転落 1.


 城内には、様々な噂がばらまかれている。
 信憑性の高い話もあるが、聞くも滑稽な笑い話も転がっている。だがここで大事なのは、その噂が出回ることとなった、その根拠なのだ。
 ガルダンは「真実」に見える「嘘」を、今まで味わって来た。信憑性が問題でないことを学習して来たのだ。
 それに、その噂が出回ることとなった元の根拠を、自分は嫌と言うほど知っている。自分の耳で、それを聞いているのだから。
 だからこの「噂」は、限りなく「真実」に近かった。
 もう耳をふさいで知らないフリをするような、幼稚なことが通用しなくなった瞬間でもあった。いよいよ調べなければならないのだ。そう思ってからガルダンは、本当に自分がこの件に触れたくなかったのだなと言うことに今さら気付き、心中苦笑するのだった。
「ボーン様は、盗賊と通じてるらしいぞ」
 と言う噂に。

          ◇

 ガルダンの耳に噂が入った時にはすでに、城内に散々広まっていた。しかしファバムとの件のあった後にその噂が流れ出したと言うことは、少し調べればすぐに分かった。どうも親衛隊隊長が言いふらしているらしい、と言うことを、隊の仲間が教えてくれたからだ。
 あれから、2週間たっていた。
 サーリャと出会い心を開くことを憶え始めたガルダンは、まだ不器用ながらもファバムに一歩近付き、ボーンに対しても近づくことを考えていた。
 ファバムと交流することで、ガルダンは思い知ったのだ。
 ボーンが自分を避けているのではない。
 自分が猫のように、彼に懐かなかったから。信じられなかったから、ボーンも自分に無理に何かを諭したり訴えたりしなかったのだ。信じられていないことが分かるのに、そんな相手にどんな言葉を使って、溝を埋めようと言うのか。
 自分がボーンを、信じていなかった。
 ボーンは無実だ潔白だとかたくなに思い込みたかった自分の気持ちは、彼を信じているということにはならないのだ。彼が「何をしたか」でなく「何を思ったか」なのだ。そしてそれは事実を突き詰めても話し合っても、得られるものではない。
「お前さえしっかり分かっていれば、それで良い」
 かつてのボーンの言葉の意味を、ガルダンはこの時になってようやく分かった気がした。
「ボーン様」
 自分からボーンの書斎を訪れなくなったのはいつからだろう、と思いながらガルダンは、書斎の扉をノックした。
 少し癖があるらしい叩き方を、自分では意識していないのだが、ボーンは分かっているらしい。中からかすかな音がして、入れと言う声が続いた。扉を開けるとすぐ、振り向いた状態のボーンと目が合った。
 目をそらしもせず、緊張もない。
 ボーンを見る目に力を込めてもいないし、見た途端に何かを思うという訳でもなかった。そんなガルダンの心が伝わるのか、いや、最初からだろう、ボーンは穏やかな顔をしていた。
 この2週間も変わらずに、ボーンも城内に出入りしている。当然噂は耳にしただろうし、していなくとも、その雰囲気は察しただろう。
 久しぶりに、ボーンに会った。
 ガルダンはそんな気がした。
「失礼します」
 うむ、とボーンが頷き、ガルダンが扉を閉める。いつものように椅子を引っぱり出し、ボーンも向かいに腰掛ける。以前と変わりのない動作、変わりのない光景。
 ボーンはここで、以前にはなかったものを取り出した。
「いつか、お前とやろうと思ってな」
 テーブルに、2つの銅盃が置かれた。
 ボーンが掲げた瓶からそこに注ぎ込まれる赤紫の液体の、本当の価値をガルダンはまだ分かっていない。だが多分彼のことだから、高級な秘蔵の1本なのだろうと想像出来る。受け取ったそれを、ガルダンはゆっくり大事に持ち上げて、香りを楽しんでみた。甘すぎず強すぎない、柔らかな匂いがした。
 果実酒はサーリャと飲む麦酒より格段に深みがあり、甘みと酸味も効いていて美味しいと思った。彼女にも飲ませてやりたいと考えてしまう、それほどガルダンの心にはサーリャが住みついていた。過去の小さな彼女でなく、19歳の娘が。
 ボーンは少し目を伏せて、盃を傾けた。が、目を上げた彼には迷いが見られなかったので、ガルダンも口火を切った。
「噂が聞こえて来まして」
 ボーンはうむとも何も言わない。だからどうなのだという、ガルダン自体からの問いかけを待っている。ガルダンは盃を口に浸けた。喉が熱くなり、胃に落ちて行く。それをきっかけに、言葉をつむいだ。
「噂が真実ならば、その根拠を教えて下さい」
「聞いてどうする?」
「分かりません」
 素直に答えた。
 聞いたからとて具体的にどう行動するのか、とは決めていなかったのだ。変わらずここに暮らし続けるだろうし、ボーンを見る目も変わらない、そのことに確信を持っただけだったから。ボーンがそれを拒否するならば、そこから考えるしかないと思っていた。
 そんなガルダンの心中を察したのかボーンは、
「そうだ」
 と言った。
「3年前、討伐隊から帰って来たお前の様子が変だったのは、気付いていた。わしやルガイヤ殿が盗賊と通じておるらしい、と言う話を何らかの拍子に聞いてしまい、ずっと悩んでおったのだろう?」
 ガルダンはすんなり彼が話してくれた喜びを隠して、固い顔で頷いた。
「聞いてしまって、それがどのような答えであれ、ボーン様との関係が壊れ、騎士になれなくなるのが嫌だと思っていました」
 後半の“騎士になれなく……”は、付け足しだった。本当はさほど問題にしていなかったように思う。しかし心の奥底では考えていたのだろうし、ただ“ボーンと仲が悪くはなりたくなかった”と言うのが恥ずかしかったので言い添えたのだ。その方が利己的に見えて、必要以上に人と近づかずに済むから、という打算も働いていた。期待をかけられたくはない。
 目立った行動を取りたくない、という意識が働くようになったのは、多分トマジに言われてからだ。知らない人間にまで“ガルダン・マハ”が有名なのだと聞かされて以後、仏頂面に磨きがかかった気がする。離れた所から人を眺め、心の裏を読む癖を身につけてしまった。
「お前がどう判断するかは、任せるさ」
 ふと見るとボーンは、2杯目を注いでいた。少々鼻が赤くなって来ている。ボーンが酔う所を、ガルダンは初めて見た。
「“国境の盗賊”と取引を始めたのは、6年前、丁度お前に会う少し前だ。隣国エルアルバとは昔から険悪で、牽制が続いている。盗賊の頭が向こうで反乱軍を起こそうとしている男だと分かったので、わざわざスパイを送り込むこともない、奴らを使っておった。奴らに適当に暴れてもらっとるうちは、エルアルバも我が国に攻め込んで来る余裕がなくなるし、戦力低下にもなるからだ」
 じっと微動だにせず聞きながら、ガルダンは矛盾を感じて口にした。
「そんな契約がされているなら、討伐隊結成は変じゃありませんか? それに、ボーン様が俺をその隊に加えたことも、疑問です」
「一度に言うな」
 ボーンは苦笑して、また杯を開けた。急ピッチだ。もしやこの話をする為に、ボーンはかなり神経を使っており、酒の力を借りて話しているのではなかろうか、とガルダンは思った。そしてもしかするとボーンもまた、ガルダンへの接し方に非常に気を使い、臆病にすらなっていたのかも知れない。ボーンとてただの人間なのだ。ガルダンはふと、そんな考えに行き当たった。
「討伐隊結成は、最初は本当に討伐に行くのだと、わしは思っておった。“国境の盗賊”に内部分裂が起き、我が国を荒らしだしたと聞いたのでな」
 肩を落としてボーンは言い、3杯目を注ぐ。飲み過ぎだと思い、一瞬諫めようかと思ったのだが、言いそびれた。
「ルガイヤ殿は志も高く、城内での力も持っている。志が高い、とは思えんか? だが彼は国の為一番働き、色々なものも犠牲にして来た男だ。……親友だった」
「だった?」
「討伐隊の件が決定打になり、意見を違えたままだ。奴は分裂した盗賊共とも手を組んだことが分かっている、何やら企んでおるようでな。何をか聞かせてはくれぬし、ガルダン、お前のことでも奴はわしに脅しをかけて来おったのでな、今ではすっかり他人だ」
 自嘲気味に呟いてボーンは、また口を湿らせる。話をすること自体の抵抗と言うより、ルガイヤの名を出すことのやるせなさのようなものが、そこにはある気がした。きっと、本当に親友だったのだろう。
「大した脅しではない」
 ガルダンが聞くより先に、ボーンは気付いてくれた。
「わしが盗賊と通じている、とお前に言うぞと言われただけだ」
 また顔をくしゃっと歪めて、ボーンは言った。どことなく苦い顔。
 そこまで聞けば、ガルダンは2番目の自分の質問へ自分で答えが出せた。3年前、討伐の話の時はまだ2人に信頼関係があったということだ。あれを機にガルダンは騎士に昇格出来るはずだった。ボーンが隊に一緒でなかったのは“マハ”の名が有名すぎて、返ってその名を持つガルダンの足手まといになるのを避けた為だろう。
「あの時、」
 思わず口を突いて出た言葉を引っ込め――思い直してガルダンは、また口に乗せた。
「“盗賊と通じている”と聞いても動じない心を、俺が3年前に持っていれば」
 そうしたらボーンは隠さず教えてくれたのだろうし、このように遠回りをする必要もなかった。
「いや」
 ボーンは、ガルダンの後悔を取り除くだけの、微笑みを向けた。
「お前は充分大人だ。わしこそ、わしが、悪かった」
 そう言ってボーンは、机に肘を突いたまま、頭を下げる仕草をしたのだった。
 ボーンの“初めて”を見る、何と多い日であろうか。ガルダンはボーンが自らを「悪い」と言うことも、初めて聞いた。ガルダンに対して対等になってくれていると言うことなのだろう。
「いえ……。教えて頂き、ありがとうございました」
 それだけの厚い心を受けてなお笑顔1つ出せず、固い礼儀しか出せない自分に、自己嫌悪する。だが自分がボーンを見る目は、以前よりはるかに柔らかく感じる気がして、少しでも変わっていれば良いだろうと自分に言い訳するのだった。
 しかし。
 折角打ち解けたように思えた、折角溶けた氷がまた温度を下げるような言葉が、ボーンから浴びせられるとは、ガルダンは思いもしなかった。
 杯を置き席を立つガルダンに、ボーンが若干ためらった顔をし……。
「はい?」
 退室しかけたガルダンは、彼の顔色を読んで立ち止まった。
 ガルダンが立ち止まったので仕方なく、と言う感じでボーンは口を開いた。
「話は変わるが、サーリャのことだが……」
 歯切れが悪い。ガルダンは体の向きを変え、ボーンを真正面から見下ろした。
 ボーンは4杯目を注いだ。
「お前も相当に知識を身につけたのだから、言うことはなかろうと思っていたのだが……。ただ会うだけで彼女を引き取れないのなら、ひんぱんに会うな」
“会わない方が良い”という言い方ではない。この2週間、殆ど1日おきに彼女と会っていることを密かに懸念していたらしい。
 かなり思い切った発言だったのだろうと思われる。
 ガルダンの受けた衝撃も、尋常ではなかったから。





   next

   back

   index