T O P I C S − 現 代 を 読 む −
メディア批判、メディア批評にとどまらない政治の動きや世相について、その時折に考えたことを書き綴ったものを掲載します(最終更新2000年2月4日)。
公安審査委員会による観察処分決定に向けた動きについて考える
「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(以下、「団体規制法」という)が施行された昨年12月27日、公安調査庁は、オウム真理教団(最近、団体名を「アレフ」と改称した)に対して、教団が再び無差別大量殺人に及ぶ危険性があるなどとして、観察処分を請求していたが、そのための手続として、本年1月20日、公安審査委員会(委員長・藤田耕三元広島高裁長官)による意見聴取が行われた。
そして、本年1月24日には、意見聴取を受けて、公安審査委員会の初めての会合が開かれ、新聞報道によると、委員からは、「教団に『危険性』がないとは言い切れない」などと適用に肯定的な意見が大勢を占めた模様であり、公安審は、今後、処分適用期間(当初2年の方針だったが、元教祖の子供の「誘拐」事件の発生を受けて最長3年の方向で検討されていると伝えられている)や、教団に課す報告義務の対象範囲など処分の細部を詰めたうえで、早ければ1月31日にも観察処分の適用決定をする方針だと伝えられている。
昨年、異例のスピードで、国会において成立した団体規制法は、もうまもなく観察処分という形で具体的に適用されようとしている。
団体に対する観察処分は、結社の自由という憲法で保障された権利であるにもかかわらず、それを侵害する重い処分である観察処分を認めるのに、たった1回の意見聴取手続を行うだけで結論を出すというのは、不利益な行政処分をする際には「告知と聴聞」という手続(憲法31条はこれを「適正手続」という形で保障し、それが行政処分にも準用されると考えられている)が必要であるとされる趣旨からすると、手続としてはいかにも不十分としか言いようがないが、今回の意見聴取手続を見てその感を強くした。
かつて、オウム真理教団に対する破壊活動防止法の適用に際して、何度も弁明手続が行われたことの「反省」から、意見聴取手続を極めて簡素なものにした訳であるが、逆にそれが団体規制法の憲法違反性を強めているのである。
また、団体規制法は、観察処分の要件として、「当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実」があることを掲げている(同法5条1項。特に同5号)。
かつて破防法の適用が否定された際には、この危険性が否定されたために破防法の団体適用が認められなかったが、その後、オウム真理教団について「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」が果たしてどれだけ増加したのか。 客観的な危険性が増加したとは感じられないが、公安調査庁はどれだけ具体的で客観的な証拠を提出しているのか、疑問である。
さらに、最近起きた「内紛絡み」とも言われる元教祖の子供の「誘拐」容疑事件の発生についても、それが直ちに「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」とは直結しない事実であることも明らかである。ところが、前述したように、公安審査委員会では、この事実を重く見て、観察期間を最長の3年にする方向で検討が進められているという。
ところで、最近、一部の識者の意見として、「そもそも団体規制法の観察処分というのは、危険性があるかないかを判断するために認められた処分なのだ」という理屈を述べて、現時点で危険性が判断できなくても、将来危険性があるという可能性があれば観察処分は可能であるとの見解が紹介されることがある。
しかし、団体規制法は、あくまでも、処分をする時点において、「当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実」があることを要件としているのであり、それがないのであれば観察処分はできないのである。「危険性」の要件を緩和しようとしたり、漠然とした「危険感」で観察処分をすることは団体規制法自体が認めていないのである。
それにもかかわらず、公安審査委員会は観察処分をする方向で検討をしていると伝えられているが、この記事が掲載された「救援」が発行される頃には結論が出ているだろう。その結論がいずれにしても、このような極めて短期間で杜撰な公安審査委員会の審理をもって、団体に対する保安処分(個人については我が国では認められていない)ともいうべき観察処分を認めることができる団体規制法という法律を成立させてしまい、それによって失ったものの大きさを改めて認識する必要があると思う。その上で、今一度、団体規制法という団体に対する超弾圧法規が日本において具体的に発動されようとしていることの意味の大きさを噛み締め、これから何ができるのかを改めて考えたい。
(2000年1月30日記)(救援連絡センター「救援」2月号用に執筆したものを手直しして掲載)
(注)保安処分とは
行為者が将来犯罪を反覆する危険性から社会防衛を期するために、刑罰を補充し又は刑罰に代わり用いられる治療・改善を内容とした処分のこと(有斐閣『法律学小辞典〔第3版〕』より)
(補足)
公安審査委員会は、1月31日、オウム真理教団に対して、3年間の観察処分とすることを決定し、2月1日付の官報に掲載されて、その効力が発生した。オウム真理教(アレフと改称)は行政処分取消訴訟を提起して対抗するとのコメントを発表している。(2000年2月4日記)
徳島市の吉野川可動堰住民投票における住民勝利が突きつけたもの
徳島県徳島市の吉野川可動堰計画の賛否を問う徳島市の住民投票が、1月23日に実施された。
そもそも、吉野川には、江戸時代である1752年に、旧吉野川周辺の水不足のために造られたが、洪水によってその一部が崩壊することがあり、その都度補修されてきていた。1982年に、突然、この吉野川第十堰の改築計画が浮上した。それは、現在の堰を取り壊して、その1.2キロ下流に可動堰を建設するという計画で、予算は1030億円、毎年の維持費だけでも7億円という計画だった。
これに対して、周辺住民を中心として反対運動が起き、1999年1月に、徳島市の反対住民11万9051人の署名を提出して住民投票の制定を直接請求し、徳島市議会は、1999年4月の市議選で住民投票制定を公約に掲げる議員が過半数となり、6月議会で住民投票は制定されたが、その実施日は先送りされ、昨年12月の徳島市議会でようやく実施日が確定した。但し、6月の条例制定時に、「投票率が50%を切った場合には開票をしない」という条件が、反対派と建設推進派との妥協の産物として盛り込まれていた。(以上の事実関係の多くは「サンデー毎日」1月30日号30頁以下を参考にさせていただいた)。
私は、徳島市で住民投票が実施されることになったことは大変に良いことだと思ったが、開票条件として、「投票率が50%を切ったときには開票しない」という条件が付けられた点について強い疑問を抱いた。住民投票という住民の意思を確認するための投票で、たまたま投票率が50%未満の場合に開票しないというのは、民主主義のルールからしておかしいのではないか、と思ったのである。
この開票条件は、おそらく、投票率が50%を切るような投票では、住民の真の意思を確認することはできない、つまり、そのような低い投票率では、その結果は住民の本当の意思を代表しているとは言えないということが根拠として考えられているのだと思う。
しかし、これまで全国各地で議員や首長選挙等が行われてきたが、投票率が低調で50%を切ったとしてもちゃんと開票され、それに基づいて当落が決められているのであって、投票率が50%未満であることは、何ら住民の意思を反映していないとは考えられていないのである。
したがって、徳島市の住民投票において、投票率50%未満だと開票しないという条件が付されたのは極めて政治的な意図に基づくものと考えられる。つまり、なるべく住民投票のハードルを高く設定して、住民投票は一応やらせるが開票させないことによってその住民投票を無意味にしようという政治的意図があったと考えられるのである。
そして、それを裏付けたのが、可動堰建設賛成派による投票ボイコットの動きであった。このことは、朝日新聞の報道でも、「可動堰計画推進派の一部は投票不成立を望み、電話などで組織的に棄権を呼びかけている」と報道されている(asahi.com newsupdate1/23/2000)。実際には、建築推進派は、表面的には「死んだふり」をして住民投票が盛り上がらないようにするとともに、裏ではボイコットの票集めに全力を挙げていたと伝えられ、最終的には建築推進派が「勝利」するのではないかと伝えられていた(「サンデー毎日」1月30日号30頁以下「『吉野川第十堰』でうごめく住民投票つぶしの“巧妙”な手口」)。
そのため、昨日の投票は大変に気がかりであったが、住民投票の確定投票率は54.995%であり、住民投票は成立した。そして、計画反対が10万2759票、計画賛成は9367票で、反対は91.65%に達し、圧倒的多数の住民による反対の意思表示がなされたことになった。
この結果を受けて、建設省出身である小池市長も、元々は建築推進派だったが、昨日夜に記者会見して、「投票結果を市民の意思と認識し、尊重したい。反対が市民の多数意見と示された以上、徳島市としても反対する」と述べたと伝えられている。
しかし、中山正暉建設相は、「治水は国の責務であり、住民の生命、安全にかかわることを住民投票で決めることは適当でない」との立場から、記者会見を拒否したという(日刊ゲンダイ1月25日付3面)。また、小渕恵三首相は、1月24日午前事業を中止する考えがないことを強調したという。
しかし、今回の住民投票は、妥協の産物とは言え、高いハードルであった50%の投票率を実現し、しかも圧倒的多数の反対票を、政府・建設省に対して突きつけたという意味で極めて重要な意義があったと考えられる。
このような結果を生んだのは、建設推進派が、姑息にも、高いハードルが設定されていることを利用して、投票ボイコットの運動を行ったことに対する住民の強い反発があったことと、そのような住民感情を読みとれなかった推進派側の運動のセンスのなさにあるだろう。特に、推進派は、賛成票を入れる運動ではなく、最も非民主的とも言える住民投票ボイコットを狙ったところに最大の作戦の誤りと情勢の読み違えがあったと言わなければならない。そして、それが裏目に出て、圧倒的多数による反対票ということになったのである。
これは、地方の住民による中央集権型の旧来の土建政治に対する「ノー」を突きつけたものであろう。
逆に、反対派は、妥協の産物とは言え、高いハードルを掲げられながら、住民の心を掴んで50%を超える投票率を獲得した戦いについては高く評価されてよい。私としては、投票率50%未満では開票しないという「妥協」については問題ではないかと思っていたこともあるが、それを逆にバネとして、様々な知恵を絞って、最後のぎりぎりまで住民を投票所に行かせる運動を展開した勇気と行動力を賞賛したい。
今回の徳島市の住民投票は、これまでのような中央集権型、利益誘導型の古い政治手法に対する手厳しい評価を示したものであり、政府・建設省は、このような地方の住民からの厳しい批判を真正面から受け止め、今後のこの種の開発の進め方について根本的に改めるべきである。
いずれにしても、今回の徳島市の住民投票の結果は、久しぶりに、明るくて元気の出るニュースであり、今後のみの問題の進展を期待したい。
(2000年1月25日記)