踊り子

  5


 暖かいベッドの中で目を覚ましたルイサは、夢だったが、とボンヤリ考えた。
「……嫌な夢……」
 呟いて、体を起こす。熱い風呂に入った後の体はさっぱりとして、やわらかな金髪に、血の跡など見えるべくもない。
 だが彼女の記憶と、身体は。
 彼女は、それが夢などでなかったことを、はっきりと憶えている。
 ルイサは、顔を歪めた。
 どうして自分は、こんなにも明確に憶えているのだろう、と口惜しく思えてならなかった。忘れてしまいたいことに限って、いつまでも鮮明に頭にこびりついている。正気のままでは、憎しみと恥辱が邪魔をして、死ぬことも出来ない。いっそ気が狂ってしまえば、どんなに楽だろうか、とルイサは思いつつ、頬に手の甲を当てた。
 父が亡くなって、未だ一週間もたってはいない。
 その間にルイサの周囲はガラリと変動してしまい、今朝に至っては庭師すら来ていない、シンとした朝だった。
 まるで池に投げ込まれた小石が波を起こす様に、ルイサの世界に波紋を広げて――透んだ水が、濁って行った。
 ルイサは泣きたい気持ちを押さえ、着替えると屋敷内を歩いた。屋敷は、広かった。もしかすると、これからはここに1人で暮らすことになる。そんな、空虚にも似た思いで、ルイサは1階に降りた。
「?」
 何かが香った。
 食事の匂いである。
 ルイサは食堂の扉を、開けた。
「お早うございます」
 執事が、パンを卓上にセッティングしていた。
「バトラー……あなた」
「何ぶん不慣れでございます故、お口に合いますかは保障致しかねます。ただ、お体を暖めること位は、可能かと」
 そう言って彼が給仕するスープの香りや、そのパンの形は、しかしどう見ても不慣れとは思えない代物である。
 ルイサは、自分の席に手を突いた。
「あなたは……お父様の執事よ。こんな私にまで、仕えることなどないわ」
 ルイサの言葉に、それまで事務的であった執事の顔が、彼女をいたわる為に破顔した。
「そうですね。あなた様が本当にネイアス様のお子であることをお止めにになられたら、私もお仕え致しかねるのですが……」
 言いつつ彼は、ルイサの前に置いたカップになみなみとミルクティーを注いだ。ルイサが、その彼の手から腕、顔へと、執事を見上げた。彼がルイサを見る目は、彼女を一昨日王都に見送った時のものと、全く同じだった。
「生憎私は、自分の心に偽りを持たず、気高くあられるお方が気に入っておりましてね。その方がこれから強く生きられる為に、せめて暖かいミルクティーを注ぐ者程度は、お側に必要ではないかと、差し出がましいことを思っているのですよ」
 そのまわりくどい言い方に執事の配慮が見えて、ルイサは胸が熱くなるのを感じるのだった。
 いつもなら、変わりない風景の筈なのだ。
 ルイサが食堂の扉を開けると、パンの香ばしい匂いが漂う。スープが湯気を立てている。執事がミルクティーを入れている。
 何もなかった様な朝を作っているのでなく、執事は、再びこの様な穏やかな朝を築き上げて行きましょう、とルイサを励ましているのだ。何故なら、同じ朝に見えても、ルイサには、違うことが分かってしまうから。
 きっと、毎朝この食事がモニクの手作りでないことを、実感してしまうだろうから。
 ルイサは、ふと気付いて目尻をこすってから、未だ涙の出せる自分に少し驚いた。
 喜びと、希望が少しと――悲しみと、やり切れない気持ちを含んだ、力不足な自分への嫌悪の涙だった。
「執事……ありがとう。でも。でも、皆が。……いいえ、コーディが。あのコーディが、私の側を去ったのよ。それに、もう私には、私が偽りの心を持たない者なのか、果たして気高いのかすらも……分からないわ」
 昨夜、裏口にあったモニクの遺体は、コーディによってであろう、持ち去られていた。今朝の屋敷内に彼がいないことは、確かめずとも分かる。ルイサが原因で母親が殺されたのだ、さすがにルイサと平然と顔が合わせられる訳がないだろう。
 そう思うルイサはミルクティーを眺めながら、涙を止める意図も兼ねて、深く溜め息を吐いた。
 だが、そんな彼女を叱咤するかの様に、
「いいえ」
 と執事は、強く切り出した。
「え?」
「コーディ=メイスンは、ルイサ様を見捨てることなど決してありません。それを申し上げますから、ルイサ様、先ずは一口、それをお飲み下さいませ」
 そう言って彼は、ミルクティーを指し示す。ルイサはいぶかし気な顔を作った。コーディが彼女を見捨てた訳ではない理由がある、と言うことか?
「先ずは気を落ち着けろと言うこと?」
「左様でございます」
 執事の表情は至って真面目であり、彼女をいたわる雰囲気は漂っているものの、その目は、これから大事なことを告げようとしていた。
 ルイサは言われた通りに、熱いミルクティーを1口含み、ゆっくりと飲み込み、その暖かさが胸に広がるのを感じてから――再度、執事を見た。彼が小さく頷いた。
「今朝早くに使者が――ルイサ様のお休みであられた為、伝言を言付かりました。王都にて、本日夕方、コーディ=メイスンの公開処刑を行なう、と」






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