■■■ 生塚本な日々 ■■■



■ 1992/4/3 
中野武蔵野館 

ひょっとしたら、年が違ってるかもしれないんですが。すいません。鉄男2スーパーリミックス版の時の、トークショー。
これが、初生監督体験。
更に申し訳ないことに、記憶がまったくなかったりするし。すいません、すいません。本当に。
ゲストは田口トモロヲ氏。司会は確か、助監督の天満氏だったと思うけど、これもさだかではない。ごめんなさい、こんなやつで。
パイプ椅子に座り、撮影秘話なんかを楽しそうにしている監督は、本当にそこらへんにいる、フツーの男の人って感じで、監督にカルト的カリスマイメージを抱いていたワタクシは、幻想をこっぱみじんにされた気がしたものでした。とほほ。
映画と普段の落差が、また魅力の一つなのだが……ふふふ。
■ 1995 
BOX東中野 
確か……秋だったような気がするけど、夏だったかも。「東京フィスト」初日トークショー。狭い、BOXが超満員で、遅れていったワタクシは、階段で座ってみるハメになった。場内熱気むんむんで、すごかった。
更にすごかったのは、確か、キネ旬だと思うんだが、雑誌の取材がはいっていて、会場の客全員で「フィストポーズ」←右拳を空に向かって突き上げる、をやらされたことかな。脱力。
ゲストで、藤井かほりさんが来ていたような気がする。(本当に俺ってやつあ……(T_T))
この時も、撮影裏話などを楽しそうに語ってくれてた。
ついでに、他に書くとこもないので、ここにでも書いておきますが、東京フィストの主演女優はオーディションでしたね。
誰でもいいというので、一時真剣に応募しようかとも思っておりました。まままままあ、挑戦する権利は誰にでもあることだし。限度があるが。
■ 1999 
渋谷タワーレコード 
98年だったかもかも……。
東京フィストのサントラ発売の記念即売&握手会で、石川忠氏と一緒。
その日、用事があって横須賀まで行っていたワタクシは、なんと大笑いなことに一番最後でありました。よよよよよよかった、間に合って。
監督、石川氏と順番に机に座り、ファンが流れ作業で握手してもらうという店内イベント。
太っ腹なことに、ポストカードにサインまで書いてくれました。監督の手は柔らかかったです。
この時に、石川氏に「ライブ最高っす、かっこいいっす、また行きます」と言ったら、微笑んでもらえました。嬉しかったです。照れ照れ。その時のサインです
■ 不明 
下北沢シェルター 
97か98だったと思うんだけど、本当に、覚えてない。
シェルターに石川氏を見にいったら、監督が来てたんですよ、監督が。
お友達なのか、5人ぐらいでいらっしゃってました。一人、かなり美人の女性がいたのを、目ざとくチェックする俺様。
ライブが始まる前は、監督たちは後ろのほうで何やら談笑。その近くにたたずむ、自分とその友人(爆)
ライブが始まる頃、なにげに後ろに移動(木亥 火暴)し監督チェックにはげむ。監督は思ったよりも小柄な方でした。チェンソーを振り回す石川氏をなごやかな目(想像)で見守る監督。特にノリノリって感じじゃなかったですが、内心はきっと一緒にチェンソーを振り回しているのだろうと勝手に思ってました。
話かけたかったけど、その勇気もなく。くくくくく。
■ 2000/2001 
BOX東中野 
嵐丸さんのレポへGO
■ 2000/12/31
 東中野交差点 
アレックスさんの体験談です。
12/31のオールナイトのとき開場待ちで俺たちがうろうしてるとき、信号待ちしてると隣に塚本監督が。友達が「今日、楽しみにしてます」というと「あ、今日くるんだ。何時からだっけ?」とのご返事でした。
■ 2002/10/04
たけしの誰でもピカソ
あんまりにも監督が表に出てきてくれないので、とうとうテレビのレポでも(涙
つーか、ベネチア映画祭のことどっかでやれやあ!と、塚本マニア同士なら心の中で拳を握りしめているはず。熱きフィストを(笑)
閑話休題。
「誰ピカ」アートバトルの審査員として出演。SP版だったのか、いつもよりも審査員が倍。映像関係は塚本監督と高城剛(なんでこの人、こんなにうさんくさいんだろうと毎回思う)のみ。
塚本監督は、和紙を重ね塗りかためたものを、グラインダーで削るというオブジェがたいそう気にいったようで、「9点」をつけたのですが、他の審査員はのきなみ低評価。高城某氏にいたっては、作品を酷評。塚本監督のコメントもぜひ聞きたかったけど、特になし。多重の色が層をなし、柔とも剛ともつかない不思議にねじくり曲がったオブジェは、監督が好きそうだなあとは思いました。アートって奥深い。


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