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特別な日

 花火の朝は、いつもと違う。
 ぽんぽんっと威勢よくも丸く、ちんまり空で跳ねる『号砲』が、まず私たちを起こす。うん。この音は大きかった。きっと彼も起きたことだろう。あれが号砲っていう昼に上げる花火なんだよと教えてくれた人は今夜、盛大な花火を私と一緒に見る。
 私は慣れない手つきで浴衣の帯を締めて、下駄を履いて家を飛び出し……かけて、ママに叱られる。
「浴衣はすぐに着崩れるの! お行儀よく!」
 こんなママのおかげで私は、自分で浴衣が着られるようになったのだ。ホントこの日を逃したら、宝の持ちぐされである。あとは文化祭ででも浴衣を引っぱり出してきて、クラスの女の子たちを一人100円で着付けていく以外にない。
 ……いいな、それ。

 青空に、小さな雲みたいにポコポコ生まれる音の花火が一発から3発連続で出る『段雷』に変わった頃、彼の待つ場所に私は到着する。彼は必ず待っている。っていうか待ってなかったら、私は帰る。
 私は10分遅れて到着して、「ごめぇん」と首をかしげる。許してくれる彼の優しい笑顔が好きだから、この仕草はやめられない。
 のに。
「?」
 彼は目をそらし気味のまま、うつむいて、顔を合わせてくれないのだ。どう見ても、すごく不機嫌そうなのだ。
 私、失敗した? ちょっと首のかしげ方が変だった?
「いや、あの、ホントごめんね?」
 焦る私に、やっと彼は「うん、いいよ」と返してくれた。でも望んだ笑顔とは、何かが違った。
 だって浴衣へのコメントがないのだ。ありえない。っていうかムカつくぞ。男子たるもの、ここぞという時には言わねばならぬことがある! これがその時だ! 帰るよ?!
 どうせなら花火を見てから帰るけど。

 闇が迫る。
 いつしか夕暮れのグラデーションは赤を終えて、紫になりつつある。夕日と反対側の川面はもう黒くて艶々してて、そして人にあふれている。はぐれないようにと掴んでくれる手の強さに、私はちょっとだけ安心した。さっきのは、気のせいだ。
『飛遊星』がちらちら光って見えだす頃には、すっかり暗い。そして昼花火が退場して、真っ暗になった空はまるで開演寸前の映画館みたいに、今か今かと主役の登場を待つ。ざっくばらんだった人波も少し落ち着いて歩みを止めて、示し合わせたみたいに空に見入る。
 7時30分。
“レディース&ジェントルメン!!”
 ……と、聞こえた気がした。完全に気のせいだろうけど、でも、そんな“幕開け”を感じる花火の饗宴が味わえた。最初はポツポツと、やがてドンドンと、すぐにドドドン! と。これでもかと言わんばかりの、ふんだんの『スターマイン』が色も鮮やかに私たちを魅了する。
 うわぁとか綺麗とか叫ぶ声すら夜空に消えて、しばし私たちは花火に魅入った。

 屋台も人通りも賑やかで、イカ焼きとカキ氷を持ったまま、なかなかココという落ち着き場所を持てなかった私たちは、だらだら歩きながら夜空を見上げていた。やっと土手に腰を下ろした時、彼が「これ」とタオルを敷いてくれた。首に引っかけてたヤツなので汗臭いだろうけど、配慮を示してくれたことの方が嬉しかったので、私は素直に「ありがとう」と微笑むことができた。
 彼は顔をそらした。
 うわ、傷つく。
 文句を言いかけて息を吸ったら、彼が「あれ!」と空を指す。慌てて空を見上げてしまう。花火には勝てない。
 フルコース花火の前菜が終わっての割物花火は、言うなればスープだろうか。基本の形だけど趣向を凝らして飽きさせない。
『昇り小花』が点々と咲きながら、見上げるのが遅かった私を待ってくれていたかのように、最後の大きな一花を咲かせてくれた。
 文句を言いそびれた。

 それにしても近頃の花火は、本当に色とりどりだ。種類も様々で、『蝶』や『土星』は言うにおよばず、『アンパンマン』やら『アジサイにカタツムリ』まであるらしい。いや、それ無理があるから。
 私は普通に丸いヤツが好き。
 そんな、正しい角度に開いてくれた時だけ本当の姿が見える、なんてイジワルな花火、見逃してしまったら二度と見れないじゃないか。せめて花火ぐらいは、いつも、いつでもこっちを向いていてよ。

 色んな花火でお腹いっぱいになったところへ、口直しのように『スターマイン』が戻ってくる。ダダダダと惜しげもなく咲いては散る、狂い咲きのような花火に耳を傾けたまま、やっと私は彼に「ねぇ」と聞きたかったことを訊いた。
「なんか今日シン君、変じゃない?」
「何が?」
「……ううん」
 何がと訊かれて不機嫌そうだと答えるには、花火がちょっと賑やかすぎた。

 せっかくの素敵な花火大会なのに、なんで私は一人で泣きそうになっているのだろう?
 きっと花火が見事だからだ。一瞬で消えてしまう花火を恋に例える話はよくあるけれど、自分がそうなってみたら、これってすごく、よく分かる。綺麗すぎて、印象的すぎて特別すぎて、シュンっと消えちゃうのに余韻だけが強くて忘れられないのだ。
 そんなことを考えた時、私の心に応えたかのように、ひときわ大きな「打ち上げ音」が聞こえた。打ち上げただけだ。なのに滅茶苦茶大きな音だった。ドンと破裂した音の後、真っ黒い夜空にひゅうううぅと上がり続けている火薬玉が見えそうだった。これは大きい。すごく大きい。
「来るよ!」
 誰かが叫んだ。
 シン君が言ったのかも知れない。
 誰でも良かった。皆が一丸となって、見逃すまいとしていた。

『2尺玉』を。

「……!!」
 頭が真っ白になりそうなぐらい、夜空が昼間になりそうなぐらい明るい光の群集がはじけた。均等に美しく整列した粒がふわぁっと地平線の向こうにまで広がった。というのは言いすぎかも知れないが、そう思えた花火だった。
 華美と書いて、はなびと読みたいぐらい別格だった。
 誰しもが拍手すら忘れて、口を開けて惚けた。

 きっと、忘れない。
 今日のことも、あなたのことも。
 なぜだか急にある種の「覚悟」をしてしまったのも、やっぱり花火のせいかも知れない。この一瞬を見逃すまい! と、集中して花火を見たせいだ。恋だって集中した方がきっと、いい恋になる。
 いつかは別れるかも知れない彼に集中しよう。
 最後の出し物『ナイアガラ』がザザザザと流れ落ちるのを見ていたら寂しくなってきて、そんな気持ちになった。ナイアガラの光と一緒に私は涙を光らせてしまい、そんな中、拍手喝采が巻き起こって花火が終了した。

「ミカ、泣いた?」
「え?」
「涙」
「汗」
 私はごまかそうとした。けど笑顔がぎこちなくて、花火が終わっちゃったら視線が痛くて、ごまかせそうにない。堤防に座っていた人が、次々に立ち上がって岐路に着く。私たちも帰る時間だ。歩いて座って見上げてて、すっかり帯もゆるんでしまった。
 ゆるんだ帯を締めて、襟元をなおす。見られている気がして顔を上げると、また彼が目をそらした。今日はそういう日らしい。私は苦笑して、「ちょっと泣いた」と微笑んだ。
「すごすぎて泣けちゃった。やっぱ花火っていいね」
 来年も一緒に見ようね、とは言えなかった。
「きっと儚く消えるから、いいんだよね」

「消えるから、また打ち上げられるんだ」
「あ……まぁ、ねぇ」
 さらっと客観的に返答されてしまい感動もどこへやら、私は素に戻った。現実主義も考えものだ。
 すると彼は少し構えて、正面から私を見て言ったのだった。
「冬の花火も綺麗だよ」
「え?」
 たっぷり3秒は溜めて、彼が微笑んだ。どうやら彼としては、かなりのいいことを言った気でいるらしい。気持ちは分からんでもない。ちょっとズッキンドッキン来てしまったもの、迂闊な。
 私はみるみる赤くなる頬を感じて、今が夜で、花火も終わってて良かったと心底思った。

「ええと、ほら、スキー場で見る花火だけどね、別にスキーしなくてもいいしさ。『号砲』は秋の体育祭にも上がるしさ。カウントダウンでも花火やるしさ」
 言葉をなくしてしまった私に焦ったらしく、彼はとたんに言葉を重ねだした。そんなに言わなくても通じてるし、何が言いたいのかも私は酌んだつもりだったのですが……彼の方が今度は、私が何を考えてるのかが不安になったらしい。
「……駄目?」
 何がどう駄目だというのだろう。
 思わず私は「駄目」と言ってみたくなったけど、本気でスネそうだから言うのはやめた。
「駄目なもんですか!」
 口にしなきゃあ、伝わらないことがある。

「良かった」
 私は安堵のため息を交えて笑った。
「シン君、今日は機嫌が悪いのかと思ってた。いちいち目をそらすんだもん」
「ああ、それは……ゴメン」
 と言って彼は思い出したように、また目をそらした。まったく失敬なとカチンと来たけど、今日の今になって理由が分かったから、やっと彼を許せるよ。
「そんなに色っぽく見える?」
 意地悪く訊いたら、彼は無言で頷いた。花火は、浴衣姿を3割増で美人に見せてくれる効果があるらしい。

 今年の花火大会は終わったけれど、今度の週末は、花火セットを買おうかと思う。必須は線香花火で、もちろん浴衣でね。






fin




 背景素材はゆんフリー写真素材集さんから頂きました。
 毎月の連載短編とは別風味で、ラブラブです(笑)。

2006.9.5


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