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壱.水無月雨情(みなづきうじょう)
ポツリ、ポツリ、と。 雫が溜まり、水の流れを成すがの如く。 水の流れが川になり、やがて海へと流れる様に。 ごくごく自然な理の末に、人は生まれた。 同じ元の理がやがて、川が分裂するかの如く。 怪 湧き出でたる同じ元はすなわち――。 ――神と呼ばるるものである。 ◇ 空はどんよりとしていた。今にも落ちてきそうである。これは今夜も降るかな、と誰かが呟いた。 さる屋敷の庭に集まった者達の風貌は、実に様々であった。山伏の格好をした大柄な男や、忍者よろしく黒ずくめの者など。大半は男ばかりだったが、女の姿もあった。女らしい格好では、なかったが。 あらかたは誰も、誰かと話そうともせず、目を合わせようともしない。呟いた者も、率先して誰かに話しかけようとした訳ではなく、一人言の様だった。 そんな一種異様な集団十数人に向けて、屋敷の縁側に姿を現した者が、言った。 「今夜もやはり丑 どよめきが起こった。 「すると何か。我ら競い合って、その物の怪をばやっつけろとおっしゃるか?」 誰かが声を荒らげた。瞬時に皆が、敵意を含んだ視線を庭中に飛ばし合った。値踏みする気配もあった。 縁側に立って触れを出した役人は平然と、 「そう言う事だ」 涼しい顔で言った。 「2人や3人でかかって行った倒した場合は、」 「山分けとなる」 台詞の先を読んで役人は、退魔師達の口を封じた。 「正体は未だ誰も知らず、見た者は魂を抜かれて死んでおる。ただ獣の様な雷の様な咆吼が、時折聞こえよるとの事。心して、かかって頂きたい」 同じ締めの言葉を2度使い役人は話を終えた事を強調して、その場から立ち去ろうとした。その足が止まったのは、役人の退席を待たずしてさっさと玄関をくぐろうとした者がいた為だった。 「そこな者」 役人は厳しい声を出して、その退魔師を呼び止めた。 何日かかかったのであろう、旅の姿は薄く汚れてしまっており、手に取った笠も色褪せている。伸ばした髪を無雑作に束ねて背に垂らしたその色もまた、日に焼けた様な茶色だ。 だが目の色は深く厳しく、凛とした威厳すらたたえて役人に向けられていたのだった。役人はうろたえた。 「儂が退かぬ間に背を向けるとは、無礼ではないか」 ようやくこれだけ言うと、 「我らの生業を承知の上でこの様に集め、競わせる方が無礼と言うものだ」 と、即座に返されて役人はうっと詰まった。退魔師の生業は、宗教と通じる所もある。ただの荒くれではないのだ。 「な、何と、何たる、無礼な! 名は何と申す!」 「名もあらためんと、我らを呼び申したか」 冷徹な物言いに役人は再度言葉を詰まらせ、皆の好奇心の眼差しをすり抜ける様にして、 「何にしろ、俺は降りる。名乗る必要もあるまい」 と言い残して、男は門をくぐって行ったのだった。 ◇ 役人がじたんだを踏みつつもその場を後にした所を見計らって、小柄で軽装な女が1人、この男を追いかけた。 「湖野谷殿! で、ございましょう?」 呼び止められて男は、かぶりかけた笠をまた降ろして、振り返った。 背を流れるするりとした黒髪を頭の高い位置でくくった娘が、はぁと息を突きながら幽幻 髪が引っ張られて、きゅっと吊り上がった目になっている、その色と輝きは幽幻に劣らない。惜しむらくは、女性たる格好をしておしろいでも塗れば、かなりの姫君になるであろうその顔を、わざとであろう、薄墨やら土やらで汚れを施しておる事だった。 そこまで観察してから幽幻は、 「同じ生業の者に、ぽんぽんと名は明かさない」 とひねくれた肯定の仕方をしつつ、屋敷を離れる為に歩き出した。同業者の間でかなり噂される様になった“湖野谷幽幻 気付いた女も、一緒に歩き出す。 出来れば付いて来て欲しくもなかったのだが、女は幽幻の隣りにぴたりと沿い、 「湖野谷殿。この咲夜に、手を貸してはもらえないか?」 と言うのだった。 「30両は山分けに。いや、お主が20両でも構わん。単独でかかるよりは、要領よく退魔出来よう。特に今回は、足の引っ張り合いが怖い」 目を輝かせて提案する咲夜なる女は、直後、即座に断られるとは思わなかったらしい。 断る、と言う短いはっきりした返答に、彼女がカッと顔色を変えたのを見て幽幻は、彼女の力の程を推し量ったのだった。あまり手練れではない、と。簡単に名を明かしてしまう所も、退魔師としての経歴が浅い様に、幽幻には思えた。 「30両と言えば大層な額! 何の不都合があってこれを断るのかが分からん! 皆と力比べになるのが、嫌だったのか?! 昔は姉御殿と組んでおられたのであろう?!」 よく調べてあるものだ、と幽幻は天を仰いだ。 気を取り直して、では、と口を開く。 「ではお主は、金の為に退魔をするのか?」 予期しなかった問いかけに、咲夜は一瞬言葉の意味が分からなかった。咲夜はしばらく目を彷徨わせてから、 「そうだ」 と答え、胸を張った。 その間にあった迷いに幽幻は気付いていたが、敢えて分からなかった事にして、 「俺もそうだ。皆と比べ合いなんぞしたら、弱いのがバレちまうからな」 と返して、咲夜をその場に残し、さっさと立ち去ったのだった。 ◇ 長屋を改造した宿屋はすすけていたが、一宿一飯を凌ぐには充分である。急な時の為などで使える様にと必ず1部屋を空ける様にしているこの宿屋が気に入って、飛脚の田兵衛は良い常連客となっていた。 明日の金を脳裏で数えながら戸をガラリと開けた田兵衛は、ニンマリとしていた顔を、すとんと暗くした。 「来たのか」 「丑の刻までは、時間もあるしな。ちょっと部屋を貸してくれ」 「お屋敷には、泊まれねぇのかよ?」 「あんなに同業者がいちゃあなぁ」 語尾を伸ばして幽幻は、田兵衛を睨め付けた。田兵衛は使いづらい男になっちまったなぁ、と内心でごちた。 「そんなに同業者がいたのかい?」 知らない振りをする田兵衛に、幽幻は舌打ちした。今後の付き合いもあるからと思い下出に出たら、これである。幽幻は怒りを顔に出した。 「とにかく俺は、もう降りたぞ。余計な前金なんぞ手にしていたら面倒と思い、それを言いに来ただけだ。じゃあな」 「この部屋を貸してくれと言ったじゃないか」 「気が変わった。やはり、帰る」 幽幻が立ち上がるのを、田兵衛は慌てて手を挙げて止めた。 「待て! 待て待て待て、俺が悪かった。あんな賞金稼ぎみたいな扱いしてやがるとは、思ってなかったんでぃ」 「今回は、前金は貰ってねぇな?」 質問と言うよりは確認だった。もし渡していたら、名も聞かずにすんなりと幽幻を帰す筈がない。田兵衛は案の定、コクコクと頷いた。 「どんな仕事内容か前もって確認しなかった俺にも、責任はあるがな」 幽幻は再び部屋の中央にどっかと腰を据えた。そして8方に護符を散らし始めた。田兵衛の顔色が安堵に変わったのを見て幽幻は、 「金は貰えねぇと思うぞ。タンカ切って来たからな」 パリッと言ってのけ、彼を失望させたのだった。だが元々、嘘を付いたのは田兵衛の方である。文句は言えない。 戸を閉め、部屋に上がった田兵衛は符を避けて部屋の隅に座り、溜息を突いたのだった。 「お前ぇが“月次ちゃん”の頃は、かわいげもあったのによう」 「いつの話を持ち出してんだ。齢 幽幻は一瞬顔をしかめてから、気を取り直して印を組みにかかった。 「この“探り”は何でぃ? ただ働きのつもりかよ?」 ねぐらまで取られて面白くない田兵衛は、仏頂面で護符を差した。この行為が、幽幻が物の怪と相まみえる前に相手の正体や力量を計るものである事を、田兵衛は知っている。 「どの位の奴か見るだけさ。やるつもりはない」 しかし、そう言いながら実際に幽幻が見るだけに止めておいて手を出さなかった、と言う類例の方は、田兵衛の記憶にない。 ◇ 雨が視界を遮る。 ぐわ! と言うくぐもった叫びが前方から聞こえて来た。また誰か早まったらしい。 水滴と汗が入り混じるじっとりとした肌に着物と髪が貼り付き不快感が増す中で、この様な戦いは不利な事この上ない。咲夜は頬を撫でて髪を払った。 屋敷の中庭、と言う場所も良くない。動きが制限され、挟み撃ちにも出来ずにいた。 それが咆吼を上げると、また、咲夜の横で男が1人倒れた。思わずしっかりしろと声をかけて男を抱き起こしたが、男はこときれていて、咲夜をぞっとさせた。咲夜の、自分しか守れない護符の力もまた、徐々に弱まりつつあるのだ。 既に皆、個別に相対せず手を組んでいた。だが、遅すぎた。 白い虎の姿をしたそれは嘲笑する様に吠え、退魔師達の力を削いで行った。幾分かの傷は付けたのだが未だ致命傷には至らず、体の周りにかまいたちの様な空気の層を携え、じりじりと皆に近づいて来る。 皆思い思いの方法で我が身を守り、強化し、時には踏み込んで虎の首を狙ったのだが、 「いけない!」 「うわっ」 また1人倒れた。 残っているのは、5・6人。咲夜は虎の術を破るべく言葉を発したかったが、その前に攻撃の手が入って、完成しない。 かろうじて息の残ったその男を自分の後ろに引っ張り込み、元気の残っている者と共に白虎に対して符を投げた咲夜だったが、力が足らない符はあっけなく風に飛ばされ、切り裂かれた。咲夜は自分の不甲斐なさを呪った。 ぎぃんと鈍い音がして、咲夜らは吹き飛ばされた。誰かの刀が折れたらしい。 咲夜の2の腕がぱっくりと切れて血を噴き出した。折れた刀が飛んできたのか、虎の風に切られたのかは分からない。取り敢えず手の先はちゃんと付いていて動く事だけ、咲夜は確認して前方を見た。 「咲夜!」 「すまぬ!」 差し迫る虎の猛襲を、間に入った男がくい止めた。刀が鳴る音が響いた。男にまかせ飛び退いた咲夜は、再び呪文を口の中で唱えようとして――止まった。 「湖野谷殿!」 まさかと呟きながら、思わず指さしてしまう。皆が一斉に彼を見た。幽幻はばつの悪そうな顔をした。 「たまたま、通りかかっちまったんだよ」 剣一本で虎を抑え込んでおいて、舌打ちと共にそんな台詞を吐く幽幻に、咲夜は目前の危険も忘れて吹き出してしまった。 「湖野谷って、あの湖野谷か?」 「湖野谷幽幻?!」 「“龍”の幽幻か?!」 「ほう“龍”とな」 皆が口々に、批判めいた響きでもって叫ぶ最後の低い声は、白い虎から発せられたものである。人が何を言おうと聞き咎めない幽幻だったが、白虎には反応した。幽幻はここで、口を開いた。 「お前ぇと同業者じゃねぇぞ」 不可思議な言い方に疑惑の目が向けられたが、幽幻は相手にしなかった。あくまで今相手にすべきは、物の怪なのだ。気を抜けば、やられる。 若干知識を持っている咲夜が、再度、今度は別の意味でまさかと呟いて幽幻を見た。だから、戦いたくなかったのか? だがそれは、考えすぎだった。 「動揺せずとも」 「うるせぇ!」 幽幻は本気で刀を振っていた。 「湖野谷殿」 「こいつは確かに、ただの人喰らいじゃない。だが――」 目の前の物の怪は、既に害を成している。咲夜が思うようなものではなくなっているのだ。“神”の言葉を呑み込んだ幽幻が、手に力を込めた。 幽幻の攻撃をかわした物の怪は、笑い声を響かせ屋根に退いた。 普通ならば力を吸われていく重い雨だが、逆に幽幻には力だった。龍たる力が呼び出せる。逃さず一撃で仕留めるつもりで幽幻も、屋根に飛び上がった。 そこに雷が鳴った。 幽幻は自分で思うより遙かに強い力が自分に湧き出るのを感じた。雨が彼の周囲で水蒸気に変わり、白い膜が彼を覆った。直感的に幽幻は早くしなければと感じ、足を踏み出した。 「言向 失敗した。 失敗したと思った瞬間、自分でない様な感覚と力が暴走しようとするのを、幽幻は感じた。虎が幽幻の焦りを悟って、もてあそぶかの様に身をひらりとかわした。 「認めてしまえ」 「だからうるせぇ!」 風の壁で彼を退けようとした虎にその時、 「消 ようやく咲夜の術が完成し、虎に打ち付けられた。 「うお?!」 完全には虎の壁は、消えていなかった。だが幽幻には充分だった。彼は再度踏み込んだ。蒸気が舞った。 「言向 ◇ ――すすき野は緑々と雨の恵みを身に受けて、嬉しそうに揺れている。 ポツンと建つ小屋の様に質素な家はしかし意外と丈夫で、雨漏りは2カ所程しかなかった。 小屋の戸はガラリと不用意な程に大きな音をたてたが、中に座した人間は、既に気配を察していたらしく、振り向こうともしない。 「咲夜か」 落ち着いた幽幻の言葉に、咲夜は戸口にもたれ、肩を竦めた。もっと驚いてもらえる事を期待したので、拍子抜けだった。 「何故、分かった?」 「来る頃だろうと思ったからさ」 幽幻は振り向いて、少し笑った風な顔をした。咲夜の顔は、変わらず煤けていた。 あの時。 白い膜に紛れた幽幻は、そのまますぐに行方をくらましてしまった。始終を見ていた生き残りの者らが偽ってまで金に固執する程いぎたない訳でなかった為、結局、咲夜が受け取った。 刀を手入れしていた手を止めて、幽幻が体もきちんと咲夜に向け上がる様言うと、物怖じせずに咲夜は上がり、礼をし、金20両と鏡を差し出したのだった。 「10両は、田兵衛だな?」 質問ではなく、確認だった。既に耳に入れた事実だった。だから咲夜が来ると知っていたのだ。 幽幻の居場所を知りたいと思ったら、田兵衛から聞き出すのが最短だ。ただし、タダではない。咲夜は首を、縦に小さく振った。 「すまなかったな」 思いがけず優しい言い方だった言葉に咲夜が顔を上げると、幽幻は鏡を手にしている所だった。幽幻にはその鏡が何なのかが、すぐに分かった。あの時彼の力を暴走させんとしたものである。今は咲夜の働きで、その力を無効化してあった。 「実戦は少ないが、知識は豊富な娘御か」 幽幻が呟くと、咲夜は突然バンと手をついて、床に頭を付けた。 「弟子にして下さい!」 一瞬ぎょっとしてから幽幻は、毒気を抜かれた思いがして溜息混じりに少し笑ったのだった。 本当に嫌なら、手を打った。彼女に借りもひとつ作っている。組めと言うならそれも良かろうと思っていた幽幻の返答は、あっさりしていた。 FIN 後書き index |