3.


 マシャは黒い甲板に立ち、水平線があるだろう闇の彼方を見つめていた。薄暗い雲が淡い光を含んで、空を覆っている。降るか晴れるか、と甲板上で誰かが呟くのを聞きながら、マシャは目を凝らす。
 湿気を帯びた風が、まとわりつく。潮が動いている。夜明けが近い。肌寒い。
 この風に長くさらされていると、濡れて風邪をひく。だが戦いを待ち受けて高揚した体は熱くほてって、湯気まで立ちのぼらせている。
 マシャはバンダナをしばりなおし、皮のベストのボタンを全部しめた。風を受ける耳が冷たいが、かえって心地よかった。
 冬が残っている。
 後ろから息を吸う声と、身を縮こまらせているような音が聞こえた。マスト上の見張りはきっと、もっと寒い。船を島の影に寄せて風を遮っているとはいえ、防ぎきれていないのだ。
 振り向いて「皆に酒を」と言いかけた時だった。
「敵襲!」
 マスト上から、声が降ってきた。
「え?」
 慌てて前方に目を凝らすと、光が生まれていた。輝く一点の光が見る間に広がり、水平線であるかのように、点々と伸びていく。だが夜明けではない。
「出航! 作戦部隊を回収する。次いで迎撃用意!」
 2戦目が始まった。
 光の線は、ちろちろと揺れて赤や黄色に変化する。小さく細く見えるが、遠目で見えるほどなのだから炎の度合いは相当に大きいはずだ。小舟に重油を入れて、燃やしたのだから。
 やがて、ひときわ大きな光が生まれた。が、それも太陽ではない。
「敵船炎上! 一隻やったぞ」
 見張りが叫び、皆が沸いた。作戦が見事に、功を成したのだ。
 夜の間に沖へ張り巡らせておいた、光の正体。樽を縄でつないだものだ。樽にも重油を仕込み、数台の小舟で一直線に張っておいたのである。敵が接触する直前を見計らって火が放たれたのだった。
 数人の手で済んだ戦術だが、実行者は自分たちの着けた火から逃れ、かつ泳いで帰ってこなければならないのだ。脱出用の小舟を背後に引き連れての作戦だったが、ちゃんと脱出できたかどうかは怪しい。
 ――黒い海の上を、敵船という巨大な化け物が迫ってくる。対する自分の小舟は一飲みにされるほど小さく、しかも油まみれだ。接触するギリギリまで戦艦を待ち受ける恐怖は、想像しきれない。頭上まで迫る敵の舳先。まだ沖だ、敵の速度はかなりある。着火を読み間違えれば、早すぎるか遅すぎるかの大差となる。きっと音も波も大きかったことだろう。冷静に判断して着火して敵船を炎上させるなど、発案者自体が期待していなかったに違いない。
 迫る舳先に、小舟がぶつかる、その瞬間。
 着火して構えていた火種を小舟の中に落として、すかさず脱出する手腕。
 手には、脱出用の舟のロープが握られている。火がつたって来ないように切り離し、ロープを手繰りながら泳いで火の小舟を離れて、脱出用に乗り込む。
 どんどんと大きくなっていく火は、縄をつたって次の樽へと燃え移る。ドカンと破裂もしただろうか。樽は見る間に火だるまと化し、次の樽へと火をつなぐ。簡単に燃え落ちるような縄は使っていない。火の境界線ができあがりネロウェン軍を足止めし、あわよくばネロウェンの船にも引火して燃やしてしまうのである。
 ――成功するとは思えなかった作戦であった。
「頼むよ……カヴァク」
 マシャは作戦遂行に出向いた仲間の名を呟いて、祈るように水上を見て回った。どんなに凝視しても、黒く波打つ水面いは何も見つけられない。まだまだ先にいるのだろうし、"ピニッツ"が彼を回収するとは限らないのだ。むしろ他の、同じように出動しているロマラール軍が拾ってくれる確率のほうが高い。
 だが問題がある。
 彼はネロウェン人なのだ。
 ネロウェン人のカヴァクーダ・ノウツァが作戦部隊に志願した時、当然のように驚愕と反対が起こった。彼は"ピニッツ"になって2年すぎたが、どこか達観しているし正論を吐くので、彼を煙たがる船員もいるのだ。それにネロウェン人だ、裏切るかも知れない。元々は盗賊だったし。と、心ない言葉が上がった。
 罵倒を受けてもカヴァクは顔色ひとつ変えず、堂々と言い放った。
『俺はナザリに拾われ、マシャに救われた。"ピニッツ"を守るのが一生の仕事だと決めたんだ』
 水色の瞳が強く、マシャを射抜く。私は救ってなんか……と、ごにょごにょ言いつつ、なんとなく目をそらしたものだった。
 もし失敗したら"ピニッツ"の信用が失墜するばかりでなく、ロマラール国の命運に関わる。しかし『ロマラールを守る』でなく『"ピニッツ"を守る』という言葉に皆が納得し、和解し、送り出すに至った。
 そんな彼が、やってのけたのだ。生きて、帰還して欲しい。
 一度目の秋は、小賢しい真似をしなくとも勝てた。ネロウェン軍みずからが諸島沿いを進軍してくれたため、諸島に設置しておいた投石機が、大いに活躍したのだ。重油入りの壺を投げずとも、石だけで一隻沈められた。もう一隻には壺も火矢も使ったが、2隻目も打撃された彼らは、ほうほうの体で退散した。残った3隻のうち一隻も、沖で沈んだと報告を受けている。
 だが彼らの帰る港は現在、ネロウェン国でなくヤリフナ国にある。しかもロマラール近くの島に駐在しているのだ。立て直しも早い。
 ヤフリナ王家も、ヤフリナ本土を荒らされずに済むネロウェン軍の戦略に同意した。元より同意する他なかったのだとヤフリナは言い張るが、もし、もっとロマラール国を擁護してくれていたなら、ロマラール対ネロウェンは避けられたかも知れない。裏でヤフリナと協力して、離島のネロウェン軍に奇襲をかける、という計画だってあった。だが不実行に終わったのは、ヤフリナが裏切ったからだ。
 それでもヤフリナの民だけは、“キエーラ・カネン”だけは重油を密輸してくれた。例え『お前たちの戦争は、お前たちの国でやってくれ』という意味だとしても、得たものは大きかった。同等以上の恩を売ってやったのだから、重油を得るぐらいは当然の権利だが。殺されたくないのは、誰だって同じだ。
「ちっ」
 思考が黒くよどむのを、頭を振って払った。人の身になれないのは、余裕がない証拠だ。痛いほど冷たい風を思い切り吸って、一気に吐く。目覚めのように伸びをして背筋を伸ばし、マシャは叫んだ。
「カヴァクは!?」
 こんな調子では、彼を見落としてしまう。
 幸か不幸か、甲板の数人から「まだです」と返事があった。
 別の声が上がった。
「夜明けだ」
 水平線にともった光は、今度こそ太陽だ。すうっと広がって輝きを増す中に、炎も敵船も影になって呑まれた。波が陰る中に、丸い影も見えた。
「いた! ロマラール兵だ!」
 カヴァクではなかった。だが皆が歓声を上げて彼を回収した。作戦部隊は、一人残らず英雄だ。
 男が3槽目だったと聞いて、マシャは安堵した。カヴァクは4番目だった。そう遠くない。
 だが夜明けの潮は早い。かなり流されているだろうし、泳ぐ方向や体力によっては、船に回収されずに力尽きる恐れがある。そもそも炎上から脱出できたかどうかも怪しい。男には、カヴァクを見る余裕などなかった。
「いや。カヴァクは無事さ」
 マシャは奮い立ち、ロマラール兵を囲む皆を即して持ち場に戻らせた。ロマラール兵に毛布と酒を与え、部下に引率させて休ませる。彼の体は、凍えていた。
 去年……いや一昨年の話になってしまった。冬の最中に遭難者を回収したことがあった。クラーヴァ国の兵に混じって、なぜか王となっていた、赤毛の男。
 先ほどのロマラール兵は黒髪だったが、どこかクリフを思い出させた。
 戦になるとクリフを思い出す、というのは、きっと本人には不本意だろうが。
 思い出し笑いに顔がほころんでしまったのを引き締めて、マシャは前方を睨んだ。
 火の境界線が近い。炎上した敵船のことも、よく見えた。甲板から、人がぼろぼろと落ちている。断末魔の叫びが聞こえるようだった。我が国の、しかもナザリ考案の戦術ながら……えげつない。が、ずるい小細工でもしなければ勝てない相手なのだ。
 沖に並ぶ敵船は大小合わせて、10隻見えた。背後にも大量に迫っているはずだが、戦艦として戦える船は、これで全部のはずだ。あれに突破されたら、あとは後ろの、何万人という軍勢が地上を制覇しにやって来る。
 軍勢を押し返すべきロマラールの船は、なのに、5隻しかない。"ピニッツ"を加えて6隻だが、黒船は元々貿易船である。充分な戦力ではない。
 なのに、なぜ前線に出ているか。
 "ピニッツ"の効果が、戦闘能力以外にあるからだ。
「迎撃! 引きつけて投げろ、弾を無駄にするな!」
 マシャの声にあわせて、船が動いた。舵柄を握るギムが、おおとマシャに呼応する。両手で重い棒を振って、船を止める。火の境界線に沿って横付けた黒船が、側壁から花火を上げた。のぼっていくのを見つけて、全員の顔が上がる。光は、薄暗い中空を照らして、弾けて消えた。
 朝の輝きともあいまって明るさが増し、船だけでなく内海全体に活気が沸いた。黒船の花火を合図に、5隻すべてが沖に並び、攻撃を始めた。一冬を待たされて落ちた士気が、太陽と共に上向いた。
 秋の初戦から、およそ2ヶ月である。100日以上も停滞して何も戦況を動かせなかったとなれば、嫌でもたるむ。偵察隊やゲリラ戦といった小競り合いは何度かあったが、大多数の兵は待ちぼうけだ。
 腑抜けさせているわけにも行かないので、兵らは冬の間も居留地から田畑まで、さまざまな場所で働いた。おかげでサプサ周辺は潤い、戦の準備も万全となった。できることは、やった。
 満を持しての戦いであった。
 船首に立つマシャが胸を張って、旗を掲げた。真っ赤な生地にグールが吼えている絵は、国王ハイアナ5世の紋章だ。戦いの神イアナの赤が、黒い船によく映えている。加えて、旗を掲げているのが少女である。女神の降臨を見たかのように、男らが吼える。分かりやすければ分かりやすいほど、効果は絶大だ。
 "ピニッツ"もまた見事に、役割を果たした。
 一斉に宙を舞った石や壺が、火の線を越えてネロウェン船に突き刺さる。敵船からも石などが飛んできたが、彼らの船は炎のせいで体勢を崩して右往左往しているので、なかなか当たらない。ロマラール側からは、とうとう矢が届く距離となり、火矢が放たれた。
 2隻目が炎上した。
 炎に巻き込まれた兵が、絶叫している。敵船の甲板を走る炎の軍勢が、遠目にも分かった。逃げまどう男たちが、わらわらと海に飛び込む。逃げるな戦えと皆を引き止めている上官らしき者まで見える。笑う気には、なれなかった。だが笑う者、喜ぶロマラール兵がいる。敵を倒したのだ。喜ぶべきところなのだ。
 あそこに立つネロウェン人を、マシャは知っている。
 ポツリと「慣れないな」と苦い顔をした。
「勝てるぞ、もっと投げろ! 追え!」
 味方の軍艦から、雄叫びが聞こえた。調子づいた船が列を乱し、境界線の外に回りこんで、敵を追いかけだした。2隻やっても、ネロウェンには残り8隻もある。近づいていい相手ではない。
「やめな、海に落ちた者を生け捕るんだよ。追うなっ」
 叫ぶマシャを、無視なのか聞こえないのか。軍船が外海に出て、ネロウェン軍に迫った。
 迫る光景に対して、マシャの背筋が泡だって凍った。マシャは「やめろってば!」と顔を歪めて訴えたが、届かなかった。爪先から脳天に突き抜けた寒気と嫌な予感は、すぐに的中した。
 ドォン! ……と。
 音と光が、身体中を貫いた。
 熱をはらんだ大風と、揺れる海に倒されて転ぶ。慌てて起き上がり、縁に捕まりながらロマラール船を見る。
 打たれる瞬間、ロマラール兵の呆けた顔が見えた気がした。何が起こったのかも分からないまま死んだに違いない。一瞬にして地獄となった味方の船に、誰もがうめきを漏らした。
 吹き飛んだ肉塊が雨のように、砕けた木片と一緒に舞い、降っている。火がつき、降り注ぎ、海上の油を燃やして船を包み込んでいた。船全体が一つの生き物として身をくねらせているようだ。踊り、泣き叫び、海へと引きずりこまれていく。
 沈没の渦巻きに人や荷物が呑まれていく。他の船は荒れる波から、ネロウェンの新兵器から逃げるのが精一杯だ。だが脅威は、ロマラールを捕らえて容赦をしない。
 ひゅん……と、いとも軽い音で投げられた弾だったのに、マストに当たった途端それは、重低音で爆発した。港に一番近い、ネロウェンからは遠い船。まさか自分たちが攻撃されるとは、と船員は思ったことだろう。マスト一本で、船の男たちが慌てふためいていた。
 ソラムレアの鉄。
 ヤフリナの重油。
 ネロウェンには、火をつけると爆発する砂が存在している。
 この砂を利用してナザリが作ったのが、花火である。ナザリにだけは、ネロウェン軍が何を開発したのか理解できていた。いつの間にか甲板に出て、ナザリはマシャの肩に手を乗せていた。マシャは、転んだ拍子に旗を海へ落とし、代わりに、自分の腕を抱きしめていた。震えが治まらないのだ。旗は水面で炎のように揺らめいていて、拾えない。
 ネロウェンの弾はロマラール以上の飛距離を持っている。下手をすれば海軍を超えて、サプサの町を直接狙えるのではなかろうか、とまで思える。
「さて、逃げるも許さんと見える」
 呟いたナザリの横顔には、笑みと冷汗が浮かんでいる。マシャも悟った。次の標的は"ピニッツ"だ。
 黒船が最前線であり、悪魔の弾を積んだ船と対峙しているのである。わざわざ2発目の狙いを黒船とせず遠くのロマラール船に向けたのは、威力を見せつけたかったからだ。
 その間にも"ピニッツ"は雄々しく反撃していた。重油の壺を投げ、火矢を放ち、相手に攻撃の余地を与えまいとする。ナザリが「面舵いっぱい!」と身をひるがえして船尾に向かうので、マシャもついて走りながら帆を指示した。
 とうとう3発目が牙をむいた。
「危ない、逃げ……っ!」
 警告を発した船員が、宙を舞う。爆風、爆音、叫喚。視界が揺れる。体が吹き飛ぶ。バラバラになったような痛みに包まれた。いや、痛いというより熱い。火に焼けているのかも知れない。
「しっかりしろ、大丈夫だ! お前は無事だ!」
 頬を叩かれて、目が開けられた。空と、ナザリの顔が見えた。
 倒れたマシャを、ナザリが抱きかかえている。目をしばたたかせて頭を振り、マシャは体を起こした。髪が目前に落ちてきた。髪の間から、火の手が見えた。
 皆が走り回っている。水を汲む者、弓矢をつがえる者、倒れて動かない者もいる。黒い甲板を舐める赤い液体。火は、右舷から出ている。当たったが、少しは回避できたのだ。
 船が傾いている。
「敵船に突進する! 皆、今のうちに船から下りろ、避難するんだっ」
 マシャの側で、槽舵手が叫んだ。ギムだ。見上げると、彼の頭から血が出ていた。腕にも木切れが刺さっている。地に伏したマシャらと違って、彼は舵を離さず立ったままでいたのだ。だからこそ船は多少なりとも回避できたのだ。
「馬鹿!」
 悲鳴を上げたが、聞き入れられなかった。元より、ギムの要望を拒絶する暇も理由もない。撤退できない船が沈むより他にできる最善の道は、それしかないのだ。頭の冷静な部分では、最適だと分かる。
 だが感情が、駄々をこねた。
「嫌だよ、死ぬ気かよ、船だって壊れるじゃないか!」
「死にゃしねぇよ」
 ギムは豪快に笑った。酒場で皆と飲んで騒いだ時と同じ笑い方だ。
「壊しはするがな。許せ」
 戦火の轟音を越えて、贖罪の声が優しく響いた。マシャを立たせながら、ナザリが応えた。
「また造るさ」
 マシャの背中を支えたまま、ナザリは兄の顔で妹をいたわった。
「そして、またお前に黒く塗ってもらうよ」
 再出発の黒を。
 マシャが塗った、"ピニッツ"を変えた黒を。
 次もお前が作れ、と。"ピニッツ"は不滅だと、ナザリの目が物語っている。
 ――小さな頃。
 孤児のマシャが娼館を逃げだして"ピニッツ"に出会った時、船は普通に茶色かった。海兵団になる前のことで、ナザリの父親が船長を務める貿易船だった。だが密輸や強奪もする、本当の海賊だったのだ。ルイサに出会って、更生した。
 父親が亡くなったからというのも大きいが、マシャが黒い塗料を船にぶちまけたことが、転機になったのだ。夜目を盗んで走れる船を、と耳にしたマシャが、子供なりの知恵でやらかした無茶だった。
 お前の大胆さを"ピニッツ"の信念とするために黒く塗ったと後日、ナザリはマシャに話している。今の俺は、"ピニッツ"は、お前によって築かれたのだ、と。
 マシャにとってはもちろん、ナザリにとっても愛着のある、壊したくない船なのだ。
 だが破壊は即決された。
 だが、ではなく、だからこそ、だ。
 信念を重んじるからこそ。
「ギム、横付けにしろ! 敵船に乗りこむぞ」
 戦闘意欲に溢れる笑顔で、ナザリが剣を抜いた。甲板の船員が拳を振り上げて叫んだ。
 小さな船でぶつかっても、大破には至らない。だったら接近戦に持ち込めれば足止めになり、他の船を港に帰すことができる。もっともナザリ以外の"ピニッツ"は、そこまで考えていないだろうが。尻尾を巻いて逃げるより船を無駄死にさせるより、わずかでも噛みついてやりたいだけだ。
「ギム、あの船だぞ。真正面から突っこんで、左舷に食らいつけ」
「おうよ」
 魔の弾が投げられている船は、一隻しかない。戦力を温存しているのか他の船には搭載されていないのか分からないが、とても慎重に投げられている空気は読める。一撃で仕留められなかった小さな黒船におののいて、次の弾が遅れているようだ。迷ってなど、いられない。
「ったく」
 ギムは、自分の船長と副船長が揺るぎない目をしているのを見て、肩を竦めた。他の者とて、避難する気配などない。折れかけている柁軸を、腕を添えるように抱きしめて、ギムは口角を上げた。
「馬鹿ばっかりだぜ、この船は」
 だから好きだ。
 呟いたのは誰だったか。
 皆が、雄叫びを上げていた。
 すべての帆が、いっぱいに広げられた。
 戦場にあるまじき歓喜が、海に満ちた。



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