大阪万博オーストラリア館訪問記
名古屋に住んでいたとき、四日市からの帰りに近鉄電車の窓から、ふと見た建造物に体が凍った。
そこにあるはずのない見慣れた形。
30年以上と100km以上の時空を超えて、それは確かにそこにあるようだった。
大阪万博、オーストラリア館。
何故だ。よりによって私が一番好きだった、何度も何度も雑誌の写真を見返した、そしてとうとう実物に会えなかった、
憧れの彼女。
とうに死んでしまったと思っていた。
生きていた。
帰宅して調べると、大阪万博終了後、すぐに四日市市に移設され、オーストラリア記念館として存在するという。
実物に会いたい強い気持ちと、もうこれでいつでも会えるという安心感が同時にわき起こり、
とうとう東京に転勤になるまで行く機会がなかった。
そして遠くなってから、とうとう我慢できずに訪れることになった。
四日市に宿をとり、近鉄線の各駅停車で2駅、霞ヶ浦で下車。そこから海に向かって20分ほど歩いただろうか。
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会えた... あの雄姿が、眼前にあった。 |
| ん、しかし人の気配がない。
当然だが訪ねる人は稀有だろう。 |
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オーストラリア記念館展示室とある。
とにかく中に入れるのだ。行ってみよう。 |
| は、土足はいかんですか。結構気を遣ってるな。
しかも観覧ご希望の方は電燈をつけてくださいとある。
やはり維持費が大変なわりに来訪者は非常に少ないようだ。 |

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そ、そうか。
展示はこんな感じか。
万博のバの字もないか。 |

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5分で見終わって、電燈を消して外に出る。
一周してみよう。 |
| 彼女の背中に今、触れることができた。
撫でているうちに、熱いものがこみ上げて来た。
35年の時を経て年老いた彼女への憐憫ではない。
ここで35年間、じっと座って存在してくれていた憧れのものへの感慨。
かつての華やかな時代を終え、その役割も終わったという見方もあるが
今は遺跡のような貫禄を備え、その新たな役目を淡々と演じているのだ。
これが分からない人は分からないでいい。くそくらえだ。 |

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シドニー港と四日市港が姉妹港であることから、万博閉幕後に無料で贈呈されることになったが、
その輸送費の高さに四日市市ではひと悶着あったと聞く。
そして現在は貸しホールとして機能しているが、年間8百万円の維持費は賄えないだろう。
地域の催し物はともかく、プロレスの興行が大きな収入源となっていると聞くとやはり淋しい。 |
| 万博のときはスカイフックと呼ばれるワイヤーネットが260トンの屋根を吊る構造だったが、
今では円形屋根の下をぐるりと壁が支えている。
千里の万博公園に残されているパビリオンは鉄鋼館、そして太陽の塔のみ。
スカンジナビア館は石狩市に移設されたが、すでに取り壊されてしまったという。
鉄鋼館は物置になっており、今生きていると言えるのは太陽の塔とオーストラリア館だけか。 |
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隣接して1997年に建てられた四日市ドームは、土曜日で行事があるのか賑わっている。
私ひとりしかいないオーストラリア館とのコントラストが、不思議な気持ちにさせた。 |
| 横の広場には羊の椅子がオーストラリア館を見つめる。 |
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ずいぶん長いこと居たが、ついに別れを告げる。
「じゃね。また来るよ。」
心の底から出た気持ちだった。
彼女が微笑みかけてくれたようだった。 |
| これは移設数年後(1975年)の空撮写真。
木々も育っておらず、殺伐とした感がある。
右のロータリーのようなところに四日市ドームが建設されることになる。
資料提供 : 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 |
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| こちらが2006年の空撮。(というか、衛星写真。恐ろしい世の中だ。) |

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開館時間 午前9時〜午後5時
休館日 毎週月曜日、祝日、年末年始
〒510-0012 四日市市大字羽津甲5169番地
TEL・FAX 0593-32-2357
東名阪自動車道・四日市東I.C.より富田山城線を東へ約7Km
近鉄四日市駅より三重交通バス
霞ポートビル行「四日市競輪場前」下車 徒歩7分
近鉄名古屋線 霞ヶ浦駅より徒歩20分 |
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