情況に対して発言する
ここでは、日々の出来事に接する中で個人的に感じたことを書き綴っていきたいと思います(2007年10月2日更新)。なお、2002年以前の発言は、別項目にしました。
法務大臣の暴言と共謀罪法案の行方
2007年9月25日、鳩山邦夫法務大臣が、福田内閣の発足前の退任会見で、「法務大臣によっては、自らの気持ちや信条、宗教的な理由で執行をしないという人も存在する。法改正が必要かもしれないが、法相が絡まなくても自動的に執行が進むような方法があればと思うことがある」と述べて、法務大臣が死刑執行命令書に署名しなければ執行されない現行制度の見直しに言及した。
鳩山法務大臣はその際に、「法務大臣が絡まなくても、自動的に客観的に進むような方法を考えたらどうか」として、「ベルトコンベヤーと言ってはいけないが、(死刑確定の)順番通りにするか、乱数表にするか、そうした客観性がある何か」を基準として執行されるべきだという見解を示した。
これは、鳩山法務大臣が、これで退任し、自らは再任されることがないことを前提に話した「暴言」であったが、福田内閣で、法務大臣に留任することになったことから、この発言が大きな波紋を呼んでいる。
さすがに、法務大臣に再任された後の会見では、「死刑という回復不能な極刑を執行して、人の命を奪うという大変重大なことを致すわけで、法務行政上の総合的な判断が求められるとするならば、それは法務大臣の仕事ではないかと。乱数表などと言ったのがいいかどうか、今は反省してますけども」と述べて、その発言を一部修正したが、全面的に撤回することはなかった。
これに対して、死刑廃止議員連盟会長でもある国民新党の亀井静香氏は、翌26日の記者会見で、鳩山法務大臣の発言を批判し、「鳩山氏には法相の資格もなければ、人間の資格もない」と厳しく批判するとともに、鳩山法務大臣との面会を求めたが、鳩山法務大臣は面会を断っている。
この鳩山法務大臣の発言は、その後、大きな波紋を呼んでおり、毎日新聞は「『署名なし死刑』暴言に法相の資質を疑う」と題する社説を掲載し、「人命を軽んじ、厳粛な法制度を冒とくする暴言」であり、「不用意で、致命的な失言である」と厳しく批判している(毎日新聞2007年9月27日付社説)。
また、東京新聞も、「『法の日』法相の認識が足らない」と題する社説を掲載し、「まるで機械的な執行システムを導入しようという発想自体が、人権感覚を疑わせる」と批判している(東京新聞2007年10月1日付社説)。
いずれも全く同感である。人の命を左右する死刑執行命令書への署名の権限を有する法務大臣としての資質を疑わせる一連の発言である。
そして、これは、人の生命に関わる問題において暴言をした閣僚を、「再任」という形で登用した任命権者である福田首相の責任でもある。
法の執行は、人の生命や身体や自由にかかわり、人の人生を変えるような大きな影響力を持つ峻厳な行為である。それを、ゲーム感覚で語る法務大臣には、およそ法務大臣の資質も資格もないと言わなければならない。マスコミは、単なる「失言」と捉えているが、まだまだ生ぬるいと言わなければならない。
野党が多数を占める参議院では、是非とも、鳩山法務大臣に対する問責決議を可決して、一日も早く、鳩山氏を法務大臣の席から葬り去らなければならない。
ところが、その鳩山法務大臣が、共謀罪法案に意欲を燃やしている。安部第2次内閣での法務大臣就任時の訓示において、「継続審議となっている『組織的犯罪処罰法案』の早期成立ということがあります。これは,来年の洞爺湖サミットのときに並行して,正式名称は分かりませんが,法務大臣・司法大臣のサミットのようなものが,東京で開かれると思います。その時に,条約にきちんと入っていないということになりますと,それはある意味,国際的な批判を浴びかねないというふうに思っていますから,犯罪も国際化・組織化していますし,サイバー犯罪等も頻発していまして,これは,正に今の流行のようなものでありますから,犯罪の流行は困りますので,これを阻止するような努力を,これは私も頑張らなければいけないなと。国会を通さなければなりませんから,私も自民党も一生懸命やりたいと思っています。」(法務省ホームページ)と述べている。
これを見ると、鳩山法務大臣には、信念や理想のためではなく、単に、来年の洞爺湖サミットと並行して東京で開かれる法務大臣等の会議の時に、日本だけ国連越境組織犯罪防止条約に加盟していないのは格好悪いという政治家の体面のために、共謀罪法案を通したいという本音が垣間見える。この点からしても、鳩山氏に、法務大臣としての資質も資格もないことがよく示されていると言える。
ところで、安部前首相の「政権投げ出し」を受けて行われた自民党内部の総裁選挙の間、事実上「開店休業」状態だった国会が、、2007年10月1日からようやく再開された。「テロ特措法」の延長問題については、政府・与党も延長を断念し、新法制定に向けた動きが始まっている。
そのような中で、最も私たちにとって気になるのが、法務委員会で継続審議となっている共謀罪法案の行方である。現在の参議院における野党勢力からして、衆議院法務委員会での共謀罪法案の強行採決等は考えにくいが、大幅な修正案を野党に提案して、「小さく産んで大きく育てる」作戦をとろうとする可能性があり、決して油断することはできない。
私たちは臨時国会においても(政府・与党は2007年12月中旬までの延長を考えていると伝えられている)、改めて、共謀罪法案の問題や危険性を訴えて、今度こそ、もう二度と提案できないように完膚なきまでに粉砕して、廃案にさせるために全力を注ぐべきであるだろう。
そのために、微力ながら、私も全力を尽くしたい。
(2007年10月2日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年10月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
参議院選挙結果を受けた秋の臨時国会に向けて
2007年7月29日に実施された参議院選挙では自民党が歴史的な大敗を喫し、参議院においては野党の民主党が初の第一党となった。
参議院選挙を受けて、第167臨時国会が8月7日に召集され、参議院本会議で、議長に民主党の江田五月氏が選出されるとともに、参議院議院運営委員長に民主党の西岡武夫氏が選出されるなど、民主党が参議院の運営権限を獲得した。
今回の選挙結果は、安部首相と官邸が主導で第166通常国会において強行採決を連発した強引な国会運営や、閣僚の「政治とカネ」の問題についての不祥事が続いたことなどを受けて、国民が、安部首相を否定し、その退陣を求める内容であった。
ところが、安部首相は、選挙結果が出る前から「続投宣言」をして居座り、8月27日には内閣改造を行って、秋の臨時国会に臨もうとしている。
秋の臨時国会では、テロ特措法の延長問題が最大の争点となることは間違いない。民主党の小沢党首はいち早く延長に反対の姿勢を示し、秋の臨時国会では激しいぶつかりあいになることは必至である。その中で、果たして、安部内閣の総辞職に追い込むことができるのか、果たして年内に衆議院の解散はあるのかが焦点となるだろう。
法務委員会に目を移すと、現在、衆議院法務委員会には、共謀罪の新設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」(以下「共謀罪法案」という)だけが継続審議となって残っており、現在閉会中審査の状態となっている。
2007年2月27日、自民党の「条約刑法検討に関する小委員会」は、この法案の修正案要綱をまとめ、共謀罪の名称を「テロ等謀議罪」に変更するとともに、政府案では、対象犯罪を長期4年以上の全て罪を対象犯罪としていたのを、テロ、薬物、銃器、密入国・人身取引、組織犯罪の五分野に限定し、政府案の600超からその4分の1以下に絞り込む内容となっていると言われている。
秋の臨時国会では、衆議院法務委員会において、共謀罪法案についての実質審議に入るのか、与党から修正案が提出されるかが焦点となる。それ程遠くない時期に予想される衆議院解散に備えて、与党が相変わらず「死んだふり」を続けるのか、それとも、衆議院だけでも数にまかせて可決しようとするのか、その出方を注視する必要がある。
内閣改造で退任した前の法務大臣である長勢氏は、最後まで、共謀罪法案の成立に意欲を示し続けていた。内閣改造で新たに法務大臣に就任した鳩山邦夫氏は、現在までのところ、この点に関する方針等を示していないが、共謀罪法案を提案した法務省の意向を受けて、成立に向けた意欲を示すことは多いに予想される。
新しい国会情勢について、私たちは決して楽観したり油断することなく、秋の臨時国会での共謀罪法案の成否について注視して、むしろこの機会に共謀罪法案を廃案に追い込めるよう運動を強めていくことが必要であるだろう。
(2007年8月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年9月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
刑事裁判に導入された公判前整理手続について考える
刑事裁判が大きく変わろうとしている。最も大きな契機は、言うまでもなく、「司法制度改革」として行われてきた一連の法律改正や法律の制定であり、その中でも公判前整理手続の導入がある。
1999年7月に、政府は、司法制度改革審議会を内閣に設置して、「司法制度改革」の検討を開始し、同審議会は、2001年6月に最終報告書をまとめた。
司法制度改革審議会が、刑事裁判の改革について、もっとも強調した点が、「刑事裁判の充実・迅速化」であり、「その基本的な方向は、真に争いのある事件につき、当事者の十分な事前準備を前提に、集中審理(連日的開廷)により、裁判所の適切な訴訟指揮の下で、明確化された争点を中心に当事者が活発な主張立証活動を行い、効率的かつ効果的な公判審理の実現を図ることと、そのための人的体制の整備及び手続的見直しを行うことである。」と指摘していた。
2001年11月、司法制度改革推進法が成立し、それを受けて、政府は、司法制度改革推進本部を内閣に設置し、具体的な司法制度改革の内容を検討し、2002年3月には、司法制度改革推進計画を閣議決定し、以後、2002年の第154国会から2004年の第161国会にかけて、順次、関係法案を提出して、成立させている。
刑事裁判については、2004年の第159国会(通常国会)で、刑事訴訟法等の一部を改正する法律、裁判員制度を導入するための「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」の制定、国選弁護制度について、日本司法支援センター(いわゆる法テラス)を設立して国選弁護人の推薦等の業務を行わせるための総合法律支援法がそれぞれ成立している。 裁判の迅速を図るための手続として、公判前整理手続が2005年11月から施行され、広く実施されるようになっている。
公判前整理手続は、公判開始前に、争点と証拠を整理し、公判では証拠調期日を連日的に開廷して、短期間で審理を終えるという手続である。
争点と証拠を整理するための公判前整理手続は非公開で行われ、被告人が出席することも義務的ではない。
そのため、従来は全て公開された公判で決められていたことの大部分が密室での協議で決められるようになったことから、刑事裁判を支援したり応援し、傍聴をしてきた市民などから疑問が提起されている。
制定時には、裁判員制度との関係で公判整理手続を導入したとの説明もなされたが、実際には、公判前整理手続は、裁判員裁判対象事件以外にも適用され、最近では、検察官が否認事件であれば公判前整理手続の適用を主張するなど、極めて広い範囲に適用されようとしている。
公判前整理手続は極めて短期間に行われ、特に、被告人・弁護人側も、公判で主張予定の事実上・法律上の主張を全て行うとともに、原則として、証拠請求も全てその手続内で行わなければならないため(公判になって請求しても、特別の事情がない限り、請求が却下される)、その準備に負担が極めて大きい上に、予め手の内を全てさらすために、例えば、アリバイ主張をしても、公判までに警察・検察の捜査で潰されてしまうおそれすらある。
今回の「司法制度改革」でも、検察官の手持ち証拠の全面開示は実現されず、相変わらず、検察官と被告人・弁護人との力の差は歴然としているのに、被告人・弁護人は、検察官と「対等」に攻撃防御を行わなければならないという点で極めて問題が大きい。
検察庁は2007年4月以降、全て裁判員裁判対象事件について、公判前整理手続を求める方針を打ち出すとともに、最近では、前述したように、否認事件であれば、検察官は、裁判員裁判対象事件以外でも積極的に公判前整理手続の適用を求めるようになっている。
この公判前整理手続の導入によって、刑事裁判は大きく変わろうとしているのであり、変えられようとしている刑事裁判が被告人の防御権を侵害しているのではないかという視点から、その運用を厳しく監視していく必要があると言わなければならない。
(2007年7月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年8月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
通常国会が終わって
今年の通常国会においては、重罰化に繋がる問題のある法案が次々と成立し、2007年7月5日で会期末を迎えた。
自動車運転による人身事故について、これまで業務上過失致死傷罪が適用されており、その法定刑の上限は懲役5年だったが、刑法の一部改正案が2007年5月16日に成立し(6月12日から施行されている)、自動車運転過失致死傷罪が新設されて、法定刑の上限が7年に引き上げられた。
ちなみに、法務委員会ではなく内閣委員会の所管であるが、警察庁の提案による道路交通法改正案も、6月14日に衆議院で可決成立しており(9月から施行される予定)、酒酔い運転の罰則が重罰化されるとともに、ひき逃げは、従来5年以下の懲役または50万円以下の罰金だったが、それが2倍の10年以下の懲役又は100万円以下の罰金に重罰化されている。
5月25日には、参議院で少年法改正案が可決され、成立している。改正された少年法は、14歳未満の触法少年に対して警察が強制捜査の権限を持つことを認めるとともに、任意の取り調べができるようになること、おおむね12歳以上の少年でも少年院送致できるようになること、一旦保護観察になった少年について遵守事項違反がある場合に、改めて審判をして少年院送致できるようにするなど、2000年の少年法改正に引き続いて、少年に対する厳罰化の傾向が一層進むことになる。
また、6月8日には、現行の「犯罪者予防更生法」と「執行猶予者保護観察法」を統合する更生保護法案が、参議院で可決され成立している。この法律は、従来、犯罪を犯してしまった者の更生を図ることを基本理念としていたことを変更し、再犯防止という目的を新たに追加して、重罰化を図ろうとしている。具体的には、仮出所者らが保護観察中に守るべき順守事項に違反した場合に、仮出所などの取消ができることなどが新設するなどして厳格化するとともに、仮釈放を判断する際に犯罪被害者の意見を聴取する制度も新設されるなど犯罪被害者対策も盛り込まれている。
今通常国会においては、裁判員法改正案も既に成立している。すなわち、5月22日には、複数の事件の審理を区分して審理する「区分審理制度」を裁判員制度に導入する「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律等の一部を改正する法律案」が衆議院で可決・成立している。
さらに、「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律案」も、6月20日に参議院で可決・成立している。
この法律は、被害者が刑事裁判に直接参加する制度や、刑事裁判官が刑事裁判の成果を利用して簡易迅速に損害賠償命令を出す制度を新設しようとすることなどを内容としている。
以上が、今通常国会において、法務委員会や内閣委員会で成立した主要な法律であるが、いずれも厳罰化の流れの中で、そのいずれの法案についても、十分な審議がされることなく、与党の決めるスケジュール通りに審議が行われ、野党が反対しても与党が強行採決するなどして法案を通すというやり方が多用され、極めて異常な国会運営が行われたと言える。
これは安部内閣になって以降の特徴であり、「数の力」によって、民主主義を踏みにじるような国会運営がなされてきた。それは、刑事法以外の分野においても、国民投票法や、教育三法、年金関連法などが強行採決されたことなどからも明らかである。
安部内閣が続く限り、この傾向はますます拍車をかけるだろう。その意味において、秋の臨時国会以降の国会においても、厳罰化の流れに沿った法案や治安立法の提案が次々となされるおそれがある。そのような数の横暴による与党の国会運営を止めるためには、参議院選挙によって、今の与党政権のあり方に対する民意を示すことが不可欠であると考えられる。その時機は迫っている。
(2007年7月8日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年7月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
今通常国会の情勢と共謀罪法案の行方
今通常国会は、2007年7月に参議院選挙が控えていることから、当初から、会期の延長は難しい国会として極めてタイトな審議日程となっていた。
当初、与党は、予算案審議が終了した後比較的早い時期に、共謀罪法案を衆議院法務委員かで審議入りさせて強行採決し、今通常国会での成立を目指すのではないかと危惧されていた。
ところが、自民党は、共謀罪法案に対する反対の声がここまで広がったことに恐れをなしたのか、政府案に対する多少の修正程度では、国民の強い反対の声をはねのけて強行突破することは難しいと考えたのか、大幅な「修正」の検討を始めた。
自民党の「条約刑法検討に関する小委員会」は、何回か会合を続けた後、2007年2月27日、「共謀罪」創設を盛り込んでいた組織犯罪処罰法改正案の修正案要綱をまとめた。
そこでは、「共謀罪」の名称を「テロ等謀議罪」に変更するとともに(当初は「テロ・組織犯罪謀議罪」とされたが、「組織犯罪」を「等」に変更した)、政府案が、共謀罪の対象となる犯罪を一律に長期四年以上の罪としていたのを、テロ、薬物、銃器、密入国・人身取引、組織犯罪の五分野に限定し、600以上あった共謀罪の対象犯罪の数を、その約4分の1以下に絞り込む内容になっている。
この手法は、かつて、1999年に盗聴法(犯罪捜査のための通信傍受のための法律)の審議の過程において、与党がとった手法とよく似ている。その当時、盗聴法や組織犯罪対策法案に対する市民による反対運動が盛んに行われている中で、与党は、通信傍受法を「盗聴法」と呼ぶことをマスコミに対して禁止するとともに、公明党が主導して、盗聴の対象犯罪を、組織的殺人、薬物、銃器、密入国の四分野に限定する修正案をまとめ、最終的に与党多数の賛成で可決して、盗聴法が成立した。
おそらく、今回の自民党小委員会による修正案要綱の作り方は、その当時の立法手法に学んだものと考えられる。そして、それは、与党の修正案に対して野党の賛成が得られるない場合に、与党多数による「強行採決」をも視野に入れたものであると考えられる。
しかしながら、元々、共謀罪は、国連越境組織犯罪防止条約に基づいて国内法整備をするために新設されようとしており、同条約は、テロ対策の条約ではなく、組織犯罪対策のための条約であることは、同条約の審議経過や、共謀罪法案に関するこれまでの政府答弁からも明らかである。
ところが、ここに来て突然、与党は、これまでの政府答弁を否定して、共謀罪を「テロ対策」のための法律と位置づけようとしている。これは、アメリカの9.11事件以降、「テロ対策」と言えば多少の無理も許容してくれる世の中になっていることが背景にあると考えられる。
このような与党による共謀罪法案の修正の方向は、明らかに、「テロ対策」を表看板に掲げることによって、反対の声や勢力を削いで、国民の反対の世論を抑制することを狙ったものであることは明らかであろう。
今通常国会は、安部首相の強気の国会運営の影響を受けて、衆議院法務委員会では、完全に与党優位の国会運営が行われており、衆議院法務委員会においても、既に少年法、更生保護法が次々と与党の圧倒的な数による強行採決をされているし、それ以後も、裁判員法改正案や犯罪被害者が刑事裁判に参加するための刑事訴訟法等改正案も審議入りして、1週間程度で採決されようとしている(6月1日に衆議院本会議で可決され参議院に送付された)。
今通常国会は、残ったわずかな審議日程からすると、共謀罪法案を審議する可能性は極めて少ないと考えられるし、与党は、参議院選挙を控えて、今通常国会では「死んだふり」を続けようと考えていると思われる。
しかしながら、2007年7月の参議院選挙で与党が敗北しなかったり、万一勝利を収めるようなことがあった場合には、その後、政府や与党は、共謀罪法案の成立を目指して、なりふり構わぬ姿勢で強行突破を図ろうとするだろう。
そのような場合には、同年8月下旬にも臨時国会を召集するという情報も流れており、臨時国会の冒頭にも、衆議院法務委員会で与党から修正案が提案されて強行採決し、参議院でも同様の手法で早期に共謀罪法案を成立させようとするおそれがある。
共謀罪法案は、政府にとっては、市民が話し合っただけでも、それを犯罪として取り締まって、市民と市民のコミュニケーションそれ自体を摘発して弾圧することができるという強力な武器になるものである。一旦そのような権限を政府に持たせたら、戦前の治安維持法が果たしたように、言論弾圧の手段として広く用いられることは必至であり、政府に反対する運動や市民は、根こそぎ弾圧されることになるだろう。
安部政権は、小泉政権を引き継ぎ、「いつでも戦争できる国」を目指して、アメリカ軍と自衛隊との一体化を推し進めるとともに、憲法9条を改憲して「自衛のため」の戦力で、アメリカに呼応して、いつでも海外派兵できることを目指し、それに反対する運動や市民を弾圧して黙らせるために利用されることは間違いないだろう。
私たちは、2007年秋の臨時国会に向けて、再び、共謀罪法案反対の声をあげるとともに、反対運動の態勢を整えていかなければならない。
(2007年6月2日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年6月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
犯罪被害者や遺族が刑事裁判に直接参加する制度の審議・採決が迫っている
2007年3月13日、政府は、「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律案」を閣議決定し、国会に上程した。
この法案は、裁判員裁判の対象となる犯罪(故意の犯罪行為により人を死傷させた罪、強制わいせい及び強姦の罪、逮捕及び監禁の罪並びに略取、誘拐及び人身売買の罪等)及び業務上過失致死傷の罪について、その被害者等からの申し出を受けて、裁判所が許可した者(被害者参加人)について、(1)公判期日に出席すること、(2)直接に証人尋問をすること(弁護側の情状証人に対する反対尋問に限られる)、(3)直接に被告人質問をすること、(4)検察官の論告求刑の後に意見陳述(求刑を含む)を行うことを認める制度(被害者参加制度)や附帯私訴制度を新設しようとすることなどを内容としている。
近代以降、刑事裁判については、検察官と被告人・弁護人が当事者として攻撃・防御を行い、それを公平な裁判所が判断するという当事者主義構造がとられてきた。これは、被害者が加害者に対して私的制裁(復讐・仇討ち)をすることを国家が禁じて、その代わりに国家が刑罰権を独占し、その行使を、もっぱら公益の代表者である検察官に委ねるというシステムをとってきたためであった。
それは、刑事裁判を可能な限り公的な場として、被害者の報復感情を極力排除して、報復感情の連鎖を断ち切るという人類の知恵とでも言うべき制度を構築してきた。
ところが、被害者団体の中でも、「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は、刑罰権は元々被害者が持っていた権限であり、それは国家に信託譲渡したものであるが、国家がその権限を行使しない場合には、その権限を取り戻すことを請求することができるという一種の抵抗権のようなものがあるなどと主張して、被害者が本来有している刑罰権・訴追権に基づいて刑事裁判への直接参加を求めてきた。
その主張は、法治国家の中の刑事裁判という狭い分野ではあるが、国家の権限を一部否定しようとするもので、一種の「クーデター」とでも言うべきものである。
ところが、この間、悲惨な刑事事件が起きる度に、加害者は絶対的な「悪」であるが、被害者は絶対的な「正義」であると取り扱われる二項対立の単純な図式が描かれる中で、被害者の声に対しては誰も異論を唱えられない雰囲気が作られてきた。そのような状況の中で、一部の被害者団体の声が、政府や与党に対して大きな影響を持つようになる。
あすの会は、2000年に被害者対策二法が成立した後、犯罪被害者や遺族の刑事裁判への直接参加を求めて署名運動を開始して約40万人分の署名を集め、あすの会の代表が当時の森山真弓法務大臣にその署名を提出するとともに、当時の小泉前首相にも面談した。選挙対策にもなると見た小泉前首相は、犯罪被害者対策の推進を決めて関係機関に指示した。
2004年12月には、犯罪被害者等基本法が成立し、2005年12月には、それを具体化する「犯罪被害者等基本計画」を政府で決めている。
今回の被害者参加制度は、この延長線上にあり、法務大臣が、2006年9月7日に法制審議会に諮問を求め、刑事法(犯罪被害者関係)部会で、半年間で合計8回の審議を行って要綱を決めたものであり、その議論は極めて拙速であった。その審議においては、犯罪被害者のニーズを中心に議論されて、被害者参加が認められる根拠や実施された場合の弊害等についてはほとんど議論されないままであった。
国会に提出された法案では、検察官が設定した訴因に関する事実の範囲内という限定はあるものの、被害者は独自の立場で訴訟活動を行い、事実面・法律面に関する意見を陳述することができ、検察官とは異なる求刑までできることになっている。これは、犯罪被害者やその遺族に、被告人への制裁・報復を求める権限を与えるもので、刑罰による復讐を事実上求めることを認めたに等しい。
あすの会は、被害者参加制度が報復のための制度であることを正面からは認めていないが、被害者学の権威である諸澤英道・常磐大学教授は、最近では、「報復の何が悪いのか」と被害者の報復を肯定する発言をするようになっている。
現在の被告人の防御権は、憲法や刑事訴訟法が規定する権利が十分に保障されておらず、強大な国家権力を背景とする検察官の権限と比べると圧倒的に不利で、当事者対等が実現されていない。
ところが、被害者参加制度が新設されてしまうと、被告人・弁護人は、検察官による訴訟活動に対して防御するだけでなく、被害者やその遺族による訴訟活動に対しても防御しなければならなくなる。この事態について、東北大学名誉教授の小田中聡樹氏は、刑事裁判に異なる二人の検察官が登場するのと同じであり、当事者対等主義に反すると指摘されている。
その結果、これまで以上に冤罪が増えたり、重罰化されることは避けられなくなると予想される。刑事裁判の場では、犯罪被害者やその遺族は、検察官の横に座って被告人に睨みをきかせるようになることから、気の弱い被告人や自責の念に支配されている被告人は自己に有利な弁解や主張をすることすらできなくなってしまうと考えられる。
結局、被害者参加制度は、被告人に対して弁解を許さず、厳罰を課すための制度として機能することになるだろう。そして、この制度が裁判員制度と一緒になれば、刑事裁判は、犯罪被害者や遺族と市民が、被害を与えて国家秩序を乱した被告人を糾弾し断罪する「市民法廷」の場に変貌するだろう。
法案が求める被害者参加制度の本質は、被告人に対する厳罰を求める国家権力が、犯罪被害者や遺族という「市民」の力を利用してその実現を図り、それを正当化しようとするものである。このような大きな意味において、国家権力は犯罪被害者のニーズを利用しているのである。
この法案は後半国会において審議される予定であり、政府・与党は今通常国会での成立を目指している。あすの会も2007年4月21日に集会を開いて、今国会の成立を目指すことを宣言している。
しかし、刑事裁判を根底から変質させようとする被害者参加制度に対しては、反対の声を挙げて、何としても今国会での成立を阻止しなければならない。
(2007年5月3日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年5月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
今通常国会は問題法案が続々上程され後半国会は大荒れになる
今通常国会(第166国会)は2007年1月25日に召集された。会期は6月23日までの150日間を予定しており、参議院選挙があることから、会期の延長はない模様である。
この国会には、実に多くの問題法案が続々と上程されている。前に触れた「犯罪収益移転防止法案」は、その後、日弁連の強い反対を受けて、士業である弁護士、司法書士、行政書士、公認会計士、税理士について、疑わしい取引の届出義務を削除して、2月13日に国会に上程されている。既に、3月23日の衆議院本会議で、自民、公明、民主などの賛成で可決されて参議院に送付され、3月中にも可決成立の見込みと伝えられている。
この法案は、金融機関、保険会社やクレジット会社、貴金属業者など42業種を「特定事業者」に指定し、(1)顧客の本人確認義務、(2)取引記録保存義務(7年間)、(3)犯罪の疑いのある取引を関係省庁に届け出る義務を規定し、(3)の届出を受けた行政庁はその情報を主務大臣に通知し、主務大臣はこの情報を、国家公安委員会(警察庁)に通知する仕組みになっている。
そして、その実現を実効あるものにするため、法案は、行政庁が特定事業者に対して報告・資料提出を求めることができる権限を与えるとともに、立入検査や指導・助言をする権限を与え、特定事業者に義務違反が認められれば、所轄する行政庁が是正命令を出し、それに従わなかった場合には罰則(2年以下の懲役又は300万円以下の罰金)が科せられる仕組みとなっている。士業は除かれたものの、全国で五十万近い事業所がこの対象になると言われており、極めて広範な監視体制が作られることになる。
これは、犯罪取締りの「民営化」であるとともに、「国民総スパイ化」を目指すものであり、市民を相互監視させる世の中を作ろうとする動きと評することができる。
これ以外に、刑事法としては、前に指摘した犯罪被害者やその遺族が刑事裁判に直接参加する被害者参加制度を盛り込んだ「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律案」や自動車事故について、業務上過失致死傷罪(法定刑の上限5年)から自動車運転による致死傷の類型を抜き出して自動車運転致死傷罪を新設する(法定刑の上限を7年に重罰化)等の「刑法の一部を改正する法律案」も、3月13日に国会に上程されている。
さらに、裁判員制度について、複数の事件について、事件毎に区分して、裁判官は一貫して替わらないが、裁判員は事件毎に任務を終了して新たな裁判員を選任して審理し、有罪か無罪かだけを判決(部分判決)し、最後の事件の審理の際に、その事件の有罪・無罪の別と全ての事件の量刑を行うという区分審理の制度の新設を提案する「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律等の一部を改正する法律案」も3月13日に国会に上程されている。これは、裁判官と裁判員との間で圧倒的な情報の格差を生じることを是認し、裁判員が単なる「お飾り」であることを認めるという意味において、裁判員制度の本質を明らかにする改正案である。
これらの刑事法は、いずれも、現在の刑事裁判を大きく変えようとするものであるにもかかわらず、ほとんど国民の知らない間に拙速の審議で可決されようとしているのである。
そして、最も問題がある法案は、いわゆる国民投票法案(日本国憲法の改正手続に関する法律案)であり、与党議員による議員立法の形で、1月25日に国会に上程されている。
3月22日以降、与党が強行して、地方公聴会と中央公聴会が矢継ぎ早に設定し、早ければ4月12日の衆議院憲法調査特別委員会で与党による強行採決を虎視眈々と狙っていると言われている。
国民投票法案は、憲法改正手続のための手続法だけでなく、憲法審査会を国会閉会中も常時設置して改憲作業を行うことを定めた法案であり、まさに憲法改正を一気に進めるための法案であり、安倍総理の直々の支持で与党が強行採決をしようとしていると伝えられている。自分の任期中に憲法改正を実現しようとする安倍首相の強権的な側面が明らかになりつつある。
これ以外にも、様々な問題法案が今通常国会には次々上程されている。今通常国会は、最近の国会の中でも珍しい問題法案の上程ラッシュであり、安倍内閣の本性を現している。後半国会は、与党による強行採決の連続で、国会は大荒れになることが予想されるが、今こそ、問題法案との対決を強めて、その成立を阻止する闘いを組織することが求められている。
(2007年3月25日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年4月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
刑事裁判に犯罪被害者や遺族を直接参加させる被害者参加制度について考える
2004年12月に成立した犯罪被害者等基本法18条は、「国及び地方公共団体は、犯罪被害者等がその被害に係る刑事に関する手続に適切に関与することができるようにするため、刑事に関する手続の進捗状況等に関する情報の提供、刑事に関する手続への参加の機会を拡充するための制度の整備等必要な施策を講ずるものとする。」と規定しており、同法8条に基づいて策定された犯罪被害者等基本計画においては、「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することができる制度の検討及び施策の実施」が挙げられていた。
法務省は、これを受けて、犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することができる制度を検討の上、法務大臣が2006年9月6日に法制審議会総会に、「犯罪被害者等基本法の趣旨及び目的にかんがみ、刑事手続において、犯罪被害者等の権利利益の一層の保護を図るため、早急に法整備を行う必要があると思われるので、左記の事項に関して、その整備要綱の骨子を示されたい」と諮問していた(諮問第80号)。
これを受けて、法制審議会刑事法(犯罪被害者関係)部会は計8回の審議を行い、2007年1月30日、犯罪被害者やその遺族が、刑事裁判に出廷し、直接に被告人や証人に質問し、検察官とは別に、求刑の意見を述べる権利を認める被害者参加制度などを導入する要綱をまとめた。
2007年2月7日に開催された法制審議会総会において、その要綱を採択し、法務大臣に答申した。法務省では立法作業を進め、政府は2007年3月までにに刑事訴訟法改正案を上程し、今通常国会での成立を目指す方針であると伝えられている。
法制審議会が答申した「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる制度」は、故意の犯罪行為により人を死傷させた罪、強制わいせつ及び強姦の罪、業務上過失致死傷等の罪、逮捕及び監禁の罪並びに略取、誘拐及び人身売買の罪等の被害者等からの申し出を受けて裁判所が許可した者(これを「被害者参加人」と呼ぶ)は、公判期日に出席すること、証人尋問をすること(但し、弁護側の情状証人に対する反対尋問に限られる)、直接に被告人質問をすること、検察官の論告求刑の後に、被害者等として意見陳述及び求刑をすることでできるというもので、これらを総称して「被害者参加制度」と呼ぶことにしている。
そもそも、現行の刑事訴訟法は、訴追側である検察官と、防御側の被告人・弁護人を当事者と定め、双方に攻撃・防禦をさせた上で、公平な第三者である裁判所が公訴事実の有無を判断するという当事者主義システムを採用している。この枠組みにおいては、犯罪被害者等は、あくまでも、目撃状況や被害感情を証言する証人としての立場でしか参加することができなかった。
それに対する犯罪被害者等の不満が高まり、犯罪被害者等の強い要望を踏まえて、2000年に犯罪被害者保護関連二法が成立し、記録の閲覧謄写や犯罪被害者等の意見陳述が認められて運用されている。
ところが、犯罪被害者の中でも最も強く刑事裁判手続への参加を求めてきた全国犯罪被害者の会(あすの会)は、この内容に満足せず、全国的な署名運動を実施するなどして陳述し、自民党への働きかけを強めた結果、犯罪被害者等基本法が成立し、その流れの中で、今回の法制審議会の答申が行われたものである。
今回の法制審議会の審議に対しても、全国犯罪被害者の会からの働きかけを受けた自民党筋からの強く圧力があったと言われており、法務省も当初予想していた以上に犯罪被害者等の権限を拡大する内容になってしまったと言われており、極めて政治的な動きの中で、今回の立法提案がなされようとしているのである。
しかしながら、そもそも、訴訟当事者でない犯罪被害者等(特に遺族は事件の当事者ですらない)が、刑事裁判に出廷して、検察官の横に座って、証人尋問や被告人質問や論告に代わる意見陳述や求刑などの訴訟活動を行うことが認められる根拠は極めて曖昧であり、政策的に認めたとしか言う他ない。
そして、何よりも、犯罪被害者等を刑事裁判に参加させることによって、刑事法廷に犯罪被害者等の「怒り」を持ち込むことを許容し、その「闘いの場」となることを許容することになり、「怒り」の報復の連鎖を断ち切ろうとした近代的な刑事訴訟手続のあり方を大きく変質させてしまうものである。
さすがに、今回答申された要綱については、読売新聞や産経新聞などの保守系の新聞を含めて、全ての新聞各紙が、その社説において、その弊害のおそれを理由に国会での慎重な審議を求めている。
欧米と比較して、日本の刑事事件の被告人の防御権が必ずしも十分に保障されておらず、99.9%の有罪率という異常な刑事裁判の現状を踏まえると、犯罪被害者等が刑事裁判に参加して各種の訴訟行為を行った場合には、ますます有罪率が高まるとともに、厳しい重罰化が一層進むことは必定である。
周防正行監督の「それでもボクはやってない」は、現在の日本の刑事裁判がいかに非科学的であり不条理であるかを、私たち市民に対して余すところなく示してくれた。我が国において、まず行うべきは国際的に見ると誰も信じられないような刑事裁判を改革し、被告人の防御権を実質的に保障することである。犯罪被害者等に対しても、まず行うべきは、国家による犯罪被害者等に対する経済的・精神的ケアの充実である。
「安上がりな刑事政策」として、犯罪被害者等を刑事裁判に参加させて、その怒りや不満を被告人だけに向けて「怒る」を煽るような制度を作るべきではない。
私たちは、この制度が、国家が不満の的にならないように、お互いに市民である被害者と加害者を直接に戦わせようとするものであるという本質を見抜き、反対の声を挙げなければならない。
(2007年2月25日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年3月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
密告を強制する犯罪収益移転防止法案の国会上程が迫っている
警察庁が主管して立案された「犯罪による収益の移転防止に関する法律案」が、2月上旬にも閣議決定を経て国会に提出される運びとなっており、政府は「日切れ法案」扱いで、3月末までの成立を目指そうとしている。
この法案は、これまで金融機関に対して、組織犯罪処罰法及び本人確認法によって課せられていた本人確認義務、記録保存義務及びマネー・ロンダリングの疑いのある取引の報告義務を、金融機関以外のリース業、宅建業者、貴金属商、私書箱業、さらには法律会計の専門家である弁護士、司法書士、行政書士、公認会計士、税理士に適用しようとするものである。
この法案の第1条に掲げられる目的には、「犯罪による収益の移転防止を図り、併せてテロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約等の的確な実施を確保し、もって国民生活の安全と平穏を確保するとともに、経済活動の健全な発展に寄与すること」を掲げており、テロ対策が大きな目的として掲げられていることが分かる。
もともと、この法案は、2004年12月に政府が策定した「テロの未然防止に関する行動計画」において、テロ対策のために、FATFの「四〇の勧告」を完全実施する目標を掲げていたことが実行されたものであり、元々、テロ対策という側面が強かった。
ところで、この法案の最大の特徴は、マネー・ロンダリング及びテロ資金の疑いがある取引を行政庁に届け出なければならないという届出義務を課すとともに、疑わしい取引の報告を行おうとすること又は行ったことを顧客又はその関係者に漏らしてはならない(内報の禁止)にある。すなわち、行政庁への届出は「密告」としてなされなければならないのである。
既に、金融機関においては、年間1万件以上、この疑わしい取引の届け出がなされていると言われている。これが、今回、市民にとってより身近な業者に広げられるとともに、弁護士等の法律会計の専門家(ゲートキーパーと呼ばれる)にも拡大されている。
特に、法律会計の専門家である私弁護士にも拡大されようとしている点については、日本弁護士連合会は兼ねてから強く反対してきた。これまで、依頼者から聞いた話は全て守秘義務の範囲に入るものとして秘密にされてきたが、今回の法案によると、一部の内容が密告の対象となる可能性がある。弁護士の場合には監督官庁が存在しないことから、行政庁への報告ではなく、直接、警察庁(国家公安委員会)への届け出となってしまうため、依頼者の秘密を、よりによって警察へ売り渡すことになる。それは、弁護士が、警察の手先であり、スパイとなることを強要されることを意味するのである。
警察庁は、今回の法案で、弁護士の疑わしい取引の届出等については、日本弁護士連合会に対して届け出ること等を同連合会の会則で定めるという形で規定しており、直接法律で定めるのではなく、弁護士会の自治に委ねたような形式をとっている。しかしながら、その内容については、それ以外の法律会計の専門家に関する規定の例の準じて定める旨が決められており、弁護士会が会則で定めることができる内容がほぼ一義的に決められており、弁護士自治を尊重したと言えるかは疑問である。
この法案は、金融機関から、それ以外の職種及び法律会計の専門家に対して、新たに密告義務を拡大しようとしている。これが一旦認められれば、今後、機会がある度に、この範囲はさらに広げられていく可能性がある。将来的には、全ての国民に対して、違法な行為の疑いがあれば密告義務が課されるようになる可能性がある。
市民に対して犯罪に関する密告義務を課すというやり方は、「国民総スパイ化」を目指すものであり、市民を相互監視させる世の中を作ろうとする動きである。それは、市民をお互いに疑心暗鬼にし、市民の連帯を妨げ、国家権力による支配をより強固なものにする。
「いつでも戦争できる国」を目指す安倍政権は、今通常国会での共謀罪法案の成立を目指すことを標榜している。この法案も同じ方向を目指している。市民を支配・統合し、異端を排除しようとするこの法案に対して、私たちは強く反対していかなければならない。
(2006年1月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年2月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
臨時国会が終わり来年の通常国会を迎えるに当たって
2006年12月19日、秋から始まった臨時国会がようやく閉会した。この臨時国会の最大の焦点は、言うまでもなく、教育基本法改正案であった。小泉首相から引き継いだ安倍首相の下での最初の国会であったが、安倍政権は、戦後民主主義への挑戦として、教育基本法改正案を臨時国会で可決して、憲法改正への流れを一気に作ろうとしていた。
審議の途中では、「いじめ」自殺が多発したり、全国の多数の高校で、単位偽装問題が発覚したり、教育改革に関するタウン・ミーティングが「やらせ」であったことが明らかになるなど、次から次へと、教育基本法改正より前になすべきことが山積していたにもかかわらず、安倍政権は、とにかく教育基本法改正案の可決に血道を上げた。
昨年11月15日、衆議院教育基本法特別委員会において、与党は、野党の委員が欠席する中で、政府の教育基本法改正案を与党単独で強行採決した。翌11月16日、衆議院本会議を召集して、野党議員が抗議して欠席する中で、与党単独で強行採決を行い、衆議院を通過させた。
同年12月14日、参議院教育基本法特別委員会において、野党も出席している審議の場で強行採決が行われ、同年12月15日、参議院本会議でも、与党多数で可決されて、教育基本法改正案が成立してしまった。
政府の教育基本法改正案は、「愛国心」教育を正当化するという点で問題があることは当然として、その最大の問題は、法律の根拠に基づきさえすれば、国家や教育行政が、現場の教育に対して介入することが「不当な支配」に当たらないとされたことである。
旧教育基本法10条1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と規定していたが、改正案一六条一項は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであ(る)」と規定して、「この法律及び他の法律の定め」が「不当な支配」から除外されたのである。
これにより、今後、国家や都道府県が、法律や条例を制定することによって、教育に介入することが常態化することだろう。特に、当面は、全国各地で学校現場で、「日の丸・君が代」の掲揚・斉唱を法律等で義務づけるられるようになるだろう。
このような意味において、今回の教育基本法改正は、戦後の民主主義体制それ自体を転覆しようとする「クーデター」を企図するに等しい内容をもっていたのである。
ただ、国会周辺での反対運動は非常に盛り上がったことは確かであるが、教育基本法改正案の内容がほとんど国民に知られないまま成立してしまったのである。
また、臨時国会では、同年11月30日に、防衛庁の省昇格関連法案が衆院本会議で与党多数で可決され、同年12月15日の参議院本会議において与党多数で可決されて成立した。
同法案は、単なる防衛庁から防衛省への「看板」の掛けかけだけを内容とするものではなく、関連法案の中にある自衛隊法改正案によって、自衛隊の「海外派兵」が「本来任務」となることになっている。
これによって、自衛隊は、名実共に「軍隊」となることが確実となった。すなわち、憲法9条2項が、「(前項の目的を達するため)陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」として軍隊を持つことを禁止しているにもかかわらず、憲法改正を先取りして、自衛隊法改正によって、自衛隊を、いつでも「海外派兵」可能な軍隊と位置付けようとしているのである。
これによって、アメリカが戦争を仕掛けた国に、日本の自衛隊を海外派兵することを可能とするものであり、日本が「いつでも戦争できる国」になるための第一歩となったのである。
ちなみに、今年の通常国会には、いつでも自衛隊を恒久的に海外派兵できる根拠となる法案が提出される予定となっており、着々と、憲法九条の改正を先取りする動きが続くことになる。
憲法改正のための国民投票法案は臨時国会で成立しなかったが、安倍内閣は、来年の通常国会での成立を目指している。
このように、昨年の臨時国会では、次々と戦後民主主義を否定するような悪法が成立し、憲法改正に向けて着々と包囲網を形成しているのである。
臨時国会で唯一朗報と言えたのは、共謀罪法案が、衆議院法務委員会において審議入りすらせずに継続審議となったことであった。
臨時国会において、衆議院法務委員会では、信託法改正案と少年法改正案と共謀罪法案の3つの法案しかなかったにもかかわらず、与党は信託法改正案を可決した後、共謀罪法案の審議入りを執拗に求めたが、国会の外での圧倒的な市民による反対と野党の頑張りによって、結局、会期末まで、実質審議入りすることなく終わった。そのため、最後の約3週間は、衆議院法務委員会は全く空転状態となり、極めて異例の展開であった。
来年の通常国会は2007年1月25日に召集される予定であるが、また激しく長い闘いになりそうである。しかも、その後には参議院選挙も控えている。共謀罪法案については、今年の通常国会の早い段階で、与党は強行採決を仕掛けてくるだろう。
来年1年も、最後まで気を抜かずに、安倍内閣が進める戦後民主主義の否定と憲法改正の野望を打ち砕くために頑張っていきたい。
(2006年12月22日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2007年1月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
疑わしい取引の報告義務を弁護士に課そうとする犯罪収益流通防止法案の危険性
いわゆる組織犯罪処罰法(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)第54条は、金融機関に対してマネーロンダリング(資金洗浄)の疑いのある取引を報告する義務を課すとともに、いわゆる本人確認法(金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律)は、金融機関に対して、取引をする者の身元確認義務と取引記録の保存義務を課している。
2007年1月4日から、ATMを利用した10万円を超える現金送金はできなくなることが告知されているが、それは本人確認法施行令及び施行規則の改正に伴うものであり、マネー・ロンダリング対策及びテロ対策を理由とするものである。
ところで、この規制を、金融機関以外にも大きく拡大するための法律として、現在、警察庁によって、犯罪収益流通防止法案(仮称)が準備されており、来年の通常国会に提出される予定である。
ここでは、不動産業、クレジット・カード業、ファイナンス・リース業、宝石商・貴金属商、宝石商、私書箱業などの他、法律・会計専門家として、弁護士、税理士、公認会計士、行政書士、司法書士なども対象となる予定である。
日本弁護士連合会(以下「日弁連」という)は、かねてから、この制度は、依頼者の秘密を警察に密告させる制度であるとして、強く反対の姿勢を示し、弁護士に関する規制を法案に盛り込まないように求めてきた。
2006年10月、警察庁は日弁連に対して、犯罪収益流通防止法案のうち、弁護士に関する法案の骨子を提案した。
その内容は、弁護士についても、本人確認、取引記録の保存及び疑わしい取引の届出の措置を講ずる責務を有することを前提に、(1)弁護士が講ずべき措置の内容については、他の法律・会計専門家の例に準じて日弁連の会則により定める、(2)弁護士による疑わしい取引の届出は日弁連に対し行う、(3)政府と日弁連とは、犯罪収益等の流通に関し相互に協力しなければならないことなどである。
日弁連は、直ちに、この提案を受け入れることはできないと決定して、反対の姿勢を鮮明にしている。
この提案によっても弁護士が日弁連に対して届け出た依頼者に関する秘密情報については、日弁連がこれを審査して、守秘義務の範囲外であると判断した場合には、その情報は国家公安委員会(警察庁)に対して通知しなければならないことになるが、そうなれば、結局、依頼者に関する一定の秘密情報が、弁護士から日弁連を通して国家公安委員会(警察庁)へと流れるルートが確保されることになり、依頼者の秘密は完全には守られないことになる。
しかも、この場合、弁護士自らが、依頼者の秘密情報を国家公安委員会(警察庁)へと流すことになる。
そもそも、弁護士は、犯罪を犯したとされる被疑者・被告人を弁護することを職務としており、弁護士を信頼して依頼者からもたらされた秘密情報を、依頼者に内密に捜査機関に通報することは、弁護士に期待されている職務と本質的に相容れない。
犯罪収益流通防止法案では、守秘義務の範囲内であれば、依頼者の秘密情報を日弁連の届け出る必要はないこととされる予定であるが、依頼者である市民にとっては、守秘義務の範囲内かどうかを自ら判断することは極めて困難である。
そのため、依頼者である市民は、常に、弁護士に提供した秘密情報が、捜査機関に対して内密に通報されているかもしれないとの懸念を抱かざるを得なくなる。
これでは、依頼者は弁護士に対して、全面的に信頼を寄せることは困難となり、弁護士と依頼者との間の信頼関係を構築すること自体が難しくなってしまい、弁護士制度の存在意義を危うくせざるを得ない。
弁護士の守秘義務の範囲内については報告義務が除外されていることから、そもそも、この制度によってマネー・ロンダリング対策やテロ対策にとって有益な情報が寄せられる可能性は極めて低い。
それにもかかわらず、警察庁が、犯罪収益流通防止法案の制定を進めようとしており、その規制対象に弁護士も含めようとしているのは、国際機関であるFATF(金融作業部会)の勧告という外圧を利用して、市民と弁護士との分断を企図していると見るべきである。
つまり、市民に対して、弁護士が権力の手先であり、「番犬」であるかのようなイメージを作りあげることによって、市民を弁護士から引き離し、孤立化されることを狙っているとしか考えられない。
警察庁は、今回の提案について、弁護士自治を尊重し、「世界に類を見ない弁護士自治スキーム」と呼んで自画自賛している。
読売新聞や産経新聞も、警察庁の提案を支持し、日弁連を非難する社説を掲載している。
しかしながら、今回の警察庁の提案は、犯罪収益流通防止法案の中で、日弁連が定めるべき会規の内容を決める予定であり、日弁連はその内容に従った会規を作る以外の選択を認めないつもりである。いわば、自分で、自分の「首」を締めろと言っているに等しい。ところが、警察庁はマスコミを動員し、さらには国会議員にも圧倒的な物量作戦で説得して、この提案を推し進めようとしているのである。
依頼者となるべき市民としては、この問題を単に弁護士の側の問題と捉えるのではなく、自分たちが弁護士にアクセスする権利が侵害されようとしていると考える必要がある。
犯罪収益流通防止法案は、それだけではなく、前述したとおり、弁護士以外の法律・会計専門家や、市民の日常生活で広い接点のある金融機関や、それ以外の業者に対しても疑わしい取引の届出義務を課そうとしており、それらを通じて、私たち市民の秘密情報が国家公安委員会(警察庁)に対して流れる仕組みが作られようとしている。
私たちは、私たち自身に関する秘密情報が国家公安委員会(警察庁)に集約され、監視される仕組みが作られて、市民としての権利が制限されようとしており、市民としての立場から、来年の通常国会に上程される予定の犯罪収益流通防止法案に強く反対していかなければならない。
(2006年12月1日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年12月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
臨時国会における共謀罪法案の動向について
秋の臨時国会が始まった。臨時国会召集前後から、共謀罪法案については「先送り」との一部報道もなされていた。
本年10月18日に、日本弁護士連合会が主催した市民集会「共謀罪と弁護士の警察に対する依頼者密告制度−犯罪対策と人権のバランスを考える−」において(参加者は約150名)、民主党の平岡秀夫・衆議院議員と社民党の保坂展人・衆議院議員から、それぞれ国会情勢が報告されたが、その席で、2人から、翌週の火曜日(10月24日)に、共謀罪法案が審議入りする可能性が示唆された。
今年の通常国会において、与党側は、3度の強行採決を画策したが、いずれも、野党の強い反対と市民からの圧倒的な反対の声の前に、最後まで強行採決をすることはできなかった。したがって、与党が今臨時国会において審議入りするとしたら、即日に強行採決するしかないと考えられた。
そのため、10月19日以降、その情報がインターネットなどを通じて一斉に流され、強行採決に反対する声が上がり始めた。
実際にも、衆議院法務委員会の現場では、与党が、10月24日に共謀罪法案を審議入りして、短時間の審議を行った後で、即日に強行採決するシナリオが準備されていたことが判明している。ただ、そのシナリオは、国対レベルで一旦白紙になったようである。
そのような状況の中で、10月22日に実施された衆議院議員補欠選挙で2勝した自民党は、本来であれば、強気で国会運営をすると思われた。
ところが、10月23日には、新聞やテレビで、与党が今臨時国会での共謀罪法案の成立を断念したとの報道が一斉になされた。
これは、前の週から、10月24日の審議入り即強行採決のシナリオが暴露され、野党や多くの市民からも圧倒的な反対の声が国会に届いていたことも大きく影響したと思われる。
また、民主党が大きく方針転換し、共謀罪自体を法案から削除することを求め、これまでの与党との修正協議の席から完全に降りて、対決法案の姿勢を強めたことも関係があったと考えられる。
そのため、与党側では、共謀罪法案を強行採決した場合、国会が空転し、教育基本法改正案など他の優先法案に対しても大きな悪影響がでることは必至であると判断し、10月24日の審議入りを断念したものと考えられる。
これを受けて、衆議院法務委員会では、10月24日から、信託法改正案の審議に入っている。ただ、この後には、少年法改正案と共謀罪法案しかないから、今臨時国会で、共謀罪法案の審議入りする可能性を否定することはできない。
そして、実際にも、与党は決して共謀罪法案の成立を断念した訳ではない。
自民党は、これからも福島県知事選挙や沖縄県知事選などいくつかの重要な選挙を控えており、ここで居丈高になって、有権者からの反発を買って、これらの選挙で負けることを極度に恐れている。そのため、これらの選挙が終わるまでのしばらくの間、おとなしい姿勢を見せようとしているに過ぎないのである。
つまり、共謀罪法案について、「死んだふり」をしようとして、反対する勢力や運動を封じ込めるのが、その狙いと考えるべきである。
他方で、与党は、安倍首相が今臨時国会で成立を期している教育基本法改正案について、10月25日から審議入りするとともに、11月の連休前にも強行採決をして衆議院を追加させ、今臨時国会で成立させることに必死である。
これ以外にも、今臨時国会では、防衛「省」昇格法案などいくつかの優先法案があり、与党としては、福島県知事選挙や沖縄県知事選などの動向を見極めながら、これらの優先法案を処理し、後半国会において、信託法改正案を可決した後、時期を見計らって、共謀罪法案の審議入りし、即日、強行採決するという奇襲戦法でやってくると考えなければならない。
いずれにしても、与党による「死んだふり」を真に受けて、反対運動の手を緩めては、まさに相手の思うつぼである。
まずは、教育基本法改正案をめぐる与党側の攻勢があり、その後、後半国会に向けて、まだまだ油断できない情勢が継続するだろう。緊張感を保ちつつ、共謀罪法案に対する反対の声を上げ続けていきたい。
(2006年10月26日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年11月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
臨時国会が最大の山場となる共謀罪法案の廃案に向けて
共謀罪の新設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」(以下「共謀罪法案」という)は、2006年1月に召集されていた第164回通常国会では、野党共闘と圧倒的な市民からの反対の声を前に、与党は何度も強行採決を企図したが、最後まで実行することができず、最終的に秋の臨時国会への継続審議となっている。
第165臨時国会は、2006年9月26日に召集され、同日、安倍晋三首相による安倍政権が発足した。
安倍首相は、首相に任命される前の九月三日、盛岡市内で開かれた自民党東北ブロック大会において、秋の臨時国会において共謀罪法案の成立を目指す考えを表明したと報道されていたが、安倍首相に近い考えを持つと言われる長勢甚遠氏が法務大臣に任命され、就任直後の記者会見で、共謀罪法案について、「与党とよく相談しながら早期の成立に全力を挙げたい」と意欲を見せたと報道されている。
安倍首相が憲法改正も具体的に視野に入れていることと併せ考えると、与党は、今臨時国会での共謀罪法案の強行採決を目指す可能性は極めて高いと考える必要がある。
法務大臣には、安倍首相に近い考えを持つと言われる長勢甚遠氏が任命された。安倍首相は、首相に任命される前の2006年9月3日、盛岡市内で開かれた自民党東北ブロック大会において、秋の臨時国会において共謀罪法案の成立を目指す考えを表明したと報道されている。
安倍首相が憲法改正も具体的に視野に入れていることを考えると、与党は、今臨時国会での共謀罪法案の可決を目指す可能性は極めて高いと考える必要がある。
その意味で、今秋の臨時国会は、共謀罪法案の成否をめぐる最大の山場であり、決戦の場となることを覚悟して早急に闘いのための準備を進めなければならない。
ところで、通常国会の終わり頃から、国連の越境組織犯罪防止条約を批准するため、果たして政府が提案しているような600以上もの共謀罪を新設する必要があるのかが問題となっている。
法務省はかねてから、日本国内には、共謀罪を作らなければならないような立法事実がないことを認めながら、条約を批准するためには共謀罪を新設することが必要であると説明してきた。
国連が、2004年に、各国の国内法起草者向けに作成した「立法ガイド」では、「国内法の起草者は,単に条約文を翻訳したり,条約の文言を一字一句逐語的に新しい法律案や法改正案に盛り込むよう企図するよりも,むしろ条約の意味と精神に主眼を置くべきである。」、「国内法の起草者は,新しい法が国内の法的な伝統,原則,および基本法と合致するものとなることを確保しなければならない。」と述べて、各国の基本原則に従って国内法整備がされれば良く、条約の文言にこだわってそのまま国内法を制定する必要がないことが強調されている。
この指針に従えば、我が国の刑事法の体系が,犯罪の処罰については、「既遂」を原則とし,必要な場合に限って「未遂」を処罰するとともに,ごく例外的な場合に極めて重大な犯罪に限って着手以前の「予備」を処罰しており、法益の侵害又はその危険性が生じて初めて,事後的に国家権力を発動することができるという自由主義的な刑事司法システムをとっていることは、まさに、この「国内法の基本原則」に当たると言うべきである。
そうであれば、越境組織犯罪防止条約を批准するためであっても、国内法の基本原則に反する600以上もの共謀罪を新設する必要は全くないと言わなければならない。
ところで、この「立法ガイド」は、共謀罪についての政府案ができた後に公表されているから、日本政府としては、それを知らなかったという言い訳をすることが考えられる。しかしながら、日本政府が越境組織犯罪防止条約起草のためのアドホック委員会(199年3月8日から12日に開催)に対して提出した意見書においては、「日本の国内法の原則では、共謀や参加については、特に重大な犯罪に限定して処罰される。したがって、全ての重大な犯罪について、共謀罪や参加罪を導入することは日本の法原則になじまない。」などと主張するとともに、条約の原案が英米法系の共謀罪と大陸法系の参加罪しか規定していないことを批判して、「他の法制度を持っている国でも受け入れられるようにしなければならない」として、第3のオプション(限定された参加罪)を提案していたのである。
これを今から見れば、その主張は、「立法ガイド」の主張と酷似して極めて抑制的であり、その頃は、日本政府としては、条約批准のために新たな法制度を新設するのではなく、既存の法制度そのままで批准しようとしていたことが窺えるのである。
今夏、日本弁護士連合会の国際室が、国連の越境組織犯罪防止条約を批准した国が、国連薬物犯罪事務所(UNODC)や国連事務総長宛てに提出された報告書などを分析したところ、ほとんどの国が、既存の法律で条約の要請を満たしているとして、新たに立法措置をとらないか、ちょっとした法改正で対応していると考えられ、日本のように600以上もの共謀罪を新設したような国は他にはないことが判明した。
政府は、条約批准のために新たに法整備をした国として、ノルウェー1カ国だけを挙げているが、実際にも、それ以外に、そのような法整備をした国は見つからないのが真実のようである。
通常国会の最終日である2006年6月16日、衆議院法務委員会において、与党は、野党の反対を押し切り、議事録に、共謀罪法案に対する与党の「修正試案」を添付することを決めている。
これは民主党の修正案をある程度取り込んだ上で、与党としてのぎりぎりの妥協点を示したものと受け取ることができる。
逆に言えば、与党としては、この「修正試案」を超えて、共謀罪法案を修正しようという考えはなく、臨時国会においては、衆議院法務委員会の2006年10月上旬ころからの審議の冒頭に、この修正案を提案した上で、強行採決することを狙ってくる可能性が高い。
野党は足並みを揃えて、臨時国会で、共謀罪法案の採決を阻止することを合意している。私たち市民は、再び反対の声を挙げ、与党議員を震え上がらせるような激しく熱い市民の怒りを国会に集中する必要がある。
「いつでも戦争できる国」を作ることを目標に掲げた安倍政権にとって、共謀罪法案の可決は必須の前提条件であると考えられる。日本をそのような国にしないためにも、臨時国会での共謀罪法案の可決を阻止し、廃案にするために全力で闘うことを誓い合いたい。
(2006年9月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年9月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
犯罪被害者の刑事訴訟手続への参加について考える
法務省は2006年9月日に開かれる法制審議会総会において、犯罪被害者の刑事訴訟手続への参加について諮問することを予定している。報道等によると、その中でも特に注目すべきものとして、以下の3点についての新設が諮問される見込みである。
まず、犯罪被害者が裁判所に申し出たら、終始法廷に在廷できる(検察官の横に座ることが想定されているようである)という在廷権である。
次に、現在、犯罪被害者には意見陳述する機会が与えられているが(2000年に成立した犯罪被害者保護関連二法によって認められている)、その意見陳述のために必要な事項について被告人に直接発問する機会を与える発問権である。
最後に、犯罪被害者が、刑事訴訟において、起訴状に記載された訴因において特定された事実を原因とする不法行為の損害賠償を求めて、刑事判決が出た後、3回程度の審理(口頭弁論又は審尋)を行って、損害賠償に関する民事判決を言い渡す附帯私訴制度(被害回復命令申立制度)である。
いずれも、犯罪被害者を刑事訴訟手続に参加させる大胆な制度改革を意図している。
2004年に成立した犯罪被害者等基本法12条は、「国及び地方公共団体は、犯罪等による被害に係る損害賠償の請求の適切かつ円滑な実現を図るため、犯罪被害者等の行う損害賠償の請求についての援助、当該損害賠償の請求についてその被害に係る刑事に関する手続との有機的な連携を図るための制度の拡充等必要な施策を講ずるものとする。」と規定するとともに、同法18条は「国及び地方公共団体は、犯罪被害者等がその被害に係る刑事に関する手続に適切に関与することができるようにするため、刑事に関する手続の進捗状況等に関する情報の提供、刑事に関する手続への参加の機会を拡充するための制度の整備等必要な施策を講ずるものとする。」とそれぞれ規定している。これを受けて政府が策定した「犯罪被害者等基本計画」において、「損害賠償請求に関し刑事手続の成果を利用する制度を新たに導入する方向での検討及び施策の実施」と「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することができる制度の検討及び施策の実施」が挙げられていた。これを受けて、今回の諮問に至ったものである。
今回の提案は、本来、刑事訴訟の当事者でない犯罪被害者が、刑事法廷に在廷できたり、被告人に対する発問という訴訟行為を行うことを認めている。その法的根拠は曖昧である。法務省は、同時に附帯私訴制度を導入して、犯罪被害者に対して民事訴訟の当事者という地位を与えることで何とか整合性を図ろうとしているが、いかにも姑息である。しかしながら、犯罪被害者に民事訴訟の原告(申立人)という地位を与えることによって、刑事訴訟に民事の争いを持ち込むことを認めることになる。
その結果、刑事訴訟は、刑事裁判官が冷静かつ公平に犯罪事実の有無と程度を判断する場から、犯罪被害者と被告人との「闘いの場」に大きく変化することを認めることになる。最近では、被告人と犯罪被害者との関係を二項対立の対立構造として捉える見方が広がっているが、この傾向がますます増幅することになる。
マスコミは、これまで以上に、被告人と犯罪被害者との対立構造を面白おかしく取り上げ、法廷での被告人の一挙手一投足をあげつらって、被告人を非難することになることが強く予想される。
そして、被告人は、法廷に常にいる犯罪被害者からの威圧を受けて、その防御活動が萎縮させられ、言いたいことが言えなくなる可能性が高くなる。弁護人も、犯罪被害者からの非難を恐れて「被害者の落ち度」などを主張することが困難になることも予想される(現在行われている犯罪被害者による意見陳述も弁護活動に大きな影響を与えていると報告されている)。
今回提案されている附帯私訴制度は、これまでイメージされていた制度とは異なり、刑事判決が言い渡された後に、損害の有無・損害額について犯罪被害者(申立人)に立証させ、それを踏まえて、刑事判決をした刑事裁判官が民事の決定をするというものである。
しかしながら、損害の主張立証が困難な事案については犯罪被害者に重い負担を課すし、3回以上の審理を要する場合には民事裁判所に移送されてしまうし、決定に対して双方の当事者が異議を申し出れば民事裁判所に移送されることになっているから、犯罪被害者にとってこの制度が有効に利用できる範囲は著しく限定されている。
被告人にとっても、刑事判決が出た後は、特に国選弁護人だった場合には、経済的理由によって新たに民事訴訟の訴訟代理人を選任できない場合が多いと考えられるが、刑事について有罪判決が出されて拘置所に収容されている場合にはそもそも損害に関する審理にほとんど出頭できないと考えられるから、裁判を受ける権利が侵害されるおそれがある。
このように、犯罪被害者の刑事訴訟手続への参加は、現在の刑事訴訟のあり方を根本的に変えてしまうものである。
現在においても、我が国の刑事訴訟手続は、被告人の権利保障が極めて不十分であり、99.9%の有罪率であるという現状をそのままにして、犯罪被害者を刑事訴訟手続に参加させることは、被告人の権利保障をさらに弱める方向に働くことが必至であるから、このような制度の導入には強く反対したい。
(2006年9月2日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年9月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
裁判員裁判実施を前にして弁護人による情報開示について考える
2005年12月に広島県で発生した女児殺害事件について、接見を終えたばかりの弁護人が広島県海田警察署前で、テレビを含めた多くのマスコミの前で、「悪魔が自分の中に入ってきた」という衝撃的な言葉など、その日の被疑者との接見内容を詳細に伝えるものであった。
その後、弁護人は、被疑者本人に十分に確認した上で発表して欲しいという内容だけを公表しているし、一方的な警察報道に対して被疑者の反論権を保障することが必要であるなどとして、その公表は正当であると説明している。
この事件は、その後、2005年11月から施行された改正刑事訴訟法に基づいて公判前整理手続が実施された後、連日開廷による刑事裁判が行われ、広島地方裁判所は、2006年7月4日、死刑求刑を受けていた被告人に対して、早々と無期懲役判決を言い渡している(弁護側・検察側の双方が控訴中)。
この事件での弁護人によるマスコミへの情報開示が、弁護活動として果たして正当であったかどうかは慎重に検証される必要があると考えられる(武井康年「弁護人のマスコミ対応−広島女児殺害事件を題材に」季刊刑事弁護47号98頁以下参照)。
2005年5月に発生した秋田県で発生した男児殺害事件に関して、弁護人は、県警記者クラブに対して「被疑者の供述・様子について発表するに当たっての誓約条件」と題する文書を送付し、(1)親族に取材しない、(2)親族の写真や声は取材済みの分も含め掲載・放送しない、(3)親族への取材は弁護士を通すという三点を弁護人の記者会見の条件とすることを申し入れた(朝日新聞2006年6月27日付朝刊メディア欄「取材制約ジレンマ 容疑者弁護士から情報積極開示」)。
県警記者クラブはこの条件を受け入れて、その後、弁護人の記者会見が既に何度も実施されており、その模様はテレビでも大きく報道されている。
この事件の弁護人は、「真実を話したいという本人と話し合い、皆さんへの条件を詰めて守秘義務を解除した」と話しているという(前掲・朝日新聞記事による)。
このように、最近になって、重大事件において、弁護人が被疑者との接見内容をマスコミに公表する例が多く見られるようになってきた。しかも、弁護人の側では、意識的かつ積極的に公表しようとしており、これまで多くの弁護人が沈黙を守ってきたことに対抗して、問題提起しようとしていると考えられる。
2009年から、市民が裁判員となって刑事裁判に参加する裁判員制度が開始される予定となっている。あと3年余りで始まろうとしている裁判員裁判を前に、弁護人による情報開示のあり方が改めて問われようとしている。
マスコミ関係者からは、弁護人による情報開示を肯定的に受け止める見解が多いように思われる。それは、マスコミからすれば、報道すべき情報が増えるのであるから当然であろう。
しかしながら、私は、事態が流動的で不安定な時期である捜査段階においては、被疑者との接見内容を公表することについては極めて慎重であるべきであると考える。
身体をいわゆる「代用監獄」に拘束され、捜査機関による全人格的な支配を受け、厳しい取調べを受けている被疑者が、長くても1日に1時間程度の弁護人の接見をするだけの状況下で、自分の発言がマスコミに公表されることの是非についての冷静な判断を下すことができるとは到底考えられない。
また、流動的な被疑者の供述を断片的に公表することによって、供述の変遷を積極的に明らかにすることが後の公判で不利益に判断される可能性もある。
逆に、被疑者にとって有利な情報(例えば、アリバイの存在)を公表することによって、警察・検察によってアリバイ潰しが行われる可能性は極めて高い。
このように考えると、最近の弁護人が情報公表に積極的なことに対しては強い疑問を呈さざるを得ない。
しかも、これまで被疑者との接見内容は秘密であるとして守秘義務を理由にその秘密性を守ってきたのに、弁護人自らがその守秘義務を放棄してぺらぺらと話すようになったことによって、被疑者との秘密交通権それ自体が重大な危機に瀕していると言わなければならない。
弁護人による情報開示によって、マスコミの報道はますます過熱化しており、刑事裁判が始まる前に、マスコミの「裁判」によって被疑者・被告人が断罪される傾向を強めることにもなりかねない。
それは、裁判員制度の下での刑事裁判においても、裁判員として参加する市民に対して、被告人は有罪であるという偏見を植え付け、「推定無罪」の原則を崩壊させることになってしまうのである。
そのような観点から、私は、最近の弁護人による情報開示の傾向に対しては、深く憂慮せざるを得ないし、市民からもそのような弁護活動に対して批判することが求められていると考える。
(2006年7月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年8月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
犯罪被害者によって変えられる司法制度について考える
山口県光市で起きた母子殺害事件について、2006年6月20日、最高裁第三小法廷(浜田邦夫裁判長、退官のため上田豊三裁判長代読)は、第一審の無期懲役判決を支持していた広島高裁判決を破棄して差し戻す旨の判決を言い渡した。この結果、差し戻し後の裁判で死刑判決が言い渡される可能性が極めて高いことになった。
この事件では、被告人が犯行時に18歳と30日であったことから、少年法が18歳未満の少年に対して死刑を禁止していることとの関係が問題となっていた。
この事件の被害者遺族である男性は、事件発生直後から死刑判決を求め、死刑判決が出なければ自ら被告人を殺すとまで公言して厳罰を求めてきた。今回の最高裁判決は、その被害者遺族の声を受け入れる形で、従来の運用を事実上変更して、死刑判決の可能性を認めた。
最近の犯罪被害者やその遺族による「被害者の権利」確立に向けた運動の勢いは、確実に司法制度に変化をもたらそうとしている。今回の最高裁判決も、その流れの中で捉える必要がある。
2004年12月には犯罪被害者基本法が成立し、政府に対して、犯罪被害者のための具体的な施策の実施を要求しており、既にその施策に向けた具体的検討が始まっている。
今通常国会では、2006年6月13日に、組織犯罪で奪われた財産(犯罪被害財産)を、国が犯人から没収・追徴して被害者に分配することができる被害回復給付金支給法と組織犯罪処罰法改正案が成立した。
そして、法務省は、2006年10月から始まる法制審議会に、刑事訴訟の法廷で被害者が被った損害の賠償に関する審理を同時に進め、有罪の場合は同じ裁判官が賠償命令も出す附帯私訴制度や、犯罪被害者やその遺族が刑事訴訟の法廷に在廷したり、被告人に質問する制度の導入について諮問し、年内にもその答申を得て、2007年の通常国会に刑事訴訟法改正案を提出する方針であると伝えられている。
司法制度は、もはや被害者遺族の声を無視することはできなくなっている。その流れは、マスコミが被害者の声を大きく取り上げることによって、ますます増幅されている。
しかしながら、我が国のように、元々、被疑者や被告人の権利自体がきちんと保障されていない国において、被害者やその遺族が刑事訴訟の法廷に登場することによって、被告人の権利の保障がますます危うくされる危険がある。
犯罪被害者やその遺族に対しては、まず、国によって、手厚い経済的な支援と精神的なケアが提供されることが必要である。ところが、政府はこれまでそれを怠るとともに、今後も真剣にそれを行おうとしているようには見えない。刑事訴訟の法廷に犯罪被害者やその遺族を在廷させたり、附帯私訴制度を認めて、「安上がりな被害者対策」をしようとしているとしか考えられないのである。
2005年11月から施行されている改正刑事訴訟法は、裁判員制度導入のためと称して、公判前整理手続、連日開廷、開示証拠の目的外使用の禁止などを新設した。
これに引き続いて、犯罪被害者やその遺族のために、さらに刑事訴訟法が大きく変えられようとしている。その結果、被疑者・被告人の権利の保障がますます後退させられようとしているのである。
私たちは、犯罪被害者やその遺族の支援の問題と司法制度への影響について、今一度、冷静に議論することが求められている。
(2006年6月30日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年7月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
共謀罪法案の今国会成立を阻止した民衆の力
犯罪をすることの合意があるだけで処罰できるという共謀罪の新設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」(以下「共謀罪法案」という)について、2006年4月21日に審議再開されて以来、何度も強行採決の可能性があるとして緊迫してきた。
しかしながら、衆議院法務委員会の与党の理事レベルで強行採決が確認されていた同年5月19日、河野洋平衆院議長が自民党の細田博之、公明党の東順治両国対委員長と会談し、共謀罪について「マスコミの大関心事で、私も事態を心配している」と述べて慎重な対応を求めた結果、その日の採決は回避されることになった。
その後、石原法務委員長から、法務委の理事会を開催の上、与野党各3名ずつの実務者会合を開きたいとの意向が示され、自民党、公明党と民主党による実務者会合が始まっている(社民党は廃案を求めていることからこの実務者会合には参加していない)。
この実務者会合は何度か開かれているようであるが、逮捕の限定の可否、対象犯罪の限定、黙示の共謀の限定、共謀罪と既遂犯との二重処罰の禁止等が議題となっており、しばらく継続される見込みである。
共謀罪法案については、今通常国会の会期が同年6月18日までであることから、既に現在の情勢からは参議院も含めて今国会での成立が難しくなっているが、最近では、教育基本法案の成立を期して大幅延長という噂も出ていた。
ところが、同年5月30日、小泉首相が国会の延長を否定し、翌5月31日には、政府・与党は今通常国会の会期を延長しない方針を固め、共謀罪法案についての衆議院法務委員会での採決を見送り、継続審議として、秋の臨時国会での成立を目指す方針を決めたと報道されている。
これによって、共謀罪法案が今国会で成立する見込みがなくなったことがほぼ確定したのである。
元々、政府与党は、共謀罪法案を何としても今通常国会で成立させることを企図していた。これは、2005年12月にアメリカ合衆国も国連越境組織犯罪防止条約を批准し、G8の中でも、同条約を批准していない国が少なくなってきた中で、政府としては何としても同条約を早期に批准することに迫られていたことによるものと思われる。
しかしながら、共謀罪法案が審議再開され、最初に強行採決の可能性があるとされた4月29日前後から、新聞やテレビなどが共謀罪のことを頻繁に取り上げるようになり、その後もテレビやラジオが競ってこの問題を取り上げるようになった。
また、個人が情報発信するブログにおいても、その頃から急速に共謀罪に反対する声が掲載されるようになり、やがて、ブログで爆発的に取り上げられるようになった。
院内集会や院外での集会にも、これまで来たことがなかった普通の市民が、ブログに掲載された情報を頼りに参加するケースが増え、特に院内集会は開催するたびに立ち見が出る程の盛況ぶりであった。
これまで、共謀罪は分かりにくいということからなかなか運動的な広がりを持つことができなかったが、ここに来て、マスメディアの力とブログの力が融合し、共謀罪新設反対の民衆の声がようやく国会審議を動かすまでになったと評価することができるだろう。
とりわけ、昨年秋の「郵政解散」後の与党圧勝により、衆議院議員の3分の2を占める勢力となった与党ですら、共謀罪反対の「民意」の前に、強行採決を行うことができなかったことは極めて大きな意義があったと言える。
ただ、政府与党は、共謀罪法案の成立をあきらめた訳ではない。秋の臨時国会に向けて、着々と準備することは間違いない。夏を挟んで、世論の行方も不明確である。
改めて秋の臨時国会に向けて、共謀罪法案を廃案に追い込むために、最後まであきらめることなく、反対の声をあげ続けることが必要である。
(2006年6月1日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年6月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
共謀罪法案の成立をどうやって阻止すべきか
犯罪をすることの合意があるだけで処罰できるという共謀罪の新設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」(以下「共謀罪法案」という)が、4月21日から、衆議院法務委員会で審議が再開された。
共謀罪法案は、昨年の特別国会で3度目の上程をされ、衆議院法務委員会では参考人質疑も実施して採決寸前まで行ったが、反対運動や世論の盛り上がりによって、与党が採決を断念して継続審議となっていた。
4月21日についても、野党が審議再開に強く反対する中で審議入りが強行され、野党委員による抗議の声と怒号の中で、法務大臣による政府案についての趣旨説明と、与党修正案についての与党議員による趣旨説明が行われた。
翌週の4月25日には与党質疑が行われたが、野党である民主党と社民党は審議を拒否して、与党議員だけで、与党修正案をめぐって質疑が行われた。
民主党の小沢一郎代表は4月25日の記者会見で、共謀罪について「厳格に構成要件を定めないまま官憲の裁量を広げることは国民の基本的人権を束縛する」と批判し、その後、民主党は、共謀罪についての修正案をまとめて、4月27日に衆議院に提出した。
その内容は、(1)適用を国境を越えた組織犯罪集団が関与した行為に限定する、(2)共謀罪の対象を4年以上の懲役・禁固に当たる罪(約600)から、5年超の犯罪(約300)に絞るというものであり、共謀罪の元になっている国連越境組織犯罪防止条約の批准に賛成した立場から、条約の内容を忠実に法文化するとともに、適用される犯罪を限定しようとするものである。
4月28日には朝の理事懇談会で、同日の審議終結・採決を主張する与党側理事に対して、野党側理事は、採決するのであれば審議に応じないという姿勢で対決し、双方が国会対策委員会に持ち寄り、自民党と民主党の国会対策委員会が話し合って、同日の採決をしないことになったため、同日の与野党質疑が実施された。
与党としては、連休前である4月28日の衆議院法務委員会での採決を目指していたが、その野望は阻止されたのである。
その理由については、同日に、教育基本法改正案が閣議決定され、国会に提出されたことに関係があるという見方もあるが、最近になって、テレビや新聞などが共謀罪の危険性について頻繁に取り上げるようになり、反対の世論が高まったきたことが大きいと思われる。
結局、本稿執筆時においては、衆議院法務委員会での今後の審議については、連休明けの四月九日に参考人質疑を行うことが決まっているだけである。
共謀罪の危険性については、何度も述べてきたが、与党修正案によっても、人と人のコミュニケーションそのものが犯罪となり、警察・検察の捜査の対象とされるという共謀罪の本質的な問題点は何ら解消されていない。
しかも、共謀罪の取締りのためと称して、盗聴法による盗聴の範囲は拡大されたり、室内盗聴が実施されるようになるなど捜査権限の拡大が次に予定されていることも明らかである。警察庁が早くやりたいと考えている「潜入捜査」(捜査官を組織にスパイとして潜入させる捜査手法)という新しい捜査手法の導入も間違いなくされるだろう。
さらに、街中の監視カメラには高性能マイクが取り付けられ、コンピュータに予めプログラムされた危険な言葉を聞きつけたら、直ちに監視カメラがターゲットを撮影・録音するような監視社会が確実に訪れることは必至である。
このような本質的な危険性を有している共謀罪を、今すぐに日本に設けなければならない国内での必要性(立法事実)も緊急性も認められない。
共謀罪それ自体は、思想信条を直接取り締まるものではなく、その意味で、戦前の治安維持法が「国体の変革」に関わるあらゆる行為を取り締まろうとしたやり方とは異なっている。
しかしながら、共謀罪の摘発を実際に担当する警察や検察が、共謀か否かの境界が曖昧な判断を恣意的に行うことによって、極めて政治的に運用される危険性を持っている。
今の日本は、確実に「戦争をいつでもすることができる国」を目指している。既に日米安保体制は変質し、有事法制も準備し、さらに軍隊の保持を認めるように憲法改正が準備されている。
日本政府にとって、戦争に反対し、戦争の遂行を妨害する国民を「非国民」として検挙し、戦争を円滑に遂行することができるための道具が共謀罪なのである。
このように、共謀罪は、戦前の治安維持法と全く同じ機能を果たすことが予想されるのである。「現代の治安維持法」と言われる所以である。
共謀しただけで犯罪として処罰するという共謀罪のコンセプト自体が、我が国の法体系にとって異質であり、一旦成立させられれば、市民による様々な運動に対して、捜査機関が介入する口実を与え、市民間のコミュニケーションそれ自体が摘発の対象とされるおそれがあるという点において、これを多少修正したからと言って、許容するこどかできるものになることはおよそありえない。したがって、共謀罪法案は廃案にされなければならないのである。
連休明けにの五月九日の参考人質疑の後には与党による強行採決が強く予想されるだろう。
参議院法務委員会での審議も含めて、今通常国会において、共謀罪法案を成立させてはならない。
それには、更なる反対運動の盛り上がりによる世論形成と毅然とした野党の対応が不可欠である。共謀罪法案については、今通常国会での戦いが最後の戦いになる可能性がある。全力で反対の声を広く伝えることが求められている。
(2006年4月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年5月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
入管法改正による指紋採取について考える
衆議院法務委員会において、本年3月17日から、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)の一部を改正する法律案が審議されている。これは、政府の「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」が2004年12月に決定した「テロの未然防止に関する行動計画」を実行するために提案されている。
入管法改正案の中で、特に注目すべきは、入管法6条3項の改正案である。そこでは、「上陸の申請をしようとする外国人は、特別永住者や16歳未満の者等を除いて、入国審査官に対し、電磁的方式によって個人識別情報(指紋、写真その他の個人を識別することができる情報)を提供しなければならない。」と規定されている。
これは、日本に入国しようとする外国人のほとんどの者に対して、指紋と顔写真を採取するものであり、応じない者は日本に入国させないようにする制度である。
このような制度は、既にアメリカにおいては実施されており、これを日本においても実施しようとするものである。
衆議院法務委員会における審議において、河野太郎・法務副大臣は「(指紋などは)偽造旅券などを見破る重要な情報。その人物がもう一度日本に来る可能性があれば保存が必要だ。基本的にその人間が生きている間は保有する。16歳以上から採取するので70〜80年は保有したい」と述べて、一度採取した指紋等を、その者の一生保存することを明らかにするとともに、法務省としては、採取した指紋等をデータベース化して犯罪捜査にも利用する方針であると報道されている。
また、報道によると、今後の入国審査時に採取する指紋は年間600〜700万人分にのぼるという。これらの指紋等のデータを保存するとともに、データベース化して捜査にも使用するというのである。
しかしながら、本来、この制度は、テロリストを入国させないための制度であるから、入国審査時に、テロリストのブラック・リストと比較照合し、その審査が終了したら、指紋等のデータは直ちに破棄されるべきものである。この制度が「テロ対策」のためであるというのであれば、「テロ対策」を超えた使用は許されるべきではない。
ところが、法務省は、過去に退去強制処分にした約80万人分の指紋・顔写真のリストや国際刑事警察機構(ICPO)の手配者リストなどと照合するとともに、データベース化して、今後の捜査に使用しようとしているのである。
これは明らかに、採取した指紋等のデータを、「テロ対策」以外の「目的」で使用しようとするものであり、「目的外使用」であると言わなければならない。
このような運用を認めてしまえば、いずれは、必ず日本国民についても、全国民が指紋を登録して、データベース化されることを否定できなくなるはずである。
ところが、衆議院法務委員会の審議において、今回の入管法改正が、来日外国人の指紋や顔写真を採取するための法改正だけでなく、併せて、日本人や定住外国人からも指紋を採取しようとしていることが明らかとなっている。
社民党の保坂展人・衆議院議員によると、それは、「定住外国人や日本人の『希望者』に対して、あらかじめ入管で指紋登録をすませておくと、鉄道の自動改札機のような機械式ゲートを、高速道路のETCのようにスピーディに通過できる」という「自動化ゲート」が準備されているという。
入管局長の説明では、今回の法案には、この「自動化ゲート」のことは規定されておらず、法律事項ではないという認識を示している。河野太郎・法務副大臣は、定住外国人や日本人の「希望者」が登録した指紋のデータについては、「本人が利用をやめるまで」保管されるが、死亡しても遺族から届け出がない限り消去されないとも回答したという。
すなわち、日本人等の指紋データも半永久的に保管され、データベース化されるということである。
実は、我が国でも、警察庁は、以前から、指紋データベースを構築して運用していることも知られている。これは、捜査で得られたあらゆる指紋が半永久的にデータベース化されて捜査に使用されている。これと法務省のデータベースはいずれリンクされて利用されることになるだろう。
そこに一貫して見られるのは、行政機関が一旦取得した情報は、半永久的に保有した上で、それを様々な目的のために自由に使用してよいという発想である。
そこでは、行政機関は決して誤らないという無謬性を前提とする「性善説」の考え方が前提とされている。
しかしながら、そもそも、指紋は、個人情報としては極めてセンシティブなものであり、それを本人の意思にかかわらず半永久的に保存し、それを様々な目的のために使用する(目的外使用する)ことは絶対に許されないと言わなければならない。
入管法改正案は、来日外国人を対象とする法案であることもあって、マスコミや世論の関心も低い。しかし、これは決して他人事ではないどころか、日本人の指紋までも採取しようとする企てなのである。
与党は、3月28日に、衆議院法務委員会で入管法改正案についての質疑を行い、同日に採決を行うことを提案していた。これに対して、野党からは、入管法改正案の問題点が次々に明らかになっているとして慎重審議を求めた。その結果、3月29日に、衆議院法務委員会で入管法改正案の採決を行い、与党の多数により可決される可能性がある。
しかしながら、入管法改正案は、単なる来日外国人だけの問題ではない。それは、日本における人権のあり方やそのレベルが問うものであり、私たち市民は、この問題に正面から向かい合い、反対の意思表示をすることが強く求められている。
(2006年3月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年4月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
共謀罪法案の継続審議にどう向かい合うか
本年2月14日、与党側が民主党に対して、共謀罪についての修正案を初めて提示したと報道された。
これによって、昨年秋の特別国会に3度目の上程をされ、継続審議とされていた共謀罪の新設を含む組織犯罪処罰法等の改正案(以下「共謀罪法案」という)の成立に向けた今通常国会での動きが始まったと言える。
報道によると、与党の修正案は、(1)適用対象の限定と(2)何らかの準備行為があったことを共謀罪の構成要件に加えることの2点と伝えられている。
民主党に提示された与党案によると、このうち、適用対象の限定については、「団体の活動」の後に括弧書きで、「その共同の目的がこれらの罪又は別表第一に掲げる罪を実行することにある団体である場合に限る。」との文言が挿入されることになっている。
また、準備行為については、「その共謀をした者のいずれかにより共謀に係る犯罪の実行に資する行為が行われた場合において」との文言を挿入されることになっている。
しかしながら、「共同の目的」を限定する修正案については、これから述べるように、ほとんど有効な限定にはならないと考えられる。この点については、特別国会における審議から明らかとなっている。
特別国会において、富田法務副大臣(当時)が、民主党の枝野幸男議員の質問に対して、「団体が有している共同の目的が犯罪行為を行うことと相入れないような正当な目的で活動している団体については、仮にたまたまその団体の幹部が相談して組織的に犯罪行為を行うことを決定したとしても、共同の目的を有する団体として意思決定したとは言えない」と答弁している(昨年10月28日の衆議院法務委員会の議事録より)。おそらく、この内容を明文化しようとしたのが今回の与党の修正案の内容であるように思われる。
しかしながら、与党の修正案を見ても、「その共同の目的が・・・罪を実行することにある団体」と書かれているだけであるから、団体の幹部が組織的に犯罪を行うという意思決定した場合に、「共同の目的を有する団体として意思決定したとは言えない」という解釈が当然に成立するわけではない。
立法担当者が執筆した『組織的犯罪対策関連三法の解説』(法曹会)においては、団体の定義(組織犯罪処罰法二条)について、「その目的自体が必ずしも違法・不当なものであることを要しないのであり、例えば、会社が対外的な営利活動により利益を得ることなども、『共同の目的』に当たり得る。」と記載されており、この解釈によると、「共同の目的」は非常に広く解釈されていた。
ところが、特別国会において、大林刑事局長は、この見解を否定して、前記の解釈を示したのである。
しかしながら、組織的犯罪処罰法が立法された当初の立法担当者が示した解釈について、その後の刑事局長が国会の答弁上否定したところで、裁判所によってどちらが採用されるかは拘束するものでないことは明らかである。むしろ、裁判所としては、立法当初の解釈の方が広くて緩い解釈であるから、むしろ、その解釈の方を採用する可能性が高いと予測されるのである。
今回、与党が民主党に示した修正案のうち、「共同の目的」を限定しようとしている点については、このような懸念が全く払拭されていないという点で大きな問題があると言わなければならない。
また、準備行為の点については、従来から、顕示行為(overt act)というアメリカの一部の州で採用されている要件を付加しようとするものであるが、これもあまり限定には役立たないと考えられる。
この点については、大林刑事局長も、特別国会の審議の中で、「これらの共謀が行われたことや組織性等の要件に該当することを立証するためには、実務上はオーバートアクトの存在が非常に重要となり、オーバートアクトが存在せず、あるいはその存在が立証できない事案においては、これらの立証が困難になる場合も多いと考えられます。 したがって、共謀罪において、オーバートアクトを要件としない場合と、した場合の実務上の差異は、結果としてはそれほど大きくない場合もあり得る、このように考えております。」(昨年10月14日の衆議院法務委員会における議事録より)と述べて、その要件を設けることと設けない場合とでは、実務上あまり違いはないことを認めていたのであり、与党の修正案の準備行為に関する部分についてはあまり限定の実益がないことが図らずも明らかになっていると言える。
しかも、「共謀に係る犯罪の実行に資する行為」という「資する」という部分はかなり広い範囲を含むと解釈する余地があり、ほとんどの行為がこれに当たると考えられることからすると、共謀罪の成立を限定することにはならないと考えられる。
このように、与党の修正案は、共謀罪の本質的危険性を何ら限定するものではないことが明らかである。
与党は、共謀罪法案の今通常国会での成立に全力を尽くす姿勢を示しており、民主党が修正協議に応じない場合には、予算審議明けの3月中旬にも、衆議院法務委員会の冒頭で、与党だけで修正案を提出して質疑応答を行い、強行採決も予想される。
しかしながら、現在の日本の国内情勢について、共謀罪法案の成立を急ぐような必要性は全く認められない。それにもかかわらず、共謀罪法案の成立を急ごうとするのは、共謀罪を強力な国内の治安対策として利用する意図があると疑われても仕方があるまい。
今年も「政治の季節」がやってきた。3月以降、衆議院法務委員会では、与野党の激しい論戦が予想される。今回が本当の意味での「最終決戦」になることも予想される。
私たちは、改めて戦いの陣形を固め、世論を味方にして、国会への圧倒的な反対の声をぶつけるような運動が求められている。
(2006年3月14日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年3月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
宇和島事件の国家賠償請求棄却判決から誤認逮捕の再発防止について考える
2006年1月18日、愛媛県警に窃盗容疑などで誤認逮捕されて1年余り勾留され、後に真犯人の存在が分かったために、異例の無罪論告を経て無罪判決を受けた宇和島市の男性が、国と愛媛県に慰謝料などの支払を求めた国家賠償請求訴訟の判決が、松山地方裁判所であった。
沢野芳夫裁判長は、「自白を強要した事実は認められず、男性に対する疑いがあると判断する合理的な理由があった。真犯人判明後の釈放も理由なく遅れたとはいえない」などとして、請求をすべて退ける原告全面敗訴の判決を言い渡した。
宇和島事件は、真犯人が現れて、明確に被告人が誤認逮捕であることが明らかとなり、検察官ですら無罪弁論をせざるを得なかった事件であり、捜査段階での被疑者の自白が「虚偽自白」であったことが客観的に明らかになった珍しい事案であった。
それにもかかわらず、その責任を追及して国家賠償請求訴訟を提起すると、その訴えが認められないというのでは、改めて、何のための国家賠償制度かと根本的な疑問を抱かざるを得ない。
そもそも、このように国家賠償請求を無意味にするための理論として、最高裁判所が採用している「職務行為基準説」がある。
これは、捜査当時に現に収集した証拠資料や通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、その捜査の結果として行った逮捕・勾留や起訴などは違法性を欠くという考え方である。
これは、芦別事件についての最高裁判所1978年(昭和53年)10月20日第二小法廷判決(民集32巻7号1367頁)以来、最高裁判所が一貫して採用している見解であり、そのために、これまでも多くの冤罪事件について国家賠償請求が斥けられてきている。
宇和島事件の場合には、職務行為基準説によると、真犯人が現れたのは公判になってからのことであるから、捜査段階で、捜査当局が嫌疑があると判断したことには違法性がないと判断したのは適法であることになる。今回の松山地方裁判所の今回の判決は、従来の判例理論を踏襲した判決であり、決して特異な判断を示した判決ではないということになる。
また、この松山地裁の判決では、「自白を強要した事実は認められない」と判断されている。しかしながら、捜査段階における密室の取調室において、虚偽自白を強要されたかどうかについては、その取調べが録画・録音(可視化)されていない現状においては、被疑者・被告人側で立証することは不可能であり、結局、裁判において、「虚偽自白を強要していない」という警察側と原告側との間での「水掛け論」になるだけである。
このように、我が国においては、仮に警察や検察による誤認逮捕がなされても、その法的責任が裁判所において明確に認められてこなかったために、捜査当局においても、本気で誤認逮捕の再発防止に取り組もうとせず、その結果、今なお、全国各地で誤認逮捕を繰り返しているのである。
しかしながら、誤認逮捕は、逮捕される被疑者から見れば、最大の人権侵害である。逮捕されて疑いをかけられて、虚偽自白を強要されるという人権侵害もあるし、逮捕されたことがマスコミによって大々的に報道された場合には、世間から「犯人」との間違ったレッテルを貼られて、ひどい場合には引っ越しや自殺を余儀なくされる場合もあり、被疑者は一生深い傷を負ってしまうこともあるのである。
したがって、誤認逮捕は絶対にあってはならないし、誤認逮捕が間違っても起こらないように最大限の努力をしなければならないはずである。
諸外国の例を見ると、このような誤認逮捕や冤罪が明らかになった場合には、第三者による調査委員会が設けられて、徹底的に誤認逮捕等が行われた原因を追及し、関与した公務員の処分や処罰が徹底的になされることが多い。
また、その調査結果を基にして、そのような誤認逮捕等を発生させないように法律改正を行う場合もある。例えば、オーストラリアでは、警察官の不祥事をきっかけに、徹底した捜査の可視化が法律で導入され、警察官による取調べや捜索・差押え等が全て録画されるようになったと伝えられている。
我が国でも、誤認逮捕については、その事実が明らかになった時点で、警察の内部調査等に任せるのではなく、第三者からなる調査委員会を設置して、徹底的に誤認逮捕の原因を追及すべきである。
そして、その結果を踏まえて、現場の警察官に対する厳正な行政処分(懲戒処分)を行い、そのような行為を行った警察官を現場から追放すべきであるし、それが犯罪行為である場合には厳正に摘発して処罰すべきである。
また、国家賠償請求訴訟については、「職務行為基準説」を捨てて、事後的に誤認逮捕が明らかとなった場合でも公務員の行為の違法性を認める立場をとるべきである。
さらに、取調室に入った時点から出る時点まで、取調官による全ての取調べ過程を録画(可視化)すべきことを法律で規定すべきであり、その規定に反して作成された供述調書の証拠能力を例外を設けることなく否定すべきである。
我が国において、以上のような根本的な改革をしない限り、誤認逮捕はいつまで経ってもなくならなることはないだろう。誤認逮捕を繰り返してきた過去を反省し、そのような悲劇をこれ以上繰り返さべきではない。
2009年に導入される裁判員制度やその他の司法改革に先立って、誤認逮捕が起こらないようにする根本的な捜査の改革ができないようでは、我が国の司法改革は画餅に帰するだけであるし、ほとんど無意味であると評さなければならない。
(2006年1月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年1月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
テロ対策を理由とする警職法改正について考える
新聞報道によると、政府内に「テロ攻撃を未然に防ぐには、警察官らによる立ち入り制限や強制的な職務質問が必要だ」との見方が広がっているとして、重要施設の警備に関する警察官らの権限を強化するために警察官職務執行法(以下「警職法」という)の改正等が検討されているという(読売新聞2004年11月28日付夕刊)。
警職法は、戦前の行政執行法(明治33年制定)を廃止して、戦後、1948年7月に成立・公布され、その後、警察法改正に伴う文言等の改正はあったが、本質的な改正は一度も行われていない。
ただ、1958年に警職法の大幅な改正案が第30回国会に上程されたことがあった。これは、所持品検査ができることを盛り込んだり、保護の対象を拡大したり、警告や制止や立入等のできる場合を「公共の安全と秩序」に対する危害等のおそれを要件として拡大するなどの提案であったが、突然に提案されたこともあり、また、警察に対する不信感が大きかったことも含めて、市民による圧倒的な反対運動の結果、廃案となっている。
今回、警職法の改正案が出されるとしたら、それ以来、実に48年ぶりのことである。
実は、政府は、2004年12月に決定した「テロの未然防止に関する行動計画」において、既に「情勢緊迫時における重要施設等の警備強化」を挙げていた。
そこでは、「国の重要施設や大規模イベント会場等多数の人が集合する施設の警備に当たる警察官等は、職務質問や車両検問等によりテロの防止に努めているが、これらはあくまで相手方の任意の協力に基づくものであることから、警備の実施に様々な困難を生じている。」として、「そこで、警察庁及び海上保安庁は、テロ情勢が緊迫している場合等には、警戒区域を設定し、警察官等が当該区域内において安全確保のために必要な措置を講ずることができること、重要施設等の周辺に立入制限区域を設定することができることなどを内容とする法整備について検討を行い、平成17年中に結論を得る。これを踏まえ、平成18年度に必要な措置を講ずることとする。」と述べられていた。
今回の報道によると、この内容を具体化するために、国内や日本周辺でテロ攻撃のおそれが出てきた場合に、重要施設(首相官邸、国会、原子力発電所、大規模イベント会場、重要港湾施設)などの周辺を警戒区域に設定した上で、その区域内での警察官らによる職務質問や警察施設への同行要請などに強制力を持たせようとするものであり、警戒区域の設定を可能とする新法の制定とともに、警察官らの権限強化については、警察官職務執行法の改正で対応しようとするものであると考えられる(もっとも、2005年12月20日に開催された犯罪対策閣僚会議で配布された「テロの未然防止のための行動計画」の実施状況等に関する一覧表の「情勢緊迫時における重要施設等の警備強化」の欄には、特に立法の予定が何も記載されていないので、当分の間、警職法の改正等の具体的な動きはないとも考えられる)。
警職法2条は、職務質問や警察署等への同行を規定しているが、同条3項は「刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。」と規定して、あくまでも職務質問等は任意であり、強制力がないことを規定している。
これは、警察官職務執行法が、あくまでも行政警察活動を規律する法律であり、司法警察活動を規律する刑事訴訟法が、裁判官による司法的抑制(チェック)を前提として強制処分を認めているのとは異なるためであり、しかも、自己に不利益な供述を強制されないという自己負罪拒否特権が憲法38条1項で保障されているためである。
しかしながら、警職法については、現場において濫用的な運用がなされ、それを裁判所が追認する形で、警察官に対し、かなり広い権限や所持品検査が認められるに至っている。
すなわち、最高裁判所は、所持品検査を一定の範囲で認めたり(最高裁1978年6月20日第三小法廷判決・刑集32巻4号670頁)、一定の範囲での有形力の行使を認めるに至っている(最高裁1994年9月16日第三小法廷決定・刑集48巻6号420頁)。
その結果、職務質問等は任意ではあるとされながらも、事実上の強制にわたる範囲まで認められているのが実情であり、法律改正を要することなく、警察官はその権限の拡大を獲得してきていたのである。
しかしながら、今回報道されている警職法の改正案はこれまでとは明らかに質を異にしている。
すなわち、一定の時期・エリアに限定されるとは言え、警察官に強制力を与えようというのであるから、行政警察活動のあり方を一変させるおそれがある。
司法警察活動については裁判官による司法的抑制という担保が一応あるのに対して、行政警察活動については第三者が一切チェックできないために、警察官による権限濫用や暴走を誰も止めることができなくなり、市民の人権の侵害が一層多発するおそれがある。
したがって、警職法につき報道されているような内容の改正がされれば、その性格を変えてしまい、市民を弾圧するための武器として用いられることになってしまうだろう。
さらに、職務執行や同行に強制力が持たされることになると、それに抵抗する市民に対して、警察は公務執行妨害罪で逮捕するという形での弾圧が現在よりも多発される可能性がある。折しも、法制審議会刑事法部会は、2005年12月に、公務執行妨害罪に選択刑として罰金刑(上限50万円)を新設することを決め、本年の通常国会に刑法改正案が提出される予定である。
罰金刑の新設によって、公務執行妨害罪による処理が容易になることから、公務執行妨害罪による検挙件数がより増加することが予想されるのである。
このように、警職法を改正して、行政警察活動に携わる警察官に対して、職務質問や同行に強制力を与えることは、警察官の権限を強化するだけであり、それと対抗する市民にとっては、正当な運動や活動に対して、警察官が権限を濫用・暴走して、より多くの市民の弾圧を生むというマイナスの結果しかもたらさないと考えられる。
そうであるとしたら、このような警職法の改正に到底賛成することはできないし、1958年の警職法改正案に対する全国民的な反対運動でこれを粉砕したという歴史を踏まえて、警職法改正案を国会に提出することすら許してはならない。
そのためには、私たち市民は、このような動きに対しては、圧倒的な力による反対運動を構築していかなければならない。
(2005年12月24日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2006年1月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
マネロン・テロ資金規制制度の新たな局面を迎えて
2005年11月17日に開催された政府の国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部は、FATF勧告実施のための法律の整備について新しい方針を決めた。
FATF(Financial Action Task Force 資金洗浄に関する金融活動作業部会)は、1989年に開催されたアルシュ・サミットの経済宣言を受けて政府間機関として設置され、1990年にマネーロンダリング規制に関する「40の勧告」を採択し、その後、1996年の改訂を経て、2003年6月に、新たな「40の勧告」を採択している。
その勧告の要点の第一は、これまでは犯罪収益についてのマネーロンダリング規制だけが取り上げられていたが、テロ資金供与に対する規制も盛り込まれたという点と、第二は、これまで金融機関についてだけ認められていた本人確認等の義務や疑わしい取引の当局への報告義務が、弁護士、公証人、公認会計士などにも課せられることになった点である(これらの者は金融システムの「門番」であるとして、これを「ゲートキーパー規制」と呼んでいる)。
2004年12月、政府の国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部は「テロの未然防止に関する行動計画」をまとめ、その中で、FATFの「40の勧告」等を完全実施するため、2005年7月までにその実施方法を検討して結論を出すことにし、法整備を必要とするものについては2006年の通常国会に所要の法律案を提出することを掲げていた。
ところが、冒頭に述べたように、2005年11月17日に開催された国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部は、FATF勧告の実施のために必要となる法律の整備について、(1)法律案の作成は警察庁が行うこと、(2)本人確認法(金融庁所管)及び組織犯罪処罰法(法務省所管)第5章を参考として法律案を作成すること、(3)FIU(金融情報機関)は金融庁から警察庁に移管すること、(4)警察庁は2006年中に法律案の作成を終え、これを2007年の通常国会に提出することなどを決定した。
これまで、我が国における金融機関に対するマネー・ロンダリング規制については、FIU(金融情報機関)は金融庁であり、同庁の「特定金融情報室」が担当部署であったが、今回、これを組織・人員ごと警察庁に移管することを決めるとともに、FATFの勧告を実施するための法律については、金融機関と非金融機関(この中には、公認会計士や弁護士などのゲートキーパーも含まれる)を一括して、一つの法律案を作成することになり、その作成の責任者が警察庁となったのである。これに伴い、当初予定されていた来年の通常国会への法案提出を1年先送りして2007年の通常国会に提出することを決めたのである。
今回の決定は、この問題について、これまでは異なる全く新しい展開を見せるものと言わなければならない。
確かに、金融機関だけでなく、非金融機関、とりわけ、公認会計士や弁護士などのゲートキーパーに対しても、一律にマネー・ロンダリング規制やテロ資金規制を行うためには、従来のように、FIU(金融情報機関)を金融庁のままにしておくことにも無理があることは確かであり、警察庁が情報の大本締めになることは、FATFの勧告を実現しようとする以上は必然とも考えられた。
もっとも、警察庁がFIU(金融情報機関)になって、疑わしい取引の報告先になるとともに、マネー・ロンダリング規制とテロ資金規制をするための業界横断的で一元的な法律案を作成する責任者となったことによって、この制度が、これまでとは大きく性格を変えてしまうのではないかという強い危惧を抱かざるを得ない。
すなわち、新しい制度の下では、マネー・ロンダリングやテロ資金に関するあらゆる情報が一元的に警察庁に集約され、多くの情報が警察庁に集中することを認めるとともに、金融機関から非金融機関、そして、公認会計士や弁護士などに対しても、広い意味での監督を及ぼすことを意味している。これによって、警察はますます権限を拡大して、警察国家化の傾向が一段と強められることは避けられない。
特に、弁護士については、疑わしい取引を報告しなかったことを理由として、弁護士会に対して懲戒処分を求めたり、さらには、報告を怠ったことを犯罪として罰則を設けることも考えられ、その場合には、弁護士は、完全に警察庁の監督下に置かれてしまうおそれすらある。
日弁連は、かねてから、ゲートキーパー規制には反対してきたが、このような立法が設けられる最悪の場合に備えて、より侵害的でない制度として、各弁護士が日弁連を報告先とし、日弁連が各弁護士からの報告を審査した上で金融庁に報告する制度を作ることもやむを得ないと判断して法務省との協議を重ねていた。
しかしながら、日弁連は、FIU(金融情報機関)が警察庁に移管されることが正式に決定された事態を受けて、2005年11月18日付で「今回の政府決定は到底容認できないものであり、国民各層の理解を得る努力をしつつ、諸外国との弁護士・弁護士会と連携し、反対運動を強力に展開していくことを決意する」とい会長声明を発表している。
これは、単に、弁護士や弁護士会の職務のあり方や守秘義務だけの問題ではなく、警察庁を頂点とするこのような制度が、弁護士に秘密のうちに相談できる市民の権利の侵害にも繋がる問題でもあるという認識を広く共有する必要がある。
そして、警察国家化を進めてきた警察庁が、ここでも主導的に立ち回り、大きく権限を拡大しようとしていることに注目しなければならない。
2005年11月28日、大阪地検特捜部と大阪府警は、西村真悟・衆議院議員を、弁護士法違反(非弁護士との提携)の容疑で逮捕した。今後、組織犯罪処罰法違反(犯罪収益収受)容疑でも立件する方針だと伝えられている。
これは、弁護士に対しても、マネー・ロンダリング罪による逮捕や起訴がありうることを示すものであり、そのような前例を作る第一歩とも考えられる。
私たちは、警察の狙いがどこにあるかを見定めるとともに、警察庁に情報が一元化するような新たなマネー・ロンダリング規制・テロ資金規制の制度の新設に対して、強く反対していかなければならない。
(2005年11月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年12月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
特別国会における共謀罪審議から見た共謀罪法案の危険性
今特別国会中の10月4日に三度目の国会上程がされた共謀罪の新設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」(以下「共謀罪法案」という)は、国会に上程された後、衆議院法務委員会において、10月14日に審議入りした後、同月21日、同月25日、同月26日(参考人質疑)と審議が行われ、同月28日も約4時間の審議が予定されている。
10月中旬ころから、マスコミにおいて、与党が今通常国会における共謀罪法案の成立を断念したと報道され、政府・与党は10月24日の連絡協議会で、正式に今特別国会での成立を断念したと報じられている。
この報道によって、反対運動の側の緊張感が多少なりとも削がれたことは確かであり、改めて与党側の世論操作の巧みさを感じる。
ただ、政府・与党は、今特別国会で、共謀罪法案が可決・成立できないとしても、既に共謀罪法案を継続審議にする方針を固めており、来年の通常国会での成立を期すことにしただけのことである。
衆議院の3分の2の議員を与党が占めている国会情勢の下では、今特別国会において共謀罪法案が廃案になることは考えられないし、政府・与党が共謀罪法案の成立を決してあきらめていないことを私たちは改めて確認する必要がある。その証拠に、衆議院法務委員会においては、通常の審議予定日以外である水曜日にも審議が行われ、着々と審議日程をこなしているのである。
ところで、今年の通常国会で一度だけ実質審議が行われた7月12日の審議においても、与党議員からも、共謀罪法案に対する様々な疑問が提起されていたが、特別国会会期中の衆議院法務委員会における審議においても、与党議員も含めて、共謀罪法案に対する数々の疑問が提起され、それに対して、法務大臣や政府参考人から苦しい答弁がなされている。
紙幅の関係で、ここでは、その中から2点取り上げたい。まず、共謀罪が適用される対象となっている団体性の問題について注目すべき答弁がなされている。
衆議院法務委員会で実質審議入りした10月14日には、与党議員からの質疑が行われたが、公明党の漆原良夫議員の質問に対し、大林政府参考人(法務省刑事局長)は、
「団体とは共同の目的を有する多数人の継続的結合体ですので、そのような共同の目的を有する団体として犯罪行為を行うことを意思決定したと考えるためには、犯罪行為を行うことが団体の共同の目的に沿うものでなければならない。すなわち、共同の目的と相いれない場合には、『団体の活動として』という要件を満たさないと解しているところでございます。したがいまして、正当な目的を持って活動している団体につきましては、仮にたまたま団体の幹部以下が組織により行われる具体的な犯罪を共謀したとしても、犯罪行為を行うことがその団体の共同の目的と相いれない場合には、『団体の活動として』という要件を満たさない、このように考えております。」
と述べて、団体性の要件を、団体の目的という観点から厳格に解釈する姿勢を示し、一見すると、労働組合や市民運動団体などはこの要件を満たさないかのように答弁している。
ところが、漆原議員から、団体の性質が途中で変質する場合について質問されて、大林政府参考人は、
「団体の共同の目的とは、必ずしも、設立登記や定款に記載されている目的や、団体が形成された当初の目的のみをいうものではなく、当該共謀が行われた時点における個別具体的な団体の活動実態に照らして判断されることになります。したがって…当初の目的が失われ…犯罪集団化した場合には、共謀罪が成立し得ると考えられます。」
と答弁している。
結局、政府は、団体の共同の目的というのは変化しうるものであり、正当な目的を持って成立し活動していた団体であっても、共謀を行った時点での共同の目的を実質的に判断して、場合によっては共謀罪が成立し得ると述べているのである。
ここでは、共謀罪が対象とする団体を予め限定することは困難であることが示されている。つまり、共謀罪の対象となる団体には、労働組合や市民運動団体も入ってくることを否定していないのである。
もう一点、10月21日には野党議員による質疑がなされたが、社民党の保坂展人議員が質問したことに対して、大林政府参考人(法務省刑事局長)は、いわゆる黙示の共謀でも共謀罪が成立することを認めている。
すなわち、大林政府参考人(法務省刑事局長)は、
「共謀を認定するものはいろいろな形態、先程おっしゃられた順次共謀もあります、それから黙認による共謀もあります。ですから、それが具体的な犯罪に対して、犯罪をしようという主体的な合意である以上は共謀と言えると思います。」、「共謀としては目くばせでも十分共謀が成立する場合はあると思います。」
と答弁している。
これまで、この点はあまり議論されていなかったが、判例が長年にわたって認めてきた共謀共同正犯の理論においては、古くから黙示の共謀は認められてきており、年々、その認定が緩和されてきているのである。
そのため、現在の共謀共同正犯における共謀の認定に当たって、「目くばせ」すらも要求されていないことを知っておく必要がある。
以上の2点については、衆議院法務委員会での議論の中でも、特に注目しておく必要があると思われる。
政府・与党が今特別国会に、共謀罪法案を提出したのは、野党である民主党を巻き込んで修正協議を行うことを想定していたと思われる。
しかしながら、今回、民主党は、与党からの修正協議を拒否し、共謀罪を廃案にして、我が国の刑法原則と条約の本来趣旨に則った処罰規定を設けた抜本的見直し法案を出し直すべきだという原則的な姿勢を最後まで貫いた。この結果、与党としては立ち往生せざるを得なくなり、今特別国会での成立を断念せざるを得なくなったと見ることができるだろう。
それには、この間の多数の市民からの反対の声やマスコミによる批判的な報道、全国各地の弁護士会による反対声明など、世論が与党の暴走に歯止めをかけていることも確かである。
さらに、表現活動に関わっている出版労連や日本ペンクラブが共謀罪の成立に反対する声明を出したことも、政府・与党に対する大きな圧力となっていると考えられる。
最近、アメリカで、反戦運動の運動家に対して共謀罪を適用しようとした刑事事件で、裁判所が無罪判決を言い渡したことが報道されているが、アメリカにおいても、反戦運動の弾圧のために共謀罪が用いられようとしていることが示されている。これは、将来、日本で共謀罪が成立した場合においても、共謀罪が誰に対して適用されるかを予兆するものとして認識しておく必要がある。
共謀罪法案は、部分的に修正すれば成立させても良い、または成立してもやむを得ないという性格の法案ではなく、まさに治安立法であり、本質的に危険な法案である。したがって、このような法案は廃案とされるべきであるし、このような法案が提出すること自体を認めることはできない。
本稿執筆現在、今特別国会の期間中の衆議院での採決はなされない見込みであるが、その場合でも、来年の通常国会においては間違いなく衆議院及び参議院での採決がなされることは避けられない。むしろ、来年の通常国会は本当の意味で最後の戦いの場となることが予想される。
私は、通常国会までに、どれだけ多くの市民の反対の声を集めて、政府・与党が目指す共謀罪法案の成立を阻止することができるのか、私たちの力量が問われている。
(2005年10月28日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年11月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
アメリカのイリノイ州における刑事裁判改革への取り組みに学ぶ
周知のとおり、アメリカのイリノイ州では、ライアン前知事が、2000年に、死刑執行についてのモラトリアムを実施して、死刑制度に関する委員会を設置し、その委員会は、2002年4月に、改善されるべき85項目にわたる提言をしている。
そして、ライアン前知事は、その退任にあたって、167人の死刑囚を終身刑に減刑し、無実と確信した4人を恩赦で釈放していることは広く知られている(なお、ライアン前知事は、皮肉なことに、現在、刑事事件の被告人として、シカゴの刑事裁判所で陪審裁判を受けている)。
私は、2005年9月19日から23日まで、日本弁護士連合会の取調べ可視化実現委員会の代表として、イリノイ州のシカゴを視察訪問してきた。視察の目的は、被疑者の取調べに関する録画制度であったが、改めて、イリノイ州における刑事裁判の改革について色々と学ぶことができたので報告したい。
イリノイ州の改革は、無実の者が死刑判決を受けていたという反省に立ち、どうしてそのような誤判が起きたのか、捜査から判決に至る全ての過程について見直すことによって、85項目にもわたる提言が生まれている。
アメリカでは、陪審制度が採用されて、刑事裁判における有罪・無罪は、市民から選ばれた12人の陪審員によって判断されているが、それでも、誤判が起きる原因としては、取調べの際の捜査官による強制や利益誘導によって被疑者が虚偽自白をさせられているという現実と、目撃証人による間違った犯人識別供述が陪審員に信用されていることの2つが現在においても特に問題であると認識されているようである。
市民である陪審員は、自分がやってもいない事件、とりわけ死刑判決が予想される殺人事件において自白することはありえないと考えており、捜査段階における自白を信用する傾向が強いという。また、陪審員は、目撃証人による犯人識別供述についても信用しやすいという。
イリノイ州においては、この2つの問題についても改革が進んでいる。
まず、2005年7月から、殺人事件については取調べの全過程を記録(録画・録音)することを義務づける法律が施行されている。
これまでも、被疑者の同意を得て、取調べが録画・録音されていたようであるが、今回の法律では被疑者の同意なく記録することができるようにするとともに、捜査官側の義務として規定した点に特徴がある。
私たちは、シカゴ郊外にあるあるシカゴ警察署を訪問して、取調べの記録制度の運用について視察してきた。
シカゴ警察署においては、各取調室にカメラとマイクが埋め込まれ、裁判所に送られるまでの原則四八時間の間、取調室に入った時から出る時までの全ての過程がサーバー(巨大なハードディスク)に電子的に記録され、専用の光ファイバー回線を使って本部に転送され、本部のサーバーで全ての警察署の取調室についての電子的記録が一括して保存・管理されることになっている。
担当の警察官は、自分のデスクにあるコンピュータから本部のサーバーに接続して、その画像を閲覧できるようになっている。これは、イリノイ州の中でもシカゴ警察署だけが、民間会社と協力して、このようなシステムを開発したようであるが、とにかく徹底した取調室の記録システムであることは理解することができた。
ただ、アメリカの警察署には留置場がないために、被疑者は窓もない取調室で寝泊まりし、夜間は電気が消灯されるようであるが、その間も赤外線カメラで記録されるようになっている辺りは、監視社会であるアメリカ的であった。
また、目撃証人による犯人識別供述に関しては、目撃証人がどういう人物であるかということが証拠開示されるように改革されているそうである。これによって、その目撃証人が、いかがわしい人物であったり、たれ込み屋であることなどが分かり、目撃証人の弾劾に役立つとのことであった。
シカゴは、かつてギャングの街と呼ばれたこともあり、さすがにその頃より状況はよくなっているとは言え、まだまだ殺人事件が多数発生するなど、決して治安が良いとは言えず、そのために警察官はかなり手荒で、逮捕後裁判所に送られるまでの間の原則48時間の間に、暴力を含め、あらゆる手段を使って自白を取ろうとするのだという。
この辺りは、日本の警察と体質と非常によく似ていると感じた。それでも、イリノイ州では、新しい法律が作られて、取調室を可視化しようとする試みが始まっている。
一方、我が国では、2009年から裁判員制度が始まろうとしているが、被疑者に対する取調べの方法は旧態依然のままであり、取調べの録画・録音が実現する気配すらない状態である。
弁護士から見れば、日本の刑事司法は、相変わらず絶望的な状況が続いており、上からの「司法改革」はほぼ終わったが、捜査に対する改革は全くなされず、現場では、連日、警察による自白の強要が続いており、「人質司法」と呼ばれる長期間の身柄拘束が当たり前になっている。
シカゴの公設弁護人は、「まだまだ警察はひどいし、可視化されたことで全てが解決するとは思わないが、改革への第一歩にはなると思う」と率直に感想を述べてくれた。
イリノイ州の刑事裁判の改革への取り組みは、我が国における絶望的な刑事司法の改革に何らかの道筋を示してくれているように思われる。その意味で、私たちは、イリノイ州の挑戦に多く学ぶものがあるように思われる。
今回の視察調査は、日本の刑事司法のあり方について、改めて深く考えさせられる有意義な視察であった。
(2005年9月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年10月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
医療観察法の施行後の状況について考える
「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(以下「医療観察法」という)が本年7月15日に施行された。
医療観察法は2003年7月に国会で成立し、2年以内に施行されることになっていたが、その法律によって入院命令を受けた対象者を入院させるための指定入院医療機関の建設が、全国各地で住民の反対運動を受けるなどして大幅に遅れているため、この法律が前提としている「手厚い医療」を受けさせるための環境整備ができず、施行が危ぶまれていた。
日本弁護士連合会も施行延期を求める意見書を公表して施行に反対した。しかし、政府は7月15日を施行日と決め、医療観察法は施行された。
当初は、施行されても、指定入院医療機関が東京の国立武蔵病院だけであり、約30床分しか確保できていないため(10月には岩手県の花巻病院も開設する予定であり、さらに約30床が確保できる予定である)、医療観察法に基づく申立ては抑制的に運用されるのではないかと期待されたが、実際には、八月末の時点で、ある情報によれば、全国で40件もの申立てがあることが判明している。
本年8月27日と翌28日、日本弁護士連合会の刑事法制委員会では、医療観察法に関する夏期合宿を実施して、そこで、医療観察法に基づく審判事件に、付添人として関与している全国の弁護士が集まって経験交流を行った。
そこでは、比較的軽微な傷害事件で、刑事事件として処理されれば起訴猶予や罰金になるような事件について医療観察法に基づく申立てがなされた事案とか、事件後に措置入院となり、もうすぐ措置入院が解除になる見込みとされていた事件について、検察官が不起訴処分にして医療観察法に基づく申立てを行ってきた事案、捜査段階で簡易鑑定が実施され、その中で医療観察法による申立てには適しないと判断されていたにもかかわらず医療観察法に基づく申立てがなされた事案などが次々と報告され、この法律の運用として全く予想もしないような申立てが全国でなされていることが判明した。
全体的な印象としては、医療観察法が予定している「重大な他害行為」(当初は、マスコミに大きく報道されるような大事件を想定していると考えられていた)とは思えない軽微な事案について、全国で申立てがなされていると考えられた。
これは、ある意味において、検察庁が、いわばテストケースとして、全国の裁判所に比較的軽微な事案でも申し立てており、それがどのように運用されるのかを試しているという面はあるように思われる。
また、現在、指定入院医療機関の確保が遅れていることから、早ければ秋の臨時国会にも、医療観察法が掲げていた「手厚い医療」を実施するという理想に基づき、高い医療水準が求められていたが、当面の間、国公立病院を「代用病院」として、指定入院医療機関として扱うことができるという医療観察法の改正案が提出される予定であり、その必要性を訴えるために、意図的に申立件数を増やしていると見ることもできる。
しかし、現在の申立状況から見て、もっとも懸念されるのは、この法律が「保安処分」的に運用されているのではないかという点である。
医療観察法案が国会に提出された際から、この法律は実質的には「保安処分」ではないかという批判はあったが、当初の政府案にあった「再犯のおそれ」という要件が削除され、あくまでも対象者の医療の必要性が要件とされ、対象者の社会復帰のための法律であると何度も説明されてきた。
ところが、施行後の検察官による医療観察法に基づいて申し立てられている事件を見ると、比較的軽微な事件であっても、精神障害を持った対象者を、指定入院医療機関に入院させ、社会から隔離しようとしているとしか考えられないのである。医療観察法による入院には法律上は限界がないことから、対象者をずっと入院させておくことも不可能ではないので、このように申立てが濫用されてしまえば、精神障害者を社会から隔離するために医療観察法が利用されることになってしまい、法律制定時の立法者の説明とは完全に異なり、まさに「保安処分」として運用されることになってしまうのである。
本年9月から10月にかけて、全国各地の裁判所に申し立てられた審判の結論が出ることになるが、そこでどれだけ入院命令が出されるかによって、検察官が意図していると考えられる医療観察法の「保安処分」的な運用を、裁判所が追認するかどうかが明らかになるだろう。その結果によって、「保安処分」的な運用に拍車がかかるおそれがある。
私たちは、医療観察法が決して「保安処分」的に運用されないように、その運用状況を監視し、批判していく必要があるし、秋の臨時国会に提出される予定の医療観察法の改正案に反対してかなければならない。
(2005年9月1日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年9月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
共謀罪を絶対に廃案にしなければならない
共謀罪新設を含む刑法等一部改正案の実質審議が、衆議院法務委員会において、本年7月12日に実施され、与野党の議員から、共謀罪について批判的な質疑がなされた。
その際、民主党議員の委員が、法務副大臣が郵政法案問題で罷免され空席になっている問題を取り上げ、副大臣が不在のままの委員会審議は違法であると追及したことから、衆議院法務委員会は、その後、7月15日、同月19日、同月22日、同月26日、同月29日の審議予定日に、一度も刑法等改正案の審議が行われないまま、空転している。
そのため、新聞報道によると、政府・与党は、刑法等改正案の今通常国会での成立を断念して、継続審議として、秋に予定される臨時国会での成立を目指す方針を固めたと伝えられている(日経新聞7月27日付朝刊)。
もともと、この法案は、2年前の通常国会に提出された後、今通常国会に至るまで、全く実質審議がなされず、当初は、今通常国会において成立しなければ廃案にせざるを得ないのではないかという観測も出ていたところである。しかしながら、この法案は、国連越境組織犯罪防止条約の批准に不可欠であることから、政府・与党としては、秋の臨時国会において、何が何でも成立させる方針をとろうとしているのだと思われる。
しかしながら、本年7月12日の衆議院法務委員会での質疑の内容を見ただけでも、共謀罪の本質的な問題点が浮き彫りになったと考えられる。
例えば、共謀罪の適用の前提となる団体性について、大林宏刑事局長は、「御指摘のとおり、なかなかわかりにくいような規定になっておりますけれども、共謀罪が適用されるのは、犯罪行為を行うことを共同の目的を有する団体として意思決定する、すなわち、犯罪行為を行うことが共同の目的に沿うような団体であり、かつ、団体内部に犯罪実行部隊を持つような団体である場合に限られる、このように考えております。」、「正当な共同の目的のために活動している市民団体や会社等については、仮に、たまたまその団体の幹部がその団体の意思決定として特定の犯罪を実行することを共謀したとしても、組織的な犯罪の共謀罪は成立しないと考えております。」、「言いかえれば、団体が有している共同の目的が犯罪行為を行うことと相入れないような正当な団体については、仮に、たまたまその団体の幹部が相談して犯罪行為を行うことを決定したとしても、共同の目的を有する団体として意思決定したとは言えないため、『団体の活動として、』という要件を満たさず、共謀罪は成立しないと考えております。」と答弁している。しかしながら、この説明は、提案されている共謀罪の構成要件を極めて限定解釈しようとするものであるが、実際の現場の警察官の判断や裁判所の判断で、そのような限定的な解釈が採用される保証はどこにもない。そもそも、このような解釈を示すのであれば、共謀罪の構成要件それ自体を他の解釈の余地がないように限定的な文言で書き直すべきである。
また、刑法の原則を逆転させるものではないかとの質問について、大林刑事局長は、「現行刑法等の処罰法令において、陰謀罪とか共謀罪の対象犯罪となる数はそれほど多くないことは御指摘のとおりでございます。今回、共謀罪をつくるようになったわけです。それは、四年以上という、重大犯罪をそういうふうな定義にしてある条約のために、罪数そのものとしては非常に多くなると思います。そういう意味におきまして、罪数だけを見れば、原則と例外がひっくり返ったように見える、このような御意見もあろうかと思います。ただ、先ほどから御説明しているとおり、今回のものは国際的な条約に基づく要請であること、それから暴力団等の団体あるいは不正権益の要件を重ねたということで、そこには厳しい縛りがかかっています。ですから、そういう適用の場面といいますか、そういうものについて私どもはそれほど急激に多くなるというふうに考えているわけではございませんので、委員おっしゃるように、原則と例外と言われると、なかなか私どもも断じがたいんですけれども、そういう国際的な要請も踏まえて、そういう要件を付した共謀罪であるということで、ぜひ御理解をいただきたいと思います。」という苦しい答弁をしている。ここでは、共謀罪が近代刑法の原則と例外がひっくり返ったように見えることを否定していない(否定できない)のである。
ちなみに、現時点において、共謀罪が適用される対象犯罪は619の罪であると説明されているが、いかなる犯罪においても、その法定刑が長期4年以上であれば全て対象犯罪となるから、今後も新しい刑事立法ができる度に、その対象犯罪は増え続けることになるのである。
さらに、思想処罰につながるのではないかとの懸念について、大林刑事局長は、「日本の処罰法は着手行為から処罰しているものが基本的に圧倒的に多いわけでございます。先ほどから御説明していますように、共謀罪については、その適用についていろいろな条件をつけているわけでございますけれども、委員御指摘のとおり、思想的なものを処罰するのではないかという、このような議論があることは私どもも承知しておるところでございまして、この罰則の適用については、当然そういう批判を招かないような適正な捜査なり手続なりがやはり必要であるというふうに考えております。」とここでも苦しい答弁をしている。ここでは、「適正な捜査なり手続なりが必要である」と認めているが、裏を返すと、共謀罪という実体法に対して、適正でない違法な捜査や手続が行われれば、思想処罰に繋がることを否定していないのである。
このように、たった一度行われただけでの衆議院法務委員会の審議だけからしても、共謀罪が持っている根本的な問題が明確になったと考えられる。
そして、衆議院法務委員会で質問をした委員は、与野党を問わず、政府原案のままでよいと思っている委員は誰もいないということも明らかになったのである。
そうであるならば、筋としては、政府が提出した共謀罪新設を含む刑法等改正案は、今通常国会で廃案にすべきである。これを「継続審議」にするということは、与党としても筋が通らないと言わざるを得ない。
ところで、政府は、共謀罪の新設については、国連越境組織犯罪防止条約の批准のために不可欠であると説明しているが、この条約は、先進国ではカナダやフランスは批准しているが、アメリカ、イギリス、ドイツなどはまだ批准していないのであり、日本としても、批准を特に急ぐ必要はないと考えられるのである。
共謀罪の新設は、国民の思想信条の自由や表現の自由の侵害をもたらすおそれがあるのであるから、我が国が、そのような憲法違反の危険な条約を批准する必要があるのか否かという点も含めて根本的に検討すべきである。
ようやく、新聞・雑誌を含めたマスコミが、共謀罪の危険性に気づいて、報道が活発になされるようになってきた。超党派の議員や表現者や市民からも、共謀罪の廃案に向けた動きが活発化している。
何としても、共謀罪新設を含む刑法等一部改正案を廃案に追い込まなければならない。
(2005年7月30日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年8月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
新たな出入国管理体制と生体情報収集について考える
昨年12月に政府が策定した「テロの未然防止に関する行動計画」を受けて、外国人の入国時に指紋採取と顔写真撮影を義務づける入管法改正を検討していると伝えられている。
これを具体化するものとして、自民党は、本年6月15日、「新たな入国管理施策への提言」をまとめて、細田官房長官に提出している。
この提言は、「善良な外国人は温かく受け入れ、悪質な外国人に対しては厳しく対処する」ことを目標として掲げ、テロリストなどの入国を阻止するため、外国人(特別永住者を除く)の出入国時に指紋採取を行い、国際手配者のブラックリストなどと瞬時に照合し、悪質な外国人の出入国を水際で阻止するとともに、中長期的な滞在者(特別永住者を除く)には、将来的に現在の外国人登録証に代わる指紋などの生体情報を搭載した「IC在留カード(仮称)」の取得と携帯を義務化することを内容としている。
そして、日本人も含めた希望者には、指紋などの生体情報を搭載した「IC出入国カード(仮称)」を発行し、出入国の際に「自動化ゲート」を利用してもらうことで手続きの簡素化・迅速化を図り、指紋情報などは、「インテリジェンス・センター」を構築して、出入国関連情報を一元的に管理するよう求めている。
かつて、外国人に対する指紋押捺制度は人権に対する配慮から廃止されたが、今回の自民党の提言は「テロ対策」の名の下に復活するだけでなく、外国人に対しては、外国人登録証に代えて、ICチップ入りのカードを携帯させ、そこに指紋などの生体情報を入れるという。
また、驚くべきことに、日本人についても、指紋などの生体情報を入れたICチップ入りの「出入国カード」を発行することにし、指紋などの生体情報については、外国人と日本人の両方について一元的に管理することを考えているというのである。
この点については、本年6月17日に、村田国家公安委員長が、閣議後の記者会見で、自民党の前記提言を受けて、「まず日本人がやることで、外国人にも『お願いできますか』となっていく」と述べて、日本人の指紋情報等の登録の必要性を強調したと伝えられている。
既に、テロ対策の一環として、生体情報を記録する「IC旅券」(パスポート)を導入するための改正旅券法は、本年6月3日の参院本会議で全会一致で可決し成立しており、政府は来年3月からIC旅券を発給する予定であるとも伝えられている。
このように見てくると、「テロ対策」と称して外国人の出入国管理をするという話が、日本人の指紋などの生体情報の登録の話にすり替わっていることが分かる。しかも、その論理が、村田国家公安委員長によると、「外国人も日本人も平等に」というのである。
これらは、まさに政府がこれまでやりたかったことを、「テロ対策」を理由に、まず、外国人をターゲットにし、それを「外国人もやるのだから、日本人も」という論理を使って実現しようとするものと言わざるを得ない。
そして、我々市民としては、「テロ対策」のためだから仕方がないという形で抵抗しにくくしているのである。
しかしながら、翻って考えると、「テロ対策」は何かが問われなければならない。また、「テロ対策」のために、どうして日本人の指紋などの生体情報が必要なのかが問われなければならない。
政府は、来日する外国人だけでなく、日本国民の指紋等の生体情報を収集して一元管理することによって、日本国民に関する情報を完全に掌握し、管理することができるようになることを目指している。
既に、これまでも、様々な方法で、国民に関する情報を集積してきているが、指紋を含む生体情報は、いわばその総決算とも言うべきものである。そして、それは、「テロ対策」などではなく、別の目的で利用されることになるであろうことも明らかであろう。まさに、監視国家の完成とも言うべきものである。
私たちは、「外国人も日本人も」という論理に対抗するためには、外国人に対する規制を他人事のように見るのではなく、外国人に対する規制にも反対していかなければならないはずである。
そして、政府・自民党が進めようとしている監視国家化の動きに対して、強く反対していかなければならない。
(2005年6月28日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年7月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
共謀罪等の国会審議入り必至の情勢を迎えて
いわゆる共謀罪の新設等を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」が、いよいよ、6月中旬ころまでに、衆議院法務委員会において審議入りしようとしている。
共謀罪を含む刑法等の一部改正案は、当初、2003年3月に国会に提出されていたが、それ以来、一度も法務委員会で審議されることなく、現在に至っていた。途中で、衆議院の解散に伴って廃案になり、現在の法案は、昨年2004年3月に、サイバー犯罪条約の国内法化のための刑法等の改正案を追加して、再提案されていたものである。
今通常国会も、当初予定されていた会期までであれば、この法案について審議入りすることなく会期末を迎えられる情勢であったが、小泉首相が公約として掲げる郵政民営化法案の審議のために、本年8月中旬ころまでの大幅な会期延長が予定されており、法務委員会で審議予定の法案が順調に審議を終えていることから、今通常国会での審議入りが確実となっているのである。
今通常国会の会期の前後から、与党側においては、特に共謀罪について、政府案のままで成立させるのは困難と考えて、共謀した者のうちの一人が「準備のためにする行為」をした場合に共謀罪として処罰することができるとする修正案を作成し、民主党に提案したと伝えられていた。
しかし、今までのところ、民主党ではその修正案を受け入れることなく、与党と民主党との修正協議もなされまま現在に至っている。
そのような中で、民主党の簗瀬進議員(ネクストキャビネットの法務大臣)は、本年4月20日の参議院本会議における法務大臣に対する代表質問において、「憲法の保障するすべての人権の出発点が憲法19条の内心の自由であります。内心は自由である、内心は罪に問われるべきではない、その基本思想が刑法典に反映した結果、犯罪の実行行為に着手する前の段階で罪に問う予備陰謀罪は現行刑法ではたったの6つしか認めておりません。国連越境犯罪防止条約の国内法化を図るいわゆる共謀罪法案は、前々国会から継続中でありますが、これをそのまま成立させては、共謀関係をむしろ原則化し、刑法の大原則どころか憲法19条を形骸化し、安易な警察権力の発動を導くことによって、この国の自由な精神社会は根本からむしばまれていきます。それで良いはずがありません。」として、「その重要な歴史的意義をどう認識しているのか、また法案審議をリードしていく大臣としての基本的な指針をどう考えているのか」と質問している。
これに対して、南野法務大臣は、「犯罪の国際化等に対処するための刑法等改正案は、近年の犯罪情勢にかんがみ、国際的、組織的な犯罪やハイテク犯罪に適切に対処するための法案であり、我が国の治安の回復のみならず、国際協調の観点からも極めて重要な意義を有しております。この法案が定める共謀罪は、特定の組織的な犯罪を実行しようとする具体的、現実的な合意をする行為を処罰するものであり、人の内心や思想を処罰するものではありませんが、御指摘の点も含め、十分に御審議いただきたいと思っております。」と答弁している。
このやりとりは大変に興味深い。簗瀬議員の質問は、共謀罪の本質の核心をずばりと突いた迫力のあるものであった。これに対する南野法務大臣の答弁は、いかにも官僚的な内容に終始していることがよく分かる。
ところで、南野法務大臣の答弁のうち、「人の内心や思想を処罰するものではありませんが」という点に注目したい。
そもそも、現在の民主主義国家において、「人の内心や思想」そのものを処罰する法律は憲法に違反するから作れないのは当然である。
共謀罪も、表面的には、「当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行」を「共謀」する行為を処罰するという形式をとっている。しかし、組織に関わる人と人のコミュニケーションそのものを処罰の対象とすることから、その背後にある「人の内心や思想」を間接的に処罰することになるという点に共謀罪の本質があるのである。南野法務大臣の答弁はその批判に正面から答えないでただ逃げるだけなのである。
共謀罪の新設は、1999年8月に成立した盗聴法(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)に匹敵する悪法の新設に他ならない。そして、共謀罪の新設が国会で承認されれば、次は、共謀罪の捜査のための盗聴法の対象犯罪の拡張は必至である。
今まさに、人の内心や思想を国家が犯罪として処罰することを可能にする権限を私たち市民が国家に与えるかどうかが問われている。
衆議院法務委員会での審議入りという情勢の中で、私たちが反対の声をあげて、どれだけ国会を包囲するような反対運動を構築できるかが問われている。
(2005年5月31日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年6月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
国連第11回犯罪防止会議に参加して
本年4月18日から25日まで、タイのバンコクにおいて、国連の第11回犯罪防止会議が開催された。
国連犯罪防止会議は、1955年から5年ごとに開催されているが、国際的・国内的の両レベルにおける犯罪防止ならびに犯罪者処遇の理論と実践に重大な役割を果たしてきた会議である。私も、NGOとして参加した日本弁護士連合会の代表の一人として、この会議に参加した。
最近は、会議が開催される毎に、一つの宣言を採択することになっており、今回の会議でも、最終日の4月25日に「バンコク宣言」が採択された。
今回の国連犯罪防止会議で取り上げられたテーマは、実に多岐に亘っており、組織犯罪、テロリズム、サイバー犯罪、マネーロンダリングを含む経済犯罪、修復的司法、被害者問題などであった。
会議の最後に採択された「バンコク宣言」は、これらの問題について、国家が協調して取り組んでいくことを確認する内容となっている。
今回の会議では、前回の2000年のウィーンでの犯罪防止会議の後、2001年9月11日のアメリカに対する同時多発テロ事件が発生したこともあり、会議の全体を通して、組織犯罪とテロリズムを直接結びつけて、両者を表裏一体のもののように捉えた上で、それに対して、各国が協調して、厳しい規制を実施していく必要性が叫ばれたという点に特徴がある。そのため、組織犯罪があたかも全てテロリズムであるかのような論調が支配していた。
国連は、これまで、人権保障に関わる様々な条約や基準規則(Standards and Norms)を制定してきている。重要なのは、犯罪防止のために強力な規制が必要であるとしても、その取締りの過程で市民の人権を侵害することがあってはいけないという点であり、犯罪取締りの要請と人権保障の要請との間で調整が不可欠であるという点である。
ところが、最近の国連犯罪防止会議は、国家間による会議に変質してくる中で、法執行機関による取締りの論理だけが語られる場となり、人権保障という観点が徐々に片隅に追いやられつつある。
それは、最近の国連犯罪防止会議に、世界的な人権NGO(アムネスティなど)があまり参加しなくなってきたこととも関連する。それは、最近の国連犯罪防止会議において、会議などの場からNGOが排除されたり、会議での発言の機会を奪われ、また、会議の最後に採択する宣言案の審議に関する情報提供もほとんどなされないために、世界的に有名なNGOが、国連犯罪防止会議に参加しなくなってきている。今回のバンコクでの犯罪防止会議においても、その傾向はより強まっていた。そのために、NGOが異論を唱えることも少なくなり、ますます、法執行機関による取締り一辺倒の議論がまかりとおることになってしまっている。
ところで、今回の国連犯罪防止会議はアジアで開催されたということもあり、日本政府は大変力を入れており、松尾邦弘・検事総長をはじめ多数の代表団を派遣していた。
松尾検事総長は、ハイレベルの会議に参加して、「越境的な組織犯罪は増加しており、テロリズムは、日々の脅威となっている。情報技術の進歩は、生活水準を高めるとともに新しい犯罪を発生させている。効果的にこれらの問題を扱うために、国際的に協調することは極めて重要である。」、「テロリズムは、世界の平和と法の支配に対する深刻な挑戦を提起したため、国際社会は、一致団結した態度をとる必要がある。核兵器テロの抑圧のための最近なされた国際協定の採択を歓迎する。」、「日本は、既に、すべての12の国際的なテロに対する条約と議定書を履行している。」、「日本は、2004年にテロ対策に関する行動計画を採択し、埋め込み式のチップに生体情報を登録可能なパスポートの導入のような法案の制定を推進している。」などと述べている。ここには、今後、日本において、テロ対策を国際社会と協調しながら、強力に推進していく強い決意が語られている。
松尾検事総長が述べているとおり、既に、日本政府は、昨年12月に、「テロの未然防止に関する行動計画」を決定しており、その実現に向けて、様々な法改正が予定されている。その中には、ICパスポートの導入(今通常国会にそのための「旅券法及び組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律案」が提出されている)や、外国人に対する指紋と顔写真の採取等、問題の多い法改正が目白押しである。
いずれにしても、今回の国連犯罪防止会議では、「テロリズムに対する戦い」をキーワードにして、強力な法規制の必要性が確認され、その推進が合意された。この傾向は、もはや全世界的なものであり、無視することはできない。
前述したとおり、国連犯罪防止会議は、現在の刑事司法の国際的な動向を決定づける重要な会議であり、これは今後の日本の刑事立法のあり方を示すものと受け止めなければならず、私たちはその動向を「バンコク宣言」や各会議での議論を冷静に分析することが求められている。
(2005年4月28日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年5月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
取調べの可視化は実現するか
昨年、「司法改革」に関連する各種の法律が成立した。刑事裁判関係では、昨年の通常国会(第159回)において、刑事訴訟法の一部を改正する法律案と裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案がいずれも成立しており、刑事訴訟法の改正は今年の秋にも施行される予定となっている。
ところで、一連の刑事司法改革が全く手を付けなかった分野がある。それは、捜査のあり方に対する規制である。今回の刑事訴訟法改正で、被疑者に対する国選弁護人制度は設けられたが、警察や検察による捜査のあり方に対する規制は何ら設けられていない。
しかしながら、日本の刑事司法において、最も問題なのは、捜査段階において、代用監獄に長期間身柄を拘束した上で、密室の取調べにおいて、被疑者に対して自白を強要する取調べがなされているという点である。
これは、本年3月10日、いわゆる横浜事件について東京高等裁判所が、横浜地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をしたが、その決定中においても、警察官によって、拷問がなされ、その影響下に自白がなされたことが認定されているが、その実態は、実は現在においてもそれほど変わっていない。さすがに拷問はしないにしても、精神的な意味での「拷問」と言えるような取調べが行われており、自白が強要され続けているのである。
そして、「自白」の任意性を否定しない我が国の専門裁判官による裁判によって、その自白を根拠として、次々と有罪判決が出され、無実の者の冤罪事件が後を絶たないのが現実である。
しかるに、今回の「司法改革」では、その点の改革には全く触れないで、それらの問題は全て現状維持か先送りで済まそうとしているのである。
ところが、ここ最近、「取調べの可視化」が叫ばれるようになった。
すなわち、取調べの全過程の録画又は録音して、取調室で果たしてどのような取調べが行われているかを事後的に検証できるようにしなければならないという主張である。
日本弁護士連合会でも、一昨年には、「取調べの可視化実現ワーキンググループ」が設置され、昨年にはそれが「取調べの可視化実現委員会」となって、その導入を求める運動を続けている(私もその一員である)。そして、最近では、特に、裁判員制度による裁判との関係で、その必要性が叫ばれている。
ところで、現在、刑事訴訟法改正に伴い、刑事訴訟規則の改正作業も行われているが、最近、最高裁判所規則制定委員会の準備会において、最高裁事務総局が示した要綱試案の中には、「取調べの可視化」に関連して、「取調べの状況に関する立証(法第三百二十二条等関係)」として、「検察官は、被告人又は被告人以外の供述に関し、その取調べの状況を立証しようとするときは、できる限り、取調べの状況を記録した書面その他取調べ状況に関する資料を用いるなどして、迅速かつ的確な立証に努めなければならないものとすること。」との規定がある。
この「その他取調べ状況に関する資料」が何を指すか判然としないが、もちろん、取調べの全過程を録画又は録音している媒体が存在していればそれが提出されればそれが該当するとして、今のところ、法務省・検察庁は、取調べの可視化を実現するとは明言していないし、検察官による努力義務に留められている点も不徹底であり、このような中途半端な規定を設けることには疑問がある。
もっとも、本年2月23日に実施された全国の高等検察庁の検事長や地方検察庁の検事正が集まる検察長官会同において、松尾邦弘検事総長は、「限られた時間内で、供述調書の任意性、信用性を効果的に立証する方法を検察の現場で徹底的に議論してもらいたい」と指摘し、「裁判員制度を前提とすると従来の方法でいけるのか、抜本的な対応が必要であれば、これも議論していかなければならない」と、「可視化」も念頭に置いた発言をしたと報じられている(読売新聞2月23日付)。
テクノロジーがどんどん進歩する中で、技術的には、取調室に録画装置を設置することによって、その密室性を奪うことは極めて容易である。警察や検察が、捜査のためにテクノロジーを使った「科学的捜査」を展開しようとするのであれば、警察や検察が行う取調べについても、テクノロジーを使って「可視化」することも絶対に必要であると言わなければならない。
アジアの中でも、香港や台湾では、取調べの可視化が実現しており、隣国の韓国でも試験的な運用が続けられている。
もはや、日本だけが、いつまでも、密室における自白の強要を許容するような前近代的な取調べを温存し続けることは許されない。
政府による「上からの」司法改革では完全に忘れられていた取調べの密室性の打破を実現し、警察や検察の捜査に対して法的に規制を行うことはもはや不可欠である。
今秋の刑事訴訟法改正の施行に向けて、この点の実現が図られないのであれば、我が国の刑事裁判の後進性を変えることはできず、今後も、自白が強要されて冤罪が作られ続けることになると言わなければならない。
(2005年3月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年4月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
日米新軍事同盟と日本の戦争国家化について考える
日米両政府は、本年2月19日、ワシントンで、安全保障協議委員会を行った。
アメリカ側はライス国務長官、ラムズフェルド国防長官が出席し、日本からは町村外相、大野防衛庁長官が出席した。そこでは、「共通戦略目標」なるものを合意し、共同宣言を発表したと伝えられている。
その内容は日本のメディアでは正確に報道されていないが、「日刊ゲンダイ」によると、その核心は、日米軍事同盟を、日本周辺だけでなく、地球規模に拡大し、アメリカの戦争に協力するものである(同2月23日付1、2面)。
すなわち、1996年の日米安保共同宣言で、アジア・太平洋地域に拡大した軍事同盟を、国際テロを名目に地球規模に広げるものであり、新たな日米軍事同盟宣言であると指摘されている。
昨年から、日本のキャンプ座間(神奈川県)を、在日米軍を統括する前線統合司令部にする構想が浮上するとともに、日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)の改定が話題に上るようになっていた。しかし、日米安保条約の改定は日本国内を刺激しずきるとして、これを改定しないで、行政担当者の共同宣言という形で実質的にその内容を改定する方向を探っていたようである。
その結果が今回の共同宣言であるが、その内容は、まさに新軍事同盟という名にふさわしい内容であり、日米安保条約について、新しい段階を迎えるものである。
しかしながら、その内容は、明らかに、集団的自衛権の行使を認めるもので、憲法9条に違反するものである。
もっとも、自衛隊は、これまで、アメリカ軍の「後方支援」という名目で、テロ対策特別措置法(2001年)によりインド洋に派兵され、イラク復興特別措置法(2003年)でイラクのサマワへ派兵されている。今回の共同宣言は、そのようななし崩しの集大成とも言え、外堀を埋めて、憲法9条の「改正」に拍車をかける意味もあるのかもしれない。
それにしても、このような日米新軍事同盟が、国会で全く議論されることもなく、しかも、その実態が日本のマスコミでも報道されることがないという点は極めて問題である。
海外のマスコミは今回の日米共同宣言が日米の軍事同盟の新たな段階を迎えたことを報道している。ところが、日本では、北朝鮮問題と台湾問題に関する合意を伝えた程度で、日米軍事同盟が地球的規模に拡大したことを伝えようとしていない。まるで、既に有事事態における報道管制でもあるかのようである。
元外交官の天木直人氏は、そのブログにおいて、「『共通戦略目標』は、米国による、米国の為の、米国の安全保障政策であることがわかる。それは平和憲法を持つ日本の本来の安全保障政策とは正反対の目標である。」、「『共同戦略目標』で示されている一連の対米協力はあきらかな憲法違反であり、日米安保条約の性格を一変するものだ。もし小泉政権が、この宣言のとおり日米軍事同盟の強化がこれからの日本の安全保障政策であると考えるのであれば、何故正々堂々と憲法を改正し、日米安保条約を変更してこれを行わないのか。共同宣言という行政担当者の宣言で、憲法を超えた政策を公約する事はあまりにも越権である。」と述べているが(天木直人氏の「マスメディアの裏を読む」2月21日付)、全く同感である。
いずれにせよ、今回の日米新軍事同盟により、いよいよ、日本は戦争国家への道をまっしぐらに走り続けることになる。
既に、有事立法の完成によって、いつでも戦争できる国に向けた法制度はほぼ完成していたが、この新軍事同盟によって、日本は、いつでも戦争ができる国になったのである。
アメリカは、イラクの次はイランへの戦争を準備していると伝えられている。また、台湾独立問題をめぐって、中国との戦争の可能性もあると伝えられている。
そのような状況を踏まえて、今回の新軍事同盟によって、日本の自衛隊が、アメリカ軍と一体となって、それらの戦争へ派兵されることは必至である。
私たち国民は、このような日本の軍事国家化に対して、今こそ反対の声を挙げなければ、戦前のように、反対の声すら挙げられなくなることを銘記する必要がある。
今通常国会では、戦争反対の声を封殺するための共謀罪の新設や、「凍結」と言いながらメディア規制規定を残した人権擁護法案などの審議が予定されており、まさに、戦争国家化に向けた政府の動きに抗する闘いが今ほど求められている時はない。
(2005年2月24日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年3月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
ビラ配りの刑事事件弾圧について考える
いわゆる立川反戦ビラ入れ事件について、東京地方裁判所八王子支部は、昨年(2004年)12月16日、住居侵入罪に問われていた被告人3名に対して、無罪判決を言い渡した。
この事件は、昨年1月と2月に、立川市内の防衛庁立川宿舎の各室の玄関ドアの新聞受けにビラを投函する目的で、共謀して、その敷地内に入ったことが住居侵入罪にあたるとして、立川自衛隊監視テント村のメンバーの3名が逮捕され、その後、起訴されて審理が続けられていたものである(事件や裁判の経過については、最近出版された宗像充『街から反戦の声が消えるとき−立川反戦ビラ弾圧事件−』樹心社に詳しい)。
東京地方裁判所八王子支部(長谷川憲一裁判長)の判決は、被告人らの行為が住居侵入罪の「侵入」の構成要件には該当することを認めた上で、「被告人らが立川宿舎に立ち入った動機は正当なものといえ,その態様も相当性を逸脱したものとはいえない。結果として生じた居住者及び管理者の法益の侵害も極めて軽微なものに過ぎない。」、「被告人らによるビラの投函自体は,憲法21条1項の保障する政治的表現活動の一態様であり,民主主義社会の根幹をなすものとして,同法22条1項により保障されると解される営業活動の一類型である商業的宣伝ビラの投函に比して,いわゆる優越的地位が認められている。そして,被告人らの本件ビラ配布と同様の態様でなされた商業的宣伝ビラの投函に伴う立ち入り行為が何ら刑事責任を問われずに放置されていることに照らすと,被告人らの各立ち入り行為につき,従前長きにわたり同種の行為を不問に付してきた経緯がありながら,防衛庁ないし自衛隊又は警察からテント村に対する正式な抗議や警告といった事前連格なしに,いきなり検挙して刑事責任を問うことは,憲法21条1項の趣旨に照らして疑問の余地なしとしない。」と述べ、「被告人らが立川宿舎に立ち入った行為は,法秩序全体の見地からして,刑事罰に処するに値する程度の違法性があるものとは認められないというべきである。」として、違法性阻却を認めて、無罪判決を言い渡している。
この判決は、基本的には、従来の裁判例が住居侵入罪についての判断で示してきた解釈を前提としつつ、反戦ビラの配布行為をあえて住居侵入であるとして刑事事件として弾圧した警察・検察のあり方に対する批判も含め、丁寧な判断がなされているもので、良い判決であったと評価することができるだろう。
ただ、反戦ビラ配布のために、防衛庁立川宿舎の敷地内に入った行為が「住居侵入」の構成要件には該当すると判断され、動機や侵入の態様等を総合的に判断される違法性の問題に収斂させられたことにより、弾圧の現場においては、今後も、住居侵入罪に該当するとして検挙される事例が現れることを否定することはできなかった点は残念であるが、これは、むしろ、刑事法研究者の怠慢と言うべきであろう。
かつて、藤木英雄教授は、主として労働事件を想定して、「可罰的違法性の理論」を主張した。それは、刑罰を科するに値しないような軽微な事件で可罰的な違法性がないと認められる場合には、そもそも、構成要件該当性が否定されるべきであるとする学説を主張した(藤木英雄『可罰的違法性』学陽書房、『可罰的違法性の理論』有信堂)。
これは、住居侵入罪について、軽微な事件については「侵入」という構成要件に該当すること自体を否定するもので実践的な主張であったが、その後の刑事法研究者の間では主流にはならなかったという経過がある。
今回の八王子支部の判決も、この流れを受けて、「侵入」の構成要件該当性は認めた上で違法性は否定するという形式になっていると言える。
ところで、検察は、東京地方裁判所八王子支部の無罪判決に対して、昨年12月24日、控訴した。
また、その前日である昨年12月23日には、東京都葛飾区内のマンションにビラを配布する目的で各戸にビラを配布していた男性が、その住民によって住居侵入の現行犯として私人により逮捕されて警察に引き渡された後に勾留され、本年1月12日に、東京地方検察庁が東京地方裁判所に住居侵入罪で起訴している。東京地方検察庁では、起訴の理由について「具体的な事実関係から違法性が高いと判断した。住民がどれだけ不安を覚えたかという処罰価値も考慮した」と述べていると伝えられている。
かつて、労働争議の中で、労働者側が住居侵入罪として検挙され弾圧されたことは多かったが、市民が政治的な内容のビラを配布することが住居侵入罪として検挙され弾圧されることはほとんどなかったと思われる。
それは、ビラの配布行為は、市民によるもっとも基本的な表現活動であり、それに対して、国家権力が介入し弾圧することは、民主主義国家を標榜する我が国としては、さすがにためらわれたのであろう。
しかし、最近になって、特に反戦を内容とするビラの配布行為が次々と弾圧の対象となっていることは、警察や検察の方針が明らかに変更されたことを意味していると理解しなければならない。
それは、我が国が既に有事法制を整備し、いつでも戦争ができる体制を整えようとしていることと決して無縁ではない。来るべき有事の事態に備えて、警察や検察は、政府の方針に反対する市民の言動についても取り締まる体制を整えつつあると思われる。
今回の住居侵入罪による刑事弾圧はその先駆けに過ぎない。今後も、弾圧するための新規の刑事立法の動きとともに、既存のありとあらゆる法律を駆使して、政府に反対する市民に対する弾圧を強めることが強く予想されるのである。
したがって、私たち市民としても、今回の弾圧を他人毎として捉えるのではなく、私たち全体に対する弾圧と捉えて、これに対処するための体制を整える必要があるとともに、警察や検察の動きを注視し、不当な弾圧に対して圧倒的な抗議の声を挙げていかなければならない。
(2005年2月1日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年2月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
政府のテロの未然防止に関する行動計画について考える
政府は、2004年12月10日、首相官邸で「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」(本部長・細田博之官房長官)を開いて、「テロの未然防止に関する行動計画」を決定した。同月14日、犯罪対策閣僚会議において報告され了承されている。
同行動計画の「第1 はじめに」には、「国際テロをめぐる情勢は…依然として厳しく、その我が国への脅威は決して過小評価してはならない。また、国際テロをめぐる情勢は刻一刻と変化していることから、その変化に応じて、我が国のテロの未然防止対策は、不断の見直しが行われなければならない」との認識が表明されており、それを前提として、このテロ対策が検討されたことが明らかにされている。
この間、政府は、2004年8月24日の閣議決定により、国際組織犯罪等対策推進本部を、国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部に改組して、国際テロの未然防止対策の検討をその正式な課題とするとともに、同推進本部は、同年9月3日の会合において、我が国におけるテロの未然防止に向けた制度や体制等について点検を行い、問題点を洗い出すこと、その改善策を2004年内に取りまとめ、期限を切って問題点の解消を図ることで合意し、その合意に基づいて具体的な検討を行い、同行動計画の「第3 今後速やかに講ずべきテロの未然防止対策」において、16項目の具体的対策を明らかにして、その方向性と期限を示している。
同行動計画の内容は多岐にわたっているが、それを整理すると、(1)ヒト・モノ・カネの規制、(2)重要施設等の安全確保、(3)情報の収集・管理に大別することができる。
以下、その内容を具体的に紹介すると、ヒトの規制としては、入国審査時等における指紋採取等、テロリストに対する入国規制、航空機の長等による乗客名簿の提出等、ICPO の紛失盗難旅券データベースの活用、航空会社等による乗客の旅券確認、文書鑑識指導者の海外派遣等、宿泊業者による宿泊客の本人確認等が挙げられ、モノの規制としては、病原性微生物等の保有の届出、爆発物等の輸入管理の強化が挙げられ、カネの規制としては、FATF 勧告の完全実施に向けた取組み、テロリスト等の資産凍結の強化が挙げられている。
また、重要施設等の安全対策として、情勢緊迫時の重要施設等の警備強化、空港及び原子力関連施設の制限区域への立入者の適格性チェック、核物質防護対策の強化、スカイ・マーシャル(警察官による航空機警乗)の導入によるハイジャック防止が挙げられている。
情報の収集・管理については、今回のテロ関連情報の収集強化、テロ未然防止の基本方針等に関する法制、テロリスト及びテロ団体の指定制度が挙げられるとともに、今後検討を継続するものとして、テロ防止目的による通信の行政傍受、テロリストの無令状拘束が挙げられている。
このように見てくると、政府の「テロの未然防止に関する行動計画」は、アメリカで起きた9.11の後に立法化されたのいわゆる愛国者法(Patriot Act)の日本版を目指しているということができるだろう。
アメリカの愛国者法は、世界の中でも、もっとも民主主義的な国だと考えられたアメリカにおいて、「テロ対策」という市民が極めて反対しにくい名目で、これまで市民が勝ち取ってきた権利や自由を、容易に剥奪することができる法律が作られたという点に特徴を有している。
しかしながら、そもそも、我が国において、「テロ」とは何かという明確な定義はない。200年に制定されたいわゆるテロ資金供与禁止法(公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律)においても「テロ」という用語は使用されておらず、「公衆等脅迫目的の犯罪行為」の定義として、「公衆又は国若しくは地方公共団体若しくは外国政府を脅迫する目的をもって行われる犯罪行為」のうち、人を殺害したり、航行中の航空機を墜落させたり、爆発物を爆発させる等の行為であると定義されていたが、公衆や政府等を脅迫する行為の定義としては依然として曖昧であることは否定できない。
今回の行動計画は、「テロ」の定義を曖昧にしたままで「テロ対策」を論じる点に大いに疑問がある。我が国のように、法執行機関が強大で暴走する可能性を持っている国では、捜査当局が怪しいと思えば、それを「テロ」のレッテルを貼って取り締まる可能性がある。
したがって、そのような曖昧な「テロ」の概念を前提として、政府や捜査機関に強大な権限を与えることは、私たち市民の権利や自由が危険にさらされることを意味すると考えなければならない。
今回の行動計画には、弁護士などに対して疑わしい取引の届出の義務を課すこと等のいわゆるゲートキーパー規制を導入することが決められている。
また、テロ防止名目の行政盗聴やテロリストの無令状拘束が引き続き検討課題に入っている。
このように、政府は、「テロ対策」を理由として、次々と、これまでやれなかったことができる権限を手に入れようとしていると考えられる。
政府のこのような動きは、冷静に見れば、来るべきものが来ただけではあるが、改めて、私たち市民は、「テロ対策」を理由として、国家権力にやりたいようにやらせるのかどうかが問われている。
(2004年12月23日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2005年1月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
おれおれ詐欺対策としての本人確認法改正について考える
いわゆるおれおれ詐欺が多発しており、2004年1月から9月までの被害額は129億円にのぼっていると伝えられている。
このような中で、自民党と公明党による「おれおれ詐欺対策プロジェクトチーム」は、今臨時国会に、「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」(平成14年法律第32号、以下「本人確認法」と言う)を改正して、預金口座の不正利用目的による取引を規制することを決め、2003年11月24日に衆議院に提出され、同25日に衆議院で可決され、今臨時国会における成立は確実である。
改正案によると、まず、法律の名称が「金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律」と改められる。
そして、「他人になりすまして金融機関等との間における預貯金契約に係る役務の提供を受けること又はこれを第三者にさせることを目的」で、預貯金通帳や預貯金の引出用のカード等を譲り受けること、その交付を受けること又はその提供を受ける行為を50万円以下の罰金に処すると定めるとともに、前記の目的を知りながら、預貯金通帳や預貯金の引出用のカード等を譲り渡す行為、交付する行為又は提供する行為についても同様に罰するとされる。
また、業としてこれらの行為を行った者については、2年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金(又はその併科)とされている。
預金口座の売買については、既に、本年春ころから、おれおれ詐欺に利用されているとして、そのための口座開設や売買が、警察庁の方針で、詐欺の共犯(幇助犯)として摘発されるようになり、既にいくつか有罪判決も出ているところであった。
ただ、今回の本人確認法の改正案によると、預金口座の譲渡等の行為が、おれおれ詐欺の共犯(幇助犯)としてではなく、それ自体、独立した犯罪として処罰される点に特徴がある(もっとも、譲渡目的での口座開設行為は犯罪とされていない)。
預金口座の譲渡それ自体は、おれおれ詐欺などの犯罪行為との関係で見れば、まだ、単なる準備行為に過ぎない。
本来であれば予備的な行為であり、これを詐欺罪の共犯(幇助犯)として摘発し処罰したこと自体に問題があった。
つまり、預金口座の譲渡それ自体では、まだ法益侵害の現実的危険性からはかなり遠い行為であり、それを犯罪として処罰するのは段階として早すぎると考えられるのである。
ところが、おれおれ詐欺の多発とそれに対する対策の必要性という観点から、預金口座の譲渡それ自体を、独立した犯罪として処罰することになったのである。
しかも、今回の法案は、内容は刑事立法であるが、法務委員会ではなく、警察庁所管の法案等を扱う内閣委員会で審議が行われ、しかも、議員立法であるが、与野党の協議を経て、その提案者は内閣委員長という形を取ったことから、おれおれ詐欺の撲滅にどのような役割を果たすのか等について、ほとんど審議もされないまま、衆議院で可決されている。
このように、今回の本人確認法改正案は、犯罪予防的な側面が強調され、犯罪処罰を早期化するものとして、共謀罪などの最近の刑事立法とその方向性を同じくするものである。
もっとも、改正案は、預金口座の譲渡という形式だけを捉えてこれを処罰するものであるから、これは一種の行政刑法(形式犯)に過ぎないという反論も考えられる。
しかしながら、預金口座の譲渡が、詐欺の手段として用いられていることが処罰根拠である以上、これを単なる行政刑法と見ることはできない。
ところが、マスコミ等の論調の中では、この法案に対して批判的な論調は全く見られない。国会においても、世論の反対もないことを見込んで、この法案を成立させる勢いである。
しかしながら、このような刑事立法が積み重ねられていくことによって、法益侵害の現実的な危険がなくても、犯罪として処罰することが定着し、今後も、何か困ったことがあれば、処罰規定をどんどん新設する形で対応し、犯罪の処罰範囲の拡大が続けられていく可能性がある。その結果、捜査機関(法執行機関)の権限は一層拡張していくことになるだろう。
このような悪循環を断ち切るためにも、この種の刑事立法の新設に対しては、今後とも厳しく監視していく必要があると言わなければならない。
(2004年11月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年12月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
包括的テロ防止対策について考える
読売新聞のスクープ記事によると、政府は、テロの未然防止に向けて、年内にも包括的テロ対策を策定する方針で、具体的には、捜査能力を強化するため、司法取引導入やおとり捜査の拡大などを検討しており、2005年度以降に必要な法改正を行う方針だと報道されている(Yomiuri 0N-LINE10月18日)。
報道によると、本年9月に発足した「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」(本部長・細田官房長官)が、警察庁や国土交通省などの関係省庁と連携して包括的テロ対策の取りまとめを進めているという。
具体的な対策としては、司法取引については、検挙したテロリストに対し、首謀者やテロ計画に関する供述の見返りに、刑罰の軽減などを持ちかけることを想定しているとされ、身分を隠した捜査員による潜入捜査を認める「おとり捜査」は、生物・化学テロの原材料取引捜査などで効果を発揮することを期待されているという。
また、情報収集能力の強化として、薬物や銃器犯罪など4分野に限って電話や電子メールの傍受を可能とする通信傍受法を改正して、テロ行為なども対象とすることを検討しているという。
その他、ホテルなどに対し、外国人宿泊者リストの捜査機関への提出を義務づける旅館業法改正や、出入国管理・難民認定法の入国拒否理由を拡大し、各国の治安・情報当局との連携で、テロリストに関する情報を集め、生体認証(バイオメトリクス)技術の利用などにより、テロリスト入国を阻止する体制を整えることも検討しているという。
今回のテロ対策の内容を見ると、日本版「愛国者法」であると評することが可能である。
アメリカでは、9・11事件を受けて、その直後に、「愛国者法」を成立させている。「愛国者法」は、テロ活動への支援を処罰の対象としたり、テロ関与の疑いがあると当局が判断した移民の身柄拘束を容易にしたり長期化させたり、テロ関与の疑いがあると当局が判断した人物のあらゆる通信機器の傍受ができるようするなど、捜査権限を著しく拡大させた法律である。
世界の中でも、最も民主主義的な国だと言われていたアメリカにおいても、「テロ対策」という名目で、いとも簡単に、市民の権利や自由を剥奪する法律が作られてしまったことには大変に驚かされたが、今回の政府の方針は、日本における「愛国者法」の実現を目指すものであり、アメリカに追随する外交を続けている小泉内閣らしい動きと言えるだろう。
しかし、その内容の多くは、従来から、警察や治安当局がやりたくてもできなかったことばかりであり、特に目新しいものではない。
それは、司法取引の導入についてもそうであり、「おとり捜査」(潜入捜査)についてもそうであり、盗聴法(通信傍受法)の改正もそうである。
司法取引は、北朝鮮から日本に来たジェンキンス氏が米軍との間で司法取引をしたとマスコミがさんざん報道してきたことから、日本政府としては、今こそ導入のチャンスと考えたのだろう。しかし、政府が考えているのは、いわゆる刑事免責のことであり、それは、組織の一部の者から自白を得て、他の組織のメンバー全員を有罪にしようとする制度のことであるが、我が国に導入するには色々な問題がある。
また、潜入捜査については、国連越境組織犯罪防止条約によって、そのような捜査手法を認めることが要請されていたものであり、我が国もその条約を批准することを国会が決めたことから、時間の問題であった。
盗聴法(通信傍受法)についても、使い勝手が悪いとして、以前から警察から「改正」を求められていたものであり、本年8月には、読売新聞の社説においてもその「改正」の必要を叫ぶ意見が出されていたものであり、これも何ら目新しいものではない。
旅館業法改正や出入国管理・難民認定法の改正と生体認証技術の利用についてもしかりである。
これらは、全て、これまで警察や治安当局がやりたかったことばかりである。今回、「テロ対策」の名の下に、国民の反対や抵抗を最小限にして、これらを一気に実現し、捜査権限を拡大しようとしているのである。
しかしながら、「テロ対策」とは言うものの、そもそも、「テロ」とは何かという明確な定義はなく、捜査当局が怪しいと思えば「テロ」とこじつけることは極めて容易である。そのような曖昧な「テロ」概念を前提として、今の日本の警察や治安当局に対して、広範な捜査権限を与えたら、彼らはその権限を最大限に利用して、私たち市民の自由を踏みにじるような捜査活動を活発に行うことは必至である。
そして、その捜査権限は、今の政府にとって都合の悪い人物に向けられることも明らかである。特に、イラク派兵や安保改定に向けた政府の動きを批判したり反対する者に対して、「テロ支援」のレッテルを貼って取り締まってくることが強く予想される。
今回の動きは、9・11事件以降、我が国においても、来るべきものが来ただけではある。しかしながら、「テロ対策」という美名の下に、国家権力にやりたいようにやらせるのかどうかが我々に問われている。今こそ、この動きに反対の声を挙げなければならない。
(2004年10月26日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年11月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
死刑執行について考える
本年9月14日、法務省は、大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)における殺人事件について第1審の大阪地裁において言い渡された死刑判決が確定していた死刑囚について、大阪拘置所で死刑を執行した。また、同日、殺人事件で死刑判決が確定していた死刑囚についても、福岡拘置所で死刑を執行した。
死刑の執行は法務大臣が命令することになっており、判決確定から6カ月以内に執行を命令しなければならないとされ、法務大臣が命令したら5日以内に執行しなければならないとされている(刑事訴訟法475条、476条)。
もっとも、これまでは。死刑判決確定後、数年から10年以上たって死刑の執行が行われるのが通例であるのに対して、今回、大阪拘置所で死刑が執行された死刑囚については、事件発生から3年、昨年9月26日の判決確定からは一年しか経過しておらず、あまりにも早い死刑執行であった。
死刑については、1989年に、国連において、いわゆる死刑廃止条約(国際人権規約第2選択議定書)が採択された後、死刑廃止国はヨーロッパを中心に続々と増えており、本年3月現在では、死刑存置国が78国に対して、法律上ないし事実上の死刑廃止国は117国・地域となっており、死刑廃止がもはや国際的な潮流となっているが、そのような中で、先進国の中ではアメリカと日本が死刑存置国の中では突出している。
ただ、わが国においても、「フォーラム90」や、超党派で構成される「死刑廃止を推進する議員連盟」の活動により、死刑廃止に向けた世論はある程度できつつある状況にある。
日弁連も、本年10月に宮崎で開催する第47回人権擁護大会において「21世紀日本に死刑は必要か」と題するシンポジウムを開催し、「死刑執行停止法の制定、死刑制度に関する情報の公開及び死刑問題調査会の設置を求める決議」を採択する予定となっている。
このような状況の中で、法務省は、これまでの死刑執行と同様に、国会閉会中を狙い、しかも、内閣改造を前にして、野沢太三法務大臣の退任を目前にして行われたものであり、今回の死刑執行を通じて、法務省が、今後も死刑を廃止せずに、粛々と死刑執行を継続していくことを宣言したものと評することができるものであり、極めて政治的な死刑執行であったと言わなければならない。
最近では、法務大臣の就任に際しては、必ず、死刑執行指揮書に印鑑を押すことを誓約させられると言われており、それを誓約しない者は法務大臣には就任させないと言われている。つまり、法務大臣といえども、法務官僚の手足に過ぎないのであり、死刑執行の「良心的拒否」を絶対に認めようとしないのである。
ところで、日弁連は、本年6月14日、死刑確定者57名に対して死刑を執行されないよう要請するとともに、確定日等の関係から特に死刑の執行が危惧される5名の氏名を特定して、野沢法務大臣宛に、「死刑執行の停止について」と題する要請書を提出していた。
今回の2名の死刑執行は、それまで行われてきた死刑執行の暗黙のルール(執行順序)を完全に無視し、死刑判決確定後1年でも死刑執行できることを示した。
この死刑執行によって、死刑囚にとっては、いつ自分に対して死刑執行されるかが分からないという不安のどん底に落とされることになってしまった。
それとともに、法務省は、法秩序に対して反抗する者に対しては死刑執行という厳罰をもって応えるという厳罰主義を体現するとともに、このような者に対する死刑執行であれば、世論からの反発もあまり受けないだろうという高度な計算の上に、今回の執行を行ったのではないかと考えられるのである。
その意味において、今回の死刑執行は、これまでの死刑執行とは異なって、政治性が強く打ち出されたものであるが、改めて、我々市民としては、このような法務省の姿勢に対しては強く批判し、死刑廃止を声高に求めていくことが求められているのではないだろうか。
(2004年9月26日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年10月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
凶悪・重大犯罪に対処するための刑事法整備について考える
野沢法務大臣は、2004年2月10日、法制審議会に対して、「凶悪・重大犯罪に対処するための刑事法整備に関する諮問(第69号)」を諮問していたが、法制審議会刑事法(凶悪・重大犯罪関係)部会において計5回の審議が行われ、2004年7月30日の会議において、諮問案を原案通り、部会の意見として法制審議会の総会に報告することが決まった。
これにより、2004年9月8日に開催される法制審議会総会において、諮問のとおり答申することは確実であり、これを受けて、法務省は早ければ秋の臨時国会に、刑法・刑事訴訟法改正案を提出する予定である。
今回の諮問に至った直接の契機は、2003年12月10日に、与党政策責任者会議「女性と刑法」プロジェクトチームが、法務大臣に対して、強姦罪や強制わいせつ罪の法定刑の引上げや集団強姦罪の新設を要請したことにある。その際、法務省で立法化しなければ議員立法で改正案を提出するとの意向が示されたと伝えられている。
また、犯罪対策閣僚会議が、2003年12月18日に発表した「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」において、「凶悪犯罪の法定刑の引上げ、現在20年とされている有期刑の引上げ等を含めた、凶悪犯罪等に関する罰則の整備について検討する」との方針が出されている。
これらを踏まえて、法務省としては、かなり急ごしらえで今回の諮問をしたのではないかと思われる。もっとも、刑法改正草案の内容とも異なっており、近年、法務省としてやりたいと考えていたことをまとめて出してきた内容であると考えることもできる。
まず、諮問の要綱案は、現在、その上限が15年である有期刑の法定刑を一律に20年に引き上げるとともに、現在その上限が20年である有期刑の処断刑(複数の犯罪を犯して刑の加重がなされる場合の修正された刑)を30年に引き上げること等を提案している。
法務省は、重罰化の根拠として、最近における凶悪・重大な犯罪の増加や、国民の規範意識や正義観念を挙げている。しかしながら、これらが刑罰の重罰化を図るだけの根拠たりうるかについては重大な疑問があり、法制審議会刑事法部会においても、その疑問を解消するだけの説得的な説明はなされなかった。
しかも、警察庁がまとめた2004年上半期の犯罪情勢によると、刑法犯の認知件数は昨年同期を約6万件下回る約128万件となり、2年連続の減少となるとともに、殺人や強盗などの重要犯罪も9年ぶりに減少に転じたというのであり(毎日新聞8月19日付社説)、このような状況の中で、一律に法定刑や処断刑を重罰化する必要があるかどうかについては、改めて慎重に検討する必要がある。
また、要綱案は、強姦罪の法定刑の下限を2年から3年に引き上げ、これに伴って、現在、法定刑の下限が3年である殺人罪の法定刑の下限を5年に引き上げ、また、傷害罪の法定刑の上限を10年から15年に引き上げることなどを提案している。
強姦罪については強盗罪との関係で軽すぎるとの批判があることは確かであるが、強盗罪の法定刑の下限の引下げは行わないで、強姦罪の法定刑の下限だけを引き上げようとする点に問題がある。
殺人罪については、介護疲れで妻を殺害する事案など、酌量減軽をしないで執行猶予を付けるべき犯罪類型があると考えられるので、法定刑の下限を、あえて5年に引き上げる必然性はないと考えられる。
傷害罪について、法定刑の上限を15年に引き上げることの根拠はさらに薄弱であり、実際の科刑状況からも、現在の法定刑の上限の10年に近い量刑がなされている事案がほとんど見当たらない状況である。法務省は、今後起こることが予想される極めて凶悪・重大な事件に備えて上限を上げておきたいと説明しているが根拠薄弱である。
さらに、要綱案は、公訴時効期間を大幅に延長することを提案し、最大で10年(法定刑に死刑がある犯罪については、現在の公訴時効期間である15年を25年に延長)も延長されることになる。
しかしながら、被疑者の地位の安定という観点からは、これほど大幅に公訴時効期間を延長することは問題であるし、警察の捜査能力から見ても十分に対応できないのではないかとの疑問もある。捜査能力の点をそのままにして、単に公訴時効期間だけを延長しようとする立法のあり方は「安上がりな被害者対策」として極めて安易であると言わなければならない。
今回の諮問は、刑法や刑事訴訟法という基本法に対する重大な改正であり、特に、重罰化の提案はわが国の刑罰体系を根本的に変えるおそれがあるものであるから、慎重な上にも慎重に議論がなされるべきである。
しかるに、法制審議会刑事法部会における審議は低調であったので、今後、国会においては、行刑の現場の声や市民の声を聴いて、より慎重かつ深い議論がなされなければならない。
そのためには、私たち市民が、この改正案の問題点を認識した上で、反対の声を広くあげていくことが不可欠である。
(2004年8月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年9月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
刑事訴訟法改正により刑事裁判はどう変わるか
今年の通常国会が終わり、刑事裁判については、裁判員制度を導入する「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案」が成立したことは大きく報道されたが、その影で、「刑事訴訟法等の一部を改正する法律案」も、同じく、参議院で5月21日に可決成立、5月28日に公布されている。
附則によると、公布の日から起算して一年六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行するとなっているので、2005年中には施行される可能性がある。
ところで、今回の刑事訴訟法改正は、一連の司法改革の中で実現されたものである。その司法改革の方向性を決めた司法制度改革審議会の最終意見書(2001年6月12日付)は、刑事裁判について、「刑事司法には…今後の自由かつ公正な社会を支えるため、公正な手続を通じて、ルール違反に対する的確なチェック、効果的な制裁を科すことが一層強く求められることとなる。」と指摘している箇所がある。この部分が、今回の刑事裁判の改革の方向性を最もよく示していると考えられる。
すなわち、刑事裁判において、被告人の権利の保障はもはや念頭になく、社会のために、被告人に対する「効果的な制裁」が追及される場になるということである。
そこで、以下、具体的に刑事訴訟法の主要な改正点を見ることにしよう。
第1に、重大な事件(当面は死刑・無期・短期1年以上の懲役・禁錮の罪)について公的弁護が認められたが、勾留以後しか公的弁護が認められておらず、被疑者にとって最も重要な逮捕後から勾留までの72時間の間には公的弁護が認められていない(改正法37条の2)。
また、公的弁護の採用に伴い、裁判所の弁護人解任権が明確に法定され、特に、その中に、「弁護人がその任務に著しく反したことによりその職務を継続させることが相当でないとき」という事由が認められた(改正法38条の3第4号)。
これには、法務省の言う「不適切弁護」が含まれる可能性があり、裁判所が弁護人の弁護士の内容に踏み込んで解任する場合が出てくる可能性を有している。
第2に、公判前整理手続が新設された。これまでは、起訴状一本主義によって、担当する裁判官が事前に有罪心証を持つことのないように、予断排除の原則によって、その点が制度的に保障されていた。
ところが、公判前整理手続は、事件を担当する裁判官が、具体的な証拠の内容に触れ、証拠決定に関するあらゆる決定を行うことが予定されている(改正法316条の5)。
また、被告人側に,期限を決めて争点提示・証拠提出義務が課される(改正法316条の7)。その結果、アリバイ潰しや証人潰し等が行われる可能性がある。このような公判前整理手続は従来の公判のあり方を一変するものである。
さらに、従来から問題となっていた検察官の手持ち証拠に関する証拠の全面開示は、今回の改正でも認められず、従来よりは若干開示の幅は広がるとしても、依然として、検察官には開示するか否かに関する広い裁量が認められている(改正法316条の20)。
第3に、刑事裁判は、事件を問わず(裁判員による裁判か否かにかかわらず、)原則として連日開廷となる(改正法281条の6)。
第4に、検察官が開示して謄写した訴訟記録について、弁護人に適正に管理・保管する義務が課され(改正法281条の3)、その記録の目的外使用が禁止されて、被告人と弁護人に対する罰則が新設された(改正法281条の4)。
改正法は、目的を極めて限定しており、裁判の不当性を訴える書籍をジャーナリストが書くために訴訟記録を見せることや、新聞記者に訴訟記録を見せるなどは全て禁止されることになる。
そこに見られるのは、検察官が持っている訴訟記録は検察官の支配下にあるもので、それを裁判以外の目的で自由に使用することを許さないという極めて古い発想であり、情報公開の流れに逆行する内容である。
これは、裁判の公開や表現の自由にもかかわる重大な内容であり、通常国会では若干修正されたが、本質的にはその問題の本質には何ら変更はない。
第五に、即決裁判制度が導入された(改正法351条の2)。
従来、罰金になる事件については略式命令の制度があったが、執行猶予付きの懲役刑等についても、争いがない場合には、被疑者の同意を条件に、簡単な手続で有罪判決(但し、執行猶予付)が出せるようになる制度である。これについては、冤罪で逮捕・勾留中の被疑者が早く外に出たいためにやむなく罪を認めて即決裁判に応じる場合が出てくることが予想され、不当な取引に利用される危険性を有している。
以上のように、改正の内容を見れば、現在の刑事裁判が本質的に変容されようとしていることが分かる。
とりわけ、裁判員制度が導入されるという点を最大限利用して、裁判員制度とは関係がない事件についても、現在の刑事裁判制度を大幅に変更しようとするものである。
そこに見られるのは、裁判所が終始主導的な立場に立って、刑事裁判のあり方をいかに統制し、迅速に行い、決着させようとしているという点である。
言うまでもなく、このような方向は被疑者・被告人にとっては決して望ましいものではない。この流れは、再び、被告人を裁判の客体にして、文字通り「裁かれる存在」に貶め、いかに早期に厳しい判断を示して終わらせるかということしか考えていないと言わざるを得ない。
このように、国会においてもほとんど議論もなく可決成立させられた刑事訴訟法改正には極めて大きな問題がある。
私たち市民は、まず、改正法の問題性を認識する必要がある。その上で、このような刑事訴訟法改正をそのままで施行させないように反対の声を上げていかなければならない。
(2004年7月24日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年8月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
触法少年事件とメディアの暴走を考える
本年6月1日、長崎県佐世保市内の小学校で、小学校6年生の生徒が、同級生(11歳)にカッターナイフで切られたために死亡した事件が発生した。また、本年6月22日、東京都新宿区内で、団地の外階段から、5歳の男児が突き落とされたが、木の枝にひっかかり、軽傷で済んだ事件が発生した。いずれも、14歳未満の刑事責任を負わない少年の事件であり、いわゆる触法少年の事件である。
今後、家庭裁判所で審判が行われ(佐世保の事件では既に長崎家庭裁判所佐世保支部が審判を開いて精神鑑定を行うことを決めている)、最終的には、児童自立支援施設へ送致する保護処分がなされる可能性が高い。これは、2003年7月に長崎市内で起きた中学校1年生による事件とほぼ同じ展開になることが予想される。
ところが、マスコミでは、11歳とか12歳という低年齢の少年による衝撃的な事件として報道合戦が続いている。その中で、様々なプライバシーが暴かれている。
佐世保の事件では、事件発生直後から、少年本人の供述として、「殺すつもりだった」という言葉が伝えられるとともに、事件が計画的犯行であったという報道が繰り返しなされている。
これは、警察の捜査官からリーク(意図的に漏らすこと)された情報であると考えられるが、記者たちは誰一人として、本当にその少年がそのような供述をしているかどうか確認することができない状態に置かれているはずである。ところが、このような報道がなされることによって、その報道が一人歩きして、この少年は人殺しをするような凶悪な少年だということが刷り込まれてしまうおそれがある。
これは、東京新宿区の少年についても同様である。警視庁は男児を約11メートル下に突き落とすなどした状況から、殺意があったと認定していると報じられるとともに、少年が、教師につかみかかったり、階段を下りている教師を後ろから突き飛ばしたりしたとか、カッターナイフを持って教師を追いかけるなどの問題行動を繰り返したなどと報じられている。
これらの報道を通して感じるのは、事件を起こした少年が「普通の子ども」ではないという印象を与えようとしていることである。つまり、報道を見ている多くの親たちに、「お宅の子どもとは異なる世界で起きた出来事ですよ」と伝えて安心させようとしているのである。
そのために、マスコミの報道は、事件を起こした少年たちの家庭の中に深く立ち入って、そのプライバシーを平気で暴こうとしている。
しかしながら、それでは、「木を見て森を見ず」という状態に陥り、これらの事件が起きた社会的背景を見えなくするだけであると言わなければならない。
いずれの少年についても、家庭や学校での人間関係がうまく築くことができないことから過度のストレスがたまっていた様子が見受けられる。
これらの外的な環境と、そのようにして苦しんでいる少年を、事件が起きる前に誰も気付いて助けてあげることができなかった学校や社会のあり方には何か問題はないのかを問うことこそが、マスコミの本来の使命ではないのだろうか。
ところが、マスコミは、今回起きた事件の残酷さを強調して煽るだけであり、それは、意図せざるかどうかにかかわらず、14歳未満の少年に刑事責任能力がないとする刑法の規定や、触法少年については警察が捜査(調査)をほとんど行えないという現状に不満を持って変えたいと考えている政府の動きを後押しするだけになってしまうおそれがある。
2000年に議員立法で改正された少年法は、それまでの保護主義を後退させ、厳罰主義の思想を一部導入した。今後、この厳罰化の要求はさらに進み、少年法がさらに改悪されていくことが予想される。今回の佐世保と新宿区の事件の報道が、それに利用されることになってはならないはずである。
私たちはマスコミ報道の視聴者や読者として、今の少年報道のあり方に対して疑問を提起し、それを変えさせていくことが必要である。
(2004年6月28日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年7月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
裁判員法の成立について考える
司法改革の目玉とされていた裁判員制度の創設を内容とする裁判員法と、公判前の争点整理などを当事者に義務づけるなど、刑事訴訟手続の大幅な変更を内容とする刑事訴訟法改正案が、2004年5月21日、参議院本会議で賛成多数で可決されて、成立した。
裁判員制度は、刑事裁判において、裁判官と市民から抽選で選ばれた裁判員が一緒に審理をして、合議の結果、被告人の有罪・無罪やその量刑を決める制度である。
司法制度改革審議会が、2001年6月12日に発表した報告書において、国民の司法参加の一つとして、「刑事訴訟手続において、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる新たな制度を導入すべきである。」とされていたことを受けて、司法制度改革推進本部が設けられ、裁判員制度・刑事検討会における検討を経て、内閣から今通常国会に裁判員法と、刑事訴訟法改正案が提出されていたものである。
日本では、被告人の有罪・無罪については市民から選ばれた陪審員だけで判断するという英米法の陪審員制度は採用されず、フランス・ドイツなどの大陸法が採用する裁判官と市民が一緒に裁判を行うという参審制を基礎として、日本的な裁判員制度が提案された。
裁判員制度における構成については、原則として、裁判官3人と裁判員6人で行うことになり、例外的に、起訴事実に争いがない時は裁判官1人と裁判員4人という構成で行うことも可能となっている。
この点については、裁判官は1名かせいぜい2名とすべきであり、それに対して、市民である裁判員については裁判官の数の3〜4倍程度にしないと、法律の素人である裁判員は、法律や裁判の専門家である裁判官に説得されてしまい、異論を主張しづらくなるという意見が、特に市民の間からは多く出されていた。
しかしながら、2004年1月26日に、自民党と公明党との間の裁判員制度の制度設計に関する与党プロジェクトチーム(座長・保岡興治衆議院議員)において、裁判官と裁判員の数の問題が、政治的に決着させられてしまい、その内容のままで裁判員法が成立してしまった。
これによって、裁判官は、現在、3人の合議事件と同じ構成のままで、そこに市民である裁判員が加わって審理を行うことになるが、裁判員が「お客さん」扱いされてしまい、裁判員から自由な意見表明や議論を持ちかけることが難しくなることが危惧される。
また、裁判員法と一緒に成立した刑事訴訟法改正案においても、従来から刑事裁判において誤判の温床と指摘されてきた代用監獄制度や、自白偏重の捜査手法、そして、争えば保釈を認めないという「人質司法」はそのまま維持されるとともに、検察官の手持ち証拠の全面証拠開示を認めず、公判は連日開廷され、しかも、開示を受けた捜査資料を訴訟目的以外に使用することを禁止する(この結果、市民やマスコミに捜査資料を開示して支援を受けることが困難となる)など、極めて問題が多い改正(改悪)がなされている。
しかしながら、裁判員制度についての最大の欠陥は、被告人と、裁判員に選任される市民に対して、いずれも新たな義務(負担)を課そうとしている点にある。
すなわち、裁判員法によると、裁判員が選任されて行う事件は、死刑や無期懲役・禁固刑に当たるような重大犯罪と、1年以上の懲役・禁固に当たる事件のうち故意の犯罪行為で被害者を死亡させた事件の第1審である(年間約2800件程度あると言われている)。
この種の事件については、被告人は裁判員制度による裁判を拒否する権利は与えられず、裁判員制度による裁判が強制されることになる。これは、憲法37条1項が保障する「公平な裁判所による裁判を受ける権利」に違反する疑いがある。「裁判所による裁判」とは、裁判官によってのみ構成される裁判のことを指していると考えられるからである。
また、何よりも、被告人において、裁判官のみによる裁判を受けたいにもかかわらず、裁判員制度による裁判を強制されるというのは、裁判を受ける立場から見ると到底納得することができないはずである。
これは、司法制度改革審議会が、「新たな参加制度は、個々の被告人のためというよりは、国民一般にとって、あるいは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入するものである」として裁判官のみによる裁判を選択することは認めないこととすべきであるとしていたことによるものであるが、市民の司法参加制度を被告人に強制することは行き過ぎであったと言わなければならない。
他方、裁判員制度は、被告人に対して強制されるだけでなく、裁判員になる市民に対しても強制されることになっている。
すなわち、高齢者、学生、本人の重い病気や親族の介護・養育、著しく損失が生じる重要な仕事、父母の葬式などの社会生活上の重要な用事などがあれば、「やむを得ない理由」として辞退が認められるが、そのような理由がなければ、裁判員になることを拒否することはできない(今後、政令によって、思想・信条上の理由で拒否することが認められるようになる余地もある)。ちなみに、正当な理由なく出頭を拒めば10万円以下の過料となる。
また、裁判員に一旦なってしまうと、、評議の内容や、職務上知り得た被告らのプライバシーなどの秘密については、一生涯にわたって守秘義務を負い、それに違反した場合には、原則として「6月以下の懲役または50万円以下の罰金」が科されることになっている。
したがって、裁判員として選任される市民は、裁判員になることを強制されるとともに、裁判員として裁判に参加した場合には、そこで見聞きした内容を第三者に漏らした場合には刑罰が科せられるというのである。
このように、裁判員制度は、国民に対して極めて重い義務を課しているのである。しかしながら、このような国民の義務を、こんなに容易に認めることが許されるのか疑問である。この点については憲法違反であるという議論もあるのである。これが認められるのであれば、近い将来、国民の義務として、新たに徴兵制がいつ認められてもおかしくないとも言える。
この裁判員法は周知期間を5年として、2009年から実施される予定である。
しかしながら、参議院における法案審議の際に、法務大臣が、法案の内容に不備があることを認めて、施工前の改正もありうると発言したり、読売新聞の世論調査では、国民の70%が裁判員になりたくないと回答していることが報道されている。
裁判員制度は前途多難であるし、既に述べたように、この制度には根本的な問題点がある。
したがって、法律施行前に廃止するか、施工前に全面的に改正させる必要があり、我々市民は、それに向けた運動を起こしていくことが求められている。
(2004年5月28日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年6月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
有期刑の法定刑・処断刑の重罰化について考える
本年3月、法務大臣は、法制審議会に対して、刑法を改正して、有期刑の法定刑と処断刑を重罰化したり、凶悪・重大犯罪とされる強姦罪・傷害罪・殺人罪などの犯罪の法定刑の重罰化したり、公訴時効期間の延長をすることを内容とする刑法及び刑事訴訟法改正についての諮問を行った。
そして、本年4月19日には、法制審議会刑事法(凶悪・重大犯罪関係)部会の第1回会議が開かれて、7月末までの予定で具体的な審議が開始されている。法務省としては、本年秋の臨時国会に刑法及び刑事訴訟法の改正案を提出したいとの希望を持っているようである。
本稿では、このうち、有期刑の法定刑と処断刑の重罰化の諮問案に対して論じることにしたい。
現行の刑法典が制定された明治40年以来、有期刑の法定刑と処断刑についてはこれまで一度も改正されていない。
現行刑法は、犯罪の刑罰として、身体を拘束する刑罰として、死刑と無期刑と有期刑の3種類の刑を認めている。このうち、有期刑については、現行刑法では、法定刑の上限を15年と定め、その処断刑の上限を20年と定めていた。これを具体的に説明すると次のとおりである。
法定刑とは、刑法各則が各犯罪類型毎に定める刑罰のことであり、「何年以上の刑に処する」と規定して上限を記載していない場合に、現行刑法では、その上限が15年以下と定められていたが、今回の諮問案では、これを20年以下に重罰化しようとしている。
処断刑とは、被告人が2つ以上の犯罪を犯し、その法定刑の中に死刑も無期もなく有期刑だけの場合において、その犯罪が併合罪として加重されたり、累犯として加重される場合の修正された刑のことである。そして、裁判所は、その処断刑の範囲内で具体的な刑を言い渡すことになる(これを宣告刑という)。
現行刑法では、併合罪加重は、法定刑が重い方の刑の1.5倍が処断刑の上限となり(刑法47条)、累犯加重は、法定刑が重い方の刑の2倍以下とされているが(刑法57条)、現行刑法ではそれが20年以下でなければならないと規定されていた(刑法14条)。今回の諮問案では、これを30年以下へと重罰化しようとしている。
今回の諮問案は、これらを重罰化する根拠として、最近における凶悪・重大な犯罪の増加や、体感治安が悪化していることを挙げている。
確かに、最近の犯罪統計を見ると、犯罪の認知件数の増加が認められるが検挙件数にはあまり変化がなく、その結果、未検挙件数が増加しているために治安が悪化しているように見える。
しかしながら、認知件数の増加というのは、従来と比較して被害届や告訴の件数が増加しているということを示すだけで、実際の事件数が増加したことを直ちに裏付けるものではなく、客観的な犯罪の発生数が増加することを証明する資料にはなりえないと考えられる。
しかも、今回の法定刑や処断刑の重罰化については、凶悪・重大犯罪に限らず、どのような犯罪について適用されることになっているから、凶悪・重大犯罪の増加を根拠にするのでは説明がつかない。
また、世論調査等の結果から、体感治安の悪化ということも言われるが、これはマスコミによる犯罪報道によって国民の中に植え付けられているだけではないかとも考えられるのであり、国民の体感治安というような捉えどころのないものや国民世論をもって刑法改正を根拠づけることがそもそも妥当か否かについて疑問がある。
さらに、有期刑の法定刑や処断刑の重罰化については根本的な疑問がある。それは、わが国のように、死刑も存置するとともに無期刑もある国で、有期刑を重罰化することは、無期刑や死刑を固定化するとともに、有期刑とのバランスから、特に無期刑が重罰化する結果になることが予想されるという点である。
特に、無期刑は、これまで、刑務所に入所して10年を経過すれば仮出獄が認められることになっており、従来は約15年程度で仮出獄が認められていたが、最近はこれが徐々に長期化して約30年程度経過しないと仮出獄が認められなくなってきていた。
ところが、今回の諮問案が実現すると、有期刑であっても、その処断刑が最30年ということになることを考えると、無期刑を受けた受刑者が約20年で仮出獄が認められることは有期刑の処断刑との関係でバランスを失するとして、無期刑の仮出獄が現在以上に、長期間経過しないと仮出獄が認められなくなる可能性がある。
このように、有期刑の法定刑や処断刑の重罰化は、現在のわが国の刑罰体系を乱し、現在ある無期刑の運用に大きな影響を与えるおそれがあるのである。
また、死刑廃止議員連盟が議員立法として提案することを検討していた死刑廃止法案においては、終身刑を新設することによって死刑を廃止することを構想していた。
しかしながら、今回の諮問案が実現されると、有期刑で30年もの長期間の刑務所への収容を認めるとともに、無期刑を維持して、その運用が変更されるとしたら、それらとは別に終身刑を新設することが困難となるため、死刑廃止議員連盟による死刑廃止の構想にも悪影響を与えるおそれがある。
ところで、現在、わが国の刑務所は過剰収容の状態にあり、どこの刑務所も定員を大幅に超える受刑者で溢れており、その結果、刑務所内の雰囲気は悪化している。
このような過剰収容は、既に裁判の現場で進んでいる重罰化の傾向が原因であると考えられるが、このような状況の中で、有期刑の処断刑を30年以下へと重罰化することにより、さらに過剰収容の傾向が加速度的に進行するであろうことも明らかである。
しかも、有期刑でも30年という長期間にわたって刑務所に入所させることにより、受刑者の人格が破壊されたり、そうでなくても、社会復帰が困難な受刑者を生むことが予想される。
このように見てくると、今回の有期刑の法定刑や処断刑の重罰化の狙いは、凶悪・重大犯罪を犯した犯罪者を、刑務所に入れることで社会から隔離することによって、社会を防衛しようとする主観主義刑法(新派)の立場へと大きく転換しようとしているのではないかとすら危惧されるものである。
そこに見られるのは、犯罪者は普通の国民とは異なる存在として異端視し差別するものであり、社会から隔離して排除していくという思想である。これは規制緩和や自由競争を推し進め、弱肉強食の時代を招いた小泉首相の政治手法と見事にオーバーラップするように思われる。
ところが、今回の諮問案に対して、マスコミの中にも取り立てて反対するものはなく、市民の関心も低い。
しかしながら、今回の諮問案は、わが国における刑罰体系を乱したり、刑務所の過剰収容を推し進めるおそれがあり、私たちの社会のあり方にも関わる重大な問題である。
したがって、私たちは、この問題を活発に議論をし、法務省や国会議員に対して、その問題点を指摘したり、反対の意思表示を積極的にしていくことが強く求められていると言わなければならない。
(2004年4月26日記、27日修正)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年5月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
「週刊文春」に対する出版禁止仮処分決定について考える
東京地方裁判所民事第9部(鬼沢友直裁判官)は、2004年3月17日に発売予定だった「週刊文春」3月25日号について、田中真紀子元外相の子の私生活上に関する記事が掲載されていることを理由に、前日である同月16日に出版禁止の仮処分命令を出した。これは極めて異例なことである。
この決定を受けて、発行元の文藝春秋は決定が送達された後の出荷を止めたが、その前に出荷して流通経路に乗った74万部は、翌日、そのまま販売された。ただ、駅の売店等からは該当号が撤去されるという動きもあった。
その後、文藝春秋は東京地裁の決定に対して異議申立てをしたが、東京地方裁判所民事第9部(大橋寛明裁判長)は、3月19日、出版禁止の仮処分を認可し、異議を退ける決定をした。その後、文藝春秋は、東京高等裁判所に保全抗告を申し立てている。
ところで、いわゆる北方ジャーナル事件における1986年6月11日の最高裁判所大法廷判決(民集40巻4号872頁)は、このような仮処分は、憲法21条2項前段が禁止する「検閲」には該当しないとしつつ、「表現行為に対する事前抑制は、新聞、雑誌その他の出版物や放送等の表現物がその自由市場に出る前に抑止してその内容を読者ないし聴視者の側に到達させる途を閉ざし又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるをえないこと等から事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられるのであつて、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうる」との判断を示し、事前抑制禁止の観点から、事前差止めを極めて厳しい基準によって極めて例外的に認めたものであった。
その後、「石に泳ぐ魚」事件における2002年9月24日の最高裁判所第三小法廷(判例時報1802号60頁)も、名誉、プライバシー、名誉感情が侵害されたことを理由に、同書の出版差止めを認めており、プライバシー侵害による差止めも最高裁判所は許容することを明らかにしていた。
このような判例の流れの中で、今回の東京地裁の保全異議却下決定を見ると、唐突な印象を受ける。他方、出版を差し止められた側である文藝春秋側の「言論の制約を意味し暴挙というほかない」とのコメントについても、実際の記事の内容と対照して見ると、少し大袈裟な印象を受ける。
東京地裁の前記決定が、今回の当該記事は、公共の利益に関する事項にも当たらないし、専ら公益を図る目的のものとも認められず、私的事項が広く公衆に暴露されることにより重大な精神的衝撃を受けるものであるとして、出版差止仮処分を肯定した点は、北方ジャーナル事件で最高裁が示した基準と比較すると、かなり基準が緩和されているように思われ、近年の慰謝料の高額化で示されていた裁判所によるメディアに対する厳しい姿勢が仮処分の要件の緩和に対しても影響しているように感じる。
私は、裁判所が出版物を事前に差し止めて一切流通させないという強大な権力を行使することは極めて例外的で自制的であるべきだと考える。
今回の仮処分の申立人は田中元外相という政治家の子であったが、果たして、無名の市民がプライバシーを暴露されるような記事に対して仮処分を申し立てたからと言って、今回と同じように出版差止め仮処分を認められるかどうかは甚だ疑問である。
したがって、今回の仮処分決定に対しては大いなる疑問を抱いている。
慰謝料の高額化の際にも、裁判所には政治家や有名人を普通の無名の市民よりも特別に厚く保護しようとする傾向が見受けられたが、今回の仮処分決定についても、同じような傾向を感ぜざるを得ない。
ちなみに、今回の決定は、「司法当局の中ではむしろ主流中の主流ともいうべきエリート裁判官が極めて自信を持って下した決定」と指摘されており(「週刊文春/出版差し止め命令/緊迫の攻防」週刊朝日4月2日号160頁)、今後もこの同様な出版差止仮処分命令が立て続けに出されないとも限られないのである。
今回の決定が文藝春秋に届いた時点で、大部分の該当号が既に流通経路に乗っていたことから、私たちは、該当号を実際に購入して問題の記事を読み、仮処分決定の是非を検証し論じることができた。しかしながら、将来、出版差止仮処分がもっと早い時点で出されるようになると、私たちは当該記事を読んで、その是非を判断することすらできなくなるのである。それを考えると背筋が寒くなる。
やはり、言論の自由が完全に保障されていてこそ、私たちは国家権力を監視し批判することができるのであり、言論の自由は民主主義の生命線なのである。
そして、私には、有事法制が着々と整備されようとしていることと、裁判所が、出版の事前差止めを以前よりも緩やかな基準で認めようとしていることとは、必ずしも無関係ではないように思われる。
したがって、国家権力で言論を封じ込めることを認めることは民主主義の自殺行為であることを銘記した上で、市民の名誉やプライバシーを侵害し続けているメディアを牽制するのは、国家権力に依存するのではなく、権力から自立した別の方法(報道評議会等のメディア責任制度などの自律的な救済制度の確立)で実現すべきである。
なお、東京高等裁判所による保全抗告を担当している根本眞裁判長は、奇しくも、新潮社が発行する「新潮45」による少年の実名・顔写真報道について、少年側の請求を認容した大阪地裁判決を取り消して、表現の自由への配慮を示して少年側の請求を棄却した2000年2月28日判決(判例時報1710号121頁)の裁判長と同じ裁判官のようであり、表現の自由の観点から、文藝春秋の保全抗告を認めて仮処分決定を取り消すかどうかが注目されるところである。
(2004年3月25日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年4月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正・加筆したものである。
有事体制を見据えた警察法改正について考える
警察庁は2004年2月、国会に警察法改正案を提出し、今通常国会において審議される予定となっている。
警察法改正は、昨年8月に警察庁が発表した「緊急治安対策プログラム」を具体化するためのものとして提案されているものである。
「緊急治安対策プログラム」では、(1)犯罪抑止のための総合対策、(2)組織犯罪対策と来日外国人犯罪対策、(3)テロ対策とカウンターインテリジェンス(諜報事案対策)、(4)サイバー犯罪及びサイバーテロ対策、(5)新たな政府目標の達成に向けた総合的な交通事故防止対策、(6)治安基盤の確立の諸点が挙げられ、その実現に向けて、予算・増員・組織・法制等各般の検討を進めると宣言されていた。
今回の警察法改正は、これを受けて、法制面の整備を図るとともに、組織を改編しようとするものであるが、1994年の警察法改正以来の大規模な改正である。
1994年の警察法改正では、警察庁は内部部局を改編して、警務局を廃止し、生活安全局を新設した。生活安全局は、これまでの刑事局の所掌事務のうち保安部の犯罪の予防・保安・警らに関する事務を引き継ぐとともに、その第一任務を、「犯罪、事故その他の事案に係る市民生活の安全と平穏に関すること」とし、警察が、環境、美観、福祉、教育などといった国民生活全般にわたる領域に警察権限を拡大するものであった。
これに対して、今回の警察法改正は、昨今の有事立法の整備やイラクへの自衛隊の派兵という状況を前提として、警察が有事体制に即応できる体制作りを行おうとするものであり、特に、テロ対策の領域に警察権限を拡大しようとするものであり、有事における警察法を作ることを目指すものである。
このことは、警察法改正の提案理由として、「国の治安責任の明確化」が挙げられている点からも強く窺える。ここには、治安を維持する責任は警察が主体的に担っていく姿勢と決意がよく現れている。
そもそも、「治安」は、我が国では自衛隊が守るべきものであるが、それを自衛隊だけに任せるのではなく、警察がこれを主体的に担っていくという形で権限の拡大・強化を図ろうとしていると評価することができる。
しかしながら、そもそも、警察法2条は、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」と規定し、警察法5条1項も、これを受けて、「国家公安委員会は、国の公安に係る警察運営をつかさどり…個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持することを任務とする。」とすると規定している。ここには、警察の任務や責務として「治安」とはどこにも書かれていない。
すなわち、「治安」は警察の任務や責務ではないにもかかわらず、今回の警察法改正では、治安の維持を警察の任務にしようとしているのである。
これは警察法の性格を一変するような重大な意味を含んでいる。本来、それを実現するのであれば、警察法の2条や5条1項を改正して、警察の任務や責務に「治安」を入れなければならないはずである。
ところが、今回の警察法改正にはそのような改正は含まれていない。それは、仮に、警察法2条や5条1項に「治安」を含めるような改正をしようとしたら、今回の警察法改正が従来とは一線を画した大改正を意図したものであるであることが明らかとなってしまい、国会審議に耐えられないと判断したからであろう。しかしながら、立法技術としても問題であるし、警察の任務や責務という根本的な問題に対する国民的な議論をしないまま、警察庁の所掌事務を書き加えるだけで実質的に変えてしまうとするのは極めて姑息な手段と言わなければならない。
ちなみに、今回の警察法改正では、従来からあった「全国の広範な区域において行われる個人の生命、身体及び財産並びに公共の安全と秩序を害し、又は害するおそれのある事案」に対処することに加えて、「国外において日本国民の生命、身体及び財産並びに日本国の重大な利益を害し、又は害するおそれのある事案」に対処することが警察庁の所掌事務に追加されようとしている。
この規定の「日本国の重大な利益」は、明らかに、「公共の安全と秩序」とは違う概念として規定されている。
「公共の安全と秩序」という表現は、明らかに日本国内のそれを意味し、また、個人の集合体としての「公共」と捉えることが可能であるから、あくまでも個人の身体・生命・財産という個人的な法益や、仮に広く捉えたとしても社会的法益を前提としていると考えられる。
これに対して、「日本国の重大な利益」という表現は国家的な法益を予定とするものであり、警察がそのような国益を擁護する権限を獲得することを意図していることは明らかである。
これを認めることは、警察が日本から海外に出て自由に活動できる権限を与えることを意味する。従来からも、大使館に警察庁から出向していた例は多いようであるが、今後は、警察庁の職員の身分のままで、世界各国の日本大使館に常駐し、諜報活動等を行うことができるようになるのである。近いところでは、イラクに警察官が派遣されることが予想されている。
このように、今回の警察法改正は、1994年の警察法改正により、生活安全局を設置して、日本国内における市民の活動を広く監視する権限を獲得したことに続いて、有事体制の中で、広く海外に警察が進出して活動する権限を獲得しようとし、警察の任務や責務を治安維持に置き、日本の国益のために活動することを実現しようとしているのである。
これが実現すれば、警察の権限はますます肥大化するとともに、いずれは、戦争に反対する私たち市民に対しても、日本の公益に反するとして警察の摘発が行われる戦前の治安維持法体制下のような事態が来ないとも限らない。
したがって、私たち市民としては、このような警察法改正に対しては絶対に反対しなければならない。
(2004年2月28日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年3月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
与党案が決まった裁判員制度について考える
本年1月26日、司法制度改革の目玉の一つとされている裁判員制度の制度設計について、昨年から続けられていた自民党と公明党とのプロジェクトチーム(座長・保岡興治衆議院議員)において合意が成立した。
その主要な内容は、対象事件は最高刑に死刑か無期懲役・禁錮に当たる罪の事件と、法定合議事件で故意の犯罪行為で被害者を死亡させた事件とし、人数構成は、裁判官3人、裁判員6人を原則とし、被告が起訴事実を認めており、検察・被告側に異議がなければ、事案の性質を考慮して裁判官1人、裁判員4人で審理する例外を認めるとされている。
その他、裁判員の氏名・住所は公開しない、裁判員への不当な働きかけを禁止し、違反した場合には処罰するとともに、現に裁判員である者や裁判員であった者は、評議の経過や各人の意見等職務上知り得た秘密を漏らしてはならず、守秘義務に違反した場合には懲役又は罰金を科すことなどが決められている。
裁判員制度については、元々、英米法系の陪審制度のように、多数の市民の参加を認めるか、大陸法系の参審制度のように、あくまでも裁判官による裁判を中心に、それに多少市民の参加を加えるかという根本的な考え方の相違がある。
自民党案は「裁判官3名、裁判員4人」であり、公明党案は「裁判官2人、裁判員7人」であった。結果的には、その真ん中をとるような妥協的な内容で決着したことになるが、逆に、裁判員制度の本質を曖昧にしたとも言える。
ちなみに、最高裁判所は、裁判官3名に固執し、絶対に裁判官を1名ないし2名にすることを許さない強い態度だったと伝えられている。
最高裁判所は、現在の裁判官3名による合議制がうまく運用されており、それを崩したくないし、裁判官3名という既得権を絶対に失いたくないという並々ならぬ決意が感じられた。
今回の裁判官3名という結論は、このような最高裁判所の姿勢にも配慮したものと見ることができるだろう。
しかしながら、最近では、裁判員制度において、裁判官が3名いると、裁判官の中で多数派が形成されると、市民である裁判員はそれに影響を受け、反対意見が言いづらくなり、裁判員の主体的・実質的関与が望めなくなると指摘されているところであり(佐藤博史・松澤伸「裁判員制度の人数構成−裁判官二人制の提言」現代刑事法2004年1月号44頁以下)、裁判官3名という与党案は、裁判員制度の運用上、裁判員が裁判官と対等に意見を交わすことを困難にするおそれがあり、結局、裁判官による従来通りの裁判に、市民が参加したという形での「お墨付き」を与えるだけの制度に堕するおそれがある。とりわけ、事実認定については、そのようになる危険性が強いと言わなければならない。
それだけではない。裁判員制度は、死刑や無期懲役になるような重大な事件等において実施されることになっている。また、司法制度改革審議会の最終意見書においては、「新たな参加制度は、個々の被告人のためというよりは、国民一般にとって、あるいは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入するものである以上、訴訟の一方当事者である被告人が、裁判員の参加した裁判体による裁判を受けることを辞退して裁判官のみによる裁判を選択することは、認めない」としている。
そのような重大事件について、マスコミによる被害者のために厳罰を求める傾向で彩られた報道の中で醸成された「市民」が、裁判に参加することによって、裁判官以上に厳罰を求める可能性があり、これまで以上に、量刑が厳罰化していく危険性があるのである。
すなわち、裁判員制度は、これまでの刑事裁判を「改革」するどころか、官僚裁判官による事実認定に「お墨付き」を与えるだけになるとともに、量刑においては、「市民」感情を理由に、より厳罰・重罰化させ、「改悪」するだけになるおそれがある。
なお、与党案では、裁判員の氏名・住所は公表しないこととされている。それでは、被告人は、裁判員制度を受けることを拒否できないだけでなく、どこの誰によって判断されたか分からないまま刑事裁判を受けることになるが、このようなものが果たして裁判と言えるのだろうか。
日弁連は、公判中心の直接主義・口頭主義を徹底するとともに、取調過程を録音・録画する制度を導入するとともに、検察官手持ち証拠の原則全面開示を実現するとともに、被告人の身体拘束制度を抜本的に改革されなければ裁判員制度を導入することを認めないとの意見を述べているが(2003年8月22日付司法制度改革推進本部事務局たたき台「刑事裁判の充実・迅速化について」に対する日弁連意見書)、与党合意にはそれに対応する内容は全く盛り込まれておらず、このまま裁判員制度だけが新設されるようなことになれば、刑事裁判制度の改悪でしかないことになることは必然である。
今回の与党協議を通じて、皮肉にも、永田町の政治家の間では、裁判員制度に対して極めて評判が悪いということが漏れ伝わってきている。
本年2月には、法案として提出される予定であるが、そのような内容の法案を、通常国会の審議において、与党案に沿った内容のまま成立しないように、私たち市民は強く働きかけていく必要がある。
(2004年1月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年2月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
犯罪対策閣僚会議で決定された行動計画について考える
2003年12月18日、総理大臣官邸において開催された第2回犯罪対策閣僚会議において、「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」(以下、単に「行動計画」という)が決定された。犯罪対策閣僚会議は、有効で適切な犯罪対策を総合的かつ積極的に推進することを目的に、同年9月に設置されていた。
この行動計画の中では、治安回復のためには、(1)国民が自らの安全を確保するための活動の支援、(2)犯罪の生じにくい社会環境の整備、(3)水際対策を始めとした各種犯罪対策が重要であるとして、具体的課題に政府を挙げて取り組むことを宣言している。
マスコミはこの行動計画についてあまり取り上げていないが、この行動計画は、現在政府が考えている様々な治安立法の具体的な方向性を明確に示している点で極めて注目すべきものである。
まず、行動計画の序文において、「国民の体感治安が悪化している」ことを指摘し、「今後五年間を目途に、国民の治安に対する不安感を解消し、犯罪の増勢に歯止めをかけ、治安の危機的状況を脱することを目標」とすることが掲げている。
この序文を見ただけでも、国民の「体感治安」なるイメージ(それも政府がマスコミ等を使って煽った結果醸成されたものに過ぎない)を根拠にして、強力な治安対策を行おうとするものであり、極めて危険な計画であることが強く窺えるものとなっている。
その上で、行動計画は5つの重点課題を設定し、148項目もの多岐にわたって具体的な課題を指摘している。
その全てに触れることができないが、注目すべき点として、たとえば、自動車ナンバー自動読取システムの整備活用、刑事手続における被害者対策の推進、インターネット上の有害コンテンツ対策の推進、不法滞在者の摘発強化と退去強制の効率化、国際捜査共助の充実化と条約締結の検討、組織犯罪の取締り強化と厳正な処分、サイバー犯罪条約の早期締結及び関連刑事法の整備等々が挙げられている。
このうち、越境的組織犯罪防止条約関係では、同条約の早期締結と、それに伴って必要となる組織的な犯罪の共謀罪及び証人等買収罪の新設や、犯罪収益規制関係の規定の整備等を行うとされており、改めて、衆議院の解散によって一旦廃案になった共謀罪成立に向けた強い決意が示されている。
また、行動計画は、それにとどまらず、「効率的かつ効果的な組織犯罪情報の収集や、組織の中枢に至る摘発の徹底を図るため、組織犯罪に対し、あらゆる捜査手法等を積極的に活用するとともに、通信傍受、おとり捜査、コントロールド・デリバリー、潜入捜査等の高度な捜査技術・捜査手法、犯罪収益規制の拡大を具体的に研究し、その導入・活用に向けた制度や捜査運営の在り方を検討する。」と述べており、盗聴やおとり捜査の活用や、これまで我が国で認められなかった潜入捜査(組織にスパイを入れる捜査のこと)の導入が示唆されている。
このように、今回決定された行動計画は、今後5年間で達成することを目標として、極めて具体的な提案をしている。この行動計画が、警察・検察の権限を大幅に強化・拡大することを企図したものであることは明らかである。
日本も、本年は、遂に自衛隊のイラクへの海外派兵を行い、戦争国家への道を一歩踏み出そうとしている。そのような状況の中で、政府は、治安立法を次々と行って、市民をがんじがらめにしようとしているのである。
行動計画が目指しているのは、市民を相互に監視させるとともに、戦争反対を叫ぶような市民運動団体や労働組合に対しては、警察が「捜査」の名の下に、盗聴やおとり捜査や潜入捜査を行い、場合によっては共謀罪として予防拘束していくという戦前の治安維持法体制下と同じような強力な弾圧ができる国家体制である。
このような政府の動きに対しては、私たちは、今こそ、断固たる反対の声を上げていかなければならない。
(2003年12月22日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2004年1月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
取調べの可視化について考える
現在、急ピッチで「司法改革」に向けた動きが進んでいる。特に刑事裁判については大幅な「改革」(実際には改悪)が進められようとしている。しかしながら、現在の「司法改革」は、刑事裁判において、最も問題が多く、改革が必要なはずの捜査段階についてはほとんどノータッチのままである。
我が国の刑事裁判においては、現在においても、「自白は証拠の王」であり、捜査段階においては、被疑者からいかにして自白を獲得するかに最大の関心が持たれており、そこに捜査官のエネルギーが注がれている。
そして、被疑者が、捜査段階で、一旦自白して、検察官によって自白調書が作成されてしまえば、それを後で公判になって覆すことは極めて困難である。公判段階においては、自白調書も証拠として提出され(任意性がないとして、稀に証拠排除される場合もあるが)、公判においては、いかにその自白が、捜査官の利益誘導や脅しによって取られたものであることを立証しても、ほとんどの場合、裁判官は、密室で検察官によって取られた供述調書を信用して、有罪にしてしまうのである。
したがって、現在の刑事司法を改革するのであれば、捜査段階における不当・違法な自白の獲得をやめさせるような方策をとらなければ意味がないはずである。
しかしながら、現在進められている「司法改革」では、この点には全く触れないままで進んでいるが、この一事をもってしても、今回の「司法改革」が本気で現状を変えようとしているのではないことを何よりも裏付けている。
このような状況の中で、日弁連は、2003年10月17日、愛媛県松山市で行われた日弁連の人権擁護大会においても、政府に対して、取調べの可視化を求める宣言を採択し、取調べの可視化を図るため、取調べの全過程を録画・録音する制度を導入することを提案している。
ところで、海外においては、取調べには、弁護人の立会いが認める国が多い。アメリカでは、有名な「ミランダ判決」によって。弁護人の立会いなしで行われた取調べで獲得された自白は証拠能力がないとされ、この点が徹底されている。日本に在留する米軍が、国内で犯罪を犯した場合の身柄をいつ日本に引き渡すかという点につき、現在、日米地位協定の見直しが協議されているが、アメリカはかねてから、取調べに弁護人が同席を求めているが、それはアメリカから見れば当然の権利の主張であり、むしろ、取調べに弁護人の立会いを認めない我が国の刑事司法の方が異常なのである。
私は、数年前にアメリカのシアトル警察に行って刑事に話を聞いた際に、被疑者に対しては、まず弁護人を呼ぶかどうかを聞き、弁護人を呼ぶと答えたら。取調べはしないで、すぐに拘置所に送致し、弁護人を呼ばないでも良いという被疑者についてだけ、ミランダ原則によって認められた権利を放棄するという書面にサインさせた上で取調べを行っているとの説明であった。ここから分かることは、弁護人の立会いを認めることは、取調べを行うこと自体を抑止する効果があるということである。
日弁連が主張している取調べの全過程の録画・録音は、弁護人の同席が当然に認められているアメリカなどの現状と比較すると、かなり穏健な主張のように見える。ただ、これまでの経緯から見て、我が国においては、一朝一夕に、取調べの弁護人立会いが実現しそうもないという厳しい現状を踏まえての現実的な提案だと言える。
しかしながら、このような穏健な主張であるはずの取調べの全過程の録画・録音ですら、法務省や警察庁は強硬に反対している。その主たる論拠は、「密室だからこそ、被疑者は真実を話す」、「密室でなければ、自白がとれなくなる」というものである。そこから窺えるのは、相変わらず、「自白は証拠の王」と扱って、自白を獲得することを至上と考える現在の歪んだ捜査観である。
このように見てくると、刑事裁判における自白の取り扱いを根本的に見直す必要があることが分かる。
アメリカにおいては、客観的な証拠でほとんどを立証し、自白はさほど重要な証拠と扱われていない。そして、被疑者を逮捕する時点で、ほとんど客観的証拠は収集し終わっており、逮捕は「捜査の終着点」と考えられている。これに対して、自白の獲得を尊重する我が国では、逮捕は「捜査の始まり」を意味すると考えられている。この差は余りにも大きい。
したがって、我が国においても、自白に依存せず、客観的証拠で科学的・論理的に犯罪事実を証明するような制度に根本的に変革する必要がある。ところが、この観点から見れば、今回の「司法改革」はこの点には全く触れず、むしろ、「自白は証拠の王」という旧来のあり方を温存しようとしているとさえ言える。
取調べの可視化の主張は、穏健であり妥協的な主張ではあるが、自白をめぐる態度の相違点を見事に浮かび上がらせてくれる格好の材料である。そして、日弁連としては、取調べの可視化が同時に実現されなければ、政府が提案する「司法改革」、特に裁判員制度には全面的に反対するという位の強い態度を持って臨まなければならない。
(2003年11月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年12月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
弁護士の守秘義務が危ない−最近の守秘義務を制限する動向について
2003年7月、鹿児島地方裁判所が、公職選挙法違反の罪で起訴された被告の国選弁護人2名を解任したという事件が発生した。
同裁判所は解任の理由を明らかにしていないが、鹿児島県弁護会は、弁護士の接見時に、文書の授受が禁止されている被告に親族の手紙を見せたことが、鹿児島地検から鹿児島地裁に情報提供されていることから、それを理由に解任したと推測し、7月11日に、鹿児島地裁と鹿児島地検に抗議文を提出したことが報じられている(毎日新聞Mainichi Interactive7月11日付)。
その後、伝えられるところでは、検察官が、弁護人と被告人との接見後に、被告人を取り調べて、弁護人との接見状況や接見内容を聞き出してそれを供述調書として作成していることが判明しているようである。
一見すると、接見禁止中に親族の手紙を見せたのだから、それは接見禁止違反ではないかと思われるかもしれないが、問題は、秘密交通権が保障されているはずの接見内容が、検察官による被告人の取調べで筒抜けにさせられているという点にある。
そこに見られるのは、違法なことをしているかどうかを確認するためには、秘密交通権が認められている接見内容についても、検察官が疑いを持てば、それを被告人から聞き出すことができる、すなわち、そのような違法な行為には秘密を認めないという考え方である。
刑事訴訟法149条は、弁護士に対して、「業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、証言を拒むことができる。」と定め、刑法134条は、「正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」と規定している。
また、弁護士法23条は、「弁護士又は弁護士であった者は、その職務上知り得た秘密を保持する権利を有し、義務を負う。(以下、略)」と規定している。弁護士法のこの規定については、「依頼者は、法律事件について、秘密に関する事項を打ち明けて弁護士に法律事務を委任するものであるから、職務上知り得た秘密を他に漏らさないことは、弁護士の義務として最も重要視されるものであり、また、この義務が遵守されることによって、弁護士の職業の存立が保障されるとも言える。」(日本弁護士連合会調査室編著『条解弁護士法〔第3版〕』168頁)とされている。
このように、我が国の法制度において、弁護士の守秘義務は法律で厚く保護されているのである。
ところが、上に見た事例だけでなく、現在、世界的に弁護士の守秘義務を制限しようという動きが強まっている。
FATF(FinancealAction Task Force、資金洗浄に関する金融活動作業部会)は、1989年にフランスで開催されたアルシュ・サミットの経済宣言を受けて政府間機関として設置され、マネーロンダリングに関する包括的な検討を行っており、1990年に「40の勧告」を採択し、その後、1996年にはこれを改訂して、新たな「40の勧告」を採択している。
その主たる内容は、マネーロンダリングの犯罪化、マネーロンダリングの前提犯罪を薬物犯罪から一般の重大犯罪まで拡大すること、犯罪収益の没収制度の整備、金融機関における顧客の本人確認や疑わしい取引に関する当局への報告義務を課すこと等であった。
2003年6月20日、FATFは、ベルリンで開催された本会議において、新たな「40の勧告」を採択し発表している。
今回の勧告の中で第1に注目すべきは、これまでは、犯罪収益についてのマネーロンダリング規制だけが取り上げられていたのが、今回初めて、テロ関連供与に対する規制も盛り込まれたという点である。
そして、第2に、これまで金融機関について認められていた本人確認や疑わしい取引の当局への報告義務が、弁護士、公証人、公認会計士、税理士などにも課せられることになったという点である(これらの者を金融システムの「門番」であるとして、今回の規制をゲートキーパー規制と呼んでいる)。
具体的には、弁護士は、不動産の売買や依頼者の資産の管理等に関して、依頼者の取引を準備または実施する場合には、顧客の本人確認義務と記録保存義務を課されるとともに、その資金が犯罪収益またはテロ関連資金であると疑うか疑うべき合理的根拠があったときには金融当局に報告する義務を課され、報告したことを依頼者に通報(内報)してはならないとされることになっている。
もっとも、世界各国の弁護士会からの強い反対運動の結果、弁護士の守秘義務または依頼者の秘密特権の対象となる状況において関連の情報が得られた場合には、報告義務の対象にならないことが勧告に盛り込まれた。
既に、イギリスにおいては、弁護士にこのような義務を課す制度は法制化されているし(香港にも同じような制度が法制化されているという。)、EUの欧州委員会も、マネーロンダリングに関するEU指令を改正し、弁護士等の専門職にある者に「疑わしい取引」の報告義務を課す内容のEU指令の改正案が2001年12月に採択されており、今後、EU加盟各国での立法作業が行われる段階となっている。
したがって、今回のFATFの新「40の勧告」は、これまでこの種の規制がなかったアジア、アメリカ、カナダ、日本をターゲットにしているということになる。
ところで、FATFは、現在、我が国を含む29か国・地域及び2国際機関が参加し、「40の勧告」の実施についての相互審査や非協力国・地域の特定等を行っており、非協力国と指定されると、FATFの上部団体であるOECDの権限によって、国際取引が停止される等の制裁を受ける可能性があると言われており、「40の勧告」は条約でもなく、法的な拘束力を持たないにもかかわらず、実際には強力な圧力によって実現される仕組みとなっている。
今のところ、我が国に対する相互審査が、遅くとも2004年末ころには始まるのではないかと言われており、法務省等の担当省庁は、それまでに国内法を整備することを計画していると伝えられている。
いずれにしても、依頼者が秘密が守られると考えて弁護士に打ち明けた事柄について、一定の場合には政府機関に通報されてしまうという制度が設けられようとしており、弁護士の守秘義務が大きく制限されようとしていることは間違いがない。
しかしながら、このような制度が実現すると、そのような制度が存在することそれ自体によって、弁護士と依頼者との信頼関係は根底から脅かされてしまうことになる。
それを一旦認めてしまえば、国家権力との対抗関係の中で、依頼者の人権や法的利益を擁護するという弁護士としての職業の基盤が掘り崩されてしまい、総体としての依頼者=市民の弁護士に対する不信感が引き起こされてしまうことになる。
ここに見られるのは、マネーロンダリングやテロ資金供与というような重大な犯罪行為については守秘義務など認めないという権力者による強固な意思であるが、そこでは、依頼者と弁護士との間の守秘義務がいかに重要な意味を持っているのかという点が全く看過されている。そして、さらに言えば、依頼者と弁護士との間の信頼関係を破壊し、分断することも狙いに入っているのではないかと思われる。
弁護士の守秘義務の制限というのは、一見すると弁護士だけの問題のように見えるが、実は決してそうではなく、弁護士に依頼した依頼者=市民のプライバシーを制限しようという動きである。
すなわち、権力は市民の情報を丸裸にしていき、市民を初めから疑いの目で見ながら、市民が何か犯罪を犯しているのではないかと常時警戒しようとしているのであり、まさに警察監視社会を目指しているのである。
このような動きに対しては、私たちはその動向を注視しつつ、断固として反対の声を上げていかなければならない。
(2003年10月30日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年11月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
改めて司法改革の本質的狙いについて考える
1997年7月に設けられた司法制度改革審議会は、2001年6月12日に最終意見書をとりまとめて内閣に提出している。その後、同年12月から司法改革推進本部が設けられ、その下に、顧問会議とそれぞれの課題についての検討会(労働検討会、司法アクセス検討会、ADR検討会、仲裁検討会、行政訴訟検討会、裁判員制度・刑事検討会、公的弁護制度検討会、国際化検討会、法曹養成検討会、法曹制度検討会、知的財産訴訟検討会)を設置して立法のための制度設計を検討している。
既に終了した第156通常国会には、司法改革を先取りする形で、裁判迅速法案、民事訴訟法改正案、人事訴訟法改正案、仲裁法案などがそれぞれ提出され可決・成立している。
それ以外の点に関する検討会の審議も大詰めを迎えており、本年秋にもそれぞれの検討会で方針を決定した上で、その後、法務省を中心に立法作業が行われ、2005年の通常国会に法案として提出される予定である。
我が国ではこれまで、政治改革、行政改革、規制緩和等の経済構造改革などが「改革」を旗印として行われてきた。小泉首相は「財政改革なくして景気回復なし」とのスローガンを掲げて、財政改革を声高に訴えて大衆の支持を集めてきた。
しかしながら、これまで行われてきた諸制度の「改革」は、果たして日本を良くしてきただろうか。
例えば、政治改革として行われた小選挙区制度導入は死票を多く出するとともに、与党である自民党政権の安泰に貢献してきただけである。また、行政改革として行われた省庁再編も省庁の名前(看板)が変わっただけでその前後でほとんど何も変化はなく、官僚支配はますます強化されただけである。経済構造改革にしても、結局、大企業がリストラを進めるとともに、中小企業が次々と倒産に追いやられただけである。
つまり、これまで行われてきた「改革」なるものは、その言葉が与える印象とは正反対に日本を悪くするものでしかなかったと評することができるのであり、「改革」という言葉が国民に対して幻想を振りまくものでしかなかったのである。
そして、司法改革についても、これまでの諸制度の改革の延長線上にあることは明らかである。そして、それが国民に対して幻想を振りまいていることも全く同様である。特に、マスコミの報道では司法改革が否定的に報道されることはほとんどないと言ってよい。少なくとも今の司法制度よりは良くなるという幻想が振りまかれているのである。
ところで、司法制度改革審議会の最終報告書の冒頭において、これまでの経過を踏まえて、「我が国は、直面する困難な状況の中にあって、政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸々の改革に取り組んできた。これら諸々の改革の根底に共通して流れているのは、国民の一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画し、この国に豊かな創造性とエネルギーを取り戻そうとする志であろう。今般の司法制度改革は、これら諸々の改革を憲法のよって立つ基本理念の一つである『法の支配』の下に有機的に結び合わせようとするものであり、まさに『この国のかたち』の再構築に関わる一連の諸改革の『最後のかなめ』として位置付けられるべきものである。」と述べられている。ここに、司法改革の本質が体現されていると言えるだろう。
すなわち、司法改革が目指すものは、あくまでも日本という国家の威信の再生であり、国民一人一人に対して、我が国を統治する重い「責任」を負わせようとしているのである。
それは、実際に、司法制度改革審議会が導入することを決めた各種の制度を見ても明らかである。
例えば、刑事裁判について見れば、刑事裁判の迅速化(原則的連日開廷)や裁判員制度は、いずれも、被告人のためではなく、裁判制度に対する国民の期待や信頼の回復をその目的としている。
被疑者・被告人に対する公的弁護の充実についても、公的弁護制度の運営主体を弁護士会ではなく、公正中立な第三者機関にすることを提言し、刑事弁護人を国家の管理下に置くことを企図しており、これらを見れば、司法制度改革審議会は、刑事裁判を国家管理の下で迅速に行うことだけを考えていると言わざるを得ない。
ここから窺えるのは、経済的に裕福な層は、高い弁護士費用を支払って優秀な弁護士に依頼して徹底的に争うことができるが、経済的に余裕がない層は、国家に管理された公的弁護により、「迅速」に有罪判決を受けることを余儀なくされるという極端な弱肉強食の実現である。
民事裁判についても、弁護士費用敗訴者負担制度の導入は、国や大企業に対する「濫訴」の防止が目的となっており、市民が国や大企業に対して、裁判を通じて異議を述べる機会を封殺する結果になることは明らかである。ここでも、弱肉強食の論理が徹底されている。
このように、司法改革というのは、小泉首相が「痛みを伴う改革」と称して断行している弱者の切り捨て・金持ち優遇策の司法版に過ぎないことは明らかなのである。
市民の中には、司法改革にわずかばかりの期待を抱いている者もおり、それは今の司法制度が絶望的であることからすれば理解できない訳でもない。しかしながら、司法改革が真に目指しているものは弱肉強食の世の中であることを見抜き、その本質的な狙いに反対していかなければ、本来弱者を救済すべき司法制度が弱者を切り捨てるという恐ろしい時代が来ることになる。
さらに、政府・与党は、有事法制を完成させ、自衛隊の海外派兵を年内にも実現しようとしている。小泉首相は、自衛隊が「軍隊」であると公言し、憲法改正を明言するに至っている。このようにして、我が国は軍事国家に向けてひた走っている。
このような状況の中で、現在急ピッチで進んでいる司法改革が戦前の翼賛的な司法制度として利用されようとしているとも考えることができる。つまり、国家の政策に反対する者を犯罪者として迅速に処罰して投獄することで社会の安全を守ろうという訳である。
軍靴の響きとともに、そのような時代は間近に来ていることを痛感する。その意味では、司法改革の動きに対して、今ここで反対の声を上げなければこの動きに抗することすらできなくなろうとしているのである。
(2003年9月29日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年10月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
犯罪被害者による刑事裁判への参加の是非について考える
従来、我が国の刑事手続において、犯罪被害者が全く無視され疎外されていたことは否定できない。ところが、1990年代に入り、犯罪被害者の問題がクローズアップされる中で、2000年5月に、いわゆる被害者二法と呼ばれる「刑事訴訟法及び検察審査会法の一部を改正する法律」と「犯罪被害者等の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」がそれぞれ成立している。
最近、被害者団体の中でも、全国犯罪被害者の会(あすの会)は、被害者二法が被害者の権利を認めておらず、極めて不十分な法律であると批判しながら、(1)被害者訴追、(2)被害者の訴訟参加、(3)附帯私訴など、刑事手続に犯罪被害者が参加することを法律で認めるべきことを提言している(岡村勲「犯罪被害者に信用されない刑事司法」現代刑事法2000年11月号参照)。
そして、その実現のための署名運動を精力的に行い、約39万人の街頭署名を集めて、2003年7月8日に小泉総理大臣に面会して要望を申し入れるとともに、その翌日に、その署名を森山真弓法務大臣に提出している。
このような被害者団体の活発な動きの中で、小泉総理大臣は、2003年7月30日の司法制度改革推進本部顧問会議第12回会合の席上、犯罪被害者や家族らが裁判など刑事司法の場で保護や適切な支援を受けられる法整備を行う意向を表明し、これを受けて、森山真弓法務大臣は、同年8月1日の閣議後の会見で、犯罪被害者やその家族の保護・支援の施策を検討するため有識者による研究会を法務総合研究所内に作ることを明らかにした。
このように、政府として、被害者問題に対して積極的に取り組む方針が示され、政府が被害者を保護・支援するための立法に向けた取り組みを急速に進めようとしているのである。
ところで、被害者の権利の確立に向けて活発に運動を続けている被害者団体は、ドイツ型の参加制度を念頭に置いて、被害者が刑事手続に参加できる制度の新設を強く求めているのであり、政府による新たな立法の動きも、それに追随しようとしている。
すなわち、全国犯罪被害者の会の岡村氏によると、ドイツでは、住居侵入、侮辱等等重罪でない一定の犯罪については被害者自身が訴追するのが原則であり、これらの犯罪に公共の利益が存するときに限って検事局も公訴できる。その他の重罪については検事局だけが訴追するが、起訴法定主義をとっているという。また、検事局が起訴した事件については、被害者は訴訟手続きに自ら参加し、裁判官に対する忌避権、裁判長の命令・質問に対する異議権、証拠申請権、質問権、意見陳述権が保障され、弁護士を付けるための訴訟援助も認められているという(岡村・前掲論文参照)。つまり、我が国の刑事裁判に、このような制度を導入することを目指しているのである。
しかしながら、我が国の刑事裁判に、このような被害者が参加する制度を導入することは、原理的にも、実際的にも、極めて大きな問題があると言わなければならない。
まず、被害者側の言い分として、「被疑者・被告人は手厚く保障されているのに比して、犯罪被害者は何も保障されていない」という主張がなされている。しかしながら、そもそも、被疑者・被告人と犯罪被害者を単純に対置すること自体が問題である。
被疑者・被告人に防禦権を与えたのは、彼らは国家権力を背景にした強大な国家刑罰権の行使の対象とされることから、国家刑罰権の適正・公平な行使を確保するためには、防禦権を実質的に保障することが不可欠だからである。
これに対して、被害者は国家権力と向き合い、国家刑罰権の行使の対象になるという立場には全くないのであるから、被疑者・被告人に与えられた防禦権と同じ権利を犯罪被害者に与えるべき必然は何ら存しないのである。
また、我が国の刑事司法の現状は、憲法や刑事訴訟法が被疑者・被告人に認めている防禦権が実効的に保障されているとは到底言えない状況にある。
それは、接見交通権の日常的な妨害や制限、代用監獄における長時間の取調べ、人質司法と呼ばれる権利保釈の形骸化、極めて不十分な証拠開示、調書裁判と呼ばれる口頭主義の形骸化等によって、我が国の被疑者・被告人が置かれた立場は、既に極めて危うい状況に置かれている。
国際的に見ても、我が国の刑事司法における被疑者・被告人に対する権利保障は極めて遅れていることがかねてから指摘されているのである。
このように、被疑者・被告人に対する権利保障が非常に遅れている我が国において、ドイツ型の被害者参加制度をそのまま導入することは、被疑者・被告人の権利を制約し、現在よりも危ういものにするおそれが極めて強いと言わなければならない。
これに対して、ドイツは欧州人権条約に加盟しており、我が国と比較して、被疑者・被告人に対する権利保障が極めて高い水準で行われていると言えるのであって、前提が全く異なっているのである。
一般に、外国で行われているある制度を我が国に導入しようとする場合には、外国の法制度全体を見渡した上で、我が国の法制度全体と比較し、その制度が導入しうるものか否かについて慎重に判断する必要があるのであり、ドイツと我が国とでは、それが前提とする被疑者・被告人に対する権利保障の程度が全く異なるのであって、ドイツの参加制度を我が国にそのまま持ち込むことは困難と言わなければならない。
次に、刑事裁判への参加制度導入論者が真に目指しているのは、「加害者」に対する応報感情を満足させる制度の創設であると考えられる。
しかしながら、現在の刑事司法制度は、近代国家が私的復讐を禁止して公的刑罰に昇華していった歴史の中で生まれてきたものであり(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』165頁参照)、それは犯罪被害者の応報感情を否定する歴史であったはずである(このため、現在では、私的制裁や自力救済が完全に否定されている)。
ところが、最近の刑事裁判への参加制度導入論者は、この歴史を完全に逆行させ、犯罪被害者の応報感情の復活を認め、刑事裁判の公開の法廷において、犯罪被害者が被告人を糾弾させること等を認めさせて、犯罪被害者の応報感情を満足させる制度の創設を目指しているのである。
そもそも、犯罪被害者に対する支援において、何よりもまず行われるべきは、経済的援助と精神的ケアの実施である。これこそが、国家が積極的に取り組むべき課題であるはずであり、現に諸外国では行われているのである。ところが、我が国の政府はこのような課題を長い間放置し続けてきたのである。
最近になって、政府が刑事裁判に被害者が参加する制度を創設しようとしているのは、むしろ犯罪被害者に対する経済的補償等の国家の責任を完全に放棄し、極めて安易で安上がりな方法で犯罪被害者に対する支援をしたことにしようとする不誠実な態度の現れであると言わなければならない。
ところで、刑事裁判のあり方については、今後、裁判員制度の導入に伴って「大改革」(実際には大改悪)が行われることが予定されている。
これに併せて、被害者が刑事裁判に参加する制度までが導入されるとしたら、被告人の権利の保障はますますその実効性を失って名目的なものとなり、刑事裁判における被告人の地位は極めて危ういものとなることが避けられないだろう。
つまり、司法改革の中で被害者問題にも取り組もうとする政府の姿勢は、実は、被害者からの要望を最大限に利用しながら、被疑者・被告人の防禦権を完全に骨抜きにすることを意図しているとしか考えられないのである。
それは、我が国がいつでも戦争することができる有事国家体制を強化する中で、戦後の日本の民主主義が勝ち取ってきた無罪推定原則を含むデュープロセス(手続的保障)を完全に否定し、起訴された被告人は必ず有罪にすることができる必罰主義を支持することを意味している。
そして、それはまた、国家権力が、刑事裁判をいわば有罪「製造」の道具として治安対策に利用することができる仕組みに改変しようとしていることを意味している。
そうであるならば、政府が進めようとして被害者対策についても、その本当の意図や狙いを見抜いて、それ以外の司法改革と一体をなすものとして反対していくことが強く求められていると言わなければならない。
(2003年8月30日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年9月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
長崎の少年事件から考える−刑法や少年院法の改正は必要か
本年7月1日に、長崎県長崎市内の立体駐車場の屋上から、幼稚園児を突き落として殺害したとされる事件が発生し、長崎県警が、同月9日に、同市内の中学1年生を補導したことから、マスコミが大騒ぎを始め、12歳による「犯行」がクローズアップされ、刑法の刑事責任年齢の引き上げや少年院法の改正などが取り沙汰されるようになっている。
少年は、補導された後、長崎県警が児童相談所に通告し、同月10日に、長崎家庭裁判所に送致され、観護措置決定をされて、長崎少年鑑別所に収容されている。同月23日には第1回の審判が開かれて、少年に対する精神鑑定を行うことが決定されている。9月19日までの58日の間、鑑定留置されて精神鑑定を受け、その後、その結果を踏まえて、審判が開かれて最終処分が言い渡される予定となっている。最終的な処分は児童自立支援施設送致になる可能性が高いと指摘されている。
私は、まず、これまでの報道等を見る限り、少年が殺人を犯したことを当然の前提としているが、そこに疑問を持たざるを得ない。それは、何よりも「無罪の推定」の原則が少年事件の場合にも貫徹されるべきであるとともに、本件について、少年は、殺害現場である「駐車場に着いてから、自分が何をやっているのか分からなくなった」と付添人に述べているようであり(Yomiuri ON-LINE7月17日)、少年が幼稚園児を突き落として殺害したのか(故意)、何らかの事故で落ちたのか(過失)は、現在も不明のままである。幼稚園児の命が奪われる結果が発生していることは誰も否定できないが、これらの事実関係を含めて、長崎家庭裁判所の判断が出されるまでは、勝手な推測で「殺人」だから重大な犯罪であると決めつけることは許されないと解すべきである。
ところで、現在、論議になっているのは、「一四歳ニ満タサル者ノ行為ハ之ヲ罰セス」と規定して刑事責任年齢を定める刑法41条の改正論である。
この規定については、「この満14歳という年齢は、具体的に行為の是非善悪を弁別し、その弁別にしたがつて行動を制御しうる能力ということだけを標準とするときは、責任年齢の限界としては、たしかに高すぎるものといえよう。しかし、この満14歳という責任年齢は、単に上のような能力だけを考慮して決定されたものではなく、同時に、心神の発育の途上にある年少者の特殊な精神状況とその改善可能の見込みとが考慮に入れられているのであつて、こうした観点からすれば、満14歳という年齢は決して高すぎるものとはいえない」と説明されている(団藤重光責任編集『注釈刑法(2)のII・総則(3)』435頁〔福田平執筆部分〕)。
ところが、小泉首相は、7月18日の政府の広報番組のラジオ収録で、「今の法律では14歳未満の少年少女が罰せられることはない。しかし、もう中学校だから殺人が重大な犯罪だということは分かっているはずだ」と指摘して、刑事責任年齢の引き下げを検討することを表明したと伝えられている(同日の共同通信ニュース速報)。
この小泉首相の発言は、刑事責任年齢の規定が是非善悪の弁別ができる能力という観点だけでなく、年少者の特殊な精神状況と改善の見込みを考慮して高度な政策判断によって満14歳と決められていることを無視するとともに、しかも、刑事責任年齢の規定は、重大犯罪に限らず、全ての犯罪に関して適用される規定であることを認識していないでなされているという点で全く説得力を有していないと言わなければならない。また、長崎で起きたこの事件だけを理由に刑法を改正するなどというのは、立法論としてはあまりにも拙速であると言わなければならない。
実は、これまでも14歳未満の少年による殺人はこれまでも起きており、平均すると年に2、3人が検挙されているとされ、低年齢者が単独で殺人という行為に至る場合には背後に精神疾患が認められる例が圧倒的に多いと指摘されている(朝日新聞7月25日付朝刊「三者三論」における河合幹雄氏のコメント)。本件についても、長崎家庭裁判所は精神鑑定を採用しており、何らかの精神疾患等が影響している可能性を否定できない。
そうであるならば、現時点において、本件だけを根拠に、刑法41条の改正の必要性があると考えることはできない(つまり、刑法41条の改正を必要とする立法事実が存在しない)と言わなければならない。
次に、森山法相は、7月17日の参議院法務委員会で、「13歳以下の少年を少年院に収容し、矯正教育を行うことの効果、影響に配慮し検討してみたい」と述べて、少年院法の改正を検討する考えを示したと伝えられている(東京新聞7月17日付夕刊)。
この点については、かつて少年院法は、収容対象年齢について、「おおむね14歳以上」として13歳以下の処遇も可能だったが、厚生省(当時)の所管する教護院(現在の児童自立支援施設)との役割分担を明確にする観点から、1949年の改正で「おおむね」との部分が削除されたという経緯があると指摘されている(asahi.com7月17日)。
そうであれば、この点については、いわゆる縦割り行政の弊害とも考えられるので、本件だけでなく、今後しばらく事例の集積を待った上で、少年事件に関わる専門家の意見も聴いて検討することは意味のあることだと思われる。
ところで、本件で少年が補導された直後、多くのマスコミの報道で、「少年法の不備」という謬論が多く流布された。
しかし、少年法は、刑事責任年齢である14歳未満の少年についても「触法少年」としてその対象とし、今回の事件の処理を見ても明らかなように、本件については、手続的に見て、きわめて適切な対処がとられていることが分かる。
触法少年について、児童自立支援施設又は児童養護施設への送致か保護観察の処分しかできないことに対する不満を述べる意見もあるが、かつて、13歳の少年が一旦児童自立支援施設に送致され、14歳になった後、児童相談所がその少年を家庭裁判所に送致して、審判を経て医療少年院に送致したという事例もあり(asahi.com7月17日)、本件についてもこのような対応が可能であることを考えると、現行の少年法は、本件についてもきちんと対応できる内容を有していると言えるのであって、「少年法の不備」はないと言える。
最後に、長崎の少年事件については、少年の生育歴を含めた情報公開を求める声が多く、長崎家庭裁判所での審判が非公開で行われていることに対して、「密室」だと批判する声も見られる。
しかしながら、テレビや週刊誌の報道を見る限りでは、今求められているという「情報公開」の多くは、覗き見的な欲求からなされていると考えられるものであり、そのような欲求を満たすために拙速な情報公開をするべきではない(朝日新聞7月25日付朝刊「三者三論」における後藤弘子氏のコメント)。
また、被害者に対しては、少年法が2000年に改正されたことから、ある程度の情報公開はなされるようになっている(本件の被害者の関係者において、第1回審判に関する記録の閲覧請求をする意向であることが伝えられている)。
ちなみに、これまでの例からすれば、長崎家庭裁判所は、最終の処分を言い渡した際に、審判要旨を公表し、その中でおおまかな生育歴や精神疾患との関係等が明らかにされる可能性があるし、付添人からも記者会見等でその評価についてコメントされると考えられるのであるから、ある程度の事実関係や事件の発生に至る経緯等が明らかにされる可能性がある。
それ以上に突っ込んだ分析については、精神科医や臨床心理学者ら外部の識者も交えた調査研究がなされることによって行われるべきである。
本件のような年少者による事件については、従来、発育不全による未熟さが原因であり、その事件を起こした少年は決して凶悪ではないと指摘されている(小林道雄『退化する子どもたち』現代人文社20頁以下)。
そして、少年が、現実社会の厳しさから逃避するために仮想の世界に逃げ込んで自尊心を支える手段とする場合があり、そのようにして周囲にバリケードを張り巡らし必死に自分を支えている状況を作るが、現実の世界に行き詰まり、自尊心が傷ついた場合に、仮想の世界の出来事を現実の世界でも行おうとして突発的な非行を犯すことがあると指摘されている(前掲書121頁に引用された小林万洋氏の記述による)。
このような指摘は、本件についてもある程度当てはまる面があるように思われる。
ただ、いずれにしても、本件の表面的な事象にだけ目を奪われるのではなく、この事件を含めて、現在の子どもたちに通じて生起している事象をもっと巨視的な観点から捉え直し、子どもたちに大きな影響を与えている大人社会のあり方についても、根本的に見直すべき時が来ていると言えるだろう。本件の少年だけを特別視し、社会から排除するような議論は絶対にされるべきではない。冷静な議論が今こそ求められている。
(2003年7月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年8月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
「法の下克上」を許していいのか−とどまるところを知らない憲法破壊について考える
いわゆるイラク復興特別措置法案(以下「イラク特措法案」という。)が、本年6月13日に内閣の閣議決定を経て衆議院に上程され、同月24日から審議入りしている。
自衛隊が創設される際には、参議院が、「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章とわが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。」との付帯決議がなされている(1954年6月2日)。
イラク特措法案は、この附帯決議に反して、戦後初めて自衛隊の海外派兵を認めようとする法案である。
そうであるならば、当然に、「武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄すると定めた憲法9条に違反しないかが問われなければならないはずである(例えば、芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法〔第三版〕』岩波書店65頁は、海外派兵を認めることは難しいと述べている)。
ところが、現在の国会審議においても、これを報道するマスコミの論調においても、憲法9条については何も語られないままに、イラク戦争が正当だったか否か、イラクに自衛隊を派遣する必要があるか否かと言った法律レベルでの議論がなされており、憲法論議は全く不在である。
しかも、自衛隊法3条1項は、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務」とすると規定しており、海外派兵ができるとは規定していない。
ところが、今回のイラク特措法案の立法提案と一緒に、自衛隊法の付則の改正も提案されており、その中で、イラク特措法案に沿った「物品」及び「役務」の提供への従事を認めるとの規定を盛り込むことによって、自衛隊の海外派兵を許容させようとしていると指摘されており(東京新聞6月17日付朝刊)、前田哲男・東京国際大教授は、これについて、「法の付則に法の根幹を覆す文言を入れる。その自衛隊法が今度は憲法九条を覆す。」として、そのような事態を「法の下克上」だと批判するコメントをしている(同記事)。
前田教授の「法の下克上」という指摘は、イラク特措法案に限らず、最近の立法のあり方全般に通ずる根源的な批判を的確に表した表現であり、その本質を見事に突いている。
イラク特措法案から話題を変えて、2001年11月に欧州評議会で採択され署名されたサイバー犯罪条約を国内法化するため(日本政府も署名済みである)、本年3月24日に、「ハイテク犯罪に対処するための刑事法の整備に関する諮問」が法務大臣から法制審議会になされて、現在、刑事法(ハイテク犯罪関係)部会において、秋の臨時国会への法案の提出を目指して急ピッチで審議が進められている。
この要綱案の中で、「差し押さえるべき物が電子計算機であるときは、当該電子計算機に電気通信回線で接続している記録媒体であって、当該電子計算機で処理すべき電磁的記録を保管するために使用されていると認めるに足りる状況にあるものから、その電磁的記録を当該電子計算機又は他の記録媒体に複写した上、当該電子計算機又は他の記録媒体を差し押さえることができる」(同諮問要綱第五、一)との規定の新設が提案されている。
これは電話回線で接続されたストレージ・サービスのデータ格納スペースや、LANで接続された別のコンピュータの中のデータを差し押さえることを認めようとするものである。
ここでは、予定されているストレージ・サービスのデータ格納スペースやLANで接続された別のコンピュータが存在している「場所」を特定しなくても、その差押えが認められることになり、憲法35条が、捜索・押収について、明文で、「捜索する場所及び押収する物」が特定され、それが令状に明示されることを保障していることとの抵触が問題となるはずである。
ところが、法制審議会の刑事法部会において、主として刑事法研究者である委員の中から、憲法35条の「場所」の特定と明示は例示であって、特定して明示しなくても憲法35条には違反しないという意見が多数述べられ、捜査にとって必要なのだから、このような議論の場面で憲法論を持ち出すこと自体が場違いであるという雰囲気があると伝えられている。
これも、法律を制定しさえすれば、それによって憲法35条の保障内容が決まるであって、法律の解釈・制定によって、憲法はいかようにも改憲できるという議論のあり方を象徴しており、ここにも「法の下克上」が見られるのである。
このように、最近では、まず、憲法がそのような立法を許しているか否かという原理論を論じることを、「神学論争」であるとして排斥し、法律のレベルで、立法技術の問題に還元して論じる傾向が極めて強まっている。
つまり、我が国の最高法規であるはずの憲法が、いつの間にか、神棚の脇にでも置かれて無視され、最高法規であることの意味が骨抜きにされようとしているのである。
もちろん、権力の側は、憲法「改正」をしなくよいなどと考えている訳でもない。おそらく、各種の憲法に違反したり、憲法秩序を破壊するような法律が沢山成立した暁には、そのような憲法違反の法律によって築かれた新しい秩序を前提に、「憲法が実情に合わなくなった」とか、「憲法が時代に遅れているから」などという理由で憲法「改正」がなされ、それに対して国民は、そのような各種の憲法違反の法律に反対しなかったという理由で、もはや憲法「改正」に対しても反対できないような状況に追いやられてしまうだろう。
このように、「法の下克上」という事態は、憲法秩序の空洞化をもたらし、やがては、憲法改正を確実に招来するという意味において、極めて恐ろしい事態と言わなければならない。
かつて、主として自衛隊について、「憲法の変遷」とか「解釈改憲」という表現で、既成事実として自衛隊の合憲性を認める見解があったが、「法の下克上」という事態は、それ以上に強力な憲法破壊をもたらす異常事態と言わなければならない。
ところが、小泉政権は、この「法の下克上」を意識的に次々と仕掛けてきており、小泉首相が自民党総裁選で再選されれば、必ず在任中の憲法「改正」を目指すことが予想されるのである。そうなれば、憲法に、自衛隊を軍隊として認知し許容する旨の規定や、徴兵制を認める規定等が設けられる可能性は極めて高いと言わなければならない。
このように考えると、次から次へと繰り出されている新たな法案に対して、今、全力で反対して封殺しなければ、近い将来予想される憲法「改正」への動きを止めることはできないという私たちが置かれた状況を冷静に認識し、強い危機意識を持って、新たな法案の立法策動に対しては、一つ一つ着実に反対運動を組織して立ち向かっていくことが強く望まれていると言わなければならない。
(2003年6月30日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年7月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
ピッキング防止法案に見る行政警察権限の拡大と市民生活の監視について考える
今国会(第156回通常国会)において、個人情報保護法案や有事関連法案など私たち市民の人権を制限する法律が次々と衆議院で可決され、参議院での審議を経て成立する見通しとなっている。そのような状況の中で、ほとんど知られていないが極めて問題の多い法案が、今国会で成立しようとしている。
その法律は「特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律案」(いわゆるピッキング防止法案)である。この法案は、警察庁が所管し、内閣から法案として提出され、2003年5月7日に趣旨説明があった後、5月9日の衆議院内閣委員会で可決され、その後、5月13日の衆議院本会議で可決されて、その後、参議院に回付されている。
この法案は、近年の侵入盗の増加の中で、特にピッキング用具を使用する侵入盗が増えていることを理由として、一方では、ピッキング用具等の正当な理由のない所持等を禁止して、その違反行為に罰則(1年以下の懲役又は50万円以下の罰金)を設けるとともに、他方では、錠前の製造・輸入業者やその取扱業者を管理・監督する強力な権限を付与し、行政警察権限を拡大しようとすることを内容としている。
ピッキング用具を使用した侵入盗を厳しく取り締まって欲しいという市民の要望や感覚からすれば、このような法律に特に反対する理由はないのではないかとの疑問も持たれるかもしれない。
ただ、ピッキング法案が禁止しようとする行為は、侵入盗という犯罪行為の段階から見ると、それよりも遙かにずっと以前の段階で、その犯罪を予防するために処罰しようとしている。
そもそも、窃盗行為から見れば、住居侵入行為はいわばその「予備」的な行為であるであるが、ピッキング用具等を所持等している状態というのは、住居侵入の「予備」行為に当たるか(もちろん、現行法では住居侵入は不可罰である)、「予備」にも当たらない行為であると考えられる。
ところが、ピッキング防止法案3条は、「何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、特殊開錠用具を所持してはならない。」と規定して、「正当な理由」がない場合には、ピッキング用具(法案は「特殊開錠用具」と呼んでいる)を所持する行為を原則的に禁止して、その違反行為に1年以下の懲役又は50万円以下の罰金という刑罰を科そうとしているのである。
ちなみに、「所持」というと、手で持ち歩いているような場合を指していると思われるかもしれないが、刑事法の解釈では、「所持」とは「自己の支配下に置いている状態」を指すので、自宅にピッキング用具等を保管している場合も含むのであり、そのような道具を自宅に保管していることだけで犯罪が成立するのである。
さらに、ピッキング防止法案が問題なのは、その通称とは異なり、実際には、ピッキング用具だけを規制しているのではないという点である。
すなわち、ピッキング防止法案2条3号は、「ドライバー、バールその他の工具…であって、建物錠を破壊するため又は建物の出入口若しくは窓の戸を破るために用いられるもののうち、建物への侵入の用に供されるおそれが大きいものとして政令で定めるもの」を「指定侵入工具」と定義し、同法案4条は、「何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、指定侵入工具を隠して携帯してはならない。」と規定して、その違反行為に、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金という刑罰を科そうとしているのである。
ここで例示されているドライバーやバールは、それ自体は、何ら犯罪とは無関係に、普通の市民が日常的に使用している道具類であるにもかかわらず、それを携帯することを原則的に禁止して(ピッキング防止法案は「隠して」携帯する行為を禁止しているが、これは鞄やポケットに入れていることを意味すると解される)、その違反行為に罰則を科そうとしているのである。
このような行為は、従来、軽犯罪法1条3号「正当な理由がなくて合かぎ、のみ、ガラス切りその他他人の邸宅又は建物に侵入するのに使用されるような器具を隠して携帯していた者」として、拘留(30日未満の拘置)又は科料(千円以上1万円未満)の刑に処せられることになっていた。これと比較すると、ピッキング防止法案の刑罰は著しく加重されていると言わなければならない。
ちなみに、警察庁の資料によると、軽犯罪法1条3号の侵入器具携帯違反の送致件数は過去10年間で89%増加、送致人員は過去10年間で83%増加しているとのことであるが、平成14年度の送致件数は383件、送致人員は284名であり、決して多い数字ではない。
そのような検挙実態から見ても、その違反行為を、軽犯罪法よりも遙かに重い刑罰を科して取り締まる必要があるとは到底思えない。
ピッキング防止法案が成立すると、右に述べた特殊開錠用具の所持や指定侵入用具の携帯の原則的禁止に基づいて、市民生活のすみずみが、日常的に、不断に監視される危険性が生まれるおそれがある。
ところで、ピッキング防止法案は、単に特殊開錠用具等を所持または携帯している行為を原則として処罰して取り締まるものであるから、この処罰を実現するためには、警察官において、まず、特殊開錠用具等を発見する必要がある。
指定侵入工具については、「隠して携帯」していることが禁止されているから、市民に対する職務質問や所持品検査を行って初めて発見しうるものである。特殊開錠用具については、「所持」が禁止されているが、それが携帯されている場合には、指定侵入工具の場合と同様に、職務質問と所持品検査を行う必要があるし、特殊開錠用具を自宅に保管しているような場合には、たまたま別の容疑で家宅捜索を行ったような場合でなければ、特殊開錠用具を発見することは不可能なはずである。
したがって、ピッキング防止法案によって、ピッキング用具等の所持等を現に取り締まるためには、警察官が市民生活のすみずみまでが日常的に監視するような社会であることを当然の前提としていることになる。
さらに、ピッキング防止法案が、「業務その他の正当な理由がある場合を除いて」という現場の警察官の判断でどうにでも解釈できるような抽象的で曖昧な「正当な理由」という概念を用いたことから、現場の警察官において、特殊開錠用具等を所持ないし携帯している市民をとりあえず現行犯逮捕して身柄拘束することを可能にする。
それは、戦前の行政検束制度の復活にもなりかねない。このように、ピッキング防止法案が成立すれば、警察が日常的に市民を監視する社会を招来することは避けられない。
他方で、ピッキング防止法案は、錠前の製造業者等に対して、警察庁(国家公安委員会)に対して極めて強力な権限を付与して、行政的な介入を認めようとしている。
これは、過去に、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(いわゆる風営適正化法)を改正して公安委員会に強力な行政権限を付与したのと同様に、行政警察権限の拡張を図ろうとするものであり、警察の「利権」の拡大と警察と業者との癒着を生むおそれがあると考えられる。
ちなみに、ピッキング被害が多いのは、マンションなどに多いディスクシリンダーキーだと言われており、この形式の錠前は、累計で約7千万個生産されたと言われている。そうだとすれば、この約7千万個のディスクシリンダーキーを交換することは、錠前の製造業界にとっては莫大な利益をもたらす可能性があり、ここに警察庁と錠前の製造業界等との間で癒着や天下りの温床があると言わなければならない。ピッキング防止法案は、警察に対してその根拠を与えるものとなるおそれがあるのである。
1994年6月の警察法の大幅な改正により、警察庁は内部部局を改編して生活安全局を新設している。生活安全局は、その第一の任務を「犯罪、事故その他の事案に係る市民生活の安全と平穏に関すること」としており、その後、今日まで着々と行政警察の権限を拡大・肥大化させてきた。
今回のピッキング防止法案も、その延長線上で捉えなければならず、そうであるならば、それは警察庁による行政警察権限の拡大と新たな「利権」の創出を意図するものであると断ぜざるを得ない。
また、この動きは、今国会に提出されている「共謀罪」の新設とも繋がる流れと言える。つまり、「犯罪の防止」を掲げて、犯罪に至る前の行為(それ自体は法益侵害の危険性もないような行為である)を犯罪化して処罰して厳しく取り締まろうとしているのである。
このような危険な法案が国会でほとんどまともな審議もされることなく、簡単に法案として成立しようとしている事態を見れば、現在の国会が官僚による立法提案に対して、いかに無力であるかが象徴されている。
私たち市民は、改めて、警察による行政警察権限の肥大化に対しては、これを厳しく監視し、反対し続けていかなければならない。
(2003年5月22日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年6月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
成立間近の個人情報保護法案について考える
個人情報保護法案は、2001年3月、第151回通常国会に提出されたが、その後、マスコミからの猛烈な反対もあって審議は難航し、政府・与党は、2002年の第155回臨時国会で一旦廃案にし、現在行われている第156回通常国会において、修正法案を提出していた。
与党三党は、4月2日に行った幹事長・国対委員長会談で、修正された個人情報保護法案を四月中に衆議院を通過させる方針を確認した。そして、4月8日、同法案を審議するために、衆議院個人情報保護特別委員会の設置を決定し、自民党の村井仁・前国家公安委員長をその委員長にするよう決議し、その後、強行に審議を進めており、本稿執筆現在、4月25日にも、個人情報保護特別委員会で採決され、連休明けの5月6日ごろに衆議院本会議で可決される見込みとなっている。
ところで、修正された新しい個人情報保護法案については、政府・与党側は「大幅な修正」と称しているが、実はその本質は何ら変わっていない。原案と修正案が異なる点は、5条にわたって定められていた基本原則が「基本理念」として抽象的に述べるだけになっている点と(プライバシーの保護という観点からは後退とも言える)、個人情報取扱事業者の適用除外について、
「報道を業として行う個人」と「著述を業として行う者」を明記し、「報道」の定義を設けたという程度しかなく、相変わらず、主務大臣が大きな権限を有していることなど、個人情報保護法案が元々有していた根本的な欠陥は何ら修正されないままである。
つまり、今回の修正は、原案に対して強く反対していた大手新聞メディア(特に、読売新聞の修正試案)の主張をほぼ取り入れるとともに、フリージャーナリストや作家等が反対する口実を奪い、他方で、相変わらず、適用除外に「出版」の文言を入れないなど、反対運動の分断と切り崩しを狙った修正であることは明らかである。実際にも、修正案に対しては、大手新聞メディアは概ね好意的に捉えており、見事に、大手新聞メディアは、政府・与党の作戦にはまってしまっていると評価できるだろう。
他方、個人情報保護法案と一緒に審議されている行政機関等個人情報保護法案は、原案に公務員を処罰する罰則が規定されていないことが批判されたことから、(1)個人情報ファイルの正当な理由のない提供行為、(2)業務に関して知り得た保有個人情報の不正な利益を図る目的による提供・盗用行為、(3)職権を濫用して職務の用以外の用に供する目的での個人の秘密に属する記録等の収集行為に対する罰則が新設されている。
しかしながら、相変わらず、個人情報の組織的な収集や目的外使用は何ら処罰されておらず、「民に厳しく、官に甘い」との指摘通りの内容となっている。
そして、まさに、個人情報保護法案の審議中に、毎日新聞が、防衛庁が自衛官募集に使用するために、満18歳を迎える適齢者の情報を住民基本台帳から抽出して提供するよう、全国各地の自治体に37年間にわたって要請し、多数の自治体が応じていたことが分かったとのスクープ報道を行った。
その後、衆議院個人情報保護特別委員会が4月23日に、この問題で集中審議を行った際に、石破茂防衛庁長官は内部調査の結果を公表したが、適齢者情報を実際に提供をしていたのは全国で794市町村にのぼり、このうち住民基本台帳法で閲覧が認められている4情報(氏名、住所、生年月日、性別)以外の情報も提供したのは332市町村だったことが明らかにされた。
現在審議中の行政機関等個人情報保護法案では、このような行政側の不透明な情報収集やセンシティブ情報の収集を禁止する規定がなく、行政機関のこのような行為を法律で規制することができないという杜撰な実態が明らかになったのである。
それにもかかわらず、与党側は、個人情報保護法案等への条文変更や付則への盛り込みには一切応じない方針と伝えられており、今のところ、政府案が無修正で可決される見込みであるのは不思議であり、極めて異常な事態と言わなければならない。
すなわち、今回、国民の意識と国会審議のあり方に大きな齟齬があることが極めて明瞭になったと言える。国民の側からは、重要な問題であることから慎重な審議を求める声があり、しかも、防衛庁による自衛官適齢者情報収集問題が発覚したにもかかわらず、与党三党が予め決めたスケジュール通りに審議が進んでいるのである。
この責任の一端は野党側にもあると言わなければならない。野党は、個人情報保護に関する野党案を衆議院に提出したが、その内容が、与党案とそんなに異ならない「規律重視型」で「包括法」であったことから、民意不在だと厳しい批判を浴びた。そのため、野党の与党案に対する反対に説得力がなく、市民の後押しも期待できなくなった。
その結果、国民の関心や反対とは全く関係のないところで、国会審議が進み、このまま行けば今通常国会での個人情報保護法案の成立はほぼ確実となりつつあるのである。
政府・与党は、本年8月の住基ネットの本格的稼働に向けて、個人情報保護法を成立させることで、現在、住基ネットに加入していない地方自治体の加入を促し、全国民が参加した形での住基ネットの稼働を目指している。
それが目指しているのは、国民総背番号制の完成であり、国民管理体制の確立である。政府・与党は、個人情報保護法案の審議と併せて、今通常国会において、有事法案の成立を目指している。
そこで、政府・与党が目指しているのは、けっして国民の利便性の向上などではなく、いつでも戦争することができる国家体制の確立である。
具体的には、国内における戦時体制における国民の権利制限とそれに反対する国民の言論統制を法的に可能にすることを目指しているのである。そのための外堀は既に次々と埋められようとしている。
私たちは、想像力をかき立てて、今抵抗しなければ、将来、抵抗することすらできない状況が作られようとしていることを実感し、今こそ反対の声をあげなければならない。
(2003年4月25日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年5月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
サイバー犯罪条約の国内法整備について考える
欧州評議会のサイバー犯罪条約(2001年11月に採択。日本政府も署名済み)を批准するための国内法整備のため、森山真弓法務大臣は、法制審議会に対して、2003年3月24日、刑事実体法と刑事手続法の改正についての諮問(「ハイテク犯罪に対処するための刑事法の整備に関する諮問」)を行った。
現在のところ、2003年9月ころまでに法制審議会での答申を得て、秋の臨時国会に法案が提出される予定だと伝えられている。
サイバー犯罪条約は、欧州評議会が採択した条約であるが、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、日本、南アフリカなどが参加していることから、単なるヨーロッパだけの条約にとどまらず、国際的な条約としての意味を持っており、これが発効すれば、サイバー犯罪に関する世界初の包括的な国際条約になる。
サイバー犯罪条約は、インターネットを利用して行われるサイバー犯罪の取り締まりを主眼とし、国際的にどのような行為が犯罪になるのかの基準(構成要件)を定めるとともに、サイバー犯罪についての捜査方法を国際的に共通化して捜査の援助を求めるための手続を定めるものであり、我が国は、刑事実体法についてはかなりの部分で対応済みであったが、刑事手続法についてはほとんど未対応だったため、その国内法整備について、どのような対応をとるかが注目されていた。
今回、法制審議会に諮問された要綱骨子案は、(1)不正指令電磁的記録等作成等の罪の新設等、(2)わいせつ物頒布等の罪(刑法第175条)の改正、(3)電磁的記録に係る記録媒体の差押えの執行方法、(4)記録命令差押え、(5)電子計算機に電気通信回線で接続している記録媒体からの複写、(6)電磁的記録に係る記録媒体の差押状の執行を受ける者等への協力要請、(7)保全要請等、(8)不正に作られた電磁的記録等の没収を内容としている((1)及び(2)が刑事実体法、(3)以下が刑事手続法)。
まず、要綱案を見ての第一印象は、サイバー犯罪条約批准のための国内法整備のためと言いながら、極めて最小限の法整備しかしない内容となっているという点である。法務省によると、「できる範囲の法整備を選考させたい」ということのようであるが(3月16日付朝日新聞朝刊)、条約の履行という観点からすれば、極めて不十分な内容と言わざるを得ない。
特に、これまでの我が国の刑事手続法が、電子データ自体ではなく、その記録媒体を捜索・差押え等の対象としていたのに対して、サイバー犯罪条約は電子データ自体を捜索・差押えの対象とすることを想定しており、我が国の刑事手続法に対して根本的な改革を迫るものとなっていた。
ところが、今回の法務省の要綱案では、従来通り、電子データの記録媒体を捜索・差押えの対象とすることを前提としており、刑事手続法の基本法である刑事訴訟法の根本的改正には踏み込まない姿勢を明らかにしている。これは、刑事訴訟法の改正を提案すると、国民世論からの反対が出るなど、国会審議でスムーズに法案を通すことが困難になるおそれがあることから、国会で通しやすい法案にするためには妥協的な内容にせざるを得ないという政治的な判断が強く働いたものと推測される。
この点がもっともよく現れているのは、要綱案の「保全要請」である。サイバー犯罪条約16条、17条は、サービス・プロバイダーのようなデータ保有者に対して、既に収集され保持されているコンピュータ・データについて、その品質及び状態を改変又は劣化されないように保全することを命令する制度を設けることを各国に義務付けている。これは、サイバー犯罪条約が定める捜査手続の中でも、もっとも根幹をなす制度として位置づけられており、批准する各国はこの規定を留保することはできないことになっている。
しかしながら、本来、サービス・プロバイダーの利用者の通信内容を保全することを命ずることは強制処分であり、令状主義を採用している我が国では裁判官による令状がなければできない行為だと考えられる上に、世界でも珍しく通信の秘密が憲法で保障されている我が国においては、そもそも通信の秘密や自由への侵害となるから憲法違反になり、このような制度は許容できないはずである。
ところが、今回の要綱案では、「捜査については、電気通信を行うための設備を他人の通信の用に供する事業を営む者又は自己の業務のために不特定若しくは多数の者の通信を媒介することのできる電気通信を行うための設備を設置している者に対して、その業務上記録し、又は記録すべき電気通信の送信元、送信先、通信日時その他の通信履歴の電磁的記録のうち必要なものを特定し、九十日を超えない期間を定めて、これを消去しないよう求めることができるものとすること。」とされ、捜査機関による「要請」という形にして、任意処分という形をとり、裁判官による令状によらない形を取ろうとしている。
これは、要請された通信設備設置者(サービス・プロバイダーのに限らず、大学や企業のサーバー管理者等も含む)が断ることもできるのであるから、一見すると、「穏やかな規制」だと見えるかもしれない。
しかしながら、我が国において、特にサービス・プロバイダーにおいて、警察からの要請を果たして断ることができるのか。つまり、「任意処分」と言いながら、事実上強制されることになり(現在の任意同行は事実上強制であることは一般に認められている)、しかもそれは裁判官による司法的なチェックを受けることなく行われ、それに対する不服申立てもできないということで、利用者から見れば、強制処分の場合よりもむしろ不利益を受ける可能性があるのである。
それにもかかわらず、法務省は、これを任意処分として構成することで、通信の秘密や通信の自由の侵害ではないかという反対論を巧みに回避するとともに、結果的には、事実上強制することによって保全の効果はきちんと得られるという「名を捨てて実をとる」という極めて日本的な対応をしようとしているのである。
前述したように、本来であれば、このような応急保全手続は、通信の秘密を憲法で保障する我が国には相容れない制度であり、この観点から見て、サイバー犯罪条約は批准すべきではないと考えるべきである。
ところが、法務省は、同条約を批准することを大前提として、それを巧みに回避することだけを考えて、姑息にも、今回の要綱案を提案していると考えられるのである。
今後、法制審議会での審議が急ピッチで行われることが予想されるが、私たちは、改めてサイバー犯罪条約につき、我が国の憲法秩序に照らして、そもそも批准する必要があるのか否かも含めて、厳しい監視の目を向けていかなければならない。
(2003年3月26日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年4月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
反テロ法案について考える
産経新聞2月8日付が一面トップで、「反テロ法案 概要判明」と題する記事を掲載している。その記事によると、反テロ法案(仮称)は、国際的なテロ組織の包括的な取り締まりを目的とするものであり、テロ行為や準備行為を行った団体や組織を「テロ組織」に指定し、その組織の構成員らの入国禁止や国外退去処分などを求める内容になっており、今通常国会への提出を目指しているという。
産経新聞によると、反テロ法案の骨子として、(1)テロリズムを「特定の政治的、宗教的な目的で行われる殺傷行為やその準備活動」と定義、(2)前項の行為を行っている国内外の組織を内閣総理大臣または国務大臣が指定、(3)テロ目的の資金所持、資金集め、海外送金、マネーロンダリングなどを「テロ資金活動」として処罰、(4)指定されたテロ組織の構成員に、入国制限措置や強制国外退去措置をとることが可能、(5)指定されたテロ組織に対し、通信傍受などの捜査権を拡大、(6)指定されたテロ組織の基本的人権、結社の自由、財産権などは同法の適用範囲内で制限可能が挙げられている。
ところで、一昨年の9・11以後、テロ対策の名目で、各国でテロ対策の法律で制定されていると伝えられている。もっとも有名なのはアメリカのいわゆる反テロ包括法(法案の頭文字がpatriotであることから反テロ愛国者法とも呼ばれている)であるが、この法律は、固定電話の盗聴許可を拡大するとともに携帯電話やインターネットの盗聴を認めたり、司法長官はテロ容疑の外国人を拘留できるなど人権の侵害につながる危険性が指摘される内容であった。
しかし、アメリカ国内でも、この反テロ包括法は市民権を侵害しているという声が高まっており、地方議会を中心に反テロ法を批判する動きが広がっている。
例えば、本年1月21日には、サンフランシスコ市議会が、同法に市は協力しないとの反対決議を可決し、デトロイト、デンバー、バークリーなどに続く全米で27番目の反対決議となったと伝えられている(MainichiINTERACTIVE 2003年1月23日付)。
他方、9・11以降、国連では、あらゆるテロの根絶を目指す包括的テロ防止条約案の審議が、国連総会第6委員会のテロ条約作業部会において行われている。ただ、その条約の審議においては、テロの定義をめぐって、イスラム諸国が、「民族自決運動をテロとは呼ばないこと」を要求するとともに、条約案に「国家の正規軍による行為はテロとみなさないことを批判して「国家によるテロもあるはずだ」と反論して、調整が困難となっていると言われている。
このような状況の中で、我が国が、今なぜ、反テロ法案の制定を急ごうとしているのか、全く理解に苦しむ。報道によると、とりあえず、反テロ法案の当面のターゲットとしては、「イスラム過激派」や「北朝鮮工作員」であり、北朝鮮の貨客船「万景峰」の入港阻止も企図しているようであるが、まさに、アメリカによるイラク攻撃や北朝鮮との紛争を前提として、それに備えるために慌てて立法化しようとしているとしか考えられない。
そもそも、今回の法案の骨子を見る限りでは、破壊活動防止法のテロ対策版とも言うべき内容となっている。
破壊活動防止法は、「公安審査委員会は、団体の活動として暴力主義的破壊活動を行つた団体に対して、当該団体が継続又は反覆して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがあると認めるに足りる十分な理由があるとき」にはその団体に対して規制を行うことができると規定して(同法5条)、その団体の活動を規制したり、解散することができるとされている。特に、オウム真理教(現アレーフ)に対する団体規制の適用が問題になった際には、結社の自由との関係でその違憲性が問題となったばかりである(なお、反テロ法案のテロの定義には「宗教的な目的」が追加されているが、これは、オウム真理教に破壊活動防止法を適用できなかったことへの反省からであろう)。
これに対して、反テロ法案には、破壊活動防止法にあった団体活動に対する規制の他に、通信傍受などの捜査権を拡大するという項目が新たに設けられている。これは、盗聴権限を拡大したアメリカの反テロ包括法に倣ったものと思われる。
今回の反テロ法案提案の意図は、これまで我が国にある破壊活動防止法やその他の法律では規制できないことを新たに規制しようとするところにあるだろう。
そして、国家権力は、憲法が市民や団体に対して保障する基本的人権を直接規制し制限することができる法律を作ろうとしていることは明らかである。
この動きは、他方で有事法制を準備して、国民の基本的人権を停止させようとしていることと平仄を合わせる動きであり、いずれも我が国の治安維持体制を強固に確立することを狙っている。つまり、国家権力は、「反テロ」という市民が反対しにくい名目を掲げることで、市民の基本的人権そのものを奪い取ることを企図していると言わなければならない。
しかしながら、イラク攻撃にしても、アメリカはテロとの関係を何ら証明することができず、全世界の何百万人の市民が反戦のために立ち上がる事態となっている。
もはや、抽象的に「反テロ」を掲げるだけで市民の基本的人権を制限することは許されないと言わなければならない。それだけでは、市民の権利を制限することを正当化する説明義務を何ら果たしたことにはならないのである(最上敏樹「国連平和体制が終焉する前に−米国の対イラク攻撃は何をもたらすか」世界2003年3月号51頁以下参照)。
いずれにしても、今回の反テロ法案の提案に対しては、1999年以降、次々と繰り出される治安維持的な刑事立法の延長線上にあるものと位置づけるべきであり、私たちは強く反対していかなければならない。今後の推移を注意深く注視しつつ、これに対する反対の声を挙げていきたい。
(2003年2月17日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年3月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。
国際条約を背景とする最近の刑事立法の動きについて考える
国連越境的組織犯罪防止条約に代表されるように、最近の刑事立法には、政府が条約に署名した後に、その条約を批准するための国内法の整備と称して、新たな立法がなされたり、既存の刑事法を「改正」するということがなされるようになってきている。
たとえば、最近の例では、テロ資金供与防止条約に伴う国内法の整備として、「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律」(以下、資金提供処罰法と呼ぶ)が、2002年6月5日に、第154回国会において成立したことは記憶に新しい。
ところで、国連越境的組織犯罪防止条約に伴う国内法整備と称して、法制審議会で検討されていた共謀罪の新設等の審議においては、聞くところによると、法務省側は、国内的にそのような立法の要請や必要はないが、国際条約を締結するために必要だという説明をしているという。
従来、特に刑事法の新規立法に際しては、刑事処罰の範囲を拡大することは、直ちに国民の権利・自由を制限することに繋がることから、そのような法律を必要とするような立法事実が実際に存在するか否かということが議論されてきた。
しかしながら、国際条約に署名した後の国内法整備のための新規立法等については、この立法事実の議論がほとんどなされないまま、単に、「国際条約だから」とか「国際的基準だから」という中身のない説明だけで新規立法等の提案がなされ、国会においても、あまり議論なく成立しているという傾向があるように思われる。
さらに、そもそも、資金提供処罰法や、今回の国連越境的組織犯罪防止条約に基づく共謀罪の新設については、立法事実もない上に、従来の我が国の刑事法の大原則を無視して立法されているのではないかという重大な疑問がある。
たとえば、資金提供処罰法では、従来は幇助犯(従犯)として処罰されるような行為を独立の犯罪として処罰することにしているが、従来、刑法においては、人権保障の観点から「共犯の従属性」(正犯が実行に着手しない限り共犯は処罰されない)という考え方が取られていたにもかかわらず、独立罪という形式をとることによって、正犯とされる人物が実行に着手しなくても、資金提供行為は処罰されることになっている。
また、共謀罪については、従来、裁判例が認めている共謀共同正犯の理論でも、共犯者のうちの誰か一人は実行に着手しなければ成立しないとされていたのに対して、共謀罪の場合には誰一人として実行に着手しなくても、犯罪について「共謀」するだけで犯罪が成立してしまうことになるのである。
いずれについても、犯罪がまだ発生していない時点、すなわち、法益侵害が発生するよりも遙かに前の時点において、犯罪に至る可能性のある行為を未然に処罰しようとするものであり、そういう意味において、犯罪行為の摘発・処罰よりも、犯罪行為の予防に重点が置かれているということが分かる。
しかしながら、従来の刑事法の原則では、国家は、法益侵害の現実的な危険性があって初めて国民の権利・自由を制限する処罰権限を発動できるのであり、それより前の行為は不可罰とすべきであると伝統的に考えられてきた。その精神は「刑法の謙抑性」という表現によく表れている。
ところが、最近の国際条約を背景とした新規立法等は、特に、9・11事件以降、テロ対策などの名目で、全く逆の方向に向かっており、ますます、行政警察作用と司法警察作用との境界は曖昧になりつつあり、国家権力を肥大化する方向に向かっている。
したがって、このような最近の刑事立法のあり方については根本的に反省する必要がある。
すなわち、政府が国際条約に簡単に署名し、その後で、条約の批准を理由に国内法整備を強引に進めるというやり方は続けるべきではない。
また、政府が仮に署名した条約であっても批准しないという選択があってもよいはずであるから(政府は、むしろ、死刑廃止条約など人権保障を拡大する方向の条約については意図的に批准しない傾向にある)、そのような姿勢で国会は議論を尽くすべきである。
いずれにしても、政府が安易に国際条約に署名するという傾向を改めるとともに、国内法整備と称して提案される各種の新規立法等については、他の法律と同様に、立法事実を検討し、慎重な審議がなされるべきである。
なお、欧州評議会で採択されたサイバー犯罪条約についても、国内法整備のためと称して、刑事訴訟法等の改正が検討されている。昨年10月26、27日に、メキシコのロスカボスで行われたアジア太平洋経済会議(APEC)の首脳会合において、「テロリズムとの闘い及び成長の促進に関するAPEC首脳声明」が採択されているが、そこには、サイバー犯罪条約を含むサイバーセキュリティ及びサイバー犯罪関連の包括的な諸法律を2003年10月までに制定するよう努力するとの文言があり(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/apec/2002/sei_terro.html)、小泉首相はこれを約束しているのである。これに従うとすれば、遅くとも今年の秋の臨時国会にはサイバー犯罪条約関連の法案が提案されると考えられるので、早ければ今年の春にも、その要綱案について法制審議会での検討が始まることが予想される。
このような刑事立法のあり方について、今一度、根本的に見直す時が来ていると言わなければならない(松宮孝明「実体刑法とその『国際化』−またはグローバリゼーション」法律時報2003年2月号25頁以下はこの問題についての好個の文献である)。
(2003年1月27日記)
*これは、救援連絡センターの機関紙「救援」2003年2月号の連載記事として執筆されたものに一部訂正をしたものである。