5.

 シホは雨の中、直立不動で俺に言う。
「一緒に入って」
 でなきゃ、こいつはずっと雨に打たれる気だろう。
 手で体を隠しもせず、まっすぐ俺の顔を見てきやがる。
 俺は舌打ちして表情をごまかし、シホを物であるかのように小脇に抱えて、木のうろへ自分の体を押しこんだ。背中から入ってあぐらをかき、足の中へシホを納める。彼女が残した毛布は幸い濡れていない。それを再度シホに巻きつけ、俺は彼女を横抱きにして、座らせた。
 俺の体と比べるとシホは赤ん坊のようだった。それこそ毛布を巻きつけられた姿は赤ん坊さながらだ。そして俺も、手荒に扱う素振りをしながら指先のすべてに神経を集中させていた。
 座りこんで出した俺のため息は、我ながらどういう意味のものだったのか。
「……どういうつもりだ」
 怒ったわけではなかったのだが、シホの体が固くなり、一回り小さくなった。
「送り届けられた後じゃなくてもいい、と思ったから」
「そりゃあ光栄だ。だが無理だ」
 俺は鼻で笑った。彼女はそれを、馬鹿にされたと思ったらしい。声が荒くなった。
「襲おうとしたくせに。契約が成立したら抱くんでしょう? だったら、今でも一緒じゃない」
「殺すつもりだったからな」
「え?」
 無垢な青い瞳が俺を見あげてくる。俺が浮かべた笑みは、苦笑だっただろうか。残虐そうだったんだろうか。自分じゃあ分からない。ただ俺を見たシホの顔が、悲しそうなものになった。
「冷静に考えろ。お前の体じゃ、俺を受けいれることはできない」
 体格差がひどすぎる。シホは自分が座っている下にある俺の自身を感じたのだろう、ちょっと身をよじった。だが俺は今、これ以上ないほどの理性を総動員して自分を抑えている。彼女をそういう目で見られなくなったのも大きな要因だ。
 すると彼女はひどく泣きそうな笑みを口元に浮かべた。
「死んでも構いません」
 自暴自棄にありがちな安っぽい言葉だ。生き残って爺さんの遺産を受けとらなきゃならなかったんじゃないのか?
 俺は醒めた目でシホを見おろす。同情はできない。わざわざ口に出している時点で「死にたくない」と同義語だと思うから。このお姫さんはいつも全身で生きようとしている。
「あなたは私のことを、ずいぶんいいお嬢様みたいに見てくれてるよね」
 思わず「そんなことは」と言いかけてしまったが、すぐにシホにさえぎられた。
「コロニーに資産が届けられてるぐらいだもの。ちょっと普通じゃないわ」
 シホは言いながら少し毛布をゆるめた。強く巻きつけられて熱かったのだろう。熱された土に雨がしみこみ、湯気が立ちのぼっている。俺には上半身裸でちょうどいい気温だ。
 シホはなまめかしげに体をひねった。毛布がはだけて見えた白い肩には汗がにじんでいて、何か人間でない別の生き物のように見えた。俺たちとは違う手術を受けている、ムーンで居住可能な新人類の体。
 一瞬抱いてしまった感情は、劣情だっただろうか。食欲だったのだろうか。劣等感? ヤりてぇのも食いたいのも壊したいのも殺すのも。どこか似ている気がする。
 見られていることを分かっているのだろう。シホは顔を上げなかったが、「私の体は綺麗じゃないよ」と言った。毛布から生えた白いうなじも華奢な腕も、俺には充分美しいものに見える。さらりと落ちる透明な髪にも海をたたえた瞳にも、俺のような濁りがない。
 すると彼女が俺を見あげて、笑みを歪めた。
「私はお爺さんのおもちゃだったから」
 俺は言葉をなくしたままだった。
 正直に言えば、想像していないこともなかった。
 自分を綺麗じゃないという女。女にとって「汚れている」のは、本意じゃないヤツに抱かれた体のことだと言ったヤツがいた。
「よくあることよ」
 軽い言い方に反発を覚えた。
 シホは言う。初めて抱かれたのは13歳の誕生日だったけれど、6歳でお爺さんに引き取られてからは毎日ずっと触られていた。むしろ日課であり、それが自分にとっての「普通」だった。
 ──普通ってのは、何なんだろう?
 それが普通である上流社会。当たり前の地球。裸に首輪一つだけで庭を歩かされたこともあると言って笑う少女。伸びてない身長。色のない髪。最初からなかったのでなく、手術の影響でなくなったのだとすれば。何の手術のどんな影響で、どんな手術でなくなったのかと思えば。
「それでも生きているし、毎日おいしいものが食べられたし、傷つけられることはなかったから、私は幸福だったの」
 言い訳するように、シホが付けたした。爺の悪口めいたものを口にしてはいけないとでも言うように。爺は悪くなかった。私は幸せだった。私が悪かったのだから。
 言われた通りのことができなかった夜は食事が与えられず、寝所もなかった日があった。追い出され、庭の隅で野宿した。翌日には狂ったようなドレスで飾り立てられた。黙って座っているのだよと言い含められて連れて行かれたパーティも数知れない。
 似たような境遇だろうかと思う子供もいたらしい。「同じ立場の子がいる」というのが彼女の支えになっていた。自分ばかりじゃない。皆、同じようなものなのだ。
 それらのどこが「傷つけられなかった」のだろう。
 現に彼女はすでに自分が不幸だったことを知っている。可哀相な子供だったことを知っている。そんな「同じ」は間違いだ。口では拒絶しながら、淡い期待を抱かないように心を殺しながらも、手を差しのべて欲しくて仕方がないのだ。
 婆が生きていれば、シホのことを無言で抱きしめたに違いない。
 今の俺みたいに。
 こんな手でいいなら、欲しいのなら、いくらでもくれてやるさ。
 ふいに抱きしめられたシホは最初、身を固くした。欲してはいても受けいれ方を知らない、ぎこちない哀れな子供でしかなかった。俺相手では仕方があるまい。だが、手は放さない。
 いつの間にか、ずいぶんと大事な存在になってしまったものである。
 それがいやで一人気ままにやってきたってことを、すっかり俺は忘れちまっていた。大事になってみてから、ふと気づく。それを失いたくないことに。
「俺は、お前をどうこうしない」
 自分の声と思えないほど深く柔らかい声だなぁと、俺はぼんやり考えた。雨の音がひどく優しく聞こえてきた。眠い。俺はうろの壁に背をもたせかけた。
 そこへシホが毛布を脱いで、ぺったりと貼りついてきた。仰向けに、斜めになった俺の胸へシホの体はあつらえたように密着した。そして俺とシホの体、両方を覆うように毛布をひろげて、かぶせてきた。
「どうこうしてって頼んでも無理なぐらい、ケヴィンは優しいね」
 何かを見たかのような確信ある声で、シホはささやく。頼まれりゃあ、そりゃあ……って、だから無理だって。
 無言のままでいる俺に、何を思ったのかシホがくすくす笑いだす。百面相でもしちまったか? 人の顔をうかがいながら生きていた少女だから、他人の心の機微に敏感なのだろう。迂闊な表情はできん。
 シホはおもむろに手を伸ばして鞄からウィッシュを出した。と、こいつは毛布にもぐり込んできた。俺とシホの間で熱を発している。ねずみがふわふわになったような小さいロボットだが、なるほど人命救助のすべも心得てはいるらしい。生きているような可愛らしい声できゅっと鳴いた後に発しだした熱は、シホだけでなく俺の体をも充分に暖めだした。
 完全に子供の顔に戻っているシホは、今日ようやく安心して眠ることができるのだろうか。子供時代を取りもどせるのだろうか。明日、少しは生まれ変われるのだろうか。
「この方があったかいから」
 シホが言い、俺の胸でうつぶせになって眠り込む。確かに俺も冷えきっていた。彼女にいたっては、まるでガラスの人形を抱いているようだ。
 俺はそれこそ彼女がガラス細工であるかのように、そっと腕を回したのだった。


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