漫画
世代によって、性別によって、思い出に残る漫画は違ってくるだろう。
やはり小学生時代に生活をともにした漫画が、一番身近に感じられる人が多いと思う。
昭和33年に生まれた男である私にとって、週刊少年誌ではマガジン、サンデー、キング
この3誌が印象深い。そして1960年代にテレビで放映されていたアニメーション。
私なりに紹介して行きたいと思う。
少年週刊誌
鉄腕アトム(カッパ・コミクス)
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少年マガジン (昭和34年3月26日創刊号
(3月17日発売))
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これが、本邦初の少年週刊誌、「週刊少年マガジン」の創刊号。
この頃は、付録までついていた。付録の内容は、この表紙に書かれているのによると、「@天兵童子」「A新吾十番勝負」「B西鉄稲尾選手物語」だが、なんじゃ、こりゃ漫画が付録なのかなあ。
なにしろ、40円という価格が当時の物価からして、そんなに安いものではなかったのだろうが、今の少年誌と違って大変薄いものだったので、付録でごまかしていたのかも知れない。この創刊号に収録されていた連載漫画は、次のものがあった。
「13号発進せよ」(高野よしてる)、「左近右近」(忍一兵)、「疾風十字星」(山田えいじ)、「冒険船長」(遠藤政治)、「天兵童子」(矢野ひろし)、「新吾十番勝負」(水島順)、「もん吉くん」(伊藤章夫)
このお相撲さんは、先代の朝汐太郎だそうです。(こちらのメール参照)
マガジンは、この後昭和35年の「怪傑ハリマオ」(石森章太郎)が人気を呼ぶ。 |
少年サンデー (昭和34年4月5日創刊号)
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発売日がわずかにマガジンより遅く、日本初の週刊少年誌の座を譲ってしまったサンデーだが、価格は30円と10円安い上に、内容も充実していたようだ。連載漫画は、次のとおり。
「スリル博士」(手塚治虫)、「ローンレンジャー」(山田常夫)、「南蛮小天狗」(益子かつみ)、「海の王子」(藤子不二雄)、「スポーツマン金太郎」(寺田ヒロオ)、「宇宙少年トンダー」(横山隆一)
表紙は、前の年に巨人に入団したばかりの長島選手。マガジンが相撲特集できたら、こちらは野球特集。どうも、申し合わせができていたようにも思えるが。表紙右下のスリル博士の絵を見ると、ヒゲおやじを優しくしたような顔をしている。
それから、サンデーが30円だったせいか、創刊号だけ高かったのかわからないが、マガジンもすぐに30円に値下げしている。
サンデーは、その後「伊賀の影丸」(横山光輝)や「おそ松くん」(赤塚不二夫)、「少年ケニヤ」(石川球太)などで更に充実していく。 |
少年キング (昭和38年8月1日創刊号)
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マガジン、サンデーに遅れること4年、少年週刊誌界の東京12チャンネルと呼ばれる(?)少年キングが創刊される。「猿飛サスケ」(小山春夫)や「サイボーグ009」(石森章太郎)などのすごいヒットを生んで行ったにもかかわらず、私の印象は、どうしても3番手だった。
創刊号の連載は、
「0戦はやと」(辻なおき)、「ハヤブサ」(望月三起也)、「忍者シデン」(堀江卓)、「少年忍者部隊月光」(吉田竜夫)、「魔犬五郎」(笹川ひろし)、「ブンヤ野郎」(花岡しろう)、「おんぼろ記者ポッポー」(森田拳次)
なかなかすごい面々である。このころ、とっくに50円になっていた先行2誌に対して、創刊大サービスと称して30円の価格をつけている。クラシックのCD付の本の創刊号が安いのと同じく、まず買わせて固定客を作ろうという目論見であろう。後発としては良い手だ。 |
少年ジャンプ (昭和43年8月1日創刊号)
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ジャンプ、チャンピオンの2誌は、創刊当初は隔週刊だった。スピードとテレビの時代の到来とともに一週間が子ども達のサイクルとなり、月刊誌の時代が完全に終わることを予見して、集英社が必死で創刊したような感がある。現に集英社の月刊誌「少年ブック」は、翌44年4月に休刊となった。創刊号は、読みきりの漫画だけで構成されていた。収録作品は、
「くじら大吾」(梅本さちお)、「手」(楳図かずお)、「大あばれアパッチ君」(赤塚不二夫)、「ドル野郎」(望月三起也)、「父の魂」(貝塚ひろし)、「地獄剣」(高野よしてる)、「ハレンチ学園」(永井豪)
今見るとすごいメンバーだが、当時としてはさほどではなかったらしい。しかし、その後の一世を風靡したジャンプの先見の明は素晴らしかったようだ。
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少年チャンピオン (昭和44年8月10日創刊号)
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<工事中>
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お便りコーナー
愛知県 K.H さん (40代 ♂) からのお便り (2000.2.28)
少年マガジン創刊号の表紙のお相撲さんは、初代?(先代?)の大関「朝汐太郎」だと思います。「日本誕生」という映画が、この頃ヒットしていたので、たぶん朝汐が表紙になったのではないでしょうか。映画の中の役回りは、天岩戸を開く力持ちのおじさん(役柄は解りません)だったような気がします。
それと、漫画よりあとだったかも知れませんが、当時、大川橋蔵主演の「新吾十番勝負」という映画も見た記憶があります。父親のおかげで、映画は時代劇ばかりだった。
私が今も読みたいと思っている漫画があります。本宮ひろ志「男一匹ガキ大将」という漫画に熱中した覚えがあるのですが、あれは、サンデーだったのでしょうか。あのシリーズと「あしたのジョー」は単行本で揃えたのに、回し読みの中でどこかへ消えてしまった。本当に残念です。
⇒ 朝汐だったんですね。時代だなあ。大鵬とか柏戸だったら、わかったかも知れないのですが。しかし、眉毛がすごい。こういう眉毛が「丈夫(ますらお)」のシンボルだったのでしょうか。
新吾十番勝負の映画、調査したところ、たしかに大川橋蔵主演のそのシリーズがありました。昭和34年3月を皮切りに、完結編まで何作かあったようです。と、いうことは、マガジンの漫画とまったく並行していたんですね。
男一匹ガキ大将は、私も少年時代にハマりました。兄貴が単行本でそろえていて、寸暇を惜しんで読みふけったものです。成績が落ちるほどでした。連載はサンデーではなく、ジャンプでした。初期は、本宮ひろ志の絵が未熟で、思わず吹き出してしまうようなデッサンのものがありましたが、メキメキ腕をあげて上手になっていく様子が単行本では良くわかりました。サブマリン707の小沢さとるも、メカの絵は素晴らしいのに、人間、特に女の人の絵が描けなくて、すごいことになっていました。ヒトコマで赤塚のギャグ漫画より笑えるのがありました。大先生たちも、そういうことがあったんですね。
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