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転落 2.
ガルダンは入室前とは違う悲しみを背負って、退室しなければならなくなってしまった。 気持ちとしては通じ合えたと思えても、考え方・思想が根本的に違うことを痛感してしまったのだ。すりあわせて改善して行くも困難なほどの壁が見えてしまい、せっかく晴れたガルダンの心中はまたも暗雲に覆われたのだった。 感情のすれ違いでなく、身分と生活環境が生んだ概念の差なのだ。そこに誤解はない。 会うなと言われたばかりだったが、いや、言われたからこそだ。無性に会いたくなり、ガルダンは孤児院を訪れてしまった。誰が見ているかも分からないのだ、と言うボーンの言葉は逆に、どうして見られてはいけないのかが分からなかった。いや、頭では分かっている。騎士と奴隷だからだ。だがそれを心の糧にして生きて来たガルダンには、理性では納得していても、心がそれを許さない。 孤児院までの道は、体に浸み込んでいる。 いつも玄関まで彼女を送っていたからだ。 門をくぐりかけたところでガルダンは、孤児の少年にサーリャが外出中だと告げられた。 「じゃあ礼拝堂で待ってるって言ってくれないか」 黒髪の少年はこくりと頷き、また建物の中に入って行った。逃げ帰るように走る彼の黒い目は、確かに怯えていた。ガルダンを怖がったのだ、自分とは違う人種だから。扉の開いた向こうにちらりと見えた2,3人の子供たちは皆黒髪に見え、全員クグライバル人なのかなとガルダンは思った。 孤児院は、教会の裏にある。 孤児院の中にも入ったことはなかったし、教会も初めてだった。 そっと礼拝堂の扉を開けると、色とりどりの光が溢れていた。大きな丸いステンドグラスは正面にあるのだ。外から入って来る光を吸って、内側に神々しい輝きを落としている。祈りの日ではないので人がまばらなのだが、それでも全くいない訳ではない。ガルダンは一番後ろの席に座り、目を細めてそれを眺めた。人の大きさほどもあるガラスが鮮やかに室内を照らし出す様子は、すすけたガルダンの心に感動を与えた。 だが、その一方で。 このような代物を作ろうとしたら一体幾らかかるのだろう、と冷静に思う卑しい自分がいた。 所詮、下卑は下卑。きっとボーンとどころでなくファバムとも、完全に心が通う日はないのだろう。 ガルダンとて色々な本を読み、色々な知識を頭に入れた。奴隷を「物」として扱う考え方は知っていたし、自分はそれに染まりたくないと思っていたが、いつの間にか「金を溜め、サーリャを買い取る」と思っていたこともあった。サーリャと出会って2週間の中にも、それを感じる時があった。いつの間にか、変わっていたのだ。 それが常識として最初から教育され続けている者なら、なおさら考えはくつがえせない。例えガルダンの想い人であっても心の支えだったとしても、ボーンの中でのサーリャはやはり“奴隷”なのだ。それ以上の存在にはならないし、なれないと思っている。いや、思いつきもしない。それはボーンのせいではない。例えて言うなら、家畜を敷地内に上げ寝食を共にするようなものなのだ、バルドナット人にしてみれば。 近年その動きが変わって来たとは言え、まだまだ全体の意識は変わらない。 トントンと、軽く肩を叩かれた。 ガルダンは危うく険しい顔のまま振り向きそうになって、深呼吸してから後ろに立つ相手を見た。 声を出そうとして、制された。教会の中で私語は慎まれる。サーリャの付いて来いという合図に添って立ち上がり教会を出ると、 「突然、すまない」 約束もなしに訪れた非礼を、ガルダンは詫びた。 一歩前を歩いていたサーリャが、ちらりと振り返って苦笑した。いつも次に会う約束をしていたし、会うのは夜だったからだ。彼女に休日はない。まさかまだ日の落ちきらないこんな時間に押しかけて来ると思っていなかったので、少年からガルダンが教会で待っていると聞いて驚いたのは、事実だった。 サーリャは忍び込むように、孤児院の扉を開けた。 建物の名から受ける印象より、孤児院は広く清潔だった。先ほどサーリャ宛に伝言を頼んだ少年が、おぼおぼとだが笑みをくれて、ガルダンは少し安堵を感じた。廊下を歩くと沢山の子供たちに出会ったが、彼ら彼女たも「こんにちは」とはっきり言うよう、心がけているようだった。全員、黒い髪と黒い目をしていた。 「こんな場所しかなくて、ごめんなさい」 2人がいつも使うパブは、日が落ちてからしか開かないのだ。ガルダンとしては町中を散歩するでも草原に寝ころぶでも、場所など気にはしないのだが、サーリャが人目に触れず会うことを望んでいた。 「いや。俺が悪い、急に来たりなどするから」 「あ、ううん。嬉しいのよ。嬉しいんだけど、ちょっとびっくりしただけ」 肩を竦めながらサーリャは、廊下の奥の応接間らしき一室の扉に手をかけた。 「あ」 「おや」 先客に、サーリャが固まった。 それからガクンと、慌てて膝を突く。ガルダンは視界が開けた向こうに座る人物を、しげしげと眺めた。 「ガルダン、」 気付いたサーリャが彼にも膝を突くよう、目配せした。だが彼は、自分が理解しなければ平伏しない。仕方がなさそうに、サーリャは早口で言った。 「司教様よ」 「良い良い」 司教と言われた男は威圧感を持たず、綺麗に切り揃えられた白髪の下に人の良さそうな笑みをたたえていた。やせぎすで、王宮の連中のように脂が乗っていない。むしろ様々な苦労があったのだろう疲れが顔にこびりつき、頬がこけている。だがその笑みは、暖かかった。 王が全ての人間をひれ伏させる力の持ち主なら、彼は全ての人間を包み込む力を持っている。そんな広さを感じさせる老人だった。 「こちらに」 狭い部屋の中央に、木造の簡素なテーブルと4脚の椅子。応接間などと言うには貧素すぎたが、それでも水差しとカップが常備してあった。おずおずとだがサーリャが立ち上がり、テーブルに3つのカップを用意し始める。その後に続いてガルダンも部屋に入り、後ろ手でドアを閉めた。 「王宮で2度ほど、見たことがある」 司教はそう言ってガルダンに笑いかけ、椅子を勧めた。 ガルダンとしてはサーリャ以外の他人と話すつもりなど全くなかったので、つい不機嫌が顔に出そうになった。元々、人見知りのきらいがある。孤児院でなく、教会で待ったのもその為なのだ。もっと子供たちと仲良くなれる性格なら、とっくに城でも上手く立ち回っている。 だが頼みのサーリャは、しゃちほこばってしまってガルダンにまで気が回らない様子である。諦めてガルダンは席に着いた。 サーリャがカップを置く。湯気がなく、水に近い透明さだった。かすかにラタの葉の匂いがした。水出しで飲める茶である。季節がもう冬に入る直前に、ラタティーは珍しい。いつも湯を沸かせるほど豊かじゃないということなのだ。 「ファバム様の親衛隊に変わり者がおる、と評判じゃ」 急に言われて、 「は?」 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。滅多にないガルダンの驚き顔に、サーリャが口を押さえて小さく笑った。 ガルダンはこの老人と面識がない。王宮で会った、でなく「見た」と言うのだから、中庭で剣の練習をしているところでも見られたと言うところか。 確かに彼の衣服は上等だった。さすが、あのステンドグラスを作るだけのことがある。地味な色合いだが、見る者が見れば庶民には到底手が出ない品だ、と分かるだろう。この格好のまま王に謁見しても、充分だ。 司教は何も気にしていない風に笑って、テーブルの上で指を組んだ。 「わしが眺めていただけじゃからの。君はわしのことは、見ておらんだろう。ガルダン・マハ」 「名前まで」 思わずまた、呟いてしまう。それを恥じるように口をつぐんで、ガルダンは憮然とした顔を作った。それを見かねたサーリャが横に座り、申し訳なさそうに言った。 「私が司教様に言ったの。ガルダン・マハって知ってますか、って。そしたら調べて下さって……」 おどけるように肩を竦めるがサーリャの笑顔には、怯える目と罪悪感が込められていた。ガルダンの視線を咎めていると感じたのだろう、サーリャは笑顔を消した。 「だって……。騎士だって言うだけで、どこで何してる、とは何も教えてくれなかったから」 言われるまで気付いていなかったのは、間抜けだと我ながら思った。自分が彼女といて居心地が良いからと言って、肝心なことを何1つ言わず、彼女を不安にさせていたのだ。 多分この孤児院の中で司教は、父親のような存在なのだろうなとガルダンは思った。それ以上かも知れない、包み隠さず全てを話せるのだから。ガルダンのことも。 サーリャを引き取りこの孤児院で働くよう手配したのも、全て彼なのだろう。 他人の前なので多少照れくさかったが、ガルダンはサーリャを許す意味で笑みを作って見せた。 |