと同じような暴行や脅迫を受けた少年の訴えを直接聞いたことがある。

 それは、1993年(平成5年)3月1日に、東京都調布市の京王線調布駅南口で起きた暴行・傷害事件であった(調布駅前事件と呼ばれている)。
 この事件は、全く別件で補導されて取調べ中に、友人と一緒にこの事件をやったと供述したとされ、同年5月3日に主犯格と準主犯格の2人の少年を逮捕。その後、捜査官は、主犯格とされる少年に「もう一人が自白したぞ」と言って「自白」させるとともに、準主犯格とされる少年には主犯格の少年が自白したぞと言って「自白」させたのである(切り違え尋問である)。その後、この事件で五人の少年を逮捕した。
 少年たちは、少年審判までには最初に別件取調中に自白した少年を除いて全員否認に転じた。東京家庭裁判所八王子支部において、1人は非行事実なし不処分決定を受けたが、五人は非行事実をやったと認定されて少年院送致の判断を受けた。その後、東京高等裁判所に対する抗告が認められて、東京家庭裁判所八王子支部に差し戻され、うち1人は非行事実なし不処分となったが、それ以外の3人については、警察は大々的な補充捜査を行って、東京高等裁判所の判断を覆して検察官送致とされ、非行事実なし不処分とされた少年を含めて、傷害罪等で東京地方裁判所八王子支部に起訴された。この事件は、その後、起訴の有効性が争われて、最終的には起訴時少年だった被告について起訴が無効であるとして公訴棄却となり、それ以外の4人の被告についても検察官が起訴を取り消して公訴棄却となって終了している(服部朗・佐々木光明編『少年法ハンドブック』〔明石書店〕373頁以下参照)。

 なお、いわゆる草加事件においては、その被害者が加害者側に損害賠償を請求する民事訴訟が提起されているが、その上告審において、最高裁判所は、2000年2月7日、「少年らの自白にはいわゆる秘密の暴露があるわけでなく、自白を裏付ける客観的証拠もほとんど見られず、かえって自白が真実を述べたものであればあってしかるべきと思われる証拠が発見されていない上、一部とはいえ捜査官の誤導による可能性の高い明らかな虚偽の部分が含まれ、しかも犯行事実の中核的な部分について変遷が見られるという幾多の問題があるのに、漫然とその信用性を肯定した原審の判断過程には経験則に反する違法がある」と判断して自白の信用性を否定している(最高裁判所民事判例集54巻2号255頁)。
 これは、最高裁判所が少年が虚偽の「自白」をしたことを認めたものであり、それだけひどい取調べが行われたことを最高裁判所も否定できなかったのである。

少年事件における弁護権の保障の不十分さ

 少年事件については、少年に付添人が選任される割合は極めて低い。平成11年のデータでは、全体の4.4パーセントの少年にしか選任されていない。ただ、この割合は昭和63年から年々少しずつ増加している(最高裁判所事務総局家庭局「家庭裁判所事件の概況(二・完)−少年事件−」法曹時報53巻1号53、54頁)。増加傾向にあるのは、弁護士会が当番弁護士制度を実施していることと関係があるように思われる。
 これは、成人事件の場合に国選弁護人制度があり、起訴後の被告人にほとんど弁護人が選任されている実例と比較するとこの4.4パーセントという数字がいかに少ないかが良く判る。

 そのため、多くの少年審判では、両親と少年だけが出席して審判が行われている。私の経験では、付添人が出席しない審判では、裁判官が少年に対して厳しい叱責をするなど、付添人が出席している場合の審判とは少し異なっているようである。少年審判が非公開であることもあって、付添人がいない場合の審判の様子はなかなか外からは判りにくいが、少年側の弁護をする者がない場で審判を受けることは、決して少年にとってプラスではないように思われる。少年事件については、この弁護権の保障が不十分であることが、実際には冤罪を生んでいる可能性もある。

 なお、改正少年法では、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた犯罪や死刑、無期若しくは短期2年以上の懲役若しくは禁錮に当たる犯罪につき非行事実認定に必要があると裁判所が判断する場合には、検察官が審判に立ち会うことが認められたが(少年法22条の2)、この場合に付添人がいない場合には家庭裁判所が国選付添人を選任すべきことが定められた(少年法22条の3)。
 また、立ち会い検察官が抗告受理申立てをしてそれが認められた場合に付添人がいない場合にも国選付添人が選任されることになっている(少年法32条の5)。

 しかしながら、国選付添人が認められる場面はまだまだ限定的に過ぎる。成人の刑事事件においては、必要的弁護事件(弁護人がいないと公判を開くことができない事件のこと)以外にも広く国選弁護人が選任されているように、全ての少年事件について、その捜査段階から国選付添人が選任されることが望ましい。

改正少年法が少年捜査に与える影響

 改正少年法は、これまで16歳以上の少年しか検察官送致(逆送)ができなかったのを14歳以上の少年を検察官送致(逆送)できるように、刑事処罰可能年齢を引き下げた
 また、16歳以上の少年が故意の犯罪行為により被害者を死亡させた犯罪については、原則として検察官送致(逆送)することにされた(少年法20条2項)。

 これらは、少年法が保護主義を採用し、原則として刑事処分ではなく保護処分を課すことにしていたことに大きな例外を設けるものであり、少年法の保護主義を制限する動きである
 それとともに、この改正は、少年事件捜査を今まで以上に、成人の刑事事件と同じように扱う傾向を強めるであろう。つまり、少年係担当の捜査官は、14歳以上の少年の事件についても刑事事件になりうることを想定する捜査が要請されることになるし、16歳以上の少年については当然に普通の刑事事件として処理することが要請されることになる。
 したがって、これまで述べた自白偏重の捜査や付添人がほとんど付いていないという少年事件捜査の欠陥をそのままにしながら、より少年にとって厳しい捜査が行われることになることが予想されるのである。

 そして、前述したように、検察官が審判に立ち会うことが認められた。その結果、捜査段階で「自白」を強要された少年が、少年審判で「自分はやってない」と喋ったとしても、検察官は「自白」調書を掲げながら、少年審判で激しく少年を弾劾することも予想されるのである。

 このように、今回の少年法改正は、少年事件捜査のあり方まで変質させ、その捜査を糾問的なものにしてしまう可能性を秘めている。

終わりに

 今回の少年法改正は、少年事件捜査について何も改正がされなかった結果、かえって糾問的な厳しい取調べが行われることすら要請してしまうような危険性を持っている。しかし、このことについてほとんど議論もなければ警戒もされていないのが現状である。

 成人事件に限らず、少年事件においても、冤罪事件は発生し続けている。それは、その原因をなくそうとする努力や改革がほとんど行われてこなかったことに起因している。

 私たち市民は、少年事件につき、表層で起きた事件の悲惨さだけに捕らわれることなく、見えない密室で行われている取調べや「自白」強要の実態を直視する必要がある。「自白」の強要で事件を解決する社会は野蛮であり前近代的である。捜査を可視化し、警察や検察の行き過ぎを市民がコントロールできるシステムを作ることは急務と言わなければならない。

*本稿は雑誌「インパクション」124号(2001年4月15日発行)に掲載された原稿に加筆修正を加えたものである。

少年犯罪と少年法改正について考える(講演から)

少年法とは何か

 少年(14歳以上20歳未満)を、成人とは異なる特別な手続で教育的措置を施すための手続を定めた法律です。現在の少年法は、戦後、戦前の旧少年法を全面的に改正したものです。昨年、法務省が提出していた少年法改正案は、今年、衆議院の解散により廃案となっていましたが、その後、臨時国会において、自民・保守・公明の与党3党による与党案が議員立法として提出されて少年法改正案は成立し、12月6日に公布され、4月から施行されることになっています。

 ここで、まず、少年法とは、一般にはなかなかなじみがない法律ですので、簡単にご説明します。
 比較のために、まず、成人の手続を説明しますと、成人は、逮捕された段階で48時間以内に検察庁に送らなければならないことになっており、その後、検察官の請求により、裁判所は、最大20日間、その身柄を勾留することができることになっています。そして、その時点までに起訴するかしないかを決めなければなりません。起訴されるとその後、刑事裁判が始まります。最終的に判決が出て、有罪になって執行猶予がつかなかった場合には刑務所にいくことになります。これが成人の刑事手続の簡単な流れです。

 これに対して、少年事件というのは、逮捕されてから20日間の勾留という段階までの手続は成人と全く同じです。
 ただ、少年の場合に、「やむを得ない場合」でなければ勾留することができないという規定があります(少年法43条3項)。これは、長期間身柄拘束することは少年の心身に悪影響を及ぼすおそれがあるという観点から定められたものです。しかし、実際には、少年事件でも勾留されることはほとんど当たり前であり、さらに勾留が延長されて20日間勾留されることも多くなされています。さらに、ほとんどの場合、警察署の中の「代用監獄」と言われる留置場で身柄を拘束され、親の立ち会いなどもなく長時間の取り調べを受けているのが普通です。そういう意味で、ここまでの段階は成人とほとんど変らないと言えるでしょう。

 その後、少年の場合には、家裁送致と言いまして、家庭裁判所に送られます。その時点で、裁判官や調査官が少年に面会をして少年鑑別所に入れるかどうかを決めます(これを「観護措置」といいます)。少年鑑別所に送られますと最大4週間身柄を拘束されることになります(改正された少年法によると最大8週間拘束されることになります)。鑑別所というと、世間のイメージでは刑務所みたいなところと思われていますが、実際はそうではなく、少年に果たしてどういう処分をするかが望ましいかを、心理テストをして少年の能力を調べたり、少年の生育歴などを調査する機関です。つまり、家庭裁判所が審判をするために必要な調査をするための場所が少年鑑別所なのです。通常、少年鑑別所に入って約3週間目ころに審判が開かれ、そこで、少年に対して、少年院送致か保護観察か(保護処分)、又は何も処分されない(不処分)のいずれかになります。

 ただ、殺人事件のような事件については、家庭裁判所から検察庁に戻されて(「検察官送致」又は「逆送」)、その後、検察官がその少年を起訴し、刑事裁判として公開の法廷で審理を行うことになります。この場合には、子どもであるが故に、手続が大人より長くなったり、複雑になったりするという面が実際にはあります。
 以上説明したような少年に関する手続を定めているのが少年法という法律です。

 ところで、以前からも少年が起こす大きな事件はありましたが、今年のゴールデンウィーク以降、特に、17歳の少年が起こす事件が次から次へと起きています。「こうした凶悪な事件に対処するためには現行少年法が甘すぎるので少年法を改正しなければ少年犯罪を防ぐことができない」というのが、与党3党の少年法改正案をまとめた基本的な考え方です。しかし、本当にそうなのか、疑問があります。

少年事件は本当に増加しているのか

 戦後の数十年間の犯罪・非行統計をきちんと検証すると、最近の青少年の非行ははるかに減っており、特に、青少年が「殺人」で検挙される割合は戦後一貫して低下していることが指摘されるに至っています(長谷川眞理子氏の研究)。また、「死に至らしめる事件を起こした少年」が急増しているとの報道もありますが、実際には、その大半が傷害致死であり、また「共犯」とされて検挙されるので、被害死亡者数は1960年代半ばの4分の1から5分の1にとどまっているとも指摘されています(広田照幸「メディアと『青少年凶悪化』幻想」朝日新聞8月24日付夕刊)。
 このように、最近の研究では、少年犯罪が決して「急増」していないことが明らかにされています。

 しかし、私たちにとっても、少年犯罪が「急増」しているように感じていることも確かです。それでは、なぜ「急増」したように感じるのかと考えてみると、それは、マスコミが以前に比べて少年犯罪を大きく報道するようになったからではないでしょうか。おそらく、以前だったら報道されなかった事件も、今ではは大きく報道されることが多くなったように感じます。さらに、世間を騒がせるような重大事件になりますと、その報道のされ方は極めてセンセーショナリズムに走り、また大量の報道がなされるという傾向も最近はあります。
最近では、「神戸事件」がそうだったわけですが、とにかくもの凄い量の報道がなされ、新聞だけでなく、週刊誌やテレビなどが何度も詳しく報道しました。「神戸事件」については、少年の名前こそ報道されていませんが、名前以外のほとんどの事柄は報道されて市民に知られているという状況になっています。このような報道のあり方が、最近、少年犯罪は「急増」している、また凶悪化しているという印象を作り出している面があると思います。

変化してきた少年事件の質

 ただ、今まで考えられなかったような犯罪、「神戸事件」や「西鉄バスジャック事件」とか「豊川主婦殺人事件」、「大分隣家家族殺傷事件」など、従来では予想もしなかった事件が起きていることは確かです。そのような事件を捉えて、今の少年は「凶悪」化しているから厳しく取り締まらなければならないという考え方もあります。つまり、少年犯罪について、「数」が増えたのではないとしても、「質」として大きく変化してきているという指摘があります。
 
 「神戸事件」についても少年に精神的な障害があるとして医療少年院に送られました。今年に起きた「西鉄バスジャック事件」も「岡山母親バット殺人事件」も、同様に、少年に精神的な問題があるとして医療少年院に送られています(注、その後、「豊川主婦殺人事件」「大分隣家家族殺人事件」も医療少年院に送致されています)。

 つまり、最近の「凶悪」事件と言われている事件のほとんどは、少年に精神的な問題があって、それが原因となって犯罪が起こされたと家庭裁判所が判断しているのです。このような傾向は、実は、私自身が担当した事件でも何度か経験しています。

 このように、最近の少年事件では、家庭裁判所が、少年に精神的な問題があるとして、その治療のために医療少年院に送るという事態が続発しているのです。
 つまり、最近の今までなかったタイプの「凶悪」だとされる少年事件は、正常な判断ができる少年が計画的・意図的に悪いことをした事件ではなく、精神的な問題があって事件を起こしてしまったという傾向がかなり強いと感じています。

 したがって、そのような観点を抜きに、少年が「凶悪」化したと評価していいのだろうかと大変に疑問に感じています。
 このように見てくると、少年法改正をしようとしている根拠とされている少年犯罪の「急増」化や「凶悪」化は本当にそうなのだろうか。また、仮にそれを前提にしても、法律を変えれば少年犯罪を減少させることができるのか。いずれにしても、現在、国会で進められている少年法改正の審議においては、この点についての厳密な検証がほとんどされずに進められているという印象を強く受けます。

 そもそも、「凶悪」化というと、子どもが大人に近づいたとか大人とほとんど同じなんだというのが今のマスコミの風潮です。しかし、実際にはむしろ幼くなっているのではないか。子どもたちは、学力とか知識という面では、情報化社会で簡単にいろいろな情報が手に入りますが、精神年齢という面では、非常に幼くなっているのではないか。そういう子どもたちが「凶悪」と言われる事件を引き起こしているのではないでしょうか。

 小林道雄さんは、取材した調査官の言葉として、「今の高校生は十年前の中学生でしょうね。今の中学生は小学生ですよ。とにかく幼い」という言葉を紹介して、「現在の少年たちは信じられないほど幼児化してしまっているようなのだ」と述べています(小林道雄「感受性の未熟さが非行を招く」『世界』2001年1月号)。
 私は、子どもたちの精神年齢が幼くなっている、そのことが原因で事件が起きているという印象を持っています。そういう意味で、少年事件の「質」が明らかに変ってきているのではないでしょうか。

刑事処分可能年齢と少年法のずれ

 刑法第41条は、「14歳に満たないものは罰しない」と規定していますが、これは逆に言うと、14歳以上のものは処罰してもいいというのが刑法41条の意味です。
 ところが、現行の少年法は16歳以上でなければ検察官送致(逆送)することができないと規定してます。つまり、14歳の少年がいくら凶悪な事件を起こしても検察官送致(逆送)されません。これまでは16歳以上の少年でなければ、検察官送致(逆送)できず、絶対に刑事処分することができませんでした。

 改正少年法は、これを14歳に引き下げて、刑法と同じようにすることにしました。つまり、14歳以上の子どもが凶悪な事件を起こしたら、検察官送致(逆送)し、刑事裁判をして刑務所に送ることになります。これが今回の少年法改正の狙いで、刑法と少年法とのずれをなくそうとするものです。

 しかし、現行少年法は、14、15歳の少年が刑事裁判を受けさせて刑務所に送るのが果たして妥当なのかという観点から、あえて刑法と2歳のずれを作っていたのです。ところが、最近、15歳の少年による凶悪な事件があったことから、この点を改正しようとしています。しかし、14、15歳の子どもたちを刑務所に送ることに果たしてどういう意味があるんだろうかというところが問題ですね。

 なお、今回の少年法改正案をまとめる過程で、保守党は「少年」の年齢の上限を20歳から18歳に引き下げるという案を出していましたが、公明党の反対で今回の改正では見送られました。しかし、これも必ず近いうちには改正されるでしょう。
 ただ、「少年」の年齢の上限を20歳から18歳に引き下げるという問題は、刑事処分可能年齢を16歳から14歳に引き下げるのとは全く質が異なる問題です。刑事処分可能年齢を16歳から14歳に引き下げるということは、義務教育を受けている中学生が事件を起こしたら刑務所に送ることを意味します。他方、18歳以上だと、既に就職して社会人になっているか大学生になっているので、「少年」の年齢の上限を18歳以下にすることについてはそんなに抵抗はありません。
 ちなみに、世界的な傾向からも、「少年」を20歳未満としているのは高い方で、だいたい18歳が基準になっていると言われています。だから、将来的に、18歳でタバコを吸ってもいい、選挙権も与える、お酒を飲んでもいい、という形で、全ての法律制度が同時に改正されるのであれば、「少年」の年齢の上限の引き下げをすることは検討の余地があるでしょう。

 しかし、刑事処分可能年齢を16歳を14歳に下げるのは、1回でも事件を起こした中学生を刑務所に送っていいんだ、それに大人と同じ刑罰を科すんだ、そして、それはもちろん前科になるんだということです。それが本当に妥当なのかという点が私としては非常に引っかかるところです。
 しかも、少年が検察官送致(逆送)されると、公開の法廷で裁判を受けることになります。他方、少年審判の場合には、公開の法廷でなくて会議室のような広さの場所(審判廷)で、被害者もマスコミも傍聴することはできません。通常は、少年本人と両親と、付添人である弁護士が出席し、裁判官と調査官と書記官と廷吏という形で審判が行われます。
 裁判官が正面に1人おり、その前に少年が座り、その両脇に親が座ります。検察官は、現行の少年法では立ち会えません。これが少年審判です。

14、15歳の少年が刑事裁判を受けると

 少年法では、少年審判は「懇切を旨として、なごやかに、これを行わなければならない」と規定しています(少年法22条1項)。つまり、少年に対して、丁寧に、分かりやすくやらなければなりません。また、「審判は、これを公開しない」と規定しています(少年法22条2項)。
 これに対して、刑事裁判では、検察官がおり、弁護人がいます。そして、傍聴人がいる公開の法廷で裁判が行われます。
 現行の少年法では、16歳以上の少年が凶悪な犯罪を起こした場合で家庭裁判所が検察官送致(逆送)した場合には、現にこのような形で刑事裁判がされています。

 ところが、改正少年法では、14、15歳の少年が凶悪な事件を起こして、家庭裁判所が検察官送致(逆送)した場合には、検察官が少年を起訴し、公開の法廷で刑事裁判が開かれることになるわけです。つまり、14歳の子どもが公開の法廷に立たされて刑事裁判を受ける可能性が出てくるのです。もちろん、そのように刑事裁判を受ける場合には、「懇切を旨として、なごやかに」行うというルールは適用されないのです。成人と全く同じルールに従って刑事裁判の手続が進められていきます。

 しかし、果たして、公開の法廷で、子どもたちが自分の本当の気持ちや自分でやったことを自由に話すことができるのか。私には疑問です。私の経験からすれば、「懇切を旨として、なごやかに」行うことになっている少年審判でも、なかなか少年たちが心を開いて自分の気持ちを話すことは難しいのです。ところが、これが刑事裁判になると、広い法廷の真ん中に1人立たされ、高いところに裁判官が座っており、そのような場で、自分が言いたいことを言える子どもが、14、15歳の子どもたちの中で果たしてどれだけいるのか疑問です。

 しかも、刑事裁判の場では、非常に難しい法律用語を使うわけですね。法律用語が飛び交って、その中で、14、15歳の子どもたちが、今、目の前で行われている事態を果たして理解できるのか。現行の少年法の下で行われている16歳以上の少年が検察官送致(逆送)された場合の刑事裁判でも、実際には難しいのではないかと思うのですが、14、15歳の子どもが、刑事裁判の公開法廷で、被告人として、自分のやったことを自由にしゃべれるのか、その意味で、14、15歳の子どもたちに刑事裁判を受ける能力があるのかに疑問を感じます。
 そういう公開法廷には、被害者の関係者や遺族も傍聴に来るわけです。被害者の遺影を持ってきて傍聴している。被害者の遺族の前で自分が何をやったかしゃべらされるというのは大変なプレッシャーだと思います。公開の法廷では、被害者を常に意識しながらしゃべらなければならない。それで、少年が本当に事実を語ることができるのか。私にはそれはかなり難しい問題だと思います。
 そして、今後は14、15歳の少年と被害者が公開の刑事裁判の法廷で向き合わなければならなくなるでしょう。それは時代の潮流としてやむをえない面もあると思います。しかし、刑事裁判の場が、少年が、まず自分が何をやったのかということをきちっと冷静に認識をし、反省する場になるのでしょうか。それは、少年にとってはかなりきつい状況になるだろうという印象を持っています。

 だから、刑事処分可能年齢を16歳から14歳に引き下げると立法提案は、そのような少年の実態をどれほど知って提案しているのか。単に、事件の重大性という観点から刑事処分可能年齢を下げるという発想に問題があると思います。

少年法改正で、16歳以上は原則として逆送

 現行の少年法では、少年事件として処理することを原則として(保護主義)、例外的に成人の事件として処理した方が望ましいと家庭裁判所が判断した場合に限って検察官送致(逆送)することができることになっていました。

 これに対して、改正少年法では、犯行時16歳以上の少年の事件で、「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件」については、原則として検察官送致(逆送)しなければならないことになります。例外が原則に逆転されたわけです。

 ここで問題なのは、「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件」という中には、傷害について故意があったが殺すことについて故意がない「傷害致死」もこの場合に含まれ、原則として逆送されることになるという点です。意外とその範囲が広いんです。実際にも傷害致死の事件は多いんです。また、少年事件に関しては、成人の事件と異なり、事実認定が多少アバウトなところがありますから、「共犯者」を広く認める傾向があります。したがって、実際は何も実行行為をしていないが見張りをしていただけで傷害致死の共犯とされる可能性があります。また、何の行為もしなくても、犯罪について打ち合わせをして共謀したという場合にも傷害致死の共謀共同正犯になります。このような場合でも、原則逆送とされて、刑事処罰を受けることになるのです。野党の民主党が、殺人についても故意がなければならないという対案を提出しましたが、それは否決されています。この改正により、16歳以上の少年の事件の検察官送致(逆送)の数がある程度増えることが予想されます。

 なお、少し前までは、少年審判に検察官を立ち会わせることの是非が議論になっており、今回の少年法改正でもそのように改正されたわけですが、今回の少年法改正によると、そういう事件はほとんど検察官送致(逆送)されてしまって、刑事裁判として審理が行われることになり、そうであれば当然そこに検察官が立ち会っているわけです。少年審判で検察官が立ち会う場合は、事実上ほとんど無くなってしまい、今回の少年法改正ではあまり意味がなくなったように思います。

少年法改正で少年犯罪が解決するのか

 今回の少年法改正の中でも大きな改正点は、刑事処分可能年齢を16歳以上から14歳以上に引き下げたことと、16歳以上の少年について、故意で被害者を死なせた場合に原則として検察官送致(逆送)することにした、つまり、今までの例外を原則に逆転させたこと。この2点が大きな改正であると思います。

 このように、今回の少年法改正は、これまでの少年法のあり方をかなり変えてしまう可能性があると思います。被害者が死んでしまうような事件では、少年審判ではなく、多くが刑事裁判で裁かれることになってしまいます。

 これまで、少年法は「懇切を旨とし」て、少年が自分の心を開き、自分のことばで語ることを通して、自分がしたことがどれでけ重いのかを自分で分からせていくという形で、少年審判という場を大変重視してやってきました。これに対して、改正少年法は、検察官送致(逆送)する場面をかなり広くし、重大事件の多くをを刑事裁判にして、公開の法廷で、検察官が、その少年がどれだけ悪いことをしたのかを証明していく形になります。そして、その場では、検察官によって非常に厳しく少年が断罪されることになるでしょう。

 ただ、少年法を改正してそのような手続をとるようにすることで、果たして、本当に少年犯罪が減少していくのかというのが私としては疑問です。
 今の子どもたちは、少年法のことを良く知っていて、自分はこれだけ悪いことをしても刑務所にいかなくても済むんだと分かった上で犯罪をやっているんだ、だから少年法を厳しくしなければいけないという意見があります。
 しかし、ほとんどの場合には衝動的にやるのが普通でしょう。犯罪を計画的にやるという場合はそんなにないと思います。法律が変って、今度は自分が逮捕されて刑事処罰を受けるから、その犯罪を犯すのはやめるということにはならないのではないかと思います。

少年犯罪への新しい取り組みの試み

 アメリカでは、日本より10年ぐらい前に、各州で少年犯罪を厳罰化して法律を厳しくしましたが、その結果は出ませんでした。そこで、違う方向をアメリカでは探っているんです。
 例えば、「スクールポリス」といって、学校のための警察を学校に配置したり、また、「被害者との対話」は、地域の住民と被害者と加害者とが話し合う中で加害者に自分のやったことを分かってもらうというプログラムがあります。
 また、「ティーンズ・コート」というのは一部の州ですが、悪いことをした少年に別の少年事件の陪審員をやらせる。それを通して自分がやったことを含めて学んでいくという制度です。
 このように、アメリカでは色々な試みがなされているのです(矢部武『少年犯罪と闘うアメリカ』参照)。つまり、単に厳罰化しただけでは、少年犯罪は減少しないことがアメリカでは既に明らかになっているので、新しい道を歩もうとしているわけです。
ところが、日本では、そのアメリカの後追いをして、少年犯罪を厳罰化する方向に10年遅れで走っているのです。

 では、何故そのような方向に行ってしまっているのでしょうか。それは、来年の参議院選挙対策にすぎないと思います。日本経済新聞の社説(9月25日付朝刊)が適切に指摘していますが、「いくら刑罰を強化しても、その効果は限られる。だが国民にアピールしやすく、費用も掛からないので政治家は飛びつく」のです。政治家はそういうことを好むし、法律を変えておけば「少年犯罪対策をやりましたよ」と選挙民に言える。そのための「アリバイ作り」に過ぎないと思います。政治家は本気で少年犯罪をなくそうなんて夢にも思っていないとのではないでしょうか。

ストレスを多く抱えた子どもたち

 少年犯罪対策を考えるのでありば、なぜ今、少年犯罪が増えているかということをきちんと分析していかなければならない。そのためには、少年たちの置かれた環境が急激に変化していることをまず理解することが必要です。

 それは、根本的には、まず、大人社会が変容しているという問題があります。例えば、公務員が逮捕されたり、政治の不正が暴かれるということが続いており、大人社会が荒廃しきっているという現実があります。そのような現実の前で、子どもたちには「チャンとやれ」と言ったところで効果があるわけがない。子どもたちは、常に大人たちの背中を見ながら成長しているわけで、そういう大人社会を見ている子どもたちは、真面目にやるのが馬鹿らしいとクールに見ている面があります。

 それから、家庭の崩壊という問題があります。ほとんどの家庭で、両親は共働きで、子どもたちとのコミュニケーションがほとんどない状況があります。女性の社会進出という良い面もあるのですが、それが一面では親子のコミュニケーションがないという事態に繋がっているわけです。子どもがまだ小さくて最も母親の愛情を受けることが必要な時期に親子の接点がない、直接母親の愛情が受けられない、親子間が遠い存在になっているという現実があります。また、子ども部屋を与えたことにより、同じ家に住んでいるのに他人のような生活をしているということもあります。このようなことが、現在では当たり前になりつつあります。

 このように、子どもたちが、昔とは明らかに異なる環境に置かれています。そのような環境の中で少年犯罪が起きています。
 そのような環境の激変という面をどうしていくのかを考えないで、ただ法律だけを変えても何も変らないわけです。

 それから、子どもたちは、もの凄くストレスを感じています。
 それは、第1に、学校におけるストレス。これは相当なものがあると思います。今の学校は完全な競争社会であり、友だちも全てライバルです。そして、学校から完全に管理されていることも含めて、子どもたちはもの凄くストレスを感じているはずです。
 第2に、家庭での親子間の断絶によるストレス。 
 このように、子どもたちは、小さい時からこういうストレスの下に置かれています。私たちが理解できない位、子どもたちはストレスをどんどん感じ、それを溜めている状態です。

 このような子どもたちが、何かのきっかけで、とんでもない事件を起こしてしまうのです。最近の事件でも、「あんないい子がどうして」ということが多いですね。それまで全く非行もしたことがないような少年が突然に人を殺す。これが、今多いパターンですね。それは、「いい子」程、実際には「いい子」であり続けようとして色々と我慢してストレスを溜めているので、何かきっかけがあるとそれが爆発をしてしまうのだと思います。

 そういう子どもたちの精神的な問題を含めて、ケアをしたり、相談に乗ったりするという受け皿や制度が日本ではあまりに不足していると思います。
 子どもたちは、今、家に帰っても安らぐ場がない、学校でも塾でも安らぐことがない。何か救いを求めていると思います。そういう時に、何か悪いきっかけがあれば悪い方へ行ってしまうのです。そういう時に、子どもたちがケアを受けられる場所を作るべきだし、そういうものにこそ税金を使うべきでしょう。ところが、今の日本では、そういうものに税金をかけず、法律を作って上から強制していくだけです。法律を変えれば少年犯罪問題が解決するという単純な論理で少年法改正が進められています。
私が少年事件を通じて見てきた子どもたちは、とてもストレスを溜めていて、行き場がない子が多い。ところが親にはそれが分かっていない場合が多い。多くの親が言うには「うちの子に限って、どうして…」です。

 そういう意味では、少年非行は親自身の問題でもあり、親子間のコミュニケーションの断絶の問題でもあります。
 こういう問題を根本的に変えていかなければ、少年犯罪は絶対になくならない。すべての子どもたちにとって、非行や犯罪を犯すかどうかは紙一重だと思うんです。ちょっとしたきっかけで非行や犯罪を犯すし、逆にいいきっかけがあれば犯罪を起こそうとした子どもが非行や犯罪を起こさなくてもすむ場合もある。子どもたちが、そういう危うい存在であるということを認識する必要があると思います。

大切にしていきたい子どもたち

 少年法というのは、そういう危うい存在である子どもたちが、いい大人に成長し更正するための手助けをするための手続を規定する法律であったはずです。どんな子どもでも、1回や2回過ちを犯すことは当たり前で、そういう子どもたちをどうやって更正させていくのかというのが、これまでの少年法の基本的な考え方だったわけです。

 ところが、今回の少年法改正では、1回でも過ちを犯した子に更正するチャンスを与えない。とにかく刑事裁判にかけて処罰する。判決を出して、社会的な制裁を加えて刑務所に収容して、社会から隔離することで世の中を安定させていこうというのです。まさに、少年を「スケープゴート」にしようとしているとしか思えません。その方向は、これまでの少年法の考え方とは全く正反対です。

 14、15歳の子どもは、大人になるまで5、6年あるにもかかわらず、既にその段階で子どもが更正することをあきらめて、刑務所に送ってそれで済ませようとする感覚は、私には全く理解できません。
 やはり、子どもたちは、可能性を持って将来を担っていく存在であり、もっと社会は大切に扱わなければいけないし、もっといろいろな面でケアしていかなければいけないと思います。最近、大人が子どもたちをむしろ敵視してしまっているという面を強く感じます。これは子どもたちには決してよいことではないと思います。

 もっと、根本的に少年の非行や犯罪について考えていく必要があるのではないかと感じながら、私としては今後もいろいろと悩みながら少年事件をやっていきたいと考えています。

*この講演は、2000年11月11日において行われた講演をテープ起こししたものに、その後の少年法改正を踏まえて大幅に加筆訂正をしたものである。(なお、2001年1月15日に誤記を訂正しました。)

少年法による少年事件処理の概要について

救援連絡センター発行の『救援ノート』(第7改訂版、2001年)の少年事件の部分に私が執筆した原稿をリライトして、少年事件の概要について説明します。昨年成立した改正少年法に基づいてします(2001年7月28日)。

はじめに

 少年の刑事事件については少年法の適用を受け、成人の刑事事件とは異なった取り扱いがされることになります。少年法は、刑罰を科すことを目的とはせず、「少年の健全な育成を期」すことを目的としており(少年法1条)、少年に対しては、「性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分」(同条)が課されることになっています。
 そして、警察が立件した事件は、原則として、全ての事件を家庭裁判所に送致することになっており(全件送致主義)、最終的な処分は、原則として家庭裁判所が決定することになっています。

 家庭裁判所が少年の処分を決定するための手続を「審判」(少年審判)と呼び、その手続は家庭裁判所の裁判官が主宰して運用され(職権主義)、原則として検察官は手続に関与できず、被告人・弁護人と検察官が対立する当事者主義を採用している刑事裁判とは異なった性格を有しています。

 しかし、少年法は非行事実が争われることを予定していないため、刑事訴訟法とは異なり、少年審判の事実認定手続については少年法の規定を不十分であり(2000年11月に少年法の「改正」があり、事実認定手続について規定が新設されています)、成人の場合と比べると、少年の防禦権、弁護権の保障はまだまだ不十分であり、冤罪の温床であると批判されているところです(過去の冤罪として、草加事件綾瀬母子殺し事件が有名です)。

捜査段階について

 少年が逮捕された場合、逮捕段階での取り扱いは、成人の刑事事件の場合と全く変わりありません。しかし、逮捕以後の手続は成人の場合と著しく異なっています。

 少年法では、少年に対しては、原則として観護措置(鑑別所に身柄拘束すること)を請求すべきであり、勾留請求はやむを得ない場合でなければできないと規定しています(少年法43条)。しかしながら、実際には、少年事件はほとんどが勾留請求がなされ、しかも、成人の場合と同様に、多くの場合に勾留延長が認められているのが現状ですから、家庭裁判所への送致までに最大で23日間の身柄拘束を受ける可能性があります。
 逮捕後は、できるだけ早い段階で、弁護士と面会し、弁護人として選任することが必要です(少年事件でも、捜査段階では弁護人選任届を提出しなければなりません)。

 逮捕直後には、家族以外の者とは面会させてもらえないのが普通です。特定の弁護士に心当たりがないような場合には、各弁護士会が行っている当番弁護士を呼んでもらいましょう(なお、東京などでは、少年事件のための専門の当番弁護士制度もあります)。
 当番弁護士は1回目の面会については無料で相談に乗ってくれます。弁護士費用が負担できない場合でも、法律扶助協会を利用して、自己負担なしに弁護士を依頼することも可能です。

家庭裁判所への送致段階について

 少年事件は、全件送致主義と言われるとおり、軽微な事件についての警察の簡易送致の場合を除いて、すべて一旦家庭裁判所に送られることになっています。

 そして、まず、家庭裁判所の調査官及び裁判官の面接を受けて、観護措置をとるかどうか、すなわち、少年を少年鑑別所に身柄拘束するかどうかを決める手続があります。
 ここで、さらにその後長期間の身柄拘束を受けるかどうかが決まることになりますので、この面接は極めて重要です。家庭裁判所への送致の日時は、勾留満期の日が多いので(但し、それ以前に送致される場合もあります)、弁護人に日程を調整してもらい、観護措置をとらないに求める意見書を提出してもらうとともに、担当裁判官と面接をしてもらって、観護措置の必要性がないことを裁判官に説得してもらうことにより観護措置が取られない場合があります。
 裁判所に観護措置がとられた場合で不服がある場合には異議の申立てができます(従来は権利としては認められていませんでしたが、2000年11月の「改正」で認められました)。この場合には家庭裁判所が合議体で判断して取り消すことがありえます。元の決定が維持された場合には、さらに最高裁判所に対して特別抗告をすることができます(少年法17条の3)。

 なお、家庭裁判所に事件が送致された後は、少年が捜査段階において選任していた弁護人が自動的に家庭裁判所の手続における付添人になる訳ではなく、面倒ですが、家庭裁判所宛に、付添人選任届を提出する必要があります。事前に警察署の代用監獄での接見の際に署名しておくか、家庭裁判所への送致時に家庭裁判所で署名することができます。
 観護措置が取られなかった場合には身柄は釈放され、自宅に戻れます。その場合には、以後、家庭裁判所の手続については、家庭裁判所から呼出を受けることになります。また、少年事件では保護者にも呼出がかかるのが普通です。

審判不開始になる場合

 少年が家庭裁判所に送致された際に、観護措置をとられないで、釈放されたような場合には、家庭裁判所が「審判不開始決定」をする場合があります。
 家庭裁判所が、調査官を通して調査をした結果、非行事実が存在する蓋然性がないとか、少年に対して保護処分を課す可能性がないという判断に達した場合(例えば、事案が軽微で初犯のような場合)には、家庭裁判所は、審判不開始決定をして、少年事件としての全ての手続が終了します。これは、成人事件における不起訴処分に似

鑑別所に送致された場合

 家庭裁判所の裁判官が観護措置をとることを決定したら、少年は、直ちに少年鑑別所に身柄を送られることになります。一般には鑑別所に入ることが終局的な処分のように受け取られていますが、実際には、少年を外部からの影響を受けない状態で、その個性・家庭・環境・経歴・教育・事件の内容などを観察把握することを目的とする手続です。

 少年鑑別所に送致になったら、知能検査・適性検査・その他家族関係・性格等に関するアンケート調査等が行なわれ、いずれの処分が適切であるかに関する鑑別結果が出されます。この鑑別結果は、家裁の判断に重大な影響を与えることになります。

 観護措置は原則として2週間ですが、通常はもう1回延長して、原則として4週間以内まで継続することができることになっています。通常は、必ず延長されており、大体3週間目前後のころに、家庭裁判所の最終の審判が開かれて処分が決められているのが通常です。
 但し、死刑、懲役、禁錮に当たる罪の事件で非行事実の認定に関して証人尋問、鑑定、検証を行うような場合には、2週間ずつ計3回までの延長が認められますので、最大8週間以内継続される可能性があります(少年法17条4項但書)。

 家裁に事件が送られると、調査官の調査が開始され、少年鑑別所に送られた場合には、調査官が鑑別所に訪問して少年と面接した上で詳しく事情を聞くことになります。

審判手続について

 家庭裁判所の審判は非公開で行なわれます(少年法22条2項)。審判は、懇切を旨として、和やかに行うとともに、非行のある少年に対し自己の非行について内省を促すものとしなければならない」とされています(少年法22条1項)。

 審判の出席者は、少年及びその保護者のほか、少年の付添人、そして裁判官・書記官および調査官は必ず出席します。重大事件の場合には、裁判官は3人の合議体で審理することがあります(裁判所法31条の4)。
 また、「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪」や死刑又は無期もしくは短期2年以上の懲役・禁錮に当たる罪の事件については、検察官が少年審判に立ち会い、証人や少年に対して質問したり、意見を述べることができます(少年法22条の2)。ここでは、あくまでも、検察官は「審判の協力者」と位置づけられていますが、少年は検察官から厳しく尋問される覚悟をする必要があり、非行事実を争う場合には激しいやりとりが予想されます。
 なお、検察官が少年審判に立ち会う場合には国選付添人が付けられますので、私選の付添人がいない場合には、この時点で裁判所から国選付添人が選任されます(少年法22条の3)。

 少年は審判で意見を述べることができますが、それ以外の審判の手続とか運用は裁判官の裁量に委ねられており、基本的には成人の刑事訴訟の場合(当事者主義)と異なって、職権主義で審理が進められます。

 審判の結果、不処分にするか、保護処分にするか、あるいは検察官送致(いわゆる「逆送」)にするかが決定されます。
 また、場合によっては、審判で結論を出す前に、3ケ月ないし6ケ月間、試験観察が行なわれることもあります。この場合には補導委託と言って、第三者に身柄が委託されて、そこで住み込みで働くような方法が取られることもあります。試験観察後、その期間の成績が良ければ、その後開かれた審判で比較的軽い処分が行なわれます(通常は、少年院送致になっても仕方がないような場合に試験観察を経て、最終的に保護観察にするような場合に利用されています)。

 保護処分の必要がないと判断されると、不処分の決定がなされます。これには、非行事実が証拠上認められないという場合(非行事実なし不処分。成人事件の「無罪」に相当します)と、非行事実が証拠上認められるが、特に今回は保護観察までは必要でないとして不処分とされる場合(既に一定期間身柄拘束されて十分反省していると認められる場合)があります。

 なお、審判における訴訟指揮があまりにも不当な場合には、裁判官の忌避申立をすべきです(少年法の明文の規定はありませんが、忌避の申立自体は適法とされています)。

 なお、非行事実なし不処分決定は、成人の場合の無罪判決と同じ意味を持つものであり、身柄拘束期間に応じて、成人の刑事補償と同様の補償が受けられます(少年の保護事件に係る補償に関する法律)。

 保護処分には、(イ)保護観察、(ロ)児童自立支援教施設(旧教護院)または児童擁護施設(旧養護施設)への送致、(ハ)少年院への送致の三つの処分があります。

 保護観察とは、少年を家庭においたまま、保護観察所の保護観察官の監督の下、地元の保護司が定期的に指導監督するというものです。その期間は原則として二〇才までとされますが、良好であればそれ以前にほぼ一年単位で解除されることがあります。その間、種々の遵守事項が命じられ、通常、月に一、二度は保護司と連絡をとらなければならないことになっています。
 児童自立支援施または児童養護施設への送致はあまりなされることはないので、説明は省略します。
 少年院には、初等少年院(14才以上16才未満)、中等少年院(16才以上20才未満)、特別少年院(犯罪傾向が進んだ16才以上)、医療少年院があります。期間については、一般短期で約6カ月、一般長期で約1年とされています。

 検察官送致決定は、家庭裁判所が、14歳以上の少年に対して、死刑、懲役または禁固にあたる罪の事件について、調査の結果、その罪質および情状に照らして刑事処分を相当と認めるときは検察官に送致することができることになっています(少年法20条1項)。
 また、「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪」の事件で少年がその犯罪を犯した時に16歳以上であれば原則として検察官送致決定をしなければならないとされています(少年法20条2項)。
 家庭裁判所から刑事処分相当として送致された事件については、検察官は、原則として起訴しなければならないとされています(少年法45条、起訴強制)。

 不当な保護処分決定が出されたと感じた場合には、高等裁判所に抗告をして、さらに争うことができます(少年法32条)。重大な事実誤認(冤罪の場合)や処分が著しく重い場合(少年院送致になった場合)には抗告をすべきです。ただ、その場合でも、当然には審判の効力は停止されませんので(少年法34条)、元の家庭裁判所(原裁判所)か高等裁判所に対して執行停止の申立をするべきです。執行停止が認められない場合には、保護処分は執行されます(例えば、少年院送致決定がなされた場合には少年院に収容されます)。

 高等裁判所の結果について不服がある場合において、憲法違反がある場合に限って最高裁判所に再抗告をすることができます(少年法35条)。

 なお、検察官が少年審判に立ち会った場合で、非行事実なし不処分になったり、軽い保護観察になったりした場合に、非行事実の認定に関して、法令の違反や重大な事実誤認があることを理由として高等裁判所に対して抗告受理の申立てができるようになりましたので(少年法32条の4)、それに対する覚悟や備えも必要です。


今臨時国会における少年法「改正」審議について


 本年10月10日、衆議院法務委員会で、少年法「改正」案が実質審議入りした。公職選挙法改正問題の混乱の中で、民主党、自由党、共産党、社民党の野党四党は欠席のままであった。

 その後の与党だけによる衆議院法務委員会の審議の中では、保岡興治法務大臣が、自民党の河村建夫氏の質問に答えて、「少年犯罪の問題は少年法の改正だけで済むものではない。この問題は、戦後の日本社会の鏡となってあらわれてきている」と指摘し、「憲法改正も含め、社会全体の規範意識を改め、日本のあり方を求めていくべきだ」と述べるなど、極めて異例の発言をし、今回の少年法改正の政治的な意図を図らずも明らかにした。

 その後も、与党だけで審議が続けられた。10月13日には、岩井宣子氏(専修大教授)・千葉紘子氏(歌手・篤志面接委員)・瀬川晃氏(同志社大教授)を参考人として招いて審議を行い、10月17日には、午前に森田明氏(東洋大教授)、小田晋氏(国際医療福祉大学教授)、原口幹雄氏(東京家政学院大学教授)、午後に児玉昭平氏(山形マット死事件の児玉雄平君の父親)、土師守氏(神戸事件の淳君の父親)、久保潔氏(読売新聞論説副委員)、河上亮一氏(公立中学校教諭)を参考人として招いて審議した。

 この後、少年犯罪による被害者の遺族たちが、与党による少年法改正や審議のあり方について異論を述べるという出来事もあった。少年事件で子どもを失った親たちでつくる「少年犯罪被害当事者の会」(代表・武るり子さん)の家族ら11名が、10月19日、保岡興治法務大臣に対して、「野党、与党で議論し合って、より良い少年法にしてほしい」と要望して意見書を提出し、その中で「(与党の)改正案は、被害当事者の声が十分届いているとは思えない」と指摘したことが報道された。

 その後、公職選挙法が参議院で可決されて衆議院に送られたことを契機に国会が「正常」化したことにより、少年法「改正」案についても、ようやく野党が参加して審議されるようになり、10月24日と25日には野党議員10名による質疑が行われるようになった。
 10月27日には、福島章氏(上智大教授・精神医学)、佐藤欣子氏(弁護士・元検事)、飯室勝彦氏(東京新聞論説委員)、守屋克彦氏(東京経済大教授・元判事)、塚本猪一郎氏(画家・西鉄バスジャック事件被害者遺族)、葛野尋之氏(立命館大教授)、斉藤義房氏(日弁連子どもの権利委員会委員長)、寺尾絢彦氏(元家裁調査官)、岡崎后生氏(会社員・牛久事件被害者遺族)の参考人質疑が行われた。
 
 ところが、10月30日の衆議院法務委員会理事懇談会において、翌31日の委員会質疑の後に採決をすることを長勢甚遠委員長の職権で一方的に決めた。そして、少年法「改正」案は、10月31日、衆議院法務委員会において与党三党と野党の民主党、自由党の賛成多数で可決された後、直ちに衆院本会議に緊急上程され、同日午後に衆議院を通過して、参議院に送付された。

 少年「改正」案をめぐる一連の審議の経過を見ると、少年法という基本的な法律の審議にしては、あまりにも拙速であるという印象を否めない。特に、少年犯罪の被害者たちから見ても不満が残るような法律改正を、どうしてこの臨時国会においてそんなに急ぐ必要があったのか。
 とりわけ、10月24日から、ようやく与野党揃っての審議が始まり、少年法「改正」案に対する疑問点が次々と提示されていたのに、与党や法務大臣は、その論戦から逃げて、「数の論理」だけで押し切ろうとしていると印象が極めて強い。ここにも公選法改正案を与党三党の「数の論理」だけで成立させた現在の与党三党の手法が全く同様に踏襲されている。また、土壇場に来て、野党である民主党や自由党も、与党案への賛成に回ったが、これもいかにも選挙目当ての見苦しい態度急変であった。

 今回の少年法改正案に対する最大の問題は、少年法を変えて本当に少年犯罪を減らすことができるのか、という問題であり、また、少年犯罪対策には今何が本当に必要なのか、という点であった。
 結局、この点についての納得できる回答は、今回の審議を通じても与党3党からは説得的に回答されずじまいだった。それにもかかわらず、まもなく少年法「改正」案が成立しようとしているという現在の国会のあり方に対して、私たち市民はもっと怒りをもって批判していかなければならないのではないだろうか。
 (2000年11月6日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」11月号の連載記事として執筆されたものに一部加筆訂正したものである。

(必読サイト)
 ・少年法「改正」審議に関する傍聴記や様々な論説や情報が集約された有用なホームページ

   「子どもの視点からの少年法論議を求める請願署名をすすめる会
    http://plaza18.mbn.or.jp/~kodomonositen/

与党3党の議員立法による少年法改正案の問題点


 自民党、公明党、保守党の与党三党は、9月14日、国会内で「少年問題プロジェクトチーム」(座長・麻生太郎元経企庁長官)の会合を開き、本年9月21日に召集された臨時国会に、早ければ9月末にも少年法改正案を議員立法の形でへ提出し、11月上、中旬までの成立をめざすことで最終的に合意した。
 与党による少年法改正案の内容は、
(1)刑事罰対象年齢を現行の「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げること
(2)16歳以上で、殺人や強盗致死など「故意による犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件」については送致を受けた少年を家庭裁判所が刑事裁判にかけるため検察庁に送り返す「逆送」を原則とすること
(3)家庭裁判所の決定に不服がある場合に検察官に抗告受理の申し立てができる制度を導入すること
(4)死刑や無期懲役、または「短期2年以上」の懲役や禁錮刑にあたる事件の少年審判について検察官の出席を認めること
(5)現行法で最長四週間の観護措置期間を最長八週間まで延長すること
(6)家庭裁判所が必要があると認めた場合、保護者に対して訓戒や指導などの措置をとれること

などを内容としている。

 少年法改正を巡る経緯については、先の通常国会において、法制審議会の審議を経た上で内閣提出の少年法改正案が廃案になっていた。内閣提出案においては、少年審判における事実認定手続の改革が中心となっており、少年審判への検察官の立ち会いが問題となっていた。その当時、自民党は刑事罰適用年齢を一六歳に引き下げる法案を検討していたが、その提出を見送っていた。
 ところが、衆議院選挙で、与党が辛勝した時点以降、自民党を中心に、現行少年法について「少年に甘すぎる」との認識を前提にして、連休以降発生したバスジャック事件等いくつかの凶悪事件の発生を踏まえて、急速に、少年法の「厳罰化」を求める声が強まった。
 そのような経過の中で、与党三党が、刑事罰対象年齢を現行法の16歳以上から14歳以上に引き下げるとともに、16歳以上の「人の命を奪った行為」については「原則逆送」とするという「厳罰化」を強く指向する改正案が作られた。

 しかし、与党が前提としている少年犯罪の「増加、凶悪化、低年齢化」については、何ら実証されておらず、マスコミ報道などを前提とするイメージでしかない。今回の与党案の策定に当たって社会調査や実態調査が行われたとも言われていない。
 むしろ、最近では、戦後の数十年間の犯罪・非行統計をきちんと検証すると、最近の青少年の非行ははるかに減っており、特に、青少年が「殺人」で検挙される割合は戦後一貫して低下していることが指摘されるに至っている(長谷川眞理子)
 また、「死に至らしめる事件を起こした少年」が急増しているとの報道もあるが、実際には、その大半は傷害致死であり、また「共犯」とされて検挙されるので、被害死亡者数は一九六〇年代半ばの四分の一から五分の一にとどまっていると指摘されている(広田照幸「メディアと『青少年凶悪化』幻想」朝日新聞8月24日付夕刊)
 いずれにしても、今回の与党による議員立法の提案は拙速に過ぎる。国民的議論も何もない所で、雰囲気だけで行われたという印象が強い。

 そもそも、法律をいくら「厳罰化」しても、その効果があることは実証されていない。アメリカにおいても1970年代に始まった少年犯罪の凶悪化、低年齢化に対応するために加害者の刑事罰適用年齢の引き下げなどの厳罰主義が多くの州で導入されたが、90年代に入って、厳罰主義の弊害を指摘する調査結果が出され、現在では、厳罰主義の功罪を踏まえた上で少年の更生と刑事法の厳罰主義をうまくミックスさせて対応しようという新たな動きが出ていると指摘されている(矢部武『少年犯罪と闘うアメリカ』154頁以下)

 しかしながら、日本経済新聞(9月25日付朝刊)の社説が適切に指摘しているように、「いくら刑罰を強化しても、その効果は限られる。だが国民にアピールしやすく、費用も掛からないので政治家は飛びつく」のである。
 つまり、今回の与党による少年法改正案は、来年の参議院選挙に向けた「選挙対策」に過ぎないのであり、少年犯罪がなぜ起きるのかということを親子の関係や社会との関係から深く洞察して根本的な解決をしようとか、少年犯罪の被害者に対する手厚い配慮をしようというのでもなく、「厳罰化」という姿勢を示すことにのみ重点があるとしか考えられない。その意味で極めて政治的な改正提案であると言わなければならない。そして、少年法という重要な法律を、与党による議員立法という多数決の横暴によって改悪しようとしているのである。
 森総理は、臨時国会における少年法改正に並々ならぬ決意を表明している。少年法にとって重大な危機を迎えていると言わなければならない。これを阻止できるのは世論の盛り上がり以外にはないと思われるが、どれだけ我々市民全体の関心を高められるかが求められている。
(2000年9月28日記)
*これは救援連絡センターの機関紙「救援」10月号の連載記事として執筆されたものに一部加筆訂正したものである。

少年法が国会に上程されるまでの状況と少年法改正の問題点

  ここでは、少年法が国会に上程されるまでの状況と、少年法改正の問題点につき、私がこれまで、救援連絡センター発行機関紙「救援」に掲載した原稿を再構成して概観してみます。

神戸小学生殺害事件をめぐる報道と少年法「改正」論議について

 神戸市で発生した小学生殺害事件については、1997年6月28日に、14歳の少年が逮捕された後、その残虐と思われていた手口との落差などから、マスコミはこぞって大々的に取り上げた。マスコミは既に事件発生直後から、探偵気取りで、連日のように「犯人探し」の報道を続けていた。そして、黒いポリ袋を持った男性や白い乗用車についての目撃情報がまことしやかに繰り返し報道されていた。

 少年法61条の規定により、本人と推知できる情報を報道してはならないとされているにもかかわらず、新聞は、被疑者とされた少年の所属中学校の名前を報道し、取材にあたって、「○○のこと知っていますか」という調子で取材したために、現地の住民ではまたたく間に被疑者が誰かということが知られたという。

 そのような状況の中で、新潮社は、「FOCUS」に被疑者の顔写真を掲載して販売するという暴挙に出た。「週刊新潮」も、目隠しをしただけの被疑者の顔写真を掲載した販売した。両誌とも、通常の倍の部数を印刷したと言われている。これは、商業主義のために被疑者にリンチを加えたとしか評価のできない行為である。そして、法務局は新潮社に回収勧告をした。新潮社は報道の自由や国民の知る権利を掲げて、今回の行為についても反省しているようなそぶりをほとんど見せていない。しかし、今回の行為は、国家権力による法的な規制を招く危険のある行為を行ったという点で、ジャーナリズムとしては自殺行為だったと考えるべきなのである。被疑者などの弱者を犠牲にすることによって成り立つ表現の自由ほど脆く、かつ、偽善的なものはないと思われる。

 また、案の定、いつもの少年法「改正」論議が持ち出されるに至っている。凶悪事件の被疑者が少年であるときにはワン・パターンのようにマスコミが持ちだす話題である。その少年法「改正」論議の最大の誤りは、「少年法が悪いから凶悪犯罪が起きる」という何の実証もない理屈を前提としてなされているという点である。これは、死刑廃止論に対してよく言われる「死刑をなくすと凶悪犯罪が増える」との理屈と非常に良く似ている。
 法律を改正するだけで犯罪が減ったり増えたりする程、犯罪は単純なものではない。犯罪の動機はそんなに単純ではない。
 少年審判では事実をきちんと認定していないから、いい加減な処分しかできないのだという議論もある。そして、その議論は必ずと言ってよい程、検察官が少年審判に立ち会わなければならないのだという議論とセットになっている。しかし、少年事件に要求されている「懇切を旨としてなごやかに」行われるべき審判像と、検察官の立ち会いとは全く矛盾する。少年にとっては、少年審判は捜査の延長でしかなくなるだろう。しかも、少年事件の場合には国選弁護人制度もないために多くの事件で付添人(弁護士)が付かないまま審判されている事例が極めて多いことは意外にも知られていない。

 さらに、少年院送致になっても2年程度で出てくるのは早すぎるという議論も多い。しかし、2年以上も身柄拘束することは、もはや保護ではなくて刑罰に等しいと言えるし、成人事件においては、殺人事件についても執行猶予が付けられる場合もあるのである。少年にとって2年近くの少年院送致は相当な苦痛であるはずだ。
 犯罪は社会が産み出すものである。どうして、今の社会が凶悪犯罪を産むのかこそが議論の対象とならなければならないはずである。ところが、マスコミは、被疑者が異常で特殊であることを強調することで(これは連続幼女殺人事件の被告人とされるM君の時も同様であった)、自分や社会とは何の関係もないのだと言い聞かせて安心しようとしている。これに対して、被疑者と同世代は、自分たちの中にも同じ要素があることを認めている発言が多く、よっぽど真摯に今回の事件を捉えている。今回の事件を異常で特殊であると思いこもうとすることは、結局、今回の事件の本質も何も見ようとしていないことであるということを、まず私たちは知らなければならない。
(1997年7月21日記)

「文藝春秋」による神戸事件の少年の検面調書掲載を考える

 神戸小学生連続殺傷事件で保護処分とされた少年の検面調書(検察官面前調書)が、1998年2月10日に発売された月刊「文藝春秋」1998年3月号に、「少年A犯罪の全貌」という表題で掲載された。内容は、1997年の7月5日付から21日付までの神戸地方検察庁で作成された検面調書7通が、60ページ余りにわたって掲載された。

 これに対しては、発売日前日に、神戸家裁の所長が「少年法の趣旨に反する」として同遺憾だ。被害者の遺族が読んだら耐えられないと思う」と述べ、最高裁判所の家庭局長は誌編集長に記事の掲載または発売の中止を電話で申し入れ、発売当日には、下稲葉耕吉法相が、記者会見で「もともと少年審判は非公開だ。少年法の原則に反し、公にされたのは大変「少年審判への信頼を著しく損なうもので誠に遺憾」として厳重に抗議する書面を送り、神戸弁護士会は「少年法の精神をゆがめ、少年や被害家族の人権、プライバシーを侵害しており、公益に資するとは考えられない」との声明を出している。

 少年審判は、少年法により、少年の健全育成を実現するという目的のために非公開で行われるものとされている(少年法22条2項)。そのような審判のために作成された検面調書を公表することが、この非公開の原則に反することは明白である。また、検面調書は検察官による作文であり、少年が生で語ったことがそのまま記載されているものでないことは周知の事実である。そのような検面調書を公表することによって、少年に対する理解を深めるなどということができるものではない。文藝春秋は「知る権利」や「公益性」などの建前論を掲載の理由としているが、本音はセンセーショナルな記事を掲載することで売り上げを伸ばしたいという商業主義でしかないことは明白である。

 しかし、今回の文藝春秋の検面調書掲載について、私が最も問題があると思うのは、そのような検面調書が、どこから流出して文藝春秋に渡ったのかという点である。この流出させた社会的責任が重いことはもちろん、それが公務員によるものであれば、漏洩についての刑事責任が問われるべき問題である。私は、通常の常識で考えれば、神戸家庭裁判所や附添人である弁護士、神戸地方検察庁から流出した可能性は極めて低いように思われる。むしろ、私は、これまで文藝春秋が持っていた情報源から推測すると、この検面調書は警察庁幹部から流出した可能性が高いのではないかと思われる。特に、今回、司法警察員による員面調書が全く掲載されておらず、検面調書だけが掲載されていることが、この流出元が警察関係者であることを推測させるものであり、検面調書を持っているということを考えると、単なる地元警察署ではなくて、警察庁ではないかと考えられるのである。

 ところが、最近になって、検面調書と同じ内容の文書が記録されたフロッピーディスクが革マル派の都内アジトとされる場所から押収されたと報道されたり、検面調書のコピーとみられる文書が1997年10月、共同通信社、産経新聞社、TBSに郵送されていたことなどが報道されており、東京地検公安部が専従捜査班を設け、調書の流出経路などの解明を行うことにしたことも報道されるに至っている。しかし、このような最近の一連の動きについては、警察庁側が、自らが調書の流出元とされないための陽動作戦ではないかとの見方もあるところである。

 いずれにせよ、警察庁が、今回の調書流出に関与しているとしたら、今回の調書掲載事件は権力犯罪であると言わなければならないのであり、そのような権力犯罪に加担した文藝春秋についてもその道義的責任が問われなければならないはずである。それとともに、「文藝春秋」1998年3月号が、どこの書店でも、たちまち売切れになる程の売れ行きを示しているという日本の現状にも問題があるはずである
(1998年2月26日記)

 
*飯室勝彦『客観報道の裏側』(現代書館、1999年)82頁以下がこの問題を取り上げているが、飯室氏は、情報の最終判断者は読者であり、マスコミによる情報発信をむやみに封じるべきではないと主張しており、ジャーナリストとしての意見として大変に参考になる。

法務大臣による少年法改正への積極的発言について


 最近(1998年)、下稲葉耕吉法相法務大臣による少年法改正への積極的な発言が目立っている。1998年2月26日の衆院予算委員会において「年齢問題などを前向きに検討したい」と述べ、さらに「事実解明の手続きから言えば裁判官は一人でいいのか、殺人事件など難しい事件の場合(審理期間は)4週間でいいのか。検察官の立ち会いもない」と述べて、少年法改正の必要性を述べた。
 また、法相は、1998年3月3日の記者会見で、最高裁と日本弁護士連合会(日弁連)を交えた法曹三者でこの問題を議論するよう法務省担当者へ指示したことを明らかにし、その後も、「外国では死刑すら少年に適用する国もある」(1998年3月4日の民放番組録画撮りのインタビューに答えて)、「少年法の年齢規定は時代にあっているのか。議論して結論を見いだしたい」(1998年2月13日の衆院法務委員会)など、少年法改正のための議論の必要性を事ある毎に強調している。

 確かに、1997年に神戸市で起きた小学生連続殺傷事件を契機に、少年法改正論議が起きていることは確かであり、最近になって、栃木県の黒磯で女性教諭が生徒にナイフで刺殺されたとされる事件をきっかけとして、続々とナイフを使った殺人・傷害事件が全国各地で発生しており、少年法が議論されるだけの素地があることは否定できない。
 しかし、法相の発言はかなり性急な印象を受ける。ちなみに、法務省がこれまでタブー視されていた年齢引き下げ問題(現に後述する法曹三者の意見交換会においてもこの点は全く話題になっていなかった)に積極的に言及している背景には、1998年2月末に大阪高検の幹部が中学生の2人組による“オヤジ狩り”にあい、現金などを脅し取られる事件があったことがあるようだ(読売新聞ニュース速報1998年3月15日付が指摘する)。

 ところで、最高裁、法務省と日弁連は、1996年から約20年ぶりに法曹三者による意見交換会を10回にわたって行ってきた。この意見交換会は、少年審判制度の改正に踏み込まないことを前提に意見交換することを目的として開催され終了したが、その後、1997年11月、法曹三者間で少年法の改正を視野に入れた新たな協議を開始することを合意をしており、今年からその協議が開始される予定になっている。
 そのような情勢の中で、法相による少年法改正への積極発言が続いている。冒頭に紹介した法相の発言は、最高裁と法務省による少年法改正の提案内容をそのまま示している。すなわち、最高裁や法務省は、少年法改正の方向性として、(1)現在の単独制から、必要に応じて複数の合議制をとれるようにする、(2)家裁送致後の少年の身柄拘束(これを観護措置という。鑑別所に収容する措置のこと)の期間を現行法の四週間から更に延長する、(3)検察官の審判立ち会いや不服申立を認めるなどを提案している。ところが、法相は、さらに踏み込んで、従来タブーだった刑事処分の対象年齢(現在16歳以上)の引き下げの必要性を強調しているのである。

 しかし、このような改正の方向性は、基本的には、厳罰主義を背景とするとともに、さらには少年事件における検察官の権限の拡大を狙ったものであることは明らかである。現行少年法は、旧少年法が大幅に認めていた検察官の権限を縮小し、極力、検察官を少年審判から排除することによって、少年の健全育成を実現しようとしていた。現在の改正論議は、それを逆戻りさせようとするものに他ならない。

 私としては、現行少年法の枠組みの中でも、運用により、まだまだ改善の余地はあると考えている。まして、検察官を少年審判に立ち会わせることになってしまえば、少年審判の場は捜査の延長となり、審判は「なごやかに」行われることなく、少年に対する糾問の場となり、まさに少年を「裁く」場となることは必至である。

 ちなみに、実際の少年審判では、裁判官が検察官役をしており、刑事事件のような起訴状一本主義による予断排除は全くなく、担当裁判官は、捜査段階で警察・検察によって一方的に作成された記録を予め読んで真っ黒の心証を持った上で審判に臨んでおり、場合によっては厳しい叱責も行われているのである。そのような場に検察官が立ち会うようなことになれば(しかも、少年審判に弁護士である付添人が付く割合は約五割程度と言われている)、審判は間違いなく糾問の場となって、少年の健全育成などふっとぶことは間違いない。

 1998年3月15日に放送されたNHKスペシャル「少年法廷」では、アメリカにおいて、少年事件のうち軽微な事件については、公開の法廷で、検察官も弁護人も陪審員も全て少年が行う少年法廷において事件を処理していることが紹介されていた。日本ではおよそ実現する可能性はないだろうが、その番組の中で、お母さんたちが「子どもたちのことは子どもたち自身にやらせるのが最もよい」と考えてそのような制度が作られたことが紹介されていたのが印象的であった。我が国では、少年犯罪が報道される度に厳罰主義に傾いた世論作りがなされているのが実情であるが、アメリカのお母さんたちの発想を少しでも学びたい。そして、上からの少年法改正論議ではなく、下からの少年法論議をしたいものである。
(1998年3月25日記)

 *最近、山口直也・山梨学院大学法学部助教授が『ティーンコート 少年が少年を立ち直らせる裁判』(現代人文社、1999年)を出版し、アメリカのティーンコートを詳しく紹介し、我が国でも実現可能であることを述べており、極めて有益である。

少年法「改正」論議における「検察官関与」問題を考える

 1998年7月28日に、約20年ぶりに再会された法制審議会少年法部会で、少年法改正に向けての議論が始まっている。法務大臣の諮問内容は、裁定合議制の導入や少年鑑別所における身柄拘束期間の延長など五点にわたるが、その中でもっとも焦点となっているのは、検察官の少年審判への関与を認めるかどうかという点である。

 法務省はかねてより、検察官の審判関与を認めるべきであるとして、1970年に法制審議会に諮問したが、日本弁護士連合会の強い反対により、一九七六年に「中間報告」を答申しただけで、その後、少年法改正への動きは頓挫していた。
 ところが、神戸連続殺傷事件や、一連のナイフ事件が起きる状況の中で、法務省は、再び、検察官の審判関与を実現することを目標に、少年法改正に向けて、法制審議会を開くこととし、日本弁護士連合会も、その席につくことになったため、法制審議会少年法部会が再開されるに至った。

 1998年9月24日に開かれた少年法部会の第四回会合では、少年審判への検察官関与について意見交換が行われたと報道されている。
 日弁連は、かつては、検察官の少年審判への関与には全面的に反対していたが、1998年7月16日に日弁連理事会で採択された「少年司法改革に関する意見書」では、その立場を大きく変更し、少年審判に「対審的構造の導入が必要不可欠」と主張するに至った(この意見書は、手頃な所では、日本弁護士連合会子どもの権利委員会編『少年警察活動と子どもの人権<新版>』一七六頁以下に採録されている)。
 最高裁側委員が、現行の少年審判の形態を維持しつつ、検察官を「協力者」として立ち会わせたいという見解を出しているのに対して、日弁連は、少年審判の形態自体を「対審的構造」とし、検察官を弁護人と対等の立場に立たせようとしている。つまり、事実認定については検察官に強大な権限を与えようとしていると言うことができる。
 日弁連は、現在の少年審判の形態では、非行事実を争おうとしても、予断排除の原則、伝聞法則、反対尋問権の保障がないために、十分に争うことができないから、対審的構造ほ導入することが必要不可欠だと主張している。しかし、現在の少年審判の形態を維持しつつ、予断排除の原則、伝聞法則、反対尋問権の保障を導入するということも可能であると思われるが、日弁連は対審的構造がベストだと考えているようである。
 ところで、ここで、日弁連が考えている対審的構造は、現在の成人の刑事事件においてとられている「対審的構造」とは異なり、理想形としての「対審的構造」のように思われる。なぜなら、成人の刑事事件を実際に担当している弁護士は、それが「対審的構造」であり、当事者主義構造であるとは言われるものの、様々な点で検察官が優位に立ち、全面的証拠開示は認められず、伝聞法則には大きな例外が認められ、反対尋問権も十分に保障されておらず、弁護人は常に反証を制限される立場にあり、とても、被告人の無罪を思う存分立証できるような構造になっていないことを痛感しているはずだからである(だからこそ、冤罪事件が続発しているのである)。
 だから、成人の刑事事件において現にとられている「対審的構造」を少年審判に持ち込もうとしているのであれば絶対にやめてもらいたいと思うはずである。
 ところが、日弁連は、少年審判へは理想的な「対審的構造」を導入しようと考えているようである。しかし、成人の刑事事件においてすら実現されていない理想的な「対審的構造」が、どうして少年審判においてなら実現可能だと考えるのかが、私には全く理解できないのである。そして、私には、むしろ、成人の刑事事件では実現できそうもないので、少年審判の方でそれを実現しようとしている(つもり「江戸の仇を長崎で」ということ)としか見えないのである。
 結局、日弁連の今回の新提案は、これまで検察官の少年審判への関与に絶対反対だった日弁連が、限定的ながら検察官関与を認めたという事実だけが残り、結局、検察官関与を認める少年法改正が通ってしまう(しかも、日弁連が主張するような、いくつかの前提条件も付けられないまま)という最悪の事態になるのではないかと危惧する。しかも、検察官に当事者的立場と権限を認めた場合には、検察官の抗告権も認めない訳にはいかなくなるはずである。

 私は、自分が少年事件に関わった体験からも、検察官の少年審判への関与は絶対に反対すべきであると考えているが、日弁連の新提案には、右に述べたような疑問を持たざるを得ない。
 いずれにしても、実際に少年法を適用を受ける子どもたちを持つ市民が、この問題を自分たちの問題として考え、意見表明をする必要が今こそあるように思われる。
(1998年9月26日)
*市民が少年法を身近な問題として考えるための文献として、後藤弘子『法のなかの子どもたち』岩波ブックレットをお勧めしたい。

少年法「改正」を答申した法制審議会

 約20年ぶりに再開された法制審議会少年法部会では、1998年7月28日から、約10回の審議を行い、1998年12月11日に、「少年審判における事実認定手続の一層の適正化を図るための少年法の整備等に関する要綱骨子(案)」を採択していた(要綱骨子は、ジュリスト1999年2月1日号〔1149号〕8、9頁に掲載されている)。
 これを受けて、法制審議会は、1999年1月21日の総会において、少年法部会(部会長・松尾浩也上智大教授)がまとめた要綱骨子を賛成多数で決定し、中村正三郎法相に答申した。これを受けて法務省は、少年法と裁判所法、家事審判法の改正案を今通常国会に提出する予定と伝えられている(その後、提出された)。

 また、自民党は1月22日、法務部会と司法制度調査会の合同会議を開き、少年法小委員会(河村建夫委員長)が1998年末にまとめた、刑事罰の対象年齢を「14歳以上」に引き下げる少年法改正に関する報告書を了承し、今国会に提出する方針であると伝えられている(これは提出を見送られた)。

 今回の少年法等の改正案の目玉は、言うまでもなく、少年審判に検察官の立会と抗告権を認めた点である。これは法務省の長年の悲願が遂に実現したということを意味する。
 要綱骨子によると、家庭裁判所は、犯罪少年に係る死刑、無期又は長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪の事件について、その非行事実を認定するための審判手続に検察官に関与する必要があると認めるときは、決定をもって、審判に検察官を出席させることができるものとし、その罪が被害者の死亡の結果を含む場合で検察官の申出があるときは、明らかにその必要がないと認める場合を除き、出席させる決定をすることとされている。
 検察官が立ち会える場合は一見限定されているように見えるが、「長期3年を超える懲役若しくは禁錮」には、傷害罪や業務上過失致死傷罪、窃盗罪、恐喝罪なども含まれるのであり、相当広範である。また、要綱骨子では、事実認定の対象となる事実について、非行事実だけでなく、「当該犯罪に密接に関連する重要な事実を含む」とされており、この点でも、検察官が少年審判に立ち会える範囲が広げられている。
 そして、検察官が審判手続に関与した事件について、不処分決定または保護処分決定の非行事実の認定に関して、決定に影響を及ぼす法令違反または重大な事実誤認を理由として検察官から抗告することができる、とされている。

 これまで、約20年間もの間、少年法改正に関する法制審議会少年法部会が開けなかったのも、日弁連が、この検察官関与に強く反対したからであった。かつて、日弁連は「審判は、刑罰を課するための裁判ではなく…どんな保護処分や保護的措置が最もふさわしいかを模索し、選択する場である。したがって、このような場に、捜査と刑罰の請求を職務とする検察官を立ち会わせるのは審判の本質と相いれない」(日弁連が1984年3月に発表した「少年法『改正』答申に関する意見」)と述べて、検察官立会に全面的に反対していた。

 ところが、今回、日弁連は「対審的構造の導入」を前提として検察官関与を容認する方向に姿勢を転じた(1998年7月16日採択の「少年司法改革に関する意見書」http://www.nichibenren.or.jp/sengen/iken/9807_1.htm)。1998年12月11日に開かれた法制審議会少年法部会においても、最後まで、日弁連委員は席を立つことはなかった。
 このことをもって、日弁連の「変節」と評価することもできるだろう。実際、今回の法制審議会の答申ができたのも、日弁連委員が出席して、会議が成立したためである以上、むしろそのように見ることが自然でもあるし、日弁連が検察官関与を限定的であるにせよ容認したからこそ(私個人としては、限定的でも検察官関与を認めたことは、戦略としては誤っていたと考えるが)、今回の法制審議会の答申が実現したことは確かである。

 ただ、近年の日弁連にとっての懸案でもある司法改革や法曹要請問題などで、日弁連の意見を実現するためには、法務省との協力関係を維持することが不可欠であるという関係の中で、少年法改正問題について、全面反対だけの姿勢で審議にも一切応じないという態度を取ることができなかったという政治的な判断はあったようである。その意味では、日弁連に、これまでのような過度の期待を持つことはできないということを知らなければならないと言えるだろう。

 もっとも、今回の少年法等の改正については、実際に審判を受けている少年の声を果たして聞いたものなのか、果たして誰のための改正か、実際に少年事件では審判手続自体が問題となることは少なく、むしろ処遇のあり方の方が改善されるべきではないか、など多数の疑問点がある。附添人をしている立場から見れば、今回のような改正がなされることで少年審判が全く様相を変えてしまい、「なごやか」であるべき審判が「糾問」の場に変わるのではないかと危惧せざるを得ない。
 いずれにせよ、舞台は、国会審議の場に移った。報道によると、検察官関与に関しては、反対または慎重審議を求める構えだと伝えられている。
(1999年1月27日記)


少年法改正案(政府案、少年審判における事実認定手続の一層の適正化を図るための少年法の整備等に関する要綱骨子)の検討

はじめに

 1998年12月11日に、法制審議会少年法部会(部会長・松尾浩也上智大学教授)において「少年審判における事実認定手続の一層の適正化を図るための少年法の整備等に関する要綱骨子(案)」が採択され、それを受けて、1999年1月21日に開かれた法制審議会の総会において、同案を可決、採択し、法務大臣に対して答申した。
 自民党は、法制審議会が答申した要綱に基づいて法案化し、1999年2月25日、法務部会・少年法小委員会の合同部会と政調審議会において少年法改正案が了承され、総務会の了承を経て、3月5日にも少年法改正案を通常国会に提出する予定だとされている(日本経済新聞2月25日付夕刊18面)。
 ここでは、法制審議会が答申した要綱骨子に基づき、その内容について検討してみたい。

裁定合議制の導入について

 要綱骨子は、まず、現行法上、1人の裁判官が行うこととされている少年法による審判又は裁判について(裁判所法31条の4第1項)、新たに裁定合議制を導入することとされている(要綱第1)。

 一般に、単独制と合議制については、「単独制の利点は、裁判の迅速と訴訟経済の要請に合致し、かつ裁判官の責任を明確にすることができるところにあり、他方、合議制の利点は、個人の主観的偏向を予防し、慎重な裁判を期待できるところにある」と指摘されるが(金子宏・新堂幸司・平井宜雄編集代表『法律学小辞典〔第三版〕』315頁)、少年審判の場合には、裁判官と少年との1対1の人間的な接触がその教育的機能から要請されてという点から、むしろ単独制が適合的であると考えられる。
 しかし、非行事実が激しく争われるような場合における事実認定については合議制の利点が最も生きる場面であることから合議制を導入することは必ずしも不合理ではないとも考えられる。
 現に、裁判官の立場から主張された裁定合議制導入論は、附添人が刑事事件の弁護人のような当事者的立場から非行事実を熾烈に争う場合の対策として構想されており、そこでは、刑事裁判官による合議制が想定されていた(佐藤博史「わが国の少年審判と裁定合議制の導入」ジュリスト1999年3月15日号)。
 ところが、要綱骨子は、合議制を特に事実認定手続には限定しておらず、処遇決定手続においても合議制がとられることを予定している。これは、「事実認定手続の一層の適正化を図る」との今回の少年法改正の目的を逸脱しているおそれがある。
 したがって、少なくとも、処遇決定手続においては、少年審判における教育的機能を十分に理解した少年係裁判官によって担われるべきであるとともに、その合議制については弊害の方が大きくなる可能性があると言わなければならない(川出敏裕「少年法改正−法制審議会答申の紹介と検討」法学教室1999年3月号26頁)。

検察官関与について

 要綱骨子は、「死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪の保護事件」について、検察官が関与する必要があると認めるときは決定で審判に検察官を出席させることができるものとし、さらに、被害者の死亡の結果を含む場合で検察官から申し出があった場合には、明らかにその必要性がないと認める場合を除いて検察官が出席できるとする(要綱第2、1)。
 これは、非行事実が激しく争われる場合に、従来の審判形態では、裁判官が検察官が行うような活動をせざるを得なくなり、公平中立な判断者である裁判官が少年と対立することとなり、少年に裁判官の公正中立性に対する疑念や不信感を生じさせていたのではないかとの認識がある。
 そこで、要綱骨子は、職権主義に基づく現行の審判構造を維持しながら、検察官を審判の協力者として出席させることとし、そこでは、検察官が少年審判に出席する場合は極めて例外的な事態であると想定されている。
 ところで、検察官の審判出席は、事実認定手続のために認められたのであるから、処遇決定手続には関与できないとれ、非行事実の認定が終わった段階で検察官の退席を求めることになると指摘されている。
 しかし、少年審判においては、事実認定手続と処遇決定手続が明確に分かれている訳ではないし、処遇決定に際しては、要保護性だけではなく、非行事実の態様や動機も併せて考慮されているのが通常であるから、検察官が処遇決定手続に一切関与しない訳にはいかないと考えられるのであり、その意味で、検察官が処遇決定にも影響を及ぼすことの弊害が全くないと言い切れるか否かには疑問がある。
 さらに、事実認定手続についても、検察官は単なる審判の協力者であるとしても、実際に期待されているのは、少年側の主張や提出された証拠を弾劾し、非行事実を認定させる方向での証拠の収集、提出ということになるはずであり、職権主義の審判構造を維持して、伝聞法則などの厳格な証拠法則が適用されず、捜査側のあらゆる証拠が裁判所に提出されるのに加えて、検察官が審判に出席して右に述べた役割を果たすとすると、非行事実を認定する方向に偏っており、少年側とのバランスを欠くのではないかとの疑問がある。
 この点について、日弁連は、対審的な非行事実認定手続を採用することを提案していたが(日弁連の1998年7月16日「少年司法改革に関する意見書」)、そこでは従来の職権主義による審理との選択権を少年に与えることとしており不徹底であったこともあり、法制審議会においても採用されるところとはならなかった(埼玉弁護士会少年法改正案作成プロジェクトチーム「少年事件における犯罪事実認定手続に関する法律試案」3頁は、「検察官は公訴提起の当事者であるから、原告官として当然に事実認定審判に立ち会うのであり、少年の犯罪事実につき合理的な疑いを超える程度の立証責任を負担することになる」と述べており、極めて徹底している)。
 なお、要綱骨子は、検察官は、少年保護事件だけでなく、非行事実の不存在を理由とする保護処分の取消事件や抗告審の審理にも関与できることを認めている。

検察官に対する抗告権の付与について

 要綱骨子は、検察官が審判に関与した事件に係る不処分決定又は保護処分の決定に対して、当該非行事実の認定に関し、決定に影響を及ぼす法令の違反又は重大な事実誤認を理由とする抗告権を検察官に付与することにしている(要綱第4)。なお、最高裁判所への再抗告権も認められている(要綱第4、8)。
 要綱骨子は、検察官の地位を職権主義による審判手続における審判の協力者と見ており、当事者ではない単なる協力者に、そもそも抗告権を認めることが許されるのかという理論的な問題があり、この抗告権はむしろ政策的に認められたと説明するしかないように思われる。
 なお、日弁連は、対審的な非行事実認定手続を提案したが、検察官の抗告権は否定していたが、対審構造であればむしろ検察官の抗告権を肯定しやすいが、日弁連は、少年審判の特殊性などから政策的に、検察官の抗告権を否定していた(前掲・埼玉弁護士会の「少年事件における犯罪事実認定手続に関する法律試案」四〇頁も検察官の上訴権を否定し、その理論的理由として検察官上訴が二重の危険禁止に反することを指摘しているが、わが国では検察官上訴は二重の危険禁止に違反しないとの解釈が通説・判例であり、それを乗り越える必要がある)。
 要綱骨子のうち、法令違反を理由とする抗告は、公益の代表者である検察官の地位から説明はできようが、事実誤認を理由とする抗告については、少年審判の当事者でもない検察官に抗告権を付与することに対しては、手続が長期化することによって、少年の健全育成に悪影響を与えるおそれがある(いわゆる調布駅南口事件は、不処分決定の少年らを公訴提起したという意味で、検察官の事実誤認による抗告を先取りした事件であるが、一人の被告人に対しては最高裁が公訴棄却とし、残りの三人の被告人については検察官自身が公訴を取り消し公訴棄却によって、逮捕以来約四年半もの長期間かかってようやく終了したという実例が参考になる)。
 したがって、要綱骨子の立場から見ると、検察官に抗告権を付与するか否かは政策判断であるから、少年保護事件において検察官に抗告権を付与することのメリット・デメリットを比較して判断するしかないが、一旦不処分になった少年についてかなりの時間が経過し、少年の要保護性も減少したような場合に、検察官の抗告により原決定が取り消されたとして、改めてその少年に保護処分を課するのが妥当かどうかは疑問である。
 つまり、検察官による抗告を認めることは、審理の長期化を必然とし、その間の少年の要保護性の変化がありうることを考えると、少年事件の場合に、非行事実の認定の適正化の要請をどれほど貫く必要があるかについては疑問がある。
 しかも、要綱骨子が想定する検察官は、事実認定手続にだけ関与することを予定しているのであるから、少年事件に精通した少年係検察官(日弁連は「少年専門検察官」を提案していた)が抗告を行うことは必ずしも想定されていないのであるから、要保護性の変化を無視する形で、検察官の抗告権が行使される事態も予想されるのである。
 このように考えると、要綱骨子が認めた検察官の抗告権については、弊害の方が大きいのではないかと危惧せざるを得ない。

不処分決定等の一事不再理効について

 要綱骨子は、検察官が審判の手続に関与した保護事件において、審判に付すべき事由の存在が認められないことを理由として保護処分に付さない旨の判断がなされたとき、または保護可処分に付する必要がないことを理由として保護処分に付さない旨の決定がなされたときは、刑事訴追や家庭裁判所の審判に付すことができないという一事不再理効を認めようとしている(要綱第6、1、(1))。また、少年法27条の2第1項の規定による保護処分取消の手続(いわゆる少年事件の再審)に検察官が関与して、その取消の理由が審判に付すべき事由の存在が認められない場合についても一事不再理効が認められている(要綱第6、1、(2))。
 従来、保護処分がなされた場合の一事不再理効は明文で認められていたが(少年法46条)、不処分決定に一事不再理効があるか否かについては争いがあり、最高裁昭和40年4月28日判決(刑集19巻3号240頁)は、非行なし審判不開始の事案について、一事不再理効を否定し、実務上、不処分決定についても一事不再理効がないことについて消極説で固まっているとされていた(田宮裕・廣瀬健二編『注釈少年法』326頁)。
 右の最高裁判決は、少年審判と刑事裁判の違いを強調し、「刑事訴訟法において、対審公開の原則の下に、当事者が攻撃防御を尽くし、厳格な証拠調を経た上で、刑罰権の存否を決定するためになされる事実認定又は法律判断とは、その手続を異にする」と述べ、憲法三九条の「無罪とされた行為」とは「刑事訴訟における確定裁判によって無罪の判断を受けた行為を指す」としていた。
 右の最高裁判決の立場からすれば、検察官が関与しただけでは、右で述べている刑事裁判との差異は解消されていないから、要綱骨子が認めようとしている一事不再理効は憲法39条の直接の要請ではなく政策的に認められたものとなる。
 これに対して、不処分決定に対して、憲法39条による一事不再理効を認める立場からすれば(田宮裕「少年審判の不開始決定と一事不再理の効力」『一事不再理の原則』265頁以下参照)、検察官が関与した場合にだけ一事不再理効を認めるのでは不十分ということになるだろう。
 ただ、いずれにせよ、実務上は、不開始・不処分について一事不再理効がないとされていることと比べれば、例外的にせよ、明文で一事不再理効が認められたことの意義はあると言えよう。

必要的付添人制度について

 要綱骨子では、検察官が少年審判に関与する場合に、少年に弁護士である付添人がないときは、家庭裁判所は、職権で弁護士である付添人を付さなければならないという必要的付添人制度を導入しようとしている(要綱第2、2)。
 少年事件における附添人選任率は極めて低く(平成9年の統計では、1.5%とされている)、要綱骨子は、検察官が審判に関与する場合の必要的附添人制度を導入しようとしている。
 しかし、要綱骨子が、検察官が関与する場合を限定的に考えている以上、必要的付添人制度が適用される場面も少ないと考えられるのであり、より広い範囲で、家庭裁判所の裁量によって付添人を選任することも考えられてよいはずであり、要綱骨子のままでは極めて不十分であろう。

観護措置期間の延長と不服申立について

 要綱骨子は、少年鑑別所への収容による観護措置の期間について、犯罪少年に係る死刑、懲役又は禁錮に当たる罪の保護事件で、非行事実の認定に関して、証人尋問、鑑定又は検証をする旨の決定があったものについては、最長12週間まで延長できることにし(要綱第3、1)、観護措置の決定及びその更新決定に対する異議申立権を認めようとしている(要綱第3、2)。
 現行法上、観護措置は最大四週間しか認められていないが(少年法17条3項)、事実認定手続に、検察官や附添人が関与して、多数の証人を調べるなど、証拠調べが長期化すると予想されることから設けられたとされている。
 しかし、従来、非行事実を争って長期化するような場合には、観護措置を取り消して、在宅にした上で証拠調べを実施していたのであり、そのような方法にどのような弊害があったのかは特に明らかにされていない。現行法においても、捜査中の最大20日間の勾留と併せると四週間の観護措置でも長いという印象があるのに、これが最大12週間もの長期間にわたる身柄拘束を認めることは少年の情操に対する影響という点でも疑問がある。
 なお、現行法上、観護措置に対する不服申立手段は認められておらず、仮に申立をしても職権発動を促すだけの意味しかなく、抗告等をすることができないとされていたが、要綱骨子は、その不服申立のために異議申立権を認めようとしており、これが現行法よりも一歩前進であることは確かである。

保護処分終了後における救済手続の整備と被害者等に対する少年審判の結果等の通知

 その他、要綱骨子は、少年法27条の2第1項による保護処分の取消(いわゆる少年事件の再審)について、条文上「保護処分の継続中」とされていることから、判例・実務上、保護処分終了後の保護処分取消が認められなかったので、保護処分終了後にも保護処分取消を求めることができるようにしようとしている(要綱第5)。
 また、被害者等の申し出により、少年及び法定代理人の氏名・住所、決定の主文と理由の要旨などの一定の情報の通知を認めようとしている(要綱第6、2)。要綱骨子程度の情報開示であれば、少年事件の審判制度に直接の影響を与えることはないと考えられるが、今後、被害者側から主張されることが予想される審判出席権や意見陳述権については、審判に直接影響を与える可能性があるから慎重な対応が必要と考えられる。

最後に

 要綱骨子の内容を見ると、重大な問題について拙速に決められたという印象が強く、少年法改正案が国会に提出された後も、少年の教育に関わる重大な問題として、慎重な審議がなされることを期待したい。

(1999年2月26日記)(オリジナルは東京弁護士会刑事法対策特別委員会発行の「刑事法ニュース」に掲載。廃案となった政府案に対する批判であるが、最近成立した少年法改正案は政府案を取り込んでいるので、現在でも意味があると考えて掲載することとした。)

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