継続 5.


 その少し前。ガルダンとトマジは、書類の束に埋もれていた。
 トマジがまず顔見知りとしてすんなりルガイヤ邸に入り、ガルダンは、庭の窓からトマジに手引きされ、侵入したのだった。
 しかし本来なら、屋敷に出入り自由で部屋の場所もよく知っているトマジが1人で行う仕事のはずだった。その為にトマジを仲間に引き込んだと言っても良い。
 なのに証拠になりそうな物を探せと具体的に言った途端、思いがけない展開になってしまったのだ。
「俺、字が分からねぇんだ」
 愕然とした。
 確かにバルドナットの文盲率は低くない。しかしトマジまでが文字を知らなかったとは。
 ならお前に頼みはしなかったのに、とまで思ったが、屋敷の内部に明るい者がいてくれないと、やはり困る。だから計画は直前にして急きょ変更になり、外で見張り役をするはずだったガルダンも中に侵入し、本来物を探す役だったトマジが部屋の中から外の様子をうかがうという奇妙な見張り役になったのだった。
 かくてガルダンは、ルガイヤの書斎の隅で手紙がないかどうかを調べている。
 当然ただの手紙ではない。大司教や司教らの名が入ったものを探しているのだった。彼らがやり取りした密書があれば、それがもっとも重要な手がかりとなる。逆に言えば、それくらいしか有力な証拠に出来るものはない。
 字が分からないとは言っても、トマジはトマジなりに部屋の外に気を使いつつ、ガルダンの調べた本や書類の束などを整理して、探しやすいように働いてくれていた。
 しかし時間は無情に過ぎて行く。
 ガルダン1人でボーンの書斎と同じような、本が落ちて来そうなほど膨大な量を見ようとすれば、日が落ちるのも無理はない話だった。その圧倒されるほどの本の山に、ガルダンはふと、本当にボーン様とルガイヤは似ているのだな、などと思ったものだったが、3時間もたつと、もうそんな余裕はなかった。
 屋敷内の者は、ガルダンたちが書斎にいると思っていない。ガルダンが侵入した後に一旦トマジが何食わぬ顔で屋敷を出て、ガルダンが侵入したと同じ窓から忍び込んだからだ。簡単な引っかけだが、見つかりさえしなければ効果はてきめんである。用心の為に取った小細工だったが、まさか何時間もかかるとは思っていなかったので、そうしておいて良かった、などと内心ガルダンは思うのだった。
 そもそも主人不在の書斎に入室者のあることを、ルガイヤはとても嫌った、とトマジは語った。だから屋敷の者が入って来る心配はなく、そういう点では危険なく調べ物が出来たが、日の落ちてくると今度は明かりが灯せない。
 いよいよ手元が見づらくなった頃、トマジがささやき声で弱音を吐いた。
「今日はもう駄目だ。ガルダン、撤収しよう」
「駄目だ。書斎をこれだけ荒らしたんだ、もう次は来られない。何としても今、探し出さないと」
「本当にあるのか? そんな大事な物、燃やして証拠隠滅してるんじゃないか?」
「燃やしなんかしないさ。こいつが出て来たんだからな」
 さきほど探し当てた別の手紙を見せて、ガルダンはトマジを説き伏せた。
 それは、決定的な証拠ではなかったが、1つの手がかりには違いない手紙だった。さして重要でもないとルガイヤも思ったのだろう、比較的簡単なところから発見した物だった。
 ガルダンの実の父親、セオ家の印の入った手紙だった。
 何の関係があるんだろう? と最初は思った。しかし内容を見て、ガルダンはなぜ今になってサーリャが自分の前に現れることが出来たのかを理解したのだった。
 本来の宛先は、司教への物だった。サーリャという娘を返してくれという内容だった。ある騎士が奴隷を欲しがっている。売れれば報酬は半々に出来る、と言った物。多分この「騎士」から調べが進み、今回のサーリャを使った計画が出来上がったのだろうと思われた。ガルダンがサーリャに出会えたのは、実の父に会いに行ってその話をした後だ。ルガイヤの接触も、あの後だった。
 その手紙を見つけた時はさすがに言葉もなかったが、不思議と、すぐにどうでも良いと思えた。この手紙の後、彼らがどんな扱いになったのかは知らないが、気持ちとしては他人のすることとして、哀れみも憎悪も沸いて来なかった。
 あるとすれば「感謝」か。
 取り敢えず今は、この手紙のおかげで探す気力が沸いたのだ。必ず出る、と希望が持てたのである。何でも良い。手紙がなければ、司教の指輪だろうが大司教の紋章だろうが、とにかく実質的な形があれば。
 そんな手紙も捨てずに保管しているのだ、大司教らと密約を交わしたなら、その文書を捨てるはずがない。
 ガルダンは窓から外を見上げた。ほわりとした月が厚い雲の向こうから、弱々しく光っていた。
 予測が正しければ、かなり大きな密談なのである。口約束だけでどうにかなるとは、思えない。
 その時。
 ガルダンは、ふと思いついた。
「寝室だ」
「え?」
「寝室。寝室にも、クローゼットとか何とかあるだろう」
「そうか!」
 これはサーリャの癖だったのだが、彼女は大事なものを自分の枕元に置いて眠っていたのだ。枕元とは言わないにしても、重要なものなら自分の一番プライベートな部屋で管理されていても不思議はない。
 寝室は書斎のすぐ隣である。廊下に出ずとも移動出来る。
 2人は物音に注意しながら、そろりそろりと部屋を移った。
 それぞれが思い思いの場所に張り付く。トマジはクローゼットへ。ガルダンはチェストの引き出しを開けた。なるだけ音を立てないように、しかし素早く行動しなければならない。もう部屋も冷たくなり薄着では寒いはずだったが、2人の体は火照り、汗を掻いていた。
「待て!」
 トマジが手を挙げた。
 ぴたりと2人の動きが止まる。止まると、部屋の外、廊下の向こうからコツコツという足音が聞こえた。1つである。遠ざかるのを待ったが、その音は大きくなるばかりだった。
 大きくなり続け、近づき、止まった。
 扉の前で。
 ガチャリ、とノヴの回る音がする。
 2人の緊張の汗が、一気に流れ出た。
 扉が開いた。
「あら?」
 召使いが、物音が聞こえた気がして開けた寝室には、何の影もなかった。彼女は気のせいだったかと思い、慌てて閉めた。少しでも勝手に入室したと分かれば、彼女の主人ルガイヤは炎のように怒るのだ。一歩も踏み込まずに立ち去るのが正解だった。
 扉が閉められ足音が去り、トマジはクローゼットの影で、ガルダンはベッドの下で、それぞれ安堵の溜め息をついた。入室されていれば、見つかっていただろう。
 2人は作業を再開した。
 いや正確には、再開しようとした時だった。
 ベッドの下から這い出ようとしたガルダンが、何か思い立ったらしくそのまま、ベッドの下の奥まで潜り込んだのだ。
「おい?」
 トマジが小さくささやく。
 見守っていると、ガルダンがずり出て来た。かろうじて片手で持てる程度の、少し大きな小箱を掴んで。
「下にポケットが作りつけられてて、そこにあった」
 見つけた本人も嘘だろうと言わんばかりの顔をして、自分の手の中の箱を見つめている。トマジがニヤと笑い、ガルダンの肩を叩いた。それでようやく目が覚めたようにガルダンは肩を震わせ、慌ててそれを床に置き、剣を抜いて、それをこじ開けたのだった。
「やったな」
 トマジが喜びを隠しきれず、またガルダンの肩を叩いた。ガルダンは中から手紙の1つを取り出し、かすかな月明かりを頼りに、そっと開封してみた。手紙の端を止める飾り蝋は、見たことのない紋章だった。
 最初ガルダンは、3回も強く目をしばたいた。そこに書いてある文字を読み損なったかと思ったのだ。そして顔が紙につきそうなほどに目を近づけて、文字を読み取った。
「……嘘だろ、エルアルバって……」
 敵国の名である。
 ガルダンの口が、膝が、手が、そこにあるあまりにも大きな名に震え出してしまった。壮大であり意外な名であり、1国の第2王子を捨てゴマにする程度のことを構わないと思える、とんでもない計画だった。
 その一枚を見ただけでは、ことのあらましが捕らえられない。
 ガルダンはその場にしゃがみ込み、箱をひっくり返して手紙の全てを片っ端から広げて行こうとした。
「おい、どうしたんだよ! ガルダン、それなんだろう?! 早く逃げるんだ!」
 小声ながらも鋭い叱咤を飛ばし、トマジがガルダンの腕を引っ張った。
「何だってんだよ! 後で良いじゃないか、何が書いてあるってんだよ、畜生!」
 しかしガルダンは取りつかれたように手紙を見つめ、大きく目を見開き、ぶつぶつと口を動かしながら文章を読んで動かない。トマジは殴るような仕草で、掴んでいたガルダンの腕を放した。
 俺は帰るぞ、と言おうとしたのだろう。反転したトマジが口を開いたその時、
「ガルダン……」
 異変は起こった。
 そのトマジの口調にガルダンも、ハッとして顔を上げた。トマジが窓の右端に身を隠して外を覗き込む。それを見てガルダンは慌てて手紙をかき集め懐に押し込み箱を拾い上げると、トマジと同じ窓の左側に張り付いた。
 馬の鳴き声がした。
 そして、10人ほどの騎兵の群れが見えた。
「ルガイヤか?」
「分からん。多分、そうだろう」
 林を抜けて出現した騎兵の群れはすでに近く、気付かれずに屋敷を出るのが困難なほどだった。
「ばれたのか?」
 トマジが咎めるような声を出した。
「まさか。どうやってばれるって言うんだ」
 ガルダンは中空に目をさまよわせ、様々なパターンを思い浮かべた。しかし今日の今、ルガイヤ邸に忍び込んでいることを知っているのはボーンだけである。ボーンがルガイヤにそれを白状したとは、考えられない。例え拷問されても。
 しかし現に、すぐそこにルガイヤがいる。
「夜になったから、城から帰って来ただけかも知れないぞ」
「武装してか?」
 容赦のないトマジの糾弾に、ガルダンはうっと詰まった。
 何にせよ、逃げなければならない。
 そう思って近づいた廊下への扉からは、侍女らが主人の帰宅に慌てているらしい足音が聞こえて来る。逃げられたものではない。だが寝室の窓からは、正面玄関が丸見えなのだ。窓からも逃げられない。
 ガルダンは書斎への扉を指さし、書斎に戻って、そこの窓から逃げることをジェスチャーで訴えた。角の部屋なので、窓の向きが違うのだ。行きも使った窓だった。
 トマジも無言で頷き、開け放しておいた書斎への扉をくぐると、音の出ないようにそろそろとノヴを回して扉を閉めた。
 しかし行きと違って帰りの辛いことは、足音のたつものが沢山床に散らばっていることだった。廊下の物音に気を配りながら窓に近づいていたのだが、
 バタン!
 という音が寝室から響いて来て、2人は瞬時に身を沈めたのだった。
 間に合わなかった!
 ガルダンは悔しさでたたらを踏んだ。確かに、手紙を眺めている暇ではなかった。
 だが、今ならまだ逃げ出せる。隣りにルガイヤがいると言うことは、例え見つかったとしても逃げおおせさえ出来れば、城に駆け込むことが出来れば、ボーンなりファバムなり王なり、誰にでもこの手紙を渡せる。渡せさえすれば、後は何とかなるはずである。
 箱を床に置いてガルダンは立ち上がり、覚悟して窓を開けようとした。
「来い!」
「きゃっ」
 小さな。
 本当に小さな、その悲鳴さえなければ。
 ガルダンは、逃げおおせていただろう。不審に思うトマジが、動きの止まったガルダンの服を引っ張った。だがガルダンは、振り向くことすら出来ずに固まってしまった。
 その耳に、またルガイヤの声が聞こえて来た。
「くそ、いまいましい、ガルダンめ! どこに行ったのだ!」
 その呟きにトマジはニヤリと笑ったが、ガルダンの顔は、やはりまだ笑えずにいた。その後に続くドサリと言う音は、ベッドに体を投げ出す音だろう。しかし体を投げ出したのはルガイヤだったのか、誰かの体がベッドに投げ出されたのか……。
 隣の寝室に、ルガイヤともう1人いるとトマジも気付き、ガルダンを見上げた。
「いや、来ないで! ……下さい」
 女性の声。少女だろうか、線の細そうな声である。
 ルガイヤに妻はない。彼女の口調、台詞の内容から考えられることは1つである。ならば、自分たちがここにいると気付いていないルガイヤが、彼女に集中している間に逃げてしまえば、そう簡単には追って来れないだろう。先ほどの10人の兵も、窓の下にすぐ集結して来る訳がない。
 なのに、ガルダンは窓から離れた。
 思わず声を上げそうになって、息を飲みながらトマジが彼の腕を掴んだ。ガルダンがトマジを見た。恐ろしい形相だった。
「ルガイヤ様、どうして急に私が連れて来られたんですか? 今日はこんな予定は、」
「うるさい!」
「きゃあ!」
 破裂音が聞こえ、ガルダンの目が光った。思わず動くガルダンを、慌ててトマジが抱え込んで押さえた。
 一体どうしたんだと叫んでガルダンを窓に引きずって行きたいが、今の彼はびくともしない。びくともしないどころか、寝室への扉に向かうではないか! 叫びたくとも声が出せないので、トマジは目を見開いて表現するしかなかった。
「お前は奴が現れるまでの餌だ。おとなしくしておれば、殴ったりはせん」
「餌? 彼はかかりませんよ。私は利用の為だけに近づいたのであって、好きでもなんでもないと言いましたから。私なんかを餌にしたって、ガルダンは現れません」
「どうかな?」
 毅然として低くはっきりと話す彼女の声を、ルガイヤが一蹴する。
「い、いや!」
 ベッドのきしむ音と、ルガイヤを嫌悪する声が響いた。
「お前も変わったな。扱いづらいメスは、用が済めば捨てられるだけだぞ」
 まるで他人事のようにルガイヤが彼女のことを哀れんだ。それはガルダンが現れないようならお前を殺すと言っているのと同じことである。加えて、彼女をメス呼ばわりしたルガイヤの言葉に、ガルダンの理性が吹き飛んだ。
「!!」
 必死で押さえていたトマジも、こうなっては力が及ばない。ぐいと引き離されたトマジの足下で紙の束がぐしゃりと音を立て、いよいよ隠れていることが知られてしまったと思われた。
 ガルダンがノヴを掴んで回すその時、一瞬だけ険しかった顔が緩んでトマジを見た。
「お前は逃げてくれ」
 ガルダンは懐の手紙の束をトマジに放り投げ、小声でそう言うと、一気に扉を押し広げた。驚愕の表情を浮かべるルガイヤと、その下に、ベッドに組み敷かれている黒髪の娘とを交互に見る。
「サーリャを放せ」
 ガルダンは、すでに剣を抜いていた。
 





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