闇月龍
  与.葉月祭(はづきまつり)


 じわじわと口やかましい蝉の声を聞きながら、慣れた山道を下る2人の顔は、いつもと違い穏やかである。道沿いの川が蒸し暑い日に照らされて、少し涼しげである。生い茂る木々も午後の強い日差しを緩和してくれていた。
「この分なら、日が暮れるまでに着きそうかね」
 後ろでざっと束ねただけの豊かな黒髪も、今日の空気の中ではさすがに暑苦しそうに見える。沙摩(さま)は時折、うっとおしそうに髪を持ち上げ、首筋に風を通した。
「おととしから顔が合わせにくかったからなぁ」
「嫌な事言うねぇ」
 渋面をして沙摩は弟を睨み付けたが、事実なので仕方がない。叔父はおととし、彼女の祝言に親代わりとなって出席してくれた人間である。23歳の沙摩の嫁入りを自分の子供の様に喜んでくれ、また号泣し寂しがってくれた叔父だったのに、離婚になり、叔父の顔が曇るのを見れなくてずっと挨拶に行けなかったのだ。
 月次(つきじ)は背に負った2本の刀を、カシャンと鳴らした。
 一本は春先の戦いで、役に立たなくなってしまった。それを鍛え直してもらうか用済みにするか、まだ月次の中で決めあぐねていた。それを見極めてもらう為に、刀の生みの親である叔父の元を尋ねる事にしたのだった。どちらにしろ、足が遠のいてしまった叔父貴の元にまた行く用事が出来たのだから、有り難いと言えば有り難い。
 はた、と沙摩が立ち止まった。
 どうした、と尋ねかけて月次も気付き、そちらを見た。
 川がせせらぐ谷間は、すぐそこである。2人は草木をかき分け、足元に気を付けながら谷間を見下ろした。穏やかだった2人の顔が、堅くなった。
 空間にぽっかりと空いた、普通では考えられない闇の穴は、普通の者には見えない。霧の様にゆらゆらと漂う穴の周囲にだけは、夏日の暖かさが感じられず、虫も飛んでいなかった。
「かなり強い“道”だね」
 沙摩が忌々しげに、前髪を掻き上げながら言った。
“道”と呼ばれた穴は妖怪達が通った後に残る、言わば足跡の様なものだ。本当に道としては使えず、その向こうがどこなのかは誰も知らない。人間は。
 数日もすれば消えるとは言え、残しておいて気持ち良いものではない。月次が刀を手にし、トンと地を蹴った。
「清められませい!」
 中空に浮かぶシミの様な穴は、堅い物を砕いた様な音と共に切れた。そして音の割に、漆黒の妖怪道は霧に溶けて行く様に、色を薄くしながら消え去ったのだった。
 沙摩が満足げに頷くのが見えたが、月次は中空に留まる様な離れワザを持っていない為、泣き顔になりながら落ちていくしかなかった。
「ある意味、早く村に着いて良いかも」
 と、沙摩は無責任な事を呟いた。

          ◇

 到着の村に“気”は感じられず、当初の目的であった祭りの音も、神社から賑わしく聞こえていた。
 夕暮れに赤く染まっていた空が徐々に暗くなり始めると提灯に灯がともり、それと共に笛の音も更に大きく鳴り響いた。盆の祭りの風景は、子供の頃から変わらない。
「しかしお前さん、落ちる事に縁があるねぇ」
「ほっとけ」
 谷間の川に落ちた月次の、ずぶ濡れな格好が目立つ事は必然であった。例年であると先に墓と神社を参るのだが、2人は人目を避け、先に叔父貴宅に向かったのだった。
 村はずれに位置する叔父の家もまた、湖野谷姉弟の小屋と似たり寄ったりで質素だった。範囲的に、家以外の倉と釜戸の分だけ広い、と言う程度だ。
 戸を開けようとした沙摩に、
「あ」
 と月次は言った。
「何だい?」
「え」
 沙摩は月次を振り返ったが、手はそのまま躊躇する事なく引き戸を開けてしまった。
 月次は一瞬身を固くしたが、きょとんとしている姉の背後に忍び寄った、つまり、家の中から出てきた人間はよく見知った満面の笑みで2人を出迎えてくれ、月次を脱力させたのだった。
「おお、沙摩か、月次か。よう来たのう」
 月次に向いて怪訝な顔をしていた沙摩も、叔父の声に前を向いて微笑んだ。
「ご無沙汰致しております。刀斎(とうさい)様にはご無礼の数々、」
「堅い挨拶は抜きじゃ。良かったではないか、沙摩が1人者なら、わしにも権利があると言うもんじゃ」
 がははと老人刀斎は豪快に笑い、後ろめたく思っていた沙摩の心を和らげた。どう返答をしたものかは、困らせたが。
「月次も変わりのうやっとるか?」
 息子を見る目つきで、刀斎は微笑む。月次は、はにかみながら目を逸らしてしまった。一瞬でも恩ある叔父を妖怪の気だと感じてしまった自分の勘の鈍さが情けなく、叔父に対して申し訳ないと思ったのだ。月次はそれを、刀のせいにした。
「叔父貴、済まん。刀が、いかれてしまった」
「仕方がない事じゃ」
 刀斎は笑い、2人を部屋に通してから月次が差し出した刀を見た。
 あぐらを掻いた前に2本の刀を並べられ、刀斎はボロボロになった自らの作を手に取った。愛おしげに、刃を指でなぞる。その目は確かに、月次らが子供の頃から慣れ親しんだ彼の目だ。月次は心に生ぬるい風が吹くのを感じた。沙摩の様子には、変わりがなかった。
 お役ご免じゃなと言う、月次の悩みを断ち切る結論を告げて、刀斎は2本の刀を月次に返した。
 その時。
 月次は眉をひそめ……沙摩は、気付いたのだった。先程、月次が「あ」と言った理由を理解した。
 だが何食わぬ顔のまま、
「酒なぞ酌み交わそうかの」
 とホクホクする刀斎に微笑み、沙摩は自分が用意すると言って台所に消えた。
 沙摩は、気付いた筈だ。月次もそれを信じ、腰を据える事にした。
「少しは酒に強うなったか?」
「まだ叔父貴程では、ないかな」
「ぬしの親父殿は強かった」
 がははと笑う刀斎の表情は、暖かい。
 湖野谷家の業を代々引き継ぐ使命を持つ月次らの父は、厳格だった。幼い頃の、特に月次が自分の“力”に翻弄されっぱなしの時代に死んだので、厳しいままの父しか記憶に残らなかった。その分を補充して、父が優しく暖かい人間であった思い出を語ってくれたのが、刀斎であった。沙摩も鍛えられていた側だったので、記憶としては似たりよったりなのだ。
 軽いつまみと冷えた酒を用意した沙摩が、刀斎に酌をした。
 のどごしが冷たく、気持ち良い。杯が重ねられた。
「やはり沙摩の酌が、一番美味い」
「おだてても」
 顔を赤くしながらお猪口を口に運ぶ刀斎に、月次は一瞬だけ表情を隠しきれずに目を細めた。既にかなり出来上がりつつある刀斎に気付かれる事はなかったが、自分が情に流される危険を内心叱咤した。最後の晩酌である。沙摩もそのつもりで、酒を用意したのかも知れないな、と思った。
「わしは、おぬしらの親父殿が好きだった」
 刀斎の口調は段々怪しくなっている。それでも沙摩は、酌を止めなかった。
「まだまだ、一緒に酒を飲みたかった」
「代わりに俺で、我慢してくれ」
「充分じゃ」
 言いながら、刀斎の身体がぐらついた。
 沙摩はそれを支え、
「もうお休みなされませ。……あ、それと、」
 思い出した様に付け加えた。
「やはり、神社だけ詣って参ります。すぐに戻りますので」
「そうか」
 微笑みを崩さず丁寧な礼をする沙摩を疑問に思う理性もそこそこに、刀斎はこれを許した。

          ◇

 この様な逸話がある。
 時は源3代目、北条時宗が天下を治める少し前である。父時政が海に出て天下を治められる様にと百度参りをしていたとかいないとか。その百度目の海に突然大蛇が姿を現し、子孫繁栄をももたらさんやと3枚の鱗を時政に与えた――。
 夜明けの海の方角は東、おりしも青龍の方位である。海の神筒の尾も3人なら、貰った鱗もまた3枚。それが3角形の形を成し家紋となって、北条家の安泰を招いたそうである。
 その北条の紋を正3角ににして与えられたのが、湖野谷家であった(※この物語はフィクションです。今更ながら)
「紋のみでも“力”あるからのう」
 刀斎は秘かに呟き、姉弟が完全にいなくなった所を見越して外に出ようとした。むろん、逃げる為である。
 刀斎の記憶では、月次の“力”は計り知れない、となっている。直接対立は避けたい所だ。もう1日早ければ雲隠れ出来ただろうが、乗っ取るのに手こずってしまい、間に合わなかった。しかも刀斎の記憶が邪魔をしてか根っからの酒好きの身体が反応してか、晩酌にすっかり酔ってしまって、足元がおぼつかない。
 いかんなぁ、と思った時には、遅すぎた。
 戸を開けた、その時になってようやく彼は悟ったのだ。そんな強大な力を持つ彼らが、刀斎の正体に気付いていない筈がなかった。
 普通でない者には出られない壁が、既に屋敷を取り巻いている。見えないものが彼の行く手を阻んでいた。その結界を作った姉弟が悲しげに刀斎を見ている事に気付き、彼は玄関から退いた。
「無類の刀好きな叔父が、この刀を手に取らないのはおかしいんだよ。“力”ある刀だけに、触れられなかったらしいな」
 玄関をくぐった月次が草薙の剣を構え、
「つまらぬ所で、ばれてしもうたのう」
 刀斎は、刀斎の笑みを作って見せたのだった。
「叔父貴でないくせに、叔父貴の笑い方をするな」
「しかしわしは、ぬしら以上に刀斎の心をよう知っておる」
 酒好きな所も、お前達の親父、幽幻を好きだった事も。と、刀斎はくくと笑った。
「ぬしらに、わしは切れまいて」
 月次は動揺し、沙摩に肩を叩かれた。沙摩が口を開く前に刀斎は、矢継ぎ早やにまくし立てた。
「例えばこの男は、何故お前がなかなか親父殿の名を世襲したがらんか、よう知っておった。わしに遠慮した為じゃ。本来“湖野谷幽幻(このやゆうげん)”の名はこの男のもんじゃった。わしはわしの“力”を熟知し、鍛冶屋として武家を離れ“刀斎”を名乗ったが、いつもおぬしに嫉妬しておった。力比べをしとうなかっただけなのじゃ、甥に負けを認めとうのうて、譲っただけなのじゃ」
「止めろ!」
 刀斎を叱咤すると言うよりは自分の邪念を追い払う様に叫び、月次は刀を持つ手に力を込めた。手の甲が白くなる程強く、刀を握りしめた月次のそれに手を置いて、沙摩が月次の横に並び、
「力の差は明確じゃ、年老いて、沙摩にも適わん様になってしもうた。良い叔父としてぬしらを慈しむしか道はなかった。月次のみ預かり修行をさせておった、あの小さな時に殺しておけば、わしの心は軽うなっておったに違いない」
「ごたくは、そこまでにするんだね」
 なおも喋り続け、2人の心を乱れさせようとする彼の口をつぐませた。
 刀斎の記憶が持つ今迄の沙摩にない、険しい表情がそこにあった。いや、ひょっとしたら月次すら、そんな姉は初めてであったかも知れない。
 冷たく鋭い顔の下に怒りをたぎらせる沙摩の様子に、月次は我を取り戻した。
「人間は皆、暗い所も汚い部分も持ってるさ」
 しかしやはり怒りに駆られてはいても、長年見知った恩人の胸に小柄を突き立てるのには、抵抗があるらしい。沙摩が懐から取り出した護符を見て、月次は心を決め、“気”を整えにかかった。
 だが沙摩が走り出した、その足取りには躊躇が見られない。
「だから良いんじゃないか!」
 悲痛な叫び声に変わった言葉と共に沙摩は、叔父だった男の胸にどんと体当たりして札を貼り、すかさず印を唱えたのだった。
「封じられませい!」
 だが。
「ふん!」
 と言う気合を込めて胸に貼られた札を剥がすと、刀斎はそれを握りつぶし、仁王立ちになった。記憶を頼りに、沙摩の術を無効化したのだ。刀斎はニヤリと笑い、刀を抜いた。
「老いても刀斎じゃ。既に人にあらじとも、その力健在なれば、」
「なれば、更に強い力を用いるまで」
 思いがけず近かった月次の声に刀斎は、直感で体を伏せて逃げた。その彼の頭上を月次の一閃がかすめた。
「おのれごとき瓢魔(ひょうま)が、これ以上叔父貴の全てを汚す事は、許さぬ」
 言った月次の体には、天の光が降りていた。龍神の力を受けて輝く月次の体は、それだけで、愚かな妖怪の動きを止めた。
 恐怖に凍り付く男の表情は、刀斎のものなどでは、決してない。だがその顔は、刀斎のままなのだ。子供の頃、刀斎の腰に抱きついた自分が一瞬思い出された。
 親子の様に暮らした日々。
 師匠として鍛えてくれた日々。
 友人の様に語り合った日々。
 思い出が、走って行った。
「言向けやわす」
 月次は惑う事なく一振りで、それを終わらせた。

          ◇

 分かっていたのだ。
 そんな、叔父貴の暗黒の部分は。
 だから瓢魔に乗っ取られたとも言える。瓢魔とは、そうした物の怪だ。
 湖野谷姉弟は叔父の抜け殻を両親の墓の横に埋めてもらい、2年振りに父母へも手を合わせた。
 葬儀を取り仕切ってくれた神主は、一昨年から顔を見なかった姉弟に懐かしげな微笑みを向けた。
「刀斎様は寂しがっておられたぞ。ぬしらの顔が見れて、ほっとなさって逝かれたのかも知れんなぁ」
 何も知らない神主はそう言って去ったのだったが、それは思いがけず2人の気を軽くした。月次も踏ん切りが付き、墓には刀斎の名を書く事にした。
 手を合わせ終わった沙摩は、まだ神妙に目を閉じている弟の横顔に、口元をほころばせた。滅多に現れない龍神降臨は、一重に叔父の為だったのだろう。
「月次、どうだね?」
「?」
 まるで捨てられた子犬の様に覇気のない顔を姉に向ける月次に、沙摩は溜息混じりに肩を竦めた。
「まだ、襲名する気はなさそうだねぇ」
 その話か、と言う感じで月次も溜め息をついた。
 きっと叔父貴が遺言を残すとしたら、襲名しろと言ったに違いない。きっと嫉妬も殺意もあっただろうが、だとしても刀斎はそう言っただろう。あの満面の笑みで。
「今は、どこに仕えてるでもないからなぁ。でも、まぁ、考えとくわ」
 月次は立ち上がり、首筋の汗をぬぐった。
 祭りの音は名残惜しむ様に蝉の声すら掻き消して、盆の霊を送っている。明日からは平凡な、静寂に囲まれた営みになる。
 昨日と変わらない夕暮れの色合いが、空を覆い尽くそうとしていた。







                                     FIN



    後書き
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