転落 7.


 演技ではない。
 それは、ボーンを知るガルダンが一番分かることだった。
 ボーンは本気である。
 そこには、怒りしか感じられなかった。何の打算も見えない。ガルダンに利用価値がなくなったからだとか、慈しみが持てなくなったからだとかそういう風ではなかった。ボーンがガルダンを見る目は冷たくはないし、その口調は突き放したものではない。
 ただ純粋に、死ねと言っているのだ。
 騎士にあるまじき行為。
 自分が仕える主にかけた迷惑。
 それらは、死をもって償うべきなのだ、と。
 それだけをボーンは言っているのだ。
 ガルダンのそんな考えは、走馬燈のように脳裏を過ぎ去っただけで、長い考えではなかった。
 今までに叩き込んだ“騎士”の自覚が、うだうだと考えるより早く行動していた。すなわち、一旦床に置いた剣を取り上げ、それを首につがえる動作が。
 血が、舞った。
 鮮血である。
 ガルダンの首筋から――しかしそれは、ガルダンの血ではなかった。
「待て! 待って下さい!」
 そんな声が、ガルダンの耳のすぐそばでした。剣の切っ先が、先ほど嫌な言い方でガルダンを責めたはずの騎士の手の平によって、止められていた。
 荒々しく剣を奪い取られる。床に叩きつけるように捨てられた剣が、ガンと鈍い音を立てた。剣を捨てた騎士の手の平がざっくりと切れ、血塗られていた。
 元々の剣の手入れが良くなかったことと、その前に2人を斬って切れ味が悪くなっていたことが幸いし、刃先をまっすぐ受け止めたためもあったのだろう、男の手はつながっていた。無事動いている。しかしそのことに安堵するよりも、ガルダンの心には「死にそびれた」と言う苦い思いが染み出した。
 若干は首の皮を切ったらしい血の流れる感覚があったが、痛いと言うよりはかゆい程度である。それが余計に苛立った。後でちゃんと死のうと思うほどに。
「なぜ止める?」
 腕を組んだボーンの表情は変わらない。むしろ、ガルダンがそれを男に聞きたい気分だった。
 男が言ったのだ、お前が犯人ではないのか、と。
 だがその不可解な行動の理由は多分、ガルダンがファバムを助けたことと同じなのだろう。言葉に出来ない心の奥底が突き動かされ、体が勝手に動いた。事実その騎士はボーンの問いに対して口を動かしはしたものの、しばらく声が出せずに目をさまよわせていた。
 手の平からこぼれる血の量を呆然と眺め、もう1人の騎士が気付いて止血してくれるのを見ながら、
「許しません」
 騎士はようやくボソリと言ったのだった。
「間違っています。皆の前で申し開きをするか、自分が犯人でないと言うなら、真犯人を見つけるべきです」
「なるほど」
 ファバムは卓上に肘を突き、組んだ両手の甲に顎を乗せて、神妙な顔で頷いた。口元を引きむすぶ彼の表情がしかし、どこか心を軽くしたように見えたのは、ガルダンの気のせいだったのだろうか。
「ガルダンが犯人であるとは断定出来ない。私の部屋での一件も、ひとまずは許そう。しばらく謹慎を申しつける。お前たちは親衛隊を集合させよ」
 それで良いな? と言う顔をしてファバムは皆を見回し、ボーンに視線を固定した。
 ファバムは一番言いたかった言葉を、さらりと口に乗せたのだった。ガルダンを許したかったのだ。
 だが王子の立場上、この騒動の直後に他の騎士たちのいる手前で、ファバムがガルダンにだけ恩赦を出すわけには行かない。許したくとも、下手な許し方をすれば、後々の火種にもなりかねないのだ。
 もっとも今とて、くすぶった火種であることに変わりはないが、強行に見えたボーンの発言が逆に効をなして、ことが丸く収まったと言えた。
 ボーンもそこで頷いた。
 頷いた為2人は退室となり、城を出るに至ったのだった。
 長い時間に思えたが、空はまだ青く明るかった。大通りも陽気なものだ。
 だが空の色とは反対に、ガルダンの中にはまだ、暗い影があった。
 聞きたいことも言いたいことも、沢山あった。
 話は終わっていないのだ。
 だが、終わっていた。
 分かったのだ。
 思想の違いが。
 殺せないことが。
 その2つが、話のすべてだった。
 ガルダンはあのまま言い争った自分が、怒りに我を忘れてファバムを斬るのだろうかと思った。自分は剣を持っていなかったが、その気になれば素手とて殺せる。叫びながら、頭に血が上りながら、心のどこかが冷静に自分を見つめている感覚があった。斬るつもりか? と問うている自分がいた。
「愚か者が!」
 はっとして顔を上げた。
 突然一刀両断のごとく振り下ろされた鋭い口調に、胸を突かれた気がしてガルダンは、ボーンの目をまともに見られなかった。
 前を歩いていたボーンが肩越しに振り返っており、その彼らの面前にはもう見慣れた玄関がせまっていた。城門をくぐっていたどころか、屋敷まで帰っていたのだ。道を覚えている馬のおかげか。ガルダンは少し、馬の首をなでた。
 突かれたはずの胸の真ん中に、しかし、じんわりと暖かいものが感じられた。
「お前が呼び出されたと聞いて、肝を冷やした」
 ボーンは馬から降りて、まだ沢山の町民が行き来するのが見える門の外を眺めながら、ファバムの名を出さない言い方をした。
 ガルダンも馬から降りる。
「引き止めるつもりで慌てて入室すれば、あれだ。生きた心地がしなかった」
 厳しく重い言い方で、顔も合わせず憮然と呟かれている言葉なのに、どこか暖かい。
「ボーン様」
 執事がひかえていた。気を利かせ、馬の手綱を受け取り連れて行ってくれる。いつもは玄関のすぐそばにある馬小屋に、自分でつないでおくものなのだ。
 執事が2人の元を離れてから、ボーンが言った。
「彼女の件だろう」
 確信のある言葉だ。肯定なのだが、肯定だからこそ返答出来なかった。そんな自分の顔色は、口ほどに物を言ったらしい。ガルダンの顔を伺ったボーンの口から、溜め息が漏れた。
「忠告も、忠告の意味を理解出来なければ、役に立たぬ」
 ガルダンは吐き捨てるような1人言のようなボーンの言葉に、申し訳なさこそは、感じ得た。だが彼の忠告に意味があったとは納得しかねて、皆まで受け入れられる言葉ではなかった。
「ボーン様の忠告は、ことを荒立てない為だけの、保身の忠告に聞こえます」
「分からんか?」
 横に並んで歩いていたボーンはガルダンの腕を掴み、歩調を早めた。ガルダンを引っ張り家に入ると、声を落としてボーンは言った。
「お前はある程度、認められた立場にある。しかし、その発言や権限は認められておらんのだ。お前が勝手な真似をすればするほど、自分の首だけでなく、すべての皆の首をしめているのだぞ」
 壁にドンと背を押しつけられたガルダンは、怒りと落胆の入り混じった顔を見た。ガルダンは目をそらして言った。
「すべての皆、と言うのは曖昧です」
「名を上げよと言うか」
 ボーンは扉を閉め、苦々しく、しかしはっきりと言った。
「ファバム様とわしとクグライバル人。ひょっとしたら王やイスク様、この国全体の立場にも関わる」
「……!」
 前半の名には、想像がついた。しかし出て来る名が大きすぎて、ガルダンは驚きの為に言葉をなくしたのだった。
 自分の立場が小さいことは、嫌と言うほど自覚しているのだ。
 ファバムの部屋に行くことすら、一筋縄では行かない。
 自分の言葉がどれほどの力を持っているとも、思っていない。
 だからこそあの時、言わずにいられなかったのだ。
 力のない者ほど、自由を奪われ、明日の見えない未来を不安に思わなければならない現実を。
 それを訴えることによって何とかなるとまでは、考えていなかった。
 ただ、分かって欲しかっただけだったのだ。
 そんな自分の思いとサーリャとの関係を、認めて欲しいだけだった。
 それがボーンの言うような大事に発展するとは、到底信じられなかった。
「確かに俺がファバム様の部屋で声を荒げたことは、軽率でした。それは認めます、追放でも仕方がないと思ったから、自害もいとわなかった。でも、俺の発言や行動がどうしてそこまでの影響になるのかは、分かりません」
 ボーンの眼に負けないように腹に力を込めて、ガルダンは反論した。
「愚か者が」
 先ほどとは少し違うニュアンスだった。
 ガルダンがまだ拾われて来た当時の年齢なら、いや、せめて従士になった頃の年齢だったなら、ボーンは苦笑して彼の頭に自分の手を乗せていただろう。もう、そうすることの出来ない年齢と2人の間の溝が、寂しかった。
「クグライバル人の問題は、そう安々と口にしてはいかんのだ。お前が奴隷に肩入れしていると言うだけで、それを利用しようとする者が現れる。その利用いかんによっては、ファバム様だけでなく、王たちにも影響を及ぼすのだ」
 歯切れの悪い言い方だった。
 ボーンは「ガルダンを利用する者」を知っているようである。なのにそれをはっきりと言わない時は、まだその確証を掴んでいない時だ。
「それが誰か、教えて下さらないのですか?」
「まだ、はっきりはしておらん」
「……司教、様ですか?」
「何?」
 ボーンは意外そうな顔をした。思いも寄らなかったらしい。彼が外出していたのは、別件だったのだ。
「そうか、奴隷をかくまって孤児院を作ったあの男か……」
 脳裏でなにやら合点が行ったのか、ボーンはそう呟いた。その呟きに、ガルダンは司教の名を出したことを後悔した。
 いや、後悔するなら、もっと最初からである。いっそ今でなく先週に、いや昨日でも構わない、ファバムと会う前にボーンとこの話が出来ていれば、もっと状況は変わっただろう。
 ボーンは本当に知らなかった。
 いや、知ろうとしなかった、が正解だろう。ガルダンの一存に任せていたのだ。
 ただ少しサーリャと会う回数がひんぱんだった為、それをたしなめた。裏に司教がいるとは知らなかったのだ。
「お前は知っていたのか?」
 ガルダンは後じさった。本当にまったく何も疑わなかったボーンを裏切った、嫌な思いが胸に広がった。後悔先に立たずだ。
「ガルダン?」
「司教が、俺に“ファバム様を殺せ”とほのめかしました」
「ガルダン!」
 逃げるように背を向け、ガルダンは屋敷を飛び出した。





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