6.

 翌朝もまだ少し彼女の調子は良くなくて、俺たちはもう一日そこにとどまることになった。一晩中、本当に手を出さなかった俺に驚いたのか、安心したのか、シホは終始おだやかな顔をしていた。
 とうとう保存食に手を出した。
 栄養が必要だ。Gマウスもこの辺りで捕まえることが可能だろうが、すぐに体を癒してくれる肉ではない。
 久しぶりのマトモな食事に、シホの表情がさらにゆるむ。夕刻にはすっかり良くなったのか、饒舌さを取りもどしていた。
「本当はね、」
 と、彼女は地球の様子を聞かせてくれる。
「マトモな食事っていうのは、もっともっとマトモなのよ。お爺さんは食べ物にうるさい人だったから。天然のキャビアがこのスプーン一さじで20万ドルするんだよなんて言われても、ただの苦くて黒い、気持ち悪い卵の山だったわ。そんなものより合成小麦粉で焼いた一枚2ドルのクッキーの方がだんぜんおいしかった」
「キャビア?」
「知らない?」
 と、シホが説明してくれたが、元々ムーンには海自体がない。地下水にそうした生き物が生息してるかも知れんが、食べるのは困難だろう。
 すると俺の反応が面白かったのか、シホはさらに語った。
「普段の食事は硬いヒレステーキよりハンバーグの方が好きだった。あ、私の祖国だとオムスビってのがあったんだって。ばあやが作ってくれたことがあるの。お米がツブツブしてて食べにくかったけど、おいしかったわ。ムーンでは、麦は作ってるのよね? だったらオカユは無理でもオートミールなら食べられるね」
 昨日とは違った意味で、子供のような顔になっている。俺は思わずほころんでしまい、シホの頭を撫でそうになってしまった。
 麦畑はコロニーの側に隣接している。充分な水がコロニーから供給されて、豊作だった年にはコロニー内の人間にだけでなく近隣に住む村々にも配られると聞く。だが俺がコロニーで暮らしていた時にさえ、滅多にお目にかからない代物だった。本当に配られていたのかどうかは、怪しい。
 俺の顔色をどう読みとったのか、シホが所在なさげな顔をした。俺がコロニー時代を思いだして悲痛になっているとでも思ったのだろうか。
 俺は微笑み、ゼリーのパックを彼女にほうり投げながら言った。
「そうだな。ドロドロしていて、俺はあまり得意じゃなかったが。よく婆さんがキノコやジャガイモまで入れて苛めてくれたもんだ。食えってな」
「キノコやジャガイモもあるの?」
 シホの顔がぱあっと明るくなる。野菜栽培は麦より進んでいる。思いつかなかったらしい。
 こんなことがきっかけでも元気を取りもどしてコロニーに行ってくれる気になるなら、めっけモンだ。一生2人で流浪の旅というわけには行かんし、死なれても困る。
 俺はシホをグロースマーヤーに連れていく以外、何もできない。
 不審な連中を片づける以外に能のない男だ。
「シホ」
 俺はすっと手を伸ばし、彼女の耳に触れた。シホが顔を赤らめて硬直する。だが俺は少し彼女の後頭部をまさぐった後、すぐに手を放した。
 指先に小さな虫を捕まえたまま。
「?」
 シホが我に返って、虫に顔を寄せた。眉間にしわを寄せて睨み、ようやく正体に気づいたらしい。驚愕の形相に変わった。
「いつの間に」
「最初からだろう」
 小型発信器だった。盗聴もしているかも知れない。俺は言った。
「これが盗聴器なら、遺産の話も聞かれたな」
 それとも、移民船で生き残った彼女に目をつけて、後をつけている人間か。だがキャラバンが全滅した時、周囲に生きている者はいただろうか。覚えていない。気配はなかったように思うが。
 昨日、彼女が寄りそってきたために気づいたものだ。ほとんど勘だった。発信音すらないほどの、かすかな違和感だった。
 どれぐらいの規模でシホを追っている者だろうか。俺がのした相手はゲスなちんぴらで、そんな高級な頭をしてなさそうだったが……と思いながらも俺はバイクのビニールをまくり上げ、丹念に調べた。
 まさか、この襲撃も計画のうちだとしたら。そう思ったのだ。
「ケヴィン……?」
 お姫さんが不安げな声を出す。
 まさか本当に姫を守る騎士よろしく俺が働いているとは。厄介なことにはなって欲しくないのだが。
 だが俺の指先は「厄介」を見つけてしまった。吸着型の、ネジ型をしてシートの裏に潜んでいやがった同じタイプの発信器だった。
 俺はこれが盗聴器であることを願いつつ、ぐしゃりと潰しながら呟いた。
「急ごう」


  next
  back
  index