|
14. 何かを感じる。 暗転していた世界が再び明るくなる兆しが、目前にあった。暗黒の視界が和らぎ、冷たかった心に火が灯る。朝、目が覚める時のような、まどろんだ感覚が俺の中にじんわりと広がる。 俺という個体を認識しながら、俺は転生ってのは簡単なんだなぁと思った。 生まれた直後の赤ん坊には、前世の記憶があるっていうじゃねぇか。きっとこの後、さらに刺激が与えられてシホの腹ん中から引きずりだされて泣くはめになるんだろう。いや、そこは絶対シホの腹。それ以外はやだ。 「何言ってんのよ、もうっ」 ペチン、と刺激が与えられた。 予想した刺激とまったく違う、頬に走る痛み。いや痛みなんてのはない。触ったていどの可愛らしい感触だった。 その声と、小さな手。手を小さいと感じられた、俺の頬。 驚くとか喜ぶとかより先に、思わず俺はガッカリしてしまった。だって激烈に撃たれまくって惚れた女に看取られて静かにゆっくり……なんてやっておきながら生きてたなんて、かなり格好悪いと思うぞ。 「格好悪くてもいいじゃない、生きてるんだもの! 足掻いて、少しでも楽しいことを探すんでしょ?」 シホはそう言うと、もう一度俺の頬に手を当てた。今度は叩かれなかった。そっと包むように添えられている。 「目を開けて」 ささやかれるままに、俺はまぶたを押し上げた。ひどく重い作業だった。寝過ぎで力が入らないにしても、ずいぶんとだるい。やっとの思いで目に光を入れると、俺は顔をしかめて少しずつ光に慣れる作業をした。 焦点が定まってくる。 彼女の像が形をなす。 「あ、やっぱ俺、死んでた」 小さく呟いてしまった言葉は、しっかり声になっていた。だが、自分でビックリした。俺の考えを誰か別のヤツが喋ったかのようだったのだ。でも俺の口から出た声だった。音楽用語じゃテナーとか何とか言うんだっけか。いつものドスが効いてる俺の声とは大違いだ。 やっぱり死んでたと思えるほど神々しいシホの顔。ってゆーか俺、惚れすぎ。 昨日も会ったじゃねぇかと自分を叱咤しながら目をそらしたが、シホの姿は10年会っていなかったかのように懐かしかった。多少シホの面持ちが変わっていたような気がして、俺はもう一度彼女の顔を盗み見た。ちらっと顔を動かした、その動きに苛立ったのか彼女が俺の顔を今度は両手でがしっと掴む。 「ちゃんと見て。私を」 そうして、見ることもできないほどアップになった彼女の目に、俺は包まれた。もう、うん、夢でいいわ今は。 俺も目を閉じて、唇でシホの感触を確かめた。そのまま彼女の背を抱いて押し倒して……などと思ったのだが、そこまでストーリーは甘くなかったようだ。まぶたが重かったのと同様、腕も首もすべてが重かった。動かん。 顔を離したシホが微笑んだ。 「確かに生まれ変わったって思ってもらってもいいかも。おはよう、ケヴィン。新しい朝よ」 そう言うと彼女はおもむろに退き、鏡を持って戻ってきたのだった。彼女が離れたことで、俺はやっと自分の周囲に目を向けた。清潔感を保っている何も余計なものが見えないアイボリーの壁と白い天井が意味するところには、それなりに想像がつく。子供の頃に怪我をして婆に放りこまれたことがある、あの場所だ。 俺は柔らかなベッドに眠らされていた。腕に触るシーツの感触が心地よい。シホが鏡を取ってくる間に、機械音と共に上半身部分が斜めに起きあがった。ベッドが形を変えたのだ。長椅子に寝そべるような格好になれた俺の目に、室内の光景が余すところなく飛びこんでくる。 ここが必要最低限の家具をしつらえた病院の個室らしいという光景が。 余分な装飾が何もない殺風景な室内で、淡いピンクのワンピースを着るシホだけが鮮やかで華やかだった。キスされたせいだろうか、この一変しちまった光景の中で彼女だけが俺のリアルだ。 鏡に映った自分の姿でさえも夢だった。 もしくは鏡に見えた薄型テレビなのかも知れない。真四角なそこに映し出されているのは、げっそり痩せた少年だった。褐色だがまだらな肌をしていて皮がぼろぼろむけていて、伸びた金髪は心なしか、かなり白い。俺が大きく口を開けると、そいつも大きく口を開けやがる。 「これから、しばらくリハビリが大変でしょうけど。頑張ってね」 言いながらシホが鏡をテーブルに戻した。側に設置されたテーブルには細い柱が併設していて、その先端には点滴袋がぶらさがっている。俺の腕へチューブが押しこまれている。一つだけじゃない。ベッドの足元からも柱が立っていて袋が下がっていて管が伸びていて、先端が俺の足の付け根だ。しかも俺の息子にも何かがくっついてるようだ。ふとんの下でよく分からんが、ベッドの足元に管付きの袋が見え隠れしている。 俺はいい感じに情けない姿だったのである。 「情けなくないわ。峠を乗りこえたんだもの。本当に……長かったのよ」 彼女の能力はいまだに健在だ。俺がまだ喋るのが億劫なのを察して先回りしてくれている。俺は観念して、心中で「これなら死んだ方がマシだったかも知れない」と考えたことを、シホに謝罪した。 シホは笑って頷いた。 俺は彼女の雰囲気が変わったように思えた理由を理解した。何日どころではないのだろう。彼女は育ち、少し背が伸びていたのだ。 「手術してもらったの。私ほどではないけれど、これからのケヴィンには強烈な筋肉強化剤が必要なくなるわ。でも私のような能力が出ることはない。改良されたから。多少慣れなくて、重力を辛く感じるかも知れないけど、この手術はムーン中に広まっていくし、ウイルスに怯えなくて済むわ。薬代も必要なくなるし私たちのサイズも……あ、いえ」 喋りすぎたという顔で、シホが真っ赤になってうつむいた。悪いがそういうネタには敏感にできている。身長と言わずサイズと来たもんだ。こいつも俺の下劣思考に毒されやがったな。 俺としては、それぐらいの方がありがたいが。 俺は渾身の力を込めて腕を上げると、シホの腰に手を回して引っぱった。手術なるモンがどれほど俺の体を変えたのか知らんが、彼女を抱ける体であれば何でもいいさ。生きてんだしな。 そりゃあ、できればシホの子供よりは男になりたいに決まっている。 やせ衰えた胸にも彼女の肢体は軽くて柔らかで、心地よかった。点滴の管を気にしながら腕をそっと回してくれるシホが、愛おしかった。再び唇を重ねてくれたシホの頭に手を置いて、自分の口に彼女を押しつける。シホは逃げようと思えば逃げられるのだが強く返してくれて、俺は安堵した。 愛してる。 口を離したら、言葉でも言おう。 けれど、なかなか離れられない。ずっとこうしていたい。考えてみたら出会ってからこっち、キスの一つすらしてなかったんだしな。マジで長い道のりだった。 そう思った瞬間、急にシホが唇を離して俺に言ったのだった。 「ミネアって誰?」 ……未来は明るそうだ。 fin
あとがき back index |