| ■恋の門 | この作品のテーマは「空虚」 塚本監督が演じるのは、漫画編集者。 昔担当していた元漫画家が開く、漫画バーの片隅でいつも酒を飲んでいる。微笑みを絶やさず、なにがあっても、声を荒げたりしない。 元漫画家が、若い漫画家たちと漫画バトルをすることになっても、親身になって励ます。だが、その戦いの直前、誰にも気がつかれずに、バーの片隅でひっそりと冷たくなっているのだ。 という役柄で、本筋とはまったく何も関係がなく、塚本監督の役がなくても、ストーリーは無事に進行する。 野呂という編集者については、とりたてて何も語られない。 だがしかし、野呂の中に恐ろしいほどに深い空虚を見てとってしまうのは、なぜだ。 昔の担当漫画家のバーの片隅に、ひっそりと佇む男。その内にはどれたけ深い絶望が巣食っているのか。 嗚呼! まあ、松尾監督と塚本監督が、どんなふうに役作りをしたのかは知らないが、自分にとっては大いなる空虚を体現している、役柄なのであるのだ。 |
| ■DEAD OR ALIVE 2 | この作品のテーマは「変」。 簡潔に一言で言い切れば、「変」が一番近いと思うんだが、どうだろう? 「妙な手ざわり」というのも捨てがたいが、やはり、ここはあっさりと「変」と切り捨てたいところ。 オープニングから登場する、手品が趣味の男で、哀川翔扮する男に殺人を依頼するという役所。本当は自分が殺しをしなければならないのに、びびってしまって哀川翔に丸投げ〜〜〜てな感じの役。小心者で、おどおどしてるのに妙に強気で、自分の手品を無視されるとキレる……という役が「変」じゃなかったら、いったい何が変だと言うのだろう。 それにつけても、塚本監督に要求される役は、この手のものが本当に多い。映画界では「変」のオーソリティとされているのだろうか。喜んでいいのか、哀しんでいいのか(笑) |
| ■殺し屋1 | この作品のテーマは「ズルさ」 殺し屋1をコントロールする闇の仕掛け人役。原作では名の通り、じじいなのだが、映画ではとくにメイクとかはなし。原作でも見かけはじじいだが、実はけっこう若いという設定だったはず。 なにが一番インパクトあったかというと、筋肉増強合成シーン。 あれは、もっと自然にできなかったんだろうか。今の技術をもってすれば、もっと自然な感じに合成できるだろうに、わざとか? わざとなんだな、三池監督! わざとしか思えないほどの違和感ありありの合成。ひょっとしたら、三池監督自分でPCいじってやったんだったりして。 あのシーンは、両監督からの「笑え」というメッセージだと解釈して、大いに笑かしていだいている。 濃すぎる出演者の中、飄々としているたたずまいが良い。飄々とした中に見せるズルさに、はっとさせられる。人間の多面性を感じさせる演技。 それだけに、あのラストシーンには納得いかん。原作通り、表の世界に戻ったイチに闇の世界を垣間見させて去っていくというラストじゃ、嫌だったのかなあ。それまでがすごくよかったので。あのシーンには愕然とした。 |
| ■連弾 | この作品のポイントは、「違和感」なんだと思う、たぶん。それとも「わざとらしさ」か「にぎやかし」か、ひょっとしたら、「極彩色」かもしれないし、「インパクト」とか「衝撃」とか、そういうもんかもしれない。 自分的にはなんだか、「永瀬正敏」な感じもしたのだけど。 監督的にはあれが「アバンギャルド」なのか。まあ、確かにアバンギャルドってたけど、確かに。 主人公親子が、シーパラダイスに遊びにいった時、つい父親が目を奪われてしまった美女の恋人役 なにがインパクトあるかって、服装が。 テンガロンハットにレゲエな長髪、皮の上着に主に赤紫系の縦ボーダーのピチピチパンツに、黒ブーツである。 通りすがりの人物だと、ずっと遠くからの引きしかないので、最初は塚本監督という自信がなかなか持てなかったが、どー聞いても声がそうだから、きっとあれが監督なのでしょう。 ああそうか、「存在感」だな「存在感」。 監督が出てきただけで、目が釘付け。もしかして、350度ぐらい運命がねじれていたら、今ごろあれが監督の私服だったかもしれないと思うと、更にインパクト大。 はっそれとも、実はあれが普段の格好であって、マスコミに登場する時はすべて、スタイリストがついているのかもしれない。 |
| ■サクヤ妖怪伝 | この作品のポイントは「あやしい」。 妖怪しか出ないような映画に、なぜか一人だけ人間役で、でも妖怪よもりよっぽど怪しい。濃い目のメークが更に怪しい。いや、妖しいかも。 人形使いという設定に、萌えてしまったのはわたしだけだろうか。原口監督のキャスティングの確かさにも萌え。塚本監督と人形。なんて素晴らしい組み合わせだろう。きゃあ(は〜と) いつか、塚本監督で「ひとでなしの恋」を見るのが、夢といえば夢。絶対に実現しそうもないけど。 妖人ぶりが、実にセクシー。猥雑さというのは不純物がまじればまじるほど、より深く猥雑になるのだと思い知らされる。 しかし、なんだか、どこかで見たようなイメージが多々あるのですが、この映画。ラストシーンなんか、電柱小僧かと思ったよ。原口監督も塚本監督に惚れてる……のか? |
| ■クロエ | この作品のポイントは「卑屈」。 主人公の親友で、彼らの破滅へのきっかけをも作ってしまう、重要な役。 お調子者で憎めない卑屈な小心者を好演。こういう調子のいい奴、いるいるいる。周りに調子がいい分だけ、自分にも調子がよくて自滅してしまうタイプ。 この作品の塚本監督は実はとてもとても好きで、この手の静かな映画はそんなに好みではないのだけど、塚本監督登場シーンだけは熱心に見てしまう。 芸術家キタノが好きで、固執して友達から借金して、そのおかげで、友達の彼女の治療ができなくて死ぬしかなくて、自分の彼女に金貢がせて、それでもやめることができなくて、最終的には借金取りに刺し殺されてしまう。ああなんて、ドキドキするほど卑屈な役なんだろう。 目をあけたまま死ぬシーンは、監督お得意というぐらいよく見る気がするけど、でも、これもとても好きだ。この映画は自分の中では、監督主役で変換されているので、彼が死んだところで、この物語は終わるのだ。 |