5.


「イアナ」
 オルセイが戦いながら、クリフに言った。
「お前がいつも私の邪魔をする」と。
 クリフには、それが何のことだか分からない。だが分かる気がした。剣を持つ手が熱く、その熱が心に浸みて──イアナ神の怒りと哀しみが感じられるように思えたのだ。
 クリフは叫んだ。
 イアナの剣が輝いた。
 その光が、ダナに打ちこんだ瞬間に四散し、また発光する。
 オルセイも叫ぶ。
 風が巻きおこる。
 その風が、剣を合わせるたびに止み、また起こる。
 精一杯の力を出しきって互角の2人は、もう、互いしか見ていなかった。
 オルセイが、クリフを。
 クリフが、オルセイを。
 イアナが、ダナを。
 ダナが、イアナを。
 それを見たエノアはふいに、クリフがイアナの剣を手にすることになったのも、これも運命だったのかと思った。クリフには間違いなく『力』がある。ダナが降臨しなければ、彼の力も目覚めることはなかっただろう。それとも力ある者だったから、ダナが引きずられてオルセイに降りたのか──。
 運命とは、神の所業だ。神とは、全能なるファザである。この星そのもの。ファザの石。汚れなき、石。
 これが運命だとするなら、勝機はある。
 人はダナと戦うべくして戦うのだから(・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 次の瞬間、その均衡が崩れた。
「!」
 魔力を放出し続けるエノアの力が、衰えたのだ。内臓が締め上げられ、エノアは膝を折った。勢力の増したオルセイがクリフに斬りかかる。
 だがその剣は途中で力を弱めた。
「エノア!」
 走りこんできたラウリーが霧の球を包むように手を広げ、エノアの声に合わせて呪文を紡いだのだ。それとは知らずにクリフは、オルセイの剣をはね返した。
 再びエノアが立ちあがり、ダナに手をかざす。呪文を切り替えて“浄化”を行わなければならなかったが、今のダナにはまだ隙がない。エノアは目を細めてクリフを見守った。
 丘の中腹で繰り広げられているそんな戦いを、皆も見守っていた。見守りつつ、作業をしていた。戦意を喪失したジェナルム人がまた暴れてはいけないので、一カ所に集めているのだ。色々な道具などを解体し、彼らを縛るロープを作りだしたりなどしている。気の遠くなるような作業だった。
 戦いに決着がついた時、この連中は元に戻るのだろうか? そんな思いを込めて、生き残ったネロウェン兵は激しい戦いを続ける2人を、見つめていた。
 赤い男と黒い男の対決。
 その2人を包みこむように、うっすらと緑がかった白い霧が巻いているのが、果たして何人の者に見えるだろうか。黒いマントの者と娘が手をかざすその空間には誰も踏みこめない、踏みこんではいけない空気ができていた。誰ともなく、すべての者が、そこが元凶なのだと感じていた。言葉でも音でもない、心を直接叩くかのような強い衝撃が、皆の胸に響いていた。
 その戦いの合間、ジェナルム人の捕縛や味方の救助作業などに指示を出して働く少年王の元に、兵が一人ひざまずいた。
「ディナティ王」
 丘の頂上に立って戦況を見つめていた少年王は、その表情のまま「何だ」と応えた。変わり果てたオルセイを見つめる、苦痛の表情。だがそこには羨望の目も入っていたかも知れない。激しく剣を重ねる2人の技量が、自分にはないものだと分かるがゆえに。
「西の騎馬隊側に、不思議な一党が参戦しておりました」
 ひざまずいた兵士は、西を攻めていた3番隊、ハゲ男ビスチェムの部下だ。ディナティ王が丘を見おろすと、確かに見たことのない奇妙な一団が、手際よく事後処理をしているのが見えた。
 ディナティ自らが、生き残ったゴーナを手綱を取って、その場に降りていった。兵の2人ほどが、そんなディナティを追いかける。
「あれか」
「そうです」
 荒野には、生きている者と死んでいる者の区別がつかないほどの人間が雑多に転がっていた。正気に戻ったネロウェン兵も多いが、それでもジェナルムの何千という人間を、数百しかいない兵がろくに段取りもないまま後始末をするのは、かなりの重労働だった。
 そんな中で、ネロウェン兵士の格好とは違ういでたちの男らが機敏に動くさまは目立っていた。
 しかもその男たちに指示を出しているのは、女性だ。
 その女性は、ある場所に座りこんでいる。──ある場所とは、蒼白になって横たわっているマシャの頭の下である。その側にはさらに、戦場に似合わない少女が座りこみ、マシャの腹に手を当てている。まぁ似合わないのは誰しもが同じだが。
「その者」
 ディナティはマシャの名を呼びたい衝動を抑えて、そこに座る女に声をかけた。女性は、金髪を一括りに束ねて風になびかせていた。彼女はゴーナから降りて立つディナティの様子を吟味すると、マシャを膝に乗せたまま、左胸に右拳を当てるロマラール国の敬礼をした。
「ロマラール人か?」
「このような格好で失礼を致します。……ネロウェン国王ディナティ陛下」
「何者だ」
「ロマラール国騎士団長ルイサ・エヴェンにございます」
「エヴェン?」
 ディナティは聞いたことのある名に、眉を寄せた。確かこの遠征の前に、目通りを願ってきたロマラールの使者がいると聞いていた。それがエヴェンと言わなかっただろうか。
 怪訝な顔をする少年王に、ルイサは周囲を見渡してから視線を戻した。
「左大将アナカディア・トゥブーセス様にお会いさせて頂きました。その際に王が大事と拝承し、急ぎ駆けつけた次第にございます」
 ルイサの口調は下手に出ていたが、戦いで疲れきっている彼を懐柔するには至らず、ディナティの顔は険しいままだった。
「ほう。戦争のまっただ中に、計ったように登場できるとは」
「計りました」
 だからルイサも余計な画策を止めて、あっけらかんと言った。ディナティが出鼻をくじかれ、愕然となる。マシャに意識があったなら、ニヤリと笑うぐらいのことはしただろう。だが今は顔に色がなく、目もうっすらと開いてはいるものの何も見えてはいない状態だ。ルイサはふと気づいて、彼女のまぶたに触れた。少女リンの魔法が効いているらしく、マシャは安らかに目を閉じた。細いが、ゆっくりとした落ちついた息が聞こえる。
 ディナティはそんなマシャの側にしゃがみたかったが、立って威厳を保ったままでそれを見おろした。ルイサがディナティを見あげた。
「陛下の軍に、見張りをつけておりました。今朝、突然に合戦が起こりましたので、私どもの到着が遅れました。陛下の動向を探るなどと姑息な真似をおこないましたこと、いかなるお咎めも受ける所存でございます」
 だが、これについてはディナティはむしろ助けられた側だ。そのため彼は「不問に処す」と言った。するとルイサもこれを予期していたらしく、安堵の表情を浮かべつつも余裕を持って一礼をしたのだった。ディナティはルイサの様子に、顔を引き締めた。気の抜けない才人である。
 だがその才人が、傷ついた少女を見おろす時にだけは表情が若干変わることに、ディナティは気づいた。マシャもロマラール人だ。
「見張りとは、その娘か?」
「違います」
 即答だった。
「何の関係もないと申すか?」
「左様でございます。激戦の中に見つけましたので哀れに思い、守りました」
 ルイサはそう言いながら、そっとマシャから膝枕を外した。自分の上着を脱ぎ、彼女の後頭部にあてがう。彼女の腹を押さえる少女からは汗が噴き出ていたが、その詠唱はまだ止まない。
「陛下の配下ですか?」
 ディナティは一瞬迷ったが、そうだと答えた。ルイサは微笑み、片膝をついて敬礼をした。
「果敢な勇姿でした。どうぞ、大切になされませ」
 ディナティは彼女の言葉に深く頷いた。
「ロマラール国に借りができたな」
「微力でございます。一個兵団も用意できませんでした。……ですが次なる擾乱(じょうらん)の折りには、つつしんでご助力を賜りたく存じます」
「あい分かった」
 ディナティは内心で苦笑した。このような佳人に助けを求められる事態など、一体何が起こるものやら。
 その時、マシャに張りついていた少女が立ちあがり、その場を離れた。
「待て! ま、待ってくれ。こっちの男、トニマンも……」
 声を上げたのは、縛られてうなだれていた長髪の男、サキエドだった。お下げの少女はサキエドを一瞥したが、
「彼の命は尽きています」
 感情の見えない声のままそう言うと、皆を残して、未だ続く戦いの場へ足を進めたのだった。
 ディナティは自軍の隊長サキエドの姿を認め、その近くに、他の者らと共に転がる死体──ネロウェン兵、トニマンを見つけた。直前まで生きていたことすら疑わしいような悲惨な状態で、彼は死んでいた。ディナティは近づき、自分のマントで哀れな死体を覆った。他にも荒野には沢山の仲間が横たわっているので、本来なら彼一人に情けをかけるべきではない。だが、あまりにもあまりに傷ついた彼の姿は、マントをかけてやらずにはいられない死だった。
 ディナティは、一人の人間として悲傷した。

          ◇

 魔力が放出される。その場のみならず、山や草原、森、砂漠までもを包みこみ、すべての人の胸を『何か』が騒がせた。それが何なのかは分からなくとも、何かであることは分からせた。
 人という人、生き物という生き物すべてが最期にたどり着く、抗えない存在。
 それゆえに、人はダナに恐怖する。
 恐怖するからこそ、勝たねばと思うのだ。
 恐怖する心を感じて、生を望むのだ。
 ラウリーは言葉を唱えながら、エノアが作るその空間に一歩踏みこんだが、弾かれてしまった。まだ駄目だ。ラウリーが魔法に加わったことで霧のドームが一層色濃くなっていたが、まだクリフもオルセイも、そのことに気づいていない。



 2人の戦いはまるで、このまま一生続くのではないかと思われるほどに、いつまでも激しかった。速く、強く、互いの力すべてをむさぼるかのように剣を振るう。強大な神の力をもって。その力を充分に扱いきれてないのは2人ともが同じで、そしてちょうど互角だった。そのことに苛立つかのように、2人の剣は決して止まなかった。
「目を覚ませ!」
 涙を振りきって、クリフが吼える。胸が熱い。イアナ神の意志が、自分を突き動かす。
 憎しみが、怒りが続く。
 決して和解のない感情が、2人を支配している。
「ラウリーさん」
 それを見るラウリーの後ろに、リンが来た。
「行きます」
 ラウリーを追い越して、リンはクリフらを挟んだエノアの向かい側に移動した。
「リン」
 すれ違う時、ラウリーは呪文を止めた。
「ありがとう」
“力”を使った彼女は顔色も悪くラウリーを見つめたが、無言のまま駆けた。リンの表情がほんの少し悲しく見えたのは、ラウリーの希望だろうか。救いきれない多くの者が周囲にいる中で、ラウリーは彼女の後ろ姿を見送ってから呪文を切り替えた。
「ラウリー」
 オーラの中に一歩踏みだす彼女に、エノアが声をかけた。ふり向いたラウリーは意を決していて、この上なく穏やかに微笑んだ。リンが加わったことで色を強くしたオーラに、ラウリーは受けいれられた。前後に立ったリンとエノアに守られながら、ラウリーが一歩一歩、ダナに近づく。
 エノアが目を閉じ、ラウリーは、顔を上げた。
 かつて憶えた、奇妙な一文。
 古い、古い昔、神々が使っていた言葉。今は魔力を発する言葉として魔道士らに用いられている、その言葉。
 初めてエノアに会って、眠っている兄──ダナに向けてその言葉を言った時には、まだラウリーはその意味を知らなかった。長い歌詞のような呪文はどれも、たった一つの意味しか伝えていなかった。
 ラウリーは手を合わせた。
 私はあなたを、愛しています。
 合わせた手の指を交差させ、両手をぎゅっと握りしめる。
 オルセイが、ガクンと体を揺らした。剣が止まった。
「?!」
 クリフも手を止めた。その時になってクリフもようやく、周囲に起こっている状況に気が付いた。
 緑の霧が自分たちを包みこんでいる。その中にいて、こちらに向けてラウリーが手を組んでいる。悲しそうな、それでいて微笑んでいるような、慈しむ表情をしている。そこには憎しみも怒りもない。ただ一途に、オルセイに向けて心を砕いている顔だった。
 クリフはラウリーを見て固まった。
 オルセイもラウリーを見て、そして固まった。
 ラウリーがオルセイの中に入りこむかのような、オルセイがラウリーの中を覗くかのような、そんな感覚がオルセイの中に湧きあがった。
 いや──ダナの中に。
 ダナの中に、直接働きかけてくる力がある。
 それは「こっちへ来い」と言っていた。
 オルセイという器を出て、娘の、ラウリーの中に入ってこいという誘いだった。
 クリフもそれを感じた。同じ輪の中にいて、イアナ神の力で魔力を増幅させているためだ。泣きたくなるほど優しいラウリーの心を、クリフも感じていた。
 そして知った。
 ラウリーの心を。
 ダナの心を。
 イアナの心を。
 戦いの神イアナ。彼は何と戦っていたというのか。
 死の神ダナ。彼は何の死を望んだというのか。
 ラウリーは2人に微笑んだ。もう戦わなくて良いのだと。あなたたちの戦いは、とうに終わっているのだと。
 私の中に。
 ラウリーが、ダナを見る。
 私の中で、眠りなさい。
「私があなたを、救います」
 ラウリーは唱え続ける。
 人を殺さなくて良いのだと。
 神を殺さなくて良いのだと。
 ダナは──。
 死の神は、死を望む神。
 それを望んだのは、それを作った神だ。全能の神が、死を望んだ。だが、それを阻んだのも神だったのだ。戦いの神が死を拒み、愛の神が愛をもって死んでみせた。真実の神は、いつまでも生と死の狭間を交差する。人が生きているというのは、幸運に過ぎない。豊かなファザの地に生まれ、死と戦いながら生きているに過ぎない。
 最期にダナに捕まり、そして安息が訪れる──。


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