| ■ 旧山陽町の伝説
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寝太郎伝説
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寝太郎伝説
「過去の事実」 中世から近世初頭にかけて、「厚狭川を高位に堰止め、千町ヶ原に縦横に構築した水路に水を導入し、また、水門を分けて余分な水はもとの本流にかえす」という大工事が実現されました。
「事実から伝説へ」 厚狭の寝太郎物語の原型と言える記述が天保13年(1841年)の「風土注進案にあります。
寝太郎像
作者は米林勝治金沢大学教授で、芸術性の高い銅像として評価されています。 また全国的にみても銅像のある駅は珍しいということです。 寝太郎公園 厚狭川の両岸に沿って、寝太郎伝説に因んだ公園が設置されています。
「千石船の公園」、
「わらじの公園」、
「桶の公園」、「砂金の公園」の4つがあり、中心になる寝太郎公園・ゆめ広場では、毎年6月にホタルまつりが開催されています。
![]() 『厚狭の三年寝太郎』話はこちら |
和泉式部伝説
山陽本線の「埴生」駅を下ると間もなく、左手の視界に海がとびこんでくる。その直下のたんばの中に、こんもり一むらの小丘がやや細長い形でよこたわっている。この小丘こそ古くから「和泉式部の墓」と伝えられて、多くの伝説に包まれた一角なのである。
墳ははば南北に細長い丘状をなし、南側傾斜面の草むらを分けて上ると、丘上に一段高く盛土され、石段を構えた一基の墓があって、傘石を覆い、その仏石の正面に「尊霊和泉式部御墓」左右に「享保十六年戌」「奉寄進当邑中」と刻まれている。そこからものの10mも離れた丘上平地の南端には、横98m、縦117m、厚さ17mの沓ぬぎ石に似た平盤な石があり、式部の娘、小式部内持が産湯をつかった石と伝えられている。
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安倍貞任伝説
前九年の役(1052〜62)で、衣川関を捨てて敗走する安倍貞任を源義家が矢をつがえながらしばし呼び止め「衣のたてはほころびにけり」と歌いかけると、貞任は振り返り「年をへし、糸の乱れのくるしさに」とその上の句をつけたので、義家は矢を納めたという有名な話があります。 貞任はその後さらに来たに走り、厨川の柵にたてこもって抵抗し、ここで戦死しました。 この貞任の塚がどうして山陽町にできたかわかりませんが、二段の台石の上に墓標が立てられ、この墓の西南約50mの山麓墓地に墓がもう一基あります。
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