転落 3.


「ファバム様の親衛隊だというのは、わしが勝手に調べたことじゃ、この子に罪はない」
 ガルダンの顔色を読んだ司教が、言い添えた。
「すまなかった」
「いえ」
 ガルダンは軽く頭を下げた。
 勝手に調べたからと言って、すんなり謝ってくれる者も珍しい。好感を覚えてガルダンは、若干緊張を解いた。
「のう、ガルダン」
 司教は突然、話題を変えた。
「この孤児院を、どう思う?」
 どう思う、と言われても。
 隣に座るサーリャの肩が強ばった気がして、ガルダンは彼女の母親が相当酷い扱いを受けていたことを思い出した。連れて来られる時も不等だったらしい。サーリャのことはセオ家の場合引き取って面倒を看ていたが、そんなことは稀だ。普通はそのまま捨てられるか、人買いに持って行かれる。
 そんなクグライバル人は、多い。
「わしは行く行くは彼らを、祖国に戻してやりたいと思うとる」
「祖国」
「クグライバル国に」
 司教はラタティーを一口含んでから、こともなげに付け加えた。
「もしくはこの国で自由に暮らせるよう、市民権を与えて平等の立場を実現したいものじゃがな」
 ガルダンのカップを持つ手が凍った。
 ショックだった。
 頭をハンマーで殴られたように、目の前が一瞬くらっとした。
 ボーンに対して受けた衝撃とは全く異質である。心が浮き上がるような高揚感だった。
 無理もない、10年来諦め続けて来た同志に、突然出会ったのだ。心が躍るのは「平等」という言葉によってである。意味は知っていたが読書中には滅多に出て来ず、まして人の口から聞いたのも初めてなのだ。
 バルドナット国民で、しかも王宮に出入りするような高い位にいながら、平等という思想を持っているとは。
 考えてみればクグライバル人の、しかも孤児の為だけに、教会の裏に建物を造るような人物だ。それだけのことを考えていても、おかしくない。
 自分はまだ、彼のことを胡散臭く見ていた。ガルダンは急に、恥ずかしく思った。
 なのに、
「でも市民権なんて。無理だ」
 その思いに反してこんなことしか言えない自分の性格に、言ってから落ち込んだ。
「無理かどうかは、やってみてから言えば良い」
 あっけらかんと、司教は言った。2転3転するガルダンの気持ちに、気付いていないかのように。
 それから急に、声を落とした。
「ファバム様さえ、おらなんだらな」
「え?」
「イスク様と、対立なさっておられる」
 頭を低くした司教の目線に合わせて、思わずガルダンも頭を下げた。つられて、サーリャも顎を引いて眉をひそめている。
「イスク様はお優しい。王様もそうだ、そろそろ王位を継承なさるであろう。だがイスク様の性格では、政治を弟に乗っ取られかねんと思わんか?」
 考えたことがない、とは言わない。少なからずそれを思った時はあった、イスク様よりファバム様の方が王位にふさわしいのではないか、と。だがファバム自身がそれを望んでいるとは思えなかった。
「口をはさんで、ごめんなさい」
 申し訳なさそうに、サーリャが軽く手を上げた。困惑した表情だ。
「おお、王族の名をよう知らんかったか」
 と言う司教の言葉に、ガルダンは少し、あ、と思った。王族のゴタゴタは、ここまで響いて来ない。あくまで別の世界になってしまっているのだ。
「ファバム様とはな、第1王位継承者であられるイスク王子様の弟君なのじゃ。兄上が頼りないので、それを良いことに王位を狙っておられると言われとる」
 司教の神妙な物言いに、サーリャも顔を険しくして頷いた。
 内部の事情を何も知らない平民が、このように言う司教の言い方だけしか聞いたことがなければ、ファバム様は悪人ということになるな。と、ガルダンは思った。確かにそんな噂とてないでもないが、多少城の事情を分かっていると、司教のこの言い方には偏見が入っていることが伺い知れてしまう。
 かと言って反論出来るほど、何ほどをも知っている訳ではない。
「イスク様は信心深い。“奴隷”なる先人の決めた強制的な制度を、憂いておられる」
 サーリャはもう口を出さず息を飲んで、じっと司教の言葉に耳を傾け、ガルダンの様子を見守っているようだった。ガルダンの表情がどう変わるのはを、見たいらしい。
「ファバム様がおらなんだら、イスク様なら、奴隷解放を実現してくれるのだ」
 司教の語り口が徐々に熱を帯び、気付いて彼は咳払いをして座り直した。身を乗り出していたことにも気付かなかったのだろう。彼はラタティーともう1口飲んだ。
 ガルダンも冷茶を口に含んだ。
 2度も「ファバム様さえいなければ」と連呼されれば、嫌でも分かる。司教がガルダンの返答に期待をかけているのは分かったが、だからこそ彼は何も言えなかった。ファバム暗殺、などとは。
 ファバムとは相容れないのかも、と危惧はしても、まだそこまでの決心などつくはずもない。だが行く行くは、それがサーリャの身を全くの自由に出来る手段だと言う甘い誘惑はあり、それがガルダンの心をもたげた。
「少し、早計だったね」
「ガルダン」
 肩の力を抜いて笑う司教の様子に、サーリャがガルダンを咎めるような声を上げた。司教が軽く手を差し伸べ、そんなサーリャを制した。
「エルアルバとの開戦は、押さえ切れなくなっている。その前にファバム様に消えていてもらわないと、余計な血が流れることになるのだ。王宮には大司教様がおる、色々と良くして下さるはずじゃ。じゃが所詮聖職の者には、国を変えるだけの力はない。親衛隊におる君ならと思い、サーリャの友人であるとも知って、ついペラペラと話してしまった」
 司教は一気に言い終えるとカップを干し、サーリャに笑いかけてから立ち上がった。後はお前たちの時間だ、とでも言うように。
 日が、もう色づき出している。
「時間は少ない。悠長に考えておる時間はないぞ」
 司教は釘を刺すような言葉を残し、最初の印象と変わらないゆったりした調子で部屋を出た。





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