旧山陽町の産業
・農林業
都市化の進展等により農業を取り巻く環境、条件の変化が進みつつある中で、生産性の高い集約的な都市近郊型農業への脱皮を目指しています。
フライト野菜としてプチトマト、ブロッコリ、さやいんげん、ししとう等が、山口宇部空港を利用し首都圏へ出荷されています。また、フライト野菜づくりが高齢者の生きがい対策にも一役買っています。
林業については、長期的な視点で優良材を育てるため、造林から下刈、間伐、枝打等一貫した育林作業を強化するとともに、緑化基本計画を策定し、緑豊かな森林づくりを推進しています。
・水産業
漁業の基地として、漁港施設の整備充実を図り、安全で効率的な漁業生産活動と円滑な流通機能を確保するとともに、獲る漁業から育てる漁業への移行をめざし、のり養殖事業及びくるまエビ、がざみの中間育成放流事業、アサリの種苗放流事業を拡大し、栽培漁業の推進を図っています。内水面漁業についても、鮎、鯉等の放流事業を推進し、水産資源の維持増大に努めています。
・商業
宇部市と下関市という商業集積の高い都市にはさまれているため、小売支配人口の町外流出が目立ちました。しかし、車社会の発達に伴う商業圏の拡大により駐車場を完備した大型スーパーなどが進出し、一人当たりの小売購買額も増えています。
今日の大型店指向の中で、厚狭地区や埴生地区等の既存商店街の街路整備、駐車場整備を進め、新しい商業の核を作っていかねばなりません。
・工業
昭和44年に炭鉱が姿を消しました。その後、産炭地域振興対策として昭和50年、山野井工業団地の造成を完了し、現在、天馬合成樹脂(株)、日鍛バルブ(株)、THK(株)など11社が操業しています。
この他、当町には60数社の企業があり、今後、中小企業の育成とともに、新山野井工業団地を造成し、自然環境との調和を保ちながら企業誘致に努め、若者が働ける場を確保していきます。
#主な進出企業
日本化薬厚狭工場
大正5年6月、日本火薬製造株式会社の設立とともに厚狭に工場を設置することが決まり、6年4月、日本初の民間爆薬製造工場として許可された。
以来、同社厚狭作業所と称して各種爆薬の製造を続けた。
太平洋戦争中は重要軍需工場に指定され、従業員も1,200名を超えていたが、戦後は操業の見通しが立たずに相当数の従業員を整理し、火薬の生産をしばらく休んだ。
昭和20年12月に社名を日本化薬株式会社と改め、厚狭作業所厚狭工場と改称した。
この日本化薬にちなんで厚狭駅前商店街の「民正堂」で、ダイナマイト羊羹が売り出されている。
化薬ヌーリー厚狭工場
ダイナマイトの材料であるニトログリセリンを製造する日化厚狭作業所の分工場として、昭和16年8月に完成し、18年10月に独立して日火厚狭化成工場となった。
戦後、厚狭作業所が火薬の生産を休んでいた間はウイスキー、アイスキャンデー、氷、石鹸などを製造、販売していた。
厚狭工場の操業再開とともに本来のニトログリセリンの製造に戻り、27年4月に厚狭工場に併合された。
45年8月、日本化薬がオランダの化学会社と共同して化薬ヌーリー株式会社を設立し、この工場がその厚狭工場になった。
その後、山陽町が公共下水道事業を行うことになり、その終末処理場を同工場用地に建設する計画を立てて用地買収を申し入れ、これに応じて売却し、すぐ東の高地に新工場建設を始め、56年6月に完成した。
富士電化山陽工場
正しくは富士電気化学株式会社山陽工場。
昭和43年7月、町内への進出決定、44年4月に用地造成工事を始め、翌年4月に操業を開始した。
THK株式会社山口工場
東京に本社を置き、精密工作機械、搬送装置、産業用ロボットなどのメカトロニクス技術製品に使われる直道システム(LMガイド)などの部品を製造・販売している。
昭和60年6月24日に山陽町山野井に主にLMガイドを生産する工場が進出。
平成10年11月1日現在の従業員数は675名。
THK山口工場
敷地面積:244:848平方メートル/建物面積:40,286平方メートル
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