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伍.霜月時雨(しもつきしぐれ)・前編
「女退魔師、ですか?」 朝の読経が済んでからやっと住職は振り向き、幽幻に深々と礼をした。 人の良さそうな顔をしており、坊主らも皆礼儀正しい。幽幻らに差し出された座布団も厚くなく、食事も質素だった。特に彼らに対して媚びる様な事はしていない。幽幻に内緒で重複して退魔師を雇う様な男には見えなかったが、念の為幽幻は憮然とした態度を取った。彼の隣で出奈 和尚は慌てた様子で滅相もないと言い、首を振ったのだった。 「生業 「見習いでしてな」 幽幻の言葉に、出奈が手を突き頭を下げた。曖昧な顔をして、はぁと和尚は頷いた。当然と言えば当然の反応である、幽幻自身も思ってもいなかった連れである。家に戻ったら姉に一言言ってやると思ったが、しかし言えぬのだろうなとも思い、幽幻も曖昧な顔をした。 「他の退魔師がいたのですか?」 「昨日着いた時、町で見かけてのう」 では横取りか、と幽幻は心中ごちた。名がなくなかなか仕事の取れない輩が物の怪の噂を聞きつけ、自分から申し出て退魔するのである。よくある事だ。若い女性なら、なおさらであろう。 人混みの中にその姿を見付けた時は、思わずまさかと呟いてしまった。 ずいぶん遠くまで名が渡ったものだと感心しながら桟橋に降り立った時だった。止まった幽幻の足に、出奈も顔を上げた。 「幽幻様?」 当然腰丈しかない出奈には、彼の見たものが何なのか分からない。思ったより大きな町で、物の怪も今は出ないと皆知っている為かそれなりの活気があり、人影はすぐ隠れてしまった。数歩その後を追ったが、 「幽幻様……。駄目、まだ気持ち悪い」 船酔いしてしまった彼女の介抱に手を取られて、それ以上探せなかったのだった。 長い黒髪を頭の高い位置でくくった女の、後ろ姿を。 自信はなかった。顔も見えなかった。 だが思わず和尚に聞いてしまった自分の浅はかさに、幽幻は苦笑してしまった。 「済まん。妙な事を尋ねてしまった」 知っていたとしても、言う訳がない。知らなければ本当に知らないのだ、聞いても無駄な事である。 幽幻は咳払いし、肩を竦めた。 ◇ 案内された大木には、護符が何枚も貼ってあった。 古さがまちまちで、新しいものは和尚が貼ったのだと言った。 「ですがわしの力では、抑えきれませんで……」 古いものの何枚かは、以前に退魔師を雇って封じてもらった分との事だった。その時の退魔師は、と、問うまでもない。生きていれば、幽幻が雇われる事はなかった。 ひやりとした空気が漂う林の中で、特にその大木は異様な雰囲気をたたえていた。大木そのものが物の怪な訳ではない、木の中に封じてあるのだ。 封じてあるにも関わらず、物の怪の臭いが充満していた。それだけ強大だと言う事である。和尚もそれをよく分かっていて、最近は近付く事すら怖いと言った。印が解けてしまうのも、あと数日と言う所だろう。 「幽幻様」 幽幻の着物の裾をぐっと握りしめ、出奈はあらぬ方向を指さした。居合わせた3人だけには見えるものが、そこにはいた。 幽幻が連れている子供だ、普通ではなかろうと思っていたが、いざその力を目の当たりにすると、和尚の背中に震えが走った。幽幻は彼の驚愕の表情を見ない振りをして少し体をずらし、出奈から彼の顔が見えない様にした。いずれは分かる事だが、かと言って直接見せて彼女を傷付ける趣味は幽幻にはない。 彼は出奈の頭の位置にしゃがみ、視線を同じにした。苦しそうな霊は、木の中に封じた物の怪にやられたものや、その強い“気”に呼ばれてしまったものなどだろう。成仏出来ずに、物の怪の気に縛られてさまよっている。 「可哀想」 出奈が呟いた。 潤んだ目をして彼女は、幽幻を見上げた。幽幻も彼女の気持ちに答えてやりたかったが、首を振るしかなかった。 「浄化してやりたいのはやまやまだが、今、下手に働きかけて封印が解けても厄介だ。少し、待っていておくれ」 出来るなら完全に起きてしまう前に退魔したいと思う所であった。その位大木からの“気”が強い。ここに自分が立っている事すら、影響が出て良くないかも知れないと危惧してしまう程なのだ。 暗い顔をする出奈を抱き上げ立ち上がり、幽幻は頭を撫でてやったが、幼子 ◇ 風が冷たい。まだ雪にはならない程ではあったが、じき師走 くしゃみをしかけて出奈は、慌てて両手で顔ごと口を覆ってこらえた。もう1枚上掛けを羽織って来る方が良かったかなと思ったが、それをしていては幽幻に見付かるかも知れないと思い諦めたのだ、我慢するしかない。 新月の近い空は暗く、星の瞬きは沢山あったが灯りとしては役に立たなかった。出来れば日のあるうちに寺を出たかったのだが、機会がなかったので仕方がない。 昼間でも陰湿な雰囲気だった林は、夜になって化け物の様になった。黒い影が立ち並び、何がひそんでいるかも分からない様な状況を作り出している。見付かると面倒と思い提灯を持参しなかった事は、幼子に大きな不安を与えた。 だが出て来てしまった以上、手柄を立てずに帰る訳には行かない。出奈は小さな手をぎゅっと握りしめた。 幽幻は大木にひそむ物の怪を相手にしなければならないので“力”を使えないのだ、と出奈は解釈したのであった。だから雑魚とも言えよう霊達に対して力を使う訳には行かないのだ、と。ならば出奈がそれをしよう、と思ったのであった。 彼女もあれから若干退魔の事を教わった。自分で浄化をしてみたいと言う好奇心も手伝って、寺を飛び出したのだった。無論失敗した時の事など、考えていない。少しでも懸念があれば、夜の林などには入らなかっただろう。 大木は彼女の前で、鬼の様に立ちはだかっていた。動いている訳がないのだが風が葉を揺らすザワザワと言う音が、木が動いているかの錯覚を出奈に与えた。 その側で蛍の様に霊がふらふらとうごめいているのが、目に入った。昼間のものである。 勢い込んで来たものの、未だ7歳である。怖いので手早く済ませようとして、腹に気が溜まりきらぬうちに術を放ってしまった。 「清められませい!」 中途半端な力は何を浄化する事もなく失敗し、大木に当たった。 「あ」 何枚かの古い護符が“力”によってか風圧でか、剥がれてしまった。慌てて元の位置にと思い護符を取り上げ貼り直そうとしたのだが、1度離れてしまったものは元通りにならない。つばを付けてみたりしわを伸ばしてみたりと試行錯誤するのだが、札は虚しく落ちるばかりである。それがどんな結果を生むのか想像出来なかった出奈は、幽幻に怒られる事の方に泣きそうな顔をしていたのだが、それどころではない事に数秒後気付いたのだった。 「?」 ズズ、と地面から音が聞こえた気がして、出奈は止まった。固まり、立ち尽くしたまま周囲を見たが暗い林は風と葉の音を運んで来るばかりで、動物の息づかいすらない。そう言えばまだ秋口なのに梟の声1つ、虫の羽音1つしないのは変だとようやく気付いたのだが、もう遅い。 立ち尽くした自分の手が大木に触れたままだった事にはっとし、出奈は手を引っ込めた。急に、恐ろしいものに触れていると言う気がしたのだ。そしてその見解は、間違いではなかった。 手を引っ込めた時、剥がれていた護符が地に落ちた。その護符を踏んづけて木から出現し、静かに出奈を見下ろすものがあった――大木がそのまま変化したのかと思える程の、大百足 封じられていた大妖怪を自分が起こしてしまったのだと言う自覚が持てなかった。まさか木の中にその様な大きな百足がいたなどとも、考えつかない。 百足の方も寝起きなのか突然封印が解けて面食らったのか、しばらく動きをなくしていたのだが、自分の前に立つものがエサだとようやく認識し、それから歓喜の叫びを上げた。 キシャアアと言う空気をこすった様な音が百足の口らしき部分から聞こえ林にこだまし、ようやく出奈は我を取り戻した。 「幽幻様ぁ!」 力一杯叫び、手足に力を入れると出奈は百足に背を向け、走り出した。彼女のいた場所に鋭い足が振り下ろされた。ズズンと地面が揺れた。 「幽幻様、幽幻様」 いっそその場にしゃがみこんで泣き伏してしまいたかったが、それがどう言う事になるのか、それはさすがの出奈にも分かったので、涙で前が見えなくなろうが木の枝で体を引っ掻こうが止まる訳には行かなかった。林の中の、なるだけ丈の短い藪の中へと身を突っ込んで百足の侵入を防ごうと考えたのだが、百足は総てを蹴散らして追って来る。到底、逃げ切れるものではなかった。 背を重くドンと押され、出奈はよろけて倒れ込んだ。百足の足に蹴られたのだ。起きようとしたが、足がもつれた。次は突かれるのだろう。思わず彼女は目をつむった。 「出奈!」 幽幻の声がしたと思った瞬間に彼女は肩に衝撃を感じ、3尺吹っ飛んでいた。地に落ちてから目を開け百足を探すと、その足元に幽幻がいた。突き飛ばしてくれたのだ。 「幽幻様!」 しかし出奈がいた場所に身を倒した幽幻の左肩に、百足の足がつらぬかれていた。灯りがないので分かり難いが、黒く見える液体がポタポタとその足をつたって流れ落ちている様だ。出奈はそれが血だと瞬時に察した。 「嫌ああ!」 苦し紛れなりにも横に振った刀が、百足の足に当たったが切り落としは出来なかった。堅い。だが痛みを与える事は出来たらしく、幽幻は百足の悲鳴と共に自由を得た。 「出奈、走れ!」 「ごめんなさい! うわぁん」 「そりゃ後で良いから、走れ!」 出奈とは反対の方向に幽幻は飛び、刀を振って見せた。星明かりにちらりと光り、血の臭いもあって百足の関心は幽幻に向いた。その隙に出奈は起き上がったのだったが、死にそうな状態になっている幽幻を放って自分だけ逃げる訳には行かないと思った彼女が走り出した方向は、幽幻をぎょっとさせた。 「逃げんか、こら!」 「だって! だって!」 迫って来る百足の足を刀でさえぎったが、肩の痛みの為力が入らない。それを加勢しようと出奈は泣きながらも大百足に向かって石を抱え、打ち付けていた。頭ほどの大きさの石を尻尾の辺りに叩き付けるのだが、 「こいつ! こいつ!」 一向に効いているふしはなく、返って尻尾の一閃に吹き飛ばされ、また地に落ちたのだった。 「あっ!」 「出奈!」 幽幻が身を起こしたが、百足が牙を剥いて来た為、それを刀でさえぎり身動きが取れなくなった。力を抜けば牙に襲われる。幽幻は歯を食いしばった。 「駄目だ、離れていなさい!」 追い付いた和尚が出奈を起こし、なおも向かって行こうとするのを押さえた。坊主2人がたいまつを揚げ場を明るくしたが、それは大百足の巨大さと恐ろしさを照らし出しただけで、戦意を喪失させる以外のものにはならなかった。 彼らと丁度反対側にいる幽幻に、少しだけたいまつの灯りが届いた。だがそこに見えたのは血の気なく汗を流す顔と、肩からとめどなく着物を濡らす鮮血だけだった。百足がぐぐと覆い被さり、その姿も見えなくした。 和尚は護符を手に口中で何かを呟いていたが、初めて見る大百足の姿に恐怖心が出てしまって、一向に術がまとまらなかった。坊主はと言えばたいまつを支えているのが精一杯で、それすらも投げ出して逃げ去りたい気持ちと戦うだけで必死の様だった。 そんな彼らの脇をすり抜けて、 「消 百足の力を削いだ者がいた。 キシャアとまた百足が叫び、力の主に振り向いた。その隙に幽幻は刀を引き構えたが、やはり胴が堅くて刃が入らない。首を狙ったが失敗し、跳ね飛ばされた。 叫んだ者が百足に向かって走り込み、札を胴体に貼り付けた。 和尚もやっと術がまとまり、2人の叫びが重なった。 「封じられませい!」 ◇ だがやはり封じるのがやっとで、また大木にベタベタと護符を貼るしかなく、しかもやはり数日しか保ちそうにない様だった。 「女退魔師と幽幻殿がおっしゃっていたのは、あなたの事だったのですな」 「幽幻殿が?」 ことりと置かれた茶の湯を手に持ち、顔を墨で汚した女は和尚の言葉に目を見開いたのだった。 さぞ名のある退魔師殿なのですなと微笑む和尚に、咲夜 丁度折良く坊主が手当を終えたと告げてくれたので、咲夜は席を立たせてもらってほっとしたのだった。寺の奥の部屋に案内されると、出奈に見守られた彼が浅い呼吸で眠っていた。起こさない様咲夜は静かに入り、坊主は席を外して行った。 「咲夜殿」 出奈が体をずらす。少し躊躇したが、横に座った。行燈 「幽幻様を、こんな事にしちゃった」 膝の上に拳を作りこらえる彼女の頭を撫で、咲夜は出奈を抱き締めた。母親と同じ匂いと思ったのか懐かしさを感じたのか、緊張の解けた彼女の目からぶわりと涙があふれ出た。 「出奈のせいじゃないよ。大丈夫だよ」 「咲夜殿」 嗚咽する彼女の声に紛れて、幽幻のうめき声が一瞬聞こえた気がして、咲夜は顔を上げた。気付いて、ふと出奈も泣きやんだ。そこに再度うめき声がした。 「幽幻殿」 「幽幻様!」 薄く目を開ける彼の顔に、2人は覗き見る様に身を寄せた。すぐに咲夜は離れたが。姿勢を正して平静な顔を作って幽幻が目覚めるのを待ったが、目が合うとやはりうろたえた。 「幽幻様、大丈夫? 大丈夫?」 「大丈夫だよ、出奈。だから傷を押さんでくれ」 「あ」 肩を押していた自分の手に気付いて、出奈は身を引いた。上半身を起こし幽幻は出奈の頭を撫でてやり、崩れた襟元を少し直してから咲夜に対して笑みを作った。 「お主のお陰で助かった。礼を言う」 「いえ」 目を逸らした。 「それより、やはり私にはあれを退魔するだけの術 結局は幽幻に頼らざるを得ない自分の力のなさが歯がゆかった。だが幽幻は幽幻で、傷を負った身であれ程のものを退魔出来るかどうか怪しくてつい、苦笑してしまったのだったが。 幽幻は出奈に荷物を寄せてもらい、中から鏡を取りだした。手の平くらいの小さなものだったが、その装飾は類を見ない程細かな彫刻で、色数も少ない。新しいものではなかった。咲夜はそれに見覚えがあった。 「これが何か、憶えているか?」 「……はい」 かつて彼女が封印したものだった。力ある鏡だった。これが原因で物の怪と、そして幽幻の力が暴走しかかった時があるのだ。逆に言えば、これを利用して力を引き出せると言う事だ。 「お主がかけた封印を解いてくれ」 だが引き出した力が手に余れば、幽幻は幽幻でなくなる。それを思って咲夜は顔を曇らせた。しかし彼女でなくとも、幽幻は自力で封印を解ける。どっちにしろ、やるだろう。 咲夜の雰囲気に、出奈も不安げな顔をした。 「いざとなったら……」 天井を見て幽幻は息を突き、それから改めて咲夜の顔を見た。 「お主が俺を殺してくれ」 「幽幻様?!」 「幽幻殿」 ばっと顔を上げた咲夜の驚愕の目が幽幻を捕らえ、幽幻は、ゆっくりと笑って見せたのだった。“いざ”が暴走した時の事を言っているのだと察して咲夜は、つばを呑み込んだ。幽幻が自分を見る目が、柔らかい気がした。自分を信頼してくれた台詞は嬉しくもあったが、悲痛でもあった。 「どうして?! 何でそんな事言うんですか!」 「痛い、痛い。出奈、また肩を押してる」 しかし今度は止めず、出奈はずっと幽幻を睨んだ。だが子細を説明する事は、彼女に与えずとも良い葛藤や不安を与えてしまう事になりかねない。 「鏡のせいで、俺が凶暴になってしまって元に戻らなくて、お主や関係ない人達をも殺してしまうかも知れないからだ」 「鏡のせいで?」 ならば使わなければ良いのにと出奈は言いたかったが、いらぬ怪我を負わせてしまった責任を感じて、それ以上は何も言えなかった。とにかくはその“いざ”が起きない事を願うばかりである。出奈は、また泣きそうになる自分の顔を両手で押さえた。だがこらえきれない嗚咽が小さく出てしまった。 「多分、お主にならば、俺はちゃんと殺されるだろう」 そう言って幽幻は咲夜に笑った。自分が、彼女には油断する事を分かっているのだ。そこまでしないと退魔出来ないだろう事を予期した幽幻の笑みには、決意がひそんでいた。 咲夜もまた心を決め、 「承知致しました」 真っ直ぐ彼を見据え、一礼したのだった。 next index |