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60年代・70年代のこと
| その頃、あなたはいくつだっただろう。
あなたにとって、同年代の人と想い出を語るのに一番楽しいのは、
いくつの頃だろう。
小学校、中学校の頃は、あなたにとって遠い昔だろうか。
遠い昔に感じられる歳になった時、その頃の想い出を語り合うことが、
本当に楽しくなる。 |
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探し物、お尋ね者、疑問質問、解決できるかどうかは別の長い目で見るコーナー。 |
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index
ジンタンガムのピストル
愛国から幸福ゆきの切符
ホーマーのICラジオ
カッパバッジ
SONY ウォークマン
SONY カセットデンスケ
BCLラジオ ナショナルクーガ7
ボンネットバスのペーパークラフト
発掘! ビートルズ全集ソノシート
牛乳びんのフタ
お便りコーナーへ
ジンタンガムのピストル
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ピストル型のガムディスペンサーである。昭和30年代〜40年代によくあった点数をあつめて景品がもらえるガムやキャラメル。紅梅キャラメルのスタートカメラは有名だが、知る人が少ない仁丹ガムの景品であるこのピストルについて、串間努さんが調査・記述してくださったので以下に掲載する。 |
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| 内側に実用新案登録の刻印 |
おなじみの仁丹マーク
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「ジンタンガム」と刻印されたピストル景品についての報告 (串間努さん)
昭和34年よりチューイングガム業界に参入した仁丹は、翌年から、野球ガムを発売します。
これが後に子どもたちが「野球メダル」を収集するブームになるジンタン野球ガムのはしりですが、当初の景品は、メダルメインではなく、野球道具や「スターリッチカメラ」などでした。50点から500点の点数を集めて応募し、点数に応じたグレードの賞品が抽選でもらえます。その50点の景品のひとつとして「ピストルガム」というものがあります(昭和37年)。このガンが、ガムのディスペンサーであるところをみると、「ピストルガム」である可能性が高いと思います。
なおピストルの色で部分的青色バージョンが存在するのは、同野球ガムが「セ・リーグ」と「パ・リーグ」の2種類あり、人気のセ・リーグは青色パッケージだったことに関連しているのではないかと推測します(パ・リーグは赤でしたが、景品開発担当者の心理になってみると、赤いピストルはヘンだということ、ベーシックに黒いピストルは欲しいということから、黒と青になったのではないかと考えますが、部分的に赤色がついたバージョンが存在する可能性も否定できません)。
また、そのガンの形は「コルト」でしょうか。昭和36年の「ジンタン自動車ガム」の景品に「10カー賞」として「ピストル(コルト製)」というのがあります。この可能性もあるかと思います。
他にもジンタンが昭和30年代〜40年代に発売した児童向けガムの景品を見ましたが、私の手元に蒐集されているガムの包み紙を調査した限りではピストルに関するものは上記2点でした。
ジンタンが薬品以外の事業に本腰を入れ、児童向けピストル玩具に関わりそうな時代としては風船ガムブームの昭和30年代後半であり、子どものなかでの西部劇やガンブームも昭和30年代から40年代にかけて、ということを考えますと、このピストルは昭和30年代後半製造のものではと予想するのが妥当なところではないかと思われます。 |

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引き金を引くと一枚ずつガムが飛び出す。
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愛国から幸福ゆきの切符
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古い荷物を整理していたら、こんなものが出てきた。70年代半ばに大ブームとなった旧国鉄広尾線の愛国駅と幸福駅間の硬券である。「愛と幸せ」を求めて訪れた人々に1300万枚が売れたという。
昭和62年2月、ブームが去り観光客も少なくなった広尾線は、国鉄再建法の下、赤字路線に指定され廃線となった。現在は愛国駅は交通記念館に、幸福駅は鉄道公園になっているとのこと。
画像の昭和49年と51年の切符は料金が70円であるが、廃線当時は220円だった。今は復刻版に好きな日付を入れて売ってくれるようだが、ニセモノにご利益があるのかどうか。
古びて痛んだ廃線の切符を前に、祭りのあとの寂寞感を禁じ得ない。 |
ホーマーのICラジオ
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少年雑誌のニコー通販やマノク商事の通販などで定番だったICラジオ。
右が1973年、ICチップを搭載して世界最小だったホーマーのJEF73型。左は、おそらくJEF73より少し後の同じくホーマーのIC−1700という型。
原始的とは言え集積回路を用いることでここまで小型化したラジオが1000円ほどで買えるという衝撃は、ゲルマニウムラジオに限界を感じていた子供たちの財布をこじ開けた。
もちろん当時のスピーカーは、かくも小さな筐体に収まるはずもなく、クリスタルイヤホンで聴くこととなる。イヤホンジャックはスイッチを兼ねているが、所謂ミニミニジャックなので専用のものを必要とした。電池は
1.3V水銀電池2個だが、LR44×2で代用できる。専用イヤホンを紛失していたので、普通のイヤホンを内部の接点に押さえつけてバリコンを回すと...聞こえた。ちゃんと聴ける。イヤホンの回路が異なる
せいか小さな音だが、30年の眠りから覚めたラジオの音は、また私をタイムスリップさせるのであった。 |
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東京都 コヌ坊さん (42歳 ♂) からのお便り (2004.5.14)
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漫画雑誌の裏表紙…マノク商事、あったな〜!なつかし〜!世界最小ラジオ、あった、あった…あれ、こんなのウチにも確か残ってたんじゃ…
そうして引き出しの奥から出てきたのがこのホーマー・ラジオです。IC1500とありますから、はまさんの二つのホーマーの中間に位置するものと思われます。電池を買ってきて入れてみますと、ちゃんと音が出ます。買ったのは中学生くらい、74−75年あたりだったと思います。当時私もアイデア品類は好きだったのですが、通販というものがどうも信用できなくて、直接ショップまで出かけて購入していたのを覚えています。しかしこの世界最小のラジオ、一種類しかないと思っていたのに、ずいぶんと種類があったのですね。ラジオ系のサイトをを少し調べてみましたが、JEF72という機種とIC3000という機種もあるようです。JEF72ははまさんの所持されている73とほぼ同じデザインです。思うに、毎年外見と名前を少しずつ変えて販売されていたのではないでしょうか。 |
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⇒ IC1500という機種にJEF73の面影が残されているのが面白いですね。しかもIC−1700のデザインも入っていて、つまりコヌ坊さんのおっしゃるように中間の時期のものなのでしょうが、まるでJEF73がIC−1700に変身する途中経過のようで笑ってしまいます。
コヌ坊さんからは、IC−1500の説明書の画像も送っていただきました。
HOMER
IC−1500 説明書
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カッパバッジ
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10月1日都民の日。その直前に学校で販売されたカッパバッジ。実際にどのように購入したのか記憶がないのだが、何度か買った。
今は亡き奇才清水昆氏のデザインによるもので、それは風合いの良いバッジだった。我々が求めた60年代には、確か単品しかなかったと思うが、後に5個セットの色違いの詰め合わせが販売されるようになった。
左の画像は東京オリンピックの年(1964年)のものである。右に裏面を示すが、「1964.10.1」「大東京祭記念」とある。この文言は、毎年基本となっており、後に何年のバッジであるかを判別するのに大変助かる。70年代半ばになるとデザインが新しくなって、どうもほのぼのとした感じが無くなってくるのが惜しいが、今はあるのだろうか。
そもそも大東京祭なるものは何なのか。何故カッパなのか。疑問に感ずべきことは横に置かれ「都民の日」の象徴として子供たちの間に浸透していた。 |
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| 1962年は緑のカッパ |
東京100年の1968年 |
左から、63年 65年 66年 67年 |
73年は少し変形カッパ |
SONY ウォークマン (昭和54年)
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ウォークマンと言えば80年代という印象が強いが、この初代TPS-L2が発売されたのは、1979年7月のことだった。当時としては、この大きさでステレオ高音質の画期的な製品であったし、これが生活習慣や社会に与えた影響は、歴史的と言っても過言ではない。33000円は、ウォークマンへの憧れに比べれば安かったといえる。
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SONY カセットデンスケ (昭和48年)
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生録という言葉を流行らせたポータブルのデッキ。今となっては持ち出すには大きい感があるが、ラジカセを一回り大きくしただけのサイズでステレオ録音ができ、アンプに接続して本格的なテープデッキとなりうるデンスケは羨望の的だった。当時の57800円は、大変高価であった。 |
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ナショナルクーガ 7 (昭和48年)
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BCL(Broadcast Listener)ラジオというものが流行った時期があった。ステレオは大きくて持ち運べないし、ラジカセもあったけど短波で海外放送を聴くには性能が物足りない。モノラルであることはさほどの問題でなかった時代、こんな小型・多機能・高性能のラジオに人気があった。
通称クーガセブンと呼ばれるRF877は、その野性的な顔立ちで人気を博した。全面の大きな丸いチューニング窓も男心を魅了する。RFの減衰機能やイヤホンの収納スペース、様々なin、outのジャック、インジケータ、120分タイマー(キッチンタイマーのような)等、恐ろしいくらい色んな機能が付いている。大きなスピーカーからは、実に心地よい高音質の放送が流れ出てくる。 |
| 長波、中波、短波を受信でき(もちろんこれができなければBCLラジオとは言わないが)、中波、所謂AM放送を受信するときには本体上部のボタンを押すと、アンテナ(右画像)が飛び出し指向方位を変えることができる。本体を動かさなくて良いので、楽だし省スペースなのだ。当然FMが最も音質が良いが、かろうじて受信できる短波の海外放送をさぐる楽しみもあり、機能の多さとあいまってマルチに楽しめるラジオなのである。
(協力:健太郎さん、純子さん) |
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KIKUさんから当時のクーガの雑誌広告の画像を送っていただいた。クーガーではなくクーガと呼ばれていたことがわかる。
ボンネットバスのペーパークラフト
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KIKUさんが送ってくれた本の付録についていた。組立には約2時間を要した。
私が子供の頃は半分を占めていたこの形のバスも、今ではすっかり姿を見なくなったが、まだ田舎の方では活躍しているものもある。バスの形状としては現在の箱型の方が効率が良いのだろうが、子供の時私はこちらの型が好きだった。バス停で待っているとき、どちらがくるかなあと漠然と考えていたが、箱型がくると妙にのっぺりとした顔だと思ったものだ。勝手にボンネットバスはおじさん、箱型はおばさんだと思っていた。 |
発掘! ビートルズ全集ソノシート
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先日、倉庫から発掘されたビートルズの写真、ソノシート集。ハードカバーで、全34頁の写真や記事、5枚のソノシートに10曲入っている。高崎一郎や湯川れい子などが寄稿しており、すごいものではあるが、この頃横行した詐欺まがいの欠点もある。ソノシートは懐かしいのだが、演奏はビートルズではなく、「ケーシー浅沼とキングブラザース」。き、聞いたことがない...。でも、名前だけで笑えるのでいいのである。おそらく1965年頃のもので、ビートルズを日本へ呼ぼう!というファンクラブの記事がある。 |
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牛乳びんのフタ
牛乳びんのフタに関しては、いろいろ経験談をいただきましたので、ちょっと特設コーナーです。
(上から順に読んでくださいー。)
千葉県 純子さん (40歳 ♀) (2000.8.10)
牛乳ビンのふた集めが異常に流行ったことありませんでしたか?ふたとふたで戦って(?)相手を裏返せるとそれをもらえるのでした。私は転校生でふた集めに出遅れていたので養護学校の教員をしていた叔母に頼んで叔母のクラス中のを集めてきてもらったのですが,集まったころにはブームが去って手元には大量の牛乳のふたがむなしく残った記憶があります。その頃,男の子たちは日本酒のふたの金属部分を集めていて,酒屋の裏とかでふたをあさっていたものでした。牛乳のふたと違って日本酒のふたは貴重なのでそれだけステータスが高かったわけです。
⇒ 牛乳ビンの蓋に関しては、もちろん集めました。紙の菓子箱にいっぱい持っていたものです。あれも今とってあったら、懐かしいだろうなあ。当然、ある時期に廃棄処分となりました。しかし、あのコレクションは気をつけないと異臭を放ちますよね。念入りに水で洗わなくては。
岡山県 KIKUさん (40歳 ♀) (2000.8.13)
昔、ヤクルトがまだ瓶だった頃、牛乳びんのふたのように持つところの出っ張りがなくて、千枚通しにわっかがついたようなふたあけ機で開けていたような記憶があります。
⇒ そ、そういえば、コレクションには、みんな穴が開いていた...
千葉県 純子さん (40歳 ♀) (2000.8.13)
KIKUさん。やはり牛乳ビンのふた集めって全国的な流行だったのですね。私が世田谷にいた時には大流行だったのですが,その後引っ越した調布ではだれも集めたことがなかったそうです。
それから,私が集めていた牛乳ビンのふたは持つところの出っ張りがなくて、どこの家庭にも千枚通しにわっかがついたふたあけ機があったものでした。
学校でも各クラスにふたあけ機が常設されていて,それでふたをあけるのも給食当番の仕事でした。
長野に旅行に言った時,駅前で飲んだ牛乳のふたには出っ張りがあってそれにえらく感動して持って帰ってきて夏休みのレポートに長野の写真と共に貼って提出した記憶があります。
岡山県 KIKUさん (40歳 ♀) (2000.8.14)
そうですかー。いや、思い出しました。そういえば牛乳びんのふたにも、最初は出っ張りがなかったんですよね。あの出っ張りを考えた人って天才なのかな?
愛知県 K.Hさん (40代 ♂) (2000.8.16)
子供の頃は妙なものに価値を見出していたものですね。照れくさくて、思い出し笑いが込み上げます。
「経済ってそういうことだったのか会議」(日本経済新聞社)
経済学者の竹中平蔵とだんご3兄弟の佐藤雅彦共著。
この書籍のはじめに、お金の正体「牛乳びんのフタの経済学」という項があって、佐藤氏が、子供の頃集めていた話が出てきます。
いつの間、フタに価値が芽生え、傷もののフタ10枚と新しいフタ1枚と交換したり、フタとカッコいい消しゴムとを交換するまでになってくる。そして、隣町のフタや、東京のフタまで集め出す。フタの品質により仲介を取り持つブローカーまがいなことをするようになる。
しかし、最後は牛乳屋さんの親戚の子供が、大量の真新しいフタをビニール袋一杯に、何百枚も持ってくるに至り、子供のこころから何かが失われる。フタの価値の消滅。
失望し、フタはただのゴミになってしまって、たくさん持ってる人がバカみたいになってしまったという話。
この書籍ではこの話を例に、貨幣経済の信用とか、貨幣の役割について説明しているんですが。かなりの世代を通じ、又全国でこんなことがあったんですねえ。
「牛乳びんのフタの話題!」懐かしくて、はずかしくて笑ってしまいました。
今の遊戯王カード集めみたいなもんでしょうか。それ以下のヘンな遊びだなあ。
ちなみに私は、愛知県に育ちながら、(大昔の)「北海道の牛乳びんのフタ」を1枚今も持っています。うらやましいと思う人はいるのでしょうかねえ。こんなことは、何かカッコ悪くて、妙にはずかしくて、今まで誰にも言えなかった。タイムスリップしました。ありがとう。
で、私。「うらやましい。画像を送っていただくか、現物をお貸しください。」とお願いしたところ、現物を送って来てくださいました。ありがとうございました。
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「牛乳びんのフタ」同封します。
よく見てください。「千枚通しにわっかがついたフタあけ機」が要りません。
この機能が珍しかったから、とっておいたのでしょう。
フタの出っ張りが発明される前夜のものか、北海道独自のアイデアだったのか。こんなの知ってましたか? |
| 知りませんでした知りませんでした。わかりますか?真中に半円形の切れ込み(鮮度を保つためか、裏までは貫通していない)があって、これを起こして引っ張って開けるものです。右の現在形にたどり着くまでには、このほかにもいろいろな工夫があったのかも知れません。しかし「ホモナイズ」というのはホモジナイズとは別の意味のような気が... |
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