SUMMER SONG 後編
「お前、俺とキスとかしたいワケ?」
怒った声で健太は言う。そうか。そうだ。この顔にくっついている、この唇に私の唇を重ね合わせるんだよね。でもって、ねぶねぶしてみたり舌べろ吸ってみたりとかもするんだわ。
……組み敷かれてるってのに、想像がつかない。
「やってみて」
「マジで?」
「やられてみないと、なんか想像つかないんだもん」
「お前なぁ」
呆れ声に変わって、健太の表情がほぐれた。
「誰か来るかも知れないんだぞ。その辺の影にだって、バカップルうじゃうじゃいそうだし」
「来ても構わないよ。どうせ私たちだって、どう考えても今の状況はバカップルよ」
「マジお前ムカツく」
あんまりムカツいてない口調で、健太は私から離れてしまった。離れられると、ちょっと寂しい。でも、ホッとしている私もいる。されなかったことに安心したんじゃなくて、元の健太に戻って欲しいからだ。
でも、友達には戻れないだろう。健太はもう告白してしまった。私を押し倒したのは、きっと冗談じゃない。悲しいかな彼の表情が何を語っているのかが、私にはよく分かるのだ。からかえない。
微妙に離れて座る私たちの距離が、昨日より少し遠い気がする。体育座りのまま自分の膝を抱いて座る私に、同じく体育座りをして膝に肘を置く健太の手は、伸びてこない。
本当に恋愛の好きなのかどうかが分からないまま健太に抱かれても、これも健太を傷つける。分かっているから、健太は手を出してこないのだ。
さっき私が応じていれば、ことが進展しただろうけど。
傷つけたくないから、傷つけるのが怖いから恋愛にできなかった。恋愛の終着点は結婚か別れるかしかないんだもの。結婚なんて、まだまだ考えられない。健太の子供が欲しいかどうかも分からない。
じゃあ今カレの子供が欲しいのかと言えば、それも、そうでもない。
今カレとは、付き合ってる現在形で考えることじゃないけど、すでに別れる覚悟もできてるからだ。上手に擦りあわせてきたけど、こういう合わない時期も何度かあって、その度に「もう駄目だ限界だ別れよう」と思ったもの。
なのに続いているのは、お互いに謝ったり、なかったことにしたりして来れたから。
仲直りした夜は、始めの頃より強く幸せだと感じる。
でも、もし謝っても仲直りできなくて別れることになったらと思うと、怖い。
「私、分からないんだよ」
正直に言った。
身体を起こして波に映る赤い光を見ていたら、くしゃみが出た。さんざん塩水に浸かってきたのに、潮の匂いが初めての香りみたいに鼻腔をくすぐる。健太がパーカーを貸してくれた。海の家が閉まる前に着替えないと帰れなくなる。分かってたけど、まだ帰ろうとは互いに言わないでいる。
「友達のままがいいって思うのは、我がままなのかな?」
「いや、アリじゃね?」
怒られるかと思ったけど、意外に即答で肯定してもらえて私の方が驚いた。健太の横顔は、あまり見たことのない、なに考えてるのか読めない表情をしている。
「俺も、ずっと友達でいたかったからさ」
過去形だ。
健太は私が綺麗になってきた、と言った。
「どこが? そりゃ頑張ってダイエット続けてるけど、今カレの他には言い寄ってくれた子なんていないし、」
「そりゃ彼氏持ちにアプローチする豪胆なヤツなんて、いねぇよ」
「ごうたん?」
「帰って辞書見ろ」
バカで悪かったわね。
「んじゃ今カレと別れたら私、モテるのかな?」
「別れてブスになったら、モテないだろうな」
「きっつ」
「だから別れるなよ」
「あんたが言う?」
「俺だから言う」
健太の顔は、いたって真面目だった。
「私、今日は帰ったら泣くよ。多分すごく後悔して泣くんだよ」
「でもって明日は彼氏に電話したりとかすんだろ。しろよ」
「何それ」
性格悪いフリして笑わせようとしてくれてる健太が痛々しい。私のせいだ。
真っ赤になった夕日が、もうお前ら帰れと言ってるように見える。話は終わっただろ、と。うん。終わった。特に何の盛り上がりもなく、ただ座ってしゃべってただけだけど、確実に一つ、恋が終わってる。健太の、じゃない。私のだ。
咲くこともなく蕾のまま、自分で咲かせることを拒んだ。
そうか。と、思いついた。私には蕾が2つ、ついていたんだ。多分一つは咲いている。でもって、もう一つの蕾も咲きかけていたのだ。それが苦しくて、これを切ろうと思ったのに違いない。
一方にだけ充分な栄養を与えるために、もう一つを
剪定したのだ。
自分のひらめきながら、どんぴしゃだ。
「ここでは泣くなよ」
「泣かないよ」
泣いたら、健太が悪者になっちゃうからね。
「嫌ってくれてもいいのに、そうならない健太はスゴイ」
「口に出してないだけで、内心は分かんねぇぞ」
「うん。でも口に出さないから、スゴイ」
「誉めても何も出ないぞ、バカ」
「バカです」
健太が膝から手を下ろして、空を仰いだ。私も同じようにしたら、ちょっとだけ指先が触れてしまった。慌てて手を引っ込めようかと思ったけど……健太は気付いてないみたい? 男の人って指先、鈍感なのかな?
フッたばかりの人に、友達でいたいはずのヤツに、今さらドキドキしてきた。指先の熱って結構、反則だ。
押し倒されるよりも熱くて優しくて近くに感じる。手って不思議。
またな、と言って健太が急に立ち上がった。
「昨日までの友達関係には戻れないけど、もし友達になれたら、また、なろう」
言いたいことは、何となく分かった。うんと頷いて私も立ち上がり、岩場を少しずつ降りていく。登る時に手を引いてもらった場所を、今度は一人でちゃんと降りた。
そんな私に手を出してこなかった辺り、もしかして健太はさっき手が触っていたの知ってのかも知れない。文字通り私は、手放してしまったのだ。この背中にしがみつけばいい、今なら間に合うとささやく私の心とうらはらに、踏み出せない現実の私。
いつか、しがみついてくれる子に会えばいいね。私たちは明日も明後日も、どんどんと変わっていく。私が綺麗になったと言うけど、健太も格好良くなってるよ。
時々振り向いて気遣ってくれる健太の背中を見送って、私もまたねと告げた。
感慨にふける私の耳に、押し寄せる波の音が音楽みたいに流れ込んでくる。
潮が満ちてくる。
夏、真っ盛りだ。
fin