闇月龍
  与.長月細道(ながつきほそみち)


   とうりゃんせ とうりゃんせ
   天神様の細道じゃ
   行きは良い良い 帰りは怖い

          ◇

 金の草原が広がる中にポツリと建つ一軒家の風情は、もう10何年、変わりがない。他人の家を眺める様に、自分の家を見て幽幻(ゆうげん)は目を細めた。
 “湖野谷幽幻(このやゆうげん)へと名を変えた彼が再びそこに住みだして変わったのは、名だけではなかった。
 外見的には、何ら変わりはない。
 慎重さが身に付いた。そして代わりに、勇気を、なくしてしまった。
 あの時、行くなと一言言えていたら、彼女はまだ自分の隣りにいただろうか?
 思ってみても仕方がない事を思ってしまい、幽幻は苦笑した。それが自殺行為だと考えたからこそ、今の状況になったのだ。あの時に時間を戻せたとしても、やはり同じ事を言っただろう。
 1人で出掛け1人で帰って来る様になって、半年以上が経つ。
 済んだ事だ。
 出迎えだけは時折騒々しく、その様な事を考えないで済む時があるのだが。幸か不幸か、今日は幼子がいない。
 どこかに遊びに出掛けてるかなと思いつつ数日ぶりの我が家に足を踏み入れた幽幻は、意外な人物が座っている事にぎょっとした。
「何ボヤッとしてんだい。さっさと8符の法の準備をおし!」
 外見どころか中身も全く変わらない姉の姿に、何故か幽幻は安堵した。
「俺、今帰って来たばかりなんだが……」
 8符の法とは、護符を蒔いて物の怪の気配を探る法である。法自体にも“力”を使うし、それで発覚した相手にもし心得があったら法に気付いて反撃して来る事すらある。体力のない状態では危険なのだ。
「仕方ないじゃないか、私にはもう出来ないんだから」
「かと言って沙摩姉(さまねえ)まで仕事取って来てくれたって、俺の身体は1つだ」
「依頼主は私だよ」
「え」
 沙摩の目は鋭かった。急を要している風である。戸を閉め部屋に上がり懐から符を出しながらまさかと呟いた幽幻の小さな声に気付いて沙摩は、
「その、まさかさ」
 と苦々しく言った。
 いつもなら必ずの様にいる筈の幼子がいない事にまさかと言った彼の本意を、沙摩は見抜いたのである。
出奈(いずな)を、探しとくれ」

          ◇

 物の怪・朧狐(おぼろぎつね)だった父親と、退魔師として“力”を持っていた母親から産まれて、普通でない方が当然なのかも知れない。だが今は、2人共その力をなくしてしまった。誰の目にも見えていないものが自分だけには見える、その状況を思って幽幻は目を伏せた。さぞ、心細かった事であろう。
 幽幻が子供の頃、人ならざる物を見ていた傍らには、いつも姉がいてくれた。自分だけではないと言う安心感があったのだ。もっと幼い頃にいた親もまた、同じ力を持っていた。自分は普通なのだと思っていた。
 出奈がよくお前さんの家に行きたがったのも、その辺の事があったのかも知れないねぇ、と沙摩が言った。居心地が良かったのだろう、と。
 護符で守られているのは沙摩の家でも同じである、幽幻自身に“力”が備わっている事が関係しているのだろう。
「同族意識か?」
 幽幻は若干、自嘲気味に笑った。床に蒔いた護符をまたいで、沙摩がベシンと彼の頭をはたいた。
「そう言う言い方は、好きじゃないね」
 またすと座り直し、沙摩は再び幽幻が手がかりを見付けるのを待った。8符の法をする目的は2つある。出奈の気配を探れるかどうかの試みと、物の怪にさらわれたのかどうかを確認する為だ。
「出奈は人の心の、良く分かる子さ。お前さんの秘かな苦しみを、分かっていたんだろうよ」
 で、なぐさめてくれてたってか。
 口に出しかけて、止めた。また頭をはたかれるのも面白くなかったし、実際その通りな時もあったからだ。
 確かに幽幻は“幽幻である事”を時折苦痛に思う。名前の深さもさる事ながら自身の力について思い悩む時がある。“人間でない事”と言っても良いかも知れない。
 だから咲夜(さくや)を遠ざけた、とも言える。力が暴走した自分を見せたくなかった、傷付けたくなかったのだ。自分を見た彼女がした“恐怖の目”は、幽幻が別の世界の生き物なのだと知らしめている目だった。
「家で“力”の話をした事は、あるのかよ?」
「全部喋ったよ」
 沙摩らしい。
「全部って……朧郎(おぼろう)の事なんかも、全部?」
 躊躇なく沙摩は頷いた。
「隠したりしたら、余計勘ぐっちまうからね。大事なのは、これからどうするか、だからさ」
 幽幻は天井を仰いだ。もしやその話の直後に出奈はいなくなったんじゃないか、と思ったが、
「言っとくがこの話はもう去年の事だからね。これを聞いて家を飛び出した訳じゃあないよ」
 先に言われてしまったので、再び符に意識を集中するしかなかった。
 それらしいボンヤリした手応えはあるのだが、それが出奈のものだとは確信出来ず、物の怪だとも特定出来ず、幽幻は舌打ちしつつ眉間にしわを寄せた。霧がかかった様な、もう一つすっきりしないものを感じるのだ。
 沙摩が立ち上がった。
「お前さんが駄目なら足で探すしかないからね。家には手紙を置いて来たが、もしうちの亭主が戻って来てお前さんと会ったら、この事伝えておくれ」
 言いながらさっさと戸口を出て行こうとする沙摩を、幽幻は呼び止める事にした。

          ◇

 秋の日は足が早く、鬱蒼とした木が生い茂る山は既に、深夜の様な暗さをかもし出していた。木の間からわずかに見える夕焼けが、最後の輝きを終わらせようとしている。じきに真っ暗になるなと思い、幽幻はその場にしゃがんで提灯の用意をした。
「雨は降りそうにないが、夜になったら一層冷えるからな。早く探さないと」
 ごちて再び歩き出す彼らの視界には誰もおらず、気配すらない。その視界も、もう随分狭くなった。
「やっぱり、別々に探すべきだったかねぇ」
 沙摩はふと呟いたが、では手分けして探すと言った所で、手がかりを全て回ってから幽幻宅に訪れた彼女に残された術はない。日も落ちて、目で探すより幽幻の勘の方が確かになって来た。結局は頼りにしている事に気付くだけだった。
 さほど高くもない山には石段があり、中腹に神社が構えられている。あそこかな、と呟く幽幻の言葉を信じて登って行くと、果たしてその信頼は、裏切られなかったのだった。
「出奈!」
「いたか!」
 沙摩が気付いた柿色の着物は、(やしろ)の裏手にささと隠れてしまい、沙摩の声がした後も出て来ない。血相を変えて沙摩は、後を追った。
「出奈、出奈!」
 裏手に回った2人の前に現れたのは、異世界に(いざな)うかの様な鳥居の列だった。その向こうに稲荷神社が小さく建っており、そこに迎えられるかの様に柿色の後ろ姿が溶け込んでいた。
「出奈!!」
 母親の声が聞こえていないのだろうか、後ろ姿は振り返らず、鳥居の中に立つ者に抱き上げられたのだった。幾つもの鳥居が羅列したその中にひっそりと立つ、その男の顔に、沙摩も幽幻も顔をしかめた。男はよしよしと言った様だった。出奈の頭を撫でている。彼女も、彼の首筋にしがみついているではないか。
 その男、朧郎が鳥居のの手前に立ち尽くした2人を見た。そこでようやく出奈も、朧郎に抱かれたまま顔だけ向けて来た。目は正気で、泣きそうな顔をしていた。
 足を踏み出した沙摩を、幽幻が止めた。
「鳥居に、結界が張ってある」
 だから霧がかかった様な、おぼろげな気配だったのだ。
 後ろや横からも、入り込む事は出来ない。力のある時ならともかく、沙摩は只の女になった。そこをくぐってどうなるかの保証はない。沙摩は唇を噛んだ。噛み切りそうな形相で、朧郎を睨んだ。
「どうする気だい?」
 小さい音量ながらもはっきり通った低く滑らかな声に、朧郎が眉を片方上げた。何を想っての表情かは分かりかねた。
「この子は普通の子ではない」
「はっ、普通って何さ。答えになってないよ。うちの亭主なんぞに化けてくれるんじゃないよ。出奈を返しとくれ!」
 幽幻のみならず、朧郎の顔をした男もほうと言う顔をした。ふんと沙摩は腰に手を当ててふんぞり返った。
「うちの亭主は、もっと良い顔してるよ」
 内心はいはいと思いつつ幽幻は懐から符を出し、鳥居にバンと貼り付けた。すかさず沙摩が走る。結界の破れた瞬間などもう目に見えない筈なのだが、彼女の足取りに迷いは見られない。
 だが、
「来ないで!」
 その足を止めた叫び声の主は、他ならぬ出奈だった。
「出奈、おいで! その男は父様じゃないんだよ!」
「知ってる」
 沙摩はガクリと顔色を変え、幽幻は苦い顔をした。沙摩が出奈を男から離したら、男に斬りかかろうと構えていたので、自然彼女の後ろに控える形になってしまい、思う様に動けない。男の目も、沙摩でなく自分に向いている。結界を再び張らせない様に、見えない力の攻防をするのが精一杯である。
「その男が誰なのか――いや、何なのか知ってるのかい?」
「天神様」
 だがそう答える出奈の目はひどく寂しげだった。まるでついて行く事が本意ではない顔だ。だが母親の呼び掛けにもほどこうとしない、男の首にしがみつく腕は、意志の強さを表しているかの様だった。
「天神様なんかじゃない。ただの化け狐だ」
 幽幻が言った。
「お前を喰らおうとしているだけの、物の怪だ」
「仲間じゃ。喰わん」
「ふざけんじゃないよ!」
 沙摩の怒号に、出奈がびくりと首を竦めた。
「私の娘だ」
 男が顔を歪め、一瞬狐の形相を見せたかと思うと、足をすり動かした。逃げる気である。
 沙摩が走り、男に手をかけた。
「母様、いけない!」
 かろうじて避けたが、手に赤い線が走った。着物の袖をも切り裂いた男の一閃に、悲鳴を殺し沙摩は耐えた。手1本傷付けられた位は、昔に比べればどうと言う程もない。沙摩は不敵な笑みを浮かべた。
「命すらも、子供に比べりゃあどうと言う程もない」
「止めて、母様! 出奈に構わないで! 出奈は喰われても良いの。生きてても仕方ないんだから」
 左手で沙摩は、思い切り出奈の頬を張った。
 張ったその手に、また男が爪を立てた。鮮血が飛んだ。
「ひどい親じゃ、子を叩くとは」
「母様を悪く言うな!」
 出奈の腕がゆるんだ。血にまみれた手にありったけの力を込めて、沙摩は出奈を抱き締め、男から引き剥がした。すかさず我が子を守る様に男に背を向け、目を三角にした男は顔を歪め本性を現し、沙摩のその背に牙を突き立てようとした。
「駄目ぇ!」
言向(ことむ)(やわ)す!」
 横から飛び込んだ幽幻の刀が、男の首を切り落とした。吹き出した血が沙摩の背を濡らした。
 沙摩は出奈を抱き締め、男の様子を見せない様にした。

          ◇

 無論朧郎は何も知らず、巡業から帰って来るなりただただ驚き慌てて、やれ湯の用意だ床を敷かねばと走り回るだけだった。
 朧郎の場合は外見こそ髪をきっちりとまとめ薬師(くすし)として申し分ない格好になったものだったが、昔からの日向のような微笑みと優しい目は変わらない。確かにこうして見比べると、狐が化けた姿とは全然違う事は分かるが、と思い幽幻はニヤと口の端を上げた。
 それに。狐は、朧郎ならば絶対に言わない事を言ってしまった。だからすぐに分かったとも言えよう。
 朧郎が沙摩の手を手当する間、ずっと出奈は母親の傍らにしゅんと座り込んでいた。手当の終わった方の手を、彼女の頭に乗せる。撫で、それから彼女の頬を撫でた。済まなんだね痛かったろうと言うと、出奈はかぶりを振った。
 両方の手当が終わった沙摩は、両手で愛し子の頬を包み、その額に自分の額をこつと当てて目を閉じた。
「お前が産まれてくれて、どんなに嬉しかったか。兄弟が産んでやれなくて、どんなに悲しかったか」
 閉じた目に、薄く涙が光った。
「母様」
「けれどその分、お前を大事に育てよと言う事なんだと思ったよ」
 沙摩は微笑んで、目を開いた。
「生きてて仕方ない事なんて、ない。無駄な“力”も、ない。母様は父様と一緒になる為に、出奈と同じ“力”を持ってた」
「でも天神様が、出奈のは物の怪の力だって。人間じゃないって言ったの。お前は狐だって」
「区別なんて、ない」
 言おうとした言葉を取られて沙摩は、部屋の隅を見た。柱に背を預け様子を見ていた幽幻が身を起こし、出奈を見たのだ。出奈は少し母親から離れ、幽幻に体を向けちょんと正座した。
「人も怪も神も、何の別もない。何の為にその力を使うのか、だ」
 出奈は首を傾げ、幽幻は苦笑した。
「ちと難しかったかの?」
「……出奈は、ここにいても良いの?」
「当たり前だ」
 弾かれた様に皆が暖かな笑みを浮かべた。朧郎は愛し子を膝に乗せた。
「済まなんだ、出奈。辛かったな」
 ようやく緊張がほどけたらしい出奈の目からとめどなく涙が溢れ、彼女は父親にしがみついた。
 あの時。幽幻が首を落とす狐の顔には、幽幻がつけたのではない傷があった。出奈である。7歳にして手を使わず狐を傷付けた事は偶然とは言え、強大な力だと言う事を暗に物語っている。きちんと修行すればかなりの退魔師になれようと思ったが、幽幻はこの事を胸の内に収めておく事にした。
「この先もお前はふと、この事を思い悩む時があろう。もう沢山見て来たと思うが、決して良いものが見えている訳ではない。良い言葉が聞こえている訳ではない。無駄な力ではないとは言え、それをそう言える様になるまでは随分かかる。必要になる時が来るまで封じておく事も出来る。どうする?」
 それは、自分が今もなお思い悩むが故に彼女にまで同じ思いをさせたくなくて言った事だったのだが、
「でも見えなくなっても、感じられなくなっても、その人達はそこに()るんでしょう?」
 と出奈は首を振ってこれを断ったのだった。
「ならちゃんと見る。ちゃんと聞く。大きくなったら幽幻様や咲夜殿みたいに退魔師になれれば良いなと思う」
 心を覗かれた様で幽幻はギクリとした。まさか自分からなりたいと言うとは思わなかったのだが、常日頃彼を手伝うのだと言って聞かない彼女である、充分予期出来た筈ではあった。
「今、決めてしまわなくても……」
 朧郎にも動揺が見られた。自分を棚に上げても娘には真っ当な結婚をさせてやりたい親心なのだろう。力のあるないと、辿って欲しい人生とは別なのだ。朧郎の心中を知ってか知らずか、沙摩が手を振った。
「そうさね、大きくなって退魔師になるかどうかは、また考えれば良い。先ずは、そう言うもんが見える自分ってのを受け入れただけ、お前は大したものなんだから。厄介になったらいつでも幽幻様に泣きついたら良いからね」
 沙摩が締めくくり少し意地悪げな笑みを幽幻に向けると、何事もなかったかの様に立ち上がり、夕げの支度をしだした。出奈も足取り軽く母親について行った。
 夜はすっかり深くなり、空にもポッカリと月が顔を出していた。15夜ではなかったが、残された男2人は苦笑して、おもむろに酒の用意なぞ始めたのだった。






                                     FIN



    後書き
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