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転落 4.
「おや、今日は1人かい?」 肉付きの良い体格の上に朗らかな顔を乗せて、店主が注文を取りに来てくれた。この男は、金髪だ。 クグライバル人を受け入れてくれるパブである。だが店主は、髪の色が示す通りクグライバル人ではない。だが彼は訳へだてなく、愛想が良い。最初奇異の目で見られたガルダンを快く迎えてくれたのが、彼だった。サーリャが一緒だったからだろうとも思ったものだったが、やはり今日も変わらない笑顔に、何となくガルダンは安堵した。 ああ1人なんだ、と言いかけたガルダンの台詞を、 「いいえ、2人よ」 追いついたサーリャが取り上げた。 「仲の良いこった」 声に出して笑う店主に2人前の酒を注文したサーリャは、息を整えてからガルダンの向かいに座った。 「やっぱり追いかけて来ちゃった」 「……」 すまないとも帰れとも言いかねて、ガルダンは目を泳がせた。1人で飲みたい気分だったはずなのだが、このパブに来たと言うことは、無意識にサーリャに来て欲しいと思っていたかも知れないのだ。 心の整理が付かなくて、ガルダンはやるせない気持ちになった。 「驚く話だったわ」 小さく言ってサーリャは運ばれて来た自分のジョッキを、ガルダンのそれに合わせた。コンと鈍い音がした。 「せっかく会いに来てくれたのに、変なことになっちゃって」 ごめんね、とサーリャは呟いて、 「今日はおごるわ」 と言い出した。 「え」 「たまにはね。いつもおごってもらってばかりじゃ、悪いわ。今日、ラグマットが売れたの。頑張って織った甲斐があったわ」 「そんなことまで、」 してるのか。と言いかけてガルダンは、口をつぐんだ。 そんなことと言ってもラグを織る程度ならむしろ日常であり、毎日寒空の下で日が暮れるまで農作業に追われていた過去よりは、楽な生活なのだ。それさえ重労働だと思えてしまう今の自分の生活が、どれだけ安穏としているかと思うと、ガルダンは恥ずかしくなった。 自分の側に来てくれるなら、そんな仕事はさせないのに。と思う、それは傲慢だ。だがそう思っていても、時々言いたくなる。 「サーリャは……。あの孤児院を出る気はないんだな」 言ってから自分のことが情けなくなり、言葉を戻そうとするかのようにガルダンは、息を飲み込んだ。 サーリャには、分かる気がした。ガルダンのこんな弱気な発言の理由も。 だが今彼の元に行ったところで、自分の立場はやはりよそ者のままなのだ。サーリャは首を振った。 「司教様はね、私たちクグライバル人の為にあの孤児院を建てて下さったのよ。教会にみえる方々も優しくしてくれるし、何より、子供たちの生き生きした顔を見られるのが嬉しいの」 だろうな、とガルダンは思った。 奴隷としてこき使われるのでなく、自分たちが自分たちの為に働き生きて行けるのだ。体調を崩せば看病してくれる者がいて、一緒に笑いながら同じ食卓で食事が出来る仲間がいる、そんな幸せなことはない。市民なら普通に誰もが持っている権利を、彼らは孤児院でのみ、掴んだのだ。 誰にも何も言わせない。一生守って行く。思いはしても、口にしたとしても、実現が難しいことをガルダンは肌で感じてしまっている。本当に充実した幸せな生活を彼女に提供出来ると約束出来ない。自分と会っているだけで彼女が満たされた気持ちになってなどいないことを、ガルダンは分かってしまうのだ。 約束出来ない自分に嫌悪もし、そんな社会に対しても腹が立った。 こんな社会。 「イスク様なら、か」 うっかり呟いてしまい、ガルダンは口を閉ざして周囲を見回した。どうもサーリャといると、ガードが甘くなる。周りの客で彼の言葉を聞き咎めた者はいなかった。それを聞いたのは、サーリャだけだった。 「司教様に言われたこと、考えてしまっているのね」 初めて会った時と同じようにサーリャは、俯くガルダンの頬に触って彼の顔を覗き込んだ。 「本当はあなたが優しいってこと、分かってるつもり。でも、あなたには辛いでしょうけど、決断して欲しいわ。司教様はそれを具体的におっしゃらなかったけれど、私にも分かったもの。あなたに期待してるってこと。私も、期待してしまった」 サーリャの口調が、段々熱くなって来た。司教の熱弁の時の目と似ていた。 「もし本当に奴隷解放がなされるなら。私は自由だわ。誰の目も気にしなくて良いのよ。何て素敵なこと! 私が、あなたと同じ人間になるのよ! ……あなたなら出来るわ」 力強く励ましてくれるサーリャに、まだ頷き返す気にはなれなかった。 少しずるいなと思うのは、2人ともガルダンに“暗殺しろ”とはっきり言わないところだ。だがガルダンはそう解釈してしまったし、司教もサーリャも、ガルダンが理解しているのを承知の上で喋っているとしか思えない。そんなに顔に出ているのか、とガルダンは改めて自分の素直さを呪った。 「私を救うと思って。なんて言ったら、重荷になっちゃうかしら」 ガルダンは顔を上げて、サーリャの目を見た。そこには後ろめたさや罪悪感など見あたらない。自分たちの言い分が正しいのだと確信している顔だった。確かに言い分としては正しいだろう、ガルダンの思う「正義」とも一致している。 しかし本当にファバムを殺す必要があるのか? その一点だけは心に引っかかった。確かに奴隷に対する考え方が、ファバムも自分よりだとは思わない。むしろボーンと同じことを言うだろう。とは言えこの点だけは、どうしても一度彼に会って確かめたいと思う点だった。 少し視線をずらすと斜め上から見下ろす形で、襟元の傷が見え隠れしていた。大きな、ひどい火傷の跡。 それを目にするたび、ガルダンの胸は締め付けられるのだ。 消えない過去だが、消せるほどの喜びをサーリャに与えたい、と思い続けて来た。 それが、今なのだろうか。 サーリャの為に。 クグライバル人の為に。 バルドナット国の未来の為にも。 ガルダンは息をつめ、一気に酒を飲み干した。 まずは明日、ファバムに会おう。それからだ。 酒を飲み下すと共にそう自分を落ち着け、ガルダンは溜め息をついた。 苦い酒の後味だけが、いつまでも喉に残った。 |