昨日までの、菜摘




 菜摘が5年生になって、日に日に大人になって行くようでした。
 でも、なんとなく気になる事がありました。
 そういう事を、書いてみました。



平成9年6月**日(*)


 5年生になると女の子は、少しずつ女性らしくなります。  外見もそうですが、心にも変化がありますよね。  この頃の菜摘の変化はそういうものなのかどうか...私には楽しみのようであり、 不安でもありました。
 でも、やはり、死の予感だったのではと思うのです。

 菜摘は爪を噛むくせがありました。 明るい娘でしたが、不安定な所もあったのでしょう。  私は爪の形が悪くなるのを心配して、たびたび注意していました。
 いつもは注意しても、またかという感じなのに、6月に入ってからの菜摘は違いました。  ソファーに座り、下を向いてシクシク泣きはじめたのです。  いつもなら、怒ったあとは抱きしめてあげるのですが、自分できちんと考えてほしくて、 あえて抱きませんでした。
 いつもは泣くときも大きな声で泣くのに...。



平成9年6月**日(*)


 菜摘は、生まれた時から綺麗な顔でした。  ベビーカーで出かけると、知らない人からも声をかけられました。
 小さな菜摘を見ていると、自分の子供ではないような気さえ、ありました。
 赤ちゃんの時から、公園に通いました。  私の子供の頃のような内向的な子供には、なってほしくなかったからです。  菜摘は、私の思うように、元気で明るい子に育ってくれました。
 
 そんな私の心の中では、この子を失う恐怖が芽生えていました。  「出来るものならば、傷つかないようにガラスケースに閉っておきたい。」
 しかし、菜摘は10歳まで成長しました。

 5年生になったある日、私は菜摘に告白しました。  「この和室に牢屋を作って、閉じ込めようかな...。」  もちろん、「外で遊ばないと体が腐る!」と、言っていた菜摘に笑われました。
 その時、なぜか話題がどちらかが先に死んだら...に、変わりました。  菜摘は、しきりに自分が先に死んだらお化けになって、 私の前にいつも出てくると言いました。  私は、幽霊は苦手なので知らないふりをすると答えました。
 どうして、あんな話しになったのでしょうか?  死んだらお化けになって、いつも出てくると言っていた菜摘は、 なかなか出てきてくれません。



平成9年6月**日(*)


 菜摘は私に似て背が低く、並ぶといつも1番前でした。
 でも、親にとってはイベントの時にありがたく、いつも全身をビデオや写真に 収める事が出来ました。 ちなみに、円香は真ん中なので、探すのがひと苦労でした。
 元気な菜摘でも、身長の事はコンプレックスだったようです。
「だいじょうぶ、大人になったら気にならないから。 ママよりは、大きくなるから。」
と、励ましていましたが、6月の菜摘は、
「今じゃないと、だめなの。」と言って泣いていました。

   菜摘は大人になれなかったね。 菜摘の言っていた事が今、わかりました。



平成9年6月17日(火)


 夕方、家の近くで友達と遊んでいた円香が、子ウサギ3匹を拾いました。
よく考えれば学校のウサギだと思われるのですが、 子ウサギ3匹が仲良く道路を渡ってくるのも不思議です。
 円香の友達は、自分のお気に入りのウサギを自転車に乗せて、帰りました。  仕事帰りの私は、夕方の寒さと早く家に帰りたいのとで、ウサギ2匹を家に入れてしまいました。
 そこからが大変でした。 動物大好きな菜摘は、ほしくてほしくて仕方がないのです。  家はマンションだったので、動物は飼えません。  それでも、ジャンガリアンハムスターが4匹いて、ハムの世話だけで大変です。 なにせ、ゲージが4個です。  (菜摘は、毎日ハムスターを順番にかわいがっていました。)
 とりあえず、凍えていたウサギを暖めて、餌と水をあげました。



平成9年6月20日(金)


 ウサギの事は、私から学校に連絡しないで、子供たちにさせました。  しかし、ウサギのほしい菜摘は先生に言わず、円香が先生に言ったのですが充分には 調べてくれませんでした。
 結局曖昧なまま、ウサギをつれて遊んでいた菜摘は、 飼育係の女の子たちに責められる事になってしまいました。
 ちょうど私が仕事から帰ってくると、学校の前で子供たちが大勢たまっていました。  その中でローラーブレードをはいたまま、ウサギを離さず泣きながら立ち尽くす菜摘。  結局、どこのウサギか曖昧なので、先生と相談した結果、うちで飼う事になりました。

 白いウサギは、ミルク。 黒と白のウサギは、パンダ。  残念ですが、もう1匹のウサギは後日、学校のウサギ小屋に返したそうなのですが、 他のウサギ達にいじめられ、亡くなっていたそうです。



平成9年6月21日(土)


朝、ミルクの様子がおかしかったのです。 見たときにはもう横になって痙攣しているようでした。
菜摘の呼びかけに応える事もなく、ミルクは息をひきとりました。 菜摘と円香が、泣いたのは言うまでもありません。



平成9年6月22日(日)


 この頃から、菜摘は 「夜が恐い。」と、言い始めました。

 自分の死期を、感じていたのでしょうか。



平成9年6月27日(金)


 ミルクが亡くなってから菜摘は毎日にように、パンダがかわいそうだと言いました。 近くのペットショップに行っても、手頃な値段と大きさのウサギがいません。
 仕方なく、仕事帰りに菜摘、円香と「ファクトリー」で待ち合わせました。  でも、ウサギはいませんでした。  がっがりして、落ち込む菜摘。 帰りにおそばを食べましたが、 泣きながら半分くらいしか食べませんでした。

 菜っちゃん、どうしてそんなにパンダがかわいそうだったの?  菜摘は自分が居なくなるから、パンダを1匹で残していくのが心配だったのでしょうか?



平成9年6月28日(土)


 菜摘は、同級生の金子さん、鈴木君、五十嵐君と一緒に、東区の温水プールに行きました。
友達とバスに乗ってプールに行った娘を見て、大きくなったとつくづく思いました。
お留守番の円香は、つまらなくなりパパと買い物に出かけ、 フーセンを貰ってきました。

 帰って来てから菜摘は、そのフーセンに気付き、円香とパパが出かけた事にショックを受け、 おまけに円香がフーセンを触らせないので、「菜っちゃんも、ほしかったよ。」と、メソメソ泣きました。
しばらくイジイジしていてパパと、飛んでるお魚のフーセンを買う約束をして機嫌はなおりました。
 そして、夜 「こっそりフーセンをたたいてやった!」と、おちゃめな顔をして言っていた菜摘。
 5年生にもなって、どうしてフーセンがほしいのか私には判らなかった...。
菜摘どうして、泣いたの?



平成9年6月30日(月)


 30日のお風呂はシャワーで、菜摘が円香の体と髪の毛を洗ってくれました。
 夕ご飯は、大好きな二色ごはんでした。(挽肉と卵のそぼろ)

 この日テレビドラマ「ひとつ屋根の下2」の最終回でした。  菜摘は見たがっていたのですが、ビデオに録画する約束で寝かせました。

 私もその時は、見ませんでした。  ビデオを見たのは亡くなってから何ヵ月もたってからでした。



平成9年7月1日(火)


 運命の日。
 朝菜摘は、友達に置いていかれると、あわてて家を出ました。  いつもの、いってらっしゃいの「チュー」も出来ませんでした。

 学校から帰ってきた菜摘は、円香と外でしばらく遊び、 ピアノの時間に合わせて家をでました。  円香は、帰ってから「シルバニアファミリー」で遊ぶ約束をしていたので、 家でおもちゃをだして待っていたそうです。
 その日円香は、菜摘に「一緒に行きたい。」と言ったそうですが、 菜摘はことわったそうです。 円香の心の中にはいまでも「一緒に行けば良かった」 という思いがあるようです。

 −−−−−そして、事故−−−−−

 外で救急車のサイレンが聞こえたそうです。  警察から自宅に電話があり、円香が受けました。  円香は、私に連絡をしてくれました。

 私はバスの中でした。 あわててすぐ近くののバス停で降りました。  東警察署に電話をしました。 すぐに東警察署に来てくれと言うのです。  私はとっさに「どうして、病院じゃないんですか?」と聞きました。
 あんまりじゃないですか...病院にも行けないなんて...。
 早く行かなくちゃいけない。 タクシーはなかなか見つかりませんでした。  やっと見つかったタクシーは、なんと事故現場を通ってきたタクシーでした。  こんな偶然はあるのでしょうか? 菜摘が迎えに来てくれたのかもしれません。

 現場は、パトカーや報道の車でいっぱいだったそうです。  ニュースでも、何回も流れたそうです。

 とにかく、円香を迎えに行きました。  マンションの駐車場に着くと、 そこには仲良しの「りゅうちゃん」と「けいこちゃん」のお母さんが円香と待っていました。
 偶然だったのです。 私は2人の顔を見て何も言えませんでした。  ただ首を横に振るだけでした。 それだけで2人はわかってくれました。
 小さい頃からいつも一緒に遊んでいた「隆太君」と「恵子ちゃん」、 菜摘は最後の挨拶をしたかったのでしょう。

 −−−−− そして、−−−−−

 東警察署では、何時間も待ちました。  担任の鈴木先生が来てくれました。  
 私が菜摘と会ったのは、死体安置所でした。  すでに白い着物を着ていました。  でも、顔が...顔が...頭全体が真っ白い包帯で覆われて、 菜摘の頭の大きさ以上でした。  一緒にいた白衣の男性のネームプレートには、「複顔士」と書いてありました。  体は、擦り傷程度でした。  でも、顔は轢かれてわからない状態だったそうです。
 あんなに、かわいい顔が...。
 警察の人は、私には見せてくれませんでした。  お願いして見せてもらったのは、右の頬でした。  皮膚という感じではなく、血の赤と黒しか記憶がありません。

 後日、警察の方が、「亡くなったお嬢さんを思い出す時、 事故の姿ではないお嬢さんを思い出してくれる事を、お嬢さんは望んでいると思います。」  その言葉に私は涙が止まりませんでした。  確かにそうかもしれません。 でも、菜摘は私のお腹から生まれてきました。  だから、最後まで見てあげたかったのです。



平成9年7月21日(月)


 円香が、菜摘の夢を見ました。
 円香と私が事故現場に行くと、歩道橋のスロープのところで菜摘が待っていたそうです。 そして、3人で歩いて家に帰りました。  途中、小学校の横を、2人で私を置いて走ったそうです。(いつもその道は、走るんです。)

 円香はどうしても帰って来て欲しかったのです。 円香の一番大切な人だから。



平成9年7月**日(*)


 楽しみにしていたハムスターの妊娠。  お腹が大きくなり、警戒心が強くなっていたので、 もうすぐ生まれるのではと楽しみにしていました。
 確かにお腹は大きかったのです。  亡くなる前の日、菜摘と2人で檻から出して、確かめました。
 なのに久しぶりに見ると、お腹がペチャンコなのです。
 菜摘がつれていったのでしょうか?
 どうしても菜摘に見せてあげたかった、ジャンガリアンハムスターの赤ちゃんを。