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 亡き母と同じ金髪を持ち、年々、母と同じ顔立ちになって行く事が、余計に父を苛立たせているのではないだろうか。
 そんなルイサの勘ぐりが、彼女自身を縛っていた。コーディは彼女を自由だと言ったが、この世界に“井の中の蛙”と言う例えが存在するのなら、ルイサは声を大にして自分の事をそう呼んだに違いない。篭の中の小鳥でも構わない。飛んでいても、満足していても、実は四方に網が張り巡らされ、その中にしか居られないのだ。
 ルイサはその事に気付いていたが、敢えて逃れようとはしなかった。そうする事がどんなに無駄で、愚かで、父を悲しませる事かを、彼女は充分理解しているのである。
「おや、早いねぇ」
 朝食の支度をする大柄な女が、湯気の中からルイサに笑い掛けた。
「お早う、モニク」
「はい、お早う」
 台所に立ち込めるスープの香りに目を閉じてから、ルイサは彼女に近付いた。
「モニク、悪いけどもう少し香草を強くして」
「薬の様になるよ」
「その方が良い人が、もうすぐ目を覚ますから」
 そう言ってルイサが笑い、すぐにモニクもそれが父ネイアスを指している事に気付き、頷くのだった。
「ルイサは? 朝食は?」
「ちょっと遠出がしたいの。休日だし」
「なら、パンがもうすぐ出来るわ。卵も焼くから、少しお待ちよ。どうせレストランもない森の中でしょう」
 木の実があるわよ、と言いかけて、止めた。ルイサはどの木に実が実るのかさえ、さほど知り得ていない。パンの作り方すら最近になってようやく知った程度である。こと食物について、モニクに口答えする事は、良策ではない。彼女とは、ルイサが生まれた時からの付き合いなのだ。
「ありがとう、モニク」
 まるきり母親が娘を見る調子で、モニクは笑った。
 屋敷内の家来で彼女だけが唯一ルイサを呼び捨てにしていた。まるで、それが当然と言う様にモニクがそう呼ぶので、わだかまりがなくて、ルイサはその方が好きだった。下手に来客などの時、改まって“様”を付けられる方が、空々しくさえ感じるのだ。
 そんなモニクが彼女を育てたからこそ、ルイサが今のルイサになったのだ、とも言える。
 ルイサは、彼女の実の息子であるコーディにも、モニク位の感情表現をして欲しいものだ、と常々思うのだった。
「あ、そうだ」
 コーディの事を思い出して、ふいにルイサはポンと手を打った。支度に入りかけたモニクが、振り返った。
「モニク、今日の遠出はね、1人で行きたいの。コーディには内緒よ。昼過ぎには戻るから」
「またそう言う我が儘を」
「コーディにも休日が要るわ」
 モニクは肩を竦めた。あの子はルイサといたいのよ、と目で訴えてみたが、ルイサには通じない。男女の何たるかも、ルイサには煩わしい事柄なのだ、と理解出来るが故に、モニクは何も言わなかった。

      ◇

 結果、ルイサはその日の昼食を、森の中の、池のほとりで1人で味わう事が出来たのだった。
 それに彼女も、単に1人になりたい為の我が儘で言った訳でなく、本心からコーディにも体を休める時間を与えてやりたい、と思ったのである。モニクが聞けば2度溜め息を吐く所だろうが、ルイサはささやかな気配りをしたつもりだった。
「私だって、何のギャラリーもない所で歌ってみたい訳よ」
 誰に言い訳するでもないが、呟いて、ルイサはモニクが持たせてくれたパンの最後の一切れを口の中に放り込むと立ち上がった。池の水に口を浸けていた彼女の馬も、一緒に首を上げた。
「あ、お前がいたっけね」
 ルイサは馬に笑い掛けた。
 この世界の馬(ゴーナと呼ばれているが)は、若干小柄で、全体が長い毛で覆われている。笑い掛けても、彼が笑い返しているものかは、不明であった。
 ルイサは気を取り直して、胸を張り、空を仰いだ。
 声を出してみた。
 木々に響き渡り、よく通った。その声に反応して、ゴーナも耳をピクンと立てた。ルイサはそれを見て、満足気に笑った。
 ルイサは、歌った。
 神々の歌を。
 ルイサの守護神である、美と優しさのマラナ神。真実を司るクーナ神や、死の神ダナの歌など。
 ルイサは両手をいっぱいに伸ばし体を開放して、森中に聞かせるかの様に歌声を響かせた。篭から飛び出した小鳥が大空を羽ばたく事にも似て、ルイサは世界を抱きしめんとでもする様に微笑みながら、歌うのだった。
 しかし。
 何人目かの神の歌の途中、ふと。
 ルイサは、口を閉じたのだった。
 その目に警戒の色が浮かぶ。
 ルイサは溜息を吐いた。
「そこにいる者」
 静かに、しかし強い口調で呼び掛ける。ルイサは腰に手を当て、その方向を睨んだ。しかし、ガサガサと藪を越えて姿を現した者を見て、彼女は若干顔色を変えた。が、それでも腰に当てた手は外さない。
「これは失敬した。もう少し、美しい歌声を味わっていたかったのだがね」
 そう言ってニッと笑う、騎士セタク=ジュアンの口元を見てゾッとした。こんな者に味わわれたら、堪らない。
 既に30も半ばにして嫁も取っていない彼は、ルイサを狙っていた。
 親が侯爵の為、ゆくゆくはその位も自分のものになるし、彼には剣技も馬術も、統率力すら備わっている。そんな自分になびかない者がいようか、とセタクは思っているのだった。その性格をこそ、ルイサは許せないでいるのだが、それすらも結婚に伴う富がルイサを懐柔するものと信じているらしい。
 そんなセタクに、ルイサは能面を保って返事した。
「恐れ入ります。ですが私は歌をなりわいとしている訳でもなく、まして貴方にお聴かせする程長けてもおりません故」
「その姿が売り物であったかね」
 ルイサは、奥歯を噛み締めた。
「我がエヴェン家を愚弄なされますか」
 金切声になりそうな自分を抑えて、それだけをやっと、ルイサは言葉に絞り出した。だがそんな彼女の静かな怒りの声も、セタクには子供の癇癪にしか聞こえて来ない事が、若い今の彼女には、未だ察し切れていなかった。
 セタク=ジュアンは余裕の笑みでルイサを見下ろし、ゆっくりと顎を撫でた。それは彼女を値踏みでもしている様な動きだった。
「いやいや」
 セタクは、困った様に首を振る。
「私は貴女の為を思って言っているのだがね。一介の騎士団長であるよりは、侯爵夫人としての人生を歩まれた方が幸せと、貴女のお父様も思われていらっしゃる筈。それが親心でしょう」
「確かにセタク殿は才覚もあり、エヴェン家の数倍の土地と数段高い位をお持ちですが、」
 だがエヴェンの名を残せ、とネイアスがルイサに命じるとは、到底考えられなかった。ルイサはふと、その事に気付いて黙り込んだ。
 ネイアスは、ルイサが自由に生きる事を重んじ、最も幸福になれるべき道を探っている。ならば、侯爵夫人の肩書きの方が、屋敷から見えているだけの土地と小さい港町を細々と統治するより、幸福の筈である。
 ふと止まったルイサの表情に満足したセタクは、彼女にすっと近付き、その懸念する顔に手を添えた。
 ルイサが、ギクリとして後じさる。
 セタクは、ニッと笑った。
「エヴェン家の大事なお嬢さんだ。貴女の17歳の誕生日に、正式に申し込みに参りますよ」
 逃げる間もなく掴まれた手の甲にキスをされたルイサは、身を固くした。人気のない森の中、二人きりである。それなりに覚悟したルイサを、しかし、セタクはそれ以上何もせずに手放して、彼女を気抜けさせたのだった。
 正式な申し込みなども来て欲しくないが、今、本当に馬を引いて去って行くセタクの後ろ姿に、かえってルイサは気味悪いものを感じていた。
 一瞬、実は案外と紳士なのだろうか、とも思った。
 だがそこで、ルイサは、確かに感じたのだった。
 第3者の存在を。
 その者が持つ、殺気を。
 それは、ルイサに向けられたものではないと、すぐ彼女には分かった。何故なら、セタクが去ると同時にすぐに消えてしまった気配だったからだ。
 確信を持てはしなかったが、ルイサの目には、第3者が男に見えた。その者が放った殺気に気付いたセタクが、ルイサにそれ以上近付けぬと判断し、離れた――そう見て、間違いはなさそうだった。
「……コーディ?」
 口に手を当てたルイサの、小さな呟きも聞く者はもう誰もいない。





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