継続 1.


 夜露の降りる町並みは、昼の埃っぽさが少し押さえられて、しっとりとして見える。昼間は黄土色一色の景色が、日が落ちて紺色になる。道ばたの荷馬車の荷台が、露で微かに光っていた。
 少し首を傾げると、光がうつろう。
 首を傾げたガルダンはふっと目をつむると、気付いたように姿勢を正してまた歩き出した。
 闇を歩くことにもすっかり慣れた。月明かりでなくとも空が薄明るく、遅くない時間なら林立する民家の窓から、光も漏れている。冷えた風を避けて物陰を選びながら、マントを顎まで引き上げてガルダンは歩くが、ことさらキョロキョロしたりなどはせず、比較的堂々としていた。コソコソとするより返って普通に歩いていた方が、不審がられないことを知っていた。
 夜を歩くのは、サーリャと会うことで慣れた。
 だから逆に夜を歩くと、彼女を思いだしてしまう。並んで徒歩で帰ったり、馬に乗せて、背中に彼女の温もりを感じながら話をした日々は、今背中の寒さを感じると遠い昔に思えた。
 サーリャと話した内容や自分の憶測も、ガルダンは帰ってすぐにすべてボーンに打ち明けた。
 ガルダンが考えた憶測は「黒幕がいる」ということだった。もしくは、共犯者がいるということ。サーリャのような些細な者でなく、もっと大きな権威を持っている人物だ。司教だけの力でクグライバル人をどうこう出来るとは考えられないし、ファバムの部屋に兵士を送り込むことなど出来ないと思ったのだ。
 動機も不鮮明である。国民の半数以上の考え方が「奴隷解放」に傾いていれば、地位と栄誉を欲して行動を起こす、と言う話も考え得る。聖職者なので純粋に奴隷を助けたいが為と仮定しても、それにしては司教が最後に取った行動が不可解だった。またも具体的にそれと言わなかったが、司教が取った行動は、明らかにクグライバル人を軽視している。
 それに司教はガルダンに自分たち「親子の首」を心配しろと言い残した。ガルダンのことは捨てゴマとして殺すことを考えられていたとしても、なぜボーンまでを言うのか。つながりがないのだ。
 ガルダンは、その問いをボーンに思い切ってぶつけたのだった。
「ファバム様が本当に司教の言うようなお方であれば、暗殺はあり得る話です。クグライバル人たちを必要以上に使役しているなら、反発されても仕方がない」
 ボーンはガルダンの言い分を、面白そうに聞いた。ガルダンが本当にはそう思っていないことが、分かるゆえに。
「でも俺は半年ファバム様に仕えていて、そんな場面を見たことがありません」
「わしが知るファバム様も、そのようなことはなさらない」
 ボーンの頷き方は神妙なもので、クグライバル人をそのように強制的に使うことには反対らしいことが感じられた。“奴隷は奴隷でしかない”ことと、その彼らに無理な労働を強いることは別物だと思っているようだった。
「ボーン様も、奴隷を酷使すべきではないとお考えですか?」
 素直なガルダンの物言いに、ボーンは軽く笑った。
「もっと奴隷をこき使うべきだと思っていると思ったか?」
「いえ」
 ガルダンは少しボーンから体を引いて、うつむいた。1つ1つを確認して行きたいと思った為の問いだったのだが、聞かずとも良かった問いだったので、言ってから自分で恥ずかしくなってしまったのだ。
「ならば、」
 とガルダンは気を取り直して、言葉を続けた。やはり自分の憶測は正しいのかも知れない、と思いながら。
「奴隷云々の為にボーン様やファバム様が殺されると言うのは、おかしいですよね。俺が司教から聞いた話は穴だらけで、矛盾だらけだと言うことだ」
「その司教とやらが、本当に“奴隷解放”を望んでいるのならな」
 ボーンはしばらく書斎の中をうろうろとしていたが、そう言い切ると心が決まったらしく、いつもの自分の席に座り込んだのだった。腕を組み、背もたれに体を預ける。
 ガルダンは自分の仮定が間違っていないことの決定的な解答をもらった気分で、立ち尽くした。
「……え」
「“解放”の甘言をエサに、クグライバル人たちを手ゴマとして操っているのではないか、と言うことだ」
 ガルダンはゆっくりと目を見開いた。
 今までどうしても喉を通らず苦しかったものが、ストンと腑に落ちた心境だった。
 そうなのだ。
 元々、“解放”などと言うこと自体が、嘘だったのだ。
 いや、もしかしたら今のこれはただの推測なのだから、司教は本当に彼らを解放したいと思っているのかも知れない。しかし、矛盾をなくす為にこれを仮定すれば、パーツが収まるのだ。
「司教は奴隷たちを操って、何かを企んでいる、と?」
 そしてそうなると、これは到底司教だけの企みと言うには壮大すぎて、最初にガルダンが言った「共犯者がいるのでは」という憶測が、現実味を帯びて来る。
 順当に行けば、司教の上は大司教だ。
 大司教なら王に対しても発言権があり、奴隷たちを操るのも容易い。バルドナット国の宗教は、半分クグライバル人たちに救いの手を差し伸べるかのようなものになっているのだから。神に祈れば天国に行けるのだ、と。だから今辛くても、しっかり働くべきなのだと。
 だが、それでもまだ、動機が不十分だ。
 動機だけで考えるなら、もっと確かな煽動をして王制を倒し、大司教が王に取って代わろうとしている、という筋書きの方がまだ納得出来る。ファバムを亡き者にしたがる真意が、読めないのだ。奴隷の利用の仕方も中途半端である、表面的には「解放」をうたっているのはサーリャだけで、町は至って静かなものなのだ。もし本当に解放してもらえるかもと言う期待が彼らの中で膨らんでいれば、もっと動きや噂が立っても良いのではないか、という気がするのだ。
「逆から考えると、」
 とボーンがふいに言った。
「本当にファバム様を殺したいなら、お前ならどうする?」
 そう言いながらボーンが机向かいのを指さしたので、ガルダンは腰かけながら聞いた。
「どうゆうことですか?」
「お前に情報を流すような危険をせずとも、いくらでも方法はあると言うことだ。暗殺でなくとも、毒殺でも構わない。わざわざサーリャを使ってお前に接近して、このような話をした所に意味がある」
「あ」
 他人の相互関係ばかりを気にして、ガルダンは自分の立場を考えていなかった。自分は利用されていたのである。では何の為に?
 ボーンの言う通りだった。本当に確実にファバムを消したいなら、回りくどい言い方をしてガルダンなぞを焚き付けるより他に、方法がいくらでもあったはずなのだ。
 本当にファバムに斬りかかるかどうかも分からず、ひょっとしたら司教のファバムに対する恨みを暴露してしまうかも知れない、危険な人間だと言うのに。
 これを言うと、ボーンは苦笑して「後者はあり得んな」と言った。
「なぜです?」
「その為のサーリャだろう」
「あ」
 ガルダンは2度口を押さえるはめになった。
 司教を訴えることでクグライバル人すべての立場を悪くすることになるなら、サーリャもそこにいるのだ、ガルダンが漏洩などする訳がない。現にしなかった。ガルダンを操ろうとした者は、彼の性格や人柄をそこまで読んでいたのだ。
「ファバム様の部屋に飛び込んで来た兵士らは、捨てゴマであろう。ファバム様を殺せずとも良かった。お前に疑惑が持たれれば」
 ガルダンは息を飲んだ。机の上で手を組み、ボーンの言葉を先読みした。
「……俺に疑いがかかれば、ボーン様の立場も悪くなる、と言うことですか……?」
「そう言うことだ。ほんの些細なことでも食いつければ、何とでも糾弾して行けるからな」
 ガルダンの低い声に比べて、ボーンはカラリと答えた。
 城から戻ってすぐにボーンが言ったのは、このことだったのだ。あの時は今一つ飲み込めなかった説明だったが、今ならなぜボーンがガルダンに自害しろと言ったのかも、分かる気がした。
「あの時俺に自害しろとおっしゃられたのは、」
 ボーンはガルダンの声の調子が変わったことに気付いて、彼の瞳を覗き込んだ。
「俺が死ねば、ボーン様にまで疑いの手がかからないからだったんですね」
 落胆の溜め息が語尾に混じった。もう誰も全面的には、信じることも頼ることもしてはいけないのだ。そう思いながら言ったガルダンの言葉に、ボーンは一瞬だけ驚いた顔を露わにしてしまったが、次に破顔したのだった。
「愚か者が」
 と言いながら手を伸ばして、ガルダンの額をゴンとこづく。
 思いの外痛かったので、ガルダンは額を押さえてボーンを見た。
「お前があそこで自害しようと、どのみちわしが疑われたことに変わりはない。あそこまでの事態を引き起こした責任と、ファバム様への詫びの為に死ねと言ったのは、本心だ」
「え。じゃあ……」
「あの騎士が止めに入るだろうことも、予測しておったがな」
 ウインクでも作りそうにあっけらかんとした声で、ボーンは笑ってそう言った。悪党だ、と思いながらガルダンは憮然とした。
「あの男が止めなかったら、どうする気だったんですか?」
「わしも死ぬだけだ」
 またも明るい声で即答されしかも、
「まぁ文字通り、首がつながっていて良かったと言うものだ」
 と付け加えるボーンに、ガルダンは内心脱力した。思わず、本気だ、と呟きそうになる。
 本気でボーンは死ぬ気だった。
 しかもガルダンが時々心に誓う「本気」とは、格が違う気がした。
「しかし、わしはサーリャと言う娘に、2つ感謝をすべきであろうな」
「?」
「お前の表情がよく動きよく喋るようになったことと、和解出来たことを、だ」
「何を……」
 と言い返そうとしてガルダンは赤面して口をつぐんだ。確かに以前の自分なら、無言を返答とする所だ。自分の考えを言葉にするのも、前よりは上手くなった気がする。自分から進んで話をする癖が、サーリャといることで身に付いたからだ。
「悪い娘ではないと思っていたのだが、しょせん立場が違いすぎた」
 自分に言い聞かせるかのように、ゆっくりと区切って言ったボーンの言葉に、ガルダンは今度は反発しなかった。ボーン1人にたてついて説き伏せたとしても、何の解決にもならないことがよく分かったからだ。
 それより今は、謹慎という形で手に入れた猶予を用いて、自分にかけられた疑いを晴らして行く方が先決である。
「ボーン様はもう、分かっていらっしゃるのでは? 俺とボーン様を陥れるような画策をして、得をする人間を」
「うむ」
 再び腕を組んでボーンは、苦い顔をした。
 ボーンが思っているであろう人物とガルダンが考えている“黒幕”は多分同じであろうとガルダンは思っている。昔と今しか「ガルダン」を知らないサーリャよりはるかに今のガルダンを知っていて、ファバムの元に兵を送り込むことも容易いであろう人物。彼なら、ボーンを蹴落として地位なり王の信頼なりを得ようとするもくろみがあっても、おかしくないのだ。
「……ルガイヤだな」
 ボーンは初めて、ルガイヤを呼び捨てにした。
 しかし確証はない。そういう男である。突然城に乗り込み彼を言及したとしても、何も証拠は出ないだろう。逆に名誉毀損などと反撃を浴びて、こちらが窮地に追い込まれる可能性もある。
 調べる必要があった。
 夜の町に繰り出すのは、ガルダンがボーンに申し出た。
「俺の方がボーン様よりはまだ有名じゃないし、夜歩き慣れてます」
 そう言ったガルダンにボーンは、
「サーリャに3つ目の感謝をせめばならんな」
 と言って笑ったのだった。夜を歩き慣れることが役に立つと言うのもおかしな話である。それに気付いてガルダンも少し笑ったのだった。
 ガルダンが歩く曇った空の下は、その翌日の夜のものだった。目的の酒場を探し当てるのに、1日要してしまったのである。もしも本当にルガイヤが何かを仕掛けて来るなら、ぐずぐずしていられない。焦燥感を押さえる為に3度呼吸をしてから、ガルダンは顎を引いてその酒場の扉を開けたのだった。
 むわりと、人いきれと酒の臭いがガルダンを包む。
 ガルダンは薄暗いランプの下の顔を一周してある男の顔に目を止めると、男がこちらに気付いて立ち上がろうとするのを素早く近寄って止めた。
 他の客らが騒がないよう、彼の肩にかけた手にぐっと力を込めて、無言で彼を座らせる。その顔は3年前から面影が変わっておらず、背の高くなったガルダンと並ぶと同い年のように見えてしまうほどだった。
 その彼の向かいにガルダンも座ってから、
「久しぶりだな。トマジ」
 かつての戦友の名を口にした。





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